詩歌

2022年2月11日

 

ああ恩師 戸田城聖先生

(下)

 

 四六時中

 常在戦場の師である。

 幾たびとなく

 真夜中に呼び出しも受けた。

 隼のごとく馳せ参じるのが

 常であった。

 

 側に私を呼んでは

 「勝つことを

  千里の外に決する」

 勝利への作戦会議が

 二人だけで繰り返された。

 

 困難を極める戦いは

 すべて私に命じられた。

 「わが弟子ならば

  断じて勝て!

  勝って当然だ」

 慰労の言葉など皆無であった。

 勝つことが

 真の弟子の証しであるからだ。

 

 私は走った。

 一切をなげうち

 無我夢中で戦い抜いた。

 蒲田で 文京で 札幌で

 大阪で 山口で 夕張で……

 行く先々で

 未聞の勝利の旗を打ち立て

 広宣流布の活路を開いた。

 

 師は最高首脳に

 語っておられた。

 「大作が行ったところは

  すべて大発展している。

  すべて大勝利している。

  この現証を見よ!」

 

 師匠と共に進めば

 生命は燃え上がる!

 師を思えば

 勇気が出る!

 力が湧く!

 智慧は尽きない!

 

 戸田先生は

 民衆の幸福と平和のために

 立正安国の戦いを起こされた。

 それは――

 「山に山をかさね

  波に波をたたみ

  難に難を加え

  非に非をます」

 権力の魔性との

 大闘争であった。

 

 大難来たり。

 昭和三十二年の夏

 北に夕張炭労事件起こり

 西に大阪事件起こる。

 若き闘将は

 北海の大地に

 民衆勝利の歌を轟かせ

 そして自ら

 大阪府警へと向かった。

 

 忘れまじ

 その途次の羽田空港で

 逝去九カ月前の

 衰弱の激しき師は

 牢に赴く弟子に言った。

 

 「もしも もしも

 お前が死ぬようなことになったら

 私も すぐに駆けつけて

 お前の上にうつぶして

 一緒に死ぬからな」

 なんと尊き慈愛の言葉か!

 それが師匠の心なのだ。

 

 私は心で泣いた。

 「先生のお身体には

  指一本 触れさせぬ」

 無実の容疑で捕らわれた私は

 一身に難を受けた。

 

 だが弟子は

 創価の正義を天下に示した。

 先生亡きあとの

 昭和三十七年一月

 法廷闘争に勝利し

 私は無罪判決を勝ち取った。

 

 重大なる広布の使命の

 全責任を抱いた

 後悔なき

 名誉ある人生が仏法なのだ。

 

 嫉妬の

 卑劣極まる虚言など

 誰が信ずるか!

 これが

 世界の王者の

 勝利への絶叫であった。

 

 有名になった強欲な

 多くの弟子は

 先生から去った。

 代議士にもしてもらい

 そしてまた

 学会の重要な役職にありながら

 その大恩も踏みにじった

 卑怯な連中は

 みな立ち去っていった。

 

 わが師は

 よく言われた。

 増上慢に

 成り下がった弟子は

 もはや弟子ではなくして

 恩知らずの敵である。

 

 蓮祖の時代にあっても

 日興上人 ただ お一人が

 清流に立ち上がられた。

 他の五老僧らは

 みな濁流に流された。

 

 あの戦争中

 時の権力に怯えて

 多くの幹部が

 退転していった。

 戸田先生お一人が

 師の心を心として

 厳然と立ち上がった。

 

 偉大な大師匠である

 戸田先生の弟子たる私は

 師に出会った十九歳の時から

 師の亡くなられるまで

 来る日も来る日も

 朝から真夜中まで

 常に先生の近くでお仕えした。

 

 それはそれは

 悪戦苦闘の師を

 お守りしながら

 現在の学会の大発展の

 基盤を作り上げたのだ。

 これが

 師弟の実相であることを

 叫びたい。

 

 いま私は

 次の真の弟子の道を

 青年たちに託したい。

 これが大発展への

 方程式であるからだ。

 

 ありとあらゆる

 三類の強敵の

 怒濤の中にあって

 私は一切を乗り切り

 すべてを完勝した。

 勝って師の笑顔が

 見たかったのである。

 

 ゆえに私にとって

 永遠の師匠・戸田先生と

 苦楽を共にし

 歴史を創り上げた日々は

 すべてが勝利であり

 光り輝いている。

 

 私は断固と勝利した。

 一切に勝利した。

 この実像が

 師弟不二の

 信力・行力なのだ。

 

 ああ!

 恩師と共に過ごし来た

 あの日あの時は

 すべてが

 また すべてが

 私にとっては

 輝く黄金の思い出となっている。

 

 師は――

 仏法の王者であられた。

 闘争の王者であった。

 正義の王者であった。

 これこそ

 人間指導者の大賢人だ!

