2021年10月31日未掲載
<質問1>
「『一生成仏抄』に『仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり』(御書三八三㌻)とございます。私たちの実践のうえでは、どう拝していくべきでしょうか」
<応答>
質問したのは、生真面目そうな性格の、小柄な青年であった。
「この御聖訓は、御本尊にお仕えする姿勢、また、いっさいの広布の活動への一念の在り方を説かれたものです。
結論していえば、広宣流布につながることは、すべて大功徳、大福運を積んでいくことになるのだと確信していくことです。そこには、当然、喜びと感謝があります。不平不満や文句など出るわけがない。
私もその思いで信心をしてきました。どんなに苦しく、大変な課題も、喜び勇んで挑戦してきました。戸田先生のもとで、広布のために必要とあれば、仕事をやり繰りし、どこへでも飛んで行きました。交通費が工面できなければ、歩いてでも行くつもりでした。
それが今日の私の功徳、福運の源泉であると思っています。
たとえば、広布のために、遠く離れた極暑や極寒の地で、生涯、暮らさなければならないとなった時に、喜び勇んで行けるかどうかです。その精神と実践がなければ、広宣流布という未聞の大偉業を成し遂げることなど、できるわけがありません。
そして、その厳然たる信心のなかに、三世永遠の大功徳、大福運を積む道があるのです。厳しいことを言うようですが、『水滸会』の諸君であるがゆえに、まことの信仰の道を教えておきたいんです」
伸一は、後継の青年たちの生命に、永遠の信心の原点を刻む思いで指導を続けた。
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 128頁~129頁
2021年10月31日未掲載
<質問2>
「共産主義国などでは、宗教を否定的にとらえている国や、宗教の自由を認めない国があります。それは、広宣流布の最大の障害になるのではないかと思いますが
<応答>
「大丈夫。長い目で見ていけば、いつか必ず、宗教を認めることになります。どんな国でも、真の社会の発展を考えていくならば、人間の心という問題に突き当たる。国家の発展といっても、最後は人間一人ひとりの心の在り方、精神性にかかってくるからです。
いかに制度や環境を整えたとしても、人間の悩みを克服し、向上心や自律心を培うといった、内面の問題を解決することはできません。もし、宗教をいつまでも排斥していけば、精神の行き詰まり、荒廃を招くことになります。ゆえに、人間の精神をいかに磨き、高めていくかを真剣に考えるならば、真実の宗教の必要性を痛感せざるをえないでしょう。
そのためにも、大事なことは各国の指導者との対話だと私は思っている。対話を通し、信頼と共感が生まれれば、自然に仏法への眼を開いていくことになります。三十年もたってみれば、今、私の言ったことの意味がよくわかるはずです」
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 127頁~128頁
2021年10月31日未掲載
<質問3>
「東西両陣営の対立は、ここに来て、ますます深刻化しつつありますが、これは日蓮大聖人が仰せの、自界叛逆難の姿ととらえることができますでしょうか」
<応答>
「私も、そう思います。交通や通信の発達によって、現在の世界は狭くなった。もはや地球は一つの国です。そう考えていくと、東西の対立は、日蓮大聖人の時代の自界叛逆難といえます。
仏法を持った私たちが、世界の平和のために、民衆の幸福のために立ち上がらねばならない時が来ているんです。
イデオロギーによる対立の壁を超えて、人間という原点に返るヒューマニズムの哲学が、これからの平和の鍵になります。それが仏法です。
仏法の信仰者として、世界のために何をなすか。それが今後の重要なテーマです。広宣流布の基盤ができたら、私も、本格的にその取り組みを開始します。諸君の活躍の舞台は、限りなく広く、大きいことを知ってください」
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 126頁~127頁
2021年10月31日未掲載
<質問4>
「私は漁師をしておりますが、戦後、米軍が九十九里で高射砲の演習をするようになってから、漁獲はめっきり減りました。もう、演習は終わりましたが、まだ、魚は戻って来ません。どうすれば、魚が戻って来るでしょうか」
<応答>
