2015年9月16日
だれが学会を支えているのか
だれが学会を支えてくれているのか。
だれが広布を進めてくれているのか。
戸田先生は明快に言われた。
「世間の地位とか、入信の前後とかを問わず、
折伏に精進する者は、
学会の重鎮であり、大黒柱である。
会長たりとも、各部長たりとも、
折伏行に精進する者に出会わば、
大聖人より『善哉、善哉』と、
おほめにあずかっているみ仏の使いとして、
立って、これをお迎えしなくてはならない」と。
広布の第一線の組織で戦っておられる
方々が一番、偉大である。
一番、大変ななかで奮闘されている。
大聖人は、すべて見通されている。
そのことを戸田先生は論じられたのである。
折伏をしている人、学会活動、組織活動をしている人。
この最も尊き同志を、
最も尊敬し、最も感謝し、
最も大切にしていきなさい
──これが戸田先生の遺言である。
戸田先生は、こうも言われた。
「折伏の行をなす者は、
仏の使いとして御本仏からつかわされた者であり、
御本仏の行を、その代理として行ずる者であるから、
その人の日常は御本仏に感応して
偉大な生命力を涌出して、
いかなる困難にも打ち勝ち、
その顔は生き生きとし、
からだは元気にみちる」と。
確かにそうである。
「諸法実相」と法華経にはある。
生命の真実は、現実の姿に表れる。
戦っている人は元気である。
福運もつく。
要領を使って戦いを避ける人は、
表情もどことなく陰険で、目に輝きがない。
号令をかけるだけで、
自分は苦労を避ける幹部も同じである。
生命は沈滞し、濁り、やがて、
清浄な学会にいられなくなってしまう。
大聖人・日興上人の当時、
直接に訓育された少数の門下でさえ、
退転者、反逆者が次々と去っていった。
いわんや一千万人のなかから、
おかしな人間が出るのは、やむをえない。
たとえば、
ご飯に腐ったものが入れば食べられない。
清らかな世界に、腐ったものがあれば、
全体まで影響を受ける。
その意味で、腐ってしまったものは、
いないほうがよいのである。
日興上人は(「弟子分帳」に反逆者を)「背き畢ぬ」「背き了ぬ」等と記され、後世に残されている。このように厳格に、妥協なく、清流を守ろうとされたのである。
戸田先生は、また「(折伏を行ずる人は)御本仏の代理であるから、諸天は加護するし、魔および鬼神は近よれない」(同前)と断言された。
病魔も近よらない。
信心を壊そうとする変な人間も近よれない。
このことを明快におっしゃっている。
ともかく私は、
尊い、仏さまの使いである学会員の皆さまが、
功徳を無量に受けられるように、
祈りに祈っている。
皆さまの「無事故」「健康」「長寿」を、
そして皆さまが「幸福」で「裕福」で、
永遠に、限りない希望に包まれゆく人生であられるよう、日夜、祈っている。
「聖教新聞」の拡大、弘教の推進と、全国の同志の皆さまのご健闘は素晴らしい。この佳き日に、私は心から感謝し、たたえ、ねぎらって差し上げたい気持ちでいっぱいである。
三類の強敵が競い起ころうとも、
悠々と笑いながらの見事な実証
──すごい学会である。
これほどの世界は、ほかにない。
だれもつくれない。
だから妬まれる。
だから倒そう、破壊しようとされる。
これ自体、学会が、
ほかのどんな団体にも絶対にまねできない
偉大な団体である証明なのである。
1994.11.12第82回本部幹部会
2023.11.26整理
2015年9月17日
ブロック長・白ゆり長のために
(8)
<財務>
大聖人の大願を
成就するための供養に
勝る大善はない
(前段追加)
山本伸一は、続いて「衆生身心御書」を拝した。
その後段で、彼の視線は止まった。
そして、何度もそこを読み返した。彼は、深い意味を感じた。
『……設いこうをいたせども・まことならぬ事を供養すれば大悪とは・なれども善とならず、設い心をろかに・すこしきの物なれども・まことの人に供養すれば・こう大なり、何に況や心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや』(御書1595頁)
<たとえ、功徳善根を積んでも、真実でない人を供養すれば、大悪とはなっても善とはならない。たとえ、信心が薄く、少しの物の供養であっても、真実の人に供養すれば功徳は大きい。まして厚い志をもって、真実の法を供養する人びとの功徳は、どれほど大きいか計り知れない>
一言に供養といっても、何に対して供養するかによって、善にもなれば、悪にもなってしまうとの御指南である。
