一人立つ

2023年2月7日

第2185回

信心に徹して幸福に

 

人頼み、「なんとかなる」に、勝利なし!>

 

 すべてにおいて、

 徹してこそ、人間はできる。

 

 何より、信心は徹しなくてはいけない。

 

 あらゆる勝負は、徹した人が勝つ。

 徹するなかに、

 努力がある。

 忍耐がある。

 責任感がある。

 信心に徹した人は必ず幸福になる。

 真の勝利者になる。

 永遠に金剛不壊の大境涯と輝く。

 どこまでも学会活動に徹し、

 師弟不二に徹することである。

 

 「徹する」とは、

 決して口先のことではない。

 私は、十九歳の時から、

 戸田先生に徹してきた。

 創価学会に徹してきた。

 

 人を頼み、「なんとかなる」と手を抜けば、

 何事も勝利はない。

 そんな甘いものではない。

 

 努力することだ。

 行動することだ。

 そして人との連結を強め、

 味方を増やすことである。

 これを実行したところが勝つ。

 

 

 『池田大作全集』第97巻、175ページ

 2004年(平成16年)12月、第2総東京の代表協議会で


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2022年9月2日

第2089回

自分自身に生きぬけ!

 

<死ぬときはひとりだ>

 

 過去を礼讃する人がいる。

 外観や表面だけを見る人がいる。

 人間を政治的に、

 集団としてしか見ない人がいる。

 

 しかし――ホイットマンは言う。

 「自分自身であることに、

  人間の偉大なる誇りがある

  (『ホイットマン詩集』長沼重隆訳、白凰社)

 そのとおりである。

 

 自分は他人にはなれない。

 自分自身の中に、

 自分自身の生き方があり、

 使命がある。

 果たすべき仕事がある。

 仏法という宇宙の法則も、

 自分自身の生命の中にあるのだ。

 その自分自身を革命させ、

 向上させていくことだ。

 そこに勝利の歴史は生まれる

 

 フランスの哲学者パスカルは、

 鋭い警句を残している。

 「死ぬときはひとりだ。

 だから、人は、自分がひとりであるように

 行動しなければならない。

 そんなときに、豪壮な大邸宅を、

 建てたりするなどするだろうか。

 ためらうことなく、

 真理を求めるにちがいない

 (『パンセ』1、田辺保訳、『パスカル著作集』6所収、教文社)

 

 死という厳粛な事実を前にしたならば、

 どんな大邸宅も、むなしい。

 正しい人生であったかどうかを、

 振り返らざるを得ないであろう。

 要は、自分自身に生きぬくことである。

 

2005.8.15代表幹部研修会(1)


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2022年7月20日

第2058回

一人一人が「広宣流布の闘士」

やった分だけ自分が得をする

 

学会の歴史に永久に残る勝利劇を!

 

 私たちは、

 一人一人が「広宣流布の闘士」である。

 愚痴や文句を言って、戦わなければ、

 後悔を残すだけである。

 やった分だけ自分が得をする。

 これが信心の世界である。

 どうせ戦うならば、

 学会の歴史に永久に残っていくような、

 痛快なる栄光の劇を勝ち飾ってまいりたい。

 

 また、

 家族が信心していないという方もおられる。

 しかし、

 たとえ一人であっても、

 その一人が信心を貫いていけば、

 功徳は、一族すべてに、

 そして子孫末代にまで伝わっていく。

 そのように、

 大聖人が御約束なのである。

 何の心配も必要ない。

 ともあれ、

 広宣流布に生きる人生ほど、

 偉大なものはない

 

2005.7.20各部代表者会議


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2022年2月9日

第1897回

「一人の勝利」が、

「一家属の勝利」へ

 

 現実の人生は、

 さまざまな「悩み」との戦いである。

 しかし、

 いかなる試練であっても、

 必ずや乗り越えることができる。

 いかなる宿業であっても、

 必ずや打開できる。

 これが「法華経の御力おんちから」である。

 何も嘆くことはない。

 たとえ何があっても、

 御聖訓のとおりに、

 強く、また強く、勝ち越えていくことである。

 断じて、へこたれない。

 一歩も退かない。

 敢然となすべきことをなす。

 それが仏法である。

 

 戸田先生は、「我がこうべは父母の頭・我が足は父母の足・我が十指じっしは父母の十指・我が口は父母の口なり」(御書977㌻)との忘持経事ぼうじきょうじの一節を拝し、こう指導された。

 「これは、親子同時の成道を説くためにおっしゃっているのです。あなた方が信心して、あなた方の成道がなり立てば、一家親類がことごとく成道するということわりを、いまここで説いておられるのです」と。

 皆さま方の「一人の勝利」が、「一家属の勝利」へと連動することを、悠然と確信していっていただきたい。

 

2006年2月1日婦人部代表者会議 


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2022年1月30日

第1884回

 「君が立ち上がればいいんだ!」

 

<事態が厳しければ、自分が一人立つ>

 

 メンバーの質問や意見、そして報告は相次いだ。

 ある青年は、こう山本伸一に質問してきた。

 「私が担当しております組織は、男子部員も少ないうえに、実態は極めて厳しいものがあります。どうすれば、こうした事態を変えていくことができるでしょうか」

 即座に、伸一の大きな声が響いた。

 「君が立ち上がればいいんだ!」

 場内に緊張が走った。水を打ったような静けさに包まれた。

 「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。

 私もそうしてきた。戸田先生が亡くなったあと、学会は空中分解すると、世間は噂していた。古い幹部のなかには、先生が亡くなったのをいいことに、わがままになり、身勝手に振る舞う者もいた。学会を食い物にしようと企む者もいた。このままでは本当に空中分解してしまうと、私は思っただから立ち上がった。そして、総務として、陰の力となって、学会のいっさいの責任を担った。当時、私は三十歳だった。

 事態が厳しければ、自分が一人立つ──常に、私はその精神でやってきた。

 蒲田支部の支部幹事として、折伏の指揮をとった時もそうだ。当時は、大支部といっても、折伏は百世帯そこそこだった。〝これでは、戸田先生が掲げた七十五万世帯という大願を果たすことはできない〟と、私は思った。

 では、誰がやるのか。弟子がやるしかない。ゆえに私は戦いを起こした。そして、一支部で二百一世帯という、当時としては未曾有の布教を成し遂げた。これは私が、二十四歳の時だ。支部には、もちろん壮年も、婦人もいた。ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。

 なぜか。私は真剣であったからだ。誰よりも、必死であったからだ。〝自分たちには、あれほどの活動はできない。この人の言う通りにやれば、必ず壁を破ることもできるだろう〟と、みんなが思ったからだ。そして、私は結果を出した。

 私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。ポーズだけの、遊び半分やふざけ半分の青年など、学会には必要ない。

 君も立て! 断じて立つんだ。見ているぞ!」

 まさに生命と生命の打ち合いであった。語らいの最後に、伸一はこう付け加えた。

 「まだ、私が揮毫した色紙をもらってない人は、後で名前を男子部長の方に出しておきなさい。新しい出発の記念として、みんなへの激励のために、色紙を贈りたいんだ。

 私が頼りとするのは君たちだ。一緒に広宣流布をやろうじゃないか!」

 青年の心に触発をもたらしながら、天城での水滸会の夜は更けていった。

<新・人間革命> 第8巻 宝剣 114頁~117頁

 


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2022年1月2日3日

第1851回

「前進!」

今、再び汝自身に問いたまえ!

 

 

<自らの前進で広布の車軸は回転する>

 

 さあ、「青年・飛躍の年」の出発です。

 新しき一年に臨む今この時、

 誰もが、

 新鮮な決意や希望に満ち、

 胸躍らせているでしょう。

 

 もちろん前途には、

 晴れの日もあれば、

 雨の日もある。

 嵐や吹雪に立ち向かう日も

 あるかもしれない。

 

 しかし、

 「前進!」

 心定めた私たちに、

 恐れはありません。

 

 ドイツの大詩人ゲーテがうたった、

 ファウストの独白が胸に迫ります。

 

「おれは敢えて

 世の中へ乗り出して行って、

 地上の苦しみも

 地上の幸福をも担い、

 こんかぎり暴風雨とたたかって、

 難破船のきしめきにも怯まない

 勇気をおぼえる」

 

 波乱万丈の現実のただ中へ、

 勇んで打って出ていく

 気概が込められた一節です。

 

 草創から脈打つ

 我らの学会精神に通じるものが

 あるのではないでしょうか。

 

 誓い新たに、

 私たちは自らに問いたい。

 今、汝自身の胸中に、

 広宣流布への奮い立つ「勇気」はあるか、

 燃え上がる情熱はあるか、

 困難の壁に怯まず、

 突破口を開きゆく闘魂はあるか、

 と。

 

 広宣流布は仏意仏勅です。

 そして、

 私たちの大願です。

 しかし、

 いつか誰かがやるだろうと、

 他人事ひとごとに思っているうちは、

 何も進みません。

 たとえ一歩でも、

 1ミリでも、

 自分が一人立って動こうと

 決めた時に、

 初めて広布の車軸は回転していくーー。

 

 2022年大白蓮華1月号№867 25頁


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2021年12月29日

第1847回

君よ、あなたよ!

南十字星のごとくあれ!

 

<大変な時こそ自身が希望の星に>

 

 南十字星はなぜ輝くのか

 現在(当時)、私は、ブラジルの著名な天文学者であるロナウド・モウラン博士と、「天文学と仏法を語る」をテーマに、対談を進めている。

 (=対談集は『天文学と仏法を語る』と題し、二〇〇九年五月に第三文明社から発刊)

 大宇宙のロマンが光る対談のなかで、

 私は、ブラジルの星空について博士にうかがった。

 博士は、「南半球の星を代表し、

 ブラジルの空に光る主要な星座といえば、

 やはり、まず南十字星でしょう。

 この南十字星は、

 ブラジル最高峰の勲章の

 名にも冠せられています。

 池田会長は、

 その『南十字国家勲章』

 を受章されていますね」と述べ、

 こう語っておられた。

 

「南十字星とその星の輝きについては

 よく紹介されますが、

 南十字星が

 『石炭袋』として知られている、

 暗黒星雲のような

 多くの暗いしみのある領域に

 位置していることを知っている人は

 多くありません」

南十字星の背景となる空が

 いちだんと暗いことが、

 南十字星の輝きを際立たせているのです。

 私たちも、

 置かれた状況が暗ければ暗いほど、

 また、辛ければ辛いほど、

 より輝かなければなりません。

 暗い時、

 苦しい時ほど、

 私たちの生命の輝きを

 際立たせるように努めなければなりません

 まことに含蓄の深い話である。

 

2006.4.13「5・3」記念各部協議会


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2021年12月28日

第1846回

乱世にこそ戦う

「創価の賢人」たれ

 

<大変な時こそ自身が希望の星に>

 

 ここで、御書を拝読したい。

 池上兄弟の弟(兵衛志殿)へ

 つづられたお手紙である。

 

 「真実の経の理によれば、

 時代が末法となり、

 仏法が非常に乱れたときには、

 大聖人(仏)が必ず世に出現するとあります。

 たとえば、

 松は霜が降りてのちも枯れないので

 木の王といわれ、

 菊は、

 ほかの草が枯れたのちにも、

 なお花を咲かせるので

 『仙草(妙なる草)』といわれるのと同じです。

 世の中が平穏なときには、

 だれが賢人であるか分からない。

 世の中が乱れているときにこそ、

 聖人と愚人はあきらかになるのです

 (御書1095㌻、通解)

 

 今は重大な転換期である。

 この大事な時に、戦うかどうか。

 これが、

 永遠不滅の幸福を築けるかどうかの分かれ目である。

 学会もいよいよ、

 本格的な広宣流布の大闘争の時代に入った。

 皆が、「創価の賢人」として、

 自分にしかできない使命に奮い立っていただきたい。

 

 また、日蓮大聖人は、

 「此の人(地浦の菩薩の上首である上行菩薩)末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中・国ごと人ごとに弘むべし」と仰せである。

 わが学会は、

 大聖人のお心のままに、

 一人また一人、

 一国また一国と、

 世界を舞台に妙法を弘めてきた。

 その幸福と平和の波動は、

 今や百九十ニの国々・地域に広がっている。

 仏法史上、

 未曾有の壮挙といっても、決して過言ではない。

 

2006年4月13日 「5・3」記念各部協議会


2021年10月14日

第1743回

今再び「大いなる広布の山」を登れ!

 

<学会創立100周年(2030年)を目指して>

 

 それから、さらに二十星霜を経た一九八一年(昭和五十六年)。「青年の年」と銘打ったこの一年、私は、総東京はもちろん、東海道、関東、関西、信越、中部と、列島各地、そして北中米、ハワイ、ソ連(ロシア)、欧州と、世界中を駆け巡った。

 一人の青年が本気で立ち上がれば、「二人・三人・百人と」広宣流布の陣列は必ずや広がっていく。

 師の心を、わが心とする若人が一人いれば、その地域、その国の未来は明るい。これこそが、私が恩師のもとで先駆けた道であった。ゆえに、直接、会える、会えないではなく、私は、あらゆる機会を捉え、全精魂を注いで青年を励ました。

 この年の九月に行われた「北海道青年部総会」の大成功を報じる聖教新聞を手に、私は「見たか! 北海道の青年が立ち上がったぞ!」と快哉を叫んだことも懐かしい。

 十一月には、私は東京と関西で「嗚呼黎明は近づけり」の歌の指揮を執り、四国では、青年と共に「紅の歌」で新時代の暁鐘を打ち鳴らした。そして、「青年の年」の総仕上げが、九州・大分での長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」の誕生であった。

 この勇者の共戦によって本格的に始まった反転攻勢から、今日に至る世界広布の大道が開かれたのだ。

 大聖人は、「大悪を(起)これば大善きたる」(御書一三〇〇ページ)と断言され、勇み立つ生命を、「ま(舞)いをも・まいぬべし」「立ってをど(踊)りぬべし」、そして「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」と明かされている。

 大悪――最も大変な時こそ、大善へと、自分自身を、さらに社会をも転じていけると勇み、立ち上がるのが、仏法者にほかならない。 

 そこには、憂いも悲嘆も、感傷も諦めもない。喜びだ。最高無上の妙法を実践する大歓喜であり、わが使命を果たす誉れである。これほど尊く充実した「青春の勝利劇」はないのだ。

 当時の若師子も、華陽の乙女も、まっしぐらに広布の山を、私と一緒に登攀し、後継の陣列を築いてくれている。皆、私の生命の奥底から離れることはない。

 今再び、我らの前には「大いなる広布の山」がある。学会創立百周年の二〇三〇年へ、さらに二十二世紀の民衆勝利を開くために、越えてゆかねばならぬ山だ。

 ゆえに私は、今再び、愛し信ずる地涌の君たちに、声を大にして訴えたい。

 この山を登攀したならば、見える限りの世界がすべて君たちのものだ!