「それは大変ですね。ただ、結論からいえば、皆さんの一念で、国土世間も変えていくことができると教えているのが仏法です。根本はお題目です。皆で大漁を祈っていきましょう。私も題目を送ります」
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 114頁
未掲載
<質問5>
「私、日本に帰りたいんです。でも、どうすればよいのかわからなくて……」(中略)
「……それで私、主人と別れて、日本に帰りたいのです。でも、母の反対を押し切って結婚しましたから、日本に帰っても、誰も迎え入れてはくれません。どうしてよいのか、わからないんです……」
<本文>
最初の質問は、若い婦人だった。
「私、日本に帰りたいんです。でも、どうすればよいのかわからなくて……」
こう言うと、婦人は声を詰まらせた。目が潤み、涙があふれた。しかし、嗚咽をこらえて婦人は話を続けた。
彼女は東北の生まれで、戦争で父を亡くしていた。家は貧しく、中学を卒業すると東京に出て働いた。数年したころ、朝鮮戦争(韓国戦争)でアメリカの兵士として日本にやって来た、ハワイ生まれの夫と知り合った。母親は結婚に反対したが、それを押し切って彼と一緒になった。そのころ、彼女は知人から折伏され、入会した。二年前のことだ。そして、ハワイに渡り、夫の実家での生活が始まった。
自由と民主の豊かな国アメリカ──それは、彼女の憧れの天地であった。いや、彼女だけでなく、当時の日本人の多くが憧れ、夢見た国といってよい。しかし、彼女の夢は、あえなく打ち砕かれた。夫の実家での暮らしは経済的にも決して楽ではなかった。また、言葉も通じない日本人である彼女に、家族は冷たかった。
更に、夫までも、彼女に暴力を振るうようになり、夫婦の間にも亀裂が生じていったのである。日ごとに、後悔の念が増していった。孤独の心は、次第に暗くなり、海に沈む真っ赤な夕日を見ながら、彼女は泣いた。
〝この海の向こうには日本がある。帰りたい〟
頰を伝う涙は、傷ついた心に冷たく染みて、悲しみをますますつのらせた。
伸一は、婦人の話をじっと聞いていた。
「……それで私、主人と別れて、日本に帰りたいのです。でも、母の反対を押し切って結婚しましたから、日本に帰っても、誰も迎え入れてはくれません。どうしてよいのか、わからないんです……」
婦人はここまで話すと、肩を大きく震わせて泣きじゃくった。その涙に誘われるように、会場の婦人たちからも嗚咽が漏れた。
座談会の参加者のなかには、似たような境遇の婦人が少なくなかった。国際結婚という華やかなイメージとは裏腹に、言語や習慣の異なる異国での生活は予想以上に厳しく、多くの障害が待ち受けていた。「敵国人」であった日本人に対する偏見もあった。彼女たちの多くは、そんな生活に落胆し、暗澹たる思いで暮らしてきたといってよい。
伸一は大きく頷くと、静かに語り始めた。
「毎日、苦しい思いをしてきたんですね。辛かったでしょう。……でも、あなたには御本尊があるではありませんか。信心というのは生き抜く力なんですよ」
彼の言葉に力がこもっていった。
「ご主人と別れて、日本に帰るかどうかは、あなた自身が決める問題です。ただし、あなたも気づいているように、日本に帰れば、幸せが待っているというものではありません。どこに行っても、自分の宿命を転換できなければ、苦しみは付いて回ります。どこか別の所に行けば、幸せがあると考えるのは、西方十万億の仏国土の彼方に浄土があるという、念仏思想のようなものです。今、自分がいるその場所を常寂光土へと転じ、幸福の宮殿を築いていくのが日蓮大聖人の仏法なんです。
そのためには、家庭の不和に悩まなければならない自らの宿命を転換することです。自分の境涯を革命していく以外にありません。自分の境涯が変われば、自然に周囲も変わっていきます。それが依正不二の原理です。幸せの大宮殿は、あなた自身の胸中にある。そして、その扉を開くための鍵が信心なんです」
彼は今、眼前の友の不幸を追放せんと格闘していた。一人の婦人の心を覆う不幸の闇を打ち破り、勇気の泉を湧かせ、希望の明かりをともすための、真剣勝負の戦いであった。伸一には、婦人の辛さも、苦しさも、寂しさも痛いほどわかった。それだけに、なんとしても強く生き抜く力をもってほしかった。
彼は、強い確信を込めて言った。