山本伸一は、「衆生身心御書」のこの御文に基づいて、学会の供養、財務について考えていった。
学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のためのものである。大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養に通じよう。
ならば、これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、これに勝る大功徳もないはずである。
そう思うと、伸一自身、一人の学会員として、その機会に巡り合えたことに、無量の福運と喜びを感じるのであった。
(後段追加)
この御書では、最後に、身延の山中に供養の品々を送った一人の門下の志を称えられて、次のように述べられている。
『福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず』(1596頁)
<福田に、すばらしい善根の種を蒔かれたのか。厚い志に涙もとまらない>
広宣流布に尽くすことは、福田に善根の種を蒔くことである──それは、伸一が青春時代から、強く確信してきたことでもあった。
彼は、戸田城聖の事業が窮地に追い込まれ、給料の遅配が続くなかで、懸命に広布の指揮を執る戸田を守り、仕えてきた日々を思い起こした。
伸一は、広宣流布に一人立った獅子を支えることは、学会を守り、広布を実現する道であると自覚していた。
彼は、自分の生活費は極限まで切り詰め、給料は、少しでも、広布のため、学会のために使うことを信条としてきた。それは伸一の喜びであり、密かな誇りでもあった。
そのために、オーバーのない冬を過ごしたこともあった。ようやく出た給料の一部を、戸田の広布の活動のために役立ててもらったこともあった。
そして、その功徳と福運によって、病苦も乗り越え、今、こうして、会長として悠々と指揮を執れる境涯になれたことを、伸一は強く実感していた。
彼は人に命じられて、そう行動してきたわけではない。それは、自らの意志によって、喜び勇んでなした行為であった。また、広宣流布のために生涯を捧げようと決めた伸一の、信心の至誠にほかならなかった。
指導集 広布最前線の輝き
2015年9月13日
ブロック長・白ゆり長のために
(7)
<成長(家族)>
(前段追加)
女性も、家庭を「明るく」することです。自分がいれば、どんな時も「明るく」する。そう決めることだ。自分が「太陽」になれば、この世に闇はないんです。一人が「太陽」になれば、一家全部が照らされるんです。
夫に、お子さんに、お孫さんに、自分のあふれる功徳を回向してあげられる、福徳に満ち満ちた自分になればいいんです。
その決意でいけば、必ず家族も信心するようになります。
かりに自分一人しか信心していない場合でも、信心ある人の前後左右には四菩薩が守ってくださっている。十方の仏・菩薩が、諸天善神が、雲のように集まって、その人を、一家を守っていくんです。寂しいなんて思ってはいけない。そして、あせることなく、心から相手を思いやって、信仰に目ざめさせてあげることです。
「決めつけ」はいけない。
「どうせ、こういう人なんだ」と決めつけたら、
その一念で、
相手の成長を止めてしまう。
自分の成長も止まる。
「必ず変わるんだ」
「仏界があるんだから、
必ずいつか開花するんだ。
させてみせる」と決めて
祈りきっていくことです。
(後段追加)
たとえば親が信心しなくても、くよくよしないで、「父が題目をあげない分、私がかわって唱題してあげよう」と決めればいい。
父母については大聖人は『我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん』(顕仏未来記、509頁)と仰せだ。別の解釈もあるが、″親が生きている間に、信心させたい″という心を教えてくださっているとも拝される。
指導集 広布最前線の輝き(法華経の智慧 妙荘厳王本事品 第二十七章)
2015年9月10日
ブロック長・白ゆり長のために
(6)
<世間は評判、仏法は因果。
ゆえに学会の役職は三世にわたる功徳の「因」に>
学会の役職は、平凡に見えるかもしれない。しかし、戸田先生は、よく「世間は評判である。仏法は因果の理法である」と教えてくださった。
この全宇宙を永遠に貫き通す厳粛な「因果の理法」からは、だれ人たりとも絶対に逃れることはできない。
自分が受けた役職を、わが使命と定め、責任をもって真剣に戦いぬく人は、仏法の法理の上から、三世にわたって勝利と栄光の功徳に包まれることは、間違いない。