 その所願満足の歓喜の法戦こそ、無上道の人生であり、青春であるがゆえに、私はすべてを本門の君たちに託したい!――と。

 

2021年10月14日〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉


2021年8月28日

第1727回

広宣流布は

一人ひとり悪戦苦闘の中に!

 

 先駆者の征路は、めざすものが革新的であればあるほど、険路であり、孤独である。過去に類例のないものを、人びとが理解するのは、容易ではないからだ。われらのめざす広宣流布も、立正安国も、人類史に例を見ない新しき宗教運動の展開である。一人ひとりに内在する無限の可能性を開く、人間革命を機軸とした、民衆による、民衆自身のための、時代、社会の創造である。ゆえに、それが正しい理解を得るには、長い歳月を要することはいうまでもない。広宣流布の前進は、粘り強く対話を重ね、自らの行動、生き方、人格をもって、仏法を教え示し、着実に共感の輪を広げていく、漸進的な歩みである。しかも、その行路には、無理解ゆえの非難、中傷、迫害、弾圧の、疾風怒濤が待ち受けていることを知らねばならない。

 ホイットマンは詠っている。

 「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!

 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」

 

新・人間革命第30巻<下> 暁鐘 18頁~19頁


2021年5月22日

第1718回

 

2017年1月30日

第1361回

 

 新たな歴史は一人の挑戦から始まる

 偉大な勝利は一人の戦いから始まる

 

 <いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!>

 

 新たな歴史は

 一人の挑戦から始まる。

 偉大な勝利は

 一人の戦いから始まる。

 状況を嘆いたり、

 人任せにしてばかりいては、

 何も変わらない。

 自分が変われば、

 その分、世界が変わる。

 

 「妙法」に、

 行き詰まりは絶対にない。

 あるのは、自分の一念に巣くう、

 臆病や諦めの壁だ。

 己心の壁を打ち破れ!

 あらゆる障害を乗り越え、

 無限に前進する力が

 信心だからである。

 

 「限界を破ろう!」――

 そう決めた時、

 実は自分の心の限界を、

 すでに一歩、破っている。

 その時点で、理想や目標も、

 半ば達成されているとさえ

 言ってよい。

 

 実践あるところには

 ドラマがある。

 ドラマがあるところに

 感動が生まれる。

 当然、失敗もあろう。

 それでも、めげずに挑み抜いた

 体験にこそ、共感が広がるのだ。

 苦闘を勝ち越えた体験談は、

 “自分には、とてもできない”と

 弱気になっている同志の、

 心の壁を打ち破る

 勇気の起爆剤となる。

 

 人の心を動かし、捉えるものは、

 策でもなければ、技術でもない。

 ただ誠実と熱意によるのである。

 “いかなる人も、広宣流布の味方に

 変えてみせる!”――

 この烈々たる

 祈りと勇気と勢いで、

 栄光の歴史を開くのだ。

 

2017年1月29日〈池田大作先生 四季の励まし〉

二月闘争65周年心の壁を打ち破れ


2020年11月24日

第1698回

自発能動で広布の主体者に!

 

受け身の姿勢ではなく

自発能動の挑戦を!

”よし!やってみせる”

常に主体者の覚悟で

広布拡大を進めよう!

 

2020年11月24日わが友に贈る


2020年5月28日

第1679回

一番むずかしいところから始めよ

 

 君よ、正義の剣で悪を打ち破れ

 御書には、「火に対しては水をもって消す。悪に対しては善をもって打ち破る」(1466㌻、通解)と記されている。

 妙法の利剣で、悪を打ち破っていくのだ。

 また、「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と示されている。悪と戦い、悪を打ち破ってこそ、自身の無明が消え、真の功徳が顕れる。大きく境涯を開いていける。とくにリーダーは、先陣をきって戦うことだ。

 青年時代、私は学会や戸田先生へのデマの中傷は、絶対に許さなかった。庶民をいじめる横暴な権力とは、言論の剣で徹底して戦った。

 戸田先生は、よく、おっしゃった。

 「一番むずかしいところから始めよ。そうすれば、あとは、やさしい

 最も困難なところへ、「一歩」を踏み出す。苦手な分野に挑む。そこで突破口を開けば、さらに勢いも増す。「一番いやなところ」「一番大変なところ」に行くのが、本当の戦いである。仏道修行である。

 私はいつも、「一番大変なところ」へ乗り込んだ。勇んで指揮を執り、断じて勝った。それが私の最高の誇りである。

 

2006.3.24各部合同協議


2019年3月3日

第1581回
第一に「祈り」の拡大
第二に自身の「境涯」の拡大
第三に「勇気」の拡大

 

 来る日も、来る日も、
 同志の笑顔のため、
 地域の人々の喜びのため、
 わが地涌の勇者の皆さま方は走り、
 語り続けている。
 いかなる高位の人よりも、
 有名人や権勢の人よりも、
 遥かに偉大な人間王者であり、
 幸福と平和の博士である。

 

 広布のためならば、
 どこへでも駆けつけよ!
 懸命に難関に挑み、
 苦闘する友と一緒に立て!
 激戦の地で新たな波動を起こせ!
 創価学会には、
 この真心のネットワークで結ばれた
 強固な団結がある。
 だから強い。だから負けない。

 

 団結の鍵は何か。それは、
 一見、矛盾するようであるが、
 自らが「一人立つ」ことである。
 自分が真剣に祈り、強くなることだ。
 「誰かがやるだろう」と、
 安易に考えている限り、
 どこまでいっても、
 真の団結を築くことはできない。

 

 広宣流布の城に、
 必要のない人など、一人もいない。
 皆が「宝の人材」である。
 誰もが、なくてはならない存在だ。
 その一人一人を
 真心から大切にしていく
 積み重ねによってこそ、
 難攻不落の大城が出来上がるのだ。

 

 励ましの大地に、仏縁の拡大、
 友好の拡大、青年の拡大、
 人材の拡大の爛漫たる花を!
 そのための要諦は何だろうか。
 それは第一に「祈り」の拡大である。
 第二に自身の「境涯」の拡大である。
 そして第三に「勇気」の拡大である。
 「祈り」「境涯」「勇気」――
 この三つの拡大を通して、
 わが人生と地域と世界の新時代を、
 朗らかに邁進していこう!

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉友好拡大の花を爛漫と  2019年3月3日 


2019年11月10日

第1629回

「信念の一人」

 

 大聖人のご生涯は、命にもおよぶ大難の連続であった。「開目抄」には、「波に波をたたみ難に難を加へ」と仰せである。押し寄せる大波のように、次々と大難が襲いかかった。
 大聖人は、なぜ、その一切を勝ち越えることができたのか。御聖訓には仰せである。
 「一人なれども心のつよき故なるべし
 信念がある! 信仰がある! 強き心がある! だから一人であっても勝てたのである。信念をもった一人ほど強いものはない。どんなに迫害されようと断じて負けない。負けないということが、「妙法蓮華経」である。法華経の精神であり、日蓮仏法の魂である。
 わが学会には、大聖人に直結した「心の強さ」の真髄がある。
 だからこそ、これだけの難を受けながら、「仏法を基調とした、世界第一の平和と文化と教育の団体」を築き上げることができたのである。
 大事なのは、「信念の一人」である。立場でもない。役職でもない。人数でもない。私も、一人、立ち上がった。戸田先生をお守りし、悪意の言論と敢然と戦った。何ものをも恐れなかった。
 一人、立ち上がることだ。なかんずく、青年が自覚することだ。だらしのない臆病な先輩は放っておけばいいのである。青年部が、二十一世紀の創価学会の原動力になっていただきたい。
 「後継」こそ青年の使命である。広宣流布の一切の勝利は青年部で決まる。決然と、一人、立ち上がっていただきたい!
 釈尊が、幾多の苦境を乗り越えて、出世の本懐たる「妙法蓮華経」を説き始めたのは、何歳からであったか。大聖人は、「御年七十二歳」と記しておられる。釈尊の人生の最終章である。
 どうか、皆さまも、「不老不死の大生命力」を輝かせながら、健康で長生きしていただきたい。荘厳なる夕日のごとき、人生の総仕上げをお願いしたい。

 

2002.11.14 第二十七回SGI総会、第二十二回本部幹部会


2019年10月21日

第1625回
自分らしく自分の歴史を

 

 自分自身に生きぬくことだ。
 今が、どんなに大変であっても、たいしたことはないのだ。自分自身が強くなれば。
 たとえ今、経済的に厳しくても、努力さえ忘れなければ、時がくれば、必要なお金は自然にできるものだ。
 どんな苦しいことも、後になってみれば、全部、夢の中の出来事のようなものである。
 何があっても、生きて生きて生きぬくことだ。自分らしく、自分の歴史を堂々と築くことだ。
 人を恨んだり、焼きもちを焼く必要などない。私たちには、世界最高の御本尊がある。無量の宝を、自在に引き出していけるのである。

 

2002年9月5日 第20回本部幹部会


2019年10月19日

第1623回
君よ一人立て、後は必ず続く

 

一人立つ者こそ、真実の勇者であり、本物の指導者


 世界の偉人の箴言を皆さまに贈りたい。偉大なる先哲の言葉は、苦難を越えて、正義に生きゆく光源となるからだ。
 インド創価学会のヒマーチャル・プラデーシュ州の同志が、この地でマハトマ・ガンジーが記した箴言を届けてくださった。
 ガンジーいわく。
 「虚偽は精神を蝕み、真理は滋養となる
 虚偽は精神を腐らせる。人間を不幸にする。真理は精神を豊かにする。人間を幸福にする。
 ゆえに、徹して、虚偽を打ち破り、真理を広めなければならない。
 またガンジーは言う。
 「人が生きた信仰を持つならば、あたかも薔薇が香りを放つように、その芳香は広がっていく
 「生きた信仰」とは、観念でも、号令でもない。行動である。実践である。その人の振る舞いが、信仰そのものなのである。
 さらに、こうも言っている。
 「私は、紙の上の団結のことを言っているのではない。紙に協定を書き出したところで、団結が生まれるわけではない。私が望む団結とは、心の団結であり、私は、いつも、それを祈っている。
 そのような団結が打ち立てられれば、勝利を勝ち取る力を得るであろう」
 どんなに立派な言葉を並べても、それだけでは団結は生まれない。勝利はつかめない。
 心が一つになってこそ団結である。異体同心が真の団結なのである。
 ガンジーは、力強く訴えた。
 「非暴力は、地球上のいかなる権力をもってしても、消し去ることができない、世界の偉大な原理である
 この「非暴力」の思想を広めるために、ガンジーは、一人立った。「勇気ある一人が立てば、世界は変わる」ことを証明していった。
 ガンジーは「たとえ、その集まりの中に、純粋さを持つ人が、たった一人しかいなかったとしても、その人物の純粋さは、他の全員に影響を与えるのである」と語っている。
 大事なのは、一人である。一人が立ち上がれば、二人、二人と後に必ず続いていくものだ。
 一人立つ者こそ、真実の勇者であり、本物の指導者なのである。

 

2002.8.2全国最高協議会


2019年7月21日

 第1616回
 “私は勝った”と誇れる歴史を

 
 全国の同志が、
 日夜、広布のために、
 懸命に戦ってくださっている。
 仕事や家庭など大変ななか、
 本当に、頑張ってくださっている。
 その功徳は絶大である。
 自己の宿命転換が
 できるだけでなく、
 一家、一族が
 大福徳で包まれていくことは
 間違いない。
 
 全人類を幸福に――
 それが我らの祈りである。
 そのために力を尽くしている。
 しかし、それは、
 一足飛びにはできない。
 自分自身が幸福になり、
 縁した人々をも幸福にしていく。
 この積み重ねのなかに、
 世界平和の大道が開ける。
 
 広宣流布とは「声の戦い」である。
 いかなる悪口罵詈があろうが、
 三類の強敵の迫害があろうが、
 臆病になって、
 沈黙しては絶対にならない。
 正義が勝つか、讒言が増長するか。
 真実が勝つか、デマが蔓延するか。
 広宣流布は、
 言論戦そのものである。
 
 正義の前進が勢いを増せば、
 反動の魔も、当然、競い起こる。
 ゆえに、一日一日、
 一瞬一瞬に勝負がある。
 「今」を勝つことが、
 一切の勝利の出発点である。
 自分の心に噓はつけない。
 今いる場所で
 「本当にやりきった!」と
 誇れる勝利を飾るのだ。
 その気概で挑戦を続ける人こそが、
 本当の勇者である。
 わが親愛なる友よ!
 民衆勝利の凱歌を、
 日本全土に、世界の隅々に
 轟かせようではないか!

