2023年6月24日~26日
第2222回
後ろを振り返らない!
<「今」がどれほど大切か!>
「開目抄」に引かれた甚深の経文には
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」
(全231・新112)とある。
現在すなわち「今」がどれほど大切か!
この一点を、私たちは生命に深く刻んできた。
それは、仏法は本因妙だからである。
クヨクヨと後ろを振り返らない。
常に「今」「ここ」を起点として、
誓願を起こす。
その一念に勇気は満ち、
未来の一切の勝利を開く因をつくれるのだ。
『随筆 民衆凱歌の大行進』、153ページ
2022年10月3日4日
第2119回
「臨終只今」と今を勝ちゆけ
<「生も歓喜」「死も歓喜」>
生きることはすばらしい。
長寿はもちろん、
すばらしいことである。
その上で肝心なのは、
「どれだけ生きたか」よりも、
「どう生きたか」である。
結論から言えば、
妙法を唱え、弘めながら、
人のため、法のために生きることこそ、
最も尊い生き方なのである。
そうやって生きぬいた人は、
最高の満足と充実を感じながら、
人生の最終章を飾ることができる。
大聖人は、
妙法を信仰する人の臨終について、
こう言われている。
「(もしも)今、霊山にまいられたならば、
太陽が昇って、
十方の世界を見晴らすようにうれしく、
『早く死んでよかった』と、
お喜びになられることでしょう」
(御書1480㌻、通解)
「早く死んでよかった」とは、
少し不思議に感じる御文かもしれない。
大聖人は、妙法を持った門下に対して、
決して死を恐れる必要などないことを
教えてくださっていると拝されよう。
さらに、次のようにも仰せである。
「退転することなく仏道修行をして、
最後の臨終の時を待ってごらんなさい。
妙覚の山に走り登って、
四方をきっと見るならば、
なんとすばらしいことであろうか、
法界は寂光土で、
瑠璃をもって地面とし、
黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。
天から四種類の花が降ってきて、
空には音楽が聞こえ、
諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、
心から楽しんでおられる。
われらも、その数の中に連なって、
遊戯し楽しむことができるのは、
もう間近である」(御書1386㌻、通解)
なんと荘厳な世界であろうか。
大聖人の御言葉に、絶対に嘘はない。
私たちが歩んでいるのは、
「生も歓喜」
「死も歓喜」の大道である。
この絶対的な幸福境涯を確立するためには、
何があろうと妙法を唱えぬき、
「今」を真剣に戦うことである。
「臨終只今」の覚悟で、
「今」を完全燃焼させていくことである。
きょう一日を、悔いなく戦おう!
2005.8.19各部合同研修会
2022年9月22日
第2109回
いよいよこれから!
<過去を振り返る必要はない。
大事なのは「今」である。>
学会とともに生きるということは、
「信心根本に」生きるということである。
この信心だけは、何があっても、
絶対にゆるがせにしてはいけない。
当然、現実は厳しい。
仕事のこと、家庭のことなど
悩みは尽きないかもしれない。
だからこそ、
ひたぶるに御本尊に祈っていくのだ。
苦しい宿命と戦いながら、
そして周囲の人々には、
勇気と希望の励ましを送りながら、
猛然と広宣流布に行動していくのである。
「広布に戦おう!」
「信心で勝つのだ!」
――その心が決まったとき、
勝利への歯車は音を立てて回り始める。
信心強き人が最後は必ず勝利する。
妙法には絶対にムダはない。
学会活動はすべて自分の福徳となっていくのである。
南無妙法蓮華経は、
「久遠元初の法」である。
それを唱える私たちの生命もまた、
「久遠元初の生命」である。
ゆえに、御本尊を拝する私たちは、
毎日が「久遠元初」である。
毎日が「新しい出発」である。
一瞬一瞬がつねに「いよいよ、これから」なのである。
過去を振り返る必要はない。
大事なのは「今」である。
「今この時」を全力で生きぬき、
勝ちぬいていくのだ。
いくつになっても、
若々しい生命力で、前へ前へ!
どこまでも、戦う心を燃やしながら、
ともどもに「勝利の劇」を飾ってまいりたい!
2005.8.19各部合同研修会
2022年6月26日
第2036回
誓願を果たす時は「今」
我らには、
果たすべき誓願がある。
勝つべき闘争がある。
その成就の力を具えて、
生まれてきたのだ。
険しい使命の難関が
打ち続くことは、
もとより覚悟の上である。
その時こそ、
まことの信心が試される
勝負の時といってよい。
全て、皆が永遠に
仏になりゆくための
仏道修行だからである。
同じ広布の戦でも、
喜んで動けば、
功徳は大きい。
自らの足で立ち、
自らの声で語るのだ。
友のために祈り、
励ましていくのだ。
自分が生き生きとすれば、
皆も元気になる。
皆が勝利し、
皆が幸福になる道を
開いていくのだ。
声が大事である。
声が弾丸である。
声が剣である。
しゃべるのだ。
声の力で、
相手の心を開き、
心に響かせていくのだ。
また、勇気と誠実で
会って語れば、
越えられない壁など
絶対にない。
自らの仏性に目覚め、
広宣流布の使命に
決然と
「一人立つ」勇者がいれば、
新たな変革の波が起こる。
自分が変われば、
地域が変わり、
世界が変わる。
満々たる生命力の
題目の声を!
