先駆
2021年10月27日
第1759回
災害救助
1960年5月24日未明チリ地震大津波
(チリ地震5月23日日本時間午前4時過ぎ)
<一旦緩急の責任と行動>
また、伸一は、会長就任の日から、全同志に題目を送ろうと、常に唱題しながらの指導行を続けていた。
そのさなかの五月二十四日未明、大津波が、東北、北海道などの太平洋岸を襲った。津波の高さは、最高四、五メートルに達した。
これは、南米のチリで、前日の二十三日午前四時過ぎ(日本時間)に起きた地震によるもので、それが太平洋を越えて、一昼夜をかけ、日本の岸辺を襲ったのである。死者は全国で百三十九人、被害家屋は四万六千戸余りとなり、特に被害が大きかったのは三陸、北海道南岸であった。
伸一は、早朝、目覚めると、すぐにラジオのスイッチを入れた。前日、チリで大規模な地震があったことをニュースで知った彼は、現地の被害を憂慮するとともに、それに伴う津波を懸念していたのである。深夜にも、何度か目を覚まし、ラジオのスイッチを入れたが、午前三時の段階では、津波警報は出されていなかった。
しかし、この時は、臨時ニュースとして、岩手の釜石市などで、津波が発生したことを告げていた。
伸一は、急いで本部に向かった。彼が着いた時は、本部はまだ閑散としていた。職員もほとんど出勤していなかった。
しばらくすると、副理事長の十条潔がやって来た。一旦緩急の際に、どう反応するかに、その人の責任感が表れるといってよい。さすがに午前八時過ぎには、大半の職員が顔を揃えた。
伸一は、ワイシャツの腕をまくり、
次々と被災地に見舞いと激励の電報を打っていった。
さらに、被災地の各支部に被災状況の調査を依頼する一方、
最も被害の大きい地域に、直ちに幹部を派遣することを決めた。
あわせて、災害対策本部を設け、救援活動を行うように指示し、
津波の被害のなかった地域に、救援を呼びかけた。
迅速にして、的確な手の打ち方であった。
山本伸一は、同志がどんな状況にあるかと思うと、食事もほとんど喉を通らなかった。
打つべき手を打つと、
彼は、広間の御本尊の前に座り、人びとの無事を祈った。
間もなく被災地から、続々と報告がもたらされた。
市の中心部まで津波が及んだ宮城県塩釜市からは、興奮した声で、こう伝えてきた。
「幸いにして学会員は全員無事です。みんな『守られた。功徳だ』と言っています。そして、先生の激励の電報に、同志は元気いっぱい頑張っています。
また、船が、津波のために陸の上に押し上げられているような状態です」
岩手県宮古市からは、簡潔にして、力強い報告の電報が寄せられた。
「功徳顕著。御本尊の流失なし。浸水四、床下浸水七。今夜御授戒、前進の意気高し」
幸いなことに、どの地域でも、会員の被害は極めて少なかった。
被災地には、全国の同志から続々と救援物資が届けられた。
また、現地で指揮をとる幹部たちも、学会員であるなしに関係なく、全力で人びとに激励と援助の手を差し伸べた。
この学会の迅速な救援は、全被災者にとって、大きな復旧の力となったのである。
しかし、この時、政府の対応は極めて遅かった。
それは、衆議院で自民党が新安保条約を強行単独可決したことから、社会党が国会審議を拒否し、国会が空白状態にあったからである。
とりあえず内閣に津波災害対策本部を設置することが決まったのは、津波から三十数時間が経過した二十五日の昼であった。
だが、国会がその機能を果たしていないために、抜本的な対策は何一つなされなかった。被災地の人びとにしてみれば、迷惑このうえない話である。二十七日には、岩手県の副知事らが上京。この津波災害に対して、特別立法による国庫補助の要請も出された。
津波自体は自然災害であるが、適切な措置を講ずることができず、人びとが苦しむのは、人災以外の何ものでもない。
政治家の第一義は、国民を守ることにある。災害に苦しむ人びとの救援こそ、最優先されねばならない。
伸一は、被災者の苦悩を思うと胸が痛んだ。そして安保をめぐる党利党略に固執し、民衆という原点を見失った政治に、怒りを覚えるのであった。伸一は「立正安国」の実現の必要性を、痛感せざるをえなかった。
<新・人間革命> 第2巻 先駆 38頁~41頁
2019年4月20日
第1601回
広布の自覚こそ
功徳と歓喜の源泉
<雇われ根性を排せ>
食事をしながら、十条が伸一に尋ねた。
「沖縄の同志は、本当にはつらつとしているし、功徳と歓喜にあふれている。また、大変な発展をしています。海外ということで、本部の指導の手もあまり入らなかったのに、どうしてなんでしょうか」
「沖縄のメンバーは、沖縄を幸福にするのは、自分たちしかいないと自覚して頑張ってきた。人に言われてやっているのではなく、それぞれが広宣流布の主体者の使命と責任を感じている。だから、歓喜がわき、功徳も受け、発展もするんだよ」
「なるほど。主体者の自覚の如何ですね」
相を打ちながら、十条が語り始めた。
「実は、海軍兵学校におりました時に、よくカッターの帆走をやりましたが、どうしても舟に酔うものが出ます。ところが、カジをとらせると酔わないのです。
自分がやるしかないという責任感と緊張感によるものと思えます。結局、舟に酔うのは、自ら舟を操ろうというのではなく、舟に乗せられているという、受け身の感覚でいるからだということを学びました」
伸一は十条の話を聞くと、面白そうに頷いた。
「そうかもしれない。広布の活動を推進するうえでも、自らが責任をもってカジをとろうとするのか、それとも、ただ舟に乗せられている乗客になろうとするのかによって、自覚も行動も全く違ってくる。
乗客のつもりでいれば、何かあるたびに舟が悪い、カジ取りが悪いということになって、グチと文句ばかりが出る。それでは、自分を磨くことはできない。
私は戸田先生の会社に勤めた時から、先生の会社も、学会のことも、すべて自分が責任をもつのだと決意した。当時は、職場でも一介の社員に過ぎなかったし、学会でも役職はなかった。しかし、立場の問題ではない。自覚の問題です。
そう決意した私には、給料が遅配になっても不平など微塵もなかった。また、自分の部署を完璧なものにするだけでなく、常に全体のことを考えてきた。それが現在の私の、大きな力になっていると思う」
それから伸一は、青年部長の秋月英介を見て、話を続けた。
「戸田先生が、こんな話をされたことがある。
──ある工場が倒産し、機械が差し押さえられ、競売に出された。そして、落札者が機械を運び出すことになった時、その工場で働いていた一人の職人が必死になって叫んだ。
『この機械は、俺が何年も可愛がってきた機械なんだ。この機械を持っていくんなら、俺も一緒に連れていってくれ』
戸田先生は、この話をされて、こう言われた。
『見上げたものじゃないか。職人魂がある。月給いくらで雇われているというような根性ではなく、機械と心中しようというのだ。機械に対する彼の愛情は、仕事に対する情熱の表れにほかならないだろう』
先生は″雇われ根性″を最も醜いものとされた。特に青年で、そういう根性のあるものは、将来は見込みがないと断定された。これは、広宣流布という″仕事″にも通じることだよ。
何ごとも″雇われ根性″では、習得などできない。青年は、万事、自分が主人のつもりで、何事にもぶつかっていくことだ。
『習得する』ことを『マスター』と言うが、英語の『マスター』には『主人』の意味があるじゃないか」
伸一は、愉快そうに笑った。彼は、学会の後継者となる青年部に、まず広宣流布の「主体者」「主人公」の自覚を植えつけておきたかったのである。
創価学会の会長としての山本伸一の責務は、人々を学会丸という大船に乗せ、幸福と平和の広宣流布の大陸まで、無事に運ぶことにあった。
それには彼とともに、濃霧の日も、波浪すさぶ嵐の夜も、友を幸の港に運ぶために船を守る、さまざまな乗組員が必要である。
いな、船長ともいうべき自分が、いつ倒れても不思議ではないだけに、彼と同じ決意、同じ自覚に立ち、大船を担える人材を、彼は必死になって育成しようとしていたのである。
しかし、そんな彼の胸中を、正しく理解する幹部はいなかった。
彼らには、伸一の考える壮大な広布の構想が理解できずにいたし、三十二歳という彼の年齢から、まだ先のことは何も心配はいらないという、安易な安心感があった。
ましてや、戦いに臨む烈々たる伸一の気迫に触れると、すべて伸一に任せてさえおけば、大丈夫だとの思いを強くするのであった。
<新・人間革命> 第2巻 先駆 59頁~63頁
2021年11月2日
第1768回
「道を開いた人」を中心に団結を!
