2021年11月28日
第1804回
偉大なる「人類の教師」の最期
(前半)
<人間仏陀>
釈尊は、すべてに平等であった。
彼には、
貴族も庶民も、
男も女も、
貧富の差も、関係なかった。
王に法を説く時も、
遊女に法を説く時も、
彼の態度は決して変わらなかった。
どんな人に対しても、
同じ人間として接した。
やがて雨期に入った。
釈尊と阿難の二人は、ほかの弟子たちとしばらく別れ、毘舎離の近郊の竹林村にとどまることにした。
釈尊は、ここで病の床についた。旅の疲れに加え、インドの雨期の暑気と湿度が、衰えた老躯をさいなんだのであろう。病名は不明だが、彼は死ぬほどの激痛に苦しみ、悶えた。
しかし、釈尊は思う。
〝弟子たちに別れも告げずに、ここで、死ぬわけにはゆかぬ!〟
釈尊は、生命力を奮い起こして、病に挑んだ。病に伏す師匠・釈尊を前に、阿難はなす術もなかった。
釈尊は激痛をこらえ、不屈の精神力をもって、病魔を退けた。そして、久し振りに病の床から立って、外に出た。
阿難は、喜びを隠せなかった。
「世尊が病床にあった間は、私は心配で、何も手につきませんでした。でも、お元気な姿を見て、安心いたしました。世尊は、最後の大法を説かれない限り、亡くなるはずはないと、確信できました」
釈尊は静かに言った。
「阿難よ。
お前は、何を期待しているのだ。
私は、皆に、わけへだてなく、
いっさいの法を説いてきた。
まことの仏陀の教えというのは、
奥義や秘伝などといって、
握り拳のなかに、
何かを隠しておくようなことはないのだ。
全部、教えてあるではないか」
当時のバラモンたちは、大切なものを握り拳に隠すように、奥義は明らかにせず、死の直前に、気に入った弟子にだけ教えるのが常であった。しかし、釈尊は、そうした考えにとらわれていた阿難の心を打ち砕くように、万人に対して、真実の法を説いてきたことを宣言したのであった。
教団の混乱は、後に弟子たちが自らを権威づけるために、秘伝や奥義など、何か特別な教えを、自分が授かったと主張し始めるところから起こっている。
この話は、本来、仏法には、
そうした特別な法の伝授などないことを明確に物語っている。
すべての法が説かれた以上、
あとは、その実践しかない。
行動しかない。
また、それが弟子の戦いである。
それから、釈尊は、自分の体は衰え、余命いくばくもないことを告げた。
阿難は、この師が亡くなったあと、自分は、何を頼りに生きていけばよいのかと思うと、たまらない不安と悲しさを覚えた。
すると、それを見透かしたように、釈尊は言った。
「阿難よ、
強く生きよ。強くなるんだ。
自分が弱ければ、
どうして幸福になれようか。
悩める人を救っていけようか。
そのために、
自分を島とし、
自分を頼りとし、
他人を頼りとしてはならない。
そして、
法を島とし、
法を拠り所とし、
ほかのものを拠り所としてはならない」
揺るぎなき島のごとく、
確かな「自己」によって、
「法」によって生きよ
──それは、釈尊が、生涯、説き続けてきた、
核心ともいうべき教えであった。
(つづく→後半)
<新・人間革命> 第3巻 仏陀 244頁~247頁
2021年11月29日
第1805回
偉大なる「人類の教師」の最期
(後半)
<人間仏陀>
(つづき)
涼風がそよぎ、木々の葉が揺れた。既に雨期は明けていた。
健康を回復した釈尊は、阿難に向かって言った。
「さあ、旅立とう!」
釈尊は、また、新しい村へと向かった。一つの村から、さらに次の村へと、彼の布教の歩みは続いた。
パーバーという村に来た時、釈尊は、鍛冶職人の在家信徒が供養したキノコ料理を食べた。すると、激しい下痢をした。下血もしていた。
しかし、彼は、それでも旅を続けた。喉の渇きを訴え、よろけながらも足を運んだ。
彼がめざしたのは、故郷の迦毘羅城に向かう道筋にある拘尸那城(クシナーラー)であった。故郷をひと目、見たいという思いもあったのかもしれない。
拘尸那城に着くと、釈尊は、沙羅双樹の木と木の間に寝床を用意するように、阿難に頼んだ。
「私は疲れた。横になりたい……」
つぶやくように言うと、阿難の整えた寝床に、身を横たえた。
阿難は、釈尊の死期が迫ったことを感じた。彼は泣いた。諸行は無常であることは、幾度となく釈尊から教えられてきた。しかし、師が永遠の眠りについてしまうかと思うと、泣かずにはいられなかった。
釈尊は、そんな阿難を気遣い、傍らに呼んで励ますのであった。
釈尊の死が間近に迫ったことを聞きつけ、町の人たちが、次々と訪ねて来た。人びとはそっと礼をし、目頭を拭いながら帰っていった。
そこに異教の遍歴行者の須跋陀羅(スバッダ)がやって来た。
釈尊に会って、教えを請いたいというのである。阿難は断った。
「世尊は疲れ切っておられる。重体なのです。世尊を悩ませるようなことは、おやめいただきたい。どうかお引き取りください」
しかし、須跋陀羅は引き下がらなかった。二人は押し問答になった。
そのやりとりを耳にしていた釈尊は言った。
「やめなさい、阿難。その方をお連れしなさい。聞きたいことは、なんでも尋ねればよい」
釈尊は、質問に答えて、諄々と法を説いていった。命を削っての説法であった。須跋陀羅は、感激して、弟子となることを申し出た。これが釈尊の最後の布教であり、須跋陀羅は最後の直弟子となった。
沙羅双樹の間にしつらえた寝床の上で、釈尊は、うっすらと目を開けていた。その木には、時ならぬ花が咲いていた。周りには弟子たちが心配そうに集っていた。
釈尊は静かに言った。
「私に聞きたいことがあったら、なんでも聞きなさい。今後、どんな疑問が起こるかもしれない。その時になって、聞いておけばよかったと、後悔しないように、今のうちに、なんでも聞きなさい……」
釈尊は、三たび繰り返したが、質問するものは誰もいなかった。臨終を前にして、なお、自分たちを教え導こうとする師の心に、弟子たちは感涙を抑えるのに精いっぱいであった。
阿難が、やっと口を開いた。
「これまで、世尊からさまざまな教えを賜ってまいりましたので、誰も、疑いや疑問はございません」
「そうか……。疑いの心がなければ、皆、退転することなく、正しい悟りに達するであろう」
それから、最後の力を振り絞るようにして言った。
「すべては過ぎ去ってゆく。怠りなく励み、修行を完成させなさい……」
こう告げると、釈尊は静かに目を閉じた。そして、息絶え、安らかに永久の眠りについた。
「世尊!……」
弟子たちは、口々に彼を呼んだ。
沙羅双樹の淡い黄色の花が、風に舞い、釈尊の体の上に散った。
これが、人間・仏陀の、
偉大なる「人類の教師」の最期であった。
<新・人間革命> 第3巻 仏陀 247頁~250頁