2022年3月11日
第1931回
民音の設立
(4)
<民音があって、民衆の心と心が結ばれ、世界が結ばれる>
伸一は、泉田弘と秋月英介に言った。
「私が恐れているのは、学会員が、そうした教条的で偏狭な考え方に陥ってしまうことです。私たちが厳格なのは、宗教の教えそのものに対してです。
芸術や文化に対しては、いっさい自由であることを、社会にも、学会員にも、語っていかなくてはならない。
芸術は、イデオロギーや政治の僕ではないし、宗教の僕でもない。独立した価値をもっているのだから、それを認め、尊重していくのは当然です。また、私には、民音の音楽活動を利用して、布教しようとか、音楽愛好家を学会に取り込んでいこうなどという考えは、毛頭ありません。みんなも、それをよく知ってほしい。
民音を設立した目的は、あくまでも、民衆の手に音楽を取り戻すことにある。人間文化を創造し、音楽をもって、世界の民衆の心と心を結び、平和建設の一助とすることにある。
これまで、芸術や文化、あるいは平和を、教勢拡大の手段にしてきた宗教が、あまりにも多い。しかし、そんなことが長続きするわけがない。もともと、教団のために、一時的に利用するのが目的であり、本気ではないからだ。また、見せかけだけであることが露呈し、最初は賛同していた人も、次第に離れていくからだ。
だが、私たちの文化と平和の運動は違う。本気だ。真剣です。民衆のため、人類のための大運動です。民音といっても、最初、社会の人びとの多くは、警戒し、うさん臭いもののように思うだろう。しかし、やがて、その認識が誤っていたことに気づくはずだ。三十年、四十年とたった時には、民音の社会的な意義の深さに感嘆するにちがいない。また、そうしていかなくてはならない。
私は、『世界の民音』に育てたいと思っている。『民音があって、音楽は蘇った』『民音があって、新しい、最高の音楽が生まれた』『民音があって、民衆の心と心が結ばれ、世界が結ばれた』と言われるようになるんだ」
泉田と秋月は、大きく頷いた。
民音は、それから間もなく、全国組織に発展し、一九六五年(昭和四十年)一月には、財団法人となり、さらに音楽、芸術の興隆に、大きく貢献していくことになる。そして、賛助会員百三十万人の、日本を代表する音楽文化団体へと発展していくのである。
その活動は多方面にわたり、クラシック、ポピュラー、歌謡曲、伝統芸能にいたる幅広い演奏会を開催してきた。また、無料の「市(都)民コンサート」を開催したのをはじめ、青少年の情操教育に寄与するための「学校コンサート」、未来の人材発掘をめざした「東京国際音楽コンクール」なども実施してきた。
さらに、海外との文化交流では、六五年にイスラエルのピアニストを、翌年にソ連のノボシビルスク・バレエ団を招聘したのを最初期として、やがて世界最高峰のウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座などの招聘を実現した。その一方で、日本の音楽家、舞踊団などを海外に派遣してきた。これまで、海外との文化交流は、百カ国・地域に及んでいる(二〇〇九年七月)。
学会を母体とする、この民音の創立によって、音楽・芸術の復興の春が、到来したのである。
<新・人間革命> 第8巻 清流 240頁~248頁
2022年3月10日
第1930回
民音の設立
(3)
<芸術は、宗教の枠を超える>
民音の創立記念演奏会が行われていた時、伸一は学会本部で、この演奏会の成功と民音の大発展を祈って、唱題した。
午後十時過ぎに、演奏会を終えた、泉田弘と秋月英介が、学会本部に帰って来た。
「先生、大成功でした。来賓も、民音の設立の趣旨に、大いに共感しておりました。また、大きな期待をもったようです」
泉田の話を聞くと、伸一は言った。
「そうですか。それはよかった。おめでとう!」
秋月が報告した。
「実は、音楽関係者の多くは、今日の演奏会に出るまで、学会は音楽や芸術を使って、勢力を拡大するために、民音を設立したと思っていたようなんです。
また、ある来賓は、『民音では、クリスマスソングのような、他の宗教に関係する曲は、演奏できないんでしょうね』と、尋ねてきました。学会は、宗教の正邪について妥協しないから、民音もまた、宗教性のある音楽や芸術は受け入れないと思っているんです」
すると、泉田が言った。
「秋月さん、学会員も、そう考えているよ」
学会は、宗教の高低、浅深、正邪を、厳格に立て分けてきた。いかなる宗教を信ずるかが、人間の幸・不幸を決するからである。それだけに、会員のなかにも、他の宗教に関係する音楽を演奏したり、聴いたりすることに、かなり抵抗を感じている人も少なくなかった。
宗教と、音楽などの芸術とは、確かに不可分の関係にある。宗教は、人間の生命という土壌を耕し、その大地のうえに花開き、実を結んでいくのが、芸術であるからだ。しかし、その芸術に親しむことと、宗教そのものを信ずることとは、イコールではない。
宗教的な情熱が、芸術創造の源泉となっていても、芸術として花開く時、それは宗教の枠を超える。美しい花は、どんな土地に咲いても、万人の心を和ませ、魅了する。それが美の力である。優れた芸術も同じであろう。