 

2019年7月20日 〈池田大作先生 四季の励まし〉


2019年3月23日

第1590回
広宣流布の根本の原理

 

<一人立て!>

 

 思えば、一九一九年の春、若き周恩来総理は、桜の咲くころ、留学中の日本を発って、祖国へ舞い戻っていかれました。それは、あの中国革命の淵源である「五・四運動」に身を投ずるためでありました。
 この「五・四運動」のスローガンの一つが、「青島を日本から取り戻そう!」という叫びであったことは、まことに有名であります。(第一次世界大戦で敗戦国となったドイツに代わり、当時、日本が青島を支配下に置いていた)
 その大闘争に、十八歳の若さで立ち上がった、山東地域の若き指導者のことを、私は思い起こすのであります。その名は、鄧恩銘(とうおんめい)青年。
 彼は、一九〇一年生まれ。戸田第二代会長やポーリング博士と同じ年代であります。
 鄧青年は、労苦をいとわず、日夜、各地を駆け回り、民衆の中へ飛びこんでいきました。
 民衆の中ヘ!――私たちの戦いも同じであります。
 鄧青年は、行く所、向かう所、正義と勇気の炎をともし、人々を決起させていったのであります。
 私も、青春時代、九州でも、また葛飾でも、そういう戦いの歴史を残してきました。大事なのは「一人」です。必死の一人から、二人、三人、そして千人、万人へと、波動が広がっていく。
 ゆえに「一人で決まる!」「一人立て!」――これが広宣流布の根本の原理です。
 鄧青年は、名聞名利など、かなぐり捨てて、肺結核も乗り越えながら、祖国のため、人民のために戦いました。女性の解放にも尽力した先見の人であります。
 彼は、同志を励まし続けました。
 「何事も、先駆を為すことはむずかしい。しかし決心を貫き、勇気を奮い立たせていけば、必ずや古い鉄鎖を断ち切り、自由と解放を勝ち取ることができる」と叫び、戦ったのであります。
 敵は、この正義の若き指導者を、いっせいに狙い打ちにしました。
 投獄は、三度。そして、一九三一年の四月五日、同志の卑劣な裏切りにあい、処刑されたのであります。三十歳の若さでありました。
 その殉難の直前、青島の革命児・鄧青年は、母に宛てて一詩を詠みました。
 「たとえ、わが身は死のうとも、惜しくはありません。なぜなら、後継の友が立ち上がり、必ずや、私を喜ばせてくれるからです」
 こうした壮烈な魂が、脈々と継承されて、現在の″栄光の大中国″が、築き上げられていったのであります。偉大な歴史の建設は、「一人の青年」から始まるのです。(拍手)

 

2002年4月21日中国・青島大学「名誉教授」授与式、九州青年部第一回新世紀総会


2019年3月23日

第1589回
自分が先頭に立つ!

 

<世界へ世界へ>

 

 牧口先生は、全学会の先陣を切って折伏を続けられた。
 リーダーが「先頭に立つ」ことだ。自分は後ろのほうにいて、皆にやらせるのは卑怯である。
 私は先頭を走っている。だから迫害も多い。
 法華経に「猶多怨嫉」とある。(法師品の文。「如来の現に在すすら猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや」〈法華経三六二ページ〉)
 批判・中傷されないのは、法華経の文に反する。広宣流布の途上に「三類の強敵」「三障四魔」が競い起こるのは必定なのである。
 これこそ、仏になる大道なのだ。
 障害物を乗り越えるから、偉大な人格ができる。何もなければ、ただの拝み屋である。形式的な宗教だ。
 牧口先生は、全国に足を運び、たくさんの人に、妙法を″下種″していかれた。軍部に逮捕されたのも、折伏に行った伊豆の下田である。
 下田は、吉田松陰が「世界へ」雄飛しようとした場所である。(一八五四年、アメリカ船に乗り込もうとした)
 また、日蓮大聖人が、最後の旅でめざされたのは「常陸」であった。
 「世界へ」開かれた太平洋を臨む天地とされている。
 「世界へ」「世界へ」――ここに大聖人の仏法の魂がある。

 

2002年3月3日 第十五回本部幹部会、第四回九州総会、第二回芸術部総会


2018年10月8日

第1531回

一人立つ勇気

 

祈りと行動

 

 開拓は、地道である。
 一歩一歩である。
 家庭訪問、個人指導、
 弘教・対話こそ、
 本当の仏道修行である。
 大勢を集めて話すだけでは
 修行にならない。
 自分が動かねばならない。
 一カ月に何軒、回ったか。
 一年に何軒、回ったか。
 そこにしか真の「開拓」はない。

 

 「あの人は駄目」「この人はこう」と
 固定観念をもち、
 決め込んでしまうと、
 相手の違った顔が見えない。
 いな、相手と真っすぐ
 向き合うことができないのだ。
 相手ではない。
 自分の目に惑わされるのだ。
 また、「自分は、もう、
 これだけしかできない」と
 決めつけてしまう場合もある。
 先入観。我見。固定観念。思い込み
 ――それらが自分を縛り、
 閉じ込めてしまっているのだ。
 その心の檻を打ち破ることだ!
 それには祈りと行動だ。
 勇気をもって、
 ぶつかっていくことだ。
 動けば、おのずから、
 視点は変わるのだ。

 

 勇気こそ、幸福の門である。
 勇気こそ、正義の銅鑼である。
 勇気こそ、勝者の旗である。
 一切の原点は、
 戸田先生が教えてくださった通り、
 「一人立つ勇気」にある。
 そして、究極の勇気である
 「師子王の心」は、
 誰の胸中にも厳然とあるのだ。

 これからが「本番」である。
 希望は常に前にある。
 栄光は前進し続ける中にある。
 ともどもに悔いなく、
 最高の勝利の人生を飾っていこう。

 

〈池田大作先生 四季の励まし〉 希望は常に前にある   2018年10月7日


2018年9月29日

第1530回

『例(ためし)には他を引くべからず』

 

<わが姿を見よ! わが戦いを、しかと見てくれ!>

 

役職によって自分が輝くと考えるのは、

”権威主義”である。

 

 当時は、「支部──地区──班──組」という組織の体制が整備されたばかりであった。「組」は最前線、今の「ブロック」である。
 最前線のリーダーに自信と責任感を──それが戸田先生のお心であり、 私も、ここに学会が飛躍する焦点があると確信していた。
 支部の百人近い組長全員が主役に! 皆が勝利者に!
 一人が百歩前進するよりも、百人が一歩前進を!
 私は、一つの「組」も落とさない決心で、一人一人が功徳を実感できるようにと、祈り、支部内を縦横無尽に走り回った。
 新しい人材を見つけ、新しい力を結集する。そこに勝利のカギがあるからだ。
 組織というと、人の顔が見えない大きな機構をイメージしがちだが、学会の組織は、あくまで「人」である。
 班や地区の幹部など、あらゆる幹部が「組」に入った。
 座談会も、「組」なら顔が見える。指導も、「膝詰めの対話」なら、各人の悩み等に的確にこたえていける。
 そのなかで発心した一人一人が、雄々しく弘教に立ち上がっていったのである。
  ともあれ、号令だけでは、誰も動かない。いわんや、人間は感情の動物だともいわれる。
 嫌々ながらでは、本当の力など出るはずもない。
 まして、支部幹事とはいえ、私は二十四歳の青年にすぎなかった。どうすれば、皆が本気になって総決起してくれるのか。
 それは、全責任を担った、若き私の行動だ。自らの必死の汗だそして結果だ。その姿に、同志は喝采を送り、信頼を寄せてくれるのだ。
 わが姿を見よ! わが戦いを、しかと見てくれ!
 青年らしく、戸田門下生らしく、私は決然と立ち上がった。そして奮闘した。
 御聖訓には、「例には他を引くべからず」とも仰せである。他人ではなく、自身の戦う姿が共感と納得を生むのだ。支部幹事の私と、支部長とは、よく連携を取り合い、戸田先生の構想実現へ、心を合わせていった。
 支部幹事は、「副役職」である。支部長と同じ目的観、同じ理想に立ち、支部長を補佐するのが役目である。
 「支部長を支え、必ず日本一の支部に!」
 私は、支部幹事の模範をつくろうと戦い抜いた。
 「位置が人を高尚にせず、人が位置を有名にす」とは、西洋古代の箴言である。
 役職が、人を輝かすのでは断じてない。人が、役職を光り輝かせるのだ。
 役職によって自分が輝くと考えるのは、”権威主義”である。「虎の威を借る狐」の生き方であり、結局は、役職の価値を下落させることになる。
一カ月後、この二月の戦いの結果が発表された。
 わが蒲田支部は、二百一世帯の堂々の第一位!
 当時、一カ月で百世帯を超える折伏もできない支部が、ほとんどであった。その限界を悠々と突破して、大勝利を飾ったのである。つまり「組二世帯」という前代未聞の折伏を達成したのだ。
 皆が唖然とした。
 いかなる苦難の山々を越えようが、勝てば、いっさいは歓喜と充足に変わる。
 皆の顔が、それはそれは紅潮し、喜び勇んでいたなかには、躍り上がっている組長もいた。その姿が、何よりも、私は嬉しかった。
 ──来年五十周年(当時)となる「二月闘争」のことは、これまでも語ってきたが、大事な歴史であり、再度綴らせていただいた。

 

  2001年10月4日 随筆 新・人間革命4(132) 広宣流布の新布陣


2018年6月17日

第1511回

広布は「一人」から始まる

 

<本当に「日蓮と同意」の心をもった、

本当の「学会の同志」と一緒に>


 一、思えば牧口先生は、昇りゆく旭日のような勢いで、「価値創造」の青春を生き抜かれた。そして真っ赤な太陽が黄金の光を放ちゆくように、荘厳な人生の総仕上げを飾られた。
 素晴らしき夕日は、素晴らしき明日を約束する。西空を黄金に染めて沈む夕日は、明日の晴天を約束する。同じように今世の偉大なる安祥の「死」は、「永遠の幸福」を約束する。
 悔いなく広宣流布に生ききった一生は、三世永遠に仏界の大境涯へと輝きわたっていく。
 ゆえに「一生成仏」の大道を進め! 今世を広宣流布に生き抜け! そう日蓮大聖人は、厳しく教えられているのである。


「毅然たる信心」で

 

 一、戸田先生は、大確信をもって語られた。
 「大聖人のおことばを信じて、この(法華経の)鏡に照らしてみるならば、(牧口)先生は法華経流布の国のなかの、もっとも徳清らかな王家に、王子として再誕せらるべきこと、堅く信じられるべきで、先生の死後の幸福は、吾人(=私)に何千、何万倍のことか、ただただ、おしあわせをことほぐ(=祝福する)ばかりである」と。
 生命が存在する天体にしても、この地球だけではない。数多く存在するとされる。そこには、多くの「法華経流布の国」があると考えられる。
 ゆえに戸田先生は、御書に照らし、法華経に照らして明言された。
 ――牧口先生は素晴らしき「法華経流布の国」の、素晴らしき王家に、王子としてお生まれになられることだろう。それほど牧口先生の幸福は計り知れない。われわれの何千何万倍である、と。
 一、牧口先生、戸田先生に連なる学会員も、この一生を広宣流布に生ききったとき、皆、こうした永遠の勝利と栄光に包まれゆくことは、絶対に間違いない。ゆえに、負けてはならない。何があろうと「毅然たる信心」を貫くことである。
 御書に「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(1143頁)とある。
 また、「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(467頁)と。
 はかない、夢のような一生である。「一生はゆめの上・明日をごせず」(1163頁)である。明日がどうなるかさえ、だれもわからない。いわんや永遠はわからない。
 いかなる富も地位も名声も、はかなき夢のごときものである。死後に持って行けるわけでもない。そのなかで、私どもは永遠の妙法を唱え、弘め、広宣流布に命を燃焼させている。これ以上の崇高な生き方はない。学会活動にこそ、人生の無上道がある。


太陽はわが胸中に

 

 一、また、大宇宙の一切は、「南無妙法蓮華経」の力用である。その「南無妙法蓮華経」という根本の法は、私どもの胸中にある。何と素晴らしいことか。
 太陽は今日も昇る。私どもも、題目を今日も唱え、胸中に太陽を昇らせていく。ひとたび太陽が昇れば、すべてが照らされていく。
 わが「生命の太陽」を赫々と燃やしながら、今日も祈っていこう、戦っていこう、生き抜いていこう、人生の福運をつくっていこう。ここに究極の幸福の軌道がある。
 どうか、「黄金の一日一日」を信心で勝ち取っていただきたい。この現実の「娑婆世界」「忍耐の世界」で、晴れ晴れと勝っていただきたい。
 一、牧口先生は、千葉で立宗された大聖人の御姿を通して、学会員を励まされた。1939年(昭和14年)、折伏のために九州に足を運ばれたときのことである。
 当時は、列車の長旅である。今のように飛行機はない。高齢(67歳)のお体には、相当こたえたはずである。しかし、先生は、法のためならば、いかなる労もいとわれなかった。
 その折、初対面のある婦人も、

 

 牧口先生の青年のようなすがすがしい音声、

 絶対の確信、

 誠実と慈愛の姿

 に感動して入会を決意する。
 声が大事である。

 確信が大事である。

 姿が大事である。

 すべて諸法実相である。


 牧口先生は、その発心した婦人に、こう語りかけ、心にクサビを打ち込まれた。
 「あなたが御本尊をいただくということは、仏法の原理に照らして、九州の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです!」
 「一人立て!」である。どの地でも、広宣流布は常に「一人」から始まる。 

妙法の種は必ず花開く

 

 一、牧口先生は、その時、「諸法実相抄」の一節を拝された。
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(1360頁)
 そして先生は、しみじみと語られたのである。
 「大聖人も千葉の嵩が森で第一声を放たれたときは、お一人でした。今、あなたが九州で一人、この最高の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるということは、地涌の義によって、九州にも必ず、二人、三人、百人と御本尊を持つ人があらわれるということなのです」
 この言葉の通り、牧口先生が自ら蒔かれた妙法の種は、見事に花開いている。
 一、大聖人は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同頁)と仰せである。
 ただ「拝んでいる」だけでは、「日蓮と同意」にはならない。折伏をやろう! 広宣流布をやろう!――この心の炎が燃えている人が「日蓮と同意」なのである。その意味で、まさしく「日蓮と同意」で戦い抜かれた象徴が牧口先生である。
 「日蓮と同意」の団体は、現在も、未来においても、断じて創価学会しかない、と申し上げておきたい。
 本当に「日蓮と同意」の心をもった、本当の「学会の同志」で一緒に邁進しましょう!
 どうか、健康第一で、朗らかに、何ものをも乗り越えて、一日一日、福運を積んでいっていただきたい。
 私も、皆さまの健康、長寿、幸福、裕福を祈り続けたいと思っている。
 本日、お会いできなかった方にも、くれぐれもよろしくお伝えいただきたい。
 長時間、ありがとう!

