2024年6月14日
第2302回
「広宣流布のために」学会を守る!
<この一念に無限の智慧と慈悲と生命力が!>
「広宣流布のために」学会を守るのか、
「自分のために」学会を利用するのか。
根本的な違いがある。
本当に、広布のために立ち上がれば、
どれほどの力が出るか、
どれほどの智慧と慈愛と生命力が出るか、
どれほど諸天が動きに動くか。
法華経の智慧 陀羅尼品 (第二十六章)
2023年9月24日
第2256回
広宣流布を成就する力
<一人立つ師子と師子との結合>
広宣流布を成就する力は、
師子の団結にある。
傍観者の群れや、人を頼み、
互いにもたれ合うような
烏合の衆では、勝利はない。
”一切の責任を私がもつ!”と心を定めた、
一人立つ師子と師子との結合が
大願を成就するのだ。
自分がすべてを担う、
主体者、責任者の自覚に立つ時、
勇気がほとばしる。
力が出る。
英知が湧く。
執念が燃え上がる。
また、その勇猛果敢な実践のなかに、
生命の躍動と充実と幸福がある。
<新・人間革命> 第22巻 新世紀 23頁
2023年1月18日
第2172回
まず人と会うことから
広宣流布の新たな前進は、
どこから始まるか。
それは、
リーダーが
人と会うことから始まる。
一人また一人と、
どんどん会って、
語り合っていくことだ。
心から友を励ましていくことだ。
そこから人材が伸び、波動が広がる。
これが鉄則だ。
『随筆 幸福の大道』、105ページ
2022年12月27日〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉
2022年4月2日
第1954回
法華経の行者(大聖人)
に仕えよ!
<広宣流布のために仕えよ!>
初代会長牧口先生が、
獄中で、最後まで精読されたのが、
ドイツの哲学者カントであった。
「高慢は阿呆である」
(『人間学・教育学』清水清訳、玉川大学出版部)
とは、カントの鋭い洞察である。
現代にも、高慢な人間がいる。
われ尊しと思い上がり、
無礼にも他人を侮辱する。
カントに言わせれば、「阿呆」である。
「阿呆」を相手にしても仕方がない。
だからわれらは、
まっすぐに理想に向かって突き進む。
そして勝利すればいいのである。
大聖人は
「(無間地獄を免れようと思うならば、身命を惜しまず、法を求めなさい。もし、そうでなければ)五体を地に投げ、全身に汗を流しなさい。もしそうでなければ、珍しい宝を仏前に積みなさい。もしそうでなければ、奴婢となって法華経の行者に仕えなさい」(御書五三七ページ、通解)と仰せである。
「不惜身命の信心」を教えておられる。
これが大聖人の厳命である。
時には、
「学会活動は忙しい」
「勤行するのも大変だ」(笑い)
――そう思う人もいるかもしれない。
しかし、
活動も、勤行も、全部、自分のためである。
これを、よく胸に入れていただきたい。
だれかに威張るためにやるのではない。
「法華経の行者に仕えよ」と仰せである。
広宣流布のために仕えることが、
大聖人に仕えることである。
ここに根本がある。
その使命は大きい。
功徳も大きい。
そのとおりに進んできたのが、
創価学会である。
2005.1.28各部代表者会議
2022年2月15日
第1906回
広宣流布達成の鉄則
<一対一の折伏>
戸田先生は宣言なされた。
「結局、
一対一の折伏が、
広宣流布達成の鉄則だ。
また、民主主義のルールに適った
立派な方程式ともいえる。
地道にみえるが、
これが最も堅実だ。
この一波が二波になり、
やがて千波、万波になり、
広布は初めて達成されるのだ」
2006年2月10日婦人部代表幹部協議会
2022年1月26日
第1879回
広宣流布の伸展とは
幸福の輪の広がり
会長就任一周年となる
五月三日を前にして、
山本伸一の動きは、
ますます激しさを増していった。
広宣流布の伸展とは、
幸福の輪の広がりである。
そして、その幸福とは、
人間の胸中に、
何ものにも崩されない、
生命の宝塔を打ち立てることである。
そのために、伸一は、
一人でも多くの同志と会い、
励まし、指導することを、
常に自身の最大の責務としていた。
<新・人間革命> 第4巻 凱旋 77頁
2021年12月12日
第1824回
新たな山へ 使命の大空へ
一つの山を制覇したら、
新たな山の踏破を!
