2023年2月9日10日
第2187回
永遠の勝利の方程式
<人の振舞にて候けるぞ>
御書に「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(全1174・新1597)――釈尊が世に出現された根本目的は、人の振る舞いを示すことである――とある
有名なお言葉です。
この「振る舞い」とは、
人間を最大に敬い、
尊重し、
守りゆくことであります。
人を子分のように思って尊大ぶる輩がいる。
権力をかざしていばりちらす魔性の人間がいる。
それと戦うのが真実の仏法者であります。
「友のため」
「地域のため」
「社会のため」
――それを真剣に考え、
悩み、努力していけば、
自然のうちに、
みずみずしい知恵がわき、
勇気が出、
人格ができていく。
そういう人生は、何があっても絶対に負けません。
そして、
そういう「一人」が本気になって立ち上がれば、
その地域も、組織も、必ず栄えていくものだ。
これが永遠の「勝利の方程式」です。
『池田大作全集』第91巻、66ページ
2022年6月27日
第2037回
何でもいい、何かで勝つことだ。
人に負けないものをつくることだ。
<そのための信心>
有名なアメリカの女性詩人、
エミリー・ディキンソン(一八三〇年〜八六年)の詩の一節に、こうあった。
「武器や家柄にくらべて
正義はずっと崇高なもの――」(『愛と孤独と――エミリ・ディキンソン詩集』3、谷岡清男訳、ニューカレントインターナショナル)
権力や家柄――そんなものに諂へつらうのは最低の心だ。
正義こそ、永遠の世界最高の財宝である。
いちばん崇高なものである。
皆さんは、そのことをよく知っておられる。
虚栄には真の幸福はない。
悠然と見おろしていくのだ。
妙法にかなうものはないのである。
何でもいい、何かで勝つことだ。
人に負けないものをつくることだ。
自分自身の生活の上で勝利することだ。
そのための信心である。
夫婦で一緒に、また子どもたちと、家族と、
そして同志と一緒に歩みながら、
「健康で勝った!」
「何かで勝った!」
と勝利の歴史をつくっていく人が、
本当に偉い人である。
満足の人である。
幸福の人である。
信心をしきった人、
広宣流布に戦った人は、
最高の勝利者となる。
「月月・日日につよ強り給へ」(御書1190頁)
との御聖訓を胸に、
わが人生を勝つために前進しましよう!
ディキンソンは喝破した。
「信仰を無くすことは
財産を失うことより大きいのです」(前掲『愛と孤独と――エミリ・ディキンソン詩集』1)
断じて信仰を失ってはならない。
これが、
十九世紀の先駆の女性の叫びであった。
2005.6.8第50回本部幹部会、第12回全国婦人部幹部会他
2022年5月27日
第2010回
全うする人が真の勝利者
<自分の行いの報いは、必ず自分が受ける>
きょうは、広宣流布の重要な責任を担うリーダーの会議であるゆえに、何点か語り残しておきたい。
信心で大切なのは、
「全うすること」である。
戦いを全うする。
自分の立場を全うする。
広宣流布の信心を、一生涯、
最後まで貫いてこそ本物である。
全うしぬいた人が、
本当の勝利者である。
青年部、そして青年部出身のリーダーは、
広布の敵と戦いぬく「勇気」と「力」がなければならない。
三類の強敵と戦えない意気地なしではいけない。
弱い青年部になってはならない。
青年部が弱くなったら、学会の未来はない。
広宣流布を阻む極悪を断じて許さず、
徹底して戦い、完全に打ち倒してこそ、
正義の指導者である。
私は青年時代、
戸田先生のもとで、厳しい薫陶を受けきった。
そして、うるわしい民衆の城を脅かすあらゆる敵と、
ただ一人矢面に立って戦いぬいてきた。
尊き無名の庶民とともに、
今日の世界的な創価学会を築き上げた。
青年部のリーダーは、
そうやって築かれた学会の組織の上に、
あぐらをかいていてはいけない。
甘えてはいけない。
敵とも戦わず、苦労もしないで、
いい気でいるような、
″格好だけ″のリーダーであってはならない。
仏法は因果の理法である。
生命の因果は厳しい。
自分の行いの報いは、必ず自分が受ける。
何よりも、
そのようなリーダーであっては、
会員の皆さんがかわいそうである。
広布のために奮闘してくださる同志に心から感謝し、
「皆さんに喜んでもらおう」
「自分にできることは何でもしよう」
「力の限り、希望と励ましを送ろう」と、
必死になって戦うことである。
2005.5.31婦人部・海外代表協議会
2022年3月21日
第1941回
「絶対勝利の要諦」
<「絶対に勝つと決めた者が勝つ」>
人生であれ、
会社であれ、
いかなる組織であれ、
競争や戦いをさけて、
成長はない。
発展もない。
これが現実である。
勝つことは幸福である。
負ければ不幸であり、みじめだ。
だからこそ、
断じて勝たねばならない。
勝つために、仏法はある。
幸福になるために、信心はある。
文豪トルストイの名作『戦争と平和』
の重要な洞察は何であったか?