 

世界広布新時代第35回本部幹部会で紹介された「1997年1月の本部幹部会」 2018年6月13日 


2017年10月22日

 尊い一歩から、全てが始まる

 

 わが地域の広宣流布を一歩前進させる。そのために、どれほど深い祈りがあり、人知れぬ苦闘があることだろうか。この尊い一歩から、全てが始まる。
 それは「立正安国」の拡大にも、さらには「世界平和の前進」にまで、力強く連動していくのだ。


大白蓮華2017年10月号№816巻頭言(抜粋)


2017年4月22日

もう一歩

 

<自分も地域も社会も変える>

 

 山本伸一の功労者宅を中心とした家庭訪問は続いた。「敬老の日」である九月十五日には、東京・狛江の草創の同志の家を訪ね、家族と和やかに懇談し、皆で記念のカメラに納まった。五月以来、既に三十軒目の家庭訪問となっていた。さらに、狛江文化会館を訪れ、居合わせた同志を激励した。
 狛江市では、五年前の九月、台風十六号によって多摩川の堤防が決壊し、民家十九棟が流されるという事故が起こった。伸一は、そのニュースが流れるや東京の幹部らと連絡を取るとともに、犠牲者がないよう懸命に祈りを捧げたことが忘れられなかった。
 狛江市も、隣接する調布市も、住宅地として開発が進み、人口は増加の一途をたどっているという。
 田園と新しい住宅が広がる風景を見ながら、伸一は、同行していたメンバーに語った。
 「第二東京は広宣流布の新舞台だ。ここも未来が楽しみだ。皆で力を合わせて、新しい歴史を創ってほしいね」
 広宣流布は前代未聞の大業であり、道なき道を開き進む労作業である。その道を切り開くには、人を頼むのではなく、皆が自発・能動の信心で、一人立つことである。自らが目標を定め、主体者となって取り組む活動には歓喜がある。
 また、日々、勇気を奮い起こして自分の殻を破り、新しい挑戦を重ねていくことだ。挑戦こそが、前進と成長の原動力となる。
 武蔵野を愛し、調布で晩年を過ごした文豪・武者小路実篤は、次の言葉を残している。
 「いかなる時でも自分は思ふ、
 もう一歩
 今が実に大事な時だ。
 もう一歩」(注)
 もう一歩――その粘り強い歩みの積み重ねが、自分を変え、地域を変え、社会を変える。
 伸一は、念願であった個人指導に、多くの時間を割き、同志と語り合えることが何よりも嬉しかった。その堅実な行動のなかにこそ、学会活動の最大の醍醐味があるからだ。

 

 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 「もう一歩」(『武者小路實篤全集11』所収)小学館

 

〈小説「新・人間革命」〉 雌伏 二十四   2017年4月21日


2017年3月28日

学会活動には、

何一つとして無駄はない

 

<一人の信心が、

一人の成仏が、

最後には全てを変える>

 

 日蓮大聖人は門下の先駆の功労を讃えられ、「国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし」(御書1241ページ)と仰せになられた。
 法のため、友のため、社会のため、苦難に怯まず、広布に生き抜く福運は無量だ。時とともに、いやまし光る。
 学会活動には、何一つとして無駄はない。あらゆる苦労が、最極の「今生人界の思出」となり、自身と一家眷属の「人間革命」の力となる。さらには愛する地域と国土の「立正安国」へとつながっていくのだ。

 法華経には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経575ページ)と。
 苦悩の絶えない社会にあって、生命尊厳の大哲学を持ち、希望と勇気の光を送りゆく地涌の友の使命は、いかに大きく誇り高いか。
 “どうすれば組織が盛り上がるか”と悩む青年を、私は励ましたことがある。
 ――君自身が燃えていればいいんだよ。一人の信心が、一人の成仏が、最後には全てを変えるんだから、と。
 一人から一切は始まる。自分が太陽となれば、いかなる闇も消え去るのだ。
 今の祈りと行動が種となって、必ず勝利の花を咲かせる。生き生きと友情と仏縁を広げ、いざ爛漫と創価桜の道を開きゆこう!

 

〈池田先生と共に 新時代を進む〉7   2017年3月27日

 


2017年3月20日

一人立つ行動こそが
後継の資格

 

<まず自分が立ち上がれ!>

 

 御聖訓には、『地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり』(1359頁)とも御断言です。日蓮仏法の魂は、「さきがけ」の勇気です。「二陣」「三陣」と続くためには、自らが一人立つ覚悟がなければ、本当の意味で後を継ぐことはできません。
 ゆえに、まず自分が、決然と立ちあがることです。思い切って行動を起こすことです。先陣の苦労は大きい。しかし、その分、大きく人間革命できるのです。一人の「法華経の行者」が行動を起こせば、周囲の人が二人・三人・十人と目覚めていく。真剣の一人の戦いが、必ず新たな歴史を作るのです。

 

大白蓮華2017年3月号№809 17頁


2017年2月23日

 一つの終わりは、新しい始まりだ。

 

 が後継の師子として立つんだ>

 

 会場の中央にいた男性が立ち上がった。まだ三十代の東北方面の県長である。彼は、県長会の参加者に怒りをぶつけるかのように、声を張り上げて訴えた。
 「皆さんは、先生が辞任されるということを前提に話をしている。私は、おかしいと思う。そのこと自体が、納得できません!」
 沈黙が流れた。
 伸一の声が響いた。
 「辞任が大前提でいいじゃないか。私は、そう決めたんだ。これで新しい流れができ、学会員が守られるならば、いいじゃないか。
 声を荒らげるのではなく、学会は和気あいあいと、穏やかに、団結して進んでいくことだよ。私と同じ心であるならば、今こそ、同志を抱きかかえるようにして励まし、元気づけていくんだ。みんなが立ち上がり、みんなが私の分身として指揮を執るんだ!
 初代会長の牧口先生が獄死されても、戸田先生がその遺志を受け継いで一人立たれた。そして、会員七十五万世帯を達成し、学会は大飛躍した。その戸田先生が逝去された時、私は、日本の広宣流布を盤石にし、必ずや世界広布の流れを開こうと心に誓った。そうして今、大聖人の仏法は世界に広がった。
 物事には、必ず区切りがあり、終わりがある。一つの終わりは、新しい始まりだ。その新出発に必要なのは、断固たる決意だ。誓いの真っ赤な炎だ。立つんだよ。皆が後継の師子として立つんだ。いいね。頼んだよ
 県長会は、涙のなかで幕を閉じた。
 何があろうと、皆の心に峻厳な創価の師弟の精神が脈動している限り、新しき道が開かれ、広宣流布は伸展していくのだ。
 引き続き、午後には総務会が開かれた。
 この席上、伸一の会長辞任の意向が伝えられ、受理された。さらに総務会では、懸案であった「創価学会会則」の制定を審議し、採択。これに基づき、新会長に十条潔が、新理事長に森川一正が選任され、伸一は名誉会長に就任した。それは、伸一にとって、壮大な人生ドラマの新章節の開幕であった。

 

〈小説「新・人間革命」〉 大山 四十三


2017年1月30日31日

 新たな歴史は一人の挑戦から始まる
 偉大な勝利は一人の戦いから始まる

 

<いかなる人も、広宣流布の味方に変えてみせる!>

 

 新たな歴史は
 一人の挑戦から始まる。
 偉大な勝利は
 一人の戦いから始まる。
 状況を嘆いたり、
 人任せにしてばかりいては、
 何も変わらない。
 自分が変われば、
 その分、世界が変わる。

 

 「妙法」に、
 行き詰まりは絶対にない。
 あるのは、自分の一念に巣くう、
 臆病や諦めの壁だ。
 己心の壁を打ち破れ!
 あらゆる障害を乗り越え、
 無限に前進する力が
 信心だからである。

 

 「限界を破ろう!」――
 そう決めた時、
 実は自分の心の限界を、
 すでに一歩、破っている。
 その時点で、理想や目標も、
 半ば達成されているとさえ
 言ってよい。

 

 実践あるところには
 ドラマがある。
 ドラマがあるところに
 感動が生まれる。
 当然、失敗もあろう。
 それでも、めげずに挑み抜いた
 体験にこそ、共感が広がるのだ。
 苦闘を勝ち越えた体験談は、
 “自分には、とてもできない”と
 弱気になっている同志の、
 心の壁を打ち破る
 勇気の起爆剤となる。

 

 人の心を動かし、捉えるものは、
 策でもなければ、技術でもない。
 ただ誠実と熱意によるのである。
 “いかなる人も、広宣流布の味方に
 変えてみせる!”――
 この烈々たる
 祈りと勇気と勢いで、
 栄光の歴史を開くのだ。

 

2017年1月29日〈池田大作先生 四季の励まし〉二月闘争65周年 心の壁を打ち破れ


2017年1月19日

「一人」の成仏が万人を救う!

 

<真剣の「一人」として輝け!

 

学会の発展こそ

日本の発展、世界の発展

 

 日蓮大聖人は、関東の天地で活躍する門下の曾谷殿――今の千葉県、茨城県の一部にあたる下総の曾谷教信に、こう仰せである。
 「今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり、所謂地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」(御書1046ページ)
 ――今、法華経という経は、一切衆生を仏にする秘術をそなえた御経である。いわゆる地獄界の一人、餓鬼界の一人、(さらに畜生界、修羅界……という)九界の一人を仏にすれば、一切衆生が、みな仏になれるという法理が、あらわれる。たとえば、竹の節を一つ破れば、他の節も、次々に破れるようなものである。
 (十界互具であるゆえに、たとえば地獄界の一人が成仏できるということは、その地獄界を具す九界の人々も成仏できる証明となる)――。
 
病気、経済苦、心の苦しみ――地獄の苦悩にある「一人の人」。その人を成仏させられるかどうか。その人が絶対の幸福をつかめるかどうか。それができるのが法華経である。それができることが、一切の人を救える証明となるのである。仏法は大きい。一切を救う。その大きさも「一人の人間」に集約され、すべて含まれているのである。
 「一人」が成仏すれば、周囲の人々をも成仏の軌道へ導ける。
 一家も、一族も、また友人も、たとえ地獄界、餓鬼界の苦しみにある人であっても、希望や幸福へと方向づけてあげられる。それが妙法の力である。
 「一人の人間革命」が、やがて「世界の変革」をも、成し遂げていく――その根本原理も、ここにある。
 ゆえに、大事なのは、強盛なる信心の「一人」である。一人の「一念」であり、「心」である。
 環境がどうあれ、魂の「金の城の人」が一人いれば、「黄金の人材」さえ一人いれば、すべてを良き方向へ、幸福の方向へと開いていける。
 この「真剣の一人」を育て、「真剣の一人」に育ちながら、私どもは進んでいきたい。
 学会員一人一人が、真金の人と輝くならば、全人類も、「幸福」へ、「安穏」へ、「平和」へと導いていけないはずがない。
 事実、学会の発展と、歩調を合わせるかのように、日本と世界の歴史も、大きく転換してきた。
 その意味から、学会こそ、「日本の柱」「世界の光」との気概で進みたい。
 私どもは、この偉大なる仏法を、さらに深く体得し、広布に生きる人生の喜びを満喫しながら、前進してまいりたい。
 そして、この一年、「境涯の拡大」「功徳の拡大」「友情の拡大」「広布の拡大」「団結の拡大」「励まし合いの拡大」へ、“破竹の勢い”で進んでまいりたい。
 「拡大しよう」という一念、祈りによって、自分自身の人生が大きく、楽しく広がっていくのである。

 

 2017年1月17日付 聖教新聞 本部幹部会で紹介された池田先生の指針


2016年11月30日

所詮は自分である!


 <「汝自身の原野」に雄々しく挑め!>

 

①自分の人間革命をしているか!
②自分が太陽になっているか!
③現状に甘んじていないか!
④自己の無限の可能性を開いているか!