詩人ハイネは歌った。
「さやがはじけたとたんに、甘えんどうは万人のものだ!」
芸術を、宗教やイデオロギーで色分けし、否定したりすることは、人間性そのものを否定するに等しい。
ましてや、仏法は、生命の尊厳と自由と平等とを説き、人間性の開花の方途を示した慈悲の哲理である。その仏法を根底にした音楽運動である限り、人間性の発露である音楽を、色分けして、排斥するようなことは、絶対にあってはならない──それが山本伸一の考えであり、また、信念でもあった。
(つづく)
2022年3月9日
第1929回
民音の設立
(2)
<民衆に最高の音楽を、新たな文化の創造を>
秋月に続いて、民音の代表理事になった、学会の副理事長の泉田弘が、民音への支援をお願いしたいとあいさつした。
このあと、富士吹奏楽団が「軽騎兵序曲」等を演奏。フィナーレは、指揮者、作曲家として著名な近衛秀麿の指揮による、行進曲「旧友」である。演奏が終わると、場内から、盛んな拍手がわき起こった。
ここに、民音は、民衆の新たな音楽・文化運動の旗手として、社会に船出したのである。
この日は、多数の来賓も出席していたが、民音創立の趣旨やモットーに、皆、大きな共感を示したようであった。
人びとは、民衆の音楽の興隆を、心から待ち望んでいたのである。
当時、日本にあっては、歌謡曲やポップスなどは民衆に親しまれていたが、クラシック音楽やオペラなどは、民衆とは大きな隔たりがあった。利潤の追求のゆえか、鑑賞券がいたって高額なコンサートも多く、庶民にはとても手が届かなかった。音楽は、みんなのものである。一部の特権階級や金持ちの専有物ではない。
山本伸一は、クラシックやオペラ、邦楽など、すべての音楽に、民衆が接する機会をもてるようにすることを、民音のまず最初の課題と考えていた。
このころ、大きな音楽鑑賞の組織としては、既に労音(勤労者音楽協議会の略称)が、あった。しかし、政治的なものに左右され、イデオロギー色が強いというのが、大方の見方であった。
また、この年には、労音に対抗して、日経連(日本経営者団体連盟の略称)の呼びかけで、音協(音楽文化協会の略称)が設立され、活動を開始していたが、まだ、規模は小さかった。
伸一は、労音であれ、音協であれ、民衆のためによい音楽を、幅広く提供できるならば、それは喜ばしいことであると考えていた。
ともかく、民音の創立によって、さらに民衆全体が最高の音楽に触れ、新たな文化の創造が図られていくことを、彼は期待していたのである。
(つづく)
2022年3月8日
第1928回
民音の設立
(1)
<民主音楽協会(民音)の誕生>
伸一は、人類が悲惨な戦争と決別し、平和を築き上げていくには、何が必要なのかを考え続けた。
──そのために不可欠なことは、民衆と民衆の相互理解を図ることである。それには、音楽などの芸術、文化の交流が大切になる。
こう考えた伸一は、学会が母体となって、音楽、芸術の交流などを目的とした団体をつくろうと決意したのである。
以来、首脳幹部で検討を重ね、この年の八月一日に行われた教育部の第二回全国大会の席上、伸一から音楽・芸術の文化協会の設立が発表された。続いて、準備委員会を発足させ、設立に向かい、最終的な準備に入った。ここで、団体の名称やモットー、代表理事などの役員の人事や、具体的な活動も煮詰まっていった。そして、この十月十八日の、創立記念演奏会となったのである。
午後六時半、音楽隊の代表によって構成された吹奏楽団の、行進曲「錨を上げて」の勇壮な演奏で、記念演奏会は幕を開いた。舞台の背後には、音符をデザインした、民音のマークが掲げられていた。
演目は進み、合唱やアンサンブル、また、第一線で活躍中のバイオリンやチェロの奏者などの見事な演奏が、次々に披露されていった。
続いて、来賓を代表し、音楽大学の学長が祝辞を述べたあと、民音の専任理事となった秋月英介があいさつに立った。
秋月は、まず、民音の正式名称を「民主音楽協会」とし、広く民衆のための音楽の興隆に努めていくことを発表した。この名称については、当初、「民衆音楽協会」にしようとの意見もあったが、伸一は「民主音楽協会」にしてはどうかと提案した。そこには、民衆こそ、国家、社会の主人であるとともに、音楽、芸術を育成していく主役であるとの思いが込められていた。
秋月は、話を続けた。
「次に、わが民主音楽協会のスローガンを発表いたします。
一、広く民衆の間に、健康で明るい音楽運動を起こす。
一、新しい民衆音楽を創造し、これを育成する。
一、青少年の音楽教育を推進し、並びに一般音楽レベルの向上を図り、以て情操豊かな民衆文化の興隆を目指す。
一、音楽を通じ国際間の文化交流を推進し、世界の民衆と友誼を結ぶ。
一、日本の音楽家を育成し、その優秀な作品、並びに演奏を、広く内外に紹介する。
この五項目のモットーのもと、民衆の新しい音楽運動を展開していくために、まず、定期演奏会、都民コンサートなどを活発に行ってまいります。そして、民衆の手に音楽を取り戻す、新しい音楽の潮流をつくってまいる所存でございます」
(つづく)