拍手をする誰もが、
沖縄支部の結成の喜びに心を躍らせた。
伸一は、さらに、言葉を継いだ。
「支部長については、これまで、
蒲田支部の沖縄地区部長として活躍してこられた
高見福安さんにお願いしたいと思います。
沖縄は、高見さん一人から始まった。
道を開いた人がいるから道がある。
その功績を考えると、
高見さんこそ適任であると思いますが、
いかがでしょうか」
またしても、大きな拍手が渦巻いた。
「あとの人事は、今夜、これから検討いたしますが、
私どもを信頼して、任せていただきたい。
(中略)
そして、幹部になった人は、
私に代わって、
温かく皆を包み込むように、
面倒をみてあげてください。
そうして麗しく、
美しい人の輪をつくりあげていくことが、
そのまま広布の姿を示すことになります。
今後、沖縄支部が発展するかどうかの鍵は、
団結にあります」
山本会長の話を聞きながら、
高見は目を潤ませた。
彼が沖縄に渡ってから、わずか六年で、
この慟哭の島に、支部旗が翻るまでになったのだ。
”沖縄中の人びとを幸せにしてみせるぞ!”
高見は、ぎゅっと拳を握り締めた。
彼は、戦時中、大陸で、
何度も死ぬような目にあってきた。
運転していた自動車が地雷に触れて、
車ごと泥水の川に吹き飛ばされたこともあった。
ようやく水面に顔を出すと、
今度はピストルを乱射された。
しかし、幸運にも、九死に一生を得たのである。
戦争の悲惨さは、
いやというほど、自らの体で感じてきた。
そして、やって来た基地の島・沖縄では、
東西の冷戦という戦争が
まだ続いていることを思い知らされた。
高見は、自分の生涯は、
この沖縄の広宣流布のためにあるのだと、
今、心の底から感じることができた。
<新・人間革命> 第2巻 先駆 64頁~66頁
2023.9.13整理
練磨
2021年10月30日
第1764回
「行き詰り」との永遠の闘争
<「魔」が勝つか、「仏」が勝つか。
「仏法は勝負」>
伸一の話は、青春時代の自分の体験に及んだ。 「戸田先生が事業の再建のために苦闘されていた時代が、私にとっても、最も苦しい時代でした。健康状態も最悪であり、給料は遅配が続き、無理に無理を重ねていました。
そして、先生とお会いしていた時に、つい弱音を口にしてしまったことがありました。
その時、先生が、厳しく言われた言葉が忘れられません。
『伸一、信心は行き詰まりとの永遠の闘争なんだ。魔と仏との闘争が信心だ。それが〝仏法は勝負〟ということなんだ』
人生には、誰でも行き詰まりがあります。事業に行き詰まりを感じている人もいるかもしれない。夫婦の関係にも、行き詰まってしまうことがあるでしょう。子育てでも、人間関係の面でも、あるいは、折伏や教学に励んでいる時も、行き詰まりを感ずることがあるかもしれません。
しかし、御本尊の力は広大無辺であり、宇宙大であります。ゆえに、私たちの生命も、無限の可能性を秘めています。つまり、問題は私たちの一念に、行き詰まりがあるかどうかにかかっています。それを本当に自覚した時には、既に勝利の道が開かれているんです。
もし、行き詰まりを感じたならば、自分の弱い心に挑み、それを乗り越えて大信力を奮い起こしていく。戸田先生は、それが私たちにとっての『発迹顕本』であると言われたことがあります。
長い人生には、信心なんかやめて、遊んでいたいと思うこともあるでしょう。病気にかかってしまうこともあれば、家族の死に直面し、悲しみに沈むこともあるかもしれません。それは、煩悩魔という行き詰まりとの〝闘争〟であり、病魔という行き詰まりとの〝闘争〟であり、死魔という行き詰まりとの〝闘争〟といえます。
それを唱題で乗り越え、絶対的な幸福境涯を開き、最高に意義ある人生を創造していくところに、仏法の最大の意味があります。
ゆえに、何か困難にぶつかったならば、行き詰まりとの〝闘争〟だ、障魔との〝闘争〟だ、今が勝負であると決めて、自己の宿命と戦い、勇敢に人生行路を開いていっていただきたいのであります」
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 96頁~99頁
2021年10月31日
第1766回
「歌」はリーダーとしての大切な要件
<広宣流布の指導者としての生き方>
青年部は、よく戸田の前で歌を歌った。戸田は、その歌に耳を傾け、歌い方に対して、常に厳しく指導してくれた。特に戸田が獄中で作詩した「同志の歌」や〝大楠公〟など、彼の思いが込められた何曲かの歌に対しては、ことのほか厳しかった。
「そんな歌い方で、この歌の心がわかるか! 私の目を見すえて、腹の底から声を出して歌うのだ」
伸一も、戸田の前で、幾度となく、歌を歌う機会があった。
戸田から、「そうだ。その歌い方だ!」と言われるまでに、二十回、三十回と繰り返し歌ったこともあった。
戸田は一つ一つの振る舞いを通して、学会の精神と広宣流布の指導者としての生き方を、必死になって教えようとしていたのだ。そこには、〝遊び〟など微塵もなかった。すべてが真剣勝負であったといってよい。
今、伸一は、青年たちの歌を聴きながら思った。
〝「水滸会」は、大事な訓練の場でなければならない。しかし、ここには、自ら進んで訓練を受け、自己を磨こうという自覚が全く感じられない……。戸田先生がこの姿をご覧になったら、なんと言われるだろうか。特に今回は、師の七回忌をめざして、ともに広宣流布へ船出する集いである〟
伸一の顔は曇った。彼は自らマイクを手にした。 「『水滸会』は、歌を一つ歌うにも中途半端であってはならない!
たった一曲の歌で人を感動させることもできる。勇気を与え、士気を鼓舞することもできる。それには、歌詞の意味をよく噛み締め、歌に生命を吹き込む思いで、真剣に歌うことだ。
また、将来、みんなは、どんどん海外に出ていくようになるかもしれない。世界の各界の指導者と会う機会も出てくると思う。その時に、歌や踊りや楽器の演奏で歓迎してくれたならば、こちらも歌ぐらい歌って、それに応えなければならないことだってある。だから、歌を歌うということもリーダーの大切な要件です。そのためにも、しっかり覚えておくことだ。
歌というのは、こう歌うのです!」
伸一は、「霧の川中島」を歌い始めた。
〽人馬声なく草も伏す
川中島に霧ふかし…… (作詞・野村俊夫)
感情のこもった、朗々とした抑揚のある歌い方であった。一番では、合戦の前の緊張をはらんだ静寂な川中島の光景が、聴くものの胸に、ありありと描かれていった。
そして、二番では、勇壮な決戦の様子が広がり、三番では、上杉謙信が敵将の武田信玄を討ち逃がした無念の思いが、切々と伝わってくる。
歌詞と声とが見事に溶け合い、車内に、川中島の歌の世界が展開されていった。皆、息をのんで、伸一の歌に聴き入っていた。
歌い終わると、盛んな拍手がわき起こった。
彼は、引き続き〝一高寮歌〟を歌い始めた。
〽嗚呼玉杯に 花うけて
緑酒に月の 影やどし
………… ………… (作詞・矢野勘治)
今度は、天下国家を担い立とうとする、一高生の凜然とした気概が脈打つのを誰もが感じた。それはまた、広宣流布に生き抜かんとする、伸一自身の気高き決意の表明でもあった。
伸一の歌はさらに続き、数曲を歌い上げた。
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 106頁~109頁
2021年10月31日
第1767回
人材は必ずいる!
