2016年12月22日
勝利の鉄則
攻めあいは、ひるんだら負け
<終盤はスピード>
戸田先生も将棋が、お好きだった。頭脳を、よりよく回転させる助縁ともされていたようだ。師弟二人で将棋を指しながら勝負の哲学を語りあったことも、懐かしい思い出である。
戸田先生は言われていた。
「人生の闘争も、将棋を指すように、いつも四手先、五手先まで考えていけ」
何ごとも、先の先まで読んで、二段構え、三段構えで考えていきなさいということである。
将棋の世界で語り継がれている勝利の鉄則がある。
「攻めあいは、ひるんだら負け」
激戦のときこそ断じてひるんではならない。
強気で攻めぬけということだ。
「攻めるは守るなり」
攻撃こそ最大の防御である。
「終盤はスピード」
最後の最後で勝負を決するのは、スピードである。
2004年6月15日池田大作全集スピーチ(96) 第三十九回本部幹部会、第九回婦人部幹部会、第九回全国青年部幹部会
2015年11月13日
勝利の因果
(完)
<師弟不二の太陽を昇らせよ!>
恩師・戸田先生と出会ってから六十二星霜(当時)。先生は言われました。
「妙法実践の証明が未来にどう開花していくか、私と共に、どこまでも戦ってもらいたい」
今、私はますます健康で、世界中の指導者と友情を結び、一千万の同志と共に前進しています。世界から拝受する栄誉も、師との出会いの瞬間から広がった″栄光の因果″です。広宣流布の大師匠にお仕えし抜いた果報に他ならない。
この栄冠のすべてを、私は報恩の心で牧口先生、戸田先生に捧げております。そして、この福徳が全同志へ子孫末代まで流れ通うように、との祈りを込めてお受けしているのです。
わが胸中に″師弟不二の太陽″が昇れば、その瞬間から大変革が始まる。打開できない宿命はない。打ち勝てない戦いなどないのです。
仏法で説く境涯革命の因果とは、現実的には、師弟がなければ実現されません。「妙法の因果」とは、いわば「師弟の因果」です。弟子は「因」です。師匠は「果」です。弟子の自覚に一切の因がある。
「開目抄」においても、大聖人は「法華経の行者」としての勝利を示されることによって、弟子が敢然と立ち上がることを促されています。
弟子の勝利が師匠の勝利である。師匠の勝利は弟子の勝利です。これが仏法の甚深の方程式であり、「師弟不二」の真髄です。
恩師の誓願であった七十五万世帯の折伏を達成した昭和三十二年の年末。私は詠みました。
冬枯れに
春の若芽は
因果倶時
不二の弟子として、未来に伸びゆく決意を託した句です。
師匠は心の大地です。その心の大地から、弟子は永遠に勝利の花を咲き薫らせるのです。
ゆえに君よ、あなたよ、断じて負けるな! 現在から未来へ断固と勝ちゆけ! 「師弟の因果」「勝利の因果」に生きゆく青春こそ、悔いなき生命の尊極の大道です。
わが尊き同志の皆様、本年も勇敢に戦い、威風も堂々と勝ち進もうではありませんか!
2009.1.8付聖教新聞 師弟と御書 第4回勝利の因果
2015年11月11日
勝利の因果
(4)
<“本因妙”で人生は強気でいけ>
最も苦しい時にこそ、
最も神々しい歴史が刻まれ、
最も大いなる福運が積まれる
人生は、生老病死の闘争です。しかし、皆様には、「無上宝聚 不求自得」(無上の宝の聚りを求めずして自ら得る)という「絶対勝利の信心」があります。
最も苦しい時にこそ、最も神々しい歴史が刻まれ、最も大いなる福運が積まれるのです。
広宣流布のために戦う皆様を、ご一家を、三世十方の仏菩薩、諸天善神が守護しないわけがありません。
私も妻も、全同志が厳然と守りに護られ、信心即生活で勝利していかれるよう真剣に祈っています。
「人生は強気でいけ」とは、戸田先生の遺言でありました。我らは強気でいきましょう!
