2021年11月7日
第1774回
第三代会長の胸の思い
<世界の民衆の幸福と平和の実現>
(1960年11月6日第九回男子部)総会であいさつに立った伸一は、胸の思いを率直に語っていった。
「私は、青年部の出身者の一人として、本日の総会を心から祝福するものでございます。しかし、私が皆さんのこの旅立ちを祝福するのは、皆さんの力によって、創価学会という教団が大きくなり、勢力を増していくことを期待しているからではありません。
日蓮大聖人の仏法をもって、自分も幸せになり、人をも幸せにしていこうという若き地涌の菩薩である皆さんが、たくましく育っていくことによって、日本、そして、東洋、世界の民衆の幸福と平和の実現が可能になるからであります。
戸田先生の青年部に対する期待は、筆舌に尽くせぬ大きなものがございましたが、私も、これだけ多くの優秀な青年部の後輩が育っている姿を見て、心から安心し、力強く思っている次第でございます」
さらに、伸一は、広宣流布への流れは、もはや決して止めることのできない時代の潮流であると宣言したあと、次のように述べた。
「私は、一応、会長という立場にありますが、自分が偉いとか、地位が上であるなどと考えたことは一度もありません。最後の最後まで、諸君と苦楽をともにしながら、諸君の心を心とし、兄弟、家族として広宣流布のために戦い抜いていく決意でございます」
そして、終わりに「家庭、職場、社会にあって、誰からも、尊敬、信頼される模範の青年たれ。人間の正義のために戦う勇者たれ」と訴え、話を結んだ。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 196頁~197頁
2021年10月21日
第1751回
会長の思い
<陰の人として同志のために尽くすこと>
カメラを手にした、若い婦人から声があがった。
「先生、記念撮影をしてください」
「撮りましょう。せっかく、皆さんが来てくださったんですから」
伸一を中心にして、皆が並ぼうとすると、彼は、さっと後ろに退いた。皆、怪訝な顔で伸一を見た。
「皆さんが前に来てください。私は後ろでいいんです。後ろから皆さんを見守っていきたいんです」
それは、伸一の率直な気持ちであった。会長として広宣流布の指揮をとることは当然だが、彼の思いは、常に陰の人として同志のために尽くすことにあった。
伸一の言葉に、メンバーは驚きを隠せなかった。皆がいだいていた「会長」のイメージとは、大きく異なっていたからである。伸一の態度は、およそ世間の指導者の権威的な振る舞いとは正反対であり、ざっくばらんで、しかも人間の温かさと誠実さが滲み出ていた。
<新・人間革命> 第1巻 錦秋 143~144頁
2021年10月19日
第1749回
会長就任の「覚悟」
<そして世界広布へ>
午後五時過ぎ、同行の幹部たちは、座談会に出かけていった。
外は雨になっていた。皆が出発すると、山本伸一はベッドの上に正座し、しばらく唱題を続けた。病魔との、真剣勝負ともいうべき闘いの祈りであった。伸一は唱題の後、ベッドで体を休めた。広宣流布の長途の旅路を行かねばならぬ自分の体が、かくも病弱であることが不甲斐なく、悔しかった。
伸一は、第三代会長として、一閻浮提広布への旅立ちをした、この年の五月三日の夜、妻の峯子と語り合ったことを思い出した。
──その日、夜更けて自宅に帰ると、峯子は食事のしたくをして待っていた。普段と変わらぬ質素な食卓であった。
「今日は、会長就任のお祝いのお赤飯かと思ったら、いつもと同じだね」
伸一が言うと、峯子は笑みを浮かべながらも、キッパリとした口調で語った。
「今日から、わが家には主人はいなくなったと思っています。今日は山本家のお葬式ですから、お赤飯は炊いておりません」
「確かにそうだね……」
伸一も微笑んだ。妻の健気な言葉を聞き、彼は一瞬、不憫に思ったが、その気概が嬉しかった。それが、どれほど彼を勇気づけたか計り知れない。
これからは子どもたちと遊んでやることも、一家の団欒も、ほとんどないにちがいない。妻にとっては、たまらなく寂しいことであるはずだ。だが、峯子は、決然として、広宣流布に生涯を捧げた会長・山本伸一の妻としての決意を披瀝して見せたのである。
伸一は、人並みの幸福など欲しなかった。ある意味で広布の犠牲となることを喜んで選んだのである。今、妻もまた、同じ思いでいることを知って、ありがたかった。
しかし、伸一は、それは自分たちだけでよいと思った。その分、同志の家庭に、安穏なる団欒の花咲くことを願い、皆が幸せを満喫することを望んだ。そのための自分の人生であると、彼は決めたのである。
