2017年4月5日
戦いの道はある
<どんなに動きを拘束され、
封じ込められようが>
残暑の東京を発って二時間半、夜霧に包まれた軽井沢は肌寒かった。
山本伸一が長野研修道場に到着すると、地元の幹部や役員など、数人が出迎えた。会長を辞任したあと、「聖教新聞」などの機関紙誌で、彼の行動が報じられることは、ほとんどなかったためか、皆、笑顔ではあったが、どことなく不安な表情をしていた。
伸一は、同志のそんな気持ちを吹き飛ばすように、力強い声で言った。
「私は元気だよ! さあ、出発だ!」
師弟の天地に、師子吼が響き渡った。
彼は、長野県長の斉田高志と握手を交わしながら語っていった。斉田は、三十七歳の青年県長であった。
「私は、名誉会長になったということで、広布の活動を休むことも、やめてしまうこともできる。そうすれば楽になるだろう。しかし、一歩でも退く心をもつならば、もはや広宣流布に生きる創価の師弟ではない。戸田先生は、激怒されるだろう。
地涌の菩薩の使命を自覚するならば、どんなに動きを拘束され、封じ込められようが、戦いの道はある。智慧と勇気の闘争だ。大聖人は『いまだこりず候』(御書1056頁)と言われ、いかなる迫害にも屈せず、戦い抜かれたじゃないか! みんなも、生涯、何があっても、いかなる立場、状況に追い込まれようとも、広宣流布の戦いを、信心の戦いを、決してやめてはいけないよ。私は、会員の皆さんのために戦い続けます」
伸一の長野訪問は九日間の予定であった。
到着翌日の二十一日は、朝から役員の青年らを激励し、昼食も草創の同志ら十人ほどと共にしながら語り合い、引き続き、小諸本部の副本部長である木林隆の家を訪問した。十一年前に出会った折に、「ぜひ、わが家へ」と言われ、そこで交わした約束を果たしたのである。
夜もまた、地元の会員の代表と次々と会っては懇談した。対話を重ねることが、生命の大地を耕し、幸の花園をつくりだしていく。
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 十 2017年4月4日
2015.4月
この道
<創価桜の道ひらけ!>
毎朝毎朝、私の心に響いてくる足音がある。
それは、日本列島のあの道この道で
聖教新聞の配達の歩みえを進めてくださっている。尊き「無冠の友」である。
その一歩一歩が、友に今日一日の前進の力を贈り、無量無辺の「心の財」を積み、広げているのだ。
日蓮大聖人は、日女御前を励まされた。
「大空には鳥の飛ぶ跡がある。人間には見えない。大海には魚の道がある。人間には見えない」
「同じように、あなた日女御前の御身の内には、『宝塔品』が厳然とあるのである。凡夫には見えなくとも、釈迦仏・多宝如来・全宇宙の諸仏は御覧になっている」(御書1250頁、趣意)と。
たとえ誰が見ていなくとも、御本仏が厳然と御照覧くださっている「生命の道」なのである。
この娑婆世界には、御書に「冥(くら)きより冥きに入る」(同560頁)と喝破されているように、悪縁に引きずられて深い闇から闇へ彷徨う不幸が、あまりに多い。
その悪道の流転を押し止めて、生きる喜びの道へ、希望の光の道へ、共に進みゆく哲理が、妙法である。
ここに、「一生成仏」を勝ち開きゆく直道がある。また、「父母を扶(たす)くる道」(同223頁)という真実の孝養の道もある。そして万人を、これ以上ない幸福の境涯へとリードしていける「無上道」があるのだ。
現実の道には、荊(いばら)も生い茂る。壁も立ちはだかる。出口の見えない、長いトンネルのような道もある。
しかし、古代ローマの哲人セネカは、「ごつごつした道こそ、崇高の頂(いただき)に達する道です」と言った。
題目は、険難の坂も勇敢に上りゆくエンジンだ。
知多半島の多宝の父母は、伊勢湾台風の被災にも、悪意や偏見にも、不退の心で、「我等の決めた」この道を切り開いてきた。同志と共に、走り、語り、愛する郷土の三変土田のため、今も戦い続ける。
「悪口されると、余計に『よし、勝つぞ!』と燃えました。今、すべてが仏縁と信頼の道に変わりました。学会は、人を救う地涌の菩薩の団体です。友と会えば、すぐに歓喜の対話の道が広がります」と。
苦難の中を、もがき、苦しみながらも、法のため、人のため、社会のため、前へ踏み出した一足一足は、黄金の足跡となって、決して消えない。あとに続く人々に、限りない道標(みちしるべ)と輝いていくのだ。
わが師・戸田城聖先生は叫ばれた。
「山道を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか、その時こそ、『勇気』を奮い起こし、『智慧』を発揮していくところに、信心の本当の深さがある」と。
我らは、広宣流布の正道、立正安国の大道を開くことを誓い願って生まれてきた。
「新たな友よ、集い来たれ!」と声をかけながら、今日も強く朗らかに、創価桜のこの道を征こう!
師弟して
誓いの道を
晴ればれと
創価桜の
満開勝利で
大白蓮華No.785号2015.4月号巻頭言