どこまでも、真面目に、学会一筋、広宣流布一筋で、生きて生きて生きぬいた人が、最後は必ず勝利する。
これが、五十六年間(当時)、あらゆる大難を乗り越え、「広宣流布の信心」を貫いてきた私の結論である。
指導集 広布最前線の輝き(2003.8.21二十一世紀女性研修会)
2015年9月7日
ブロック長・白ゆり長のために
(5)
<学会活動に励む功徳は絶大>
学会活動に励む功徳は絶大である。学会の役職を担い、その責任を果たしゆく奮闘ほど尊いものはない。
広宣流布のために、一生懸命、働いた人は、生々世々、大功徳に包まれていく。安楽で、裕福で、これ以上はないという無上の人生を満喫していける。そして社会の大指導者として、自在に活躍していけるのである。
必ず、そういう大境涯を開いていける。
“そうなるに決まっている”と見るのが、妙法である。
指導集 広布最前線の輝き(2002.8.17 関東最高協議会)
2015年9月3日
ブロック長・白ゆり長のために
(4)
<役職>
会長も、ブロック長も、広宣流布に生き抜く平等な「一兵卒」である。
そのうえで、学会の役職は「責任職」である。
「広布拡大」を自らの使命と定め、
強敵と戦い、同志を守り抜く、勇者の紋章なのである。
ゆえに、役職を受け、その責任を遂行する学会活動は、
汝自身の人間革命を成しゆく尊貴な仏道修行となるのだ。
指導集 広布最前線の輝き
2015年9月2日
ブロック長・白ゆり長のために
(3)
<地道な、人目に付かない奮闘のなかにこそ>
どんな小さな組織であっても、自分に与えられた組織を、きちっと固め、本当に真剣に発展させていく。
どんな小さな立場であっても、自らの使命を自覚し、真心で励まし、人材を育てていく。
一人一人を大事にし、スクラムを拡大していく。
その地道な、人目に付かない奮闘のなかにこそ、異体同心の団結が生まれる。
指導集 広布最前線の輝き
2015年9月1日
ブロック長・白ゆり長のために
(2)
<最前線>
最前線の組織こそが、広宣流布の主戦場である。
そこにこそ、仏道修行の道場がある。
その勝利のなかに、創価の燦然たる未来がある。
21世紀を頼む。
学会を頼む。
わが愛する青年部員を頼む。
私は、皆さんの大成長をひたすら祈り、待っている。
(1998.9.23 随筆 新・人間革命1 新生のリーダー)
<ブロックこそ大創価学会の縮図>
大創価学会といっても、その実相は、ブロックにこそある。わがブロックで、“何人の人が歓喜に燃えて活動に取り組んでいるのか”“何人の人が功徳の体験をもち、信心への絶対の確信をもっているのか”“何人の人が喜々として座談会に集って来るのか”――それがそのまま、創価学会の縮図となる。
「九層の台(うてな)も累土より起こり、千里の行(こう)も足下より始まる」とは、『老子』の箴言である。ブロックという足元の組織の強化がなされなければ、支部をはじめ、学会の組織は、砂上の楼閣となってしまう。
最前線組織であるブロックを堅固にしてこそ、広宣流布は盤石なものとなり、大創価学会の飛躍があるのだ。
(後段追加) そのためには、全幹部が徹してブロックに入り、一人ひとりと対話し、人材を育むことだ。そして、ブロック長、ブロック担当員(現在の白ゆり長)を中心に、皆が和気あいあいと、一人ももれなく、喜び勇んで信心に励める“人間共和”の連帯を築き上げることだ。 (小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章)
指導集 広布最前線の輝き
2015年8月31日
ブロック長・白ゆり長のために
(1)
<使命と責任>
(前段) 一念三千の信仰とは、自分一人いれば、すべてを変えてみせるという大確信ともいえる「一人立つ」信心です。
いよいよ、一人一人が、妙法の無限の力を満身に漲らせて立つ時代です。
一人の中に、学会という全体がある。
その一人の中に、21世紀がある。
ゆえに一人ももれなく、
「私はこの世に、このために生まれてきたのだ」という、
かけがえのない使命を、
事実のうえで果たしきってほしいのです。
指導集 広布最前線の輝き(法華経の智慧 方便品)
2015年8月20日
ブロック長・白ゆり長に贈る
(完)
<一人のために!一人を大切に!一人が立つ!>
創価家族の集いは、ブロックにあり
ブロックこそ、創価家族の実像
ともあれ、最前線の強さが、学会の強さです。
一人のために!
一人を大切に!
一人が立つ!
