指導者(指導主義/リーダー)

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2024年3月1日

第2294回

指導者の責任の重さ

 

<どこまでも民衆が根本>

 

 ここで、指導者の責任の重さについて、

 一言申し上げておきたい。

 大聖人は「守護国家論」の冒頭で

 「悪趣に堕つるの縁・一に非ず」──人間が地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に堕ちてしまう縁は、一つだけではなく幾つもある──と述べられている。

 そして、その一つとして

 「国主と成つて民衆の歎きを知らざるに依り」と厳然と指摘されている。すなわち──「国主」という、一国の民衆に対して重大な責任ある立場にありながら、″民衆の歎き″を知らない。また知ろうともしないゆえに──と。

 

 そのような

 無責任で無慈悲な権力者、

 傲慢な指導者の罪は、はなはだ重いと。

 生命の厳しき因果律に照らして、

 必ず悪道に堕ち、ほかならぬ

 自分自身が大変な苦しみを受ける

 ──との御断言である。

 

 短い御言葉ながら、

 重大な原則を教えてくださっている。

 いわば全世界の

 指導的立場にある人への

 警告とも拝せよう。

 

 「民衆の歎き」を知る、

 「民衆の声」を聞く、

 「民衆の幸福」のために

 尽くしに尽くしていく。

 それが指導者の使命である。

 どこまでも民衆が根本である。

 

 指導者は民衆のためにこそ存在する。

 

 当然のようでありながら、

 この真実の″民主″の原理原則に

 生きぬく指導者は少ない。

 

 民衆に仕えていくのではなく、

 自身のエゴに仕えていく

 指導者が余りにも多い。

 

 因果の理法の裁きは厳しい。

 

 民衆に支えられてこそ得た

 自分の立場を利用し、

 どんな名声や財産や勲章で

 華やかに表面を飾ろうとも、

 その内実は、むなしい。

 いな飾れば飾るほど、

 民衆を忘れた堕落の生命は、

 悪道への因を一日また一日と刻んでいる。

 

 大聖人は、この厳たる生命内奥の

 事実を教えられることによって、

 真実の指導者の姿を

 示唆されていると拝される。

 

 心して「民衆の歎き」を知れ!

 そして、その幸福のために、

 すべてをなげうって戦え!

 ここに指導者の根本要件があると。

 

 世間の指導者に寄せて仰せになった、

 この御言葉はまた仏法の世界にも通じる。

 

 それどころか、仏法の世界で、

 人を救い、

 正しく導くべき立場にありながら、

 その責任を果たそうとしない罪は、

 比較にならぬほど重い。

 

 まして、守るべき仏子を軽侮けいぶし、利用し、

 いじめる者にいたっては、

 その罪は言葉で言い尽くすこともできない。

 

 反対に、皆さま方は日夜、

 広布のリーダーとして、

 懸命に民衆の嘆きに耳を傾け、

 その幸福を祈り、行動されている。

 仏法の眼、生命の因果の眼から見る時、

 いかなる栄誉の指導者よりも

 尊き、存在であられる。

 その無償にして、信念の行動に対して、

 御本仏の御称嘆はもとより、

 全宇宙の諸天善神が、皆さま方を

 守りに守っていくことは間違いない。

 

 私も戦う。

 指導者として、休みたくとも

 休むわけにはいかない。

 止まりたくとも、走るのを

 止めるわけにはいかない。

 その、広布への渾身こんしんの実践にこそ、

 大聖人の仏法の生きた脈動が、

 また魂があると信ずるからだ。

 

1988.3.24第1回和歌山県記念総会 (池田大作全集第70巻)


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2023年12月1日

第2276回

思いやりの振る舞いで

 

リーダーから、変わらなければいけない。>

 

 大聖人は、

 ある年の十二月の御手紙を、

 こう結ばれている。

 

「書きたいことは、たくさんありますが、

 年の瀬も迫り、御使いの方も急いでおられるので、

 これで筆を留め置くことにしました」(全1536・新1863、通解)

 年末の慌ただしいなか、

 使いの人までも思いやられながらの御振る舞いである。

 

 リーダーから、変わらなければいけない。

 リーダーの言葉一つ、振る舞い一つが、

 皆のやりがいとなり、喜びとなる。

 

 遠くから来てくれた方がいれば、

 「大変ななか、ありがとうございます」

 と最敬礼して迎える。

 

 帰られるときには、

 「くれぐれも事故に気をつけてください」

 「風邪などひかないようにしてください」と、

 必ずひとことかけていただきたい。

 

 「気を配ること」「気を使うこと」が、

 慈悲の表れである。

 

『池田大作全集』第99巻、419頁


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2023年10月19日

第2265回

指導者は「上」ではなく「中心」

 

 ―― あるメンバーは「幹部に会った時、とても態度が偉そうで、がっかりした」と言っていました。

 池田 戸田先生は、いばった幹部や、

 学会利用の人間を烈火の如く叱られた。

 「幹部は自分を会員の小使いだと思いなさい。

 いばるものは、学会から除名する」と。

 

 幹部は会員に奉仕するためにある。

 厳然と、皆を幸福にする責任がある。

 

 その責任を忘れた時に、

 信心を失い、退転への道が始まるのです。

 

 学会の組織は「上下」の関係ではない。

 リーダーは、レコードのような同心円の

 「中心者」であり、「責任者」なのです。

 

 幹部といっても、人間が作った役職にすぎない。

 大事なのは「信心」です。

 信心がなくなれば、

 どんな役職についていても功徳はありません。

 退転と一緒です。

 学会利用、組織利用、信心利用の人にすぎない。

 最後は、大聖人から断罪されるでしょう。

 

青春対話 Ⅰ 創価学会の組織とは 367頁


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2023年9月10日

第2249回

新しい世界の新しいリーダーの要件

(5)

 

 九番目、最後の項目では

 「皆の意見、要望、提案を聞く、対話の場やシステムをつくりだす」大切さが指摘されている。

 

 指導者には、

 つねに一人一人の意見を聞く

 「努力」と「心の余裕」がなければならない。

 他人の言うことに

 謙虚に耳を傾けられる人が「賢い人」である。

 よき指導者は「対話の力」を知っている。

 いかに「対話の場」「対話の時間」をつくるかに努力する。

 

 反対に、

 「平等の対話」を恐れ、

 避ける指導者は、時代に逆行し、

 民衆に敵対する独善者、独裁者であろう。

 

 以上、世界の知性が志向する「新しい世界の新しいリーダー」の要件は、いずれも、私たちが目指し、すでに実践してきたことと合致する。

 新時代のリーダー像について、これまでスピーチ等で何度も申し上げてきたが、ローマクラブの示す九項目に照らしてみても、学会の志向性は「世界の最先端」であると確信する。

 

1992.5.12第五回東京総会、全国代表者幹部会

″地球仏法″のネットワークは人類の希望

池田大作全集第80巻 379頁~385頁

 

<まとめ>

 新しい世界の新しいリーダーの要件

 ①「地球的な視野から物事をとらえ、行動していける」

 ②「変化に適応し、変革を起こす力がある」

 ③「功利主義に譲歩しない倫理観の強さ」

 ④「皆で十分に話し合い、さまざまな人の意見を聞いたうえで、きっぱりと決断し、行動する」

 ⑤「自ら学び、人にも学ぶ気を起こさせる能力」

 ⑥「状況が変化した時、問題が悪化した時、それに応じて、すばやく決定を変える勇気」

 ⑦「方針を皆にわかりやすく伝える力」

 ⑧「手段と目的をはっきり分ける能力」

 ⑨「皆の意見、要望、提案を聞く、対話の場やシステムをつくりだす」

(サイト・マスタ)

 


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2023年9月9日

第2248回

新しい世界の新しいリーダーの要件

(4)

 

 七点目

 「方針を皆にわかりやすく伝える力」があること。

 たとえ「方針」が素晴らしくても、

 皆がよくわかり、よく理解しなければ、

 現実の「力」とはならない。

 いかなる活動も、一人ではできない。

 独り善がりのリーダーには、

 だれもついていかないのは当然である。

 今、「何を」すればよいのか。

 「どのように」するのか。

 「何のために」するのか──それらを、

 「わかりやすく」伝えることが大事であり、

 「皆が納得できる」ための努力が必要である。

 

 八点目

 「手段と目的をはっきり分ける能力」があること。

 多くの運動も組織も、

 この点を間違えて敗退していく。

 「何のために」という目的を忘れて、

 自分のエゴが目的となってしまう。

 

 崇高な目的をも自分の欲望の手段にしてしまう。

 現宗門は、その典型である。

 大聖人の仏法も、広宣流布も、

 自分たちの″手段″にしてしまった。

 完全な転倒である。

 

 私どもの″目的″は、

 どこまでも「広宣流布」である。

 「世界の平和」であり、

 「人間の幸福」である。

 そのために、

 「学会の万代の発展」が絶対に必要となる。

 学会こそ、

 私たちが広布へ、平和へ、幸福へと

 進むための基盤であるからだ。

 

 学会を離れて、

 絶対に世界広宣流布はありえない。

 ゆえに学会を守り発展させねばならない。

 

 役職や機構などは、

 すべて、この″目的″への″手段″である。

 この根本原則を銘記すれば、

 多くのことが、はっきりと明快に見えてくる。

 (つづく)


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2023年9月8日

第2247回

新しい世界の新しいリーダーの要件

(3)

 

 五点目

 「自ら学び、人にも学ぶ気を起こさせる能力」である。

 リーダーは、まずみずからが、

 あらゆることを学んでいくことだ。

 勉強しない人は指導者ではない。

 ″進まざるは退転″である。

 きのうの自分と、きょうの自分が同じでは、

 信仰した意味がない。

 

 自分が学ばず、自分が動かないで、

 人にだけ、やらせようとするのは組織悪である。

 厳しく言えば、いわゆる

 ″組織人間″″組織バカ″にさえなってしまう。

 私は、今、もう一回、

 本当の「人間」をつくろうとしている。

 

 自分が学ぶ人間、自分が動く人間である。

 指導者がそうであれば、

 周囲はおのずと学び、動きはじめるものだ。

 

 六番目

 「状況が変化した時、問題が悪化した時、それに応じて、すばやく決定を変える勇気」である。

 広宣流布とは、

 一面、変化との戦いである。

 思いもよらぬ事態に直面することも当然である。

 それまでのやり方が通用しなくなる場合も多々あろう。

 ある意味では、その連続だと言ってよい。

 急な変化にも、

 速やかに対応できる

 「勇気」と「決断力」と「新鮮な発想」。

 そこに指導者の真価がある。

 

 どのような状況になっても、

 厳然と受けて立ち、

 本質を見極め、

 希望への道を明快にする。

 そして″あの人の言うことは正しい″

 ″納得できるし、やる気が出る″

 ″よしわかった。やろうじゃないか!″と、

 皆の力を引き出し、

 結集していけるリーダーであってほしい。

(つづく)

 


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2023年9月7日

第2246回

新しい世界の新しいリーダーの要件

(2)

 

 第三点

 「功利主義に譲歩しない倫理観の強さ」である。

 功利主義とは利益を第一とする考え方で、

 それに譲歩しないとは、

 「目先の利益にとらわれない、惑わされない」

 ということであろう。

 

 目先の利益を追い求める生き方は、

 初めは良いように見える場合もある。

 しかし長い目で見たとき、

 人生を最後の勝利で飾ることは難しい。

 信心の世界においては、なおさらである。

 

 大聖人は、

 信心は「水のごとく」と仰せである。

 私は、これまで四十年以上、信心し、

 さまざまな人生模様を見てきたが、

 水のごとく清らかに、

 たゆみなく進んだ人が勝利している。

 大聖人の仰せは絶対である。

 

 大切なことは、

 自らの信念のままに、

 進むべき道を毅然と進むことだ。

 ″自分は今、どうあるべきか″と常に自分を見つめ、

 日々、使命の道に出発していく

 ──「倫理観の強さ」とは、このことであろう。

 