<自分の境涯を開く>
理事長の原山幸一が伸一に話しかけた。
「現在、新しい支部が誕生し、組織の発展にともない、多くの幹部を必要としておりますが、それだけの人材がいないというのが実情です。たとえば、支部長にしても、昔の支部長に比べると、格段の差があるような感じがしますが……」
「いや、人材は決していないわけではない。必ずいます。要は幹部が、見つけられるかどうかです」
「はあ……」
「人間というのは、どうしても、自分の尺度でしか人を評価できなくなってしまう。たとえば自分が理論的なタイプだと、理屈っぽい人の方が人材に見える。逆に、自分があまりものを考えずに行動するタイプだとすると、同じタイプの人が人材に見える。
また、自己中心的で、俺が、俺がという思いが強いと、人の功績も、長所もわからず、欠点ばかりが目についてしまうものです。
結局、人材を見つける目というのは、人の長所を見抜く能力といえるのではないでしょうか。それには、自分の境涯を開いていく以外にありません。
私には、むしろダイヤモンドのような人材が集って来ているように思える。あとはいかに訓練し、磨くかです。ダイヤを磨くには、磨く側もダイヤモンドでなければならないし、身を粉にしなければならない。今、私は、それを全力で行おうと思っているのです」
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 139頁~140頁
2021年11月6日
第1773回
人材育成は
大きな責任を持たせ、
実際にやらせてみる
<育てる側の「度量」と「覚悟」で決まる>
山本伸一は、この両日の東京での大会に出席すると、八日、九日と兵庫、広島の指導に回り、十一日には、関西の第三回体育大会に臨んだ。各地とも同じように、体育大会に取り組んだ青年たちの成長は目覚ましかった。
運営の計画を練ることから始まり、
演目の練習、
会場の確保と設営、
安全と無事故を期しての輸送・整理から、
食事の調達まで、
いっさいの責任を青年たちが担ったのである。
その作業は膨大であったが、
一つ一つの課題に責任をもって取り組むことで、
青年たちは広布の後継の使命を自覚していった。
また、地方によっては人手が足らず、
役員を確保するにも、
部員の家を訪ねて個人指導し、
勤行を教えるところから始めなくてはならなかった。
さらに、
学会の体育大会は広布の前進の証でなくてはならないとの思いから、
出場者や役員が、
それぞれ布教を誓い合い、
互いに励まし合いながら、
皆が折伏を成し遂げて集った地域もあった。
仕事や勉学に励みつつ、
体育大会を大成功させた青年たちの顔は、
真っ黒に日焼けし、
自信と歓喜と誇りにあふれ、
一段とたくましさを増していた。
伸一は、その姿を見るのが嬉しかった。青年の鍛錬のために、各方面で青年部が体育大会を行うことを提案したのは伸一であった。
人を育成するには、
大きな責任をもたせ、
実際にやらせてみることが大切だ。
人は責任を自覚し、
真剣になることによって、
力を増すものだからである。
また、現実に物事に取り組めば、
机上の計画では予想もしなかった事態や、
困難に直面することもある。
だが、その体験こそ、
真実の力を培う貴重な財産にほかならない。
人を育てるために責任を与えるということは、
簡単なように見えて、
難しい問題といえよう。
それはリーダーに、
人を信頼する度量と、
もし、失敗したならば、
自分がいっさいの責任を負うという覚悟が要請されるからである。
失敗のリスクを恐れ、
保身に汲々としたリーダーであれば、
結局、本当の人材を育てることなく、
むしろ、未来の芽を摘んでしまうことになる。
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 168頁~169頁
勇舞
2021年11月5日
第1771回
世界(日本)を救うのは
創価学会青年部以外にない!
<"魂のバトン"は青年部に>
表彰が終わり、最後に、伸一が演壇に上がった。彼は、青年たちへの敬意と期待を込めて、語り始めた。
「口で平和を論じ、幸福を論ずることは容易であります。しかし、仏法という生命の大哲理のもとに、現実に自身の幸福を打ち立てながら、友も、社会も、国も、人類も幸福にしている団体は、わが創価学会以外に断じてありません。
戸田先生は〝青年は国の柱である〟と言われ、心から青年に期待をかけておられました。日本の現状を思う時、真実の柱となって日本を救うのは、日蓮大聖人の仏法を、慈悲の哲理を奉持した創価学会青年部以外にないと断言しておきたい。
私は約十年間にわたって戸田先生に仕え、広宣流布の精神と原理と構想とを教えていただき、広布のバトンを受け継ぎました。
私は先生の弟子として、その〝魂のバトン〟を手に、人類の幸福と平和のために、力の続く限り走り抜いてまいる決心でございます。そして、私が『広宣流布の総仕上げを頼むぞ』と、最後にそのバトンを託すのは、ほかならぬ青年部の諸君であります。
私は、皆さんが東洋へ、世界へと、広布の走者として走りゆくために、先駆となって、道を切り開いていく決心です。願わくは、私の意志を受け継ぎ、生涯、人びとの幸福のため、平和のために生き抜いていただきたい。
また、各家庭にあっては両親を大切にし、社会にあっては職場の第一人者となり、支部にあっては年配の方々を優しく包み、周囲の誰からも信頼される青年に育っていただきたいのであります。
諸君が、日本、東洋、全世界の人びとの依怙依託となられんことを心から念願して、あいさつに代える次第でございます」
すべて伸一の率直な真情であった。短いあいさつを終えると、爆発的な拍手が起こった。
彼は、ふとスタンドの彼方を見上げた。青空に鳩の群れが舞っていた。
空に道は見えない。しかし、空を行く鳥はそれを知っている。伸一の目には、未来へと伸びる広宣流布の一本の道が、金色の光を放って輝くのが見えた。
<新・人間革命> 第2巻 錬磨 172頁~173頁
2021年11月5日
第1772回
「折伏」と「人材育成」は
”広布前進”の両輪
<「弘教の完結」>
彼は、海外指導のことについては、ほとんど触れなかった。伸一は、留守中の同志の健闘を讃えたあと、こう語り始めた。
「日蓮大聖人は、師子王は蟻の子を捕る時も、獰猛な野獣に挑む時も、〝前三後一〟といって、三歩前に、一歩後ろにという万全の構えで、全精力を注ぐと仰せですが、これは、広宣流布の活動を進める私たちにも、相通ずる原理ではないかと思います。
そこで、十一月、十二月は、弘教に全力をあげ、一月は、徹底して同志の信心指導に力を注いでまいりたいと思います。家庭指導、個人指導は、最も地道で目立たない活動ですが、信心の『根』を育てる作業といえます。根が深く地中に伸びてこそ、天に向かって幹は伸び、葉も茂る。同様に、一人ひとりの悩みに同苦し、疑問には的確に答え、希望と確信をもって、喜んで信心に励めるようにしていくことが、いっさいの源泉になります」
同志のなかへ、そして、その心のなかへ──山本伸一の話の主眼はそこにあった。
「折伏の目的は相手を幸せにすることであり、それには、入会後の個人指導が何よりも大切になります。皆さんが担当した地区、班、組のなかで、何人の人が信心に奮い立ち、御本尊の功徳に浴したか。それこそ、常に心しなければならない最重要のテーマです。
本年は十二月まで折伏に励み、明年一月は『個人指導の月』とし、人材の育成に力を注いでいくことを発表して、私の本日の話といたします」
弘教が広がれば広がるほど、新たに入会した友にも、信心指導の手が差し伸べられなければならない。信心をした友が、一人の自立した信仰者として、仏道修行に励めるようになってこそ、初めて弘教は完結するといってよい。
三百万世帯に向かう〝怒濤の前進〟のなかで、その基本が見失われ、砂上の楼閣のような組織となってしまうことを、伸一は最も心配していたのである。
また、世界広布といっても、今はその第一歩を踏み出したばかりであり、広漠たる大草原に、豆粒ほどの火がともされた状態にすぎない。それが燎原の火となって燃え広がるか、あるいは、雨に打たれて一夜にして消えてしまうかは、ひとえに今後の展開にかかっている。そのためにも、今なすべきことは、一人ひとりに信心指導の手を差し伸べ、世界広布を担う真金の人材に育て上げることにほかならなかった。
