2024年1月23日
第2286回
人間王者たる
常不軽菩薩を紹継!
<万人成仏の振る舞いを>
来る日も来る日も、人と会い続ける。
生命の尊厳性を見つめ、対話する。
きょうも、その人の持つ可能性を信じ、合掌する。
特別な修行ではなく、
生涯、ただ一途に、
他者を敬う礼拝行を
愚直なまでに繰り返す。
そして、最後は、
非難する迫害者たちをも救い、
偉大なる人間の王者として輝いていく。
これが、法華経に説かれる
常不軽菩薩の軌跡です。
御本仏・日蓮大聖人は、
「日蓮はこれ法華経の行者なり。
不軽の跡を紹継するの故に」(新1314・全974)
と仰せられています。
この大聖人に連なり、
忍耐強く、
誰彼の差別なく、
人間の中へ飛び込んでいく
不軽の行動を、
まさに現代に映しているのが、
私たち学会員※1にほかなりません。
池田先生最期の御書講義より
2023年大白蓮華12月号№890 12頁
※1 これは先生が信じてやまない学会員像です。翻って、一部の私利私欲と名聞名利の旺盛な無体験二世~幹部世代に、先生のこの御言葉が当てはまるかは、現場を知る人間として甚だ疑問を感じざるを得ない。同じ題目を上げているにもかかわらず、あまりにも悲惨な娑婆世間である。あの五老僧を思えば納得も・・・。(サイト・マスタ)
2015年11月30日12月1日
不軽菩薩の実践(完)
<「常不軽の精神」で生きぬけ>
大聖人はこう仰せである。
『過去の不軽菩薩は法華経を弘通し給いしに、比丘・比丘尼等の智慧かしこく二百五十戒を持てる大僧ども集まりて優婆塞・優婆夷をかたらひて不軽菩薩をのり打ちせしかども、退転の心なく弘めさせ給いしかば終には仏となり給う』(御書1415頁)
――過去の不軽菩薩が法華経を弘通された時、僧や尼で、知恵があり、二百五十戒を持つとする権威ある高位の僧たちが集まり、在家の男女をかたらって不軽菩薩を罵詈し、暴力を加えた。しかし不軽菩薩は退転の心なく法華経を弘められたので、ついには仏となられたのである――。
不軽に浴びせられた「悪口罵詈」「杖木瓦石」の集中攻撃。大聖人は、その背景に、権威や邪智の者の″連合″による陰湿な策謀があったことを示されている。
大なり小なり、いつの時代にも、こうした現実は変わらないのかもしれない。
ともあれ不軽は、
断じて退かなかった。
負けなかった。
″進まざるを退転″――この、
前へ前ヘと勇んで進み続けた
不軽の姿にこそ、
不滅の学会精神がある。
そして、最後に不軽は、永遠に轟きわたる生命の凱歌をあげた。それは厳然たる″仏法は勝負″の証であった。
「御義口伝」に、こう明言されている。
『所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり』(御書765頁)――詮ずるところ、今、日蓮大聖人およびその門下として、南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は、末法の不軽菩薩である――。
(中略)いずれにしても、私どもが大聖人の御精神に連なり、さまざまな圧迫に負けず、妙法を唱え、猛然と思想戦・言論戦、広宣流布の戦いを進めていく。そこに無上にして永遠の「生命の栄冠」が、自身に輝いていくことは、絶対に間違いない。
また大聖人は、不軽の姿をとおしながら、教えられている。
『法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてか』(御書1382頁)
――不軽菩薩は法華経を持っていない者でさえも「もしかしたら持つかもしれない。本来、仏性があるからである」として、このように敬い礼拝された。まして、法華経を現に持っている在家、出家の者を、敬わないでよいことがあろうか――。
この御文を拝すれば、同信のわれらをさげすみ、下に見るような行為が、どれほど大聖人のお心に反しているかは明白である。
大聖人の仰せどおり、在家も出家も、ともに尊敬していくことが正しい。そこに法華経の精神もある。
1989年12月20日第二十四回本部幹部会
2015年11月29日
不軽菩薩の実践(5)
<不軽菩薩は、生涯、迫害の連続であった>
臨終の時、
不軽は法師功徳品の六根清浄の功徳を得る
不軽菩薩は、生涯、迫害の連続であった。もっとも偉大でありながら、生涯、つねに″軽んじられ″続けた。しかし、生命の因果は厳然としている。
まさに臨終という時、不軽は自身の生命を荘厳するさまざまな功徳(法師功徳品に説かれる六根清浄の功徳)を得る。そして寿命を二百万億那由佗歳も延ばして、広く人々のために法華経を説いたとされている。
一方、不軽を、さんざん嘲笑し続けてきた増上慢の人々も、不軽がこのように、自在の弁論の力(舌根清浄)などを得た事実を見、その威徳にふれて、ついに信伏随従する。
そして不軽は生々世々、数かぎりない仏と巡り会い、いずこにあっても、何も恐れるものがない大境涯で、法華経を弘め続けた。そして無量ともいうべき、計り知れない福を得ていく。この不軽が釈尊の過去世の修行の姿である。
