2019年12月1日
第1631回
善と悪
<「南無妙法蓮華経」こそ善のなかの善>
――善と悪を、どのように判断していけばよいのでしょうか。(アメリカ、男子部)
非常にむずかしい問題です。国際的な問題、個人間の問題、そしてまた、家庭内の問題、その他さまざまな次元で、争いや、対立や、利害の衝突があるが、「こちらが善で、あちらが悪」と、明快に判別できないことが、あまりにも多い。卑近な譬えかもしれないが、夫婦げんかだって、どっちが善か悪か、よくわからないでしょう。(笑い)
日本に「勝てば官軍」という言葉があるように、「勝ったほうが正義で、負けたほうが悪」という考え方もある。しかしそれは、矛盾が大きい。現実には、正義が負けて、邪義が勝ってしまう場合がある。歴史を見、世間を見ても、悪人が強く、善人は弱いというのは、よくあることです。
では、何が善で、何が悪なのか。そもそも、善悪とは何か――人類にとって、永遠にわたる、重大な問題といってよい。そうしたなかにあって、ただ一つ、明快に言えることは、「南無妙法蓮華経」こそ善のなかの善だということです。
南無妙法蓮華経は、宇宙を貫く、永久不変の大法則です。「法則」であるゆえに、だれかがつくったものではない。変えようもない。「真理」です。森羅万象は、すべて妙法にのっとっている。
生命には十界がある。私たちの生命には、仏界がそなわっている。仏界は「つくる」ものではありません。自分の生命から「涌現」するのです。そのために御本尊があるのです。
そして、妙法を信受して、広布に生きる人生こそが、最高の善――極善なのです。
以上、少しむずかしかったかもしれないが、本源的な次元、そして宇宙的な次元から、善悪の根本について述べました。
そのうえで私が申し上げたいのは、「人を殺すことは、絶対に悪だ」ということである。どんなことがあっても、人を殺すことは、あってはならない。反対に、「人を救っていこう。世界を平和の方向にもっていこう」と行動することは、正義であり、善なのです。
2002.9.8世界平和祈念勤行会