2018年10月31日
第1549回
断じて劣等感を持つな!
自分が今いるそこが最高の場所
<今いる場所で「華」と咲け!>
十一月五日は、「男子部の日」であった。
この日は、歴史を見れば、吉田松陰が、八畳一間の塾舎で「松下村塾」を始めた日にあたる。塾の建物が完成したのを機に、松陰は、みずからが指導する「松下村塾」を正式に開いたのである。
それは一八五七年(安政四年)、鎖国から開国へと、日本中が混乱しているさなかであった。(一八五三年〈嘉永六年〉、アメリカのペリー艦隊が浦賀に来航し、江戸幕府に開国を要求。五八年〈安政五年〉には、大老・井伊直弼による反対派への大弾圧「安政の大獄」が始まる)
松陰はその時、満二十七歳。学会で言えば、男子部の世代である。この二十七歳の青年指導者が、明治維新という、日本の「革命」の原動力となった人々を育てた。
未来をつくるのは青年である。青年が大事である。
戸田先生もよく、吉田松陰の話を青年部にしてくださった。
「塾の建物」といっても、決して贅沢なものではなかった。物置小屋を改造して造った質素なもので、八畳の講義室が一間あるだけであった。
松陰は、この八畳間で、門下生たちと寝食をともにしながら、彼らを薫陶していった。
人材を育てた松下村塾の心意気――今いる場所で「華」と咲け!
偉らぶるのではない。彼は、いつも弟子と一緒、同志と一緒であった。
門下生にとっては″頭がじんじんする″ような、真剣勝負の教育であり、鍛錬であった。魂に叩きこんでいくような訓練であった。
松陰は、信念に殉じた勇者のことを語るときは、みずから感動で声を震わせた。皆もかくあれ、かく生きよ!――と。
情熱みなぎる草創の学会の幹部の姿をほうふつさせる。リーダーは、それでこそ、友を立ち上がらせていける。
また松陰は、卑劣な裏切り者の話になると、目をむき、声を張り上げ、髪の毛を逆立てた。
こういう人間とは徹して戦えと、「人間の根本の道」を教えていった。
これが、松陰の松下村塾であった。
さて、松陰が「松下村塾」での教育の根底に置いた理念は、何であったか。
さまざまに論じられるだろうが、本日は時間の都合もあるので、一点だけ申し上げたい。
それは、簡単に言えば、″華やかな「中央」から遠く離れた、田舎の小さな村にいることに、断じて劣等感を抱いてはならない。自分が今いるところで真剣に努力していくならば、そこが最高の場所――「華」となる″との考えであった。(松下村塾のあった松本村は、本州のもっとも西の山口にあり、江戸から遠く離れていた。しかし松陰は、″ここから、必ず天下の人材が輩出する″と確信していた)
仏法は「本有常住」「常寂光土」と説く。
多くの偉人は、仏法に近づき、仏法の片鱗を説いているものである。
どうか皆さまも、「自分がいるところを、最高に輝かせてみせる!」 「自分の組織から、偉大なリーダーを、必ずや育ててみせる!」と深く一念を定め、雄々しく進んでいただきたい。
そのとき、人間は大きく花開いていく。そうやって進んできたから、今日の創価学会がある。
環境ではない。一念で決まる。
「学歴が何だ!
財産が何だ!
名声が何だ!
社会的地位が何だ!
そんなものに、とらわれるな!
人生、何があろうと『信心』で進め!」。
これが仏法者の魂である。
2001年11月12日 第十一回本部幹部会、第一回関西総会、北海道総会、結成五十周年記念の男子部・女子部幹部会