「真剣に信心に励むならば、あなたも幸福になれないわけは断じてない! まず、そのことを確信してください。そして、何があっても、明るく笑い飛ばしていくんです。ご主人だって、奥さんがいつも暗く、めそめそして、恨めしい顔ばかりしていたのでは、いやになってしまいますよ。また、言葉が通じなければ、家族の間でも誤解が生まれてしまいます。ですから、一日も早く英語をマスターして、誰とでも意思の疎通を図れるように努力してください。これも大事な戦いです。ともかく、ご主人やご家族を憎んだり、恨んだりするのではなく、大きな心で、みんなの幸せを祈れる自分になることです」
彼は、ここまで語ると、優しく笑みを浮かべた。
「あなた以外にも、このハワイには、同じような境遇の日本女性がたくさんいると思います。あなたが、ご家族から愛され、慕われ、太陽のような存在になって、見事な家庭を築いていけば、日本からやってきた婦人たちの最高の希望となり、模範となります。みんなが勇気をもてます。あなたが幸せになることは、あなた一人の問題にとどまらず、このハワイの全日本人女性を蘇生させていくことになるんです。だから、悲しみになんか負けてはいけません。強く、強く生きることですよ。そして、どこまでも朗らかに、堂々と胸を張って、幸せの大道を歩いていってください。さあ、さあ、涙を拭いて」
伸一の指導は、婦人の心を、激しく揺さぶらずにはおかなかった。慈愛ともいうべき彼の思いが、婦人の胸に熱く染みた。彼女は、ハンカチで涙をぬぐい、深く頷くと、ニッコリと微笑んだ。
「はい、負けません」
その目に、また涙が光った。それは、新たな決意に燃える、熱い誓いの涙であった。
伸一の平和旅は、生きる希望を失い、人生の悲哀に打ちひしがれた人びとに、勇気の灯を点じることから始まったのである。それは、およそ世界の平和とはほど遠い、微細なことのように思えるかもしれない。しかし、平和の原点は、どこまでも人間にある。一人ひとりの人間の蘇生と歓喜なくして、真実の平和はないことを、伸一は知悉していたのである。
<新・人間革命> 第1巻 旭日 55頁~60頁
未掲載
<質問6>
「あのー、私の息子がキリスト教の学校に通っているんですが、やはり謗法なのでしょうか……。ほかに適当な学校がないんです」
<本文>
次の質問者は、日本で入会し、二年前に一家でハワイにやって来たという、中年の小柄な婦人であった。彼女は困り切った表情で、小声で尋ねた。
「あのー、私の息子がキリスト教の学校に通っているんですが、やはり謗法なのでしょうか……。ほかに適当な学校がないんです」
「かまいません。あなたのお子さんは、キリスト教を信仰するためではなく、学問を学ぶために学校に通っている。そうであれば、全く問題はありません」
伸一は明快に答えた。婦人の顔に安堵の色が浮かんだ。
「本当ですか! よかった。キリスト教の学校にお金を払っているものですから、謗法に供養しているのではないかと、心配だったんです」
日本で、法の正邪の判別の大切さを教えられてきた彼女は、息子をキリスト教の学校に通わせていることに、強い心の痛みを覚えていたようだ。
「学校にお金を納めているといっても、それは授業料です。そこで学問を教わっているのですから、それに対して報酬を支払うのは当然ではないでしょうか。私たちの信心の根本は、日蓮大聖人の顕された御本尊を信じ、祈ることです。その根本さえ誤らなければ、後は窮屈に考える必要はありません」
キリスト教の影響が色濃いアメリカ社会で生きるメンバーにとっては、こうした事柄の一つ一つが、深刻な悩みとなっていたにちがいない。彼は、更に掘り下げて、この問題について、語っておこうと思った。
「私たちの生活様式や文化は、たいてい宗教となんらかの関わりをもっています。たとえば、日曜日にはほとんどの会社が休みにしていますが、これはキリスト教が、日曜日を安息日としたことから始まっています。だからといって、日曜日に会社を休むのは謗法だなどと言っていたら、社会生活はできなくなってしまいます。
また、音楽や絵画の多くも、宗教の影響を受けています。でも、芸術を鑑賞することは、その教えを信ずることとは違います。ですから、こんな絵を見てはいけないとか、こんな音楽を聴いたら謗法だなどと考える必要はありません。もしも、信心したことによって、芸術も鑑賞できないようになってしまうなら、それは人間性を否定することです」