友を励ます
勇気と希望の声を!
時代変革の
正義と真実の声を!
さあ、平和社会の建設へ、
民衆の幸福拡大へ、
「立正安国」の
大願に燃えて、
声を張り上げて
打って出ていくのは、
「今」この時なのだ。
2022年6月26日池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」
2021年10月23日
第1753回
命限り有り
その帰りに、一行はシアトルの名所のワシントン湖に立ち寄った。この湖は、運河で海とつながり、湖と海には落差があるため、水位を調整する水門がつくられていた。その水門が閉じられ、船が運河を行く様子を眺めていると、しとしとと雨が降り始めた。
湖には、浮橋が架けられていた。一行は、この浮橋に立ってみた。湖面の彼方に、山々が雨で淡く霞み、黄や赤に染まった森の木々が水彩画のように見えた。
「本当にきれい! まるで絵のようね……。でも、この美しい葉も、すぐに散ってしまうと思うと、無常を感じるわね」
しんみりした口調で、清原かつが言った。伸一はそれに笑顔で応え、静かに語った。
「鮮やかな紅葉は、木々の葉が、限りある命の時間のなかで、自分を精いっぱいに燃やして生きようとする姿なのかもしれないね……。
すべては無常だ。人間も生老病死を避けることはできない。だからこそ、常住の法のもとに、一瞬一瞬を、色鮮やかに燃焼させながら、自らの使命に生き抜く以外にない。人生は、限りある時間との戦いなんだ。それゆえに、日蓮大聖人も『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』(御書九五五㌻)と明確に仰せになっている。今の私にほしいのは、その使命を果たすための時間なんだ……」
最後の言葉には、伸一の切実な思いが込められていた。しかし、その深い心を汲み取る人はいなかった。色づく錦秋の木々にも増して、伸一の心には、広宣流布への誓いが、鮮やかな紅の炎となって燃え盛っていた。
<新・人間革命> 第1巻 錦秋 163頁~164頁
2021年10月17日
第1747回
「今」「ここで」ベストを尽くせ
「誰か」ではない。
「どこか」でもない。
「自分が今いる
その場所」が、
わが人生の
晴れ舞台である。
自分にしかできない
使命の劇を、
思う存分、勝ち飾るのだ。
眼前の課題に
一つ一つ挑戦し、
勝利していくなかに、
栄光の未来が開かれる。
人生の勝利者とは、
今日を勝ち抜く人である。
未来の勝利は今にある。
ゆえに、過去を振り向いて
嘆く必要もない。
いたずらに
未来に心をとらわれて、
焦りや不安を
覚える必要もない。
師匠の示した道に続いて、
今この時に、若き生命を
完全燃焼させて、
賢く朗らかに、
そして、粘り強く、
一歩また一歩、ベストを
尽くしていけばよい。
自分一人の幸せではない。
社会の平穏と繁栄を祈り、
その実現に尽くしてこそ、
真実の幸福は実現される。
また、そうした生き方を
貫いてこそ、
自己の小さな殻を
打ち破り、
本当に価値のある、
充実した人生を
築いていくことができる。
今、縁を結びゆく
一人一人を
誠実に大切にすることだ。
そして、今、
なすべきことをなし、
語るべきことを
語り切っていくことだ。
人生には、
これまでの壁を破り、
生まれ変わったように、
立ち上がるべき時がある。
今が、その時なのだ。
その原動力となるのが、
強く、正しき信仰である。
三世永遠の法則である、
大仏法への大確信なのだ。
過去の壁を破って、
決然と立ち上がれ!
自分が今いる
その場所から!
2021年10月17日〈池田大作先生 四季の励まし〉
2017年5月20日21日
「学会の永遠性」の確立は
「今」
釈尊、そして日蓮大聖人は「万人成仏」という一切衆生の幸福の実現の道を開き、示されました。今、私どもは、この仏法正統の平和と幸福の運動を世界に広げ、そして、永遠ならしめるという、新たな挑戦を開始しています。
経典で威音王仏が、一代限りではなく、次の代へと、民衆救済のバトンを永続的に受け継いでいったように、私たちは「学会の永遠性」を確立していくのです。
創価三代の師弟が掲げて走りぬいてきた広布の魂のバトンは、今、間違いなく世界中の地涌の若人に引き継がれています。今後、陸続と続く新たな世代へ、さらなるSGIの発展とともに深く広く、厳然と継承されていくことは間違いありません。
広宣流布に戦う生命は、「創価学会仏」として永遠に輝きわたっていきます。
師弟不二の精神によって継承された麗しい異体同心の仏勅の和合の前進こそ、恒久的な仏の生命が脈打つのです。ここに「学会の永遠性」の確立があります。その時は、「今」です。
今、一切に勝利することで、永遠に崩れぬ創価城が築かれていくのです。
さあ、人類史に燦然と輝く、幸福凱歌の叙事詩を、共に喜び勇んで、共々につづり残そうではありませんか!
