2022年5月23日
第2006回
いわれなき批判には
徹底的に素早く反論
<力強い声で! 正義の師子吼を>
東京は、わが故郷である。
私は、東京生まれの東京育ち。
いわゆる「江戸っ子」である。
その誇りをもっている。
江戸っ子は、
さっばりしていて、
きつぷがよくて、
何でも、はっきり、ものを言う。
それが身上である。
一見、淡泊に見えて、
正義を叫ぶ時は、くどいくらいになる。
悪は絶対に許さない!
その怒りが、言葉となって、ほとばしるのだ。
声は武器。
声は力。
口は語るためにある。
勇敢に叫ぶのだ。
いわんや、仏法においては、
「声仏事を為す」である。
声で勇気がわく。
勢いが増す。
勝利の道を開いていける。
人間主義は正しい。
仏法は絶対である。
われらの前進を、世界の知性が待っている。
今こそ打って出よ!
正義と真実を、しゃべって、しゃべって、
しゃべりぬくのだ。
力強い声で!
そうすれば、いかなる暗雲も、
いっぺんに吹き飛ぶ。
御聖訓には
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」と仰せである。
朗々たる題目の力で、
正義の師子吼で、
百獣のごとき魔軍を、
敢然と打ち破ってまいりたい。
アメリカを代表する経済学者ガルブレイス博士と私との対談「人間主義の大世紀を――わが人生を飾れ」の出版の準備が、現在(当時)、順調に進んでいる。(=対談集は二〇〇五年九月、潮出版社から発刊)
ガルブレイス博士は、権力者や悪意の人間たちからの数々の非難中傷に対して、毅然と立ち向かい、戦いぬいてこられた。博士は述べている。
「いわれのない批判を受けた時は、徹底的に素早く反論するのが私のやり方である」「私の徹底抗戦が功を奏して、次第に騒ぎは収まっていった」(『ガルブレイス わが人生を語る』日本経済新聞社)
「徹底的に」「素早く」反撃する
――ここに「言論闘争」「精神闘争」に
勝ちゆく要諦があるといえよう。
2005.5.21第二総東京代表協議会
2022年3月5日
第1925回
「一」の暴言、中傷には
「十」の正論を語り抜く
<言論は、どこまでも民衆の味方>
幹部指導に続いて、会長・山本伸一の講演となった。彼は言論部のこの二年間の活動に敬意を表したあと、広宣流布における言論活動の意義について言及していった。
「言論による時代の建設こそ、民主主義の根本原理であります。私どもが進める広宣流布は、正義の言論を武器とし、民衆を守り、民衆が主役となる人間の勝利の時代を築く運動であります」
そして、彼は、「言論の自由」を永遠に守り続けていかなければならないと語るとともに、「言論の自由」を盾に、無責任で勝手気ままな言論や、真実を歪め、人をたぶらかす、邪悪な言論が横行していることを指摘していった。「言論の自由」とは、「嘘やデマを流す自由」では断じてない。
伸一は訴えた。
「悪質な意図をもって、民衆を扇動するような、一部の評論家やジャーナリスト、あるいは指導者によって、日本が左右されてしまえば、いったいどうなるか。
そうした邪悪な言論と戦い、その嘘を暴き、人間の〝幸福〟と真実の〝平和〟のための新しい世論をつくりあげていくことこそ、言論部の使命であります。
私は、一握りの評論家やジャーナリスト、あるいは一部の〝偉い人〟だけが、言論の自由を謳歌するような時代は、もはや去ったと叫びたい。また、本来、言論の自由とは、そういう特権階級のためのものではないはずであります。
私どもは、善良なる世論を結集し、燃え上がる民衆の言論戦をもって、新しき時代の幕を開いていこうではありませんか!」
民衆が、堂々と真実を語り、正義を叫ぶことこそ、「言論の自由」の画竜点睛である。
「一」の暴言、中傷を聞いたならば、「十」の正論を語り抜く。その言論の戦いのなかにこそ、「声仏事を為す」(御書七〇八㌻)という精神も、生き生きと脈打つのである。
伸一は、最後に、どこまでも民衆の味方として、人びとの心を揺り動かす情熱と理念、緻密な論理とを備えた大言論戦の勇者たれと呼びかけ、講演としたのである。
創価学会の強さは、民衆を組織したことにあると見る識者は多い。しかし、組織したから、学会の強さがつくられたわけではない。その組織のなかで、民衆が自立し、自らの主張を堂々と展開する、社会建設の主役になっていったからこそ、いかなる権力にも屈しない、強靱な民衆の力の連帯が形成されたのである。