「人間」のための宗教がある。「宗教」のための宗教もある。「宗教」のための宗教は教条主義に陥り、宗教の名のもとに民衆を縛り、隷属させようとする。その結果、人びとの精神の自由は奪われ、良識も人間性も否定されてしまう。そして、社会との断絶を深めてゆく。日蓮大聖人の仏法は、人間性の開花をめざす、「人間」のための宗教である。その仏法を口にしながら、芸術や文化を「謗法」と断ずる宗教の指導者がいるなら、大聖人の御精神を踏みにじる、偏狭な教条主義者といわねばならない。それは仏法を歪め、世界広宣流布の道を閉ざす行為以外の何ものでもあるまい。
<新・人間革命> 第1巻 旭日 60頁~62頁
未掲載
<質問7>
「この信心で、亡くなった父親も救われますか」
<本文>
山本伸一は、次の質問に移っていった。
一人の壮年が、おずおずと手をあげた。数日前に信心を始めたばかりの壮年である。名前はミツル・カワカミといった。
「この信心で、亡くなった父親も救われますか」
唐突とも思える質問であった。カワカミは彫りの深い顔に憂いを漂わせ、真剣に伸一を見つめていた。
「必ず救われます。その証拠として、あなたの境涯が変わります。あなた自身が幸せになります」
確信にあふれた答えであった。壮年の表情がみるみる和らぎ、目には涙さえ浮かんだ。彼にとって他界した父が救われるかどうかは、自分の現実以上に大きく心にのしかかる問題であった。
彼はオアフ島の出身で、九人兄弟の次男であったが、弟三人は幼児期に相次ぎ病死していた。五歳の時、彼も原因不明の病気で、「右足首切断」の宣告を受けた。父は、彼にはなんとしても五体満足でいてほしかった。日本での治療に望みを託した父親は、養豚業をやめて帰国を決意した。彼は、父の故郷である広島の病院で精密検査を受けた。病名は骨膜炎と診断され、幸いにも切断を免れることができた。愛児を救おうとする父親の思いが、彼を救ったといってよい。しかし、彼が十三歳の時、その父親が他界した。
ミツル・カワカミは十五歳になると、母と弟妹を日本に残して、家計を支えるためにハワイに旅立った。苦労に苦労を重ねて地歩を築き、木炭製造業の仕事もなんとか軌道に乗ってくると、他界した父に、親孝行一つできなかったことが悔やまれた。
〝あの世にいる父を幸せにし、恩返しをすることはできないものか……〟
彼は、真剣に考え始めたのである。亡き父への報恩の道を求めて、ミツル・カワカミの宗教の行脚が始まった。人に勧められるままに、皇大神宮の神札をはじめ、ありとあらゆるものを拝んだ。キリスト教の教会に行って、牧師に、「他界した父親を信仰で救うことができますか」と、尋ねたこともあった。牧師は「救えます」と断言したが、「それでは、その証拠を見せてほしい」と迫ると、途端にいやな顔をした。牧師の答えはあいまいであり、彼は落胆して帰ってきた。
その彼が、信心する契機となったのは、日本にいた母が入会したことであった。母親は、学会の出版物を彼に送ってよこした。そこには、誤った宗教こそが不幸の原因であることが書かれ、鋭く他宗を破折していた。
〝ここまで言い切りながら、もし、それが真実でないとしたら、当然、名誉毀損で訴えられているだろう。学会のいうことは本当なのかもしれない〟
彼は、母をハワイ旅行に招待した。母に会って詳しく信心の話を聞くうちに、入会してみる気持ちになった。そして、数日前に正木永安と会い、信心を始めたのである。
伸一は、こう話を結んだ。
「日蓮大聖人は『法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う』(御書一四三〇㌻)と仰せです。
つまり、子どもであるあなたも、亡くなったお父さんも成仏し、必ず幸せになれると、宣言されているんです。ですから、何があっても、堂々と信心し抜いていくことです。あなた自身が、こんなに幸せになりましたと、胸を張っていえる信心を全うした時、お父さんも必ず幸せになっています」
ミツル・カワカミは、自分の心を覆っていた霧が払われていくような思いにかられた。
<新・人間革命> 第1巻 旭日 62頁~65頁
未掲載
<質問8>
「私は、仏法者としてアメリカ社会に貢献したいと思っていますが、そのために何をすべきでしょうか」
<本文>
座談会は、日本語と英語の二つのグループに分かれて行われ、伸一は英語のグループを担当した。通訳は正木永安である。英語グループの参加者の多くは、日系人を妻にもつ夫であり、妻の勧めで信心を始めた人たちが大半を占めていた。
伸一は、座談会を質問会とした。「どうすれば広宣流布が進むか」など、建設の息吹に満ちた問いが次々と出された。質問に答えながら、彼は会場の前列に、〝黒人〟と〝白人〟のメンバーが仲良く座っているのを、注意して見ていた。彼らは互いに視線が合うと、微笑を浮かべて頷き合っている。その〝黒人〟の青年の手があがった。