 幹部になったとか、ならなかったとか、

 厳しく言われたとか、ほめられたとか

 ──いちいち、そうしたことで心が揺れたり、

 役職や立場に安住して堕落したり、

 それでは「信心」とはいえない。

 

 四点目

 「皆で十分に話し合い、さまざまな人の意見を聞いたうえで、きっぱりと決断し、行動する」ということ。

 「話し合い」と「行動」。

 この二つを同時にしていくことが大切である。

 話し合いながら動き、動きながら話し合う。

 ここに、学会伝統の強さがあった。

 

 皆の意見を十分に聞いたうえで、

 公平に判断し、決断する。

 そして決めた以上は、

 迷いなく″さあ、動こう!″と駆けていく。

 そうした

 ″打てば響くような″団結の行動を、

 お願いしたい。

(つづく)

 


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2023年9月6日

第2245回

新しい世界の新しいリーダーの要件

(1)

 

 さて「新しい世界の新しいリーダーの要件とは何か」。

 これについてローマクラブの最新報告書は、

 九項目にわたって考察している。

 一応、政治の指導者を念頭に置いたものだが、

 普遍的な内容であり、

 広宣流布のリーダー像を確認し学ぶ意味から、

 少し、わかりやすくして、ご紹介したい。

 

 まず一点目

 「地球的な視野から物事をとらえ、行動していける」

 ということである。

 我がSGIも、人類の幸福のために、

 一貫して「平和」「教育」「文化」の

 世界的な運動を展開してきた。

 そのネットワークは、今や地球的な規模にまで広がっている。

 

 一宗一派ではない。

 世界を視野に、全人類を包みゆくのが、

 大聖人の一閻浮提の仏法である。

 いわば「地球仏法」「人類仏法」

 ──その真価を発揮すべき時代である。

 今″新しい出発″を迎えた学会こそ、

 ″新しい世界″へと人類をリードできる存在なのである。

 

 第二点

 「変化に適応し、変革を起こす力がある」

 ということである。

 時代は変化している。

 すべては、刻々と移り変わる。

 変化を前に戸惑ったり、

 傍観しているだけでは、

 大きく取り残されてしまう。

 未来は開けない。

 ″敗北″である。

 「現状維持」の心は、すでに「後退」の心である。

 

 ″きのうの自分から、きょうの自分へ″

 ″きょうの自分よりも、あすの自分へ″と、

 常に成長していく。

 それでこそ皆に、勇気を与え、希望を与え、

 勝利へと導いていける。

 日々、変化し、日々、成長する。

 これが「人間革命」である。

 真の信仰者の人生である。

 いつもいつも同じ話、

 惰性の姿ではいけない。

 「変革の波」を、

 まず自分の心の中から起こしていただきたい。

(つづく)

  


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2022年10月8日

第2122回

指導者・勝利者は

三人前の働きをせよ

 

 

 ふたたび、牧口先生、戸田先生の指導に学びたい。

三人前の働きができる人になりなさい。

 三人前の働きをして、

 はじめて人の上に立つ指導者になれる

 これは、私自身、

 何度も戸田先生からお聞きした言葉である。

 

 三人前の働きをせよ。

 そうしていかなければ、

 指導者にはなれない。

 勝利者にはなれない

 ――これが、戸田先生の指導者論であった。

 

 戸田先生は、

 手抜きや官僚主義、要領に対しては、

 じつに厳しく叱咤された。

 嘘やインチキがあれば、激怒された。

 それはそれは、本当にこわい先生だった。

 私は、その先生の厳しき訓練を真正面から受けきった。

 だから、何も恐れるものはない。

 

2005.8.19各部合同研修会


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2022年9月6日

第2093回

今こそリーダー革命を

 

リーダー自身が人間革命>

 

いくさには大将軍を魂とす

 大将軍をくしぬれば歩兵つわもの臆病なり」(全1219㌻)

 心に刻むべき有名な御聖訓である。

 リーダーが勇気をもって打って出るのだ。

 勇気は勇気を呼ぶ。

 一波が万波となって、怒濡のごとく、

 勝利の大波がわき起こる。

 

 大事なことは、

 まず、リーダー自身が人間革命することである。

 きょうも前へ!

 明日も前へ!

 何があっても前へ!

 それに徹した人だけが、

 張ればれと、自分自身の栄光のゴールに

 到達できるのである。

 

 ナイチンゲールは喝破した。

 「進歩のない組織でもちこたえたものはない

 (湯槇ます監修司『ナイチンゲール著作集』2、編訳者代表・樽井坦子、現代社)

 彼女自身、

 よき看護師を育成するために、

 組織改革に情熱を注いだ。

 進歩のない組織では勝てない。

 それでは、もたない。

 滅びていく。

 

 組織が滅びるのは、

 人間が滅びるからである。

 団体も、人も、つねに進歩してこそ、

 激動の社会を勝ち越えていける。

 今こそ、

 リーダー革命を起こしてまいりたい。

 

2005.8.15代表幹部研修会


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2022年6月17日

第2028回

今こそ指導者革命を!

 

地球革命への挑戦>

 

 人類の未来を考えるとき、

 環境問題への取り組みほど重要なものはない。

 「手遅れにならないうちに」との思いから、

 私としても、

 できる限りの手を打ってきた。

 さまざまな提言も行ってきた。

 (=池田先生は、1992年、英国での「環境開発国際会議」において、論文「地球環境の保全に向けて」を発表した。さらに2002年、南アフリカでの「環境開発サミット」〈持続可能な開発に関する世界首脳会議〉の折には、「地球革命への挑戦――持続可能な未来のための教育」と題して記念提言を寄せている)

 

 きょうは、詳しくは申し上げないが、

 仏法の視点から見れば、

 「依正不二」と説かれるとおり、

 人間と自然とは一体である。

 ゆえに、

 人間の生命の「貪・瞋・癡」の三毒を、

 いかに変革し、浄化していくか

 ――その生命次元の転換に光を当てたのが、

 私どもの「人間革命」である。

 

 ともあれ、地球一体化の時代である。

 環境問題のみならず、

 あらゆる点において、

 地球的視野をもった指導者の存在が

 不可欠の時代に入っている。

 

 人類の未来のため、

 全民衆の幸福のため、

 わが身をなげうって戦う力あるリーダーを、

 どれだけ育成できるか。

 そこに私も、全力を注いでいる。

 今こそ、

 指導者革命、

 リーダー革命

 が必要なのである。

 

2005.6.8第50回本部幹部会、第12回全国婦人部総会他

 


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2022年5月12日

第1996回

リーダーの基本姿勢

 

<皆が主役、自分は脇役>

 

 はじめに、青年部の代表に記念の句を贈りたい。

 

  勝ちまくれ

    また勝ちまくりたる

      創価かな

 

 未来を託すのは、青年しかない。

 新しい歴史をつくるのは、

 青年の使命であり、特権である。

 

 どうか、

 自分のため、友のため、ご両親のためにも、

 世界一幸福な人生、

 勝利また勝利の栄光の人生を

 晴ればれと生きぬいていただきたい。

 

 私たちは、

 信心の絆で結ばれた″家族″である。

 久遠の同志である。

 だからこそ、未来のために、

 大切なことを率直に語っておきたい。

 

 先輩の幹部は、

 後輩を大事にしていくことだ。

 同志に最敬礼していくべきである。

 自分が目立とうとするのではなく、

 同志を讃え、後輩を立てていく。

 皆が主役である。

 自分はむしろ脇に回り、

 皆を支えていこう

 ――とのリーダーの基本姿勢を、

 よくよく胸に刻まなければならない。

 

 法華経に

 「当起遠迎、当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」(法華経六七七㌻)とある。

 

 日蓮大聖人と同じ心で

 広宣流布へ進みゆく同志を、

 仏を敬うように大切にしていく。

 真心を尽くて励ましていく。

 そういう人格の光るリーダーであってとそ、

 多くの友から信頼され、

 希望と力を与えていけるのである。

 

 広宣流布の「将の将」である皆さまは、

 どこまでも会員に尽くしぬき、

 「立派だ」「さすがだ」と

 讃えられる名指揮を、お願いしたい。

 すばらしき人生の総仕上げを飾っていただきたい。

 

2005.2.23全国最高協議会


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2022年5月9日

第1993回

「王道の指導者」

「広布の孔明」たれ

 

 

 私は二十七歳の時、友と『三国志』をはじめ中国の英傑をめぐって語りあった夜、日記に次のように記した。

 「曹操の勇を思う。項羽の大勇を念う。関羽の人格。張飛の力。孔明の智。孫権の若さ。

 ・・・・・・

 王道の人たれ、覇道の人になる勿れ。

 民衆の王たれ、権力の将になること勿れ。

 大衆の友たれ、財力の奴隷になる勿れ。

 善の智者たれ、悪の智慧者になること勿れ」(『若き日の日記』上。本全集第36巻収録)

 王道とは、私たちでいえば、

 会員のため、

 仏法のため、

 広宣流布のために、

 生きぬく人生である。

 

 覇道とは

 「何のため」という根本の目的を忘れ、

 己の私利私欲で、

 堕落し、

 みずから腐りはてていく人生のことである。

 

 人生は、

 地に足をつけて、

 一歩一歩進んでいくことだ。

 一度に頂上には登れない。

 一歩一歩、忍耐強く歩む人が、

 最後に必ず勝つのである。

 

 最後の最後まで、

 自分が決めた使命の天地で、

 雄々しき広布の名将として、

 生きて生きて生きぬいていくことだ。

 

 どうか皆さまは、

 創価学会を万代に盤石ならしめる

 「王道の指導者」

 「広布の諸葛孔明」として、

 堂々たる指揮を執っていただきたい。

 

2005.2.11方面長協議会


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2022年4月18日

第1976回

学会のリーダーの伝統

 

 <広布の一切の責任を担う>

 

 愛する同志のためならば、

 どこへでも駆けつけて、

 誠心誠意、尽くしぬいていく。

 広布の戦においては、

 自分が一切の責任を担う。

 仏敵は最後まで許さない。

 そして、断じて勝って結果を出す。

 

 それが学会のリーダーの伝統である。

 

 しかし、

 幹部がだんだんと年を取り、

 戦う心を失い、

 自分中心になってしまうならば、

 そうした新鮮な息吹がなくなってくる。

 それでは学会の組織は、

 絶対に弱体化する。

 

 そのことを戸田先生は

 口をすっばくして戒めておられた。

 名誉でもない。

 お金でもない。

 会員のためである。

 広宣流布のためである。

 私は、ただ、それに徹してきた。

 

 だれになんと言われようとも、

 戸田先生の言われたとおり、

 学会精神で戦ってきた。

 師弟の精神で生きてきた。

 同志愛の心で進んできた。

 だから勝ったのだ。

 学会精神は、戦う魂にこそ脈動する。

 

 それを戸田先生は、

 徹底して青年に教えてくださった。

 本当に偉大な先生であられた。

 

 ともあれ、私は、青年部時代に、

 戦って戦って戦いぬこうと決意した。

 傷だらけになろうが、

 たとえ早死にしようが、かまわない。

 「あれが学会青年部の本当の姿か!」

 「あれが戸田先生の真実の弟子の姿か!」

 と讃嘆される模範の生き方だけは残しておきたい。

 後に続く多くの青年たちのために。

 そう密かに誓っていた。

 

 その心を見抜かれた戸田先生は、おっしゃった。

 「お前は死のうとしている。

 俺に命をくれようとしている。

 それは困る。お前は生きぬけ。

 断じて生きぬけ。

 俺の命と交換するんだ」と。

 

 あまりにも厳粛な師弟の劇であった。

 若き青年部の皆さんもまた、

 わが青春の大闘争を、劇のごとく、

 見事に勝ち飾っていただきたい。

 

2005.4.4総東京代表協議会

 


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2022年4月13日

第1971回

リーダーの三条件

「責任感」「忍耐力」「包容力」

 

<仏は必ず勝つ!>

 

 

 自身の宿命を勝ち越える。

 悩める友に勇気を贈る。

 希望と安心の社会を築いていく――。

 われらの前進は、

 幸福と平和のための戦いだ

 どんな戦いにも、必ず勝利する。

 

 そのために、

 リーダーに求められる条件とは何か。

 それは、

 「責任感」「忍耐力」である。

 

 そして皆と語りあい、

 心を通わせていく「包容力」をもつことだ。

 この三つが大事である。

 

 断じて勝つ!