それを貫き通してきたからこそ、創価の連帯は世界192カ国・地域に大発展したのです。
初代会長・牧口常三郎先生は、北海道、東北、関東、信越、関西、中国、九州、さらに静岡と全国各地へ転教し、毅然と折伏を敢行されました。官憲が監視する座談会でも、堂々と仏法の正義を訴えられたのです。自宅に来る同志を激励されたことも数知れません。
一人また一人、真の同志をつくる――それが殉教の先師の決心であられたのです。
軍部政府の弾圧で投獄される直前、第2代会長・戸田先生が、東京・信濃町に足を運ばれ、折伏をされた記録が残っています。まさしく、その隣接の地に、今、広宣流布大誓堂が聳え立っているのです。
それぞれの地域に、
皆さんにしか励ませない友がいます。
皆さんだからこそ救える友がいます。
皆さんが今、蒔いた種こそが、
未来に計り知れない花を咲かせるのです。
戸田先生は叫ばれました。
「人を育てよう!それが、何よりも未来につながる勝利の道だ」と。
なかんずく、
将来を託す青年部や未来部は、
わが子と思い、わが家族と思って、
大切に育ててまいりたい。
そして地区部長、地区婦人部長、また支部長、支部婦人部長と異体同心の団結で、楽しく朗らかに天下第一の幸福和楽の園を創り広げていっていただきたいのであります。
創価家族の集いは、ブロックにあります。
ブロックこそ、創価家族の実像です。
家族の間に明るい声が弾めば、世の中は明るくなる。
創価家族が、
励まし合い、讃え合い、
共に力強く生きていく時、
その地域はもとより、社会にも、世界にも
希望を広げていくことができる。
その創価家族のお父さんはブロック長、
お母さんは白ゆり長の皆さんです。
父が厳然と立てば、
家族は磐石で揺るがない。
母が太陽と昇れば、
家族は涙を決意に変えることができる。
恩師が「命よりも大事な組織」と言われた
学会の組織にあって、
その命脈を握っているのはブロックです。
これまで、折々にスピーチや随筆などを発表してきたのも、最前線の皆さん方の励ましに少しでもなればとの思いからです。
このたび、
『広布最前線の輝き』として編集され、
発刊の運びとなりました。
皆さんと各ブロックの前進勝利へのエールの一書となれば、これに過ぎる喜びはありません。
これからも、私と妻は、
世界広布新時代の躍進の原動力たる
ブロック長、白ゆり長の皆さん方のご健康と、
ご一家のご多幸を、
心から祈り抜いてまいります。
どうか、いついつまでも、お元気で!
ブロック長
白ゆり長の
皆さまと
誉れの共戦
永遠に輝け
2015.8.5付 聖教 ブロック長・白ゆり長に贈る
2023.11.26整理
2024.12.7整理
※ブロック長・白ゆり長の皆さん、本当におめでとうございます。指導集『広布最前線の輝き』 を懐に、いよいよ、地涌の菩薩の本領発揮といきましょう! 合掌 サイト・マスタ
2015年8月19日
ブロック長・白ゆり長に贈る
(3)
<一人一人を徹して励まし抜いて>
わが愛するブロックに、
「常楽我浄」の功徳の体験を咲き薫らせながら、
「大法弘通」「慈折広宣流布」の大波を!
あの忘れ得ぬ、一支部で一ヶ月に弘教1万1111世帯を成し遂げた「大阪の戦い」も、誇り高き最前線の同志と共に打ち立てた不滅の金字塔です。
私は常に心で題目を唱えながら、路地の奥まで分け入って、友に会いました。大阪中を駆け回る中では、すり減った靴をはきつぶし、自転車も乗りつぶしました。
一人一人を徹して励まし抜いて、常勝不敗の人材城を築き上げていったのです。
法華経寿量品に「毎自作是念」(毎に自ら是の念を作す)とあります。
いつもいつも、一切衆生を無上道に入らせ、成仏させようと心を砕き続けている、この仏の一念に、創価の地涌のリーダーの心は、真っ直ぐに連なっています。
――どうしたら、あの人が元気になるか。
――どうしたら、この人らしく輝いていけるか。
友を思う祈りから、智慧は無限に湧いてきます。
誰人も、「生老病死」の苦悩を逃れることはできません。その確固たる打開の道を、万人が心の底では渇望しております。
最も苦しんできた人をも、最も幸せにしていけるのが、この日蓮仏法です。
弘教こそ、永遠に朽ちない『今生人界の思出』(御書467頁)です。
私たちは、わが愛するブロックに、いやまして「常楽我浄」の功徳の体験を咲き薫らせながら、「大法弘通」「慈折広宣流布」の大波を起こしていこうではありません!