 この王者と共に

 月月・日日に

 私は

 青春の不朽の歴史を

 綴ることができた。

 

 恩師は

 あまりにも偉大であり

 私は幸福者であった。

 いな 師も弟子も

 永遠不滅の

 幸福と勝利の生命が

 輝きわたって

 流転してゆくにちがいない。

 

  師を念い

   師をば語りて

       世界まで

 

 私は

 一切の誓いを実現した。

 師の構想の種子から

 天空高く生い茂る

 壮大なる大樹を育て上げた。

 

 創価の会館は

 民衆の大城となりて

 全国 全世界に林立し

 聖教新聞は

 言論の大城となった。

 創価大学 創価学園は

 世界も注目する

 教育の大城となった。

 

 「戸田の命よりも

 大切なり」と言われた

 創価の組織は

 仏法史上

 いな人類史上に輝く

 世界百九十カ国・地域への

 壮大なる平和と文化と教育の

 広がりとなった。

 (*1)

 

 釈尊の未来記

 そして

 日蓮大聖人の

 「仏法西還」という悲願は

 完全に成就した。

 

 「一閻浮提広宣流布」という

 仏法の究極の予見である

 人類の新しき平和の朝が

 輝き始まってきたのは

 皆様ご存じの通りだ。

 

 私は

 戸田大学の卒業生である。

 師匠は

 戸田先生お一人

 弟子は

 私ただ一人であった。

 約十年間

 万般にわたる教育を

 なさってくださった。

 

 その戸田大学の卒業生には

 世界の大学・学術機関からの

 知性の宝冠は二百を超えた。

 名誉市民の称号は

 四百六十を数えるに至った。

 「世界一の壮挙である」と

 著名な識者の方々は

 誉め讃えてくださっている。

 (*2)

 

 これは

 すべてにわたって

 恩師・戸田先生の

 凱歌の栄誉であられる。

 

 師匠の勝利は

 弟子の勝利。

 弟子の勝利が

 師匠の勝利なのだ。

 

 全生命を賭しながら

 一生涯

 師匠に仕えきった者が

 次の師匠となる。

 これが

 仏法の方程式だ。

 これが

 師弟不二である。

 

 人間にとって

 師弟に勝るものはない。

 師を持たぬ者は

 人間の愚者と

 なってしまうからだ。

 師を持たぬ者は

 勝手気ままな

 驕慢になってしまうからだ。

 

 一家に親子があるごとく

 社会には師弟が

 必ずあるものだ。

 それが古より

 世界万般の鉄則であった。

 

  師の恩を

   遂に果たせり

       今世かな

 

 私の心には

 いつも いつでも

 笑顔輝く戸田先生がいる。

 いまもなお

 「先生なら どうされるか」

 師との対話の日々の連続である。

 

 いかに暗黒の時代に遭遇しても

 偉大なる師を念うときに

 必ず一本の光の大道が

 広がってくるのだ。

 

 ああ!

 師匠は鑑である。

 師匠は希望である。

 師匠は力である。

 心に師を持つ人生には

 絶対に逡巡はない。

 心に師を持つ人生には

 断じて敗北はない。

 

 おお!

 わが恩師

 戸田先生!

 世界第一の師匠

 戸田先生!

 永遠の人生の師

 戸田先生!

 

 弟子・池田大作は

 晴れ晴れと勝ちたり。

 師弟不二の詩を

 不滅の歴史と残したり。

 

  一段と

   決意深まる

      師弟かな

 

 今日も晴れ晴れと

 妙法流布の正義の大道を!

 私は絶対に

 後悔の人生をつくらない。

 凜々たる勇気で

 価値ある勝利の歴史を

 勇み歩んでいくのだ。

 

 これが

 仏法であるからだ。

 これが

 師弟の道の法則であるからだ。

 

 二〇〇七年二月四日 立春の日

  わが師・戸田城聖先生の

  百七回目の誕生日を祝して

 

 (*1)現在は192カ国・地域

 (*2)現在の名誉学術称号は398、名誉市民称号は824

 

2022年2月11日〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉 特別編 「師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生」(2007年2月)

2022年2月10日

 

 ああ恩師 戸田城聖先生

(上)

 

 

 わが師は

 偉大なる知性の人であった。

 慈愛深き人生であられた。

 厳しかった。

 優しかった。

 

 その胸には常に

 張り裂けんばかりに

 邪悪に対する

 闘争心が燃えていた。

 正義の人であった。

 

 私は

 若き十九歳の時に

 この偉大な師匠と

 巡り会った。

 その場所は

 大田区であった。

 

