2022年9月5日
第2092回
悪の芽はただちに断ち切れ
<悪書を読むな!>
古代ギリシャの教育者イソクラテスは、言い残した。
「もし邪悪な人間にその徴しるしがあったならば、
市民のだれかに不正をはたらく前に、
これを懲こらすのが最上である」
(『弁論集』2、小池澄夫訳、京都大学学術出版会)
結局、いやな思いをするのは市民である。
真面目な民衆である。
悪い人間を放置してはならない。
悪の芽は、ただちに断ち切る。
この強さがなければならない。
スイスの思想家ヒルティは警告する。
「悪いものは絶対に読んではならない。
悪いものを『研究』すると、
人間の持っているよい精神がだんだん死滅してゆく」
(『読書について』国松孝二訳、『ヒルティ著作集』8所収、白水社)
悪書※1を読むな!
――戸田先生が亡くなる直前まで、
厳しく言われていたことである。
青年でありながら、
低俗な週刊誌などを見ていたら、
先生から怒られた。叱り飛ばされた。
「くだらない雑誌、なんか読んで、
面白がっているようで、どうする!」
「そんなものを読むと、目が腐るぞ!」
そこまで厳しく言われたのである。
たとえ、いい人であっても、
悪書に毒され、悪人に染まれば、
正しい道を踏みはずしてしまう。
絶対に、悪知識を寄せつけてはいけない。
どうか皆さまは、
毀誉褒貶など歯牙にもかけない、
正しい指導者、
信心強き指導者になっていただきたい。
※1 悪書・・・最近のSNSも含まれるでしょう。「いいね!」だけのお付き合いは気を付けねばなりません。自分に都合のよいだけの関係は進歩が望めません。(サイト・マスタ)
2005.8.15代表幹部研修会
2015年4月16日
法華経にきずをつけ給うべからず
<悪知識を捨てよ! 善友に近づけ!>
御書には繰り返し、重要な涅槃経の文が引かれている。
すなわち『悪い象などに殺されても、身体を破壊されるだけであり、地獄等には堕ちない。しかし、悪知識に振り回されてしまえば、身も心も、ともに破壊されてしまい、地獄等に堕ちる』(唱法華題目抄、7頁、趣意)と。
戸田先生が、よく拝し指導してくださった御文である。
悪象に踏まれるとは、現代的に言えば、交通事故などといってよい。十分に注意して交通事故・火災などを絶対に起こしてはならないことは当然である。しかし、信心が破られなければ、たとえ何があっても、変毒為薬(毒を変えて薬となす)できる。要するに、最も恐ろしいのは「悪知識」に紛動され、信心を食い破られることである。
御書では、この「悪知識」の本質について『悪知識と申すは甘くかたらひ詐(いつわ)り媚(こ)び言を巧(たくみ)にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり』(唱法華題目抄、7頁)
――悪知識というものは、甘く語らい、詐って媚び、言葉たくみに愚かな人の心を奪って、善き心を破る――と喝破されている。
したがって、戸田先生は
「この『悪知識』の中には、悪人は言うまでもなく、悪書も含まれる」と鋭く言われていた。そうした「悪書」を読んだりしていると、それにつられて悪の方向へ、地獄の方向へ引っ張られてしまう。
御聖訓には“どんな善人であっても、悪知識に親しみ近づけば、悪に染められてしまう”ことが何度も強調されている。
たとえば『いかに我が身は正直にして世間・出世の賢人の名をとらんと存ずれども・悪人に親近すれば自然に十度に二度・三度・其の教に随ひ以て行くほどに終に悪人になるなり』(最蓮房御返事、1341頁)
――どんなに自分は正直に身を律して、世間においても仏法においても賢人の名を得ようと思っていても、悪人に親しみ近づけば、自然と十度のうち、二度、三度と悪人の教えに従うようになり、そうやって最後は悪人になってしまう――とある。
だからこそ「悪知識を捨てよ! 善友に近づけ!」と仰せなのである。
ともあれ、一切の基準が御書という明鏡に示されている。日々、御書を拝して、偉大なる生命の光線を浴びていくことである。
大聖人は仰せである。
『一生はゆめ(夢)の上・明日をご(期)せず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず』(四条金吾殿御返事、1163頁)――一生は夢のようなもので、明日のことさえわからないものです。(ゆえに、はかない現世のことにとらわれず、信心を第一に生きなさい)たとえ、どんな乞食になろうとも、法華経に傷をつけてはなりません――と。
結びに、この「法華経にきずをつけ給うべからず」という御金言を強く確認しあって、私のスピーチとしたい。
1998.1.11 各部代表協議会