2021年10月28日
第1762回
聖教新聞は
『世界一流』の新聞に!
<一騎当千の記者>
「戸田先生は、あの時代のなかで、ジャーナリストとして、ギリギリのところで戦われた。それこそ、聖教新聞が受け継がなくてはならない精神なんだよ。信念も哲学ももたない言論は、煙のようにはかないものだ。しかし、聖教新聞には、仏法という大生命哲理がある」
秋月は、緊張した顔で、伸一の話に、じっと耳を傾けていた。ホテルの窓に、木漏れ水がキラキラと映えていた。
秋月が尋ねた。眼鏡の奥の彼の目は、燃え輝いていた。
「山本先生、聖教新聞が世界一流の新聞になるために、記事を書くうえで、最も心すべき点は、なんでしょうか」
「まず、機関紙として、
同志が確信と自信をもち、勇気がわくという記事を心がけるのは当然です。
そのうえで、根本的には大仏法の慈悲の精神をもとに、世界の平和、人類の幸福の追求をめざすことだよ。
国の利害やイデオロギーによるのではなく、地球民族、地球家族として、ともに人間の道を探り、創ろうという主張が大事になってくる。
私は、聖教新聞を、『世界の良心』『世界の良識』といわれるような新聞にしなくてはならないと、かねがね思っている。これこそ、本来の大仏法の精神であるからだ」
秋月は、自分の発想の殻を、大きく打ち破られた思いがした。彼は彼なりに、紙面の在り方を考えてはいたが、そこまで考えたことはなかった。
「そのうえで大切なことは、
一切衆生が皆平等という仏法の普遍的な哲理を、いかにわかりやすく、社会的に、現代的に、そして斬新に表現することができるかだ。
つまり、万人にわかる開かれた言葉で、仏法を語ることだよ。学会員にしかわからない新聞では、社会には広がらない。
まして会員でさえ理解できないような難解な新聞になったら、編集者の自己満足になってしまう。
それから、社会が何を求め、何を必要としているかを、的確に見抜いていくことだ。
仏法にも、学会の現実の姿のなかにも、社会が欲する、すべての解答が用意されている。それを、社会、時代のテーマに即して、常に示していけるかどうかだ。
そして、日々革新だよ。時代も動いている。社会も動いている。人間の心も動いている。それに敏感に反応しながら、触発と共感の指標を提示し続けることだね。
だから、見出しにせよ、記事にせよ、あるいは割り付けにしても、過去のものを踏襲して、それに安住しているようではいけない。
新聞は生き物といってよい。鮮度の悪い魚は見向きもされないように、惰性に陥り、マンネリ化した新聞は、読者から見捨てられてしまうものだ」
それは、明快にして要を得た指導であった。耳を傾ける秋月の顔には、次第に明るさが増していった。
「秋月君、紙面を刷新していくには、結局は、記者の一念を刷新していくしかないんだよ。挑戦の気概を忘れ、惰性化し、努力も工夫もなく、受け身で仕事をするような記者では、何千人、何万人いようが、とても、世界の新聞とは、太刀打ちすることなどできない。必要なのは、全学会を背負って立ち、ペンをもって世界を変えようとする、師子のような、一騎当千の記者だ。そうした記者が、五人か十人もいれば十分だよ。本当の言論戦は、数ではないからな。世界一流の新聞ということは、世界一流の記者をつくるということなんだ。育てようよ、本物の記者を。広宣流布の戦いというのは、言論戦なんだから」
聖教新聞は、編集部長である秋月の双肩にかかっていたといってよい。彼は青年部長として活動の中核を担いながら、毎号の新聞の発行に全力投球していた。この海外訪問でも、同行の幹部の一人として、メンバーの指導、激励にあたりながら、自ら写真を撮り、明け方近くまでかかって原稿を書き、それを本社に郵送していた。そのなかで、山本伸一を会長に迎えて新しい時代の幕が開かれた今、聖教新聞の未来は、いかにあるべきかを考え続けていた。しかし、霧がかかったように、明確な展望を見いだすことはできなかった。
そんな秋月の気持ちを察して、山本伸一は、この日、聖教新聞について語り合ったのである。彼は、更に希望の未来図を語っていった。
「やがて、十年か十五年もすれば、海外にも、聖教新聞の特派員や駐在員を、どんどん出すようになるだろうね。そして、聖教の記者が、各国の大統領や識者にインタビューしながら、仏法の平和思想を堂々と論じていくことが日常茶飯事になる時代が必ず来る。また、世界中の各界を代表する指導者が、どんどん聖教に原稿を書き、ともに恒久平和への道を探求するようにしようじゃないか。そうなれば面白いぞ」
<新・人間革命> 第1巻 慈光 254頁~257頁
2021年10月28日
第1761回
「聖教新聞を日本中、
世界中の人に読ませたい」
<人間の機関紙>
伸一は、かつて戸田城聖が、しばしば「聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい」と語っていたことが、心に焼きついていた。その言葉を、必ず実現せねばならないと誓ってきた。そして、そのために、いかにして、聖教新聞を世界的な新聞に育て上げようかと、常に心を砕いていたのである。
秋月は、「はい」と答えたが、正直なところ、「世界一流の新聞」と聞いて、驚きと戸惑いを覚えた。聖教新聞は、この年の八月まで週刊八ページ建てであり、ようやく九月から水曜日四ページ、土曜日八ページの週二回刊になったばかりであった。
伸一は、聖教新聞の未来に、大いなる夢を馳せながら語った。
「聖教は学会の機関紙だが、私は、同時に、人間の機関紙という考え方をしているんだよ」
「人間の機関紙ですか」
「そう。人間の機関紙だよ。一般の新聞は、暗いニュースに満ちている。それは、社会の反映だから仕方がないにしても、
そうした社会のなかで、
人びとが、どうすれば希望を見いだしていけるのか、
歓喜をわき立たせていくことができるのかを考え、
編集している新聞はない。
また、人生の苦悩に対して、いかに挑み、
克服していくかを教えている新聞もない。
しかし、社会が最も必要としているのは、そういう新聞だ。
それをやっているのは、聖教新聞だけじゃないか。そう考えていけば、聖教新聞はまさに〝人間の機関紙〟という以外にないじゃないか」
秋月の顔が紅潮した。伸一は、グッと身を乗り出し、秋月を見つめて言った。
「秋月君、聖教新聞の使命は極めて大きい。
学会にあっては、信心の教科書であり、
同志と同志の心をつなぐ絆になっていかなくてはならない。
また、社会にあっては、不正、邪悪と戦い、
仏法の慈光をもって、まことの人間の道を照らし、
万人に幸福と平和への道を指し示していく使命がある。
軍部政府と命をかけて戦った、
牧口先生、戸田先生の精神を受け継ぐ学会の機関紙以外に、
本当の平和の道は語れないからね」
<新・人間革命> 第1巻 慈光 245頁~246頁