<新・人間革命> 第8巻 清流 204頁~206頁
2022年3月3日4日
第1924回
真の言論人とは、
不屈の信念の人の異名
<「悪の本質を切る」>
また、力ある言論とは、「悪の本質を切る」ものでなくてはならない。
大聖人は、当時、幕府の権力者をはじめ、人びとから「生き仏」と崇められていた極楽寺良観に対して、その本質は、三類の強敵の第三「僣聖増上慢」であると断ぜられた。
つまり聖人のように振る舞いながら、その実、利欲を貪り、人をたぶらかす、〝ニセ聖人〟であると破折されたのだ。このために大聖人を憎んだ良観は、権力者に讒言し、亡きものにしようと暗躍したのである。
文永十二年(一二七五年)の三月、良観の極楽寺から出火し、堂舎がことごとく焼亡した。また、良観が手厚い庇護を受けていた、幕府の御所でも火災が起こった。経文に照らせば、これらの災害の根本原因は、良観らの謗法の教えにあることは明らかである。
火災の詳細を聞かれた大聖人は、極楽寺と御所の炎上から、〝良観房〟を〝両火房〟と揶揄され、「極楽寺焼て地獄寺となりぬ」(御書一一三七㌻)と痛烈に破折されている。
さらに、その火は、現世の国を焼き、やがて日本中の人びとが地獄の炎に焼かれる先兆であると、このような悪侶を用いる人びとに警鐘を鳴らされている。
〝両火房〟のただ一言をもって、この良観の本質、〝ニセ聖人〟の本質を撃たれたのである。それは、単なる悪口や罵倒では決してない。経文を拠り所とし、明快な論理に裏付けられた、容赦のない呵責の弾丸であった。
悪を切らなければ、善が失われてしまう。真実を叫ばなければ、虚偽が蔓延してしまう。正法が隠没し、邪法が支配すれば、不幸になるのは民衆だ。
大聖人の仮借なき舌鋒、言葉の弾丸の数々は、まさに「正法を惜む心の強盛なる」(御書九五七㌻)ゆえであったといえる。
言論によって人間の勝利を打ち立てるのは、決して容易な道程ではない。大聖人の御生涯がそうであったように、ありとあらゆる迫害が広布の途上にはあるだろう。
しかし、それでも「いまだこりず候」(御書一〇五六㌻)と、正義の言論の矢を放ち続けることである。その不屈なる魂の叫びが、人びとの心を揺り動かすのである。
真の言論人とは、不屈の信念の人の異名でなければならない。
<新・人間革命> 第8巻 清流 202頁~204頁
2022年3月2日
第1923回
日蓮大聖人の言論闘争
<スピードこそが死命を制する>
日蓮大聖人の御生涯もまた、火を噴くような言論戦の連続であられた。
三十二歳にして立教の叫びを放たれ、諸宗の誤りをただ一人、正していかれた。
大聖人には、社会的な高い地位も身分も何一つない。しかし、幕府の最高権力者をも恐れなかった。日本中が敵に回ることも、大難も、覚悟のうえであった。ただ苦悩にあえぐ民衆に幸福をもたらし、社会の繁栄と平和を築かんがための大師子吼である。それゆえに、迫害に次ぐ迫害の人生であった。
大聖人は、事実上の国主である北条時頼を諫め、宗教界の権力者・極楽寺良観の邪悪を責められた。その戦いは、常に電光石火の行動であり、言論戦であられた。敵に対しては、もちろんのこと、弟子から報告があれば、いつも素早く反応された。特に、弟子が苦境に陥っていたり、なんらかの事件が起きた際の、大聖人の打つ手の迅速さ、的確さ、そして、細やかさは目を見張るものがある。
建治三年(一二七七年)の六月、四条金吾が主君の不興を買い、法華経を捨てるとの誓約書を書けと迫られる事件が起きた。それは、四条金吾が竜象房の説法の場に徒党を組んで乱入したという、全くのデッチ上げに端を発したものであった。
大聖人は、主君宛てに金吾の弁明書を代筆される。乱入事件なるものは「跡形も無き虚言なり」(御書一一五三㌻)と喝破され、堂々と金吾の正義を証明された。これが「頼基陳状」である。金吾が急使に託した書状をご覧になり、事件の真相をつかむと、直ちに、筆を執られたようである。
黙っていれば、嘘の闇が広がる。その邪悪を破る光こそ、正義の言論である。人が苦悩の悲鳴をあげている時、ただ傍観しているのは無慈悲である。邪悪の黒雲が、真実の空を覆わんとしている時、正義の声をあげないのは臆病である。