峯子は、伸一に言った。
「お赤飯の用意はしておりませんが、あなたに何か、会長就任のお祝いの品を贈りたいと思っております。何がよろしいのかしら」
「それなら、旅行カバンがいい。一番大きな、丈夫なやつを頼むよ」
「カバンですか。でも、そんなに大きなカバンを持って、どこにお出かけになりますの」
「世界を回るんだよ。戸田先生に代わって」
峯子の瞳が光り、微笑が浮かんだ。
「いよいよ始まるんですね。世界広布の旅が」
彼は、ニッコリと笑って頷いた。
伸一は、もとより、広宣流布に命をなげうつ覚悟はできていた。広布の庭で戦い、散ってゆくことには、微塵の恐れも、悔いもなかった。もともと医師からも、三十歳まで生きられないと言われてきた体である。いつ倒れても不思議ではない。
しかし、恩師の志を受け継ぎ、世界広布の第一歩を踏み出したばかりで、倒れるわけにはいかなかった。伸一は今、シアトルのホテルでベッドに伏せながら、自らの体の弱さが悔しくてならなかった。
〝生きたい。先生との誓いを果たすために〟
彼は「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書一一二四㌻)との御聖訓を思いつつ、熱に苛まれながら祈った。
激しさを増した雨が、ホテルの窓を叩いていた。
<新・人間革命> 第1巻 錦秋 156頁~160頁
2014年12月10日
青年会長と青年らしくいつまでも!
<仏法は勝負、勝つ根幹は題目です。信心です。>
「仏法は勝負です。勝たねばならない。
勝つ根幹は何か。
題目です。信心です。
年配者は、その信心、哲学、幸福への絶対条件である学会精神、これだけは、お子さん、お孫さんに伝えてください。そのお子さん、お孫さんが勝ったならば、全部、皆さん方が勝ったのと等しい。その決意でやっていけば、どれほど楽しい戦であるか。どんな苦難があっても、全部、変毒為薬され、楽しい仏道修行に変わります」(中略)
「私は、皆さん方を守っていくことに対してだけは、全神経を費やしていきます。それで体が悪くなろうが、疲れようが、皆さん方に誠意を尽くしていきたい。私は、これで一生を通していく決意であります。
まっすぐに、大聖人の仰せ通り、恩師・戸田先生の仰せ通り、皆さん方に尽くしていきたい。守り切っていきたい。
これが私の、偽らざる信条であります」(中略)
「私の決意は、皆さん方を、断じて守り抜こうということです。皆さん方が、本当に幸福になってくださることこそが、私の念願であり、また、誓いなんです。その思い以外には、何もありません」(中略)
「三障四魔ならびに三類の強敵に対しては、厳然たる態度でまいります。そして、皆さん方の道を開き、皆さん方のお子さん、お孫さんが活躍できる妙法の道だけは、私が開いていきますから、安心してついてきてください。
私と共に、道理正しく、着実に、地道に進みなさい。ちゃんと御本尊が解決してくださいます。時が解決してくれます。
御本尊だけは離してはいけません。信心だけは強盛でいきなさい。学会から離れれば、損です。血脈が切れてしまう」
「青年会長と一緒に、青年らしく、若々しく進んでください!」
大白蓮華No.781号2014.12月号23、24頁
2014年7月7日
創価学会会長の精神
(1977年昭和52年)三月十二日の夜には、壮年、婦人の代表が参加して、第二回となる福島文化会館の開館記念勤行会が行われた。
この席上、山本伸一は、「福島県は、その独自性を生かしながら、新しい広宣流布の模範の地域にしていっていただきたい」と要望したあと、会長としての自分の心境と決意を語った。
「私は、会長に就任してから今日まで、本当に、心から安堵した日はありません。
“全学会員が幸せになる前に、自分が、晴れ晴れとした気持ちになることは間違いである。指導者として失格である”と、心に決めているからであります。
また、『横柄な態度を取る幹部がいて、会員の皆さんが困っている』などと聞くと、身を切られるように辛いんです。
“会員の皆さんが幸せになり、福運にあふれた、楽しい人生を歩んでいかなければ、なんのための会長か!”と、常に、自分に言い聞かせています。
皆さんが、“信心してよかった!”“学会員でよかった!”“こんなに幸せになりました!”と、心から言えるようにならなければ申し訳ないとの思いで、私は、福島に来ているんです。実は、これが、創価学会の会長の精神なんです」
小説 新・人間革命 25巻 福光 82頁