 その強き一念で進むことだ。

 仏法は勝負である。

 人生も勝負である。

 社会も勝負である。

 何もかもが勝負。

 それが現実なのである。

 

 であるのに、人がどうとか、

 自分の立場がどうとか、

 見栄ばかり張る。

 愚痴や文句ばかり言う。

 そういう人間は、

 戦う前から勝負に負けている。

 「魔」は、「奪命者」ともいう。

 魔に心を食い破られ、

 自分の力を奪われた姿といえよう。

 

 広宣流布――全人類の宿命を転換する道は、

 これ以外にない。

 ゆえに、絶対に勝つしかない。

 

 「開目抄」には、

「我日本の柱とならむ

 我日本の眼目とならむ

 我日本の大船とならむ等と

 ちかいし願やぶるべからず」

 と厳然と仰せである。

 これが仏の誓願なのである。

 

 そして、仏とは、

 魔軍の攻撃に打ち勝った「勝者」である。

 負けるような仏は、仏ではない。

 勝つために仏法はあるのだ。

 

 では、どこで勝つのか。

 自分が今いるところで勝つのである。

 いつか、どこかで、ではない。

 今いる使命の舞台で、

 全力を尽くして、

 「私はこれだけ広宣流布を広げた」

 「悔いはない。やりきった」

 と満足のいく勝利を飾ることである。

 

 まず一つ、勝利の記念碑を打ち立てる。

 そしてまた次の舞台へ。

 そこでも勝利を打ち立てる。

 これが、

 一生成仏の確たる軌道となっていく。

 

 学会活動には、

 一切、無駄がない。

 愛する地域を繁栄させていく。

 苦楽をともにする仲間を増やす。

 自分にとって、

 いちばんいい道を開く。

 価値ある充実の人生のリズムをつくる。

 それらが全部、

 広宣流布につながるのである。

 すべてに勝ちまくっていただきたい。

 

 わが地域で!

 今いる舞台で!

 わが使命の場所で勝利することが、

 自分自身に勝つことなのである。

 

 広宣流布へ進みゆく尊き民衆を、

 見くだし、裏切り、苦しめる。

 これほどの極悪はない。

 それらの魔性は、

 断じて許してはならない。

 黙っていてはいけない。

 痛烈に破折し、反撃し、

 悪の根を断つのだ。

 勇気の声が、

 邪悪を打ち破るのである。

 

 「正義の法城」を、

 わが地域に堂々と築きゆくことだ。

 そこから希望と幸福の光は広がる。

 

2005.3.25全国代表者会議


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2022年2月7日

第1894回

リーダーはどこまでも謙虚に

 

<消極的な考え方をするな!>

 

 中国の周恩来総理が、リーダーのあり方について警鐘を鳴らした言葉を紹介したい。

 「指導者のポストにつくと、謙虚さを失って、親しみにくくなり、自分は大したもので、何でも分かっていると思いこむ(中共中央文献編集委員会編『周恩来選集〈一九四九年〜一九七五年〉』中共中央ML著作編訳局訳、外文出版社)

 鋭い警告である。皆さんは、決して、そうなってはならない。とくに、学会員の皆さんは、純真で、人がいい。そのことに甘えてはいけない。リーダーは、どこまでも謙虚でなければならない。

 さらに周総理の言葉。

 「消極的な考え方は堕落の傾向にほかならない(『周恩来選集〈一九二六年〜一九四九年〉』、日本語版《周恩来選集》翻訳室訳、外文出版社)

 われわれの活動にも、同じことが言える。「広宣流布しよう!」「自分は折伏をとれだけやろう!」と、まず口に出していくことだ。時には、できないことだってあるだろう。その時は、また新たな目標に向かって、進んでいけばいいのである。

 皆と呼吸を合わせ、「よーし、この地区を一番にしてみせる!」と決意し、その決意を声に出していくことだ。「声仏事を為す」(御書七百八㌻等である。

2006年1月27日全国代表協議


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2022年1月24日

第1875回

語りに語れ!

自分らしく誠実に!

 

「世界平和」は一対一の

人間と人間の信頼から>

 

 リーダーは、

 同志をほめ讃える人であってほしい。

 

 言葉が力である。

 言葉が心である。

 

 何より、リーダーは、しゃべることだ。

 黙っていてはいけない。

 

 真剣に戦ってくださっている同志には、

 「ご苦労さまです」

 「ありがとうございます」

 と感謝の言葉をかけていっていただきたい。

 

 また当然、

 相手のことを知っていればいるほど、

 会話は弾む。

 ゆえに、

 相手を知る努力を惜しまないことである。

 そのうえで、

 あとは自分らしく、

 誠実に語っていけばいいのである。

 私も、さまざまな人と対話を重ねてきた。

 (中略)

 立場はどうあれ、皆、同じ人間である。

 

 こちらから心を聞き、

 信義を尽くせば、

 必ず分かり合える。

 その一点に立って、私は、懸命に、

 友情の橋を懸け、

 平和の礎を築いてきた。

 

 「世界平和」といっても、

 一対一の人間と人間の信頼から始まる。

 それが私の変わらぬ信念である。

 

2006年1月12日 神奈川・静岡合同協議会

 


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2021年11月3日

第1769回

学会は指導主義

 

<その人の幸せを祈る>

 

 壮年の一人が、伸一に尋ねた。

 「私には、人に信心を教えるような経験も、実力もありません。これから、支部の幹部として、みんなから相談をもちかけられた場合、どうすればよいでしょうか」

 真摯な質問であった。伸一は微笑んだ。

 「経験は、これから積めばいいんです。学会は指導主義です。指導は、教授とは違う。自分が習得したものを人に教えるのが教授ですが、

 

 指導というのは、

 進むべき道を指し示し、

 ともに進んでいくことです。

 したがって、

 御書にはこう仰せである、

 学会ではこう教えていると、

 語っていけばいいんです。

 そして、一緒に、

 その人の幸せを祈ってあげることです。

 

 これは、誰にでもできることだが、人間として最も尊い行為です。自分のために、祈ってくれる同志がいるということほど、心強いことはありません。それが、最大の力になり、激励になります。また、これからアメリカには、日本から幹部を派遣しますから、わからないことは、その人に率直に聞いてください。リーダーとして、大切なことは求道心です」

 伸一は、幹部の基本を、諄々と話していった。

 

<新・人間革命> 第1巻 開拓者 336頁


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2021年10月18日

第1748回

大切な仏子を不幸にさせてなるものか

 

 十条は、座談会の様子を詳しく伝えた後、伸一に尋ねた。

 「私たちとしては、一生懸命にやったつもりです。しかし、先生が出席された座談会とは、どこか雰囲気が違うのです。先生、この違いは、どこにあるのでしょうか」

 伸一は静かに頷くと、強い語調で語り始めた。

 「私も、何か特別なことをしているわけではない。ただ〝大切な仏子を不幸にさせてなるものか〟〝この人たちを幸せに導くチャンスは今しかない〟との思いでいつも戦っている。その一念が、皆の心を開いていく力になる。

 わが子のことを常に思い、愛する母親は、泣き声一つで子どもが何を欲しているかがわかる。また、子どもは、その母の声を聞けば安心する。同じように、幹部に友を思う強い一念があれば、みんなが何を悩み、何を望んでいるのかもわかるし、心も通じ合うものだ。

 そのうえで、何を、どう話せば、皆がよく理解できるのか、心から納得できるのか、さまざまな角度から考えていかねばならない。大事なことは、そうした努力を重ねていくことだ。私も、会合に臨む時には全力で準備にあたっている。考えに考え、工夫している。それが指導者の義務だからだよ。

 幹部の話が、いつも同じで話題に乏しく、新鮮さもないというのは、参加者に対して失礼です。それは幹部が、惰性に流されている無責任な姿だ」

 十条は、伸一の話を聞きながら、自分の姿勢を深く恥じた。

 

<新・人間革命> 第1巻 錦秋 162頁~163頁


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2021年10月6日

第1735回

みんなのために戦うリーダー

 

 「これからの人生は、地区部長として、私とともに、みんなの幸せのために生きてください。社会の人は、自分や家族の幸せを考えて生きるだけで精いっぱいです。そのなかで、自ら多くの悩みを抱えながら、友のため、法のため、広布のために生きることは、確かに大変なことといえます。しかし、実は、みんなのために悩み、祈り、戦っていること自体が、既に自分の境涯を乗り越え、偉大なる人間革命の突破口を開いている証拠なんです。

 また、組織というのは、中心者の一念で、どのようにも変わっていきます。常にみんなのために戦うリーダーには、人は付いてきます。しかし、目的が自分の名聞名利であれば、いつか人びとはその本質を見抜き、付いてこなくなります」

 

<新・人間革命> 第1巻 旭日 76頁~77頁


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2020年11月20日

第1697回

会員からの信頼

有りや無しや

 

 会員から信頼されなけれ

 ば真の指導はできない―

 恩師。幹部率先で範示せ

 

2020.11.20付聖教新聞 寸鉄11月20日


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2020年8月20日

第1692回

戦いは、攻撃精神

 

 戸田先生は、「戦いは、あくまでも攻撃だよ。攻撃精神だよ」とおっしゃった。

 また、人材育成について「大事にするのは、そっとして置くこことは違う。うんと働かせるほうがいいぞ」とも訴えられた。

 学会の師弟の世界が、心ない中傷にさらされ、同志が馬鹿にされた時、「本気で怒る人」「死にものぐるいで戦う人」こそ、本物のリーダーである。それを、真剣に怒らず、高みの見物をしているような人間は、偽物である。絶対に信用してはならない。とくに、未来のために、若い世代を育てるために、本当のことを言っておきたいのである。

 純粋な学会員の皆さまのおかげで、創価学会は世界に広がった。大発展した。だからこそ、最高幹部の責任は重い。懸命に広布に励んでくださる、大切な同志が苦しむようなことがあってはならない。尊き民衆の城を護りゆくために、リーダーはみずからが矢面に立って邪悪と戦っていくのだ

 イギリスの詩人シェリーは「肩書は虚飾、権力は堕落」(『飛び立つ鷲』阿部美春・上野和廣・浦壁寿子・杉野徹・宮北恵子訳、南雲堂)

 外から、内から、和合の団結を破壊しようとする動き。慈愛のかけらもなく、己の醜い欲のために、うるわしい世界を食い物にしようとする魔性――。そうした魔の蠢動を打ち破るのは、「信心の剣」である。戸田先生が、おっしゃっていた「攻撃精神」なのである。

 

2006.3.29「5・3」記念協議会


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2019年8月5日

 第1617回
指導者の真価

 

<民衆のために、どれだけ尽くしたか>

 