反対に、増上慢の人々は、後悔したものの、不軽を軽んじた罪を消しきることができず、二百億劫もの長い間、仏にも会えず、仏法を聞くこともできず、千劫の間、阿鼻地獄で大苦悩を得る。
その後に、ようやく不軽とふたたび巡り会うことができ、教えを受けたと説かれている。
まことに壮大なる、また厳粛なる生命のドラマである。
私どもも大聖人の門下として、「不軽」の道を歩むゆえに、だれよりも正しいことをなしながら、つねに理不尽に軽んじられる。時には、悔しい思いをすることがあるかもしれない。しかし、経文に照らして、だからこそ真実の仏法の功徳がわくのである。無量の福徳で荘厳された自身となっていく。
ゆえに何があっても、「不軽の勝利」でこの人生を飾り、また永遠に続くわが生命のうえに証明していっていただきたい。
(つづく)
2015年11月23日
不軽菩薩の実践(4)
<我敢えて汝等を軽しめず>
不軽菩薩の行動は果敢であった。日々、まさに戦闘であった。ともかく人がいればそこへ行き、だれもが仏になれることを説いて歩いた。
法華経には「遠く四衆を見ても、亦復故(ことさら)に往いて」(開結567頁)――遠くに在家・出家の男女を見かけると、そのつど、わざわざ近寄って――とある。
“自分が動いたぶんだけ広布の舞台が広がる”
“自分が語ったぶんだけ、
友らに仏法との縁を結ばせることができる”――こうしたわが同志の日々の息吹と行動は、不軽菩薩につながっているといえよう。
しかし、不軽菩薩に対して、人々は容赦なく悪口罵詈した。さらには、杖で打ったり、石を投げたりという暴力まで加えた。そんな時に不軽はパッとその場から離れ、今度は遠くから大声で「我敢えて汝等を軽しめず」(開結569頁)――私はあえて、あなた方を軽んじません――と叫んだ。しぶといと言えばまことにしぶとい行動の連続であった。
「不軽の跡を紹継する」と言われた大聖人の御生涯は、そのお言葉どおり、大難の連続であられた。そして、末法万年にわたって一切衆生を救済しゆく妙法の大道を開かれたのである。その崇高なる御精神を拝し、御遺命のままに広布に進む学会に、言われなき非難や迫害があるのは当然である。
ゆえに、どのような理不尽な攻撃を受けようとも、私たちは何とも思わない。経文に照らしてみるならば、これほどの名誉と誇りはないからだ。むしろ攻撃されればされるほど、広布発展の道が大きく開かれていくことを確信し、勇んで前進していただきたい。
(つづく)
2015年11月22日
不軽菩薩の実践(3)
<何一つないゼロからの出発>
ところで、不軽菩薩が出現したのは「威音王仏の像法時代」とされる。それは、どんな時代であったか。法華経の「常不軽菩薩品第二十」には「是の仏の滅後 法尽きなんと欲する時」(開結573頁)――この威音王仏という仏が入滅して、正しい法が尽きてしまおうとする時――と説かれている。また「増上慢の比丘、大勢力有り」(開結567頁)――増上慢の僧が大勢力をもっていた――とある。
現代的に言えば、正しき「哲理」が見失われてしまった時代である。権威にうぬばれ、おごりたかぶった勢力が、わがもの顔で「人間」を軽んじ、見くだしていた時代でもあった。
そのいわば「哲学不在」「宗教不在」「人間蔑視」の時代にあって、不軽菩薩はただ一人、「正法」を声高らかに主張した。そして「人間」を最大に尊重する行動を勇敢に繰り広げていったわけである。
できあがったものは、何一つない。
頼るべき人もだれ一人いない。
まったくのゼロからの出発であった。
不軽菩薩は、すべてを自分一人の猛然たる行動で創り始めたのである。
学会の歩んできた道も同じである。戸田先生は、ただお一人で学会の再建のために立たれた。その心を知る人はだれもいなかった。私は戸田先生の弟子として、この「常不軽」の精神で、これまで広布発展の基盤を築いてきたつもりである。
何もないところに、ただ一人踏み込み、
猛然たる行動で広布の沃野を切り開いていく。
これこそ、学会精神であり、
とくに学会青年部の心意気であると申し上げたい。
(つづく)
2015年11月21日
不軽菩薩の実践(2)
<軽んじない菩薩>
ちなみに、この「常不軽」とは、サンスクリツト語の「サダーパリブータ」の漢訳の一つである。そして、この言葉をどう訳すかは、訳者によって違いがみられる。
たとえば、現在に伝えられている三種類の漢訳法華経のうち、もっとも古いとされる「正法華経」(竺法護訳)では、「常被軽慢」となっている。つまり、他の人々から「常に軽んじられていた」ということで、サンスクリットの原文を直訳した意味あいになるようだ。
これに対し鳩摩羅什は、「妙法蓮華経」の中で、同じ言葉を「常不軽」と訳した。これは、他の人を「常に軽んじない」という意味である。
「軽んじられていた菩薩」と「軽んじない菩薩」。いずれも同じ菩薩の二つの側面を示したものだが、修行者の本質としてどちらに力点を置くかに、訳者の解釈の違いが表れている。
