2020年5月19日
第1670回
「真実を語れ!」
市民の恩を忘れなかった
真実をこよなく愛したモンテーニュ
<嘘をつくことは下劣な悪徳だ、社会への裏切りだ>
絶えざる人間革命を!
モンテーニュは『随想録』のなかで、「最初の選挙の時以上に骨を折ってくれた市民諸君に対して、感謝を欠き恩義を忘れるものと考えてはいけない。わたしはこれらの市民諸君のために、ありうる限りの幸いを願っている」(『モンテーニュ全集』3所収、関根秀雄訳、白水社)と述べている。
また、「実際その機会さえあったら、わたしは彼らのためにどんな苦労をもおしまなかったであろう」(同前)とつづっている。応援してくれた人々の恩に報いる。これは、人間として当然の道である。この道を踏み外した者は、人間の道を踏み外した者といってよい。
さらに、「自惚は我々の持って生れた病である」「高慢からはあらゆる罪悪が生れる」(『随想録』同全集2所収)などと、人間の傲慢にも警鐘を鳴らしている。
モンテーニュは真実をこよなく愛した。真実を愛するがゆえに、それ以上の強さで虚偽を憎んだ。彼は「嘘をつくことは下劣な悪徳だ」「言葉を偽る者はおおやけの社会を裏切る者だ」(荒木昭太郎責任編集・訳『世界の名著19 モンテーニュ』中央公論社)と、激しい言葉で虚偽を責めている。
「言葉」を通して、私たち人間は心を通わせ、意思を表し、生活を営んでいる。われわれの社会は、言葉によって成り立っているといっても過言ではない。だから、ウソがはびこるようになると、その社会の基礎は、大きく揺らいでしまうことになる。
「もしそれ(=言葉)がわれわれをあざむくならば、それはわれわれの交わりのすべてを断ち切り、われわれの国家のつながりのすべてを解いてしまう」(同前)と、モンテーニュが喝破したとおりである。
ゆえに私たちは、恐れることなく、
どんどん「真実」を語ってまいりたい。
勇気の「声」をあげることだ。
御書には「声仏事を為す」とある。
「声」には偉大な力があるのだ。
黙っていてはいけない。
沈黙すれば、その分、ウソが浸透し、
社会がむしばまれてしまう。
私は、ありのままに、真実を語る。
戸田先生はよく、
「大作は、なんでも本当のことを言うからいいな」と、おっしゃってくださっていた。
率直に、オープンに、真実を語るから、
皆が安心してついてこられる。
″秘密主義″や″密室主義″はよくない。
「虚偽」の支配する世界は腐敗する。
「真実」の君臨する世界は繁栄する。
いかなる国であれ、組織・団体であれ、同様である。
モンテーニュは、「残忍と不誠実こそ、わたしの考えでは不徳の中で最も悪いやつである」(『随想録』、前掲「モンテーニュ全集」3所収)との一節も残している。
広布の歴史にあっても、民衆を食い物にする残忍な人間、私たちの信頼を裏切った不誠実な人間が現れた。そうした輩が、無残な結末を迎えていくことは間違いない。
ベルギーの作家メーテルリンクは言った。
「悪行の結末は張り裂ける叫びを伴う破局である」(『限りなき幸福へ』山崎剛訳、平河出版社)
悪に対して怒る。
それは、当たり前のことだ。
この当たり前のことをやらなければ、
悪を助長してしまうことになる。
悪を責めぬく、
勇気と闘争心を失つてはならない。
学会は、どこまでも正義の団体である。
未来永遠に、そうであらねばならない。
私利私欲の卑しい人間に学会が利用され、
純粋な学会員が苦しむようなことは、
絶対にあってはならない。
正義と真実の世界を築いていくには、
絶えざる革命が必要である。
さあ、革命していこう!
今までの百倍、千倍の勢いで!
戦おうじゃないか!
私は、人生のすべて、
生活のすべてを捧げて、
皆さんのために戦ってきた。
世界のために戦ってきた。
いかなる権威・権力に対しても一歩も引かず、
ただ一人、一切の迫害の矢面に立って、
学会を護りぬいてきた。
だれが何と言おうと、
「真実」は、絶対に揺るがない。
2006.4.13「5・3」記念各部協議会
2024.3.10整理
2018年11月4日
第1550回
ウソを見過ごし、
放置しては絶対にならない
<人間のウソは武器以上に怖い>
カントは洞察している。
「虚言は己れの人間たる尊厳の放棄であり、そうしていわば絶滅である」(『道徳哲学』白井成允・小倉貞秀訳、岩波文庫)
だからこそ、ウソとはまっこうから戦いぬかねばならない。
さらに、ナチスと戦ったフランスのロマン・ロランの魂の訴えに、こうある。
「真に革命的な精神は、いかなる社会的虚偽をも容赦しない精神である」(『エセー』I、宮本正清、蛯原徳夫、新村猛、山口三夫訳、『ロマン・ロラン全集』18、みすず書房)
人間のウソは武器以上に怖い。
ウソを見過ごし、
放置しては絶対にならない。
これが戦いのいちばんの要である。
牧口先生は、この「革命的精神」で戦いぬかれた。
私も戸田先生のもとで、青年らしく戦った。
当時、学会に対して、多くの中傷があった。偏見も、誤解もあった。
私は青年室長として、渉外の矢面に立った。単身で乗り込み、人に会っては、堂々と正義を語った。その姿を見て、学会を中傷していた相手も、「立派な青年だ」と言っていた。そういうことさえあった。
すべて、愛する同志を守り、恩師を守らんがための言論戦であった。
2001年8月1日 第八回本部幹部会
2024.3.10整理