前進し、戦い続ける中に
人間としての成長がある。
人生の醍醐味がある。
世界に平和と幸福の大道を
広げゆく広宣流布は、
人間として最極の聖業である。
苦難の烈風に向かい、
決してたじろぐことなく、
高らかに飛翔を遂げていく――
これこそが、学会精神だ。
その心意気を忘れぬところに、
発展と勝利がある。
広宣流布に生きるとは、
大きく利他の翼を広げることだ。
そして、
使命の大空に羽ばたく時、
自身の境涯の飛躍があるのだ。
民衆を、
宿命や苦悩の鎖から解き放ち、
自らの翼で使命の大空に
羽ばたかせていく。
それを可能ならしめるのは、
一人一人への励ましの力だ。
ゆえに、
我らは民衆の中に飛び込み、
人類を照らす
希望と正義の哲理を
語っていくのである。
我らには、
異体同心の信心がある。
あらゆる壁を打ち破る、
不屈の負けじ魂がある。
無限の価値創造の大空を飛ぶ、
慈悲と智慧の翼がある。
さあ常勝のスクラムを
さらに強く、
勇気の前進、また前進だ!
さあ、出発しよう!
わが胸に
広布の誓いを燃やせば、
誰もが永遠の青年だ。
その本因妙の生命で
戦おうではないか。
皆で“歓喜の凱歌”を
高らかに歌いながら、
金色に染まる
新たな希望の大山に向かって!
2021年12月12日池田大作先生「四季の励まし」
2021年12月3日
第1809回
東洋広布
忘れまじ!
日本が「地獄の使い」の歴史を!
<人間の幸福には、生命の根本的な解決が必要>
それから、夜更けて机に向かった。『大白蓮華』の編集部から依頼されている三月号の「巻頭言」を執筆するためであった。
彼は鞄から取り出した原稿用紙を開くと、「東洋広布」とタイトルを記した。
そして、冒頭に、「諫暁八幡抄」の、あの「仏法西還」を予言された御文を書くと、一気に筆を走らせた。
「インドに生まれた釈尊の仏法は、中国から、朝鮮を経て、日本に伝来した。それは、あたかも、月の輝き始める位置が、西天から次第に東天へ移る自然の道理と合致している……」
彼は、さらに末法に入り、日本に日蓮大聖人が出現して、三大秘法の大仏法を打ち立てられたことを述べ、今、その大法が新しき平和の哲理となって西に渡ることは間違いないと、烈々たる確信を記した。
そして、日本と東洋諸国との交流の歴史を振り返っていった。
「長い歴史の間には、兵火を交えるような不幸な事態も、幾度か繰り返された。なかでも、太平洋戦争中は、惟神の道をもとにした超国家主義が横行し、創価学会の幹部は弾圧をうけて投獄され、全東洋にわたって、多くの日本人が地獄の使いと化し、互いに悲しまなければならないこともあった」
伸一は、そこから、いかなる思想、宗教、哲学が、人間に幸福をもたらすかを論じた。そのなかで彼は、共産主義についても、生命の根本的な解決を図ろうとしない限り、行き詰まらざるを得ないことを指摘していった。
次いで、過去に、釈尊の仏法が東洋に広く流布され、民衆の幸福と平和に大きく寄与してきたことを述べたあと、今、まさに、日蓮大聖人の仏法が東洋に流布される時が来たことを訴え、こう結んでいる。
「東洋広布は、大聖人の御予言であらせられるとともに、じつに、われら末弟に与えられた御遺命なりと拝し、東洋広布への重大な一歩を踏み出さんとするものである」
伸一は、戸田の遺言通りに、東洋広布の第一歩を印した感慨を噛み締めながらペンを置いた。既に時刻は午前一時を回っていた。
<新・人間革命> 第3巻 仏法西還 75頁~77頁
2019年10月21日
第1624回
大願とは何か?