これは羅什が、受動から能動へ、受け身から自律へというとらえ方の転回によって、修行者のより積極的な性格を示そうとしたものとも考えられる。羅什の「妙法蓮華経」が、経典の本質をとらえた名訳とたたえられる所以は、こうした面にも表れている。
さて、大聖人は「御義口伝」の中で、次のように仰せられている。
『不軽とは一切衆生の内証所具の三因仏性を指すなり』――「不軽」とは一切衆生に本然的に具わっている三因仏性をさすのである――と。
三因仏性とは仏になるべき三種の性分のことで、(1)「正因仏性」(一切衆生が本然的に具えている仏性)(2)「了因仏性」(仏性を覚知していく智慧)(3)「縁因仏性」(仏性を開発していく助縁)のことをいう。
つまり、不軽菩薩は、いかなる衆生にも三因仏性が具わっているとして、ひたすら礼拝の行を続けたわけであるが、大聖人は、「不軽」そのものが「三因仏性」という「尊い仏の生命」を意味していることを教えられている。
いずれにしても「常不軽」という言葉それ自体、″一個の生命は地球よりも重い″という絶対的な生命の尊厳を示唆しているともいえよう。
(つづく)
2015年11月20日
不軽菩薩の実践(1)
<我らは不軽の跡を紹継>
先日(1989年12月13日)、世界的な平和学者である、ハワイ大学のベイジ教授と会談した。
「非暴力社会」「非殺人社会」への道をめぐって語りあうなか、私は法華経に説かれる「常不軽菩薩」の行動を紹介した。
ご存じのように不軽菩薩は、″どんな人間にも、もっとも尊い仏性がある″として、「生命」と「人間」を最大に尊重する行動を展開した。自分自身は人々から軽んじられ、さまざまな暴力を加えられたが、だれ人も軽んぜず、「非暴力」を貫いた。そこには、生命の絶対的尊厳への深い示唆がある。
さらに不軽菩薩については、大聖人ご自身が『不軽の跡を紹継する』(御書974頁)と仰せである。すなわち、不軽菩薩の実践は大聖人の御精神であり、そのお心を紹継(正しく受け継ぐこと)すべき私どもにとっても、行動の重要な範なのである。
大聖人は不軽菩薩の修行について「松野殿御返事」に、わかりやすく、こう教えられている。
『過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり』(御書1382頁)――過去の不軽菩薩は「一切の衆生には、みな仏性がある。法華経を持つならば必ず成仏する。その一切衆生を軽蔑することは、仏を軽蔑することになる」と言って、一切衆生に向かって礼拝の行を立てられたのである――と。
″人間を軽んずることは、仏を軽んずることである″――不軽菩薩の人間尊重の行動は、法華経の深遠な生命観に裏づけられている。
(つづく)
2013年12月29日
希望の方程式
広宣流布の新たな前進は、どこから始まるか。
それは、リーダーが人と会うことから始める。
一人また一人と、どんどん会って、語り合っていくことだ。
心から友を励ましていくことだ。そこから人材が伸び、波動が広がる。これが鉄則だ。
日蓮大聖人は「今日蓮等の類は不軽なり」(御書766頁)と御断言であられる。
生命の次元から見れば、いかなる人も仏性を具えている。
その尊極なる仏の生命を信じて、人びとを敬っていく。誰もがその仏性を必ず開いていけることを信じ、励ましを送り続ける。
この不軽菩薩の実践を現代に展開しているのが学会の運動である。不軽の精神とは人間尊敬の心だ。
リーダーにその心があれば、必ず相手にも伝わる。
それぞれの良さや持ち味も分かる。ここを伸ばせば、という部分にも自然と気づくものだ。
私自身、ありがたくも、戸田先生に見出されて、育てていただいた一人である。
ゆえにその報恩の思いで、私は、わが友が秘めている生命の宝をより磨き輝かせるために、全力を注いでいった。誠実に友と接した。
温かく包容した。粘り強く関わり続けた。
私が青年部時代、書くことが苦手な友には、あえて会合の感想文を書くことを提案した。数字に弱い人に会計を担ってもらったこともあった。
真剣に祈れば、知恵は必ず出る。それが妙法だ。
人間は、機械ではない。ああ言えば、こう動いて当たり前というものでは決してない。「人生、意気に感ず」というではないか。
まず、こちらの胸中に大情熱が燃えていてこそ、友の心も動くのだ。
現場を歩き回り、駆け巡りながら、どれだけ祈り、考え、悩んで戦ったか。本当に苦労した分だけ、自分の力がつく。力を伸ばした分だけ、成長した分だけ、周囲も触発される。
ここに、希望の方程式がある。
2013年12月27日
究極の人間尊敬の行動を
誰人たりとも、妙法を受持すれば、必ず仏になる。
ゆえに、不軽菩薩は反発されても、少しも懲りない。
いやまして生命力を発揮して、法を説き弘める。その一貫した戦いに、不軽を侮っていた衆生たちも、最後には信伏随従し、法華経の正義の陣列に加わるのだ。