同苦

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2022年3月13日

第1934回

小説「ペスト」に学ぶ

(後半)

 

<同苦と誠実で困難と闘う>

 

 ぺストの蔓延。それは、いつ終わるともしれない、死と悲惨の極限の状況であった。

 そのなかを懸命に戦い続けた中心者の医師リウーについて、小説では、こうつづられている。

 「公明な心の掟に従って、彼は断乎として犠牲者の側にくみし、人々や市民たちと一緒になって、彼等が共通にもっている唯一の確実なもの、即ち愛と苦痛と追放とを味おうとした。

 従って、市民たちの苦悶の一つとして、彼が共にしなかったものはなく、いかなる情況も、同時に彼自身の情況でなかったものはないのである」

 仏法の「同苦」の精神にも通じる行動といえよう。

 また、青年タルーは、「心の平和に到達するためにとるべき道」について聞かれ、それは「共感ということだ」と語っている。彼らは、″自分さえよければいい″という利己主義を振り捨てた。

 人の苦しみに同苦し、人のために行動する。その「共感」と「連帯」に生きるなかにこそ、自分自身の「心の平和」もあることを知っていたのである。わが学会の尊き同志の姿をほうふつさせる。

 さらにまた、リウーは訴えた。

 「ペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです」「僕の場合には、つまり自分の職務を果すことだと心得ています」

 真の誠実とは、人々のために、なし得る限りのことをなすことである。みずからの使命に生ききることだ。

 物語には、若い新聞記者も登場する。

 この青年は、当初、ぺストに侵された都市から脱出し、愛する人に再会するという、わが身の幸福ばかりを考えていた。しかし、医師リウーたちの献身の姿に心打たれ、同志に加わる。そして、ようやく得た脱出のチャンスもなげうって、行動を続けた。

 青年は言った。

 「自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかも知れないんです」

 この青年の心の革命が、物語の重要なテーマの一つでもある。

 本年(当時)は、「青年・拡大の年」である。

 創価の青年による「人間革命」の大運動は、地域をうるおし、社会を照らす、人生の勝利と幸福のための最先端の活動だ。その連帯の拡大こそ、二十一世紀の大いなる希望である。

 私は皆さまに、この小説の「根気強さは結局あらゆるものに打ち克つ」との一節を贈りたい。

 あらゆる波浪を越えて、根気強く、粘り強く進むことだ。

 絶えざる前進こそが、一切の困難を打ち破る。新たな歴史を築きゆく原動力なのである。

 皆さまが、どれほどの苦労をされながら、学会のリーダーとして、友のため、広布のために活動しておられるか。私はよく存じあげているつもりである。

 尊き同志が、どうしたら元気に、幸福に、生き生きと前進していけるか。健気な友に、どう励ましの光を贈っていくか。そのことを、私はだれよりも真剣に考えている。行動している。

 皆さまも、家庭や仕事、子どもの問題など、現実の生活においては、さまざまな悩みがあると思う。しかし、どんな問題や困難も、妙法を根本としていくならば、必ず乗り越えていくことができる。いちばん、いい形で解決していくことができる。それが仏法である。

 世間の眼ではわからなくても、信心の眼で見るならば、すべてに意味がある。また、すべてがいい方向へと生かされていくのである。

 

2005年3月11日婦人部・女子部最高協議会

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2022年3月12日

第1932回

小説「ペスト」に学ぶ

(前半)

 

<やる前に諦めるな!まずやって見よ!>

 

 二十世紀を代表するフランスの作家に、ノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュがいる。

 先日、カミュの世界的な名作である『ペスト』の日本語訳の初版本を、創価学園の「学園優秀会」の代表が届けてくださった。学園出身の大学生等で、良き兄として、後輩の栄光寮生の育成に尽力してきたメンバーである。

 『ペスト』は、私も青春時代に愛読した懐かしい一書だ。

 カミュは、鋭い言論でナチスと戦ったレジスタンスの闘士である。その彼が、第二次世界大戦が終結して間もない一九四七年に発表したのが、この小説であった。題名に掲げられた「ペスト」は、急性伝染性の病気である。死亡率が高く、史上、数々の大惨事をもたらしてきた。

 しかし作者カミュは、この「ペスト」をたんなる疫病としてだけでなく、人間を虐げ、蝕み、滅ぼしていく「不正や悪」の象徴としてつづったのである。

 物語では、ペストに見舞われた都市で、犠牲者が広がっていく様相と、その惨事に立ち向かって勇敢に戦う人々の姿が描かれている。

 若き英才の諸君に心から感謝し、この名作を通して語っておきたい。(以下、届けられた創元社刊の『ペスト』〈宮崎嶺雄訳〉から引用・参照)

 小説の舞台は、北アフリカのアルジェリアの都市オラン。

 ある日、悪疫ペストの発生を示す兆候が現れた。やがて少しずつ、犠牲者が出始める。しかし、本来なら、いち早く正確な情報を集め、都市を挙げて対策を行うべき責任を持つ人々が、なかなか徹底的な対策を講じようとしなかった。そのようすを、物語では鋭く、綿密に描いている。

 この都市の医師組合の幹事は、″自分には対策を講ずる資格がない。権力もない″と、即座に手を打たなかった。県知事もまた、″社会に騒ぎを起こしたくない。総督府にも命令を仰がないといけない″と、迅速な行動を怠った。新聞は、事態を軽く見て、真実を広く知らせようとしなかった。