 指導者の真価は、どこにあるか。
 人気ではない。格好でもない。「民衆のために、どれだけ尽くしたか」。その信念と行動で決まる。
 指導者は、哲学をもつべきである。人類を幸福にし、平和の方向に向けていく、正しい哲学がなければならない。
 われらは妙法という人間主義の大哲学をもっている。それを実行し、広めている。世界最高の指導者の存在なのである。
 ユゴーは喝破した。
 「総ての偉人は諸君以上に侮辱されて居る」(「追放」神津道一訳、『ユーゴー全集』9所収、ユーゴー全集刊行会)
 しかし――正義なればこそ断じて勝て! われらの最後の勝利を見よ! これが巌窟王の精神である。
10  勝利は、必死の祈りから始まる。師弟不二の誓いから始まる。
 「荘厳にして偉大なる仏の軍勢である創価学会を、未来永遠に守り、発展させていこう」
 「どこまでも、広宣流布のために!」
 この心で、リーダーは前進することだ。
 一家の太陽は母親である。創価学会の太陽は婦人部である。
 友に勇気を送り、社会に希望を広げる「偉大なる光」は女性である。
 男性の幹部は、婦人部の皆さまを徹して大事にしていただきたい。
戸田先生は、大難の獄中で、「我、地涌の菩薩なり!」と覚知された。その体験を通し、こう語られた。
 「心の底から人生に惑わず、真の天命を知った姿こそ、人間革命の真髄である」(『戸田城聖全集』1)
 「真の天命」。それは広宣流布である。私たちの信心の究極の目的である。
 戸田先生は、「青年ならば、この天命に生きぬけ!」と叱咤された。
 すなわち、「真に国家を憂い、民衆の幸福を願うの心ある青年であるならば、まず自らが、この高邁な人間革命の真髄を求めて、いかなる三類の強敵・三障四魔とも戦い抜き、勝ち抜いて、勇猛精進すべきではなかろうか」(同前)と叫ばれたのである。
 広宣流布に進めば、三類の強敵、三障四魔が競い起こるのは当たり前である。そのときこそ、青年は、わが正義を叫ぶべきである。堂々と師子吼すべきである。
 「勇猛精進」こそ、学会青年部の魂でなければならない。

 

2002.8.2全国最高協議会


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2018年11月18日

第1556回
リーダーは信念を「行動」に移せ

 

<「人材育成」と「悪との闘争」>


 リーダーの要件とは何か? 創大生の質問に答えて、趙博士は次のような資質を挙げられた。
 「すべての構成員の意見を、十分に、かつ広く受け入れる姿勢」
 「物事を冷静に判断する知性と正しい決断力」
 「正しいことを確実に実行する行動力とリーダーシップ」
 「自分の考えをわかりやすく皆に伝えて説得する力」
 「対外的な情報を得る力」「明確な将来の展望」である。
 (さらに博士は「これらのリーダーの要件は、池田先生のご指導のもと、活動を進めていけば、自然に身につくものと思います」と)
 また趙博士は、「リーダーは、(就任して)一カ月のうちに、その信念を行動に移さなければ、構成員から信頼されなくなる」とも喝破されている。そのとおりである。いわんや、仏法は「月月・日日につよ強り給へ」である。
 どうか、広宣流布の組織のリーダーとして戦える誇りと責任をもって、日々、月々、決意新たに前進していただきたい。学会活動は一切、無駄がない。「人間革命」と「指導者育成」の直道なのである。
 ともかく、戦いの根本は、「人をつくること」である。後輩を自分以上の人材に育てていくことだ。それが、最重要の課題である。そして、広布を阻む″一凶″とは徹底して戦っていくことだ。決して放置しておいてはならない。最大の敵は、自分自身の中にいる。極悪と戦ってこそ、「自分の中の敵」に打ち勝っていけるのである。
 「人材育成」と「悪との闘争」――これが、広宣流布の組織をさらに伸ばし、拡大させていくポイントである。
 広宣流布は最高の正義である。正義ゆえに勝たねばならない。負けるような正義は、正義ではない。
 東京は、まだまだ、持てる力が十分にある。その潜在力をさらに発揮するためには、リーダーが「先頭に立って」動くことである。「率先して」戦うことである。「団結して」ダイナミックに行動していくことである。

 

2001年8月19日 東京会研修会


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2018年10月10日

第1533回
リーダーの4つの心すべき事

 

<創価学会には、

”服従”という関係は絶対にない>

 

 「皆さん方は、官僚主義になってはいけません。上の人たちが威張ると後輩がかわいそうです。
 創価学会は信心の世界です。後輩の信心を少しでも伸ばし、後輩が安心して伸び伸びと成長できるような先輩幹部になっていただきたい。これだけが、私の祈るような願いなのです。」


 「(第一には)幹部は会員のことをよく理解してあげてください。仕事が特に忙しいとか、いろいろな事情で学会活動が思うようにできない人もいますが、よく納得できるように話し合いをしてください。そういう対話をすることを忘れてはいけません。
 創価学会には、”服従”という関係は絶対にないのです。理解してあげ、それで実質的に活動できるよう、対話、激励をしていただきたいのです」


 「第二には、感情的になってはいけません。感情的になることは一切の失敗の原因になります。そうした戦いは負けます。あくまで、明るい、仲の良い方向へ、たえず向かっていき、包容力を持って指導していかねばなりません」


 「第三には、礼儀正しくしていただきたい。『親しき仲にも礼儀あり』です。会合の場合、会場になった家に対しても礼儀を尽くし、また、メンバーに対しても礼儀正しく接していっていただきたい。お互いに地涌の菩薩ですから、当然のことです。
 もしも、威張ったり、非常識な振る舞いがあったりしたならば、皆が離れてしまいます。立派な幹部ほど礼儀正しいのです」


 「最後に、同志、後輩を疲れさせてはいけません。少しでも顔色が悪かったり、疲れていたりするような場合は、早く休ませてあげてください。皆を疲れさせる指導者は愚かです。できるだけ休ませてあげましょう。また、温かい言葉を掛けて励ましてあげてください。それが賢明な指導者です」


1968年1月21日 本部幹部会

大白蓮華2018年10月号№828 23頁


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2017年5月23日

 大確信の名指揮を

 

<いかなる嵐にも揺らいではならない!>

 

一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ・又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』(乙御前御消息、1220頁)――一つの船に乗り合わせた時、船頭の舵取りが悪ければ、船に乗った人々は一斉に命を落としてしまう。また、体が強い人でも、心が弱ければ多くの才能も役に立たない。――


 ひとたび船出したからには舵取りの責任は重大だ。リーダーは、いかなる嵐にも決して揺らいではならない。
 断じて皆を守り、幸と勝利の港へ導いてみせると、強盛に祈り抜くのだ。その信力・行力の強さによって、仏力・法力も必ず強くなる。
 苦労が大きい分、福徳もまた大きい。一人一人の力を引き出しながら、一切の波濤を越えゆく名指揮を頼む!

 

〈御書と歩む――池田先生が贈る指針〉65   2017年5月23日

 


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2017年2月15日

 指導者は後世のために道を開け!

 

<常に先手、先手を打ち、死にものぐるいで> 

 

 新進のリーダーに、山岡壮八氏の小説『徳川家康』の一節を贈りたい。
 「戦はの、始まったら士気の鼓舞じゃ。いったん火蓋を切ったうえはつねに陣頭に立つほどの覚悟がなくてはならぬが、始まる前に知っておかねばならぬことは、掛け声や、空威張りの擬態ではない」(『徳川家康17』講談社文庫)
 指導者は、ひとたび広宣流布の舞台に立ったならば、常に先手、先手を打ち、死にものぐるいで、後世のために道を開かねばならない。
 私は、どんな苦境にあっても、その実践を貫いてきたつもりである。
 1万日の獄中闘争を戦ったマンデラ前大統領(南アフリカ)が述べている。
 「人格はきびしい状況のもとでこそ測られる」(東江一紀訳『自由への長い道(下)』日本放送出版協会)
 多忙な日程を割いて、会いに来てくださったことを、私は忘れない。<1990年10月、聖教新聞社で初会見。95年7月迎賓館で再会>
 また、広布の指導者は、会合の話一つとっても、新鮮味がなければならない。そこから、波動を起こさなければならない。
 話に幅がない。体験がない。勉強がない。求道心がない。それでは、幹部失格である。
 自分に求道心がなくして、相手に求道心がわいてくるわけがない。
 一対一であれ、会合の形であれ、人間の語らいは、一念と一念のぶつかりあいだからである。

 

2007年9月28日 全国代表協議会


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2017年2月6日

道を開け、新しい歴史をつくれ!

 

<想像を絶する苦闘あり>

 

 ドイツの大文豪ゲーテは、「勇気」と題した詩のなかで、こう歌った。


 「最も大胆な先達の手で
  路(みち)は開かれて居ない所は
  汝みずからそれをひらけ


 広宣流布の指導者ならば、死にものぐるいで道を開くことだ。
 私は戸田先生の弟子となり、先生に命懸けでお仕えした。
 お金もなかった。批判ばかりであった。
 その苦闘の日々は、皆さんには想像もつかないだろう。
 先生亡き後も、正義ゆえの難を一身に受けながら、ただ恩師の構想の実現のために戦った。そして、恩師を世界に知らしめてきた。
 真剣でなければ、道は開けない。新しい歴史をつくるのは、必死の一人である。
 皆さんは、決然と一人立つ勇者であっていただきたいのだ。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

 


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2017年2月5日

中心者で決まる

 

 戸田先生は指導しておられた。
 「中心者がしっかりせよ!
  なんといっても、まず責任を持つ自分自身が、どう戦うか。
  それが何よりも大切だということを、自覚しなければならない
 どんな戦いも、中心者で決まる。
 リーダーは、皆を激励するにしても、真実の勇気が光る話をしなければならない。表面だけ飾ったような、つくったような話では、友の心を動かすことはできない。
 またゲーテは、こうも訴えていた。
 「人間、つねに積極的にふるまわなければならない、つねに新しく建築し、他人をおとしめることにかかずらってはならない
 どこまでも明るく、前へ、前へと進む。新たな建設へ挑みゆく。
 皆様は、勇気と誠実の振る舞いで、多くの人々に希望を贈る存在であっていただきたい。

 

2009年4月14日 全国代表協議会

 


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2017年1月6日

世界のリーダーが心すべきこと

 

①役職に人間としての上下の関係はない

②世法と信心を混同するな!

③メンバーの幸福こそが目的であり、組織は手段

 

 東南アジア代表者懇談会で山本伸一は、各国・地域のリーダーとしての在り方を語っていった。
 「何も社会に貢献せず、自分のことだけを考えて生きていく一生もある。仏法のため、自他共の永遠の幸福のために、一生懸命、仏道修行に励むのも一生である。なかには、信心していても、本気になって広宣流布に取り組むのではなく、要領よく立ち回ろうという人もいるかもしれない。
 しかし、人の目はごまかせたとしても、誰人も因果の理法から逃れることはできない。仏法の因果は厳然です。御本尊は一切を御照覧です。したがって、仏法の眼から見た時、アジアの広布の先駆者として立派に道を切り開かれてきた皆さんの功績は偉大であり、その功徳はあまりにも大きい。
 日蓮大聖人は、『始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん』(御書一四四〇ページ)と仰せである。ゆえに、皆さんは、妙法流布の生涯を凜々しく生き抜いていただきたい。信心を全うしていくならば、何があっても崩れることのない幸福境涯を確立し、福運に輝く人生を謳歌できることは間違いありません」
 そして、これからの世界のリーダーが心すべきこととして、次の三点を語った。
 「第一に、皆が尊い仏子です。学会には、組織の機能のうえでの役職はありますが、人間としての上下の関係はありません。ゆえに組織にあって、幹部だからといって、決して人を叱るようなことがあってはならない
 第二に、世法と信心を混同し、学会のなかで、利害の対立などによって、争いを起こすようなことがあっては絶対になりません
 第三に、どこまでもメンバーの幸福こそが目的であり、組織は手段であることを銘記していただきたい。その意味からも、信心の姿勢について厳格であることはよいが、組織の運営等については皆の意見をよく聴き、各人の主体性を尊重し、人間共和の組織をめざしていくことが肝要です

 

 2017年1月5日 小説新・人間革命 大山 三


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2016年12月4日5日

リーダーの要件(完)

 

「リーダーが皆を守る」のが学会精神だ

 

 戸田先生は、

 あるとき「指導者の根本姿勢」を指導された。

 それは皆が「支部長は会長を守り」「地区部長は支部長を守り」云々と言っているのを受けられての話である。


しからば、私がきみたちに守ってもらっているか。

 支部長に守られているか。

 けっして守られていない。

 それより、支部長をかばってあげている。

 支部長にかばってもらってきていない。

 支部長に守ってきてもらっていない。

 あまり迷惑をかけないようにしてもらいたいといいたい。

 いま、支部長で、

 地区部長に守られているようなものは出ていきなさい。

 支部長は、地区部長を守ってあげるのです。

 これを支部長に命令します。


 また、地5区部長は班長に守られているようではいけない。

 すると、ある班長が、

 うちの地区部長は守ってくれないと言う。

 もしそんな班長がいたら、

 きょうかぎりやめなさい。

 守られなくてもいいではないか。

 