(つづく)
2015年8月9日
ブロック長・白ゆり長に贈る
(2)
<歓喜の一歩を共々に>
わが師・戸田城聖先生は言われました。
「我々は何のために生まれてきたのか――。それは、法華経に『衆生所遊楽(衆生が遊楽する所)』とあるように、遊びに来たのである。だから、人生は楽しまなければ、つまらないではないか。御本尊を信じきった時に、生きていること自体が楽しい、何をやっても楽しいという人生になるのである」と。
自行化他の題目こそ、「歓喜の中の大歓喜」の生命のエンジンです。たゆまず広布に励む実践の中で、自らの悩みを乗り越えながら、何ものにも崩れぬ絶対的な幸福境涯を大きく開いていくことができるのです。
日々真剣に祈り、誠実に粘り強く友の話に耳を傾け、明るく賢く励ましの声をかける。なかなか会えない人のもとへは、何度でも訪ねる。そして、常に苦楽を共にし、心新たに歓喜の一歩を一緒に踏み出していく。
このブロック長、白ゆり長の一つ一つの着実な実践の積み重ねが、「人間革命」の波動を起こし、「衆生所遊楽」の社会を、壮大に世界へ創り広げていると言っても決して過言ではありません。
(つづく)
2015年8月8日
ブロック長・白ゆり長に贈る
(1)
<わが不二の同志>
真実の
仏の修行は
最前線
私の不二の
同志はここに
地涌の勇者は、最前線で光る。
幸福の太陽は、最前線で輝く。
頼もしき地域広布の黄金柱、
わが盟友たるブロック長の皆さん!
朗らかに平和の世紀を照らす、
わが敬愛する白ゆり長の皆さん!
御本仏・日蓮大聖人の仰せのままに、
友のために、社会のため、未来のため、
尊き奮闘、誠に誠にありがとうございます。
人と会い、人と語る。
すべては、ここから始まります。
少子高齢社会が進み、
自然災害との戦いも打ち続く中、
「人間の絆」の大切さが、
今、あらためて見直されております。
世界を見ても、
紛争や貧困、
環境問題など課題は深刻であり、
試練に負けない「連帯の力」が、
ますます必要になってきています。
わが足元の大地から、
温かな友情の心を通わせ、
不安を希望に、
不信を信頼に、
あきらめを勇気にと変えゆく
地道な対話が、
これほど待ち望まれている
時代はないでありましょう。
南米アルゼンチンで命を賭して人権闘争を貫いてこられたエスキベル博士との対談の中で、強く一致したことがあります。それは――
「人間に焦点を!」
「人間に希望を!」
「人間とつながれ!」
ということです。
まさしく、これこそ、わがブロック長、白ゆり長の皆さんが、来る日も来る日も、広宣流布の最前線で展開している祈りと行動であると、私は声を高らかに宣言したいのであります。
(つづく)
2014年9月29日30日
勝ちまくれ!
仏法は勝負である
<所詮は題目を唱える以外にない>
「勝ちまくれ! 仏法は勝負である」
――恩師・戸田先生の師子吼が胸に響く。
全てに勝とう!
広宣流布のために!
自分自身の幸福のために!
ブロックこそ広布拡大の最前線だ。
模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。
私は葛飾の総ブロック長に就いた際、皆と約し合った。
全会員が、しっかり勤行できるようにしていこう――と。
柔道にも剣道にも基本があるが、
幸せになるための信心の基本は勤行にある。
日々、真剣に勤行・唱題を重ねた人と、
いい加減な人とでは、
表面は同じように見えても、
3年、5年、7年とたっていったとき、
厳然たる開きが出てくるものだ。
宿業の転換といい、
人間革命といっても、
その一切の原動力は勤行・唱題にほかならない。
一念の力は無限である。
わが最高峰を目指そう!――そう決めて祈れば、
偉大な力が湧く。
日蓮大聖人は仰せである。
『深く信心を発して
日夜朝暮に又懈らず磨くべし
何様にしてか磨くべき
只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを
是をみがくとは云うなり』(一生成仏抄、384頁)
勤行の姿勢が、生き方にも表れる。
力強い勤行、すがすがしい勤行、
真剣な祈りを込めた勤行は諸天をも動かしていく。
私たちが毎日読誦する法華経寿量品に
「一心欲見仏 不自惜身命」
(一心に仏を見立てまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず)とある。
求道心に燃え、命を惜しまず、
法のために――ここに信心の真髄がある。
あらゆる苦難に挑みながら、
仏法を弘め、同志を守り抜く。
その戦う心に仏界は輝く。
所詮は題目を唱える以外にない。
一番やさしい修行は唱題であり、
一番難しい修行も題目を唱えることだ。
生き抜く力の源泉、
勇気とい智慧の源泉こそ
題目なのである。
聖教新聞2014.9.28付新時代を開く35
2023.11.26整理
2024.12.7整理
2014年7月6日
模範のブロックをつくろう