この闘争の中にこそ、我らの真の幸福があることを確信して、歴史を創ってまいりたい。無限に続く青年がいるゆえに、創価の三代は永遠に幸福なのです。
大白蓮華2017年5月号№811 40、41頁
2014年12月3日
今こそ励ましを!
最も重要な時とは、いつか。
それは「今」である。
最も必要な人とは、だれか。
それは
「今、出会っている人」である。
そして、最も重要なことは、何か。
それは
「今、出会っている人に
善をなすこと」である。
聖教新聞2014.11.30付光の言葉 幸福の曲(抜粋)
2014年11月15日
今年しかない、今年こそ天王山だ
今年こそ
今年こそとて
七歳を
過して集う
二百万の民
元朝、山本伸一は自宅で家族と共に勤行を終えると、戸田城聖が逝去の年(昭和三十三年)の年頭に発表した歌を思い起こしながら、決意を新たにした。
戸田は、一九五一年(同二十六年)五月三日、第二代会長就任式の席で、会員七十五万世帯の達成を宣言した。電撃的な発表であった。話を聴いた誰もが“不可能だ!”“現実離れした目標だ”と思った。
だが、この時、伸一は深く、強く心に誓った。
“これは、まぎれもなく、戸田先生の出世の本懐だ。ならば、この七十五万世帯の達成は、弟子たる私が、絶対に成し遂げねばならぬ仕事であり、使命だ。わが青春の道は決まった”
師と弟子の胸には、赤々と闘魂が燃え盛っていた。来る日も来る日も、生命をなげうつ覚悟で、伸一の捨て身の大闘争が展開されたのだ。
その情熱の炎は、やがて、全同志に燃え広がり、燎原の火のごとく日本列島を包んだ。そして、遂に一九五七年(昭和三十二年)の十二月、七年目にして願業を成就したのだ。七十五万世帯、二百万人の同志が、創価の旗のもとに集ったのである。それは、現代の奇跡ともいうべき快挙であった。
戸田は、年が明けた元旦の和歌に、その大願を成就した戦いの要諦をうたい残したのだ。
それが「今年こそ」の一念である。来年も、再来年もあるから、なんとかなるだろうなどという惰性的な発想は、草創の同志には全くなかった。
“今年しかない”“今年こそ天王山だ”と、「臨終只今」の決意で走り抜いたのである。
日々、真剣勝負であった。阿修羅のごとく戦いに戦った。それゆえに、広宣流布の堅固な礎が完成したのだ。
新・人間革命 第17巻 本陣 7頁~9頁
2014年10月12日
今この一瞬を何のために
「今、一時間があれば、どんなに多くの友を励ませるだろうか。
遺言の思いでスピーチも残せる。
今、三十分があれば、どれだけ有意義な語らいができるだろうか。
この五分があれば、必死のあの同志、この同志に揮毫を残してあげられる。
この一分があれば、苦闘のあの友に伝言を託すことができる。
この一秒があれば、目であいさつできる。
だから、私は決めたのだ!
意義ある一日一日を生きるのだ!
『今』を生き抜き、断じて勝つのだ!」
(随筆 人間世紀の光)
大白蓮華No.779号2014.10月号27頁
2014年10月9日10日
今を大切に!目の前の人を大切に!
いちばん大切な時とはいつか。
それは「今、この瞬間である」と。
また、いちばん重要な人とは、だれか。
それは「今、現在、自分がかかわっているその人である」と。
そして、いちばん大切な仕事とは何か。
それは「人に善をなすこと。人のために尽くすことである」と。
大切なのは、いつかではない。今、この瞬間である。きょう、この一日である。今、この時に全魂をかたむけていく。
その「今」に勝利の未来が含まれている。
また、どこか遠くに特別な人がいるのではない。権威の人、知識の人、有名の人、富の人が大切なのではない。
自分が、今、縁している人、その人を大切にしていく。そばにいる、あの人、この人を、その人の特質を考えながら、全部、生かしきっていく。それが賢人である。そこに万人の信頼を勝ち取る道もある。
私が海外を訪問する場合も、飛行機を降りて、まず最初に会う人、その人に最大の真心で接していく。そこから、私の友好は始まる。
無名であってもよい。平凡であってもよい。“自分のためではなく、人のため、友のために、民衆のために、私は私らしく行動の歴史を残した”。そう言いきれる人こそが、人間としての皇帝であり、人生の皇帝である。
大白蓮華No.779号2014.10月号109頁