 

 「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。
  人は、誰でも
 未踏の原野をもっている。
  それも、どこか遠い彼方ではなく、
  ごく身近にあるものだ。
 最も手強い壁は、
 実は心の中にある。
 ゆえに、勇気をもって
 自分と向き合い、
 「自己拡大の戦い」
 「人間革命の戦い」を起こすことだ!
 「汝自身の原野」に雄々しく挑め!
  その人こそ、
  最も勇敢なる開拓者である。
   
 自分が太陽になることである。
  太陽が一人いれば、
  家庭も地域も、皆が照らされる。
  皆が温められる。
  広布のために
 動きに動く行動の果てに、
  生命は太陽と輝くのである。
   
  勝利を誇る姿――それも美しい。
  しかし、それ以上に美しく、
  気高いのは“さあ、戦うぞ!”
 “いよいよ、これからだ”という、
  挑戦の姿であろう。
  尊いのは、「戦う」一念である。
  ある意味で、勝っても負けても、
  「戦う」こと自体が偉いのである。
  何があろうと「戦い続ける」人は、
  すでに人間として
 「勝っている」といえる。
   
  “もう駄目だ”と思うような時に、
  御書を開き、学会指導を学び、
  また同志の励ましを受けて、
 あらためて
 「信」を奮い起こしていくことだ。
  御本尊に向かって
 真剣に唱題行を貫いていけば、
  必ず、わが胸中から変革が始まる。
  自身の仏性が開かれて、
  歓喜と確信が込み上げ、
  挑戦する勇気が湧いてくる。
 そこに絶対勝利への
 仏の無限の智慧と力が現れるのだ。

 

2016年10月30日 池田SGI会長 四季の励まし 挑戦し続ける人が勝利者


2016年10月21日

真剣な一人が立てばよい
 <組織の論理だけで押し切るな!>

 

 古来、中国では、桃や李は優れた人格の象徴とされた。
 唐代の詩人・李賀の詩にも、次のような一節がある。
 立場が変わり、境遇が変化した人への励ましの言葉であった。
 「自ら是れ 桃李の樹(じゅ) 何ぞ畏(おそ)れむ 蹊(けい)を成さざるを
 ――あなたは桃李(=桃や李)の木の如きもので花が爛漫とうるわしく咲いている、だまっていても人が寄ってきて、下には自然と小路ができるというものだ。(『李長吉歌詩集』鈴木虎雄注釈、岩波文庫)
 たとえ一本でも、美しく咲き香る木があれば、あたり一面がなごみ、華やぐ。組織も同じである。「真剣な一人」がいれば、全体が大きく変わっていく。「一人」が立てばよいのである。
 仏法の世界とは、こうした「人間性の花」を咲かせながら、あの地にも、この地にもうるわしい友情を広げていくものである。組織の論理だけで押し切っていくということがあってはならない。
 「ああ、あの人はすばらしいな」「あの心、あの生き方に感動する」――そのように人格を慕われて、おのずから広布の道ができていくのである。

 

2016年10月18日付 聖教新聞 本部幹部会で紹介されたSGI会長の指針


2016年9月15日

  人に頼るな!

 一人立てば君は「自由に」

 

<未来、生々世々にわたって、

あらゆる階層の大指導者になる>

 

 さらに、青年のために語っておきたい。
今年(1998年当時)はインドの独立の父・ガンジーが殉難して五十年。(一九四八年一月三十日、凶弾に倒れた)
 独立を勝ち取る夜明け前、ガンジーは一人、インドの村々を、たゆみなく歩き続けた。
 私たちの次元で言えば、家庭訪問に、また折伏に、足を運ぶことにあたる。
 ガンジーは、インドのために、繰り返し繰り返し、民衆に語り続けた。
 「あなたがたは、他人にたよることをやめた瞬間から、自由です。この自由――それこそが唯一の真の自由です――だけは、なんぴともあなたがたの手から奪うことはできません」と。(〈クリシュナ・クリパラーニ『ガンディーの生涯』森本達雄訳、レグルス文庫)と。
 要するに、「人を頼るな」ということである。人などあてにしない。自分が一人、立ち上がる。自分が一人、戦い抜く。その獅子の生き方を、ガンジーは教えたのである。
 私も五十年、信心をしてきて、よくわかる。結局、「一人立つ」しかない。そこにしか勝利はないのである。
 「羊千匹より獅子一匹」である。格好だけ、言葉だけ――そんな風潮を断じて、諸君は許してはならない。
 ガンジーは、「恐れ」こそ「最大の不幸」であると訴えた。ゆえに″何も恐れるな!″と叫んだ。
 「私は恐怖というものが嫌いだ。どうして人間が他の人間に対して恐れを抱かなくてはならないのか」「臆病は、我々が損害を受ける最も大きな悪徳であり、おそらく最も大きな暴力である」(『ガンディー 私にとっての宗教』竹内啓二他訳、新評論)と。
 ガンジーは、人間の精神の第一の要件として「勇気」を重んじた。「臆病」は結局、自分で自分を貶め、痛めつけることになる。だから、臆してはいけない。負けてはいけない。
 日蓮仏法も「勇気」の仏法である。学会も、「勇気」があったからこそ、今日の繁栄がある。
 ガンジーは、″本気になって戦え″と呼びかけた。
 「何かを『できるだけ』やります、という人は、その尊大さか弱さのどちらかをさらけだしているのです」(同前)と。
 中途半端なことを言うのは、傲慢か、臆病か、どっちかだというのである。
 戸田先生は、「力はありませんけれども――」という人に対して、厳しく言われた。なぜ「真剣になってやります」「命をかけてやります」「最後までやりきります」と言いきらないのか、と。
 ガンジーの言わんとするところも同様であろう。″どんな苦労をしてでも、私はやり遂げます!″まず、そう言いなさい、と。それが「強さの印」であると、ガンジーは弟子たちを叱咤したのである。(中略)
 二十一世紀は、「創価学会の世紀」にしましょう!(拍手)
 われら学会員は、一人も残らず、生きて生きて、生き抜いていこう。 

戦って戦って、戦い抜いていこう。そして勝利して、長生きして、栄光のわが身を輝かせていきましょう!

 さらに、「真実の信仰の力」を、「正義の証」を残していく一人一人になっていただきたい。(拍手)
 最後に一言だけ申し上げておきたい。
 今、宇宙の法則である妙法の広宣流布に励んでいる皆さま方は、未来、生々世々にわたって、あらゆる階層の大指導者になりゆく原因をつくっておられるのである。これは、御書と経文に照らして間違いない事実である。
 さらにまた、大宇宙には、地球と同じような惑星は無数にある。そうしたところにも生まれて、妙法流布の大指導者となっていくのである。
 ゆえに、現在の努力も、苦闘も、すべてが、偉大なる人間指導者になりゆく訓練なのであり、最大の福徳を積んでいることを確信していただきたい。
 仏法は因果の理法である。厳たる生命の理法である。ゆえに仏法には、一切、無駄はない。すべてが自分自身の永遠の福徳になっていくことを忘れてはならない。
 生命は無始無終であるから、次の世も、また次の世も、生きていくしかない。そのたびに地獄のような苦しい生命となるよりも、今、仏道修行して偉大な原因をつくり、永遠に、生々世々、仏意仏勅の人生を歩んだほうが賢明である。

 

1998年1月25日婦人部代表協議会、「紅梅会」「常磐会」総会(抜粋)


2016年1月3日

広宣流布は戸田がやる!

 

<広宣流布は自分がやる!>

  

「今」がいちばん大事
「過去」を振り向いてはいけない!

 

 「久遠元初」とは「無始無終の生命」の異名です。
 時間論ではなく、生命論です。生命の奥底の真実──無始無終に活動し続けている宇宙生命そのものを指して「久遠元初」と呼んでいるのです。それは「無作三身如来」と言っても同じです。
 大聖人は『久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり』(御書759頁)と仰せだ。
 『はたらかさず』とは、途中からできたのではない、本有ということです。『つくろわず』とは、三十二相八十種好を具足していない、凡夫のありのままということです。
 本有常住であり、『もとの儘』です。これを『久遠』という「久遠」とは「南無妙法蓮華経」のことです。御本尊のことです。だから、御本尊を拝する、その瞬間瞬間が「久遠元初」です。
 私どもは、毎日が久遠元初なのです。毎日、久遠元初の清らかな大生命を全身に漲らせていけるのです。毎日が久遠元初という「生命の原点」から新たな出発をしているのです。
 だから「今」が一番大事なのです。「過去」を頼り向いではいけない。振り向く必要もない。未来への希望を大いに燃やして、この「今」に全力を注いで生きる。その人が、人生の賢者です。
 上行菩薩への付嘱──末法広宣流布を託したのです。だから「久遠の妙法」の広宣流布へ本気で立ち上がれば、そのとき、生命に「久遠元初の夜明け」が訪れる。
 戸田先生はいつも「広宣流布は戸田がやる」と言われていた。「私がやる」と。「人には頼まない」と。そして青年にも同じ大信心に立てと願われていた。
 ある時は、二十人ぐらいの青年の集いで、突然、力強く、「広宣流布はおれがやる」と叫ばれた。そして「君たちも一人ずつ言いたまえ」と、一人一人を指さされた。
 皆、夢中で「広宣流布は私の手でやります」と申し上げた。なかには弱々しい声もあった。何だろうという驚いたような声もあった。後に退転した人間もいた。
 ただ戸田先生は、青年たちに、ご自分と同じ決意に立たせたかったのです。戸田先生の厳愛です。今、私も青年部の諸君に対して、まったく同じ気持ちです。

 

法華経の智慧 如来神力品 第二十一章


2016年1月2日

「自分」が立ち上がれ

 

<大聖人直結の「一人」として>

  

 『日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたんと・せしかども・今までかうて候事は一人なれども心のつよき故なるべしと・おぼすべし』(乙御前御消息1220頁)

 ――日蓮のことを、日本国の上一人より下万民に至るまで、一人ももれなく亡き者にしようとしたが、今までこうして無事に生きてこられたことは、日蓮は一人であっても法華経を信じる心が強いから、諸天が守護されたと思いなさい。――

 いずこの地、いつの時代にも、大聖人直結の「一人」が立ち上がれば、必ず妙法は広まる。世界192カ国・地域への慈折広宣流布も、師弟を根本にした一人立つ勇者たちの不屈の大闘争で築かれた。

 「誰か」ではない。「自分」である。「いつか」ではない。「今」である。

 「強き心」「燃え上がる信心」で、わが地域の広布新時代を大きく勝ち開こう!

 

御書とともにⅡ<73>2015年12月23日


2015年11月19日

闘諍の時こそ

一人の偉大な人間革命で立ち上がれ!

 

  恩師・戸田城聖先生は言われていた。
 「私の願いは、一人として、功徳を受けない同志がいないことである。みなに功徳を受け切った生活をさせたい。そのために、私は闘争する。全世界に向かって、どうだ、この姿は! と言わせてらいたい」と。(中略)
 今なお世界各地では、さまざまな紛争が打ち続き、「闘諍堅固」の様相は深まっています。
 だからこそ、決意も新たに撰時抄の一節を拝したい。

 『日蓮法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』(撰時抄、288頁)と。
 「生命尊厳」の潮流は、一人の偉大な人間革命から広がります。

 私たちは、一切を蘇生せしめていく妙法の音律を轟かせて、いかなる「暴力の連鎖」にも屈しない「人道の連鎖」をいやまして強め、地球民族の平和と共生の大海原を洋々と開いていこうではありませんか!

 そして一人一人を大切にする「人間尊敬」の対話をたゆまず積み重ね、生老病死の苦悩を打開しゆく智慧と力を、一段と発揮してまいりたい。

 なかんずく、負けじ魂の頼もしき青年たちを大いに慈しみ励ましながら、人類の境涯を「常楽我浄」という、永遠の幸福と希望と和楽の最高峰へ高めていきたいのであります。

 牧口先生も戸田先生も大事にされた御聖訓に、『各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず』(同910頁)――おのおの日蓮の弟子と名乗る人々は、一人も臆する心を起してはならない――とあります。

 この勇気こそ創価の師弟の真髄です。

 どうか、私と共に、いよいよ師子王の心に燃え、この世で最も麗しい異体同心の団結を光らせ、世界広宣流布の大願成就へ、勇猛精進していこうではありませんか!(後略)

 

 2015年11月19日付聖教新聞 世界広布新時代第14回本部幹部会メッセージ


2015年11月3日

最初のマグマの一滴

 

<“一人”に偉大な「使命」と「力」と「責任」あり>

 

 火山活動を起こすマグマの成り立ちについて、定説はないけれども、一つの可能性として考えられていることにふれておきたい。マグマとは、地下深くで生まれる溶融状態の物質のことをいう。高熱、大量のマグマが一体となって上昇し、地上に噴き上げる現象が噴火である。そうしたマグマは、どのように発生するか。
 何らかの原因で、地中に温度上昇や圧力低下が起こる。すると鉱物粒子の一角が溶ける。それがマグマの最初の一滴である。しかし、それはきわめて微小な“一滴”にすぎない。
 それがマグマの流れとなり、大河となるのは、マグマの一滴が自身も着実に拡大しつつ、他の一滴一滴と網目状に結合し、いわば“液のネットワーク”を構成するからである。ここから確かな流れが生まれ、さらなる温度の高まりとともに、マグマは周囲の鉱物粒子をも巻き込み、一団となって上昇を開始する――。
 最初は、微小で影響力も小さかったマグマ。それが、確かな″ネットワーク″を作り、限りなく広がっていくとき、信じられないような爆発力を発揮する。
 人間社会においても、同じ道理があるといってよい。一人一人の「個人」は、小さな存在かもしれない。しかし、それぞれが成長しながら、連帯と信頼の輪を結んでいくとき、個々の力は絶大なパワーとなり、信じられないような爆発力となっていく。
 ゆえに、団結が大切である。とともに、それ以上に“最初の一滴”が大切なのである。“最初の一滴”がなければ、連帯も、拡大も、決して生まれえないからだ。
 ガンジスの大河も、源の一滴に始まる。広大な広布の流れも、日蓮大聖人お一人から始まった。戦後の学会が戸田先生お一人からスタートしたことは、ご承知のとおりである。
 「一人」こそ「万人」の基であり、一切の根本である。
 ともあれ自分という「一人」には、それだけの使命と、力と、責任があることを知らねばならない。

  1989年12月20日第二十四回本部幹部会


2015年10月16日17日

自分が「一騎当千」に


 リーダーがすべてに率先する。

 そこから勝利が生まれる。

 自分も福運がついてくる。


 勇敢に広布へ戦う人を諸天は守り、讃えるのである。
 一切は戦いである。人生も、社会も、広宣流布も。戦いは絶対に負けてはならない。
 広宣流布のために――この一点に心を定め、祈って祈って祈りぬけば、必ず道は開ける。
 自分が「一騎当千」になることである。戸田先生は私をいちばん大変なところへ行かせた。そこで私は勝ち抜いた。苦戦だからこそ、勝って楽しい。何もしなくても勝てるなら、喜びもない。大きな功徳もなければ、張り合いもない。

 

 2004年10月8日全国総県長会議


2015年7月21日

決然と一人立て!

