2022年2月12日
第1902回
「二月闘争」
<報恩の一念>
日蓮大聖人は、
「弟子が法華経を弘める功徳は、必ず師匠の身に帰す」
(御書九〇〇ページ、趣意)と仰せである。広宣流布の拡大こそ、「師恩」に報いる最極の道である。私はこの精神で、戸田先生のため、広宣流布のために戦いぬいてきた。
伝統の「二月闘争」の淵源となった、蒲田支部の折伏の大闘争。これも″戸田先生の願業である七十五万世帯の折伏を、断じて実現させる″との強き弟子の一念から始まったのである。
イギリスの文豪シェークスピアは、戯曲でつづっている。
「吹けよ 吹け吹け 冬の風
おまえの心はあたたかい
恩を忘れる人よりも」(『お気に召すまま』小田島雄志訳、『シェイクスピア全集』4所収、白水社)
忘恩の輩の心は、冬の風よりも冷たい――こう言うのである。
報恩こそ、人間としての正しい生き方である。その心は、春の陽光よりもあたたかい。美しい輝きを放っていく。
2006年2月10日婦人部代表幹部協議会
2022年2月8日
第1895回
「二月闘争」は
女性の勢いで勝った
思えば昭和二十七年(一九五二年)、あの「七十五万世帯の大法弘通」への突破口を開いた、東京・蒲田支部の二月闘争においても、勝利の推進力となってくださったのは、婦人部(女性部)の皆さま方であった。
戸田先生の命を受け、支部幹事として一人立った私は、支部婦人部(女性部)長に言った。
「二月に、二百世帯の折伏をやりましょう」
婦人部(女性部)長は驚かれながらも、勇んで立ち上がってくださったのである。
私は、婦人部(女性部)の皆さま方に、生き生きと、自信満々に、信心の体験を語っていただくことをお願いした。青年部の若い情熱と、婦人部(女性部)の絶対の確信が一体となって、折伏の波は大きく広がっていった。私自身、日曜の朝から、婦人部(女性部)の方と一緒に仏法対話に走ったことも、忘れ得ぬ宝の歴史である。
私の妻も、女子部(女性部)として、寒風のなか、折伏に飛び回った一人であった。拠点であった自宅での座談会にも、職場の上司を誘った。率先して会合を盛りあげるとともに、毎日毎晩、集まってこられる方々を笑顔で、お迎えしていった。集われた婦人部(女性部)のお子さんたちに、絵本を読んであげるのも、妻の役割であった。
ともあれ、婦人部、女子部(女性部)を中心として、各部が一丸となって、仲良く朗らかに、一人また一人と、御本尊流布を成就していったのである。
2006年2月1日婦人部代表者会議