2017年1月21日
朝の来ない夜はない
<自らが太陽と輝け!>
「生きる」ということは、さまざまな難問を間断なく突きつけます。
そこには、喜びもあれば、悲しみもある。
成功もあれば、失敗もある。
栄光もあれば、屈辱もある。
愛する者との出会いがあれば、別れもある。
長い人生において、人それぞれに、大なり小なり、明と暗との経験は避けられません。
しかし、暗いトンネルは、明るい外光へと至る必然の試練です。
朝の来ない夜はない。
いな、むしろ、最も深い闇を、耐えて耐えて耐え抜いた人こそ、真に「生きた」人と言ってよいでありましょう。
苦をば苦とさとり、楽をば楽と開きながら、前へ、また前へ進み抜いてこそ、究極の人生の勝利を飾りゆくことができるからであります。
このような「耐える」力は、ただ逆境にのみ発揮される、パッシブ(受動的)な強さにとどまりません。
それは、人々と手を携えながら、人生や社会を豊かに創造し、建設し、この世界を変革していこうという、アクティブ(積極果敢)な力にも連動しております。
真実の幸福な人――それは、皆を幸福にできる人ではないでしょうか。
太陽の光に対抗しうる闇は、一つもありません。
その太陽を、わが生命の中に、どう見出し、どう赫々と輝かせていくか。この探求と向上が、人間の一生の旅路であるとも言えます。
そのような人生の旅人である私たちに、人類の教師ソクラテスは、こう語りかけて、励ましてくれます。
「音をあげるわけにもいかないし、弱気になってもいけないのだ、われわれの仲間よ」
池田大作語録 人生の座標 序(抜粋)
2016年8月5日
“いまだこりず候”の精神
<大難覚悟の勇気と忍耐>
戸田先生が、豊島公会堂で一般講義をされたことは、あまりにも有名であり、皆さんもよくご存じであると思います。
ある時、『曾谷殿御返事』の講義をしてくださった。『此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候』(御書一〇五六ページ)の箇所にいたった時、先生は、『これだよ。“いまだこりず候”だよ』と強調され、こう語られたことがあります。
『私どもは、もったいなくも日蓮大聖人の仏子である。地涌の菩薩である。なれば、わが創価学会の精神もここにある。不肖私も広宣流布のためには、“いまだこりず候”である。大聖人の御遺命を果たしゆくのだから、大難の連続であることは、当然、覚悟しなければならない! 勇気と忍耐をもつのだ』
その言葉は、今でも私の胸に、鮮烈に残っております。
人生には、大なり小なり、苦難はつきものです。ましてや広宣流布の大願に生きるならば、どんな大難が待ち受けているかわかりません。予想だにしない、過酷な試練があって当然です。しかし、私どもは、この“いまだこりず候”の精神で、自ら決めた使命の道を勇敢に邁進してまいりたい。
もとより私も、その決心でおります。親愛なる同志の皆様方も、どうか、この御金言を生涯の指針として健闘し抜いてください」
学会は大前進を続けてきた。だからこそ伸一は、大難の襲来を予感していたのだ。
小説新・人間革命 29巻 第3章 清新43(抜粋)
2013年6月23日
2013年4月12日
ちょっとの辛抱
大白蓮華No.760 2013.4月号14頁