戸田先生は語られました。
「結果を感じて結果に生きる──過去の因を考えて、今の果のみが生活の全体であるならば、人類の生々発展はありません。瞬間に起こった生活の事実を、たえず未来の原因とする、あるいは原因でなければならぬと決定するのが、本因妙の仏法であります」
「南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって、途中の因果みな消えさって、久遠の凡夫が出現するのであります」と。
過去がどうあれ、これまでがどうあれ、最も強い本因を新たに植えて生命の潮流を巻き返すことができる。そして「前へ! 前へ!」と未来を勝ち開いていけるのが、我らの信心です。
アメリカ・ルネサンスの旗手エマソンも言っている。
「成功をおさめた人びとのすべてに共通に認められる点が一つある──それは彼らが因果律を信じていたということだ」「私たちの役目は瞬間瞬間にかかわっているのだから、瞬間を大事に使うことにしよう」(小泉一郎訳)
世界的な経済学者として名高い、香港中文大学の劉遵義学長と語り合った時、「自己実現される期待」という理論が話題になりました。
つまり、人々が現在、抱いている「期待」が、未来の経済現象に反映されるという洞察です。
心の一念を明るく前向きに変えていくことは、経済の好転にも連動するのであります。それが人間社会の前進の因果です。
(つづく)
2015年11月10日
勝利の因果
(3)
<過去さえも変えていく>
今の自分の境涯を高めていくことで、
過去の因は悪因から善因となる
信心とは、過去から現在、また現在から未来への幸福を照らし出す道です。
「過去の因」に縛られ、「現在の果」を嘆く人生は不幸です。確かに、一面では「過去の因」があって今がある。しかし、今の自分の境涯を高めていくことで、過去の因は悪因ではなくして善因となる。過去に囚われない。いな、過去さえも変えていくことができるのです。
そして、今この瞬間の一念が変われば、それが「現在の因」となって「未来の果」をいくらでも変えていけます。
日蓮仏法は、太陽の仏法です。現実を変革し、未来を創る希望哲学です。わびしさや諦めなどない。くよくよ愚痴をこぼすことなどありません。
今の一念がどうか。それによって、常勝の道が深く、強く、できあがっていく。生死流転の苦しみを断ち切り、勝利と栄光の果を創造していけるのです。
その根本が「祈り」である。南無妙法蓮華経は、最も偉大な幸福の法則です。
御書に『久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直(ただち)に唱う』(御書875頁)とあります。
妙法を唱えれば、その瞬間に、久遠元初の大生命が発動します。その時、過去の宿業に左右されるような不幸は、乗り越えているのです。
妙法の「変毒為薬」(毒を変じて薬と為す)の功力は絶対です。信心は、宿命を転換し、この人生を最高に楽しく生ききっていくための道です。
「祈り」とは、観念ではありません。燃え上がる生命の勝利の炎です。この一念の炎があれば、祈った瞬間、生命はすでに勝っている。『百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる』(同1403頁)と仰せの通りです。
これが万人に開かれた人間革命の実践です。
新年を晴れやかに出発された皆様のように、「目標」を立てて、生まれ変わった決意で前進することも、偉大な「未来の果」をもたらす「現在の因」です。
戸田先生から私が、低迷していた文京支部の指揮を託されたのは、昭和二十八年の四月のことです。最初の会合で、私は同志と一緒に題目を唱えました。はじめはなかなか声がそろわない。しかし何度も繰り返すうちに皆は真剣になり、呼吸が合うようになった。そして「前進!」「前進!」と何度も声を出しながら出発した。この一念の革命から、全国が驚嘆する支部の革命が始まったのです。
広布の目標に、「よし、戦うぞ!」「断じて勝ってみせるぞ!」と挑む。この「現在」の決意の一念が「因」となって境涯が開け、不可能をも可能にしていく力が発揮できるのです。私も、この師子奮迅の連続闘争で勝ってきました。
どうか、『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経と』(御書1143頁)唱えに唱え抜いていってください。
(つづく)
2015年10月30日
勝利の因果
(2)
<宿命は今世で必ず転換できる>
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(開目抄232頁)
日蓮大聖人は、「関目抄」でこの心地観経の文を引用されています。
この経文は、過去世・現在世・未来世の三世にわたる生命の因果律を説いています。現在の姿を見れば、過去世の因がわかる。また現在の姿を見れば、未来の果もわかるという意味です。
この経文そのものは、通途の因果を説いたものです。しかし、佐渡流罪の大難の中で記された「開目抄」では、この経文を通して、さらに深遠なる「妙法の因果」の理法を鋭く表されていると拝されます。
すなわち、過去世からの宿命は、今世で必ず転換できる。広宣流布のために、三類の強敵と勇敢に戦い抜く中で、いかなる宿業も断ち切ることができる。難を勝ち越えて、大果報の未来を開くことができる、と示されているのです。(中略)
この「妙法の因果」に照らせば、私たちは、不思議なる宿縁によって、広宣流布を願って生まれてきた一人一人であります。″戦い、勝つために生まれた″地涌の闘士なのです。
私が戸田城聖先生に初めてお会いしたのは、昭和二十二年八月十四日、十九歳の時でした。
敗戦後の深い闇の時代です。私は胸を患い、「三十歳までは生きられない」と言われた無名の一青年でした。その私が、恩師に見いだされ、人間革命の仏法を学び、広宣流布の使命を託されたことで、若き生命に元初の太陽が昇ったのです。
「この師についていこう。この師のためならば、命を懸けても悔いはない!」──こう青春の心を決定しました。
生命はいずこより来たり、いずこへ往かんとするのか──。
眼前の社会には、苦悩から苦悩へと、流転を続ける人間模様が渦巻いていました。私自身も、死と隣り合わせの病魔との戦いが続いていた。
その中で、心地観経の一節に、私は強く胸を揺さぶられたのです。「すごい哲学だ」と直感しました。
(つづく)
2015年10月28日29日
勝利の因果
(1)
<運命は断固として創り変えていくものである>
師弟こそ勝利の根源力
二十三歳の二月、戸田先生の事業の危機を打開するために奔走する中で、私は日記に記しました。
「業因、業果、善因、善果、この理法は、誰よりも悉く自己自身が知悉しているものだ。所詮、誰人を責めるものでもない。誰人の責任でもない」
──。
透徹した仏法の因果律に照らすならば、運命は嘆き悲しむものではない。決然と立ち向かうものである。いな、断固として創り変えていくものである。
わが師・戸田先生は、師子王でありました。ゆえに、その弟子である私も、一切の悲哀や感傷を打ち破りました。私の胸奥には、広宣流布の師匠のために命を捧げて戦う随喜が燃えたぎっていた。この「師弟不二」の烈々たる一念を因として、正義の反転攻勢の渦を巻き起こしていったのです。
仏法も人生も、成長への最高の「因」となるのが「師匠」の存在です。師と出会い、師に応え、師と共に戦い、師の勇気と智慧を生命に刻んでいく中で、自分の小さな境涯のカラを破ることができる。それこそが、大いなる未来の自己を築きゆく勝利の根源力となるのです。
(つづく)