2023年7月14日15日
第2229回
時を知り、時をつくり、時を待つ
いかなる困難があろうが、
ひとつひとつ地道に努力し、
そして待つことである。
希望を決して失わずに、
時を知り、
時をつくり、
時を待つことです。
必ずや、
勝利の時は
訪れる。
女性に贈ることば365日 272頁
2021年10月16日
第1745回
一瞬の時を生かす
伸一は、こうした一瞬一瞬の時を、決して疎かにはしなかった。戦いの勝敗も、いかに一瞬の時を生かすかにかかっている。友への励ましにも、逃してはならない「時」がある。
彼の反応は常に素早かった。時を外さず、いつも機敏に手を打った。それは、「今」を逸すれば、永遠にそのチャンスをなくしてしまうかもしれないという、会長としての緊迫した責任の一念が培った、感受性の鋭さであったといえるかもしれない。更には、青春のすべてを注いで戸田城聖に仕え、後継の弟子として彼が受けた厳しい訓練のなかで、体で習得していったものでもあった。
<新・人間革命> 第1巻 新世界 114頁
2017年7月10日
時代の誤った出来事を
看過してはならない!
<その要因と本質とを深く洞察し、
未来のために戦いを開始するのだ>
訪中前の日本での語らいで、山本伸一は、巴金ら中国作家代表団に、「次回は、革命と文学、政治と文学、平和と文学などについて語り合いましょう」と言って、再び会うことを約したのである。
そして、第五次訪中で、二十四日に伸一が主催した北京での答礼宴の折には、謝冰心と再会。さらに、この上海で巴金と二度目の会談が実現したのである。
伸一が、政治と文学の関係について意見を求めると、彼は即答した。
「文学は政治から離れることはできない。しかし、政治は、絶対に文学の代わりにはなり得ません。文学は、人の魂を築き上げることができるが、政治にはできないからです」
話題は、文化大革命に移っていった。
巴金は文革の時代、「反革命分子」とされ、文芸界から追放された。彼を批判する数千枚の大字報(壁新聞)が張り出され、「売国奴」と罵られもした。彼は、この苦難をきちんと総括し、自分を徹底的に分析し、当時、起こった事柄を、はっきり見極めていくことの大切さを強調した。
巴金は文化講演会でも、こう訴えている。
「私は書かなければなりません。私は書き続けます。そのためには、まず自分をより善良な、より純潔な、他人に有益な人間に変えねばなりません。
私の生命は、ほどなく尽きようとしています。私はなすべきこともせずに、この世を離れたくはありません。私は書かねばならず、絶対に筆を置くことはできません。筆によってわが心に火をつけ、わが体を焼きつくし、灰となった時、私の愛と憎しみは、この世に消えることなく残されるでしょう」
時代の誤った出来事を看過してはならない。その要因と本質とを深く洞察し、未来のために戦いを開始するのだ。
会談で巴金は、「今、文革についての小説を書き始めました。ゆっくりと、時間をかけて書いていくつもりです」と語った。
正義の闘魂が、新しき社会を創る。
〈小説「新・人間革命」〉 雄飛 十四 2017年6月30日
2015年5月4日5日
『現当二世』で歴史を残せ!
<『今、どうしているのか』
『未来のために何をしているのか』>
伸一が足立支部長の藤川の家を初めて訪問したのは、一九五五年(昭和三十年)の春であった。「藤川工業所」の看板が掲げられ、周囲には田んぼが広がっていた。
支部の中心会場になっていた彼の家には、多くの青年たちが出入りしていた。東京大学に在学する学生をはじめ、若者たちが、喜々として集って来るのである。
藤川は、伸一に言った。
「青年を育てなければ、学会の未来はありません。私は、全青年部員のことを、戸田先生の子どもさんであると思っています。その宝のような方々を、お預かりしているんだから、大切に大切に接しています。青年のためには、なんでもしようと思っています。もし、何かあれば、私は、命懸けで青年を守る決意でおります」
その一念があってこそ、青年は育つのだ。
伸一は青年部の室長として、藤川の思いが嬉しくもあり、ありがたくもあった。彼は、藤川支部長の手を、ぎゅっと握り締めた。
初の「足立会」の集いには、初代足立支部長・婦人部長であった藤川秀吉・多恵夫妻の元気な姿もあった。
席上、あいさつした山本伸一は、参加者に親しみのこもった視線を注ぎながら語った。
「皆さんは、戸田先生の薫陶を受けて育った“学会の宝”の方々です。その皆さんにお願いしたいことは、戸田先生に自分が育まれたように、後に続く人材をつくっていただきたいということです。
人材は、一朝一夕には育ちません。多くの時間と労力を必要とします。しかし、人を育てる以外に、広宣流布の永遠の未来を開く道はないし、それに勝る聖業もありません。皆さんが人材育成の範を示して、支部幹部や大ブロック幹部の方々に、その方法、在り方を教えていっていただきたい。