折伏と人材の育成とは、車の両輪の関係にある。この二つがともに回転していってこそ、広宣流布の伸展がある。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 175頁~177頁
2021年11月7日
第1774回
第三代会長の胸の思い
<世界の民衆の幸福と平和の実現>
(1960年11月6日第九回男子部)総会であいさつに立った伸一は、胸の思いを率直に語っていった。
「私は、青年部の出身者の一人として、本日の総会を心から祝福するものでございます。しかし、私が皆さんのこの旅立ちを祝福するのは、皆さんの力によって、創価学会という教団が大きくなり、勢力を増していくことを期待しているからではありません。
日蓮大聖人の仏法をもって、自分も幸せになり、人をも幸せにしていこうという若き地涌の菩薩である皆さんが、たくましく育っていくことによって、日本、そして、東洋、世界の民衆の幸福と平和の実現が可能になるからであります。
戸田先生の青年部に対する期待は、筆舌に尽くせぬ大きなものがございましたが、私も、これだけ多くの優秀な青年部の後輩が育っている姿を見て、心から安心し、力強く思っている次第でございます」
さらに、伸一は、広宣流布への流れは、もはや決して止めることのできない時代の潮流であると宣言したあと、次のように述べた。
「私は、一応、会長という立場にありますが、自分が偉いとか、地位が上であるなどと考えたことは一度もありません。最後の最後まで、諸君と苦楽をともにしながら、諸君の心を心とし、兄弟、家族として広宣流布のために戦い抜いていく決意でございます」
そして、終わりに「家庭、職場、社会にあって、誰からも、尊敬、信頼される模範の青年たれ。人間の正義のために戦う勇者たれ」と訴え、話を結んだ。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 196頁~197頁
2021年11月8日
第1776回
第三代会長の大生命力
<勇猛精進>
山本伸一の行動は、日を追うごとに激しさを増していった。
甲信、北陸方面への旅では、宿舎に帰っても、決裁を要する膨大な書類の山が待っていたし、打ち合わせは、しばしば深夜にまで及んだ。しかも、移動の車中も、彼は個人指導の時間にあてていた。しかし、そのなかで、伸一は、ますます活力をみなぎらせ、日々、元気になっていくのである。
その動きに目を見張り、舌を巻いたのは、側近の幹部たちであった。ことに海外指導に同行した幹部は、彼が病魔と闘い、死力を振り絞るようにして指導を続けた様子を、目の当たりにしてきた。その後のスケジュールを考えれば、伸一の疲労の度は、さらに増しているはずである。それだけに不思議でならなかった。
伸一が甲信、北陸の指導から戻った翌日、首脳幹部と打ち合わせを行った折、幹部の一人が思いきって尋ねた。
「私は、海外での先生の激闘に驚嘆しておりましたが、帰国後の動きは、それをはるかに超えています。そして、動くにつれて、お疲れを見せるどころか、お元気になられる。先生のその力は、いったいどこから出るのでしょうか」
伸一は笑みを浮かべて答えた。
「私は十年余にわたって戸田先生のもとで仕えた。それはそれは、激しい戦いの歳月だった。緊張の連続だった。弱い体と闘いながら、そのうえに、先生の事業のいっさいの責任を担ってきた。そのなかで私は、精神的にも、肉体的にも、すっかり訓練されてしまった。それが生命力というものだよ。
大切なのは、自身の責任と使命の自覚だ。そして、その一念が唱題となって御本尊に結びつく時、泉のようにこんこんと生命力がわく。だから私は、飛行機や自動車のなかでも、いつも、お題目を唱えようとしているんです」
「はあ……」
頼りない返事である。伸一は、さらに言葉をついだ。
「また、生命力というのは、ただ体力のことだけをいうのではない。知恵も含まれるものだ。だから、肝心なことを忘れてしまったり、大事なところで失敗したりすることはない。いざという時に力が出せなかったり、しくじってしまうのは、真剣でないからだ。自分が全部やるのだと思ったら、ポイントを外すわけがないではないか」
幹部にとっては、耳の痛い話でもあった。
同じことをするにも、喜び勇んで行うのと、義務感でいやいやながらやるのとでは、結果は大きく異なってくる。
仏道修行の要諦は〝勇猛精進〟にある。「依義判文抄」には「敢んで為すを勇と言い、智を竭すを猛と言う」との釈が引かれている。勇んで挑戦するところに生命の躍動があり、知恵も生まれる。そこには、歓喜があり、さわやかな充実感と希望がみなぎる。決して暗い疲労はない。
山本伸一は、皆の顔を見ながら言った。
「私はこれから、ますます元気になっていく! みんなついてこられるかい?」
「はい!」
一斉に決意のこもった声が返ってきた。
「よし、勇んで戦うよ」
皆、緊張した顔を伸一に向けた。
「そんなに堅苦しい顔をし、しゃちこ張らなくてもいいんだよ。真剣ななかにも、心のゆとりが必要だ。それもまた生命力なんだ」
こう言うと、伸一は傍らにあった新聞紙の包みを、テーブルの上に置いた。
「これは折鶴蘭なんだけど、ずいぶん増えてしまったので、みんなに分けようと思って持ってきたんだ。百八十円で買ったものなんだけどね」
伸一が新聞紙を開くと、婦人部長の清原が言った。「かわいいですね!」
「どんなに忙しくても、花を愛し、生命の神秘に感嘆し、自然の美しさに心和ませる精神の余裕を忘れてはいけない。また、音楽を聴き、文学に親しみ、詩や俳句を詠むぐらいのゆとりが必要だ。
ただ忙しいばかりでは、学会は殺伐としたものになってしまう。『忙しい』の『忙』の字は、『心』を意味するリッシンベンに『亡ぶ』と書くじゃないか。心が亡んでしまっては、文化なんて育ちはしないよ」
「忙中閑あり」である。動中にも静はある。何ごとにも〝めりはり〟が必要であり、リズム、切り替えが大切だ。それによって心も一新され、新たな活力も生まれてこよう。いかに一生懸命であっても、伸びきったゴムのようになってしまえば、価値の創造はない。仏法は即生活法である。
伸一が激しいスケジュールのなかで、日々活力を増していった一つの源泉は、この「動」と「静」の緩急自在な躍動のリズムを体得していたことにあった。そして、何よりも、勇んで広宣流布の天地を走り舞う、〝勇舞〟の気概にあったのである。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 242頁~246頁
2021年11月9日
第1777回
役職への「嫉妬」は
広布を阻む「魔」の蠢動
(1/2)
<「嫉妬」は積んだ福運を一切消す>
山本伸一が千葉支部の結成大会の会場となった千葉県体育館に到着すると、支部長と支部婦人部長が迎えに出ていた。車を降りた伸一は、婦人部長の石山照代に笑顔で語りかけた。
「さあ、出発だよ!」
しかし、石山は暗く沈んだ顔で視線を落とし、黙って会釈した。彼女は四年前の入会であり、支部の婦人部長としては信心歴は新しかった。
実は、千葉支部の結成では、支部婦人部長の人事が最も難航したのである。当初、彼女よりも入会が古く、経験の豊富な一人の地区担当員が候補にあがっていたが、公平さに欠け、支部の婦人の中心者にすることは心配であるとの意見が大半を占めた。検討の結果、経験不足だが、将来を期待し、石山照代を婦人部長に推すことで意見の一致をみたのである。
しかし、九月度の本部幹部会で人事が発令されると、石山への激しい批判の手紙が何通か学会本部に届いた。〝活動の実績もなく、信心の弱い婦人部長にはついていけない〟というのである。
山本伸一は、北・南米訪問から帰国し、その手紙を目にした。いずれの文面も客観性を装ってはいるが、どこか意図的なものが感じられた。
彼は、事態を深刻にとらえ、千葉支部の関係者に、つぶさに状況を尋ねていった。すると、最初に支部婦人部長の候補にあがっていた地区担当員の周辺から、石山照代の人事に不満が出ていることがわかった。しかも、その地区担当員は、表面は平静を装いながら、自分と親しいメンバーを扇動して、石山を批判するように仕向けていることがわかった。あまりにも愚かしく、情けない話である。