 一瞬にして私は

 師子の胸に抱かれた。

 わが身を捨てて

 大法と正義に戦い抜く

 この師のもとに座して

 涙を流した。

 

 高貴な信念が

 常に燃え上がっている

 人生であられた。

 深い信仰の心に

 燃え上がる慈悲を感じた。

 

 来る日も来る日も

 苦難の連続であった。

 邪悪との戦いであった。

 信念の道を歩む

 闘争であった。

 中傷 批判の波は

 激しかった。

 

 「創価」といえば

 多くの人びとが

 必ず悪口 中傷した。

 いな 無認識のままに

 一番大事な信念を持つ人を

 嫌う風潮の日本の

 心の小さい人びとは

 みな横を向いて

 笑って悪口を投げかけた。

 

 そのなかを

 わが師・戸田城聖は

 ある時は笑顔で

 ある時は厳しい口調で

 そしてまた

 ある時は朗らかに

 大声で笑いながら

 広宣流布の指揮を執った。

 何も恐れなかった。

 

 透徹した眼光の師であった。

 いかなる噓も偽りも

 決して見逃さなかった。

 ひとたび

 弾劾の師子吼が放たれるや

 いかなる傲岸不遜な悪人も

 恐れ戦き震え上がった。

 

 春風の笑みの師であった。

 悲哀と絶望に凍てつく

 庶民の心を温かく とかした。

 太陽のごとく

 大らかに万人を包まれた。

 勇気と希望の光を放って

 無窮の生きる力を贈られた。

 

  師弟不二

   この絆にて

      広布かな

 

 ともあれ師弟は

 永遠にして不滅である。

 師弟は

 過去から現在へ

 そして未来を貫く

 生命の金剛の結合である。

 

 法華経の化城喩品第七には

 「在在の諸仏の土に

  常に師と倶に生ず」と

 峻厳に記されている。

 

 我らは常に

 いつの世も

 いかなる時代も

 師と共に生まれ

 師と共に戦い

 師と共に勝って

 誉れの広宣流布の

 大道を歩み抜くのだ。

 

 「大難なくば

  法華経の行者にはあらじ」との

 如説修行の先師・

 牧口常三郎先生に

 戸田先生は仕えに仕え

 尽くしに尽くされた。

 

 法難の牢獄にまで

 勇み お供なされた。

 戦時中 正義のわが師は

 二年間 牢獄に入れられた。

 最極の正しき大善人を

 国家は いじめ抜いたのだ。

 

 初代の会長は獄死した。

 わが師・戸田城聖は断固と

 この敵討ちを決意した。

 人間の王者は怒った。

 自ら巌窟王になって

 崇高な師をいじめた悪逆の敵と

 断じて戦い抜いてみせると

 宣言した。

 これは有名な歴史である。

 

 獄中にあって

 「仏とは生命なり」

 「われ地涌の菩薩なり」

 と大悟され

 焼け野原の東京で

 妙法流布の大願に

 ただ一人 立たれた。

 

 死身弘法を決意せる師は

 正義の旗持つ若人を求め

 不惜身命の弟子の出現を

 待ちに待っていた。

 

  恩師あり

   妙法ありて

      わが一生

 

 昭和二十二年の八月十四日

 今生の師弟の出会いあり。

 この日この時

 久遠の師弟の魂は

 固く強く結ばれ

 「不二の詩」を奏でながら

 創価の新しき大車輪は

 回転し始めたのだ。

 

 わが誉れの青春譜の

 幕は切って落とされた。

 昭和三十三年の四月二日

 恩師の御逝去のその日まで

 十一星霜

 三千八百八十五日にわたり

 師事し常随給仕せり。

 

 一年ごとに

 弟子は増えてきた。

 それと比例して

 いわれなき迫害も

 一段と高まってきた。

 

 「真実の法華経の

  如説修行の行者の

  師弟檀那とならんには

  三類の敵人 決定せり」

 師弟の道は

 嵐の道であった。

 

 恐ろしきは人の心よ!

 先生の事業は破綻し

 莫大な借財が襲いかかった。

 世間の非難の集中砲火に

 先生の大恩を受けた

 最高幹部を先頭に

 手のひらを返すがごとく

 忘恩にも裏切り去った。

 嘲笑って立ち去った。

 

 すべての弟子の心も

 揺れ動いた。

 多くの幹部たちまでが

 卑劣にも去っていった。

 私は悔し涙で

 今に見ろ! と

 彼らを軽蔑した。

 

 一人の愛弟子は宣言した。

 ――私は

 いかなる処罰を受けようとも

 最善を尽くし抜いて

 師をお守りして

 この一生を終えるのだ。

 一切の財産もいらない。

 師の命ずるままに

 私の生命を捧げる。

 

 なんと意気地なき弟子たちよ!