折伏の仕方も、指導の仕方も、先輩幹部と共に戦うなかで、見よう見まねで覚え、体得していくものです。また、そうした活動のなかに、信心の触発もあるんです。この育成の伝統がなくなってしまえば、本当の人材育成の流れは途絶えていきます。
弘教にせよ、信心の指導にせよ、その方法を、単に頭で覚え、暗記すればできるというものではありません。実際の活動を通して学び、生命で覚え込んでいくものなんです。先輩の皆さんは、常に後輩と共に動き、その敢闘の精神と実践とを、伝え抜いていっていただきたいのであります」
ここで伸一は、戸田城聖が第二代会長に就任した折に、共に立ち上がることができなかった戦前からの会員たちが、後年、「遅参其の意を得ず」との思いを深くし、後悔していた話に触れた。
「広宣流布の前進には“時”がある。その一つ一つの“時”を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができるんです。
今、学会は、広布第二章の『支部制』が発足し、未来万年の流れを開く“時”を迎えました。今こそ総立ちすべき“朝”なんです。
信心をしていくうえで大事なのは、『現当二世』を見すえていくことです。『現』というのは『現在』『現世』であり、『当』というのは『未来』『来世』を言います。過去に縛られるのではなく、今現在を大切にし、未来に向かって生きていくことが大事です。それが仏法者の生き方です。したがって、過去の実績を誇り、昔の栄光に酔っているのではなく、『今、どうしているのか』『未来のために何をしているのか』が大事になるんです。
信心は一生です。人生も一生を見なければわからない。久遠の使命を果たすために、この世に生を受けた私たちです。最後まで広宣流布という、わが使命に生き抜いたといえる、勝利の生涯を送ろうではありませんか!」
「はい!」という、決意のこもった声が、はね返ってきた。
伸一は、さらに、強い語調で訴えた。
「信心といっても、観念ではない。法華経にも『諸法実相』とあるように、妙法という実相は、諸法すなわち社会のすべての現象として現れる。つまり、現実のうえで何をしたか、何をするかなんです。
戸田先生は、創価学会は『仏意仏勅の団体』であると言われた。事実、学会は、日蓮大聖人の仰せのままに、日本中に仏法を説き聞かせ、幾百万の人が信心をしました。また、世界に大聖人の仏法を流布してきました。そして、多くの同志が大功徳に浴し、不幸を乗り越え、歓喜の人生を歩んできました。
こうした事実は、創価学会が正しく仏法を実践してきた証明であり、私どもの実践が、大聖人の御本意に適った厳然たる証拠であると確信するものであります。
限りある一生です。どうか皆さんは、今後も、地涌の菩薩として、これだけの人に仏法を伝え、幸福への道を教えたという事実を示し、支部を支えてください。一人の人間として、誉れある草創の勇者として、実際に何をするか、いかなる歴史を残すかなんです」
小説 新・人間革命 奮迅の章 357頁
2014年6月9日
自分の出番だ!
時を逃すな!
「自分が、やらなければ!」――この責任感に立つ時、若き生命は、無限の力を発揮する。
また、青年は、「自分の出番」「人生のチャンス」を、みずからつくり、確実につかみ、勝つことである。人生には「時」がある。自分が全力で走るべき「時」を逃がしてはならない。その「時」をつくり、掌中に握らねばならない。
またとない「チャンス」を前に、気がつかなかったり、遠慮する。また体裁を考えたり、怖じ気づく。萎縮する。行動に移せない――それでは、偉大な人生は歩めない。自分自身の戦いに勝てない。深く大きな自分を築けない。
1992.5.5創価教育同窓の集い
2013年8月15日
「本門の時」とは
民衆の時
今、私たちは「本門の時」を迎えている。
日蓮仏法において、「本門の時」とは、一次元から言えば、「自分自身の生命の本領を発揮する時」であり、「民衆が底力を発揮する時」にほかならない。
法華経文上の本門では、釈尊の本地が、永遠の昔からの仏であることが明らかにされた。
大聖人の文底下種仏法では、全民衆、全生命が「妙法の当体」であることが明かされ、事実の上にその偉大な生命を開花させる法が示されているのである。本門の如来寿量品第十六の「如来」について、「如来とは一切衆生なり」(御書752頁)と、大聖人が宣言しておられるとおりだ。
民衆が、妙法の当体としての〝生命の底力〟を思う存分発揮して、平和と幸福の社会を大建設していくことが、仏法の究極である。そのための一大民衆運動が、わが創価学会の運動なのである。
2004.1.3第二総東京代表者会議