学会の役職は名誉職ではなく、責任職である。会員への奉仕に徹し、広宣流布の責任を果たし切ることが最大の任務だ。したがって大きな責任をもつ立場になればなるほど、〝自分〟を捨てて、法のため、広布のため、同志のために尽くし抜こうとの決定した一念がなければ、その任を全うすることはできない。自分が支部の婦人部長になれないことで不満をいだき、陰で人を非難したりすること自体、広宣流布よりも、〝自分〟が中心であることを裏づけている。それは、学会の幹部として不適格であることの証明といってよい。
その地区担当員は、長年にわたる闘病生活の末に、仏法に巡り合い、病を克服した体験をもっていた。そして、一時は、弘教面でも華々しい成果を上げ、注目を集めていた。
伸一は、この地区担当員の行く末を案じた。支部の婦人部長と心を合わせて活動しようとしなければ、ますます自分が孤独になり、信心の喜びも失せていってしまう。さらに、支部婦人部長についていくことができないことから、やがては組織に対して不満をもつようになり、何かあれば学会の世界からも離反していくことになりかねない。また、彼女の行為は、既に仏意仏勅の教団である学会の団結を破壊していることになる。本人は気づいていないかもしれないが、せっかく信心しながら、自ら不幸の悪業をつくり、これまでに積んできた福運までも、ことごとく消してしまうことになる。
いかなる理由にせよ、広宣流布の使命に生きる同志を嫉妬し、恨み、憎む罪はあまりにも重い。ゆえに、日蓮大聖人は「忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか」(御書一三八二㌻)と、戒められているのである。
人の心ほど移ろいやすいものはない。善にも、悪にも、動いていく。偉大な創造をも成し遂げれば、破壊者にもなる。仏にもなれば、第六天の魔王にもなる。その心を、善の方向へ、建設の方向へ、幸福の方向へと導いていくのが正しき仏法であり、信心である。
山本伸一は、この問題について、真剣に考えざるをえなかった。
──信心によって病を克服した体験をもつ婦人が、なぜ、周囲をも巻き込み、団結を破壊しようとするのか。名聞名利と慢心に蝕まれていることは確かだが、どうして、それに気がつかないのか。その一念の狂いは、何ゆえ生じたのか。
(つづく)
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 181頁~189頁
2021年11月10日
第1778回
役職への「嫉妬」は
広布を阻む「魔」の蠢動
(2/2)
<唱題根本で断じて「魔」に勝て!>
(つづき)
日蓮大聖人は「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」(御書三八三㌻)と仰せである。つまり自分自身が一念三千の当体であり、幸福も不幸も、その原因は自己の生命のなかにあると自覚することから仏法は始まる。しかし、周囲の人を嫉妬するというのは、自分の幸・不幸の原因を他人に見いだし、〝己心の外〟に法を求めているからにほかならない。そうした考えに陥れば、状況が変化するたびに一喜一憂し、困難や苦しみにあえば、周囲を恨み、憎むことになってしまう。そこには自分を見つめることも、反省もない。ゆえに成長も、人間革命もなく、結局は自分を不幸にしてしまうことになる。
また、組織の中心者や幹部といっても、人間である限り、長所もあれば短所もある。未熟な面が目立つこともあろう。問題は、そこで自分がどうするかだ。批判して終わるのか、助け、補うのかである。中心者を、陰で黙々と守り支えてこそ、異体同心の信心といえる。そして、どこまでも御聖訓に照らして自己を見つめ、昨日の自分より今日の自分を、今日の自分より明日の自分を、一歩でも磨き高めようと挑戦していくなかに、人間革命の道があるのだ。そこにのみ無量の功徳があり、福運を積みゆくことができるのだ。
この婦人は、これまで一生懸命に信心に励んでいたように見えても、結論するに、仏法の基本が確立されていなかったのである──。
伸一は、彼女が、生涯、誤りなく幸福への軌道を歩むために、信心の基本から、懇切丁寧に粘り強く指導していくように、婦人部の最高幹部に頼んだ。
彼が最も心配していたのは、支部の婦人部長としてこれから活動していかなくてはならぬ石山照代のことであった。石山にとって支部婦人部長の就任は、予想もしないことだったようだ。彼女は任命を受けたものの、自分が果たしてその責任を全うできるのか不安をいだいていた。その矢先に「幹部としての経験も浅く、たいした信心もないのに、よく婦人部長になったものだ」という批判の声を耳にした。
しかも、支部結成大会の準備を呼びかけても、冷淡な反応を示す人が少なくなかった。彼女は完全に自信を失い、悩み抜いた末に、婦人部長の交代を、山本会長に申し出ようと思っていたのである。
伸一が体育館の控室に入ると、石山は意を決したように、こう切り出した。
「……実は、先生にどうしてもご相談したいことがあるんです」
彼女は、伸一に勧められてソファに腰を下ろした。
「どうしたの。何か悩みがあるの?」
「はい……。私、とても支部婦人部長なんていう大任は、全うできそうもありません。これまで支部結成の準備にあたってきましたが、誰も、私の言うことなんか聞いてくれません。みんな陰で私を批判していますし、面と向かって、『あなたに婦人部長の資格なんてないのよ』って、言ってくる人もいます。確かに私には、なんの力もないんです……」
石山は、胸のうちを洗いざらい打ち明けた。話しながら、幾筋もの涙が、彼女の頰を濡らしていった。
伸一は、じっと石山に視線を注ぐと、強い語調で語った。
「わかっている。全部、わかっています。誰があなたの悪口を言っているかも知っています。しかし、広宣流布の使命に生きようとする人が、そんなだらしないことで、どうするんですか。批判するものには、させておけばよい。私があなたを守っていきます!」
石山は、驚いたように、伸一の顔を見つめた。
「ひとたび任命されたからには、あなたには、支部婦人部長として皆を幸福にしていく使命がある。決して偶然ではない。信心も、自身の人間革命も、広宣流布の使命を自覚し、戦いを起こすことから始まります。したがって、今はどんなに大変であっても、退くようなことがあっては絶対にならない。
仏法は勝負です。常に障魔との戦いです。魔の狙いは広宣流布の前進を妨げることにある。あらゆる手段を使って、巧妙に学会の団結を乱そうとします。
魔は、戦おうという人の生命力を奪い、やる気をなくさせようとする。時には、今回のように、同志の嫉妬となって現れることもある。あるいは先輩幹部の心ない発言となって現れることもある。また、病魔となって、組織のリーダーを襲うこともある。
こちらの一念が定まらないで、逃げ腰になれば、魔はますます勢いづいてきます。それを打ち破るのは題目であり、微動だにしない強盛な信心の一念しかありません。
あなたも、今こそ唱題で自分の境涯を大きく開き、本当の広布の戦いを開始する時です。そして、敢然と困難に挑み、温かく皆を包みながら、すべてを笑い飛ばして、明るく、はつらつと、悠々と突き進んでいくことです。
今、学会は大前進を開始した。飛行機でも、飛び立つ時には、揺れもするし、抵抗もある。千葉も、今、新しい出発を遂げようとしている。いろいろと問題があるのは当然です。
しかし、あなたが支部の婦人部長として見事な活動を成し遂げ、多くの人から信頼を勝ち取っていけば、つまらない批判なんか、すぐに消えてなくなります。飛行機も上昇し、安定飛行に入れば、ほとんど揺れなくなるようなものです。そして、あなたを排斥しようとしたり、仏意仏勅の組織を攪乱しようとした人は、必ず行き詰まっていきます。仏法の因果の理法は実に厳しい。深く後悔せざるをえない日がきます。
広宣流布のための苦労というのは、すべて自分の輝かしい財産になる。だから学会の組織のなかで、うんと苦労することです。辛いな、苦しいなと感じたら、〝これで一つ宿業が転換できた〟〝また一つ罪障が消滅できた〟と、喜々として進んでいくんです。