弘安二年(一二七九年)の十月、あの熱原法難の渦中でも、大聖人は「聖人御難事」「伯耆殿等御返事」「滝泉寺申状」「聖人等御返事」など、矢継ぎ早に文書を送られた。
そのなかには、法難に遭っている農民信徒への激励もあれば、弟子のための訴状の代筆もある。また、日興上人らに裁判上の指示を子細に与えられるなど、激しく推移する事態を的確に掌握され、次々に手を打たれている。
常に正確な情報をつかんで、敏速に応戦していく。敵との攻防戦においては、このスピードこそが死命を制することになるからだ。
<新・人間革命> 第8巻 清流 200頁~202頁
2022年2月28日
第1921回
言論の力
『コモン・センス』
<「無名の言論」が米国独立を導いた!>
彼は、言論の勝利というと思い出す、アメリカの独立に関する話があった。
──一七七六年の一月、アメリカのフィラデルフィアの町で、『コモン・センス』(常識)というパンフレットが出版された。イギリスの植民地であったアメリカが、有名なレキシントンとコンコードの戦いで、独立戦争の、最初の砲声を轟かせてから、九カ月後のことである。
この『コモン・センス』は、わずか四十七ページの小冊子にすぎなかった。しかし、それがアメリカを独立へと鼓舞する、大きな力となっていったのである。
当時のアメリカは、なおもイギリスの統治下にあって、公然と独立を口にすることは、官憲の厳しい追及を覚悟しなければならなかった。しかも、アメリカ住民の世論も、独立派はまだ三分の一にすぎず、三分の一が国王派、三分の一が中立派であった。多くの人びとは、アメリカの自治を獲得しただけで満足し、独立には懐疑的であったり、時流を傍観するという態度であった。
そのなかで、この小冊子は、敢然と叫びをあげ、アメリカの独立は、もはや〝常識〟の帰結であると訴えたのである。
「大陸が永久に島によって統治されるというのは、いささかばかげている」
「おお! 人類を愛する諸君! 暴政ばかりか暴君に対しても決然と反抗する諸君、決起せよ!」
「公然の断固とした独立宣言以外には、現在の事態を速やかに解決できる道はないのだ」
決して難解な言葉ではなかった。誰にでもわかる、平易な言葉で、明快に、ほとばしる情熱をもって、独立の必要性を説いたのである。
その著者は匿名で、「一イギリス人」とだけ印刷されていた。しかし、やがてトマス・ペインという三十九歳の編集者が著者であることが判明する。二年前、イギリスからアメリカに渡って来たばかりの、社会的には全く無名の人物であった。
だが、この小冊子『コモン・センス』は、たった三カ月の間に十二万部も売れ、大反響を呼ぶことになるのである。
まだ、人口が二百五十万ほどの独立前のアメリカである。十二万部は驚異的な数字といってよい。しかも最終的には、五十万部に達したといわれる。
『コモン・センス』を手にした人びとは、心を射貫かれ、独立にアメリカの未来の旭日を見た。人びとの頭のなかで、旧来の〝常識〟は音を立てて崩れ去り、独立という新しい〝常識〟が打ち立てられていったのである。
後に初代大統領になったワシントンは、この小冊子の「正当な主張と反駁の余地のない論理」を評価し、早晩、「独立の妥当性に軍配を上げかねて途方にくれる者はいなくなるでありましょう」と述べている。
農民や貧しい都市住民たちも、競って『コモン・センス』を買い求め、続々と独立派に加わっていった。
次のような感想を記した市民もいた。
「数週間前まで、独立を取り巻く途方もない障害に身震いしていた民衆の心情」は、一気に「あらゆる障壁を飛び越えてしまった」と。
この小冊子が、アメリカの民衆の胸に、〝独立は必ずできる〟という確信を与え、立ち上がる勇気を呼び覚ましたのだ。
決起した民衆の力は大きい。
もう何ものも、その潮流を止めることはできなかった。
アメリカ独立宣言が採択されたのは、この一七七六年の七月四日のことであった。
独立は、時の趨勢であったのかもしれない。だが、無名の一市民が書いたこの小冊子が、絶大な援軍となったことは間違いない。
「注目すべきは主張そのものであって、筆者ではない」との、ペインの言葉の通り、言論の力が歴史を動かしていったのだ。
権力の横暴や社会の矛盾に対し、民衆が正義の声をあげる。そこにこそ、民主の基礎があるのである。
<新・人間革命> 第8巻 清流 194頁~199頁