開道
2022年4月24日
第1982回
ベルリンの壁をなくすには
<対話と文化交流>
一九六一年(昭和三十六年)十月八日、ベルリンの壁の前に立った伸一は、その夜、ホテルの彼の部屋で、同行のメンバーとともに、深い祈りを込めて勤行をした。
彼は、強い誓いの一念を込めて、東西ドイツの統一と世界の平和を祈った。
”東西冷戦による分断の象徴となった、このベルリンを、必ずや平和の象徴に転じなければならぬ……。現在の世界の悲劇も、結局、人間が引き起こしたものだ。ならば、人間が変えられぬはずはない”
伸一は、地球を一身に背負う思いで、人類の融合と平和への挑戦を開始したのである。
唱題を終えると、彼の額には汗がにじんでいた。
それから、懇談が始まった。皆、悲惨なベルリンの現実を目にし、複雑な思いをいだいていた。ある人は興奮気味にベルリン市民の苦しみを嘆き、ある人は悲観的に展望を語った。
同行のメンバーの一人が、伸一に尋ねた。
「先生は、ブランデンブルク門の前で、この壁は三十年後にはなくなるだろうと言われましたが、そのための、何か具体的な対策があるのでしょうか」
彼は、笑みを浮かべて答えた。
「特効薬のようなものはないよ。ただ、東西冷戦の氷の壁をとかすために、私がやろうとしているのは『対話』だよ。西側の首脳とも、東側の首脳とも、一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、強大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。
権力者だと思うから話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ。
東西両陣営が互いに敵視し合い、核軍拡競争を繰り広げているのはなぜか。
一言でいえば、相互不信に陥っているからだ。これを相互理解に変えていく。そのためには、対話の道を開き、人と人とを結んでいくことが不可欠になる」
同行の幹部たちは、真剣な顔で、山本伸一の話を聞いていた。
伸一は、皆に視線を注ぎながら、話を続けた。
「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繋ぐことができるかです。
社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。
それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を近づけ、結び合っていくことになる。本来、文化には国境はない。これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」
<新・人間革命> 第5巻 開道 7頁~9頁
2022年4月25日
第1983回
民間外交は可能か?
<無名の民衆の蘇生がカギ>
それを聞くと、男子部長の谷田昇一が言った。
「しかし、政治家でなくして、一民間人の立場で、そうしたことが可能でしょうか」
「君は、一国の首脳たちが、会ってくれないのではないかと、心配しているんだね」
「はい……」
伸一は、確信に満ちた声で語った。
「大丈夫だよ。学会によって、無名の民衆が見事に蘇生し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、賢明な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。
そうであれば、学会の指導者と会い、話を聞きたいと思うのは当然です。
また、こちらが一民間人である方が、相手も政治的な駆け引きや、国の利害にとらわれずに、率直に語り合えるものではないだろうか。
私は、互いに胸襟を開いて語り合い、同じ人間として、友人として、よりよい未来をどう築くかを、ともに探っていくつもりです。民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている。
こう言うと、日本の多くの政治家は、甘い理想論であると言うかもしれない。あるいは、現実を知らないロマンチストと笑うかもしれない。しかし、笑う者には笑わせておけばよい。やってみなければわからない。
要は、人類が核の脅威にいつまでも怯え、東西の冷戦という戦争状態を放置しておいてよしとするのか、本気になって、恒久平和をつくり上げようとするのかという問題だよ」
ベルリンの夜は、更けていった。
部屋のなかには、平和への誓いに燃える、山本伸一の力強い声が響いていた。
「私はやります。長い、長い戦いになるが、二十年後、三十年後をめざして、忍耐強く、道を開いていきます。
そして、その平和と友情の道を、さらに、後継の青年たちが開き、地球の隅々にまで広げて、二十一世紀は人間の凱歌の世紀にしなければならない。それが私の信念だ」
伸一の烈々たる決意を、皆、驚いたような顔で、ただ黙って聞いていた。
<新・人間革命> 第5巻 開道 9頁~11頁
2022年4月26日
第1984回
創価学会とは?
<世界の平和と人類の幸福の実現>
この日の夜は、ケルン市内の中華料理店で、昼間、訪問した会社の重役たちとの会食が行われた。
山本伸一は重役陣に、学会の紹介書である『ザ・ソウカガッカイ』などを記念として贈呈すると、こう切り出した。
「私ども創価学会は、仏教の精髄である、
日蓮大聖人の仏法を信奉する団体であります。
仏法のヒューマニズムの哲理をもって、
人間の心、生命という土壌を耕し、
世界の平和と人類の幸福の実現をすることが、
私たちの目的です。
ドイツも、日本も、戦争に敗れ、
新しい民主の時代に向かい、
祖国の再建に立ち上がりました。
では、その民主の時代を建設していくために、
求められているものは何か。
それは、
人間の尊厳と平等を裏付ける哲学です。
そして、
人間が真実の自由を獲得するために、
自らの欲望の奴隷にならず、
権威・権力に屈せず、
自己を律し、
自立する哲学です。
私どもは、
そのヒューマニズムの哲学を探究し、
実践し、社会に広め、
既に日本国内にあっては、
二百万世帯の人びとが幸福生活を実証し、
真実の民主の時代の担い手として、
社会貢献の道を歩んでいます」
重役陣は、驚いた顔をしながら、伸一の話に、真剣に耳を傾けていた。彼らは、仏教の団体である創価学会の会長一行と聞いて、現実の社会から離れて山の中にこもり、座禅でも組んでいる人たちではないかと思っていたようだ。
ところが、実際に会ってみると、新たな社会を建設しようという気概にあふれ、実に二百万世帯もの人びとを糾合し、活動を進めているというのである。自分たちの描いていた仏教団体のイメージとは、全く違っていたことに気づき、皆、大きな関心と興味をいだいたようであった。
<新・人間革命> 第5巻 開道 15頁~17頁
2022年4月28日
第1986回
創価学会の教えは?