 なんと卑怯な弟子らよ!

 なんと増上慢の愚者どもよ!

 なんと卑劣極まる者たちよ!

 彼らには

 人間の真髄の振る舞いなど

 まったくない。

 邪となって臆病に狂い

 動き回っていった。

 

 弟子は叫んだ。

 荘重に誓いを

 天下に放つがごとく

 師子吼した。

 

 下劣な愚かな輩よ!

 永劫に君たちを

 諸天は絶対に助けない。

 哀れな君たちよ!

 気の毒なお前たちよ!

 盗賊が断罪を

 宣告されるよりも

 もっと 恥と苦しみは

 続行していくにちがいない。

 

 真の信心なき彼らは

 先生を師とは仰げなかった。

 本有無作なる

 先生の振る舞いを

 軽んじて

 広宣流布の師たる内証を

 知ろうとはしなかった。

 

 日興上人は仰せである。

 「この法門は

  師弟子をただして仏になる」

 

 直弟子は激怒した。

 いな ただ一人 覚悟したのだ。

 命を賭して

 師匠を厳護することを!

 死して後世に

 弟子の模範を示すことを!

 

 私は胸を病んでいた。

 喀血も続いていた。

 阿修羅のごとく

 一心不乱に戦い続けた。

 

 私の心を見抜き

 先生は言われた。

 「大作!

  お前は死のうとしている。

  俺に命をくれようとしている。

  それは困る。

  断じて生き抜け!

  俺の命と交換するんだ」

 

 師匠は

 弟子を心から愛した。

 弟子は

 師匠を心から尊敬した。

 それは

 荘厳なる師弟の劇であった。

 

 マハトマ・ガンジーは言った。

 「弟子は

  わが子以上である。

  弟子たることは

  第二の誕生である」

 

 私には

 弟子の誇りがあった。

 誰が見ていなくともよい。

 誰が知らなくともよい。

 広宣流布の大師匠のもと

 大仏法を真実に行じゆく

 そして戦い抜く誇りを持って

 突進した。

 

 私には悔いがない。

 師弟を師弟のままに貫き

 戦い抜いてきたことを

 絶対に後悔しない。

 私は勝ったのだ!

 

 ある日ある時

 打開策に行き詰まり

 土砂降りの雨の中を

 師と共に二人して

 歩みながら

 私は申し上げた。

 

 「必ず将来

  先生にお乗りいただく

  車も購入します。

  学会もビルを建てます!」

 

 先生は

 黙って頷かれた。

 その目に

 涙が光っていた。

 

 私はお誓いした。

 「負債は

  すべて私が返済します。

  そして先生には

  学会の会長として

  広宣流布の指揮を

  執っていただきます」

 

 言葉に尽くせぬ

 苦難の連続であった。

 明日をも知れぬ

 疾風怒濤の日々であった。

 

 そのなかで師匠は

 ただ一人の弟子を信じて

 次々と

 広宣流布の構想の翼を広げ

 その実現を託した。

 「学会も新聞を出そう!」

 「大学をつくろう!

  創価大学だ!」

 師匠の絶対の信頼――

 これに勝る光栄があろうか!

 

 おお!

 そして迎えた

 あの第二代会長就任の

 晴れわたる

 昭和二十六年の五月三日!

 師匠の栄光こそ

 弟子の随喜であった。

 

 先生は

 断言なされた。

 会員七十五万世帯の達成を!

 それは

 断じて勝ち取らねばならぬ

 わが青春の誓願となった。

 

 真の弟子への

 師の期待はあまりにも大きい。

 それゆえに

 来る日も

 また来る日も

 獅子が わが子を

 谷底に突き落とすがごとき

 厳愛の訓練が続いた。 

 

([下]につづく)

 

2022年2月10日〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉 特別編 「師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生」(2007年2月)

2022年1月21日

 

永続的な勝利への大道を歩め

 

<我らには永遠の希望がある>

 

 人類の英知の

 真髄の結論は何か?

 それは

 この地球世界から

 「悲惨」の二字を

 なくすことだ!

 

 「自由」があるから

 人間は幸福。

 「平和」があるから

 人間は安全。

 

 平和と自由は

 祝福されるべき

 人類の血が求め抜いた

 宝庫である。

 

 豊かにして堂々たる

 全世界の都会には

 無数の人間が行動している。  

 しかし ひとたび

 戦争になれば

 それらは皆

 巨大な牢獄と化してしまう。

 

 多くの民族が融合し

 燃え盛る

 生命と生命との

 音をたてながら

 新しい時代を

 新しき二十一世紀の舞台を

 築きゆかんとする

 鋭敏な魂よ!

