2014年10月6日
不退は、信仰の最高の勲章
広宣流布は今、世界同時進行です。
各国ともに、広布の大河が滔々と流れ始めました。
広宣流布は人類が希求してやまぬ大理想です。学会しか成し遂げられません。私たちの地涌の使命は、あまりにも深く大きい。
戸田先生は「広宣流布とは、万人の幸福を勝ち取る人権闘争である。正義の闘争である。それが、学会青年の使命だ!」と言われました。
大いなるわが使命だからこそ、それを実現しゆくためには、私たちの一日一日の「水の信心」の実践が重要なのです。
宿命や障魔の嵐があろうとも、魔の十軍が心を揺さぶろうとも、わが日々の仏道修行をたゆみなく繰り返す。不動の信心を貫き、朝晩の勤行、座談会、仏法対話、教学、人材育成にと、着実に信行学の実践を貫き通す人こそが、信仰の王者です。本物の仏弟子です。
この積み重ねが、自身の生命に永遠に崩れざる「心の財」を刻み、仏の境涯を築きあげるのです。
10年、20年と、わが人間革命の坂道を、一歩一歩、登り続けた人には、誰もかないません。
不退は、信仰の最高の勲章です。
民衆の大地で人を育てる人。人を幸福にする人。人を励ます人。地道に長年戦ってきて、さらに戦い進む人。すなわち地涌の庶民こそが、真実の人間の英雄であり、生命の勝利者なのです。
大白蓮華No.779号2014.10月号42、43頁
2014年10月5日
御本尊を信じ切れ!すべてに意味がある。
『釈迦仏・法華経の御そら事の候べきかと・ふかくをぼしめし候へ、恐恐謹言』(上野殿御返事、1544頁)(中略)
「釈迦仏、法華経に虚妄はあるはずがないと、深く信じていきなさい」と仰せのように、どこまでも、御本尊を無二の心で信じ切っていくことが大切です。この病には深い意味がある。強く御本尊を信じていくなら、必ず病も乗り越えていけるとの大聖人の御指導なのです。
信心の途上で起こってくる苦難は、すべて意味があります。なかなか出口が見えない困難な状況であっても、時がたち、長い目で見ていけば、「なるほどそうだったのか」「このためにあったのか」と、必ず分かるものです。ゆえに目先の出来事に一喜一憂する必要はない。永遠に続く嵐はないように、永遠に続く苦難はありません。
すべてを転重軽受でき、変毒為薬していけるのが、この仏法の偉大な力用なのです。
大白蓮華No.779号2014.10月号38、41頁
2014年9月21日22日
九月二十一日は広宣流布の根本方軌を示す
『経に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」と此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり、此の山にしてもをこたらず候なり、今の経文の次下に説いて云く「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と云云、かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり』(寂日房御書、903頁)
まさに、立宗のその日から大聖人御一人が無明の大闇を破る大闘争を開始されて二十七年。大聖人の仏法を持った人々が「民衆こそが仏」と立ち上がった。戦う民衆が成仏への道を大きく開きつつあった。その時に、魔の跳梁も頂点を迎えた。それが九月二十一日の大事件(熱原の法難)です。(中略)
捕らえられた二十人は、信念を揺るがさずに毅然たる姿を示した。このことは、何の力ももたない民衆が、障魔の強大な圧力を信心の力で跳ね返したことを示している。
民衆が、仏界の生命を顕し、生命の底力を発揮していくことこそが、広宣流布の根本方軌です。
熱原の民衆の深く強い信心は、妙法五字の大光明が、虐げられた末法の人々の胸中を赫々と照らしうることを証明しているのです。
御書の世界 第十五章 熱原の法難(抜粋)