2015年4月24日
指導者か!独裁者か!
権力の魔性を、もっと身近なことで言えば、リーダーが「人に苦労を押しつける」というのも、その一つです。自分が楽をして、いやなこと、大変なことは人にやらせる。「責任」も人に押しつけ、自分は甘い汁だけを吸おうとする──。
こんな言葉があります。
「いずれの国にも大変なことはある。もし、あなたが大統領になっていれば、大変なことはあなた自身にかぶさってくる。しかし、かりに、あなたが独裁者だとすれば、あなたはこの大変なことを全部、他の人々がひっかぶるようにさせられる」(Don Marquis,The Lives and Times of Archy and Mehitabel,Doubleday, Doran and
Company, inc. New York, 1942)
「指導者」と「独裁者」は違う。指導者というのは、自分が皆のために苦しんでいく人なのです。
大聖人は「元品の無明」は「第六天の魔王」と顕れ、「元品の法性」は「梵天・帝釈等」と顕れると言われている。(御書997頁、趣意)
魔王は独裁者。梵天・帝釈は指導者です。両者の違いは決定的です。「天地雲泥」と言える。一方、一念の世界においては、「紙一重」とも言えるのです。
(中略)
あらゆる「権力の魔性」と戦い続けることこそが「法華経を持つ」ことであり、その人間愛の苦闘によってこそ、我が身が、真に「宝塔」と輝くのです。
法華経の智慧 見宝塔品 第十一章
2014年4月13日
独裁者
自分ができないことを人に強制する。
それが独裁者です。
御書の世界(上)第七章 師子王の心