 

 

 君は

 驚くほど

 強くなるのだ!

 君よ

 偉大な巨人として

 生き抜くのだ!

 

 ありとあらゆる

 嫌悪の苦汁を

 呑まされゆく苦痛は

 断じて打ち破れ!

 彼らは

 嘆息するような

 気の毒な

 哀れな道をゆく者なのだ。

 

 おお 人間よ!

 おお 人類よ!

 偽善者に

 断じて騙されるな!

 

 絶対の平和の大道は

 庶民の心にあることを

 忘れてはならない。

 

 

 いかなる

 憂鬱なことがあっても

 断固たる

 創造者であり

 先覚者である

 私たちは

 永続的な勝利への大道を

 歩みゆくことを

 断じて忘れてはならない。

 

 固い道も

 柔らかい道も

 生涯 持ち続けた

 汝自身の精神を

 汝自身の高尚な思想を

 堅持しながら

 変転極まりない

 この社会をば

 魂の極致の信念をもって

 私たちは進むのだ!

 

 何ものにも屈せず歩む!

 恐れを拒否して歩む!

 人生の生命の

 終わりも忘れて歩む!

 そして走る!

 

 我らには

 永遠の希望がある。

 我らの天下の都市は

 恐れも嘆きも終末もない。

 人間が人間として

 喜び合い 助け合う

 連帯の都市なのだ!

 

 そして そこから

 「世界平和の道」を

 創るべきだ!

 「人類の花園」を

 築くべきだ!

 

 これを

 「一閻浮提の広宣流布」

 大聖人は見通し

 予見されたのである。

 

 「末法万年 尽未来際」

 この甚深の御聖訓を

 私どもは

 永遠に忘れてはならない。

 その使命があるからだ!

 

 

2022年1月21日

〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉

第2回 世界平和への誓い

「世界平和の道 人類の花園」(2000年)

2022年1月12日

 

人生の流転

 

 

 また我らの

 新しい年が

 始まった!

 

 一年を

 十年の価値ある人生に

 生きる人もいる。

 「一生 空しく過して

  万歳 悔ゆる」人もいる。

 

 人生は

 今日も

 生きゆく以外にない。

 否 生き抜くことが

 人生だ。

 

 誠実の人間たれ

 勇敢なる人間たれ

 そして

 勝利の人生たれ!

 

 熱烈たる人生王者の

 自分の魂を

 使命の魂と

 深く結び合わせながら

 断固として

 勝ち誇る人生たれ!

 

 それには

 勇気ある信仰だ。

 それしか

 無数無量の諸天は

 祝福してくれない

 

 人間主義の信仰こそ

 恐るべき力を持ち

 晴れやかな力を持ちながら

 天使たちが

 君を護る。

 君を讃える

 

 狂気のごとき

 この社会。

 癒しがたい

 狂いに狂った

 愚行を繰り返す

 この世界。

 

 怒りの涙を

 さらに強き格闘に転じて

 暗澹たる怒濤の彼方に

 燦然と輝く

 自分自身の王国へ

 行くのだ。

 

 宿命の嵐に

 負けるな!

 陰険な波浪に

 負けるな!

 邪義の陰謀に

 負けるな!

 

 我らには

 哀しみなどはない。

 我らには

 敗北もない。

 

 我らの彼方は

 常に

 幸福の鐘が

 希望の鐘が

 鳴りやむことはない。

 

 いかなる

 厳しい試練があっても

 我らは

 すべてを勝ち越えゆく

 無量の黄金よりも貴重な

 無限の力を持っている。

 

 目には見えない力が

 満々として

 言葉もなく

 常に轟々と

 鋭く響いている。

 我らは負けない!

 

 君よ

 今日も

 元気を取り戻せ!

 

 君よ

 幸福の魂を引き離す輩とは

 今日も厳然と

 断固 戦え!

 

 あの美しい

 満天の星のごとく

 勇気に溢れ

 希望に溢れ

 勝利に溢れゆく

 栄光にふさわしき

 人間王者の威厳に満ち満ちて

 常楽我浄の王宮の扉を開き

 笑みを湛えながら

 わが人生の流転を

 進みゆくのだ。

 

 我々が信ずる力は

 臆せず動ぜず

 悠然と安座して

 慈光に包まれ

 必ず忍耐の彼方に

 大勝利の讃歌が待っている。

 

 新しい一年

 君の胸にも

 また あなたの胸にも

 大いなる喜びが流れ込み

 偉大なる勝利の

 諸天の祝福の輝きに

 包まれゆくことを

 私は祈りたい。

 

2022年1月12日

〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉

第1回 新年を迎えて

「人生の流転」(2002年)

201:Top↑ End↓

2022年1月1日

第1850回

青年・飛躍の年

新年の歌

 