  

 『日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし』(撰時抄、288㌻)
――日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである。やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華経の題目を唱え伝えていくようになると、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるに違いない。――


 いかなる大事業も、決然と立つ一人から始まる。大海原が一滴の水から始まり、最高峰も一つ一つの微塵で構成されるように、一人から一人への対話によって人間主義の大連帯も築かれる。
 「誰か」ではない。「自分」である。地涌の若人が師子王の心で立ち上がる時、拡大の突破口は必ず開かれる。
 広宣流布の未来を、君よ、君たちよ、断じて頼む。

御書とともに-Ⅱ 61


2015年7月1日2日

一人立て!

後に何百倍、何千倍の同志が続く!

    

 「諸君も青年、私も青年会長です。
 何のためにこの世に生まれてきたかといえば、地涌の菩薩として、広宣流布達成のために生まれてきたのです。
 あっという間に10年、20年は過ぎ去ってしまいます。“信心し切っていこうかな”“退転しようかな”“勉強しようかな”“御書を読もうかな”“いや、雑誌の方を一生懸命読もうかな”と言っている間に、おじいさんになってしまいます」
 「ですから、腹を決めて、男らしく、青年らしく、ただ御本尊を抱きしめて、学会につき切って、私と一緒に、大理想に向かって勇敢に闊歩していこうではありませんか
 「今日は、私と一緒に記念写真を撮った人は、一人も退転しないで頑張ってもらいたい。『一人立て』――一人が大事です。
 他の同志が退転してしまったとしても、諸君の一人が立派に力強く成長していれば、何百倍、何千倍の同志が続いてくるものです。私は、それを祈る気持ちなんです」
 「皆、悩み多い人生です。大理石である広宣流布は、当然大切だ。
 しかし、職場、結婚、部員、自分の人格、家庭等々、最も身近な、いろいろな問題があると思います。それを否定して、広宣流布のために頑張れなどということを、私は決して言いません。
 身近な悩み、苦しみ、それを御本尊に訴え切っていきなさい。それを願い切っていきなさい。そして、それを一つ一つ立派に革命していく、これが男らしい、青年らしい、真の学会精神であり、革命精神です。この強い一念だけは忘れてはいけない
 これを一つ一つ着実に解決しながら、広宣流布に進んでいく。また、広宣流布のために、一つ一つ解決していくことです」

 

大白蓮華2015年7月号№788 15頁


2015年5月1日

「一は万の母」

 

<ある到達点まで来ると一気に全部が変わる>

 

自分が太陽になることだ!

   

 「一人」の力は偉大である。「一人」が立ち上がることが「すべて」を変える。
 御書には『世間のことわざにも一は万が母といへり』(聖愚問答抄、498頁)――世間のことわざにも「一は万の母」と言う――と仰せである。
 一人、「真剣」の人がいれば、変革の輪は、通常の予想をも超えて広がるのである。
 事実、かつては冷戦の終結など、多くの人々にとって夢物語であった。しかし、私どもは未来を信じ、営々たる平和運動を続けてきた。また、心ある世界の人々が叫び、立ち上がった。そして冷戦は終わり、今、世界の人々の平和の意識は劇的に変わっている。
 「ある到達点まで来ると一気に全部が変わる」――生命には、こういう法則があるのかもしれない。
 沖縄は「太陽の国」であるが、太陽の誕生も、そうである。それまで膨大な生成運動を繰り返してきた星の分子が、ある時、一気に太陽として姿を現した。回転し、固まり、散り、また固まり、それを繰り返した結実として、ある時、宇宙の暗黒の中に燦然と太陽が出現した――とされる。
 自分が太陽になることである。太陽が一人いれば、家庭も地域も、皆が照らされる。皆が温められる。広布のために動きに動く行動の果てに、生命は太陽と輝くのである。
 また語学も、一定の学習を積むと、ある地点で一気に壁が破れ、上達する――と体験者は語っている。うなずける話である。
 ゆえに何ごとも、途中でやめてしまえば、それまでの努力が全部、水の泡である。続けなければならない。
 そして、“壁”にぶつかった時こそ、「壁があるということは、その向こう側は大きく開けていることだ。今、やっと、ここまでたどりついたのだ」と、決意をいや増して、仏道修行に進んでいただきたい。

 

1995.3.28 沖縄代表者会議


2015年4月9日

自分がやるんだ!

 

<信心で立ち上がった時、最高の「智慧」に適った行動になる>

 

「真剣」であれば、必ず「智慧」はわいてくる

  

 私は世界広宣流布を、一宗一派を広めようとか、そういう小さな考えでは、やっていません。地球上で妙法を唱える人が増えれば増えるほど、必ず平和の方向へ行くのです。長い目で見ればわかります。もし核戦争が起きれば、地球は破滅です。とくに、冷戦時代、第三次大戦が起きないとは、だれも保証できなかった。
 口はばったいような言い方になるが、私は「法華経」という「生命の宝塔」の教えを、世界に広めてきました。まだまだ緒(ちょ)についたばかりだが、流れはできあがった。戸田先生は「二百年先のために今、戦っている」と言われたが、私も同じ気持ちです。
 今の人類を、その子孫を、どう幸福と安穏の方向にもっていけるのか──。地球を背負っているような気持ちで、行動してきた。その「青任感」に立った時、頭の中に「智慧の嵐」が吹き荒れてきた。次々と先手を打つこともできたのです

 頭の“いい悪”いんじゃないんだよ
 「真剣」であれば、必ず「智慧」はわいてくる。法華経の一句一偈を忘れたら、普賢菩薩が「私が、必ず教えに現れます」と誓っていたでしよう。これは、このことです。智慧が出なかったら、普賢品は、法華経はウソになってしまう。
 「自分は真剣にやっているが、智慧が出ない」という人もいるかもしれない。しかし、たいていの場合、そういう人は、内心では自分は頭がいいと思っているのです。
 本当に頭が悪いと思ったら、「これでは皆に申しわけない」と思ったら、必死で題目を唱えるはずです。それで変わらないわけがない。「だれかがやるだろう」とか、「自分には関係ない」という一念が、奥底にあるのです。それがあるかぎり、「普賢菩薩の威神の力」は出てこない。「自分がやるんだ!」と信心で立ち上がった時、世間的な頭のよしあしを超えて、最高の「智慧」に適った行動になるのです。

 

法華経二十八品は、師弟不二の行動を、呼びかけている

 

 戸田先生は生前、さまざまな指導をされた。多くの人が「そうは言うけれども、現実は・・・・・」という聞き方をしていた。私は全部、「その通りです」という聞き方をしてきました。全部、「その通りです」と実践してきました。
 ある時は、先生は私に「どんな立場にあっても、学会を守れ」と一言おっしゃった。
 師匠の一言です。たとえ万が一、戸田先生がそのことをお忘れになろうとも、そうおっしゃったことは事実だ。ゆえに、私はそのことを胸に堅く秘めながら、いついかなる時も「その通りに」やってきました。
 会長を辞任して二十年(当時)。名誉会長なのだから、本来ならば、責任はない立場かもしれない。しかし、役職は仮のものだ。信心は一生涯、自分自身の「心」の問題です。
 「どんな立場にあっても、学会を守れ」。師匠の一言を、私は「その通りに」全力で実行してきたつもりです。「その通り」に実行するから「師弟不二」なのです。これが法華経です。これが「如説修行」です。これが「如是我聞」の本義です。
 法華経の冒頭の「如」の一字は、師弟の不二を教えているのです。この「不二」の境地を目指しての行動があって初めて、自分自身の無明の闇から「去る」ことができる
 煩悩の病から「去って」、仏界の太陽が赫々と昇るのです。それが法華経の最後の「去」の一字です。
 法華経二十八品は、全体を通して、師弟不二の行動を、炎のごとく呼びかけているのです。

 

法華経の智慧 普賢菩薩勘発品 第二十八章


2015年4月2日3日

一人立つ

 

<豁然と「仏の力」がわく>

 

 池田 大宇宙も「妙法の五字」の当体です。我が身、小字宙も「妙法の五字」の当体です。
 陀羅尼品で説く「守護の陀羅尼」も、その実体は「妙法の五字」です。ゆえに、全宇宙が妙法の行者を守りに守るのであり、そのためには「我等が一身」の「妙法五字」が生き生きと躍動しているか否かで決まる。
 「信心」が燃えていれば、全宇宙がその人を守る。『必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し』(妙楽の言葉)
 大聖人が繰り返し、引いておられる一句です。「信心の強さによって、諸天が守る強さが決まる」と。
 信心している人間が「大将軍」になれば、その家来である諸天善神は、元気いっぱいに働く。将軍が──信心が弱ければ、家来は働きません。『つるぎ(剣)なんども・すすまざる(不進)人のためには用る事なし』(御書1124頁)です。
 諸天善神は、広宣流布に「いちばん戦っている人」を、「いちばん大切に」守るのです
 遠藤 諸天に頼ったり、すがったりするのではなく、自分が諸天を動かしていくということですね。
 池田 そうでなければ、弱々しい惰弱な人間をつくってしまう。それでは何のための信仰か。「強き信心」とは、一人立つ精神です。
 大聖人が『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書232頁)と言われた。諸天の加護などいらない、命をも捨てようという、その信心にこそ、厳然と善天の加護があるのです。
 広宣流布のためなら、何もいらない。その信心に立てば、一切が必ず開けます。仏法は勝負です。勝たねば無意味です。

 

豁然(かつぜん)と「仏の力」がわく

 

 池田 ともあれ、「広宣流布のために」学会を守るのか、「自分のために」学会を利用するのか。根本的な違いがある。本当に、広布のために立ち上がれば、どれほどの力が出るか、どれほどの智慧と慈愛と生命力が出るか、どれほど諸天が動きに動くか。
 私が入信して、ちょうど三年目だった。戸田先生の会社が業務停止になってしまった。(昭和二十五年〈一九五〇年〉8月22日。入信は昭和二十二年〈一九四七年〉8月24日)
 刑事事件になることだけは免れたものの、当時の金で数千万の借金が残った。今で言えば数十億でしょう。しかし私は、働いて、働いて、全部、返しました。
 戸田先生のお酒代もなかった。私は自分のオーバーも質に入れて、先生にお酒を買って差し上げた。半年間、一銭の給料も出なかった。靴もペチャンコ。ちゃんとした服だってない。体もひどかった。
 しかし、先生をお守りするためなら、たとえ餓鬼道に苦しもうと、地獄界に苦しもうと、かまわない。それで何の悔いもないと決意していた。戸田先生を守ることが、広宣流布を守ることだったからです。
 先輩のなかには、卑怯にも、戸田先生が一番大変な時に逃げてしまった人間もいた。いざという時に、「自分中心」か「師匠中心」か、分かってしまう。なかんずく増上慢の人間は、自分を中心に師匠を見ている。高い山を下から見ているようなもので、頂上のことがわかるわけがない。それを分かったつもりでいる。
 大聖人は『日蓮が弟子等の中に・なかなか法門しりたりげに候人人は・あしく候げに候』(御書1546頁)と仰せだ。
 中途半端に、仏法を知ったかぶりしているような増上慢がいちばん危ないのです。そういう慢心があれば、いざという時に、自分だけ嵐を避けて、第三者のような傍観者的態度になったり、いい子になろうとする。自分が傷つかないように、要領よく振るまう。そうやって、自分が苦労しないから、師匠や学会の恩も分からない。
 本当に謙虚な気持ちで、「広宣流布のために、我が身を捧げます」という信心があれば、豁然と、力がわいてくるのです
 私は、広布のすべての戦いでも、いつも「日本一」の結果を出してきた。「世界」に妙法を弘めました。不可能を可能にしてきました。ならば、私の後に続く青年が、何で、力が出ないわけがあろうか。
 当時も、私より先輩の幹部は、たくさんいた。私は、ずっと後輩です。最高幹部でもなかった。しかし立場ではない。格好ではない。役職と信心は別です。役職が尊いのではない。信心が尊いのです。青年部の幹部会で「全員が会長の自覚で」と語ったのは、その意味です。
 一人立って、「私が必ず、広宣流布をいたします」と誓願の題目を唱えていくのです。御本尊に「阿修羅のごとく戦わせてください」と祈るのです。それで、力が出ないわけがない。勝利できないわけがない
 たとえ今、どんな苦境にあろうとも、「広宣流布のために」本気で立ち上がった人を、諸天が守らないわけがない。その信心の大確信の「炎」を教えているのが「陀羅尼品」なのです。


法華経の智慧 陀羅尼品 第二十六章


2015年3月1日

 生命の尊厳と人間の善性に目覚めた人

 