 班長は組長を、

 組長は組員を守りなさい。

 これが学会の精神です」(昭和二十九年五月、本部幹部会)


 一つの目的に向かって進んでいるのだから、

 “中心者を守る”のは当然であろう。

 しかし、それだけを強調すると、

 下にばかりいばり、

 上にへつらう者も出てくる。
 リーダーが、

 人に何かやってもらうことを

 当たり前のように考え、

 甘えたり、傲慢になる。

 そこで戸田先生は、

 「リーダーが皆を守る」のが学会精神だ、

 と教えられたのである。


 私も、いつも人を守ってきた。

 守りすぎるくらいに守った。

 と言えるかもしれない。

 人に何かやらせよう、

 利用しようというのではなく、

 自分が苦労して皆を守ってあげる。

 この厳然たる精神に、

 人間としての王道がある。

 また、自他ともに功徳を受け、

 栄えゆく道がある。


 学会が大発展したのはなぜか。

 「極善」の妙法を根本に、

 「極悪」と戦ってきたからである。

 そして、「会員第一」できたからである。
 私は会員の皆さまを幸福にするために生きている。

 それ以外に何もない。

 会員の皆さまの屋根となって、

 一身に難を受け、守りに守ってきた。

 これからも、この決心で生きぬいていく。

 

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)


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2016年12月3日

リーダーの要件(7)

 

<指導者は人に好かれよ>

 

 また「指導者は人に好かれよ」と言っておきたい。
 戸田先生もよく、「指導といっても、皆に嫌われたら、おしまいだ。通じるはずがない」と言われていた。とくに女性は、好きか嫌いかが、すべて(爆笑)、という傾向があるといわれる。「好かれよ」といっても、人気取りや、へつらいではない。皆の幸せを思う「大誠実」、「皆のために陰で苦労していく「責任感」に対して、自然に生まれる信頼感である。

(つづく)

 

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)


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2016年12月2日

リーダーの要件(6)


 <指導者は仲良く>

 

 次に「指導者は仲良く」と申し上げておきたい。
 どんな立派なことを言っても、また、どんな力があったとしても、リーダー同士の仲が悪かったならば、だれも納得しないし、どんな努力も結実しない。皆がかわいそうである。
 リーダー同士の異体同心。その「信心の根本の団結」にこそ、仏界の力は脈動する。どんなことがあっても、仲良く、おたがいの意見に耳をかたむけ、尊敬しあっていくべきである。
 近くにいると、人の欠点が目につき、いろいろと指摘したくなるものだ。しかし、たがいに欠点を指摘しあっても、きりがない。凡夫であるから、必ず欠点がある。要は、たがいに補いあい、長所を生かしきっていくことである。
 だれが上で、だれが下とか、あの人がこうだからとか、この人がこうしてくれたらとか、そういうことよりも、自分自身が一人、決然と立ち上がり、奮迅の戦いを開始することだ。自分が「一人立つ」――そこに本当の団結が生まれる。
 (つづく)

 

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)


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2016年11月28日

リーダーの要件(5)


 <建設的な反対意見を大切に>

 

 佐渡御流罪中、大聖人は、門下一同に、『かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ』(法華行者逢難事、965頁)――このような濁った世には、たがいにつねに話し合って、たえず来世(までもの永遠の幸福)を願っていきなさい――と励ましておられる。
 「たがいにつねに話し合って」と仰せである。私どもはおたがいが「善知識」である。その意味で、皆の意見を公平によく聞くことである。知恵は第一線にある。
 戸田先生は「建設的な反対意見を出す者がなければ、その組織は発展しない」と言われた。大きな心で、皆の意見を採用してあげる度量が必要である。
(つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)


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2016年11月27日

リーダーの要件(4)


 <納得と、希望を「指さし」、

幸福へと「導く」指導主義>

 

 戸田先生はまた、「指導である以上、相手に納得のいくようにしてやらなければならぬ」(『戸田城聖全集』第一巻)と。
  人間は、心から納得すれば、自分からすすんで行動する。自発の行動には喜びがある。喜びの「心」が功徳を生み、結果を生む。一方的な指導や、自分しかわからない理屈、裏づけのない話で、人の心をつかめるはずがない。
  戸田先生は「要するに、御本尊を信ずる力と、慈悲とに満ちて、友として指導するものこそ、指導者の自覚を得たものというべきではないか」(同)と。
  「友として」と言われている。命令主義ではない。対話主義であり、“ともに目標に進もうではないか”と希望を「指さし」、幸福へと「導く」指導主義である。
(つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)


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2016年11月22日

リーダーの要件(3)


 <「官僚主義に挑戦せよ」

「惰性や権威主義を打ち壊せ」>

 

 戸田先生は、権威主義が大嫌いであった。官僚主義が大嫌いであられた。
 学会の組織は、政治性の組織でも、利害のための組織でもない。事務的な機構のみの世界でもない。生命と生命、人格と人格の関係の世界である。信頼と同志愛、たがいの尊敬と啓発の世界である。学会は人間主義の団体なのである。
 一般に、官僚主義の欠点とされるのは、次のようなことである。
 「上にへつらい、下にいばる」
 「地位や肩書で人を見る」
 「自分中心で保身を第一とし、責任感がない」
 「独善的で、差別的で、秘密主義である」
 「石頭で、杓子定規。視野が狭い」
 「前例に強くこだわり、新しいものや、創造的なものを嫌う」
 「思いやりや人間味に欠ける」
 こんな幹部は、四国には少ないと思うが(笑い)、要するに「民衆第一」の姿勢の正反対であり、「価値創造(創価)」の反対である。自分も硬直し、人をも抑えつける。みずみずしい感動がない。和合がない。
 学会のリーダーは、絶対に官僚主義になってはならない。命令主義、組織主義であってはならない。リーダーが、細かいところまで気を配り、心を配り、かゆいところに手が届くくらいの真剣さで、一人一人のことを大切にしていくとき、初めてあたたかい、血の通った組織ができてくる。
 それは自分自身の惰性との、たゆみなき戦いである。「官僚主義に挑戦せよ」「惰性や権威主義を打ち壊せ」と申し上げておきたい。
(つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)


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2016年11月17日

リーダーの要件(2)


 <祈りを根本>

 

 リーダーの要件として、第二に、「祈りを根本」と申し上げたい。
 大聖人は、在家の婦人(富木常忍の夫人)が病気と聞いて、こう励まされた。
 『尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり』(富木殿御返事、978頁)
 ――尼御前のご病気のことは、わが身一身の上のことと思っておりますので、昼も夜も(夫人の健康を)諸天に祈っております―ー。
 「一人の人を大切にする」と言っても、根本は、その人のことを祈っていくことである。祈りもなく、真心もなくして、口先だけの指導などで、人を救えるはずがない。誠実しかない。策ではない。根底に相手を思う一念があり、祈りがあれば、最後は全部、いちばん良い方向へいく。
 大聖人は、一婦人の病気を、“私自身の一身のことである”と言われて、祈ってくださった。大聖人は、本当の仏様であられた。この大慈悲を拝して、万分の一でも、友のため、悩める人のために祈り、行動していく。その人が真の大聖人門下である。学会のリーダーである。
 学会の組織にむだはない。苦労すべき責任が大きくなればなるほど、大きな功徳を受ける。
 戸田先生は「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。かんたんなことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」(戸田城聖全集第四巻)と言われた。
 大事なのは「信心」である。自分だけでなく、何十人、何百人、何千人もの人を幸福にするのだ、功徳を受けさせるのだ。人材に育てるのだという一念で、題目を唱え、行動することである。
 それだけの、信力、行力があれば、その分、偉大なる仏力・法力が、わが身に顕れないはずがない。
 (つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)


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2016年11月16日

リーダーの要件(1)


 <組織や役職は手段、

「人を幸福にする」ことこそが目的>


 皆の幸福のために、自分が苦労する。それが仏である。自分の名利のために、皆を犠牲にする。それは仏とは反対であり、魔性である。その究極が日顕宗である。
 創価学会は「御本尊直結の教団」である。私どもは不思議なる「御本仏の一族」である。
 戸田先生は「学会の組織は戸田の命より大事だ」とまで言われた。それは、広宣流布を実現できる唯一の組織だからである。全民衆を幸福にするための組織だからである。
 悩める人を幸せにする、そのために学会の組織はある。そのために学会の幹部は存在する。
 大聖人は「平等大慧」と仰せである。すべての人々を平等に救っていくのが、仏の広大な智慧であり、慈悲である。仏は決して差別をしない。
 仏の使いである学会のリーダーも、相手の役職とか立場とかにとらわれず、一切の人に平等に、あたたかく、親切に振る舞っていくことである。同志は皆、仏の当体であると尊敬し、一人一人を大事にしていくことである。
 組織に役職があるのは、幹部がいばるためではない。
 成仏という絶対の幸福へと、一人ももれなく、まっしぐらに前進するためである。
 皆が安心し、希望をもち、伸び伸びと信心し、成長していくためである。
 強い団結をもって、民衆の幸福を妨げる魔との戦いに、ことごとく勝利するためである。
 その意味で、妙法を教えて「人を幸福にする」ことこそが目的であり、組織や役職は、そのための手段ともいえる。ゆえに、いばる幹部は、断じて学会の本当の幹部ではない。
(つづく)

1994(平成5)年12月1日 四国最高会議(抜粋)


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2016年10月28日

リーダーの心構え


 リーダーの心構えについて、少々申し上げておきたい。
 広宣流布の前進において、無責任で自分勝手な、人まかせの心があってはならない。
 リーダー自身が苦しんでやり遂げたものだけが、立派に輝くのだ。
 中心者が要領を使い、楽をすれば、まわりも真似をし始める。そうすると、広宣流布という民衆運動の“本体”がなくなってしまう。“格好”だけは動いていても、“中身”が失われる。
 責任者が苦労し、悩む。ともに戦う同志に対して、「ありがとう」「ご苦労さま」「本当によくやってくれました」と深く感謝し、ほめ讃える。
 そうした誠実な振る舞い、真剣な言葉がばければ、温かな、血の通い合う世界ではなくなってしまう。
 どれだけ戦っても、ほめられない。そんなリーダーのもとでは、まるで、“機械”のように扱われていると感じるかもしれない。
 「人間」は、どこまでも「人間」である。皆、等しく尊貴であり、かけがえのない使命がある。これを決して忘れてはならない。
 細かいことのように聞こえるかも知れないが、指導者の一分の隙、わずかな傲慢が、知らず知らずのうちに、尊い和合を壊していってしまう。未来のために、あえて申し上げておきたい。
 ともあれ、責任ある立場にありながら、自分自身が苦労を避ける指導者は、最低であり、危険である。
 人をうまく利用して、自分はいい子になって、疲れないようにする。それで人材が育つはずがない。
 トップが自覚し、責任を持たなかったら、組織は崩れる。それが方程式である。

 

2009年2月23日付聖教新聞(2~3面) 2009年2月18日 婦人部・女子部最高協議会でのスピーチ


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2016年10月23日

仏縁を結べば生々世々、大指導者に


 <全て眷属となり、諸天善神となり、幸福の地盤となる>

 

若々しいということが
最高の力であり、財産であり、勝利である

 仏法は「三世」で見る。過去・現在・未来の三世の生命観に照らして、一切を見る。
 三世の生命という鏡に照らせば、自分が会い、仏縁を結んだ人々は皆、生々世々、自分の眷属となっていく。面倒をみた人が皆、自分を守ってくれる諸天善神と変わる。
 たくさんの人の面倒をみた人は、必ず生々世々、大指導者になっていく。自分だけでなく、その人々をも、幸福の軌道へと導くことができる。
 また、広布のために歩き、行動した地域は、すべて自分自身の金剛不滅の幸福の地盤となっていく。
 信心にむだはない。損はない。
 人のため、法のための一切の行動が、宝の福徳を積んでいることを確信していただきたい。これが冥益である。
 ゆえに、皆さまは若々しく進んでいただきたい。
 若々しいということが、最高の力であり、財産であり、勝利である。