 人類を

  結ぶ聖典

   心肝に

  われ地涌なりと

   壁を破れや

 

 万代の

  女性の幸福さち

   ける

  和楽の舞の

   励まし姉妹よ

 

 人創る

  者の王たり

   学会は

  地走り空飛び

   地球ほしに栄えを

 

 2022年 元旦

池田大作

2021年12月10日

 

『青年よ 21世紀の広布の山を登れ』

 

 ◆◇◆◇◆◇◆

 

 「なぜ山に登るのか」

 「そこに山があるからだ」と

 かつて

 ある著名な登山家は言った

   

 我らは今

 広宣流布の山である

 二十一世紀の山を

 登攀せんとしているのだ!

   

 我が 青年達よ

 妙法正義の旗を振りながら

 満ちたりたる人生の自立のために

 二十一世紀の山を

 勇敢に登り征け!

   

 そのためにも

 大なり小なり

 自己に直面する日々の現実の山を

 一歩一歩

 また一つ一つ

 登りゆかねばならない

 その厳しき現実と

 社会の山を登りゆかんとする

 その生命の中にのみ

 真実の充実しきった

 青春の価値があるからだ!

 そして その深く

 自身の決めたこの道にのみ

 無言にして

 無限の言い知れぬ

 広々とした広野の如き

 自己自身をつくり

 確固たる人生を生き抜くのだ!

   

 我が 門下の青年よ

 生きて生きて生き抜くのだ!

 絶対不滅にして

 永遠の大法のために!

 また この世に生を受けた

 尊き自己自身の使命のために!

 さらに

 我らの信条である

 世界に平和の鐘を

 社会に正義の旗を

 打ち建てゆくために!

   

 今日も太陽は昇る

 春の桜の朝にも

 かの灼熱の日々にも

 紅葉の秋にも

 吹雪と嵐の曇天にも

 悠然と太陽は昇る

 我らも共に逞しく!

 未来に生きゆく青年の胸中にも

 大法輝く太陽が 刻々と昇りゆく

 青春であらねばならない!

  

 若き君達よ!

 青春とは太陽の異名である

 その無限の可能性に

 光り輝く太陽を抱きながら

 今日一日を

 すべてに勝ち取っていく

 日々であっていただきたい!

   

 我が 太陽の仏法

 昇りきたりて七百年

 そしてまた

 「源遠ければ流長し」の

 原理のもとに

 その大河は

 満々と世界に流れ広がった!

   

 昭和二十六年

 その太陽の仏法の旗を掲げて

 勇敢にして信念の

 広宣の青年部が発足して半世紀

 その時集いし不屈の

 凜々しき若武者と

 清純なる乙女ら

 二百六十余人!

 今 ここに半世紀の流れに

 ある時は

 岩にぶつかり

 ある時は

 嵐に水かさを増しながら

 ある時は

 炎熱の日々に水かさを減じながら

 しかし

 今や五百万人の脈々たる奔流となる!

 遂に日本の柱となれり!

 会長の後継者も

 すべて青年部出身者であったことを

 忘れないでもらいたい

   

 この悠々たる大河の流れは

 誰人も

 決して止めることはできない!

 いかなる権力をもってしても

 いかなる邪悪な妨害ありとも

 時代の先取りとしながら

 さらにさらに

 水かさを広く深く拡げながら

 大海に向かって

 流れてゆくに違いない!

  

 この若き青年諸君の

 勇猛にして精進の弘法の力により

 日蓮大聖人の太陽の仏法は

 我が国を超えて

 世界へと輝きわたる

 その妙法流布の大河の流れも

 百二十八か国に流れ渡った(※)

 平和のため

 生命尊厳のため

 世界の大仏法として

 あらゆる慈悲を与えながら

 滔々と歓び渡る

  

 その先駆を切りし人々は

 すべて青年であったのだ!

 御書に曰く

 「日蓮が慈悲曠大ならば

  南無妙法蓮華経は万年の外

  未来までもながるべし」と

   

 信教の自由を守るための

 我らの慈悲と哲理の秩序ある行進には

 階級もない!

 国境もない!

 すべての人が本源よりの

 自らの使命と権利と幸福を

 創りゆくためへの行進なのだ!

   

 我らは 絶対に暴力に反対する!

 我らは 絶対に戦争に反対する!

 この大仏法を基調として

 平和と文化の賛同を得ながら

 国境を超え

 イデオロギーを超え

 共鳴の華の輪を拡げゆくのだ!

 人間は誰人たりといえども

 幸福になりゆく権利があるからだ!