それは、
「絶対に勝つと決めた者が勝つ」
との一点であった。
「断じて勝つ」。
この一念が強いほうが、
最後は、必ず勝つ。
この一念の力こそ、
祈りである。
私たちの信心である。
学会は、この強き「祈りの力」で、
一切に勝ってきた。
「以信代慧(信を以て慧に代う)」の仏法である。
信心は、境涯を開き、
勝つための「智慧」を生む。
さらに「真剣」と「忍耐」と「誠実」で進むことだ。
そしてまた、どこまでも、
「団結」していくことだ。
ここに、「絶対勝利の要諦」がある。
ともあれ、私たちは、
御本尊に題目を朗々と唱え、
無限の勇気と智慧と生命力を
わき上がらせながら、
尊き同志とスクラムを組んで、
生き生きと健康勝利の人生を、
勝ち飾ってまいりたい。(中略)
ロシアの魂の声に耳をかたむけたい。
文豪トルストイは叫んだ。
「知らないことを恐れるな。
虚偽の知識を恐れよ。
それは、世界の悪の根源である」
虚偽の知識――その悪の根を断つには、
正義の言論を強めることだ。
ドストエフスキーはつづっている。
「いうべき言葉を持っている人は、
自分の言葉が聴かれないだろうとか、
嘲笑されるだろうとか、
同時代人の頭脳に
なんらの印象をも与えないだろうとか、
そんなことをおそれずに発言するがいいのだ」
(『作家の日記』下、『ドストエフスキイ全集』15、米川正夫訳、河出書房新社)
正しいことを言うのに遠慮などいらない。
恐れる必要もない。
人類がともに幸福に生きる世界のために、
今こそ「人間革命」の哲学を
語りに語ってまいりたい。
2005.1.2新春代表協議会
2022年2月6日
第1893回
「常勝」の心
<「断じて勝つ!最後は勝つ!」>
人生においても、
社会においても、
立ちはだかる試練を前に、
「不可能」と決めつけて、
諦めてしまえば、
それまでである。
しかし、どんな困難も、
打開できないわけがないと
一念を定め、
挑戦していけば、
そこから、
未だかつてない
「可能性」を引き出し、
「希望」を
創りあげることができる。
たとえ今、
試練の冬にあろうとも、
心は閉じこもりはしない。
一歩、
北風に踏み出す勇気に、
戦う力、負けない力が
湧き上がる。
その心には、
もう勝利の春が
始まっているのだ。
信心の途上で
起こってくる苦難は、
すべて意味がある。
なかなか出口が見えない
困難な状況であっても、
時がたち、
長い目で見ていけば、
「なるほどそうだったのか」
「このためにあったのか」と
必ず分かるものである。
ゆえに目先の出来事に
一喜一憂する必要はない。
広布に生き抜く時、
転換できぬ「宿命」など
絶対にない。
皆が、地涌の菩薩であり、
幸福になる権利がある。
皆が、人生の檜舞台で、
風雪の冬を陽光の春へ、
苦悩を歓喜へと転ずる
大ドラマの主人公であり、
名優であるのだ。
常勝とは、
不撓不屈の異名だ。
「断じて勝つ!
最後は勝つ!」という
大確信であり、
大闘争心だ。
この「負けじ魂」が
あるところ、
いかなる逆境も、
すべて自身の人間革命と、
三世永遠にわたる
成仏の大境涯を開く
糧となることを忘れまい。
2022年2月6日〈池田大作先生 四季の励まし〉
2021年12月16日
第1829回
「後手は敗北」「先手は必勝」
一日一日が、勉強である。
一日一日が、改革である。
一日一日が、人間革命である。
一日一日が、真剣勝負である。
リーダーはつねに情報を共有し、意見を交換しながら、良き智慧を出し合い、的確な改革の布石を打ってまいりたい。
イギリスの歴史学者トイン博士は語っている。
「変革の必然性に対処する建設的な方法は、変革がぬきさしならなくなってくる以前に、自発的に変革を行うことである。われわれが行動を起すのが早ければ早いほど、われわれの洗濯の範囲は広くなるだろう」(『徳川幕府と平和への教訓』戸田基訳、「中央公論」1962年7月号)
大事なことは、「先手」を打つことだ。手を打つべきときに、手を打たないことを、「後手」という。「後手は敗北」「先手は必勝」である。とくに現代社会は、変化のスピードがどんどん早まっている。ゆえに、指導者が安閑としていては、時代に取り残されてしまう。
インドの大詩人タゴールは言った。
「頭を働かせない者は、わずかな変化をも受けつけない固定化した習慣になじんでしまうものである」(「自治への闘い」森本達雄訳、『タゴール著作集』8所収、第三一文明社)
つねに頭脳を回転させて、斬新な発想をしながら進むことだ。硬直した慣習は一つ一つ見直して、柔軟に変化させ、日々、生き生きと脱皮していくことだ。
2006年2月20日第二総東京代表協議
2017年2月25日
信心、人間としての勝利
<愚直のごとき求道の人
着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人>
今月の座談会で全同志が生命に刻んだ御書に、こう仰せである。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253頁)