(7)
<幹部は先生と会員とのパイプ役に徹せよ!>
山本伸一は、それから幹部の在り方について、語っていった。
「皆さん方一人ひとりを、直接、指導してさしあげたいというのが、戸田先生のお気持ちです。しかし、時間的にもそれは不可能なので、先生のパイプ役として、私が来ているのです。ですから、皆さんのことは、逐一、戸田先生にご報告し、一つひとつ私が指導を受けております。
幹部は、どこまでも、先生と会員をつなぐパイプなのです。ですから、幹部は、同志を自分に付けようとするのではなく、先生にどうすれば近づけられるかを、常に考えていくことです」
伸一自身、そのために、戸田の了解を得て、学会本部で大ブロック長会を開くなど、ありとあらゆる努力を払っていったのである。
学会の強さは、戸田城聖と一人ひとりの同志との精神の結合にこそあった。広宣流布の大願に生きる戸田との共戦の気概が脈打っていない組織であれば、それはもはや、烏合の衆に等しいといえよう。
(おわり)
小説 人間革命 12巻 宣言 132~144頁
2014年7月5日
模範のブロックをつくろう
(6)
<先生を中心にした円形組織であり、先生に直結すること>
伸一は、同志の心に立ちはだかる壁を、まず、取り除かなければならないと思った。
彼は、懇談のたびごとに訴えていった。
「組織を図に表すときには、便宜上、ピラミッド形にしますが、それは、精神の在り方を示すものではありません。学会の組織の本義からいえば、戸田先生を中心にした円形組織といえます。皆さんと戸田先生との間には、何の隔たりもありません。皆さん方一人ひとりが、その精神においては、本来、先生と直結しているのです。
戸田先生は『会員は会長のためにいるのではない。会長が会員のためにいるのだ。幹部もまた同じである』とよく言われますが、皆さんのために先生はいらっしゃる。
ですから、ブロック長の皆さんであれば、月々のブロックの活動を、お手紙で報告してもよいでしょうし、自分自身のことや家族のことを報告することも構いません。誰にも遠慮などする必要はないのです。皆さんは戸田先生の弟子ではありませんか。また、私もなるべく本部に行っているようにしますから、私を訪ねて、どんどん本部に来てください。幹部のための本部ではなく、会員のための、皆さんのための本部なのですから」
(つづく)
2014年6月30日
模範のブロックをつくろう
(5)
<大事な師匠の弟子です。家庭指導こそが勝負>
「会合に出席している人だけが学会員ではありません。出たくとも、仕事など、さまざまな事情で参加できない人もいる。また、悩みをかかえて悶々として、信心の喜びさえも失せ、会合に出席する気力さえ、なくなってしまった人もいるかもしれない。その人たちこそ、もっとも温かい真剣な励ましが必要なのです。
もし、会合の参加者にのみ焦点を合わせ、組織が運営されていくなら、本来、指導の手を差し延べるべき多くの人が、組織の網の目から、落ちていってしまうことになる。ひとたび、組織の責任者の任命を受けたということは、戸田先生の大事な弟子を、先生からお預かりしたということです。その人たちを悲しませたり、退転させてしまうようなことがあっては、絶対になりません」
伸一の意識は、むしろ、会合に参加できなかった人に向けられていたといってよい。彼は、会合終了後の家庭指導こそが、勝負であると心に決めていた。
(つづく)
2014年6月27日
模範のブロックをつくろう
(4)
<戦いには勇気が大切>
伸一の指導は、参加者を奮い立たせていった。割烹着姿の婦人も、油の染みついた作業服の青年も、どの顔も紅潮していた。そして、決意に輝いていた。
「最後に、私たちが戦いを起こすうえで、もっとも、大切なものは何かを述べておきたいと思います。
それは勇気です。朝起きるにも、勤行をするにも勇気が必要です。また、悪いことを悪いと言い切るにも、折伏をするにも、勇気がいります。人生も、広布も、すべて勇気の二字で決まってしまう。
信心とは、勇気の異名です。どうか、勇気をもって、自分の弱さに勝ち、宿命に打ち勝ってください。そして、私は、こんなに幸せだといえる境涯になろうではありませんか。それが戸田先生の願望です」
(つづく)
2014年6月24日
模範のブロックをつくろう
(3)
<これが創価学会です。見てください>
「(中略)組織といっても、人間と人間のつながりです。タテ線に比べて、これまで、なぜブロックの組織が弱かったかといえば、それは、人間関係が希薄であったからです。互いに悩みを分かちあい、喜びを分かちあいながら、広布をめざす麗しく強い人の和こそが、組織の強さです。
創価学会といっても、それは皆さんを離れてはありません。皆さんの大ブロックが、ブロックが、そのまま創価学会です。そこが歓喜にあふれているか、功徳に満ちているか、温かい人間交流が――それ以外に広布の実像はないのです。