 

2015年3月2日付聖教新聞本部幹部会での池田SGI会長メッセージ


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2016年10月19日

「一言」の持つ影響力

 

<確信ある指導>

 

 「一言」の持つ影響力について歴史の上から少々申し上げておきたい。確信ある指導、確信ある言々句々がどれほど大事であるか。また、このことを踏まえなければ、真の指導者とはいえないからである。
 一五九六年(文禄五年)十月、スペイン船サン・フェリペ号が土佐に漂着。同船の水先案内人(航海長、他の乗組員説も)が、豊臣秀吉の臣下に失言した。それは「スペインは、今や世界に広大な領土をもっている。それらの国々を占領するに当たっては、まず宣教師を送って住民の心をとらえ、その後、彼らの協力を得て軍隊を送るのだ」という内容であった。
 ──言葉は大事である。他に与える影響を考えずに、ふともらした一言が人間の感情をまったく変えてしまう場合があるものだ。
 この発言を耳にした秀吉は驚き、激怒。キリスト教の宣教関係者に信者十七人を加えた二十六人を、長崎で磔はりつけにしたという。いわゆる「二十六聖人事件」である。秀吉はこの九年前に、禁教令を出してはいるが、具体的な弾圧はこの「一言」がきっかけであったといわれる。
 この不用意な「一言」は、秀吉のキリスト教弾圧を招いただけでなく、その後も多くの人々に計り知れない政治的・宗教的影響を与えた。そして一度形成された偏見は根強く残ったのである。
 教義はともあれ、江戸時代を通じて徹底的に民衆に教育された″キリシタンの恐ろしさ″は、明治になっても長く社会に流布していた。知識人の間で「キリスト教」が流行しても、それは「キリシタン」とは別のものであった。「キリシタン」には相変わらず、あやしげな印象ばかりがあったのである。
 そうした先入観念は、容易に人々の脳裏を去らなかった。その印象を一変させたのは、明治四十二年に出版され、熱狂的に迎えられた北原白秋の詩集『邪宗門』である。この詩集の成功で、キリシタンの島々・天草は、エキゾチックな詩情に包まれた、魅惑みわく的な島々となった。
 偉大な詩人は、一国の国民の感受性まで一度に変えてしまった。悪条件のもとにあっても、確信ある発言に状況は必ず変わる一つの姿であろう。善きにつけ悪しきにつけ、言葉に動かされてしまうのが、人間の心といえる。
 いわんや広布の世界にあっては、リーダーの力強い、確信ある指導がどれほど力となるか。もしもリーダーが言うべきことを明快に言い切っていく勇気がなければ、会員を守ることはできない。また会員も安心し、納得して信心に励むことはできない。
 皆さま方は強靭なる「勇気」と、偉大なる「人間性」と「愛情」の指導者として、信仰の正義を堂々と主張し抜く一人一人であっていただきたい。

 

1989年4月19日第十六回本部幹部会


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2016年10月16日

指導者の重大な要件

 

 大聖人は、「日女御前御返事」に、次のように仰せである。
 『周の文王は老たる者をやしなひていくさ軍に勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑ末末は・ひが事ありしかども根本の功によりてさか栄へさせ給ふ』(1250頁)
 ──周の文王は、老いた者を大切に養って戦いに勝ち、その子孫は三十七代八百年の間、末裔まつえいには、心得違いの悪政の時代もあったが、根本である文王の功によって長く栄えることができたのである──。
 国であれ、団体であれ、長きにわたる繁栄を決定づけるものは、草創期における基盤づくりである。
 文王は、国と民の行く末を思い、″八百年″の土台を築いた。いわんや広宣流布は末法万年への法戦である。私も、今日まで、未来への完璧かんぺきな広布の土台づくりを期し、死力を尽くしてきたつもりである。
 先の御書に「老たる者をやしなひて」と仰せのように、文王は、高齢の先駆者を大切に養った。王の徳政は、こうした老人をはじめ目立たぬ立場の人々にも及び、民は喜び、国は栄えた。どこまでも陰の人を大切にし、心を砕くだいた文王の姿に、指導者の重大な要件が示されている。
 とともに、指導者は、民衆に″敗北″の苦しみとみじめさを味わわせてはならない。民衆とともに、民衆のために、堂々と試練に挑いどみ、一切に勝利しゆく「勝利王」こそ、優すぐれたリーダーたる証あかしである。
 そのためには、勝ちゆくための知恵と力が不可欠である。聡明さと強さがなければ、戦いには勝てない。
 どうか朗々たる唱題で、こんこんと豊かな知恵と生命力をわかせながら、賢明なリーダーとして見事なる「勝利」の歴史を重ねていただきたい。

1989年4月19日第十六回本部幹部会


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2016年8月28日

指導者は変化に対応する柔軟性を!

   

 九州記念幹部会で山本伸一は、成増敬子の抱負を聞きながら思った。
 “熊本も、また大分も、宗門の問題では本当に苦しめられている地域だ。しかし、それをはね返し、ますます広布の炎を燃え上がらせている。すごいことだ。いつか、必ずその地域を回って、耐え抜きながら信心を貫いてこられた皆さんを心から励まし、賞讃しよう”
 彼は会合終了後、「七つの鐘総仕上げの年を記念し」と認めた御書を、成増へ贈った。
 幹部会でマイクに向かった伸一は、仏法者の生き方について語っていった。
 「日蓮大聖人の智慧は平等大慧であり、一切衆生を平等に利益される。その大聖人の御生命である御本尊を信受する仏子たる私どもの人生は、全人類の幸せを願い、行動する日々であらねばならないと思っています。
 私たちが、日本の広宣流布に、さらには世界広布に走り抜くのも、そのためです。
 私は人間が好きです。また、いかなる国の人であれ、いかなる民族の人であれ、いかなる境遇の人であれ、好きであると言える自分でありたい。そうでなくては日蓮大聖人の教えを弘める、仏の使いとしての使命を果たすことはできないと思うからです。
 皆様方も、誰人であろうが、広々とした心で包容し、また、全会員の方々の、信心の面倒をみて差し上げていただきたい。私どもが平等大慧の仏の智慧を涌現させ、実践していくところに、世界平和への大道があります。
 そして、リーダーの皆さんは、物わかりのよい、柔軟な考え方ができる指導者であっていただきたい。硬直化した考え方に陥ってしまえば、時代、社会の変化に対応していくことができず、結局は、広宣流布の流れを閉ざしてしまうことになりかねません」
 国連人権委員会委員長を務めたエレノア・ルーズベルトは指摘している。
 「あらゆる偉大な文明が滅びた理由は、ある意味で、それが固定化し、新しい状況、新しい方法、そして、新しい考え方に柔軟に適応できなくなったからです」(注)

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 エレノア・ルーズベルト著『TOMORROW IS NOW』ハーパー・アンド・ロウ社(英語)


小説新・人間革命 29巻 第3章 清新63


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2015年12月30日

妙法の名将たる資格

 

<どこまでも庶民とともに>

 

 “妙法の名将”、すなわち庶民とともに生きて、もっとも不幸な人々の味方になり、社会の一人ひとりを救い、指導しきっていく、真の名将になっていただきたい、と強く念願してやまない。その人こそ、しょせんは、社会各階層の真実の名将に通ずると確信するからである。

 

妙法の名将たる資格


 第一に、御本尊への絶対の確信に立ち、御書を心肝に染め、広布にまい進すべきこと。「最高の理念たる色心不二の大仏法を奉ずる者こそ、すなわち最高の智人であり、妙法の名将といいうると思う」


 第二に、難事をも成し遂げゆく実行力と闘争力、そして折伏力と指導力を有すること。「幹部はあくまで、実践第一を旨とし、大目的に向かって、つねに先頭きって戦い、あとに続く人々に、その範を示していただきたい」


 第三に、社会のすべてに通暁した世雄となること。「妙法の名将こそ、職場の勝利者であり、かつ豊富な知識と国際的視野をそなえた立派な社会人であって当然であろう」


 第四に、後輩を育成していく熱意。「いかなる人をも活かしきっていくとの決意をもって、後輩を自分以上の人材に成長させていく聡明な人こそ、真の名将というべきであろう」


 第五に、人間性豊かな包容力ある指導者であれ。「威厳とともに寛容、勇気とともに礼儀、敵には強く、後輩には心からやさしく、すべて両面をそなえてこそ真の名将といいえよう」


 第六に、旺盛な責任感と計画性である。「戦いを勝利に導く真の指導者であるならば、その活動には、積極的な行動とともに十分な計画を練り、機敏に、先手、先手と考えてけっして後手になってはならぬ」


 せんずるところ、信心強き者こそ、真の妙法の名将となりうるのである。

 

大白蓮華2016.1月号795号 妙法の名将よ、勇み立て!22頁

 


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2015年3月29日

心して「民衆の歎き」を知れ! 

その幸福のために、すべてをなげうって戦え!

 

<民衆の幸福こそ指導者の責務>

  

 ここで、指導者の責任の重さについて、一言申し上げておきたい。
 大聖人は「守護国家論」の冒頭で「悪趣に堕つるの縁・一に非ず」(御書36頁)――人間が地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に堕ちてしまう縁は、一つだけではなくいくつもある――と述べられている。
 そして、その一つとして『国主と成つて民衆の歎きを知らざるに依り』(同頁)と厳然と指摘されている。すなわち――国主という、一国の民衆に対して重大な責任ある立場にありながら、“民衆の歎き”を知らない。また知ろうともしないがゆえに――と。
 そのような無責任で無慈悲な権力者、傲慢な指導者の罪は、はなはだ重い。生命の厳しき因果律に照らして、必ず悪道に堕ち、ほかならぬ自分自身が大変な苦しみを受ける――との御断言である。短い御言葉ながら、重大な原則を教えてくださっている。いわば全世界の指導的立場にある人への警告とも拝せよう。
 “民衆の歎き”を知る、“民衆の声”を聞く、“民衆の幸福”のために、つくしにつくしていく。それが指導者の使命である。どこまでも民衆が根本である。
 指導者は民衆のためにこそ存在する。当然のようでありながら、この真実の“民主”の原理に生きぬく指導者は少ない。民衆に仕えていくのではなく、自身のエゴに仕えていく指導者があまりにも多い。
 因果の理法の裁きは厳しい。民衆に支えられてこそ得た自分の立場を利用し、どんな名声や財産や勲章で華やかに表面を飾ろうとも、その内実はむなしい。いな飾れば飾るほど、民衆を忘れた堕落の生命は、悪道への因を一日また一日ときざんでいる。
 大聖人は、この厳たる生命内奥の事実を教えられることによって、真実の指導者の姿を示唆されていると拝される。

 心して「民衆の歎き」を知れ! そして、その幸福のために、すべてをなげうって戦え! ここに指導者の根本要件があると。
 世間の指導者に寄せて仰せになった、この御言葉はまた、仏法の世界にも通じる。
 それどころか、仏法の世界で、人を救い、正しく導くべき立場にありながら、その責任を果たそうとしない罪は、比較にならぬほど重い。まして、守るべき仏子を軽侮し、利用し、いじめる者にいたっては、その罪は言葉で言いつくすこともできない。
 反対に、皆さま方は日夜、広布のリーダーとして、懸命に民衆の嘆きに耳を傾け、その幸福を祈り、行動されている。仏法の眼、生命の因果の眼から見るとき、いかなる栄誉の指導者よりも尊き存在であられる。その無償にして、信念の行動に対して、御本仏の御称嘆(ごしょうさん)はもとより、全宇宙の諸天善神が皆さま方を守りに守っていくことは間違いない。
 私も戦う。指導者として、休みたくとも休むわけにはいかない。止まりたくとも、走るのを止めるわけにはいかない。その、広布への渾身の実践にこそ、大聖人の仏法の生きた脈動が、また魂があると信ずるからだ。


1988. 3.24第1回和歌山県記念総会


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2015年1月10日

 中心者は慢心を排せ!

