2023年10月8日
第2261回
文化は人間を結ぶ平和の力
<皆が平等に「人間」に立ち戻れる場>
芸術は、
生きる歓びの歌である。
芸術は、
人間を結びあう力である。
芸術は、
波濤を乗り越えて
平和へ進みゆく、
生命の勝利の舞である。
自分の中の
「人間」の解放が
芸術なのである。
抑えつけられ、
自分の中に、
たまりにたまった
「思い」がある。
声にならない
「叫び」がある。
それを声にし、
形にするのが芸術だ。
本物の美に出あった時、
人は心を動かされる。
芸術の魂に触れた時、
人は「感動」する。
その「感動」は、
「生きる力」となる。
「文化」と「教育」は、
人間の精神を耕し、
豊かにし、
平和を築いていくための
源泉である。
「美」に出あう時、
人は平等に
「人間」に立ち返る。
世の中は
差別の社会だが、
そのなかで、
皆が平等に「人間」に
立ち戻れる場が必要だ。
それが
「文化の広場」であり、
「芸術の森」なのである。
また、本来の宗教の
社会的役割の一つも、
そこにある。
文化とは
「人間性の開花」である。
だから国境を超え、
時代を超え、
一切の差別を超える。
そして、
正しい仏法の実践は、
自分を耕し、
最高の「文化的人生」を
生きるための触発となる。
使命も深き
「創価」の宝冠を戴く
偉大な同志たちよ!
生命歓喜の勝ち鬨で、
至高の芸術と輝く
人生を飾れ!
2023年10月8日池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」
2021年12月2日
第1808回
音楽・芸術に「敵」は無し
<「埴生の宿」「庭の千草」>
山本伸一は、ビルマで戦死した長兄のことを考えるたびに、いつも、竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』を思い浮かべた。
──それは、ビルマ戦線に送られた一兵士が、終戦後、日本に帰らず、僧となり、同胞の遺骨を弔って生きることを決意するという小説である。
そのなかに、終戦を迎えながらも、それを知らずに敗走する日本軍の一隊が、イギリス軍に包囲される場面がある。この隊は、音楽学校出の隊長の影響で、よく歌を合唱した。この時も合唱の最中であった。
近くには爆薬を積んだ荷車がある。戦闘が始まり、その爆薬が銃火を浴びれば全滅してしまう。まず、その荷車を、移動させなければならない。
日本兵は、イギリス軍の包囲を知らぬかのように、皆で楽しげに「庭の千草」と「埴生の宿」を歌いながら、荷車を安全な場所へ運んだ。
荷車を運び、合唱が終わって、日本兵が突撃に入ろうとすると、今度は、周囲から「埴生の宿」の調べが聞こえてきた。
イギリス兵が歌っているのだ。歌は英語であったが、曲は同じである。
さらに「庭の千草」の調べが響いた。
「埴生の宿」も「庭の千草」も、イギリスで古くから愛唱されていた歌に、日本語の歌詞をつけたものである。イギリス兵にとっては、なじみ深い曲であった。
敵も味方もなく、両軍の兵士たちは、声を合わせて歌った。
戦闘は始まらなかった。互いに兵士が出て来て手を握り合った。
日本兵は、そこで三日前に戦争が終わったことを知った。
歌が人間の心と心をつなぎ、無駄な血を流さずにすんだのである。
音楽や芸術には、国家の壁はない。それは民族の固有性をもちながらも、普遍的な共感の広がりをもっている。
ラングーンの街を巡りながら、伸一の脳裏に、ある考えが兆し始めた。それは思索を重ねるうちに、次第に一つの明確な像を結び始めていった。
<新・人間革命> 第3巻 平和の光 308頁~310頁
2016年7月25日
音楽・文化・芸術に生命変革の力あり!
<歌を歌って前進していこう!>
全宇宙が、
生命の音楽を奏でている。
星々も、地球も、花も樹々も、
人間も また大地も大海も、
それぞれが
自らの歌を歌っている。
仏法では
「耳根得道」とも説いている。
耳から入る音こそ、
生命のもっとも深みに届き、
深層を揺さぶり、
変革する力をもっている。
「文化の力」は偉大である。
人間の心を潤し、
心を広々と開いていく。
もちろん、真実の宗教もまた、
人々の心を
豊かに育んでいくものである。
言うなれば、
宗教と文化は表裏一体である。
学会は永遠に
「文化を大切にする団体」として
進んでまいりたい。
芸術は、
特別の人だけのものではない。
人を育てるのも芸術である。
自分を育てるのも芸術である。
美しい人生、
美しい行動、
美しい祈り。
全生命を燃焼させながら、
人間らしく、
美しい心と心を
結んでいくことは、
素晴らしい平和の芸術である。
歴史が動くとき、
そこには歌があった。
学会は、
歌とともに進んできた。
歌で勝ってきた。
歌は、力の源泉であり、
勇気の源泉であり、
喜びの源泉である。
さあ、力強く、
歌を歌って前進していこう!
2016年7月24日付聖教新聞 四季の励まし
2014年8月22日
教育とは「最高の芸術」である
――本物の独創性というのは、芸術家でなくても大切だと思います。これからの時代はとくに、もう「ものまね日本」ではやっていけないと思います。――
そうなるでしょう。
「創造性の競争」です。
しかし、創造性というのは言うはやすく、
実際には、なまやさしいものではない。
血の涙を流しながらの戦いです。
必ず保守的な人々の反対にあうし、
理解されない孤独にも耐えなければいけない。
勇気もいる。
粘り強さもいる。
目先の損得に迷わされない信念もいる。(中略)
諸君は、日本と世界を、
創造性あふれる文化的社会にしてもらいたい。
二十世紀は、あまりにも人を殺しすぎた。
二度の世界大戦をはじめとして――。
人類史でいちばん「文明が進んだ世紀」と言われながら、
歴史上、いちばん「野蛮な大量虐殺」を
してきたのが二十世紀なのです。
アウシュビッツ、
ヒロシマ・ナガサキ、
南京(大虐殺)、
スターリニズムなどは、
その悲劇の象徴です。
それは、「文明社会」の格好はしていても、
人間を愛する「文化の心」がなければ、
平和はないという教訓です。
その心がなければ、
「文明の利器」は、
たちまち「悪魔の道具」に変わるのです。
牧口先生は
“教育とは「人格の価値」を創造する、最高の芸術である”
と教えてくださっている。
不滅の言葉です。
芸術は、
特別な人だけのものではない。
人を育てるのも芸術です。
自分を育てるのも芸術です。
美しい人生、
美しい行動、
美しい祈り。
全生命を燃焼させながら、
人間らしく、
美しい心と心を結んでいくことは、
すばらしい平和の芸術です。
耕された生命と文化が一体となって、
二十一世紀の「人間文化」は生まれる。
開花しゆく生命と芸術が一体となって
「人間芸術」は生まれる。
そのすばらしき「創造の世紀」を創っていくのが、
諸君の使命なのです。
青春対話(1) 274頁
2013年11月22日
普遍的な広場
「仏法のすばらしさを、
より多くの人々と分かちあうには、
文化・教育・平和という
普遍的は広場をつくらなければいけないのです。
昔の学会は、色でいえば、『灰色』です。
それをカラフルな彩りに、変えたのです」
2013年10月27日
自行化他の実践こそ、
最高の人間芸術
2013年10月26日
文化交流こそ平和の近道
2013年10月25日
一流を見よ!
2013年6月2日