大聖人は、青年門下に叫ばれた。
「願わくは、わが弟子たちよ、大願を起こせ」(御書一五六一ページ、通解)
大願とは何か。人間として、青年として、最も大きな願い――それは「世界平和」ではないだろうか。国境を超え、すべての民衆が幸福になることである。
一人きりになって、自分を偽り、ただ安逸をむさぼるだけの人生でいいのか。悔いはないか。
ならば君よ、大願を起こせ! 大いなる希望をもて! 理想をもて!
大聖人は、「大願とは法華弘通なり」と仰せである。
平和のため、幸福のために、世界の連帯を築くためには、人間主義しか道はない。広宣流布しか道はないのである。
2002年9月5日 第20回本部幹部会
2019年5月1日
第1604回
「第三代がいれば、広宣流布は必ずできる。
その第三代会長を厳然と守れ」
<第三代の指導に透徹し、
死に物狂いで、実践せよ!>
戸田先生の遺言「第三代がいれば広宣流布は必ずできる」
きょう「五月三日」は、戸田先生が、そして私が、創価学会の会長に就任した日である。
その意義をこめて、一言申し上げたい。
「第三代がいれば、広宣流布は必ずできる。その第三代会長を厳然と守れ」――それが、戸田先生の遺言であった。これは、秋谷会長や森田理事長など、皆が知っていることだ。
創価学会は、戸田先生がおっしゃったとおり、断固として、広宣流布を進めてきた。現実のうえで、世界に仏法を広げてきた。そして今、激動の時代にあって、他の多くの団体や組織が衰退していくなかで、わが創価学会は精神界の王者として、大山のごとく、そびえ立っている。
まさに、戸田先生の遺言どおりの学会になったと、私は、申し上げたい。
広宣流布は大聖人の御遺命である。それを実践しているのは、創価学会以外にはない。
この仏意仏勅の学会を迫害することは、大聖人を迫害し、広宣流布を破壊することに通じる。
ゆえに、その罪悪に対して、厳しい罰があらわれることは、御聖訓に照らして間違いない。
これまでも、お世話になった同志を裏切り、仏法を破壊しようと画策した人間が何人か出た。しかし、その全員が落ちぶれ、だれにも相手にされない、惨めな末路をたどっていることは、皆さんもご存じのとおりである。仏法の「因果の裁き」からは、だれ人も逃れられない。
どんなに卑劣な攻撃であろうとも、また、権威をかさにきた陰険な弾圧であろうとも、恐れるような学会ではない。
極悪の陰謀や策謀を木っ端微塵にするまで戦い、勇んで広宣流布の大進撃を開始しようではないか。(拍手)
婦人部も、草創の婦人部のように、総立ちとなって、題目をあげぬき、正義の勝利の歴史を開いていただきたい。法華経に勝る兵法はないのである。
「臆病者は創価学会から去れ」とは、戸田先生の厳しき遺言であった。
先生は、こうも言われていた。
「虚栄を張って、学会を利用しようとする増上慢の輩は、学会から、たたき出せ」
「臆病で、足手まといになるような存在ではいけない。お世辞を使ってもらえば、何とか活動する――それでは、死身弘法ではない。
広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」
これが戸田先生の叱咤激励であった。この学会の大精神を永久に忘れてはならない。
2002年5月1日5・3祝賀第十六回本部幹部会、新世紀第二回未来部総会
2018年11月9日
第1551回
「大闘争」即「仏」
<大闘争から百千万の福徳が>
広宣流布は、この現実社会が舞台である。社会から離れて、口先だけ、格好いいことを言っても、何の価値もない。現実の中で魔軍と戦い続ける、「平和と正義の不滅の大闘争」が、広宣流布である。
「大闘争」即「仏」である。
「大闘争」即「永遠の生命の勝利者の証」である。
一歩たりとも、後退してはならない。これが大聖人の厳命である。
広布に戦えば、自分が得をする。生々世々、「仏」という絶対的幸福の生命に生まれてくる。
宇宙には、地球と同じように″知的生命が存在できる星″が、一説には何十億もあるとされる。
三世永遠の生命であるから、いずれの地であれ、思いどおりの大境涯に生まれ、所願満足の人生を歩み、広宣流布していくのである。