 多くの人々は、自分は大丈夫だろうと行動を起こさなかった。また、皆、不安を感じながらも、真実から逃げようとした――。

 カミュは、「みんな自分のことを考えていた」と描写している。その「自己保身」「無責任」「無関心」の蔓延が、悪疫ペストの拡大を許してしまったのだ。

 小説の中で、ある人物が「決して明日に延ばすな」との格言を語る場面がある。

 悪は絶対に放置してはならない。電光石火で手を打つことが、皆を守ることになる。

 ぺストの拡大によって、ついに都市は外部から遮断される。患者の増大に、当局の対応は追いつかなくなった。

 そのとき、タルーという青年が、医師のリウーとともに、有志で保健隊を結成。悪疫ペストとの戦いを開始した。それは、人々の心に巣食う″あきらめ″との戦いでもあった。

 保健隊の結成について「そんなことはなんの役にも立ちませんよ。ぺストなんて、とても手に負えるしろものじゃないですからね」と言う人に、青年タルーは毅然と答える。

 「それはわからないでしょうね、あらゆることをやってみた上でないと」

 あきらめることは簡単である。むしろ、何も行動しない人間が、いちばん、早くあきらめる。

 しかし真の勇者は、最後まで執念をもって戦い、行動するものだ。″あらゆることをやってみる″ものだ。

(つづく)

2015年12月22日23日

人を助けて、自分も癒される

 

<菩薩行しか宗教はない>

 
 人を救うことによって、自分も救われる。これは心理学のうえからも言われています。癒しがたい心の苦しみを担って、「生きる力」をなくしてしまった人が、どうやって立ち直るか。
 いくら自分の苦しみを見つめても、ますます落ち込んでしまうケースが余りにも多い。それと反対に、同じような苦しみを味わっている人のもとへ行き、その人を助けることによって、自分も「生きる力」を回復すると言うのです。
 他者への「思いやり」の行動が、自分を「癒す」のです。
 中略)

 現代は、「人に尽くす」ことが、何か「損」のような風潮がある。
「慈愛」などというと、冷笑されるような雰囲気もあるが、そういう傲慢が、どれほど社会を不幸にしているか、はかり知れないね。
 ガンジーに、ある時、アメリカ人宣教師が聞いたという。「あなたの宗教とは何ですか、インドの未来の宗教はどのような形をとるのでしょうか」。
 宗教論議をもちかけられたガンジーは、何と答えたか。
 ちょうど、その部屋に二人の病人が休んでいた。
 ガンジーは二人を指さして、こう答えた。「奉仕すること、仕えることがわたしの宗教です。未来のことなど慮っていません」。

 ガンジーにとって、政治もまた「奉仕」であり、「最も貧しい人」たちに仕えることだったと言うのです。(森本達雄著『ガンデイーとタゴール』第三文明社。引用・参照)
 行動です。「菩薩行」にしか宗教はない。仏法はない。本来の政治も、教育もない。

法華経の智慧 嘱累品 第二十二章

2014年8月9日 

人びとの苦悩を凝視する心

   
 「常に、日本中、世界中に心を配り、最も苦しんでいる人、大変な思いをしている人のことを考えていくんだ。最も苦しんでいる人と、同苦していこうとする心――それが、大聖人の御心であり、学会の心です。そこに、仏法の人間主義がある。
 私は、夕べも、被災地の同志のことを思って、ずっと、お題目を送っていたんです」
 伸一は、幹部が“人びとの苦悩を凝視する心”を失うことを、最も恐れていた。その心を失えば、いつか組織は、形式化、官僚化していくからだ。


 小説 新・人間革命 25巻 共戦 111頁

2014年7月13日

同苦のなかに真の人間の道

 

(伸一)彼が強く訴えたのは、「学会と、同志と、苦楽を共にせよ」ということであった。
 「苦しい時に励まし合い、苦難を乗り越え、そして、一緒に楽しみを満喫して生きる――そこに、深く、強い人間の絆が生まれます。
 師弟も、師と弟子が苦楽を共にしていくなかで、金剛の絆がつくられていきます。
 日蓮大聖人の御生涯は、伊豆流罪、小松原の法難、竜の口の法難、佐渡流罪をはじめ、『其の外の大難数をしらず』(御書1240頁)と言われているように迫害の連続でした。
 その大聖人に常随給仕され、本当に苦楽を共にされたのが日興上人です。また、四条金吾も、竜の口の法難では、“もし、大聖人が頸を刎ねられるならば自分も命を捨てよう”との覚悟で、馬の轡に取りすがり、お供をしています。師弟の結合の強さとは、苦楽を共にしようという、同苦の心の強さであるといっても過言ではありません」
 また、大聖人は、「若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし」(同1250頁)と仰せになっている。
 大聖人は、一切衆生を大苦から救うために大難に遭われている。“恩を知るなら、大聖人に代わって、二つのうち一つは杖で打たれるべきではないか”と、同苦のなかに真の人間の道があることを教えられているのだ。

 

小説 新・人間革命 27巻 求道20

2014年4月5日

一切衆生の異の苦は「師弟の苦」


  日蓮大聖人は師子吼された。
 「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(同七五八頁)
 ここには、全人類のさまざまな苦悩をわが苦とされ、万人に成仏の道を開かれた御本仏の、大慈大悲の御境涯が述べられている。
 その大聖人の御心を、わが心として立つのが、われら末弟の生き方である。
 自分のことだけを悩み、汲々としているのではなく、周囲の人たちと、あらゆる人びとと同苦し、苦悩を分かち合い、崩れざる幸福の道を示すために、広宣流布に生き抜くのだ。
 あの友の悩みに耳を傾け、懸命に励ましの言葉をかける。この人に、なんとしても幸せになってほしいと、必死に仏法を語り、題目を送る――われらの健気なる日々の実践こそが、大聖人に連なる直道であるのだ。
 その時、自身の偏狭なエゴイズムの殻は破られ、地涌の菩薩の、御本仏の大生命が胸中に脈動し、境涯革命の歯車が回転するのだ。

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘8

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.11.23

第2318回

 

日天月天ワンショット

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