   

 私は諸君の成長をひたすら待っている

 否 祈っている

 それしか広宣流布の道がないことを

 知っているからだ

 そこで 私は申し上げたい

 現実の二十一世紀の山へ

 登りゆくためへの原動力は

 勤行 唱題であることを

 忘れてはならないということである

   

 「一丈のほりを こへぬもの

  十丈 二十丈のほりを こうべきか

 の御聖訓のままに

 今 君達が存在するその場所で

 断じて勝たねばならない!

 仏法の真髄である

 題目をあげぬいた人には

 誰人も絶対にかなわない!

 この御聖訓の一節を

 若き君達よ! 決して忘るるな!

 いや 勇んで実践しぬいてゆき給え!

   

 いかなる苦衷の最中に入っても

 希望を失うな!

 希望は無限の力である

 これこそ信心であるからだ!

   

 ともあれ 人間のみが

 希望を生み出す

 価値ある存在であるからだ

 人生行路にあって

 かりに 不運にも

 姿は敗れることがあったとしても

 信心の二字だけは

 決して敗れてはならない!

 信心の二字が不撓であるならば

 いつの日か必ずや

 その人には

 勝利の満足の証が待っている!

 その証は

 社会の中に厳然として

 明確に証明されるのが

 事の一念三千の仏法であるからだ!

   

 ここで 新世紀に生きゆく若き君達は

 聡明な大指導者として

 成長していかねばならない

 さらに

 常に民衆と共に歩みゆくことを

 絶対に忘れてはならない

 民衆が主権者であるからだ!

 民衆は常に賢者であることを

 古今東西の歴史は明確に教えている!

   

 その民衆の支持と信仰があるかぎり

 我らの行進は

 いやが上にも

 限りなき前進の歴史を

 築くことができるからだ!

   

 故に 若き君達は

 労多きことを誇りとしながら

 良き市民の人生の案内役となり

 そしてまた

 若き実践の哲学者として

 最高の栄誉をもち給え!

   

 来るべき二十一世紀は

 かかる若き偉大なリーダーを

 願望し 衆望していることを

 私たちは知っている

 信仰と哲学なき人は

 羅針盤のなき船舶だ!

 もはや

 物の時代から心の時代

 心の時代から生命の時代に

 刻々と移りかわっている

 そこにのみ真実の人生の幸福という

 価値あることを人々は目覚め始めた

 いまや

 人気や知名度や財産ではない!

 人間として立派な偉い人を

 賢明な大衆は

 尊敬し待っているのだ!

   

 

 この大衆の時代に

 大衆より信頼を得た人が

 真実のリーダーなのである

 人間は皆 すべて平等である

 上下などある筈がない

 若き君達よ

 朝な夕なに大衆と常に接し

 共に生き

 大衆と温かき連係をとりながら

 そして大衆と呼吸し

 共鳴してゆく

 若き新世紀のリーダーに

 なっていただきたいのだ!

   

 私は 君達を信ずる!

 君達に期待する!

 それしか広宣流布はできないからだ!

   

 私も

 人生の恩師と定めた

 戸田門下生の一人として

 あらゆる迫害を浴びながらも

 その時 誓い合った広宣流布という

 民衆のための法戦を

 貫き通してきたつもりだ!

 いわれなき冤罪は

 歴史が厳然と裁くことを

 断言しておきたい!

   

 いかなる

 権威 権力をもって迫害されても

 一人の屹立した人間として

 いかなる大難をも乗り越え

 確固不動なる姿を示していくところに

 人間革命の勝利の旗が

 天空高く永遠になびいていくからだ!

   

 君達よ!

 絶対に

 卑怯者にはなるな!

 臆病者になるな!

 裏切り者になるな!

 それは

 いかに正義ぶった

 論調を展開しようとも

 もはや 野干になりさがった

 餓鬼畜生の心であるからだ!

   

 若きリーダー達よ!

 問題にあたって

 常に鋭く

 その事件の本質を

 見抜きゆく洞察力を持たねばならない!

 また 様々な法戦にあって

 その背後にある

 陰謀 画策の構図を

 喝破せねばならない!

   

 故に 未来に生きゆく青年達は

 賢者であれ!

 革命児たれ!

 愚者であってはならない

 騙されるな!

 聡明と智恵者であれ!

 「天晴れぬれば地明かなり」との如く

 信心の要件は ここにある!

  

 詮ずる所は

 不幸と幸福

 邪悪と正義

 魔と仏との戦いが

 仏法の真髄である!

 これを 深く強く自覚すべきである!

  

 ともあれ 若き君達は

 同信退転の

 あわれな友を乗り越え 勝ち越えて

 生命の宝塔たる

 求道の人々と交わりながら

 ひたすらに

 仏法基調の大運動の繰り返しを

 回転しぬいていただきたい

  

 真実の

 充実しきった意義ある人生には

 必ず

 大哲学と その信仰が必要となる!

