2022年9月14日
第2101回
今こそ、
歌を歌っていこう
<抜苦与楽の「学会歌」を高らかに>
歌を歌っていこう。
歴史が動くとき、
そこには歌があった。
学会は、歌とともに進んできた。
歌で勝ってきた。
学校も、
校歌を生き生きと歌っているところは
発展していると言われる。
年をとって、歌を歌わなくなると、
早く老けるという人もいる。
声を出すことである。
朝日に向かっていくように、
はつらつと題目の大音声を
響かせていくことである。
そして、
元気に歌を歌っていくことである。
歌は、力の源泉であり、
勇気の源泉であり、
喜びの源泉である
さあ、力強く、
歌を歌って前進していこう!
2005.8.15代表幹部研修会
※コロナ禍の今だからこそ、感染予防をしっかり工夫して、歌を歌っていこう。歌うことに大いなる意義と必要性があるのです。一人一人が声を出すんです。小単位の合唱祭もよいのでは…。生老病死を常楽我浄へと転換していきましょう。(サイト・マスタ)
2021年10月31日
第1766回
「歌」はリーダーとしての大切な要件
<広宣流布の指導者としての生き方>
青年部は、よく戸田の前で歌を歌った。戸田は、その歌に耳を傾け、歌い方に対して、常に厳しく指導してくれた。特に戸田が獄中で作詩した「同志の歌」や〝大楠公〟など、彼の思いが込められた何曲かの歌に対しては、ことのほか厳しかった。
「そんな歌い方で、この歌の心がわかるか! 私の目を見すえて、腹の底から声を出して歌うのだ」
伸一も、戸田の前で、幾度となく、歌を歌う機会があった。
戸田から、「そうだ。その歌い方だ!」と言われるまでに、二十回、三十回と繰り返し歌ったこともあった。
戸田は一つ一つの振る舞いを通して、学会の精神と広宣流布の指導者としての生き方を、必死になって教えようとしていたのだ。そこには、〝遊び〟など微塵もなかった。すべてが真剣勝負であったといってよい。
今、伸一は、青年たちの歌を聴きながら思った。
〝「水滸会」は、大事な訓練の場でなければならない。しかし、ここには、自ら進んで訓練を受け、自己を磨こうという自覚が全く感じられない……。戸田先生がこの姿をご覧になったら、なんと言われるだろうか。特に今回は、師の七回忌をめざして、ともに広宣流布へ船出する集いである〟
伸一の顔は曇った。彼は自らマイクを手にした。 「『水滸会』は、歌を一つ歌うにも中途半端であってはならない!
たった一曲の歌で人を感動させることもできる。勇気を与え、士気を鼓舞することもできる。それには、歌詞の意味をよく噛み締め、歌に生命を吹き込む思いで、真剣に歌うことだ。
また、将来、みんなは、どんどん海外に出ていくようになるかもしれない。世界の各界の指導者と会う機会も出てくると思う。その時に、歌や踊りや楽器の演奏で歓迎してくれたならば、こちらも歌ぐらい歌って、それに応えなければならないことだってある。だから、歌を歌うということもリーダーの大切な要件です。そのためにも、しっかり覚えておくことだ。
歌というのは、こう歌うのです!」
伸一は、「霧の川中島」を歌い始めた。
〽人馬声なく草も伏す
川中島に霧ふかし…… (作詞・野村俊夫)
感情のこもった、朗々とした抑揚のある歌い方であった。一番では、合戦の前の緊張をはらんだ静寂な川中島の光景が、聴くものの胸に、ありありと描かれていった。
そして、二番では、勇壮な決戦の様子が広がり、三番では、上杉謙信が敵将の武田信玄を討ち逃がした無念の思いが、切々と伝わってくる。
歌詞と声とが見事に溶け合い、車内に、川中島の歌の世界が展開されていった。皆、息をのんで、伸一の歌に聴き入っていた。
歌い終わると、盛んな拍手がわき起こった。
彼は、引き続き〝一高寮歌〟を歌い始めた。
〽嗚呼玉杯に 花うけて
緑酒に月の 影やどし
………… ………… (作詞・矢野勘治)
今度は、天下国家を担い立とうとする、一高生の凜然とした気概が脈打つのを誰もが感じた。それはまた、広宣流布に生き抜かんとする、伸一自身の気高き決意の表明でもあった。
伸一の歌はさらに続き、数曲を歌い上げた。
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 106頁~109頁
2014年3月4日
新しい時代を学会歌と共に
古今東西、民衆の興隆には必ず歌があった。
あのアメリカ公民権運動も、「ウィ・シャル・オーバーカム(私たちは勝利する)」と若人が歌を歌って行進し、歴史を回転させた。
青年の歌声は、悩みも悲哀も、吹き飛ばしながら、社会へ希望と活力を広げゆくのだ。
学会歌を歌えば、新しく力が湧く。新しい息吹がみなぎる。新しい人材が立ち上がる。
我ら青年学会は、学会歌を高らかに歌いながら、広宣流布へ大行進するのだ。
世界広布新時代を、明るく、にぎやかに、喜びあふれる歌声で、勝ち開こう!
創価新報2014.3.5号勝利の人間学第47回