創価学会も、広宣流布も、どこか別の遠い世界にあるのではないのです。それは、皆さんの日々の活動のなかに、さらに言えば、皆さん自身の生き方のなかにあります。どうか、『これが創価学会です。見てください』と言えるブロック、大ブロックをつくってください。
自分の担った分野で、最高のものをつくりあげていく――それが、戸田先生との共戦の姿であり、弟子としての戦いです。やろうじゃありませんか」
(つづく)
2014年6月21日
模範のブロックをつくろう
(2)
<スローガンは朝晩の勤行・唱題をやりきる>
また、勤行の姿勢が、その人の生き方に表れます。弱々しい勤行の人は、生命力も乏しく、どうしても弱々しい生き方になっていくし、義務的な勤行であれば、信心の歓喜はなかなか得られません。
お互いに、白馬が天空を駆けるような、リズム感あふれる、すがすがしい勤行をしていきましょう。そして、真剣な祈りをこめ、大宇宙をも動かしゆくような、力強い、最高の勤行を、日々、目指していこうではありませんか。
その意味から、私は、わがブロックは、朝晩の勤行をやりきるということをスローガンに掲げて、前進したいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか」
学会の飛躍的な発展の源泉は、一人ひとりの会員に、勤行と唱題の実践を徹底して教えてきたことにあった。また、そこに偉大なる宗教革命もあったのである。
およそ経文とは無縁な民衆に、勤行を教えることは、想像を絶する労作業であったが、それゆえに仏法を、民衆の手に取り戻すことができたといってよい。
人びとは、経文を知らないがために、経を読む職業宗教屋をありがたく思う。それが、宗教の権威に盲従する精神の土壌をつくりあげる根本原因となっていった。また、それが、僧侶を傲慢にさせ、民衆を蔑視する風潮を培っていったともいえよう。
(つづく)
2014年6月19日
模範のブロックをつくろう
(1)
<日本一幸せな模範をつくる>
「ブロックの模範をつくるということは、幸せの模範をつくるということです。皆で力を合わせ、日本一の、幸せあふれる地域にしていこうではありませんか」
彼は、こう訴えながら、この愛する庶民の町を、全国に先駆けて、幸せの花園にしようと、固く心に誓っていた。
庶民の幸せのない社会の繁栄は、虚構の繁栄にすぎないといえよう。
また、学会の組織の伸展といっても、その目的は、どこまでも一人ひとりの幸福境涯の確立にある。
場内は熱気に満ち、壇上に立つ伸一の顔には、汗が吹き出ていた。
「では、模範のブロックをつくるにはどうしたらよいか。――
まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです。柔道にも、剣道にも、基本がありますが、幸せになるための信心の基本は勤行にあります。
日々、真剣に勤行・唱題を重ねた人と、いい加減な人とで、表面は同じように見えても、三年、五年、七年とたっていったときには、歴然たる開きが出てきます。
宿業の転換といっても、人間革命といっても、そのいっさいの源泉は勤行・唱題にほかなりません。
ですから、日蓮大聖人は『深く信心を発(おこ)して日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし何様(いかよう)にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり』と仰せになっているのです。
(つづく)
2014年6月7日
地域の幸福と平和の責任者、
白ゆり長万歳!
今年は「白ゆり長」「副白ゆり長」が
誕生して十年となる。
それ以前は、
正副のブロック担当員であったが、
もう何十年も「白ゆり長」と呼んできた気がするのは、
私だけではないだろう。
それほど、
勇気凛々と、美事に活躍してこられた。
広宣流布の“第一線”のブロックが、
意気揚々と戦いを起こすことほど、
強いものはない。
皆様が白ゆりのように「希望」を薫らせ、
地域の太陽として輝いていけばいくほど、
創価の前途は明々と広がる。
歌人・与謝野晶子も言うように、
「創造は過去と現在とを材料としながら
新しい未来を発明する能力」である。
地域ごとに状況は様々であろうが、
御書には
「我等が居住の山谷曠野
皆常寂光の宝処なり」(御義口伝734頁、編1580頁)と仰せだ。
ゆえに誇り高く、
“わがブロックに人材の黄金の城を!”と、
真剣に祈り、
粘り強く行動していくことだ。
必ず道は開ける。
その歓喜の波動と
青年部・未来部を励まし、
育てていただきたい。
後継の友の成長こそ
創価の未来の希望であり、
新時代の夜明けであるからだ。
「太陽万歳と叫ぼう。
かくも美しい光を
われわれに与えてくれるのは
太陽なのだ」と、フランスの巨匠セザンヌは言った。
我らも、声高らかに叫び、讃えたい。
“地域の幸福と平和の責任者”である
白ゆり長、副白ゆり長、
そして総白ゆり長の皆様、万歳!