 現実世界で、法華経を弘めれば大難が起こります。この大難もまた、人々の生命に潜む第六天の魔王の働きの現れです。
 生命の尊厳と人間の善性に目覚めた人は、自他共の幸福の創造へ勇んで行動します。
 一方で、人間の大いなる可能性も善性も信じられない人は、他者の尊厳性も否定します。
 他化自在の第六天の魔王の生命に束縛されている人間は、人々が正法を信じて幸福になるのを妨げようと迫害を加えてくるのです。
 これに対して、“すべての人が、かけがえのない尊極なる存在である。等しく自身の個性を最大に発揮して幸福になる権利がある”との法華経の法理に目覚めた人は、生命軽視・人権蹂躙の悪と戦わざるをえません。
 生命尊厳・人間尊敬の思潮を広げゆく、一人一人の人間革命の実践でしか、人間蔑視の勢力を打ち破ることはできないからです。
 大聖人が当時の諸宗と戦われたのも、万人の尊厳性を明かした法華経を誹謗した勢力を打ち破るためです。魔性の勢力と戦うなかで、「人間のための宗教」を確立し、万人の幸福と社会の平和を築こうとされたのです。
 大聖人は、襲い来る権力の魔性との戦いの中で、『王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず』(御書287頁)と宣言されました。そして、すべての大難を勝ち越えられ、人間生命の最極の尊厳を示されました。


  大白蓮華No.784号2015.3月号勝利の経典16頁


2015年1月13日 

 「一人立つ」とは、

すべてを変えてみせるという大確信

 

<一人の中に学会があり、一人の中に21世紀がある>

   

 生命の本然の姿は、仏界という完成へと向かっているのです。「合掌向仏(一切衆生は根底で仏に向かって合掌している)」です。こういう実相を示しているのが諸法実相であると思う。ここに、いかなる生命もかけがえのない存在であることが示されているのではないだろうか。
 この「法華経の心」を叫びきって戦われたのが日蓮大聖人であられる。近代においては大聖人直結の牧口先生、戸田先生です。
 今年(一九九五年)は、学会創立六十五周年。一人一人の民衆に「あなたのかけがえのなさ」を教え続けた六十五年であった。そのために、民衆蔑視の勢力と戦い続けた六十五年であった。
 牧口先生が獄死された後、戸田先生は獄中にあって、一詩を詠まれた。
 「如意の宝珠を我もてり
 これでみんなを救おうと
 俺の心が叫んだら
 恩師はニッコと微笑んだ」(中略)
 「如意の宝珠」とは一念三千であり、御本尊です。「宝珠即一念三千なり」と御書にはある。
 一念三千の信仰とは、自分一人いれば、すべてを変えてみせるという大確信ともいえる「一人立つ」信心です。
 いよいよ、一人一人が、妙法の無限の力を満身に漲らせて立つ時代です。その一人の中に、学会という全体がある。その一人の中に、二十一世紀がある。
 ゆえに一人ももれなく、「私はこの世に、このために生れてきたのだ」という、かけがえのない使命を、事実の上で果たし切ってほしいのです。


「法華経の智慧」 方便品

 


2014年12月2日

現状を打開するために私がいるのだ!

 

 伸一は、微笑を向けながら言葉をついだ。
 「上昇、発展への流れをつくるには、人間の一念が変わらなければならない。現状が厳しいからとか、人材がいないからとか、停滞の理由を並べ立てていても、事態はいっこうに変わりません。
 現状追随からくる“あきらめ”の一念を、“そうした現状を打開するために私がいるのだ!”という、一人立つ精神へ、挑戦と敢闘の一念へと転じていくんです。
 今、世相は、景気回復の兆しもなく、明るい話題が何一つない時代と言われています。また、どう生きるのかという、人生の根本軌道が見失われています。まさに、濁世の様相を呈しているといってよい。
 そういう時代だからこそ、広宣流布を進めていくんです。使命の炎を燃え上がらせるんです。この世の不幸をなくすために出現したのが、創価学会ではありませんか。
 草創期に各支部は、弘教の法旗を高らかに掲げて、“不幸を討ち取らん!”と、誇らかに民衆の大行進を続けていった。
 広布第二章の『支部制』の魂は、支部長、支部婦人部長はもとより、全同志が、その一念に立ち返ることにあるんです」

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 149頁 


2014年11月22日~24日

 大胆に発言せよ! 行動せよ!

    
 ゲーテは言った。
 「今の時代には、だれも沈黙したり譲歩したりしてはならない」(前掲「箴言と省察」)
 前へ! 前へ!――勇猛精進である。
 「発言し、活動しなければならない。多数派に属するか、少数派に属するかはまったくどうでもいいことだ」(同前)
 「批判に対しては、身を守ることも抵抗することもできない。それをものともせずに行動しなければならない。そうすれば批判もやむなくだんだんにそれを認めるようになる」(同前)
 だれもが発言し、だれもが活動する――民主主義である。最高幹部も、一会員も、全部、同じである。自分が多数派だとか、少数派だとか、こう言えば批判されるとか、何だとか、そんなことを「ぐずぐず言わずに、大胆に発言せよ! 行動せよ!」と。そうすれば、敵だって、こちらを認めるようになる。
 やろうじゃないか! 戦おうではないか! そういう心であろう。
 私どもも、これで行きましょう! 来年も! 再来年も!

 

1998.8.27第二十五回本部幹部会


2014年1月4日

「真剣の一人」は万人に勝る


 将が、格好や要領では、戦いは勝てない。
 真剣が勝つ。団結が勝つ。死にもの狂いの闘争が道を開く。そして勝利する。
 「真剣の一人」は万人に勝る。どんなに人数が多くても、真剣でなければ、何の力にもならない。
 釈尊も一人、立ち上がった。日蓮大聖人もまた、お一人から闘争を開始された。
「一人」から始まる。「一人」で決まる。これが仏法である。
 大切なのは「勇気」である。慈悲も勇気から生まれる。「勇気」が仏法の魂である。
 イギリスの作家シェークスピアは、つづっている。
 「勇気は最上の美徳であり、勇気をもつものは

 最高の栄誉を与えられるものとされている」

 

2000.6.29第47回本部幹部会

2013年12月2日

わが後継の師子よ、師子吼せよ!

 

 いずこにあっても、いかなる時も、私と君たちは、誓願の題目で深く強く結ばれている。
 何ものにも破られない金剛不壊の絆です。
 大聖人は、「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(御書1316頁)と仰せになられた。
 一人の後継の師子が師子吼すれば、一切が変わる。
 時代は、ますます濁り、乱れている。
 だからこそ、我らは、この広宣流布大誓堂を中心に、それぞれの使命の舞台で、自行化他の題目の師子吼を、いやまして勇気凛々と響かせ、ありとあらゆる邪悪に打ち勝ち、わが地涌の眷属の威光勢力を無限に増してゆくのだ。
 悩める友には希望と確信の声を、混迷の社会には正義と価値創造の声を、そして分断の世界には平和と連帯の声を、いよいよ惜しまず広げていこうではないか!

 
聖教新聞2013.11.30付青年部代表勤行会でのメッセージ

2013年10月22日

 離島こそ広宣流布の先駆の天地

 

 海洋島嶼国・日本の有人島の数は、418島。其の中で、わが離島部の友は、地涌の誇りを胸に、「我らの島に幸あれ」「わが郷土に繁栄あれ」と、誠実に地域に貢献してこられた。
 ただ一人、あるいは数人で、旗を掲げて奮闘されている同志もおられる。
 どんなに小さな地域も、〝広宣流布の起点〟となる偉大な使命と力をもつ。
 私は固く確信していた。
 「離島こそ広宣流布の先駆の天地なり」と。
 その出発点は、何よりも「一人立つ」ことだ。
 広布の誓願に燃えた一人がいれば、そこから新たな前進が始まる。正しき法を持った「一人立つ」勇者が、地域社会を明々と照らす希望の灯台なのだ。
 これが、「立正安国」の信心の方程式である。
 まさしく、離島部の友は、〝創価の全権大使〟との決意で、「執念の祈り」と「誠実の行動」に徹し、着実に、堅実に、理解の輪を広げてくれている。
 
 聖教新聞2013.10.19付我らの勝利の大道116
 

2013年10月18日

宇宙一大胆にそして誠実に!

 

 アメリカの詩人ホイットマンは『草の葉』で謳った。
 「ぼくくらい大胆で誠実な人間がこの宇宙でいるものか」
 宇宙でいちばん大胆に! 宇宙でいちばん誠実に! われらも、そのように生きたい。
 古代ギリシャの詩人ソフォクレスは、「言葉に真実があれば、常に最大の力を持つものだ」と述べている。真実に勝る武器はない。
 そしてまた「韓国のガンジー」と讃えられた独立の父・安昌浩(アンチャンホ)先生の信念は、「他人が一つ行う間に十は行う気概を」であった。
 人間は、決意した分、いくらでも大きくなれる。力がわいてくる。
 有名な仏典に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」(心地観経、御書231頁)とある。
 今、決意の戦いを起こすことが、次を「希望と幸福への勝利」とすることだ。
 結論するに、「現在を勝つこと」が、「未来を勝つこと」なのである。
 信心は、勝つための原動力である。
 ゆえに私は、「この一生を、師子となりて走りぬけ! 生き抜け!」と申し上げたい。

 

2003.11.25全国最高協議会


2013年10月17日

第一歩を踏み出せ!されば続かん!

 

 (中国の大文豪 巴金先生曰く)
 「たくさんの人物の運命が、私の確固不抜の信条を強めてくれた。その信条とは、生命の意義はこれを差し出すこと、何かに献げることにあり、受け取ること、獲得することにはない――これである」

 「ひとたび口火が切られれば、それについで前進する人が出るはずである。
 第一歩を踏み出せば、第二歩はたやすく踏み出せる。誰かが先頭に立てば、これに続く人にこと欠かないはずである。こうして道行く人は、一層ふえるに違いない」
 
2003.11.25全国最高協議会

2013年10月6日

人間よ人間であれ!


 ソローは叫んだ。
私が当然引き受けなくてはならない

 唯一の義務とは、

 いつ何どきでも、

 自分が正しいと考えるとおりに

 実行することである


 不正に従うな。

 良心に従え!

 正義に従え!

 いかなる権力にも縛られない、

 自立した一人の人間として生きよ!

 人間よ人間であれ!

 

2003.9.5海外代表協議会


2013年8月14日

勝利は

真剣の一人、必死の一人から

 

<永遠の法則>

 

 名著『韓非子』には、

必死の一人は十人に勝る。

 必死の十人は百人に勝り、

 必死の百人は千人に勝り、

 必死の千人は万人に勝る。

 そして、

 必死の万人は天下を治める」とあります。

 

 そのとおりであると思います。
 勝利の波動とは、

 つねに、

 真剣の一人、

 必死の一人から生れる。

 これは、永遠の法則です。

 

2003.10.8第一回全国青年部幹部会


2013年8月7日

 牢に入っても断固たる決意を!

 

 国家主義と戦い、投獄されても屈しなかった、戸田先生の言葉が、私の胸に刻まれている。
 「正義のために戦い、もしか牢獄に入ったら、『いつ出られるか』と弱気になって悩んでも、しかたがない。『一生、入っているんだ!』。こう決意を固めろ」と。
 本当に偉大な先生であった。一事が万事である。断固たる決意が道を開く。 

 

2003.11.25全国最高協議会


2013年7月27日

 行ったところを良くすればいいんです!
 

「(中略)私も今まで、あらゆる所に行きました。どこへ行っても、そこに魂魄をとどめる、広宣流布の礎、広宣流布の歴史になるのだ、という心で、やってきました。
 行った所を良くすれば、みんなが今度はそれに引っ張られて、ずーっとついてくるのだから、そのようにしていこう、との決心でまいりました。惰性では決してありません」

 

大白蓮華No.764号2013.8月号15頁


2013年5月31日

 一人立つ時、智慧は出る!

「自分は真剣にやっているが、智慧が出ない」という人がいるかもしれない。しかし、たいていの場合、そういう人は(中略)「だれかがやるだろう」とか、「自分には関係ない」という一念が、奥底にあるのです。
「自分がやるんだ!」と信心で立ち上がった時、世間的な頭のよしあしを越えて、最高の「智慧」に適った行動になるのです。
  
大白蓮華No.762号2013.6月号12頁

 雄弁
 
 雄弁――広布の世界にも、真の雄弁の人が必要である。あらゆる場、あらゆる相手、あらゆる問題に、明快に正義を主張し、だれをも納得させていく力量がなければ、時代に後れをとる。 真の雄弁は、口先ではない。知性のみでもない。胸と腹と頭と、全身全霊をかけた正義への戦いである。ゆえに雄弁は組織の力に寄りかかった甘えからは生まれない。一対一の抜きさしならない百戦錬磨から生まれる。
1989.8.24第1回東京総会

2013年5月7日~9日

 広宣流布は私がする、後につづけ!
 