<人間革命運動>
食事が始まると、重役陣は、次々と伸一に質問をぶつけてきた。
重役陣の一人が尋ねた。
「あなたたちの仏法とは、どんな教えなのですか」
伸一は答えた。
「ドイツの皆さんは、よくご存じのことと思いますが、ゲーテの『ファウスト』のなかに、ファウスト博士がギリシャ語の新約聖書の冒頭を、ドイツ語に翻訳しようとする有名な場面があります。
ファウストは
『はじめに言葉ありき』と訳すが納得できない。次に
『はじめに意志ありき』とし、さらに
『はじめに力ありき』とするが、
それでも納得できない。そして、最後に
『はじめに行動ありき』と訳して、
ようやく満足する。
重要なのは行動だからです。
その行動、
人間の振る舞い、言い換えれば、
"人間はいかに生きるべきか"を説いたものが仏法です。
人間が幸福になるための、
より人間らしくあるための
方途を示した哲学が、仏法といえます」
伸一が『ファウスト』を引いたのは、ドイツの人たちにとって、最もなじみ深い話を通して語ることが、仏法を理解する早道であると考えたからだ。
別の重役が質問した。
「創価学会は、その仏法をもって、どのような運動を進めようとしているんですか」
伸一は、ニッコリと頷き、即座に答えた。
「人間一人ひとりの覚醒であり、
人間革命運動です。
人間は複雑多様で、しかもその心は、
瞬間、瞬間、千変万化しています。
時に喜びの絶頂にいたかと思えば、
時には苦しみの深淵に沈み、
また、怒りに身を焦がす。
さらに、人を愛し、
自らを犠牲にしてまで他者を救おうとする
慈しみの心をもっているかと思えば、
人を憎み、嫉妬し、隷属させ、
命さえも奪う残酷な心ももっています。
戦争を起こし、
破壊を繰り返すのも人間なら、
平和を創り上げていくのも人間です。
つまり、人間こそ、
すべての根本であり、
社会建設の基盤となります。
その一人ひとりの人間に光を当て、
人間に内在する善性を、
創造的な生命を開花させ、
欲望や環境に支配されることなく、
何ものにも挫けない
確固不動な自己自身をつくり上げていくことを、
私たちは”人間革命”と呼んでおります」
彼は、仏法用語はほとんど使わなかった。それは、通訳をしてくれている駐在員が、仏法についての知識がほとんどないことを、考慮してのことであった。
また、難解な用語を使わなくとも、仏法について語ることができなければ、仏法を世界に流布していくことはできないと、考えていたからでもある。
<新・人間革命> 第5巻 開道 17頁~19頁
2022年4月29日
第1987回
仏法のヒューマニズムとは?
<大宇宙それ自体が一つの生命体と見て
その調和の上に、人間の幸福を創造する>
さらに、もう一人の重役が伸一に聞いた。
「さきほど、あなたは『仏法のヒューマニズムの哲理』という言い方をされましたが、ヨーロッパにもヒューマニズムの伝統があります。それと、仏法のヒューマニズムとは、どこが違うのでしょうか」
伸一は答えた。
「大変に鋭い質問です。
人間を大切にするという点では同じですが、
仏法では、
人間が地上の支配者であり、
そのほかの生物や自然を、
征服すべき対象とは考えません。
大宇宙それ自体が一つの生命体であり、
人間もそのなかで生きる一個の小宇宙ととらえます。
そして、人間も、他の生物も、
また、自分を取り巻くあらゆる存在が、
互いに依存し、支え合い、
調和することによって、
生を維持していると考えます。
事実、もし人間が、
自らがこの世の支配者であるかのように慢心し、
強大な科学技術の力をもって、
すべての森林を伐採し、
動物を絶滅させ、
海を汚染し、
自然を破壊していけば、
どうなるでしょう。
それでは、人間自身が、
生命を維持すること自体が、
困難になってしまう。
つまり、自分と、他の人びと、
また、周囲の動植物など、
人間を取り巻くあらゆる環境を
対峙的にとらえるのではなく、
一つの連関と見て、調和の上に、
人間の幸福を創造していくことが、
仏法のヒューマニズムの一つの特徴といえます。
その意味では、
宇宙的ヒューマニズムといってもよいかもしれません」
質問した重役が感嘆して言った。
「私の知人に生態学者がおりますが、今の自然との連関という話は、最近の生態学の研究と、非常に近いものがあるようです。彼も、山本会長と同じ見解を語っていました」
「そうですか。さらに、科学の研究が進めば、仏法の真実が証明されていくと思います。仏法と科学とは、決して相反するものではなく、むしろ、科学を人間の幸福のために、正しくリードしていくのが仏法です」
<新・人間革命> 第5巻 開道 19頁~21頁
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