あっという間の人生である。だからこそ、頑張りぬくことだ。
大聖人の御在世も、臆病な弟子たちは皆、退転し、叛逆していつた。もっとも哀れであり、卑怯な姿であった。
絶対に、退転だけはしてはならない。自分が損をするだけである。
どうせ生きるなら、広布に戦い、大福運をつかんだほうがいい。悠々と、心広々と、楽しく励ましあいながら、新たな前進を開始してまいりたい。(拍手)
法華経には「百千万の福」が説かれている。(無量の諸仏を供養した功徳で、福徳にあふれた妙音菩薩の姿を述べたもの)
戸田先生は言われていた。「『百千万の福徳』を得るのだ。『百千万の福徳』を出すのだ。そのために、広宣流布をするのである。広布の陣列に馳せ参じなさい。折伏に、勇んで馳せ参じなさい。そうしないと、自分が損をするよ」と。
永遠に自分自身が「幸福の当体」となり、「仏」となる。そのための、今世の戦いと思い切りなさい――これが、大聖人の仰せである。また戸田先生の叫びであった。これを心に刻み、頑張ってまいりたい。
広布の人には「百千万の福徳」がわくことを深く確信していただきたい。
広宣流布という尊極なる「仏の仕事」をしておられる皆さまに、ウソの悪口をあびせ、いじめる悪人は、経文に照らし、御書に照らして、厳たる仏罰を受ける。そうでなければ、仏の言葉は虚妄になってしまう。悪人たちの最後は必ず惨めな大敗北の生命となることは間違いないのである。
2001年8月1日 第八回本部幹部会
2018年5月19日
第1504回
広宣流布
それは「覚悟の人」の手によってこそ
成し遂げられる
<保身、名聞名利を欲する人間に、本当の改革はできない>
予言者の語った二つの道の一つ目は、「圧政によって王座を固めること」であった。そうすれば、王権の継承者として、強大無比な権力が与えられ、その恩恵に安住できる。
そして、二つ目は、民に自由を与えることであり、それは「受難の厳しい道」である。
なぜか――予言者は、そのわけを語る。
「あなたが贈った『自由』は、それを受け取った者たちのどす黒い、恩知らずの心となって、あなたに返ってくるからです」
「自由を得た人間は隷属から脱却するや、過去に対する復讐をあなたに向けるでしょう。群衆を前にあなたを非難し、嘲笑の声もかまびすしく、あなたと、あなたの近しい人びとを愚弄することでしょう。
忠実な同志だった多くの者が公然と暴言を吐き、あなたの命令に反抗することでしょう。人生の最後の日まで、あなたをこき下ろし、その名を踏みにじろうとする、周囲の野望から逃れることはできないでしょう。
偉大な君主よ、どちらの運命を選ぶかは、あなたの自由です」
為政者は、熟慮し、七日後に結論を出すので、待っていてほしいと告げる――。
アイトマートフが寓話を話し終え、帰ろうとすると、ゴルバチョフは口を開いた。
「七日間も待つ必要はありません。七分でも長すぎるくらいです。私は、もう選択してしまったのです。私は、ひとたび決めた道から外れることはありません。ただ民主主義を、ただ自由を、そして、恐ろしい過去やあらゆる独裁からの脱却を――私がめざしているのは、ただただこれだけです。国民が私をどう評価するかは国民の自由です……。
今いる人びとの多くが理解しなくとも、私はこの道を行く覚悟です……」
アイトマートフが山本伸一に送った、この書簡には、ペレストロイカを推進するゴルバチョフの、並々ならぬ決意があふれていた。
保身、名聞名利を欲する人間に、本当の改革はできない。広宣流布という偉業もまた、「覚悟の人」の手によってこそ成し遂げられる。
〈小説「新・人間革命」〉 誓願 四十五 2018年5月18日
2017年7月31日
広宣流布は、
思想戦であり、言論戦だ。
また戸田先生は言われた。「広宣流布は、思想戦であり、言論戦だ。
書きに書かねばならないし、しゃべりにしゃべりまくらなければならない作業であり、大運動なのだ」と。
どんどん書け。しゃべりにしゃべれ。黙っていてはいけない。言うべきことは、強く言い切っていけ。それでこそ、広宣流布は進むのだ、との戸田先生の厳命である。
もちろん、聞くべきときは、きちんと聞かなければならない。