(※かの吉田松陰は大聖人を範とした。いわゆる草莽崛起(民衆決起)である。しかし、松陰の心を弟子はわからなかった。松陰は大義の為、弟子は功名の為であった。あろうことか、弟子が師に「時を待て」と、完全な弟子の裏切りである。皮肉にも後に松陰が獄死することで、弟子は目覚めた。元より松陰の覚悟のするところであった。彼が生きし時は本物の弟子が一人もいなかったのである。・・・大意)
 
 この時の松陰の思いは、「星落秋風五丈原」の歌の一節「成否を誰かあげつらふ 一死尽くしゝ身の誠」に通じるものがあろう。戸田先生は、かつて、「五丈原」の歌を青年部に歌わされたが、この歌詞のところにくると涙されるのが常であった。「無責任な傍観者が何を言おうと、広宣流布は断じてなさねばならない。いったい、だれがそれを成すのか」と…
 
1989.10.12第11回関西総会
 
(※牧口先生の獄死と一人立つ「弟子」、更に、後継の「弟子」への必死、これらが胸に迫って来ます。サイト・マスタ)

2013年4月18日

真実の勇気と力

 

私心を捨て、大いなる理想に生きてゆかんとする人は強い。真実の「勇気」と「力」をもつことができる。 かつて戸田先生が、私たち青年に教えてくださったことがある。山道を大きな石がふさいで前に進めない。しかし、どうしても行かなくてはいけない。どうするか、そのときこそ「勇気」を奮い起こし、「知恵」を発揮していくところに、信心の本当の強さと深さがある。

 

1989.6.26第18回本部幹部会  全集(72)569頁 


2013年4月15日

創価学会の自覚と確信

 

昭和26年(1951年)5月3日。戸田先生は第二代会長に就任された。「いまやっと学会総体に、偉大な自覚が生じ、偉大な確信のもとに活動を開始するにいたったのであります」と。御本仏日蓮大聖人の仏勅のままに、広宣流布、立正安国の使命にいき抜かんとする、「仏子」としての偉大な「自覚」と「確信」。ここに創価学会の魂がある。
 

1989.5.3「創価学会の日」記念勤行会全集(72)417頁


2013年3月30日

今、最も大事なのは!

 

 まず、腹を決めよ。決まったら、勇ましく進め!

 今、最も大事なのは、時代がどう変化しようが、民衆の幸福の城である学会を強くすることだ。広宣流布の勝利を開く人材を育てることだ。これが根本である。

 広布へ戦う上で、遠慮など必要ない。

 どんな立場でもよい、信心の一念、師弟の一念があれば、その人の生命は、仏の大境涯に通じていく。

 学会のため、同志のために、自らの持てる力を、思う存分、発揮していくことだ。

 

聖教新聞2013.3.24付今日も広布へ12


2013年3月16日

自発の一念

 

 広布はつねに、だれかに頼まれるのでもない。自発の一念によって開かれる。
 私も青年時代、戸田先生に「関西が大事です。交通費なども全部自分で工面しますので、ぜひ行かせてください」とお願いし、何回もこの地に来させていただいたことを、懐かしく思い出す。
 ともあれ、いかなることがあっても、萎縮してはならない。つねに獅子のごとく、嚇々たる生命で前進していく―ここに、広宣の魂があり、信仰の精髄がある。
 

1989.2.2記念関西支部長会 全集(72)231頁


2013年2月11日~14日

伝統の2月

 

 新しい人を伸ばし、新しい力を引き出すのだ。師の期待に応えて、私は立った。身近な人から対話を広げ、足元から新たな同志をつくっていったのである。
 今こそ、信心で、自分自身の壁を破るのだ。広布に戦える喜びを胸に、使命の本舞台で、かつてない拡大の歴史を飾ってもらいたい。深き責任感に立てば、知慧は必ず湧いてくる。
 君よ、わが尊き同志のために、全てに勝利の名指揮を頼む。
 戸田先生は言われた。「どんな人間であっても、『生老病死』の四苦を避けることはできない。これを唯一、解決できるのが妙法である」だからこそ、広宣流布が必要なのだ。その本源の力は題目だ。「真心が通じますように」「如来の使いとして、今世の使命を果たさせてください」と祈り抜くことである。

 

聖教新聞2013.1.28付今日も広布へ


2013年2月5日6日

突破口を頼む!

 

ひとつの目標達成が
破竹の勢いを生む。
一人立てる勇者が
驀進の歴史を創る。
君よ突破口を頼む!

 

我が友に贈る2013年2月4日


2013年1月25日

自分を信じよ!

 

 人間の内なる生命こそが最大の宝です。にもかかわらず、人々は自分の外にばかり宝を探している。なぜか?人間を信じる力が弱くなっているからです。自分自身が信じられないからです。その結果が、現代の混迷なのではないでしょうか。  汝自身の生命を信じよ!そこに最大の力が具わっているのです。(中略) 戸田先生は、「青年は自分を信じよ!」と呼びかけられました。誰にも自身の生命に無限の可能性がある。すべて勝ちゆく、絶対勝利の妙法の当体は、わが生命に他ならない。なればこそ、創価の青年は、強盛の大信力を奮い起こして、わが生命に具わる仏の無限の力、師子王の力を取り出して、断固と楽しく、愉快に生き抜いてもらいたい。

 

大白蓮華No.758 2013.1月号44頁


2013年1月20日

だからこそ!広宣流布を!

 

 「上昇、発展への流れをつくるには、人間の一念が変わらなければならない。現状が厳しいからとか、人材がいないからとか、停滞の理由を並べ立てていても、事態はいっこうに変わりません。
 現状追随からくる“あきらめ”の一念を、“そうした現状を打開するために私がいるのだ!”という、一人立つ精神へ、挑戦と敢闘の一念へと転じていくんです。
 今、世相は、景気回復の兆しもなく、明るい話題が何一つない時代と言われています。また、どう生きるのかという、人生の根本軌道が見失われています。まさに、濁世の様相を呈しているといってよい。
 そういう時代だからこそ、広宣流布を進めていくんです。使命の炎を燃え上がらせるんです。この世の不幸をなくすために出現したのが、創価学会ではありませんか。(後略)」

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 25


2013年1月10日

すべては一人に始まる

 

 すべての歴史に苦難の時がある。その時にだれが本気になって立ち上がるか。
 じつは、ただ一人いればよいのである。だれに言われるのでもない、みずから決めて、一人立ち上がり、死力をつくして活路を開いていく。その偉大なる信念の〝一人〟がいれば、そこからつねに新たなる勝利の歩みが始まっていく。これが、いわば歴史の不変の鉄則である。
 大聖人はもちろん、日興上人も、ただ一人で正義の戦いを敢行された。日目上人も一人、死身弘法を貫かれた。
 そして牧口先生、戸田先生も、一人立つ戦いに身命を捨てられた。その学会精神の骨髄を体して、私も一人、生命を賭して、すべてを勝利に導いてきた。
 すべては一人に始まる。その真金の一人を育てればよいのである。私の焦点もつねにそこにある。数ではない。組織のみの力でもない。あらゆる分野で、一人を見つけ、一人を鍛え、一人に託していく。それこそが、万代にわたる不断の発展の原点となる。私の指導も、いわば、その一人のために話しているとさえいってよい。
 皆さま方は、そういう〝一人〟になっていただきたい。それぞれの地域、それぞれの舞台、それぞれの世代にあって、「あの人ありてこそ」と後世にうたわれる、縦横無尽の活躍の歴史をきざんでほしいと私は切願する。

 

池田大作全集71巻374頁


2012年12月23日

信心は権利

 

「信心は義務ではありません。権利です。ところが、受け身になり、ただ人に言われたから動くというだけになってしまうと、どうしても義務感の信心になり、歓喜もわいてきません。 反対に、自分から一人立ち、積極的に、果敢に行動していくところには、大歓喜があります。 さらに、日々、自分を磨き鍛えていくことです。つまり、持続というのは、ただ、昨日と同じことをしていればよいのではありません。『日々挑戦』『日々発心』ということです。」

 

新・人間革命11巻躍進


2012年11月23日~26日

全責任を担うとは?

 

 「もし、私に時間があるなら、全同志のご家庭を回りたいと、思っています。しかし、残念ながら、それはできない。ですから、組織の責任をもつ幹部の皆さんに、代わりに激励をお願いする以外にないのです(後略)」 それは、伸一の率直な思いであった。自分が一人で全責任を担おうとすれば、協力してくれる人がいることのありがたさが、身に染みてわかるものだ。そうなれば、決して人に対して傲慢になれないはずである。

 

小説 新・人間革命 4巻 凱旋 85頁


2012年10月24日25日

極限で闘う君よ!

 

 「負けるな。断じて負けるな。あなたの生命の中に太陽がある」

 「希望をなくしてはいけない。人がどう言おうが、堂々と自分自身に生ききりなさい。何があっても強気で。楽しい人生を生きなさい」

 「仏法の眼で見れば、全部、意味がある。何があっても、微動だにしてはならない。生命は永遠なのだから。妙法を唱えていて、かりに不幸に見えることがあっても、それは、最大に幸福になる意義をはらんでいるのだから。どんなことがあっても、信心だけは微動だにしてはならない」

 「御本尊に祈りきって、一歩も引かないで、悩みを突き抜けて進むのだ。どんな状況であっても、必ず幸福になれる信心だ。戦い続ける君に勝利あれ」

 

 聖教新聞 2011年8月2日付 折々の指導4


2012年10月23日

勝利の因

 

御書に、「周の文王は老いる者をやしなひていくさに勝ち」(1250頁)とある。中国・周王朝の建国の祖である文王は、徹底して、年配者を敬った。それが勝利の因である、と。広布の大先輩を尊敬し、大切にする組織は勝つ。

 

大白蓮華747号2012.3月号26頁

 

※家族とは老若男女が皆主役。誰も欠けてはならない。心の家族、血縁があろうがなかろうが、その一員として一念におさめた触れ合いが重要。そこに孤独などあるわけがない、またあってはならない。 それらを総称して『創価ファミリー(家族)』と呼ぶ、今一度わが心に問うてみてはいかがか!分け隔てをつくっていないか(サイト・マスタ)


2012年10月22日

黙っていられるか!

 

悪い者が勝ち

もてはやされ

善人たちが

暴君に 権力に

いじめられて

黙っていられるか!

 

人間の英雄たる君よ

立ち向かえ!

勝ち進め!

勝ち誇れ!

勝ちまくれ!

 

 

 聖教新聞 2012.10.14付 桂冠詩人の世界


2012年9月11日

あなたが太陽

 

要するに、「負けない」ことだ。「自分が強くなる」ことだ。人に頼る根性、人に責任を押しつける卑しさ、弱さであってはならない。人を恨み、うらやみ、わびしい自分であっては、雲におおわれた太陽の自分です。 どんな悩みがあっても、それをバネにし、じっと我慢し、こらえて、「今に見ろ」と自分を励まして進むのです。 行くべき自分の軌道を、黙々と、忍耐強く進んでいくのです。 君が「太陽」なのです。あなたが「太陽」なのです。まず、そう決めることです。 自分が太陽である限り、今どんな悩みがあろうとも、「朝」がこないわけがない。「快晴」の日がこないわけがない。「春」がこないわけがないのです。

 

 青春対話 1  31頁 


2012年8月26日

もっとも難しい勝利

 

 「もっとも難しい勝利」とは何か。それは、〝自分に勝つ〟こと以外にない。試験でも何でも、〝自分に勝つ〟という努力をしない人が勝てるわけがない。良い成績もとれるはずがない。天才、秀才といっても、努力の結晶である。すべて"自分〟で決まる。自分らしく、まっしぐらに、力をつけていくことだ。"人の三倍、五倍やろう〟と決めて、努力することだ。
 一生涯、学んだ人が進歩の人であり、勝利の人となる。向上の心を失ってしまえば停滞し後退し、ついには敗北の人生となってしまうであろう。
 大切なことは最後に勝つことである。今がどうであれ、その人が真の幸福者である。それまでは歯を食いしばっての、努力また努力である。

 

希望の明日へ 317、318頁


2012年7月31日  

戦いは徹して強気で!

 

信心の「剣」を光らせるのは、勇気である。戦いは、徹して強気で、攻め抜いていくことだ。日々、油断することなく、一太刀、一太刀、名刀を振りおろすように、鋭く先手先手を打っていくのだ。

 

 聖教新聞 2012.7.29付  今日も広布へ24


2012年7月30日

広宣流布を成就する力

 

広宣流布を成就する力は、師子の団結にある。傍観者の群れや、人を頼み、互いにもたれ合うような烏合の衆では、勝利はない。〝一切の責任を私がもつ!〟と心を定めた、一人立つ師子と師子との結合が大願を成就するのだ。

 

小説 新・人間革命 22巻 新世紀 23頁


2012年7月29日  

何かで一番に!

 

何でもいい、何かで一番に!自分らしく、我が舞台で、日本一、世界一を目指すのだ。今の苦労が一生の宝になる。苦労しなければ、人間はできない。悩んだ分だけ、苦しんだ分だけ、どんな嵐にも負けない、金剛不壊の自分になるのだ。

 

 大白蓮華 №752 2012.8月号 98頁  


2012年7月28日

本当の力を出せ!

 

東京は、どんな活動でも、学会員が多いだけに、自分が本気になって戦わなくても、なんとかなるなどと思ってしまいがちだ。しかし、そうした感覚に陥ることこそが〝魔〟に負けた姿だ。心のどこかで人を頼み、〝一人立つぞ!〟と決めなければ、本当の力は出ない。すべての力を出し尽くし、自分を完全燃焼させてこそ、仏道修行なんです。大聖人は、師子王の戦いについて、『ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり』(御書1124頁)と仰せになっているではないですか! 広宣流布の戦いは、皆が主役です。皆が一人立ってこそ、本当の力が出る。それぞれは力があっても、力を出し切らなければ、ないのと同じ結果になってしまう。(中略) あの『人間革命の歌』の、『君も立て 我も立つ 広布の天地に 一人立て』という言葉は、東京の諸君にこそ贈りたいんだ。

 

小説 新・人間革命 23巻 敢闘 336頁


2012年7月23日  

何かをつくれ!

 

環境ではない。

全部、自分である。

自分が一からつくるしかない。

何かをつくれ!

何かを始めよ!

何かで結果を出せ!

それでこそ「人間」であり、「青年」である。

それでこそ「未来」に生きるすばらしき人生である。 

 

大白蓮華№752 2012.8月号 98頁

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世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.11.23

第2318回

 

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