 君達の最高の栄光は

 太陽の大仏法を持ち

 生き生きと青春を乱舞していくことだ!

 それが青春の真髄であるからだ!

  

 二十一世紀の山は近い!

 もはや眼前にある

 二十一世紀は

 すべてが君達のものだ!

 君達の暁であり

 檜舞台である!

 君達が存分に活躍しゆく

 総仕上げの大舞台である!

  

 二〇〇一年五月三日――

 この日が

 私どもの そして君達の

 大いなる

 目標登攀の日であると決めたい!

 広布の第二幕の勝負は

 この時で決せられることを

 断固として忘れないでほしい

 使命ある君達よ!

 その日まで労苦の修行を

 足も軽やかに!

 健康で生き生きとして

 一日一日を戦い抜いていただきたい!

  

 すべてが自分自身のためである

 そして 民衆のためである

 また悩める友のためである

 これぞ正義の青春の航路と思え!

 そして永遠に刻みゆく

 忘れ得ぬ自己自身の

 壮大な歴史を綴りゆくことを!

 そこには勇猛精進しかない!

 どうか 苦しき時

 行き詰まりそうになった時に

 勇気 勇気を断固として持て

 我らには信ずる同志がいる

 決して忘れまい!

 また あの地 かの地にも

 多くの先輩が待っている!

 また愛する同志が見ている!

 その同志は世界中にいる!

 ともあれ自身に克ちゆく唱題を!

 声も惜しまず!

 獅子の如くに 吼えゆくことだ!

  

 我らの そして君達の

 行動と活躍の すべては

 三世を通観なされる

 御本仏の御照覧が

 厳然とあることを忘れまい

 更に 広宣流布の英雄たる君達をば

 諸天が厳として護りゆくことを

 御本仏は御約束である

 これを信心というのだ!

  

 少々の屈辱と侮蔑の

 非難など全く恐れるな

 釈尊もそうであられたし

 ましてや

 日蓮大聖人の大迫害よりみるならば

 あまりにも小さき難であることを!

 御聖訓のままに生きる我らは

 その証明として

 障魔の風は当然のことである

 これこそ

 我が学会の誉れというべきである

  

 偉大なる 後継の諸君よ!

 老いたる親を大切に

 そして社会を大切に

 泥沼の如き労苦の社会の中にこそ

 「如蓮華在水」の法理があることを

 誇り高く知るべきだ!

 現実の社会は複雑であり

 矛盾に満ちている

 しかし 若き後継の諸君は

 悠然として自己の宮殿を勝ちとれ!

 その胸中に 無限の幸福と

 平和があることを知れ!

 ある時は耐え抜け!

 そして

 ある時は美事なる勝負に決しゆけ!

 またと来らざる この一日一日を

 敢然と 前へ前へと

 進みゆくことだ

 それが地涌である

  

 信仰とは

 何ものをも恐れぬことだ!

 自己を果てしなく

 勝利者にしゆくことだ!

 法と人と社会を結ぶ

 偉大なる人間をつくりゆく行動だ!

 社会は厳しい

 甘えてはならない

 刻々と変遷しゆく社会に流されるな!

 君達は堂々と我が歴史を作りゆく

 主体者であることを忘れまい!

 表面的な社会の現象に紛動されるな!

 毀誉褒貶の八風に

 侵されゆく自分であっては

 侘しく敗者の姿だ

 君達よ 必ず勝者になれ!

  

 私が願ってやまない

 若き 門下達よ

 今再び

 スクラムを組みかえながら

 無限に続きゆく 我が大道を!

 ある時は

 「紅の歌」をうたい

 「威風堂々の歌」を

 声高らかにうたいながら

 朗らかに力強く

 前進してゆくことだ!

 君達のあとに

 無数の若き後継者が続いている

 そして共に

 金剛の二十一世紀の山へ

 断固として共戦しながら登るのだ!

  

 その二十一世紀の山を

 登攀したならば

 見える限りの世界が

 すべて君達のものだ!

 その所願満足の歓喜の法戦こそ

 無上道の人生であり

 青春であるがゆえに

 私はすべてを

 君達に託したい!

 

(※)現在192か国

 ◆◇◆◇◆◇◆

 

2021年12月10日〈桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進〉特別編  

池田先生が認(したた)めた「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」の書。「青年に 託しゆづらむ この日かな」の句とともに、長編詩が発表された「一九八一年十二月十日」の日付も記されている

世界広布新時代

創立100周年

2030年 

 

2025(令和7)年

創価ルネサンスーⅡ

開幕の年

 

世界青年学会

飛翔の年

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.12.22

第2320回

 

日天月天ワンショット

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