「私は、仏法者としてアメリカ社会に貢献したいと思っていますが、そのために何をすべきでしょうか」
この質問に、伸一は喜びを隠し切れなかった。
「すばらしい考えです。あなたの心に、気高さと美しさを感じます。まず、あなた自身が、地域でも、職場でも、周囲の人から人間として尊敬され、信頼される人になることです。それが戦いです。そして、このアメリカの社会に、仏法という自由と平等の人道の哲学を弘めることです。それが、アメリカの建国の精神を蘇らせることであり、社会への最大の貢献となります」
青年は大きく頷いた。
伸一は、この青年とは後で更に対話し、励ましたいと思った。
<新・人間革命> 第1巻 錦秋 179頁~180頁
未掲載
<質問9>
「夫は、私の信心には、よく協力してくれますが、自分はカトリック教徒だからといって、信心しようとしません。このままでは、私まで幸せにはなれないような気がしてなりません。どうすれば、信心させることができるでしょうか」
<本文>
ここでは、まず、夫が未入会の日系婦人から質問が出された。
「夫は、私の信心には、よく協力してくれますが、自分はカトリック教徒だからといって、信心しようとしません。このままでは、私まで幸せにはなれないような気がしてなりません。どうすれば、信心させることができるでしょうか」
それは、このワシントンだけではなく、全米各地で共通した、婦人たちの悩みであったといってよい。この婦人の夫は、「運送班」となって車を運転してくれた壮年であった。伸一はそれを聞くと笑いながら言った。
「学会の旗を立てて、喜々として車を運転し、広布のために尽くしてくれる。ありがたいことではないですか。入会するか、しないかといった、形にこだわる必要はありません。また、このなかには、ご主人やご家族が、信心に反対のご家庭もあるかもしれない。その場合も、信心のことで家庭のなかで言い争ったり、感情的になったりするのは愚かなことです。ましてや、ご主人が仕事のうえなどで行き詰まったり、失敗した時に、『信心しないからいけないのよ』などと、責めるようなことをしてはいけません。一家のなかで、自分だけしか信心をしていないというのは、確かに寂しいかもしれない。しかし、奥さんが頑張っていれば、その功徳、福運は、全家族に回向されていきます。ちょうど、一本の大きな傘があれば、家族を雨露から防ぐことができるのと同じです。ですから、ご家族が信心をしないから、一家が幸せにはなれないと考えるのは誤りです。
家族の幸せのために、入会を祈ってゆくことは大切ですが、根本は、信心のすばらしさを、皆さんが身をもって示していくことといえます。皆さんが、妻として、あるいは母親として、信心に励むにつれて立派になり、元気で、聡明で、温かく、思いやりにあふれた太陽のような存在になっていくならば、ご家族も自然に、仏法に賛同するようになっていきます。つまり、自分がご家族から慕われ、深く信頼されていくことが、ご家族の学会理解への第一歩になっていくんです」
伸一は、仏法は最高の良識であることを訴えたかったのである。
<新・人間革命> 第1巻 慈光 235頁~237頁
未掲載
<質問10>
「五歳になる娘が、口がきけないのです。一生懸命に祈っていますが、まだ、願いは叶いません。本当に娘は話せるようになるでしょうか」
<本文>
質問が次々と出された。彼は、時には同行の幹部に回答を任せた。
若い日系婦人が尋ねた。
「五歳になる娘が、口がきけないのです。一生懸命に祈っていますが、まだ、願いは叶いません。本当に娘は話せるようになるでしょうか」
伸一に代わって、石川幸男が答えた。
「御本尊は絶対だから、願いは叶うに決まっている。問題は、あなたに御本尊を疑う心があることだ。そんな信心では、題目を唱えても、よくはならないよ。あなただって、自分を軽んじている人を、救ってやる気にはなれんでしょう」
傲慢な答えに、婦人は「はあ」と言ったきり、下を向いてしまった。
伸一は、笑顔で包み込むように言葉を添えた。
「でも、大丈夫。真面目に信心をしていくならば、お嬢さんは、必ず話せるようになりますよ。ただ、それも信心の厚薄によって決まるのです。日本的なたとえになりますが、大きな釣鐘があっても、どんな撞木を使うかによって、音の出方は違ってくる。大木で力いっぱい突けば、大きな音が出るけれど、マッチ棒や割り箸で叩いたのでは、小さな音しか出ないでしょう。これと同じように、御本尊は、無量の仏力、法力を具えていますが、こちらの信力、行力が弱ければ、マッチ棒で釣鐘を叩いているようなもので、大きな功徳を出すことはできない。しかし、一生懸命に仏道修行に励んでいくならば、必ず宿命を転換し、お嬢さんもよくなります。だから自分に負けないで、最後まで頑張り抜いてください」