そのうえで、青年ならば、邪悪を許さぬ、鋭い言論の力を持つべきだ。
「一」言われたら、「十」言い返し、打ち返す「反撃力」を磨き抜いていくのである。
いわれない非難を受けて、黙って下を向いているような意気地なしの青年であってはいけない。
おとなしくして、かしこまっていては損するだけである。
相手の生命に叩き込むくらいの執念と勢いで、これでもか、これでもかと反論することだ。真実を語ることだ。沈黙しないことだ。
生命力に満ち満ちた私たちの力強い「声」――それが“広宣流布の弾丸”である。
偏見や無理解の壁を破る“正義の大砲”である。
わが信念を、わが正義を、どんな相手にも、しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いていくのである。
それが愉快で、楽しくてしかたないという一人一人になっていってこそ、広宣流布は、一段と勢いを増して進んでいく。
2017年7月19日聖教新聞「世界広布新時代第26回本部幹部会」での2005年7月本部幹部会でのスピーチ
2016年7月26日
東北の時代が到来
<地道に、何があっても信念を曲げない>
歩いた分だけ、
広宣流布の道が広がる。
人を励ました数だけ、
人材の花が咲く。
動いた分だけ、福運となる。
金木夫妻は、自分たちのことよりも、常に同志のことを第一に考える人であった。諸会合の会場として自宅を提供するため、皆が集まりやすいようにと、わざわざ駅の近くに家を構えた。
青森市内で活動し、夜、列車で帰っていく学会員を見ると、「外は寒いから、列車が来るまで、うちに寄って待っていなさい」と声をかけた。そして温かい味噌汁を振る舞い、おにぎりを持たせることもあった。
困っている人がいると聞けば、すぐに飛んでいって励ました。支部長の金木正は、よくこう語っていたという。
「会員の皆さんは、全員が尊い使命をもった仏の使いであり、大事な宝の人たちだ。一人も漏れなく幸せになってもらわなければ、申し訳ない」
青森の山村では、家庭訪問に行けば、次に訪ねる会員宅まで、一キロ以上も離れていることが珍しくない。夫妻は、積雪さえも払い飛ばす烈風のなかを勇んで歩いた。青森の気質である、“じょっぱり”といわれる強情さをいかんなく発揮し、風雪に、いやまして闘魂を燃え上がらせた。
“歩いた分だけ、広宣流布の道が広がる。人を励ました数だけ、人材の花が咲く。動いた分だけ、福運となる”と自分に言い聞かせながら、青森の大地に、広布開拓のクワを振るい続けてきたのである。
山本伸一は、深い感慨を込めて語った。
「青森支部の誕生から、既に満二十年が過ぎた。その間の青森広布の伸展は目覚ましいものがある。それは、金木夫妻のように、ただただ広宣流布のために、一切をなげうつ思いで、懸命に走り抜いてきた方々がいるからだ。その決意と実践がなければ、広宣流布の前進はない。
いよいよ学会は、これから広宣流布の総仕上げの時代に入っていく。それは、東北の時代が到来したということだ。地道に、何があっても信念を曲げない、青森の“じょっぱり魂”が光り輝く時代だよ」
小説新・人間革命 29巻 第3章 清新35
2017年5月22日
広宣流布は智慧の勝負
山本伸一は、下船してきた壮年たちを笑顔で包み込み、肩を抱き、握手を交わし、励ましの言葉をかけていった。
「待っていたよ! お会いできて嬉しい。さあ、出発だ!」
彼は、四国の同志の熱き求道の心が嬉しかった。その一念がある限り、広宣流布に生きる創価の師弟の精神は、永遠に脈打ち続けるからだ。
伸一は、久米川誠太郎に言った。
「本当に、船でやって来るとはね。面白いじゃないか。それだけでも皆が新たな気持ちになる。何事につけても、そうした工夫が大事だよ。広宣流布は智慧の勝負なんだ。
広布の道には、常にさまざまな障壁が立ちふさがっている。それでも、自他共の幸せのために、平和のために、進まねばならない。たとえば、陸路を断たれたら海路を、空路をと、次々と新しい手を考え、前進を重ねていくんだ。負けるわけにはいかないもの」