 

 大聖人は、佐渡の千日尼にあてた御手紙の追伸に、次のように仰せである。
 「豊後房に申し候べし・既に法門・日本国にひろまりて候、北陸道をば豊後房なびくべきに学生ならでは叶うべからず・九月十五日已前に・いそぎいそぎまいるべし」
 ――あなた(千日尼)から豊後房に、次のように申し伝えてください。すでに日蓮の法華経の法門は、日本全国に弘まってきた。北陸道を教化するのは豊後房の役目であるが、それも学問がないとできないことである。九月十五日以前に、急ぎ急ぎ身延へまいるように――と。
 「いそぎいそぎまいるべし」、つまり″急いで私のもとに来て学びなさい″との大聖人の御言葉である。ここには、一つの地域の広宣流布を担うということが、どれほど重大なことであり、そのための中心者の成長がいかに大事であるかを示されていると拝せよう。
 もし、中心者が慢心の人となって、正しき「師」を求めようとせず、また「法」を学ぶ努力を怠ってしまったならば、その地域の広宣流布は停滞し、多くの人々の信心も濁らせてしまう。それほどに、仏法は厳しく、中心者の責任は重い。
 ともかく私どもは、久遠元初からの約束で、それぞれの地に願い来った「地涌の勇者」である。環境に負けたり、困難を避けては、みずからの使命を果たすことはできない。
 中心者の「信心」「教学」「人格」の前進が、その人自身の成仏はもとより、後輩の成長、地域広布の前進へとつながりゆくことを深く銘記したいものである。

 

 

 1988. 9.12 港、目黒、渋谷区合同支部長会

 


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2014年10月8日

指導力とは御本尊に導くこと


 「題目を唱えることです。御本尊様に導くことが指導です。
 顔色が良く、『あの人に任せれば安心だ』と人から言われるようになれば、それが無言の指導です。

 “同志を退転させまい。責任をまっとうしたい、幸福になってもらいたい”と願っている。それが指導力です。
 才覚や策や政治性を指導力というのではありません」

 

大白蓮華No.779号2014.10月号23頁

 


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2014年6月26日

同志には一期一会の激励を! 

  
 悩み、苦しみ、その活路を仏法に求めて、健気に信仰に励もうとする同志に、伸一は全魂を傾けて、勇気と励ましの指導をつづけた。この人たちを苦悩から救い、断じて幸せにしてみせる――との、熱き思いをたぎらせて。
 みな無名の庶民である。しかし、広宣流布の使命を担うために出現した尊き地涌の仏子なのだ。
 彼は、一言ひとことに愛情をこめ、誠実をこめ、責任をこめて、一期一会の思いで語っていった。

 

小説 人間革命 12巻 宣言 135頁


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2014年6月16日

今の自分に生ききり、

慈愛の人間指導者に! 

  
 ネパールにも足跡を留めた、かのアショーカ大王の法勅には、人民に関することは、食事などのどのような時にも、また寝室などのどのような場所にあっても、私に聞かせなさい、と刻まれております。
 広範な植樹や、「女性のための奉仕者」と呼ばれる重要な役職を設けるなど、アショーカ大王の先駆的な知恵は、「民衆を敬い」「皆の声を聞く」徹底した責任感から生まれたといえるでしょう。
 いかに社会が変転しようとも、否、混迷の時代であるほど、求められるのは、民衆の幸福のために一切の責任を担い立つ、慈愛の人間指導者であります。
 平凡でもよい。名誉や栄達など求めなくともよい。しかし、私の誇りである皆さんは、全員が、わが身を厭わず矢面に立って、人々に尽くし、友を守りぬく「人間として勝利者」になっていただきたい。
 人生は長い。焦る必要はありません。地道に、誠実に、着実に、わが道を行き、わが城を築く――その人こそが、最後の人生勝利の旗を振るからであります。
 ゆえに、過去や未来にとらわれたり、他人を羨んだりしてはならない。
 「今の自分自身」に生ききること――その真剣勝負に、人生の揺るがぬ土台が築かれていくのであります。

 ゲーテは謳いました。

 

  ああ、希望よ!
  希望は、嵐の夜の中に
  暁の光を差し入れるのだ!

 

1995.11.4創価教育同窓の集い


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2014年5月20日

民衆と結び、民衆に学べ! 

  
 指導者のあり方について、

 周(恩来)総理は

 「三つのことを多くせよ」

 と教えておられました。


 第一に「上からの号令ではなく、個人指導を多くせよ!」
 第二に「民衆と結合し、民衆の知恵から多くを学べ!」
 第三に「“上から下”ではなく、“下から上”へ、多くの波動を起こせ!」。


 初代牧口会長の指導も、

 まったく同じでありました。


 大事なのは「個人指導」です。

 いちばん大変な人のもとに駆けつける。

 じっくりと「一対一」で語り合っていく。

 そこから、真の共感が広がっていく。


 民衆から学ぶのです。

 民衆のなかにこそ知恵があるのです。

 

 偉いのは「上」ではない。

 「下」で支える人が偉いのです。

 その人を最大に尊敬していくのです。


 周総理もそうでした。

 牧口先生もそうでした。

 ここに不思議な精神の一致がある。


2000.10.22中国陝西省芸術研究所・彫塑院「ブロンズ・レリーフ」贈呈式他


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2014年5月12日

民衆のために、庶民のためだけに、

生きよ! 

  

 牧口先生は、こう論じられておられる。ここでは、わかりやすく紹介させていただく。
 「(利害・善悪・正邪等を判定する)簡単な道理が分からないものは“狂”――つまり狂っている。また分かっていながら道理に従えないものは“怯”――つまり卑怯である。こうした人間は、公職に就き、高位に立つ資格のないものといわねばなるまい。なぜなら、こうした人間は、利害も善悪も、すべて好き嫌いという一時的な気分で判定し、簡単に世渡りできると考える。
 そして、傍若無人の振る舞いをするので、酔狂者(酔っ払いのように、常人のしないことをする者)に武器を持たせたように危険千万だからである」
 まるで今日を予期されたような達見であられた。この一言だけでも、あの偉大な戸田先生が牧口先生を慕われていた気持ちがよくわかる。

 「狂」にして「怯」――悩乱した指導者がいかに危険であるか。決して放置してはならない。倒さねばならない。
 民衆がしっかりして、彼らを糾弾し、みずからを守らなければならない。ただ“人が良い”だけでは、悪い指導者に“なめられて”しまう。
 指導者があって、民衆がいるのではない。反対である。「民衆」あっての政治家であり、聖職者である。「学生」あっての教師である。にもかかわらず、民衆をバカにし、いばる人間がなんと多いことか。
 これが、日本の情けない現実である。しかし、諸君は、時代を変えねばならない。民衆の一人一人が強くなり、民衆が「根本」である社会を築かねばならない。
 「偉ぶった人間が何だ!」――これが私の永遠の信条である。
 なぜ、私が生きて頑張るのか。それは、民衆がいるからである。だれのためでもない、けなげなる庶民のためである。
 その方々を守るために、そのためだけに、私は生きている。働いている。戦っている。諸君もこの私の精神を継いでいただきたい。


1993.5.5創価同窓の集い


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2014年4月3日

希望を配る人


 ナポレオンは「リーダーとは『希望を配る人』のことだ」と言った。大いなる希望を呼び覚ましてこそ、大いなる事業を成し遂げることができるのです。
 皆の「心」を変えることこそ、リーダーの役目です。単に人が集まっているだけでは、「心」はバラバラの方向を向いている。カオス(混沌)の状態です。その「心」を一つの方向に向けて、団結させ、前進させていく。いがみ合う「心」を結ぶ合わせ、臆病にとらわれた「心」を奮い立たせ、無力感にさいなまれた「心」に確信の炎を点す。そうした「心」のリーダーシップが求められているのです。

 

御書の世界(上)第七章 師子王の心

 


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2014年1月28日

リーダーは希望と確信を友に!

 

  リーダーが徹して民衆の中に入り、民衆と語り、民衆の心をつかんでいく。そこに希望がわく。正義の戦闘力がみなぎる。そこから、勝利のエネルギーを引き出していく以外にない。
 組織の上下関係を超克して、人々の心をつかむことが、リーダーの根本条件である。
 希望と確信をあたえることである。命令や指示では、人々は本当の力は出せない。むしろ、感情的に反発してしまうことを忘れてはならない。

 

2000.7.26第二回東京婦人部最高協議会


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2014年1月27日

指導者は決定した祈りを!

 

 人生は、広宣流布の闘争は、「煩悩即菩提」である。苦労が大きければ大きいほど、喜びも大きい。功徳も大きい。そして、境涯も大きくなる。
 ゆえに、指導者は「自分が、いちばん苦労してみせる!」と決めることである。同時に、「自分が、いちばん楽しんでみせる!」と朗らかに、悠々と生きぬき、戦いぬいていくことである。
 その人は、無敵である。その人には、だれ人たりとも、かなわない。
 「必死の一人」は千万軍に勝る。戦いは、リーダーの執念で決まる。責任感で決まる。
 「断じて勝ってみせる!」
 「必ず、わが地域の広宣流布は成し遂げてみせる!」
 草創の同志は皆、この心で立ち上がった。
 その決心があれば。人材は出てくる。仏菩薩に厳然と感応していくのである。
 要するに、決定(じょう)した「祈り」である。そして、春になると、野の花がいっせいに咲き薫るように、時が来れば、必ず、すべてが開花していく。

 

2000.8.11日本・イタリア代表者会議


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2014年1月11日

「情報技術革命」が

進めば進むほど

「一対一の対話」が重要


 人間と人間の「物理的な距離」は、どんどん近づいてきた。にもかかわらず、「心と心の距離」は、遠ざかったままである。孤独地獄は、ますます深刻である。
 だからこそ、これからの情報化社会をリードするには「人間根本の哲学」を持って、「人格と生命の対話」を率先して実践していく指導者が必要である。(中略)
 テヘラニアン博士は、そうした「生命触発のモデル」として、創価学会の座談会運動、対話運動を挙げておられる。
 「私は、SGIにみられる座談会などの自主的な小規模のミーティング(会合)のもつ役割を高く評価し、注目しています。
 現代の国家や企業といった、マス(大きな集まり)の次元だけでは、どうしても非個性化、非人格化、貪欲性、攻撃性が優勢になりがちです」と。
 「情報技術革命」が進めば進むほど、健全な人間と社会の発展のために、人格と人格がふれあう「一対一の対話」が必要不可欠となるのは当然である。
 その時代の最先端の行動をし、新たな地球文明の創造へ貢献しているのが、わが創価学会であると、世界の識者が注目をし始めたのである。
 思えば、釈尊も、インドの大地を歩にに歩いて「一対一の対話」を続けていった。
 大聖人の「立正安国論」も、「対話形式」でしたためられている。
 「対話」こそ、仏法の永遠なる精神である。
 上からの命令では「対話」とはいえない。心を通わせ、ともに歩き、ともに行動する。そこに対話が生まれる。
 牧口先生も戦時中、権力の魔手が迫るなかで、最後の最後まで折伏の歩みを進められ、「対話」を続けられた。
 逮捕されたのも、「一対一の対話」のために、はるばる伊豆の下田まで、足を運ばれた時である。
 「声仏事を為す」(御書708頁)――声が仏の仕事をなすのである。
 しゃべることである。対話である。
 「柔和忍辱(正法を素直に受持し、難を耐え忍ぶ)の衣」「忍耐の心」を持ちながら日々、生き生きと声を発していく。
 「希望の対話」「哲学の対話」「幸福の対話」「なごやかな対話」「励ましの対話」――。それが人間らしい世界をつくる。それが「勝利への対話」につながるように戦ってまいりたい。

 

2000.7.18第48回本部幹部会


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2013年7月26日

孔明
「人材の抜擢」
 

「立派な指揮官が[軍]政を行う時、

 