最も大変な組織を盤石にすることができれば、三世永遠にわたる大福運を積むことができる。来世は何不自由ない、女王のような境涯になるでしょう」
石山照代は、心に立ち込めていた霧が、瞬く間に晴れていく思いがした。彼女の頰に、いつの間にか赤みが差していた。
この時、組織を攪乱した婦人は、一時期は、先輩の指導によって立ち直り、幹部として活動していたが、後に夫妻で退転、反逆し、結局、自ら学会を去っていった。邪心の人は淘汰され、離反していかざるをえないところに、仏法の厳しさと、学会の正義と清らかさの証明がある。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 181頁~189頁
2021年11月11日(未掲載)
庶民の蘇生のドラマ
<女子部とその家族の体験>
(1960年)十一月九日、山本伸一は甲府支部の結成大会に出席するため、山梨県の甲府に向かった。
この甲府に続いて、
十日は松本、
十一日は長野、
十二日は富山、
十三日は金沢の
各支部の結成大会に出席することになっていた。
甲府支部結成大会は、
午後五時四十分から、山梨県民会館で行われた。
結成大会では、一人の女子部員の体験発表が感動を呼んだ。
「私は終戦と同時に、
朝鮮から日本へ引き揚げてまいりました。
朝鮮では、父が大きな鉱山会社の重役をしており、
何不自由なく暮らしていましたが、
日本に戻って間もなく、
父が重度の結核で倒れてしまいました。
母は、私たち兄妹を育てるために、
朝早くから、夜遅くまで、
真っ黒になって働きました……」
ところが、
兄が非行に走り、
家族の苦悩はますます深まっていく。
兄は家の乏しい生活費を持ち出したり、
人のものに手をつけるようになっていった。
病床に伏す父親が、
ゼーゼーと苦しそうな咳をしながら諭しても、
兄は荒れる一方だった。
彼女と母親は救いを求めて、
いくつかの宗教を転々とするが、
兄の非行は改まらず、
遂に少年院に送られていった。
そのころ、
父親の友人から仏法の話を聞き、
一縷の望みを託して学会に入会する。
苦しい生活のなかにも希望を感じながら、
学会活動に励むが、
ほどなく父の結核が悪化し、
意識不明に陥ったのである。
母子してひたすら唱題を重ねた。
すると、五日目に奇跡的に意識を回復し、
やがて、折伏に歩けるまでになった。
兄もまた、少年院を出て、
更生の道を歩き始めたかに見えた。
しかし、喜びも束の間、
再び兄は非行に走り、
事件を起こして、
今度は刑務所に入ってしまった。
苦悩に追い打ちをかけるように
父親の容体も悪くなり、
入院しなければならなかった。
生活は困窮し、
しかも、母の勤務先も倒産。
病院で父に支給される食事を、
家族三人で分け合うような日々が続いた。
〝御本尊様、
なぜ私たちだけが、
こんなに苦しまなければならないのですか〟
母子で唱える題目の声は、
いつしか泣き声に変わっていた。
その時、
先輩の「蓮の花は、泥沼が深ければ深いほど大きな花が咲く。負けてはいけない!」
との真心の激励が、彼女たちを支えた。
父親はやがて、
病床で静かに息を引き取った。
安らかな死であった。
彼女の悲しみは大きかったが、
信仰が生きる力を与えた。
亡き父の分まで幸せになろうと、
彼女は誓った。
支部結成大会の壇上で、
彼女は涙をこらえながら語っていった。
「獄中の兄も、
父の死を契機に変わりました。
また、母も収入のよい仕事が見つかり、
私も、ある会社の事務員として、
本当に恵まれた環境で働けるようになりました。
さらに、バラックのような家から、
念願の新築したばかりの家に移ることもできました。
そして、母と二人、
希望に燃えて、
幸福を噛み締めながら、
日々、友の幸せを願い、
楽しく学会活動に励んでおります」
体験発表が終わると、
盛んな拍手が場内を包んだ。
不幸のどん底から、
見事に信仰で立ち上がった、
庶民の蘇生のドラマである。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 206頁~207頁
2021年11月11日
第1780回
誰も成しえなかった事実
<民衆の救済>
幹部指導のあと、あいさつに立った山本伸一は、ここでも、支部長、婦人部長を讃え、団結を呼びかけた。そして、こう力強く訴えていった。
「学会に対して、さまざまに批判する人がおりますが、では、誰が、いかなる理念をもって、この日本の民衆を救いうるのか。
口では皆、立派そうなことを言いますが、本当に民衆の幸福を考え、現実に、かくも多くの人びとを救ってきた人も、団体も、ないではありませんか。
学会には、仏法という明確な哲理があります。そして、学会だけが、誰も救済の手を差し伸べなかった民衆のなかに分け入り、人びとに勇気と希望を与え、実際に、幸福の道を開いてきました。これは、誰も成しえなかった事実です。
ゆえに、その最前線で戦ってこられた皆さんこそ、仏の使いであり、いかなる地位や肩書をもった人よりも尊く、偉大な指導者であると、私は申し上げたいのであります。どうか、その確信と信念をもって、仕事のうえでも、家庭にあっても、模範の皆さんであっていただきたいと念願いたします」
社会の繁栄といっても、その根本は民衆の幸福である。彼の人生の闘争の目的もまた、そこにあった。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 207頁~208頁
2021年11月19日
第1790回
"田原坂"
『蚤にくわせて なるものか!』
<つまらないことで自分に傷をつけてはならない>
しばらくすると、支部の幹部が訪ねて来た。彼の部屋で炬燵を囲んで懇談が始まった。
男子部の幹部が伸一に質問した。
「私は、現在、自動車の整備の仕事をしており、学校は国民学校を出ただけで学歴がありません。そんな私が男子部の幹部として指揮をとれるのか、不安なんです」
伸一は、厳しい視線を向けた。
「人間は実力だ。学歴がなんだというんです! 自動車の整備士として、油まみれになって働いて、その仕事で、みんなの模範になればいいんです。職種は違っても、信心を根本にして社会の勝利者になった体験は、万人に通じます。
同志は、幹部の信心について来るんです。人柄について来るんです。背伸びをして、見栄を張る必要はいっさいありません」
民衆のなかから、民衆のリーダーを育み、民衆が社会の主人となる〝民主の時代〟を開く──そこに、人類の進むべき、革新の道がある。
伸一は、身を乗り出すようにして青年に語った。
「学歴がないからと、卑屈になるのではなく、自分らしく、自分のいる場所で頑張ることです。それが人生の勝利の道です。
私も、戸田先生の下にあって、夜間の学校を、途中でやめざるをえませんでした。学歴がないことは恥でもなんでもない。しかし、学ばないことは卑しい。勉強しないことは恥です。私も毎日、勉強している。一日に二十分でも、三十分でもよい。寸暇を惜しんで読書し、勉強することです。その持続が力になる。
君も実力を蓄え、本当に力ある民衆のリーダーになっていくんだよ。今日は、君の栄光の未来への出発のために歌を歌おう」
伸一はこう言うと、自ら「田原坂」を歌い始めた。
〽雨はふるふる 人馬はぬれる
………… …………
一番を歌い終わると、伸一は言った。
「みんなで歌おう!」
皆が唱和した。
〽天下取るまで 大事な身体
蚤にくわせて なるものか
歌い終わると、伸一は、質問した青年を見つめた。
「君も、偉大な使命をもった大事な人なんだ。大切な体なんだ。だから、病気になどなってはいけない。健康に留意し、体を鍛えていくのだ。
また、金銭や酒、あるいは異性との問題など、つまらないことで自分に傷をつけてはならない。『蚤になど、食わせるものか!』という思いで、生きていくんだよ」
青年は、感無量の表情で頷いた。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 231頁~234
2021年11月12日
第1781回
役職の高みに立って、
人を機械のように動かそうと"絶対"するな!