千年の昔、キルギスの大詩人バラサグンはこう訴えた。「生ある限り、すべての希望は君とともにある。知恵があれば、あらゆる目的は達せられる」(注)と。
この伸一の歓迎風景も、「聖教新聞」に報じられることはなかった。報道できなかったのである。
久米川に女子部の代表が、伸一からの花束を贈った時にも、伸一は傍らに立ち、大きな拍手で祝福し、歓迎していた。しかし、新聞では、彼の姿はカットされ、拍手する腕から先だけが写っているにすぎなかった。編集者は、断腸の思いで、写真をトリミングしたのである。
神奈川の同志は、神奈川文化会館の前でも、四国からやって来た遠来の友を、温かい大拍手で迎えた。そして、ひたすら師を求める信心の息吹を分かち合ったのである。
四国の同志の一人が、叫ぶように語った。
「弟子が師匠に会うこともできない。『先生!』と叫ぶこともいけない――そんな話に、おめおめと従うわけにはいきません!」
小説『新・人間革命』の引用文献
注 ユスフ・バラサグン著『幸福の智恵』ナウカ出版社(ロシア語)
〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 四十九 2017年5月22日
2015年12月17日
広宣流布の不滅の方程式
諸法実相抄には『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(諸法実相抄1360頁)
いずこの地であれ、どんな時代であれ、勇気ある「一人」の祈りと一念に呼応して、不思議なる使命の地涌の菩薩は、必ずや陸続と躍り出てくる。
これが広宣流布の不滅の方程式です。
SGIグラフ2016年1月号 2030年創立100周年へ 新たな地球文明の創出を
2014年9月21日22日
九月二十一日は
広宣流布の根本方軌を示す
『経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり、此の山にしてもをこたらず候なり、今の経文の次下に説いて云く「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と云云、かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり』(寂日房御書、903頁)
まさに、立宗のその日から大聖人御一人が無明の大闇を破る大闘争を開始されて二十七年。大聖人の仏法を持った人々が「民衆こそが仏」と立ち上がった。戦う民衆が成仏への道を大きく開きつつあった。その時に、魔の跳梁も頂点を迎えた。それが九月二十一日の大事件(熱原の法難)です。(中略)
捕らえられた二十人は、信念を揺るがさずに毅然たる姿を示した。このことは、何の力ももたない民衆が、障魔の強大な圧力を信心の力で跳ね返したことを示している。
民衆が、仏界の生命を顕し、生命の底力を発揮していくことこそが、広宣流布の根本方軌です。
熱原の民衆の深く強い信心は、妙法五字の大光明が、虐げられた末法の人々の胸中を赫々と照らしうることを証明しているのです。
御書の世界 第十五章 熱原の法難(抜粋)
2014年6月11日
地道即大前進
「広宣流布の大闘争といっても、特別なことなど何もないんです。日々、月々、同じことの繰り返しといってよい。私は、全国各地を回っていますが、どこへ行っても、私のやっていることは、ほとんど同じです。
勤行会や幹部会などに出席し、全力で励ます。懇談会などで皆の意見に耳を傾け、どうすれば皆が喜んで、元気に活動できるかを考えて手を打つ。また、一人でも多くの方々とお会いし、徹して激励する。家庭訪問して語り合う――日本国中、いや、世界各国、どこへ行こうが同じです。
その一つ一つに全生命を注ぎ込む思いで、真剣に取り組むんです。“もう一歩深く、心の中へ入ろう!”“もっと強く、魂を揺さぶる思いで励まそう!”と、いつも自分に言い聞かせながら、戦い挑んでいます。
どんなに高い峰も、登攀するには、一歩、また一歩と、着実に、力強く、足を踏み出し続けていくしかない。地道即大前進なんです」
小説 新・人間革命 27巻 激闘65
2014年2月18日
さあ共に、
広宣流布のシルクロードを!