巧みな比喩を用いての、明快な指導であった。
<新・人間革命> 第1巻 慈光 237頁~238頁
未掲載
<質問11>
「実は、近所に住む友人に頼まれて、子どもを預かることがありますが、それは彼女がキリスト教の教会に行くためなんです。でも、私が『教会に行くのなら子どもは預からない』といえば、人間関係は壊れてしまうように思います。どうすべきでしょうか」
<本文>
今度もまた、婦人の質問であった。困惑した顔で彼女は言った。
「実は、近所に住む友人に頼まれて、子どもを預かることがありますが、それは彼女がキリスト教の教会に行くためなんです。でも、私が『教会に行くのなら子どもは預からない』といえば、人間関係は壊れてしまうように思います。どうすべきでしょうか」
伸一は、微笑みながら答えた。
「ここは、アメリカなんですから、広々としたアメリカの大地のように、大きな大きな心でいくことです。あなたが子どもさんを預かっている間に何をするかは、それは友人の側の問題です。あなたが子どもさんを預かるのは、友情からだし、そこから仏縁が結ばれていくのだから、神経質に考える必要は全くありません」
質問した婦人は、伸一の答えに頷いたが、まだ不安な表情をしていた。「破邪顕正」の折伏の精神と、人に対する寛容性とが、相反するもののように思え、頭の中で整理がつきかねているようだった。
伸一は、彼女の気持ちを察知して、話を続けた。
「私たちが、日蓮大聖人の門下として、法の正邪に対しては、厳格であるのは当然です。と同時に、人に対しては、どこまでも寛容であるべきです。そこに真実の仏法者の生き方があるからです」
参加者は耳を澄ましていた。同行の幹部もメモを手に、伸一の次の言葉を待った。
「法の正邪に対する厳格な姿勢と、人に対する寛容──この二つは決して相反するものではなく、本来、一体のものなんです。たとえば、ある名医のところに、毒キノコと知らずに食べてしまった病人が担ぎこまれたとする。名医は、病人がどんな人であれ、当然、あらゆる手を尽くして治療し、真心の励ましを送るでしょう。これが人への寛容の姿といえる。そして、患者に、『もう毒キノコなんか、絶対に食べてはいけない』と、注意もするはずです。患者が、『毒キノコは美味かったから、また食べたい』と言っても、『そうですか』などと言って、賛成したり、妥協する医者はいません。それが、法に対する厳格さといえる。どちらも、患者の苦しみを取り除こうとする、医師としての慈悲と信念から発した行為です。仏法者の在り方もそうです」
伸一は、日蓮大聖人が、果敢に折伏を展開されたのも、一切衆生の幸福の実現という大慈大悲のゆえであることを語っていった。
──人びとが、部分観にすぎない爾前の教えを最高の法と信じていくならば、仏法の精髄である下種の法華経を信受することができなくなってしまう。そうなれば、結局、人びとは不幸に陥らざるをえない。大聖人は、それを防ごうとして、「四箇の格言」を掲げ、敢然と立たれたのである。そして、権力にくみして誤れる法を弘める、腐敗、堕落した悪侶との、壮絶な闘争を展開された。
悪と戦わず、悪を見過ごすことは、結果的に、悪を野放しにし、助長させることになってしまうからだ。しかし、その戦いの方法は、どこまでも〝折伏〟という対話であられた。しかも、命に及ぶ迫害を被りながらも、自らは非暴力に徹し、終始、言論による戦いを貫かれている。
彼は、ここまで一気に語ると、質問した婦人を諭すように言った。
「ですから、破邪顕正の折伏の精神と友情とは、決して矛盾するものではありません。どちらも、根本は慈悲の心です。したがって、信心に励めば励むほど、より大きな心で友を包み、友情も深まっていくというのが本来の姿です。折伏というのは、対話による生命の触発作業ですから、信頼と友情がなくては成り立ちません。あなたも、宗教の違いを超え、人間として、より多くの人と深い友情を結び合い、友の幸せを願える人になってください。それが、仏法の広がりと深さを示す証明にもなります」
メンバーにとっては、初めて耳にする、仏法のヒューマニズムの精神であった。それは、新鮮な衝撃となって、友の心に刻まれた。
<新・人間革命> 第1巻 慈光 238頁~241頁