<同志を、会員を守り、励ます>
山本伸一は、谷川自身の栄えある未来のためにも、本当の幹部の姿勢を教えておきたかった。彼は強い口調で言った。
「自分に力があるなどと思ってはいけない。ましてや、役職の高みに立って、人を機械のように動かそうなどと考えては、絶対にいけません。
みんなに頭を下げ、『こんな私ですが、よろしくお願いします。皆さんのために、どんなことでもやらせてもらいます』という思いで、何事にも謙虚に、真剣に取り組むことです。
その健気な姿に心打たれて、人も立ち上がり、周囲の人も協力してくれる。高慢だと思えば、人はついては来ません。策や方法ではない。真剣さです。誠実さです。題目を唱え抜いて、みんなを幸せにしようと、体当たりでぶつかっていけるかどうかです」
谷川はハッとした。「謙虚」という言葉が、胸に突き刺さった。言われてみれば、確かに自分には欠落していた。
人間は、自分の欠点は、なかなか自覚できないものである。それを、そのままにしておけば、どんなに優れた力をもっていても、いつか行き詰まってしまう。だからこそ伸一は、こうしたかたちで、彼女の欠点を鋭く指摘し、その根を徹底して断とうとしたのである。
谷川は、自分の弱点が白日のもとにさらされ、打ちのめされた思いがした。初めて自分の短所を浮き彫りにされた戸惑いと惨めさを感じた。
伸一は、谷川の目をじっと見つめた。それから、彼は、支部長の高松俊治を見て言った。
「女子部がどうやって富山支部を建設しようかと、真剣に悩んでいる。尊いことではないですか。彼女は一生懸命なんです。これからは、この人を、私の妹だと思って協力し、応援してあげてください。お願いします」
そして、伸一は、高松に向かって頭を下げた。
谷川は驚いて、その光景を見ていた。伸一の真心に激しく胸を打たれた。彼女は声をあげて泣きだした。
「リーダーは泣いたりしてはいけない。いつも笑顔で、みんなを包んでいくんだよ。今があなたの勝負の時だ。人間革命の時だよ。富山の女子部の未来を楽しみにしているからね」
発心の花を咲かせながらの、伸一の旅であった。
新設された各支部の幹部の多くは、中心幹部として何を第一に考え、いかに活動すべきであるかが、よくわからなかったといってよい。しかし、行く先々での山本伸一の振る舞いが、それを明確に教えていた。
同志を、会員を守り、励ます──すべては、そこに尽きていた。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 239頁~240頁
2021年11月13日
第1782回
『牧口は死んだよ』
<誰がやったか忘れるな!敵を討て!>
戸田は生前、獄中で牧口の死を聞いた折のことを語り始めると、目は赤く燃え、声は憤怒に震えるのであった。
「牧口先生は、昭和十九年(一九四四年)十一月十八日、冬が間近に迫った牢獄のなかで亡くなった。栄養失調と老衰のためだ。
私たちは、その前年の秋に警視庁で別れを告げたきり、互いに独房生活で、会うことはできなかった。私は、毎日、毎日、祈っていた。〝先生は高齢であられる。どうか罪は私一身に集まり、先生は一日も早く帰られますように〟と。しかし、先生は亡くなられた。私がそれを聞いたのは、先生の逝去から五十日余り過ぎた翌年の一月八日、予審判事の取り調べの時だった。
『牧口は死んだよ』
その一言に、私の胸は引き裂かれた。独房に帰って、私は泣きに泣いた。コンクリートの壁に爪を立て、頭を打ちつけて……。
先生は、泰然自若として、殉教の生涯を終えられたことは間違いない。しかし、先生は殺されたのだ! 軍部政府に、国家神道に、そして、軍部政府に保身のために迎合した輩によって……。先生がいかなる罪を犯したというのか! 『信教の自由』を貫いたがゆえに、殺されたのだ。
あとで聞いたことだが、先生の遺体は、親戚のところで働く男性に背負われて獄門を出た。戦時中のことでもあり、たった一台の車さえも調達することができなかった。
奥様は、その遺体を自宅で寂しく迎えた。葬儀に参列した人も、指折り数えられるほど少なかった。皆、世間を、官憲の目を恐れていたからであろう。民衆の幸福のために立たれた大教育者、大学者、大思想家にして大仏法者であった先生に、日本は獄死をもって報いたのだ!」
そして、いつも、最後には、阿修羅のごとく、言うのであった。
「私は必ず、先生の敵を討つ! 今度こそ、負けはしないぞ。
先生の遺志である広宣流布を断じてするのだ。永遠に平和な世の中をつくるのだ。そして、牧口先生の偉大さを世界に証明していくのだ。伸一、それが弟子の戦いじゃないか!」
怒りに体を震わせて語る戸田の姿を、伸一は一人、生命に刻みつけた。
戸田は、師の牧口の命を奪った〝権力の魔性〟に対する怒りと闘争を忘れなかった。邪悪への怒りを忘れて正義はない。また、悪との戦いなき正義は、結局は悪を温存する、偽善の正義にすぎない。
<新・人間革命> 第2巻 勇舞 260頁~262頁
民衆の旗
2021年11月14日
第1783回
民衆こそ主人公!
民衆!
あなたこそ、
永遠に
社会と歴史の主人公だ。
いかなる理想も、
民衆の心を忘れれば、
観念と独断と偽善になろう。
正義も、
真理も、
民衆の幸福のなかにある。
<新・人間革命> 第2巻 民衆の旗 266頁
2021年11月15日
第1785回
「幸福」とは「絶対的幸福」境涯の確立
<人間の胸中に秘めた「生命力」>
この総会で山本伸一は、戸田城聖の「女子部は幸福になりなさい」との指導を引き、幸福について語っていった。
「アランやエマソンなど、さまざまな哲学者や思想家が、幸福について論じていますが、では、それを読めば、絶対に自分も幸福になり、人をも幸福にすることができるかというと、残念ながら、決してそうとはいえません。
幸福と平和は、全民衆の念願でありますが、その絶対の原理を示した人は誰もおりませんでした。そのなかで、ただ日蓮大聖人のみが、万人に幸福の道を、具体的に開かれたのであります」
幸福はどこにあるのか。それは、決して、彼方にあるのではない。人間の胸中に、自身の生命のなかにこそあるのだ。
金やモノを手に入れることによって得られる幸福もある。しかし、それは束の間の幸福にすぎない。戸田は、それを「相対的幸福」と呼んだ。そして、たとえ、人生の試練や苦難はあっても、それさえも楽しみとし、生きていること自体が幸福であるという境涯を、「絶対的幸福」としたのである。
この悠々たる大境涯を確立するには、いかなる環境にも負けることのない、強い生命力が必要となる。その生命力は、自身の胸中に内在しているものであり、それを、いかにして引き出すかを説いたのが仏法である。
伸一は、大確信をたぎらせて訴えた。
「信心の目的は成仏であり、幸福になることであります。それには、仏法の真髄であり、大聖人の出世の本懐である御本尊への信心以外にありません。それを人びとに教え、事実の上に、民衆の幸福を打ち立ててきたのが創価学会です。
私どものめざす広宣流布とは、一人ひとりが幸福を実現することであり、そのための宗教革命であります。ヨーロッパのある哲学者は、〝人を幸福にすることが一番確かな幸福である〟旨の言葉を残しておりますが、弘教には歓喜があり、生命の最高の充実があります。どうか皆さんは、この広宣流布という〝聖業〟から、生涯、離れることなく、幸福を実現していっていただきたいのであります。
人の心は移ろいやすく、はかないものです。これからも、学会は大きな難を受け、誹謗されることもあるでしょう。そうなれば、つい弱気になり、信心を離れていく人もいるかもしれません。しかし、真実の幸福の道は、信心しかないことを断言しておきます」
山本伸一は、ここで、難解な幸福論を語るつもりはなかった。皆、幸福への確かな道を知った同志である。あとは、それを歩み抜くことだ。
<新・人間革命> 第2巻 民衆の旗 268頁~270頁
2021年11月16日
第1786回
弘教がなかなか実らない友へ
<"幸福になってほしい"という心>
「女子部の皆さんのなかには、『私には折伏なんてできません』という人もいるかもしれませんが、それでも構いません。牧口先生の時代も、戸田先生の時代も、学会では、折伏をしてくださいなどと、お願いしたことは、ただの一度もありません。
大聖人が、折伏をすれば宿命を転換し、成仏できると、お約束なさっている。ですから、自分の宿命の転換のため、幸福のためにやろうというのです。しかも、それが友を救い、社会の繁栄と平和を築く源泉となっていく。これほどの〝聖業〟はありません。