勝つためには、忍耐である。
闘争である。
ある時は楽しく、
ある時は朗らかに、
ある時は静かに、
ある時は淡々と、
ある時は怒りながら、
ある時は慈悲をこめて、
ある時は仲良く、
日本中、世界中に、たくさんの仲間をつくりながら、
創価学会は進んでまいりたい。
勝利の人生を歩んでまいりたい。
敵がいなければ、勝負にならない。
何も恐れることはない。
敵は、われわれを強くしてくれるのだ。
ついに「創価学会の時代」に入った。
朗らかに、民衆の長蛇の列で、
全世界に通じる「広宣流布のシルクロード」を行進していきましょう!
2000.10.5創立70周年記念第50回本部幹部会、他
2013年12月7日
「ちかいし願やぶるべからず」
我らの祈りは、わが地域から全地球まで包み込みます。
この大殿堂は、「生死一大事血脈抄」の御聖訓の通り、ありとあらゆる差異を超えて、妙法の世界市民が集い合い、
「自他彼此の心なく水魚の思いを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え」(御書、1337頁)、
民衆の幸福と安穏、社会の繁栄、世界の平和、人類の宿命転換へ、
共々に励まし、
誓願へ勇猛精進していく究極の人間共和の宝塔なのであります。
ゆえに本日より、
この城を「広宣流布大誓堂」として、
世界広宣流布の新時代へ、
歓喜踊躍して正義と希望の大前進を開始したいと思いますが、
いかがでしょうか!
大聖人は「ちかいし願やぶるべからず」(同232頁)と仰せになられました。
我ら創価の家族は、
この広宣流布大誓堂とともに、
「ちかいし願」をいよいよ燃え上がらせて、
いかなる試練も断固と乗り越え、
金剛不壊にして所願満足の大勝利の人生を、
仲良く朗らかに飾りゆくことを約束し合い、
私の記念のメッセージといいたします。
2013年10月20日
断じて、これしかない!
2013年9月27日
広宣流布の軌道は行学の二道にあり!
我らの信心の目的とは、自分自身の無限なる「人間革命」と共に、全人類の平和と幸福という、壮大なる「広宣流布」の推進だ。
大聖人は、その実現への根本的な生命の軌道を、明確に示してくださった。
「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず」(御書1361頁)と。
「行」とは、広布への祈りであり、拡大への勇気の行動である。
「学」とは、御書の研鑽であり、自他共に絶え間なき教学の深化である。(中略)
私は誉れの門下たちに、最極の宝の中の宝である「行学」の魂を託したい。
大聖人は、「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し」(御書416頁)と仰せである。
大仏法の探求者たちよ、一生涯、人生勝利の大哲学者たれ!
妙法の実践者たちよ、一人も残らず、幸福栄冠の大博士に!
偉大なる/行学の二道の/勇者をば/大聖人は/讃え守らむ
聖教新聞2013.9.25付我らの勝利の大道115
2013年8月25日
広宣流布とは、魔との壮絶な戦い
さらに伸一は、「聖人御難事」の「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書1190頁)の箇所を取り上げ、「日々発心」の信心の大切さを訴えていった。 「広宣流布とは、魔との壮絶な戦いなんです。昨日まで、どんなに懸命に頑張り抜いてきても、少しでも前進の歩みが止まれば、魔に付け入る隙を与えてしまうことになる。 とかく人間は、困難の壁が厚いと、〝これでは、とてもだめだ〟と投げ出し、戦いの気概を失ってしまう。反対に、困難を克服できそうになると、〝もう大丈夫だ。なんとかなる〟と思って油断し、手を抜いてしまう。 どちらも、魔に食い破られた姿です。魔の狙いは、ともかく精進を忘れさせて、広宣流布の流れを停滞させ、破壊することにある。 それに勝つには、日々前進、日々挑戦、日々向上していくしかない。自転車は止まれば倒れる。一生成仏の戦いも同じです」
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 52
2013年5月16日
2013年3月22日
前進のリズムの本部幹部会
1989.3.22第15回本部幹部会 全集(72)323頁
2012年7月15日
広宣流布は「流れ」
妙法を持つ人が、一人から二人になるのも広宣流布です。一万人が五万人になるのも広宣流布です。 しかし、広宣流布とは数ではなく、「流れ」です。永遠に流れていくものです。ある時がきて、「これで、広宣流布は終わった」というものではない。それでは魂が消え、人間革命ができなくなってしまう。どこまでいっても広宣流布がある。
青春対話 1 青春と信仰 387頁