誰人たりとも、「生老病死」の苦悩を避けることはできない。誰もが厳しい冬を耐え、戦わねばならぬ運命にあるともいえよう。だが、冬があればこそ、本当の春を知ることができる。御本尊を持った人は、人生の闘争の誉れの勇者なのだ。
たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。「冬の中に春を生む」梅花のように。(中略)
私は長年、多くの人生を見てきた結論として申し上げた。
「信心、また人間としての勝利は、愚直のごとき求道の人、また、着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人が、凱歌をあげている」と。
2017年2月22日随筆 永遠なれ創価の大城 16 青年の息吹で春へ(抜粋)
2017年2月7日
「考えろ! 考えろ!」
「頭は、勝つために考えるものだ」
<勝つためには、抽象論ではいけない。
具体的に、今、この時、即座に、手を打っていくことだ>
最高幹部は、しっかりと信心の眼を開けて、同志に対しては、優しく接することだ。
自分で自分を訓練しなければ、皆も伸びることができない。
すべては「人」で決まる。「人」を育てるのだ。全員が勝利者の道を歩む、そのための原動力にならなければならない。
戸田先生は、最高幹部に、「頭を使え!」と厳しく指導された。
幹部が形式にとらわれたり、惰性に流されては、組織は停滞してしまう。
「今、何を考えているのだ!」「考えろ! 考えろ!」「頭は、勝つために考えるものだ」とも言われた。
幹部は、幾重にも考え抜き、祈り抜いて、課題を明確にしていかなければいけない。
戸田先生は、「何世帯、折伏ができるのだ」「だれが、どうやって進めるのだ」と厳しく問われた。すべてにおいて、曖昧さを許さなかった。
約10倍の拡大を成し遂げた、忘れ得ぬ「山口開拓闘争」も、戸田先生の「今のうちに至急、手を打つ必要がある!」との一言から出発したのだ。
勝負は、時を逃してはならない。
先生は、常に時代を見据えられ、「即刻、手を打とうじゃないか」と、一つ一つ先手を打っていかれた。
また、弟子の私に、「最大の手を打ってくれたまえ」と追撃の一手を指示された。
だから学会は勝ってきたのだ。そういうところが伸びていくのだ。
勝つためには、抽象論ではいけない。具体的に、今、この時、即座に、手を打っていくことだ。
この戸田先生の将軍学を、私は深く心に刻んだ。そして瞬時に行動に移してきた。
2007年9月28日 全国代表協議会
2017年1月27日28日
人生の勝敗は、途中では決まらない
<勝っても負けても、生き生きと!>
ゲーテは『ファウスト』に、次のように記している。
「功労と幸福とは一つにつながる」
仏法に通じる、味わい深い言葉である。
広宣流布の労苦――特に陰の努力と功績にこそ、不滅の福徳が光る。
戸田先生は婦人部に強く言われた。
「信心を貫いていけば、功徳は厳然と現れる。その功徳とは、中途半端なものではない。目に見える絶大な功徳なのだ」
戦後間もないころ、戸田先生は事業に失敗され、莫大な借金を抱えられた。
私は、ただ一人、すべてをなげうって、先生をお護りした。
給料は何カ月も遅配。真冬でもオーバーもなかった。靴が買えず、足駄(高下駄)を履いたこともある。
「カランコロン」と音を鳴らして歩いていると、かつて勤めていた会社の上司と、ばったり出くわした。
昔はよく、雨の日、道が悪いので、足駄を履いたものだ。しかし、その日は晴れていた。
「池田君、きょうは天気なのに、何で足駄を履いてるの?」
私は朗らかに、「背が高くなるよう足駄を・・・」と答えた。
その上司が、「池田君は、必ず将来、偉くなるよ」と期待を寄せてくださったことも、懐かしい。
思い出深き、わが青春の一ページである。
私の人生は、恩師に捧げた人生である。
恩師ありて、今の自分がある。本当に幸せだ。
この師弟の道を、まっすぐ走りぬいてきたゆえに、世界一の栄誉となって、満開の桜のごとく花開いている。
ゲーテは、こうも綴っている。
「私の中には、高貴な宝が豊富にある。それは、人のためになる宝なのです」
この宝を引き出す究極の力が、「信心」であり、「師弟」なのである。
さらに、私が青春時代から好きだったゲーテの言葉を贈りたい。
「生きているあいだは、いきいきとしていなさい」
いい言葉だ。簡単なようで深い哲学が込められている。
いくら健康であっても、何の目標もなく、張り合いもない。挑戦もなければ、喜びもない。ただ漠然と、むなしい日々を送るだけ。そんな“生ける屍”になってはいけない。
「生き生きと」進むのだ!
たとえ病気になっても、心生き生きと!――絶対に負けてはいけない。戦う心まで病魔に食い破られてはならない。
勝っても負けても、生き生きと!――人生の勝敗は、途中では決まらない。最後に勝つ人が、真の勝利者なのである。
2009年4月14日 全国代表協議会