 第三者に[有能な人材を]選択推挙させて、

 自分自身では抜擢しない。

 

 [軍]法によって人々の功績を裁定し、

 自分勝手には判断しない。

 

 だから有能な人材は[その才能は]

 蔽い隠すことができないし、

 

 [逆に]無能な人は[その菲才を]

 飾り立てることができない」

 

2003.8.4全国最高協議会③


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2013年7月22日

孔明
「組織や国を乱す者」 
 

 次の5種類の人間は

 気をつけよ遠ざけよと訴えている。


 ①徒党を組んで、

  派閥をつくり、

  才能人徳に優れた人を妬んで、

  謗る人間。


 ②虚栄心が強く、

  服装なども贅沢で、

  目立とうとする人間。

 

 ③大げさなことやデマを言って、

  人々を惑わす人間。


 ④自分の私利私欲のために、

  人々を動かす人間。


 ⑤自分の損得ばかりを考え、

  陰で敵と結託する人間

 

 ――である。

 

 2003.8.4全国最高協議会③

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2013年7月20日

孔明
「指導者の不動の信念」

 

「[自分が]尊重されても

 驕り高ぶらない、


 [権限を]委任されても

 自分一人で勝手にしない、


 [他人に]救助されても

 [その不名誉を]蔽い隠さない、


 [地位を]被免されても

 驚き恐れない。


 だからこそ、

 立派な指揮官の行動は、

 ちょうど璧が[どんな時でも]汚れない[と同様に、

 どんな状況に在っても決して動揺しない]が如きである
 不屈の闘志の指導者が勝つ。

 断じて、

 諸葛孔明の名指揮をお願いしたい。 

 

 2003.8.4全国最高協議会③ 

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2013年7月16日

孔明
「戦いに臨む指導者の姿勢」 

 

「一人でも犠牲者が出るならば、それは、すべて私(孔明)の責任である」とも言っている。絶対に、犠牲者を出さない!落伍者を出さない!断じて一人も不幸にしない!孔明の指揮は、この覚悟と責任感に貫かれていた。

 

 2003.8.4全国最高協議会③

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2013年7月15日

孔明
「指導者にふさわしくない者」  

 

 孔明は、

 指導者にふさわしくない者として、

 八種類の人間を挙げている。
 ①財産に貪欲で飽くことを知らない者。
 ②賢く有能な人を嫉妬する者。
 ③人を中傷することを喜び、

  おべっかを使う人を近づける者。
 ④人のことは、あれこれ分析するが、

  自分のことは、何らわきまえない者。
 ⑤ぐずぐずして、自分で判断できない者。
 ⑥酒におぼれ、その状態から抜けだせない者。
 ⑦虚偽で、臆病な者。
 ⑧言葉巧みに狡猾で、傲慢無礼な者。


 戸田先生は、幹部に対して、

 いつも厳しく語っておられた。

「周りじゃないよ。

 すべて君で決まる。

 君の一念で決まるんだ」

 

 2003.8.4全国最高協議会③

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2013年7月14日

 諸葛孔明の描いた指導者像 
<苦楽を共に>

 

「いにしえの優れた指導者は、

 皆を、わが子のように慈しんだ。

 困難にさいしては、自分が先に立ち、

 栄誉に対しては、皆を立ててあげた。

 傷ついた人がいれば心からいたわり、

 戦いに殉じた人がいれば、

 ねんごろに葬り、悼んだ。

 飢えた者には、自分の食事を分け与え、

 凍える者には、自分の衣服をさしだした。

 優秀な人間には礼をもって接し、立場を与え、

 勇敢な人間には、褒賞を与えて励ました。

 指導者がこのような姿勢を貫いていけば、

 向かうところ、必ず勝っていく」

 

 皆さまも、

 縁深き同志の皆さんと

 「苦楽をともにしていく」

 リーダーであっていただきたい。

 

 2003.8.3全国最高協議会①

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 2013年7月12日

 慈悲の人に無限の知恵 
<慈愛と知恵のリーダーに>
 

 学会は、真に人間を練磨し、

 変革しゆく大地である。

 そのリーダーである皆さま方は、

 決して「組織悪の指導者」になってはならない。

 どこまでも「仏法と信心の指導者」として、

 みずからを鍛えぬいていただきたい。


 組織上の役職でも、

 社会的な地位でもない。

 一人の人間として、どれほど偉大であるか。

 どれほど豊かな「慈愛の心」の指導者であるか。

 これこそが肝要であると申し上げたい。


 「無慈悲」の人には

 「知恵」は出ない。

 「慈悲」の人には、

 限りない「知恵」がわく。

 

 友の幸福と、

 社会の平和・安穏のための「知恵」が、

 生命の奥底から滾々とあふれ出てくるものだ。

 

 今、求められているのは、

 そうした慈愛と知恵のリーダーである。

 

 1989.11.18第23回本部幹部

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2013年7月11日

 何をもって正しくリードするのか 
「人間性」
 

 何をもって

 人々を正しい方向に

 リードしていくのか。

 

 それは「人間性」しかない。

 指導者論も、要するに、

 その人の「人格」に帰着する。

 

 それでは「人間性」とはなにか。

 仏法の世界においては、

 その根本は仏子への「深き祈り」である。

 

 友に

 「本当に幸せになってもらいたい」

 「安穏であっていただきたい」

 「健康であり、長寿であっていただきたい」と、

 真心から祈りに祈っていく。

 そして行動していく。

 

 その「信心」が、

 最高の「人間性」であり、

 指導者の要件となる。

 また、その「信心の深さ」が、

 自身の「福徳の大きさ」になっていくのである。

  

 1989.11.18第23回本部幹部会

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2013年5月17日

 策は繰り返す
 
 日蓮大聖人の仏法を、
 大聖人に代わって、
 大聖人の御心のままに弘めていく。
 それが創価学会である。
 リーダーは信心を教えるのだ。
 我見の指導はいけない。
 戸田先生は、
 「策で解決した場合は、
 また同じ問題で悩むようになる。
 信心で解決した時こそ、
 宿命転換である」と言われた。
 根本は、
 御本尊に向かわせていくことである。
 大事なのは人だ。
 祈って、適材適所で皆を生かすのだ。 
 
聖教新聞2013.2.23付今日も広布へ8

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2013年4月8日

将の将

 

<責任は自分に、手柄はあなたに>

 

 同輩や後輩が伸び伸びと明るく成長し、

 自分以上に大きく活躍していく

 …その姿を心から喜び、

 見守っていくことが、

 “将の将たる”真のリーダーの「心」である。

 

 そして

 「責任は自分にある。

 手柄はあなたにある」と、

 淡々とした心で進んでいく人こそ、

 “魂の幸福者”であり、

 真の“信心の勝利者”

 “人間の勝利者”となっていく。

 人間としての栄冠は、

 まさにその人の「心」にこそ輝くことを、

 深く明記してほしい。

 

 1989.2.14第12回全国青年部幹部会 全集(72)242頁


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2013年4月5日

これぞ本物!

 

信心の指導とは
御本尊の偉大さを
伝えることだ。
自らの体験の上から
大確信で語ることだ。
  

(2010.12.23わが友に贈る)

 

※『法華経の功徳はほむれば弥功徳まさる』(妙密上人御消息、御書1242頁)をあらゆる人にあらゆる場所で・・・この人こそ、地涌の菩薩。発迹顕本の振る舞い!御本尊の素晴らしさを個人指導、家庭訪問で語ってください!会員の皆さんはこの一言を待っているのです!(サイト・マスタ)


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2013年3月25日

会員が根本の広布の長城

 

<民衆を手段にするな!>

 

 (かの)万里の長城の建設には、
 多くの庶民の犠牲があった。
 とくに農民は、
 秦の始皇帝時代に50万人、
 北魏王朝の446年には30万人、
 北斉の555年には180万人、
 隋の607年には百万人、
 というように、
 たいへんな人数が、
 強制的に徴用されたといわれる。(中略)
 万里の長城の建設。
 そこにみられる「民を守る長城」という理想と、
 「民を苦しめる長城」という
 ―この深刻な落差に、民衆の悲劇があった。
 為政者にとって、民衆こそ根本である。
 民衆を大事にするのは
 指導者としての当然のあるべき姿である。
 それなくして、
 いかなる組織も発展はない。(中略) 
 私がつねづね“仏子である
 会員を大事にしなければいけない。
 疲れさせてはいけない”と訴えているのも、
 この心からである。
 私は、入信以来
 学会員の方々の幸福と安穏を
 祈りに祈ってきた。
 あらゆる苦難の矢面に一人立って、
 血のにじむような思いで、
 会員を守りに守ってきた。
 それは、
 すべて御本尊がご照覧のことと
 確信している。
 

1989.2.20第14回本部幹部会 全集(72)276頁


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2013年2月25日

指導者は声で決まる

 

<大誠実の振る舞いに徹す>

 

 「声仏事を為す」(御書708頁)
 リーダーの声は、
 温かく、優しい感じで、
 確信を持って、
 そして、胸を張って、
 生命力を強く大きく持って、
 指導・激励していくことだ。
 大誠実の振る舞いに徹しゆくことが、
 自身の人格を大きくしていく。
 信心を、強く、深くしていくのである。
 リーダーは、同志のために、
 どんどん、しゃべって、
 声を出していくのだ。
 大変な中でも、
 人を励ますからこそ、功徳がある。
 声が弱くてはいけない。
 確信ある声は、皆を安心させる。
 指導者は声で決まる。

 

聖教新聞2013.2.23付今日も広布へ8


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2013年1月28日

眷族を呼び起こせ!

 

<我らは、地涌の菩薩なり>

 

戸田第二代会長は、よく語っていた。

「男女を問わず、

 我々は、皆、地涌の菩薩であり、

 広宣流布の勇将である。

 大勢の眷族を引き連れて、

 この娑婆世界に生まれてきたことは、

 絶対に間違いない。

 そう決めて、

 日々、祈り、動き、語っていくのだ。

 宿縁の眷族たちが一人また一人、

 必ず自分の前に現れてくる。

 そして広布のために

 働いてくれるようになる。

 一対一の対話で、

 道はいくらでも広げられるのだ」

 

聖教新聞2013.1.25付各部代表者会議


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2013年1月12日

無私の心と理想の実現

 

 理想の実現…その完成をみれば、
 他に何も欲しない。
 友が幸福になること、
 それをみれば他に何もほしいものはない。
 これは、無私の精神で民衆のために闘った
 先駆者に共通の心情であると思うし、
 指導者として決して
 失ってはならない「心」だといえよう。(中略)
 「誠実」の道を行け。
 人目を気にして生きるような、
 情けない人間になるな。
 堂々と人間としての大道を歩め
 …戸田先生がつねに教えられたことである。

 

1988(昭和63)年10月12日墨田、荒川区記念支部長会


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2013年1月3日

リーダーの戦い

 

 第一に、わが同志を慈しみ、励ますこと。

 第二に、目標達成まで祈り切ること。

 第三に、自分自身が成長し続けること。

 第四に、勇気をもって戦い抜くこと。

 

聖教新聞2012.12.29付 我らの勝利の大道92


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2012年11月21日

納得が行動を生む

 

自発能動の連帯>

 

 創立の父・牧口先生以来、

 学会は「皆が納得できる」対話で、

 団結を築いてきた。

 

 押しつけや無理強いでは、人は動かない。

 

 「そうだ!その通りだ!」という心の共鳴から、

 自発の行動が生まれる。

 

 リーダーは、皆がすっきりと戦えるよう、

 「分かりやすく」

 「明確に」、

 かつ「具体的に」

 対話を進めていただきたい。

 

 そのためには、

 題目を唱えて

 「以信代慧(信を以って慧に代う)」の

 智慧を出すことだ。

 

 皆の英知を引き出し、

 結集していくことだ。

 自発能動の連帯を、

 どれだけつくれるか

 ・・・ここで決まる。

 広布の勝利の要諦がある。

 

創価新報2012.11.7付

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