「創価の太陽」
「励ましの太陽」、
さらに「希望の太陽」と
世界に輝き渡る婦人部、万歳、万々歳!
今日も、愉快に晴れやかに、
題目第一で満々たる生命力を!
日々、楽しく勇敢に、
真心の対話で和楽と安穏の門を開きゆかれることを!
白ゆりの
清き祈りの
希望道
聖教新聞2014.6.6付 民衆凱歌の大行進6 希望の太陽・婦人部万歳!
2024.12.7整理
2014年2月19日
二月闘争の真意
「伝統の二月」(中略)
戸田先生は、
具体的に最前線の組織である
「組」中心に拡大を推進することを、
学会全体の方針として打ち出されていた。
だが、この師の真意を、
まっすぐに実践しようとした幹部が
どれだけいたか。
「組」では戦えないと決めつけ、
これまで通りの活動に安住したり、
ただメンバーを集めて
叱咤して満足している者もいた。
戸田先生は
「大白蓮華」の巻頭言で喝破された。――
信心の素晴らしさ、
御本尊の偉大な功徳も教えないで、
いくら号令しても人が動くはずがない、と。
一人ひとりが、
「すごい信心だ」と確信を持てば、
「ぜひ友人にも教えたい」と
行動が生まれる。
納得が喜びを生み、
勇気を生み、
新たな対話を生むのだ。
「組」中心とは、
形式ではなく、
第一線の学会員が主役になって、
自信満々と行動していくことである。
聖教新聞2014.2.18 民衆凱歌の大行進2 二月闘争の誇り
2024.12.7整理
2013年11月3日
ブロック城を護れ!
2013年8月24日
ブロックに
大創価学会の実相あり
支部といっても、
その基盤はブロックである。
支部の強化とは、
各大ブロックの強化であり、
さらに言えば、
各ブロックの強化にほかならないからだ。
大創価学会といっても、
その実相は、
ブロックにこそある。
わがブロックで、
”何人の人が歓喜に燃えて
活動に取り組んでいるのか”
”何人の人が功徳の体験をもち、
信心への絶対の確信をもっているのか”
”何人の人が喜々として
座談会に集って来るのか”
――それがそのまま、創価学会の縮図となる。
「九層の台も累土より起こり、
千里の行も足下より始まる」(注)
とは、『老子』の箴言である。
ブロックという
足元の組織の強化がなされなければ、
支部をはじめ、
学会の組織は、
砂上の楼閣となってしまう。
最前線組織である
ブロックを堅固にしてこそ、
広宣流布は盤石なものとなり、
大創価学会の飛躍があるのだ。
そのためには、
全幹部が徹してブロックに入り、
一人ひとりと対話し、
人材を育むことだ。
そして、
ブロック長、
ブロック担当員(現在の白ゆり長)を中心に、
皆が和気あいあいと、
一人ももれなく、
喜び勇んで信心に励める
"人間共和"の連帯を築き上げることだ。
小説 新・人間革命 26巻 奮迅 44
2024.12.7整理
2013年7月18日
ブロックにこそ
私が、ブロック担当員さんという
第一線の方々の集いに、
出席することにしたのは、
ブロックにこそ本当の戦いがあるからです。
皆が必死になって、
日々、壮絶な闘争を展開している。
その時に、指導者が城にこもっていれば、
戦いは負けます。
『兵士でなければならない、
次に兵士でなければならない、
そして更に兵士でなければならない』
――これも、ナポレオンの有名な言葉です。
王侯貴族などという権威は、
戦いの場にあっては滑稽なだけです。
だから私は、常に広宣流布の、
最も激しい主戦場を走り、
戦い、勝ってきました。
戸田先生は、
私を谷底に突き落とすように、
不可能と思える戦いを私に託された。
そして、
どんなに苦労し抜いて
勝利を収めても、
ほとんど褒めてはくださらなかった。
勝って当然という顔をされていた。
それが、
弟子を真実の指導者に
育て上げようとする、
厳しくも深い、
師の慈愛だったんです」