なかには、一生懸命に弘教に励んでいても、なかなか実らないこともあるかもしれない。こう言うと、女子部長に怒られてしまうかもしれませんが、皆さんは、まだ若いのですから、決して、結果を焦る必要はありません。
布教していくということは、自身を高める、人間としての最高の慈愛の修行であるとともに、人びとを幸福と平和へと導きゆく、最極の友情の証なんです。
大切なことは、〝あの人がかわいそうだ。幸福になってほしい〟という心で、周囲の人に、折に触れ、仏法を語り抜いていくことです。今は信心しなくとも、こちらの強い一念と友情があれば、やがて、必ず仏法に目覚める時が来ます。
また、幹部は、弘教が実らずに悩んでいる人を追及したり、叱るようなことがあってはならない。むしろ優しく包み、仏の使いとして、懸命に生きようとしている姿勢を讃え、励ましてあげていただきたい。
さらに、いろいろな境遇や立場で、思うように活動に参加できない人もいるでしょう。そのメンバーに対しても、『必ず春が来るように、時間的にも余裕がもてる時が来るから、その時はいつでもいらっしゃい』と言って、温かく励ましてほしいのです。
ともあれ、私たちは、おおらかな気持ちで、麗しい同志愛を育みながら、幸福の道を進んでまいろうではありませんか」
弘教の意気に燃えている人には大歓喜がある。そこには、地涌の菩薩の生命が脈動するからだ。伸一が心を砕いていたのは、その弘教の波に乗り切れずにいる友であった。彼のまなざしは、常に最も苦しみ悩む人に注がれていたのである。
<新・人間革命> 第2巻 民衆の旗 270頁~272頁
2021年11月18日
第1789回
大聖人への迫害
<権力者の恐れと警戒>
日蓮大聖人への迫害の要因には、民衆を第一義とする大哲理への、権力者の恐れと警戒があったにちがいない。そして、その権力者に、諸宗の僧が擦り寄り、結託して大聖人を亡き者にしようとした。折伏によって、自宗の教えの誤りを、完膚なきまでに破折されたことへの恐れと恨みからであった。
宗教と権力との関わり方を見る時、その宗教の本質は明白となる。たとえば、当時の高僧・極楽寺良観は、見せかけの慈善事業で人びとの目を欺く一方、幕府の手厚い庇護を受けて利権をほしいままにし、主要街道に木戸を設けて通行料を取るなど、民衆の生活を圧迫していたのである。
多くの宗教が権力の奴隷となっていくなかで、大聖人は一歩も退くことなく、果敢に国主への諫暁と、諸宗への折伏を続けられた。それゆえに、迫害は熾烈を極めた。学会は、その大聖人の民主の大哲理を掲げて、民衆のために戦い抜いてきた。そして、戦時中は、信教の自由を守り抜くために、国家神道を精神の支柱とする軍部政府の大弾圧を受け、牧口初代会長は獄中に逝いたのである。
宗教は権力にくみするならば、結局は、権力の支配と管理の鎖に繋がれ、自立の道を断たれてしまう。そして、遂には、民衆の救済という宗教の本来の使命を捨て、魂を売り渡してしまうことになるのは、当然の理である。
学会は永遠に民衆の側に立つ。ゆえに、これからも行く手には弾圧があろう。謀略の罠も待ち受けていよう。しかし、民衆の栄光のために師子王のごとく戦い、勝つことが、学会には宿命づけられているのだ。
<新・人間革命> 第2巻 民衆の旗 280頁~282頁
2021年11月21日
第1793回
『無量義とは、一法従り生ず』
<あらゆる思想、哲学も、大聖人の仏法に立脚>
幹部のあいさつに続いて、最後に、伸一がマイクの前に立った。
「今日は学生部の諸君とともに、楽しく、また有意義に過ごさせていただき、心から御礼申し上げます。本当にご苦労様、ありがとうございました」
彼は、見事な学生祭を讃えたあと、「仏法」と「世界のさまざまな思想」との関係性に言及した。将来、学生部が真正面から取り組むべき課題として。
「法華経の開経である無量義経に、『無量義とは、一法従り生ず』(法華経二五㌻)という原理が説かれております。この『一法』とは、文底の立場でいえば、南無妙法蓮華経のことであり、即、三大秘法の御本尊様のことでございます。そして『無量義』とは、釈尊のいっさいの教えであり、さらには、あらゆる思想・哲学のことであるともいえます。
南無妙法蓮華経とは、生命の根本法であります。それに対して、カントやヘーゲルの哲学、またはソクラテス、プラトン、アリストテレス、孔子、孟子、マルクス等のいっさいの思想家、哲学者の説いた哲理というものは、いわばその一部分を示しているにすぎないといえます。
みずみずしい緑の枝葉の広がりも、深く大地に根差した一根を離れてはありえません。同じように、あらゆる思想、哲学も、南無妙法蓮華経という生命の究極の『一法』、すなわち大聖人の仏法に立脚してこそ、真の人間の幸福を実現しゆくものとして開花するのであります。また、それをなすのが、諸君の使命であると申し上げておきたい」
続いて、伸一は、十四世紀から十六世紀のヨーロッパに興隆した「ルネサンス」へと話を進めた。
「また、過去においては、有名なルネサンスがあり、文芸復興、あるいは人間復興が唱えられました……」
ルネサンス──この言葉を語るとき、彼の胸には、春の嵐のような熱情とともに、懐かしい記憶が蘇ってくるのであった。
国破れ、一面の焼け野原と化した戦後、人びとは飢えにさいなまれていた。しかし、若者たちの多くは、同時に、精神の空白を満たす心の糧を、未来への希望を切実に求めていた。伸一もまた、不滅の光源を求めて精神の遍歴を始めていた。そのころ、友人とひもといた一書に、ルネサンスの源流ともいうべきイタリアの詩聖ダンテの『神曲』があった。一万四千余行に及ぶ、この大叙事詩を読んでは、彼は友人とルネサンスの精神を語り合った。
ルネサンスとは「再生」「復興」の意味である。その歴史的な意義を一言で語ることは難しいが、そこには長い「冬」の時代を超えて、開放的な「春」を迎えようとする決意と喜びが込められている。
ヨーロッパの中世では、キリスト教の「神」を頂点とするピラミッド型の位階秩序が、強固な世界観として定着していた。たとえば社会は「教会」中心、身分は「聖職者」中心、生活の態度も、僧院に閉じこもる「瞑想生活」が優れたものとされた。いわば、その人が「何をしたか」より、身分や地位で、人間の価値が、決まったのである。そこには、恐るべき倒錯と欺瞞がある。つまり、額に汗して働く市民より、腐敗、堕落していても僧侶の方が「神に近い」ということになる。
人びとは、神の名の下に定められた不条理な秩序への服従に、強い疑問をいだき、遂に、変革の波が起こった。最初の舞台は、どこよりも早く金融業や商業が発達し、普通の「市民」が自立した力をもつに至った、あのダンテの故郷のフィレンツェである。
〝聖職者だから偉いのか。貴族だから偉いのか。神学だけが、僧院生活だけが尊いというのか。現実社会のなかで、「善き人間」として、「善き市民」として、生きている人こそ尊いはずだ!〟
市民たちは、堂々と世俗の生活を謳歌し、自分の言葉で、自分の思いを赤裸々に語っていった。その模範としたのが、古代ギリシャ・ローマの「人間性の春」であった。この「春」の再生への人びとの願いが、ルネサンスの源泉となった。
彼らは誇らかに叫んだ。「古代に帰れ! 人間に帰れ!」と。
その叫びは大波となって社会に広がり、そして、古臭いシキタリの封印をはぎ取り、神と教会のくびきから人間を解き放った。多くの天才たちによる絢爛たる芸術、文化の開花も、その一部にすぎない。それは、まぎれもなくヒューマニティーの勝利であった。
しかし、それによって、人間は真の自由を、真の歴史の主役の座を手にしたであろうか。むしろ意に反して、人間は自らを律する術をなくし、「制度」や「イデオロギー」、あるいは、「科学」や「技術」の下僕と化しはしなかったか。自由への道は、いわば複雑な矛盾と背理の迷路であった。それは、人間そのものの不可解さ、複雑さであり、矛盾にほかならない。
山本伸一は、学生たちに訴えていった。
「真実の人間復興、文芸復興を進めていくには、人間を開花させる、内なる生命の至極の法を求めゆくことが不可欠です。それによって、人間自身の生命の変革、すなわち人間革命がなされてこそ、人間復興も可能になる。そして、その哲学こそ、色心不二の日蓮大聖人の仏法であり、それをなすのが私どもであると、宣言するものでございます。
願わくは、学生部の諸君は、信心を根本として、科学界に、政治界に、あるいは文豪として、また、大芸術家として、世界に羽ばたいていただきたい。
自分自身も喜びに満ち、最高の幸せを感じつつ、すべての人びとに、希望と幸福を与えていける偉大なる人材であられんことを、心から切望し、私の話とします」
若き瞳が光り、拍手は暁鐘のように鳴り響いた。
<新・人間革命> 第2巻 民衆の旗 295頁~300頁