広布史(月別)

〈11月〉

 

 11・2「東京富士美術館」開館41周年

 1983年(昭和58年)11月2日、創立者・池田大作先生を迎え、東京富士美術館の開館式が行われた。翌3日にオープン。本年で40周年となる。

 

 ◎11・3「創価文化の日」

 人間文化の創造を目指し、学会では「文化の日」の11月3日を「創価文化の日」と定めている。

 

 ◎11・5「男子部の日」

 1961年(昭和36年)11月5日、東京・国立競技場で第10回男子部総会を開催。54年(同29年)に第2代会長・戸田城聖先生が「国士訓」で呼び掛けた“精鋭10万人”の結集を実現した。「国士訓」発表時、約1万人だった男子部は、池田大作先生を中心に怒濤の拡大を開始し、同総会までに35万人の陣容に。※参考資料=小説『新・人間革命』第5巻「勝利」

 

 ◎11・6「四国の日」

 1987年(昭和62年)11月6日、池田先生が長編詩「青き天地 四国讃歌」を四国の友に贈ったことを記念して定められた。本年で36周年。

 

 ◎11・12「女子部の日」

 1961年(昭和36年)11月12日、横浜・三ツ沢の競技場に、各地から8万5000人が集い、第9回女子部総会を開催。51年(同26年)に74人の参加者で結成された女子部は、10年で飛躍的な発展を遂げた。※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」

 

 ◎11・13 学会本部の信濃町移転71周年

 70年前の1953年(昭和28年)11月13日、東京・西神田から現在の信濃町へ学会本部が移転した。

 

 ◎11・15「池田大作先生ご命日」一周忌 池田門下総立ちの日

 2023年11月15日 SGI(創価学会インタナショナル)会長の池田大作先生が15日夜半、老衰のため、東京・新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた。95歳のご生涯であった。

 

 ◎11・15「地域部の日」

 1987年(昭和62年)11月15日に行われた第1回総会が淵源。

 

 ◎11・18「創価学会創立記念日」

 1930年(昭和5年)11月18日、初代会長の牧口常三郎先生は、戸田先生と共に『創価教育学体系』第1巻を発刊。発刊日の11月18日が、後に創価学会の創立記念日となった。また、2013年(平成25年)の同日、池田先生の発願・命名による「広宣流布大誓堂」が東京・信濃町に建設された。※参考資料=『新・人間革命』第23巻「敢闘」、第27巻「正義」

 

 ◎11・18「広宣流布大誓堂」完成11周年

 2013年(平成25年)、池田先生の発願・命名による「広宣流布大誓堂」が信濃町に建設され、本年で10周年の「11・18」となる。

 

 ◎11・18「創価学園創立記念日」

 1967年(昭和42年)11月18日が創価学園の創立記念日。本年で56周年。翌68年(同43年)、東京に創価中学校・高校が開校した。※参考資料=『新・人間革命』第12巻「栄光」

 

 ◎11・28「魂の独立記念日」

 創価の師弟を分断し、学会を破壊しようと陰謀を巡らせた宗門は、1991年(平成3年)11月28日付で、学会に「破門通告書」を送付。その日は、広布の前進を妨げる宗門からの栄えある解放の日となり、学会が世界宗教へ飛翔する「魂の独立記念日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」、第30巻〈下〉「誓願」

2024年10月25日


〈10月〉

 

 ◎10・1「学術部の日」

 1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上での、池田大作先生のてい談「生命論」の連載開始が淵源。

 

 ◎10・2「世界平和の日」

 1960年(昭和35年)10月2日、恩師・戸田城聖先生の構想実現のため、池田先生が初の海外訪問へ出発。北・南米へ世界広布の第一歩が踏み出された。その日が後に「世界平和の日」に。

 

 ◎10・5 池田先生の欧州初訪問

 1961年(昭和36年)10月5日、池田先生が欧州を初訪問。9カ国を回る平和旅で、欧州広布の礎が築かれた。※参考資料=『新・人間革命』第4巻「大光」

 

 ◎10・7「勝利島部の日」46周年

 1978年(昭和53年)10月7日、約120の島の友が集った離島本部(当時)の第1回総会を記念して、「離島部の日」が制定。後に「勝利島部の日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第28巻「勝利島」

 

 ◎10・8「中国・師弟原点の日」

 1956年(昭和31年)10月8日、青年部の室長だった池田先生は岡山を初訪問し、中国方面に広宣流布の第一歩をしるした。

 

 ◎10・9「山口開拓指導」開始の日

 1956年(昭和31年)10月9日、池田先生は山口へ。戸田先生の命を受け、山口開拓指導が始まる。翌年1月までの計22日間で、当時の山口の会員世帯数を約10倍に拡大する弘教を達成した。※参考資料=『人間革命』第11巻「転機」

 

 ◎10・13 日蓮大聖人 御入滅

 1282年(弘安5)10月13日、日蓮大聖人は、武州池上(東京都大田区)の地で御入滅される。大聖人の正法正義を継承された日興上人が、身延の大聖人の墓所を厳護されることになる。※参考資料=『人間革命』第1巻「歯車」

 

 ◎10・13 牧口先生最後のハガキ

 牧口常三郎は、死の一カ月前、1944年(昭和19年)10月13日付で獄中から妻に宛てた、現存する最後のハガキに、次のように書きつづった。

 「……カントノ哲学ヲ精読シテ居ル。百年前、及ビ其後ノ学者共ガ、望ンデ、手ヲ着ケナイ『価値論』ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビツケ、下、数千人ニ実証シタノヲ見テ、自分ナガラ驚イテ居ル。コレ故、三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」※参考資料=『人間革命』第1巻「歯車」

 

 ◎10・15 熱原の三烈士 斬首

 1279年(弘安2年)年10月15日、熱原の農民信徒の中心的な存在であった神四郎弥五郎弥六郎が、平左衛門尉頼綱によって斬首される。

しかし、それでも農民たちは、一人として信仰を捨てようとはしなかった。毅然として唱題し続けたのだ。彼らの不屈の信仰に、頼綱は狼狽したにちがいない。結局、処刑は、三人で終わり、残った十七人は、追放処分となっている。※参考資料=『新・人間革命』第29巻「常楽」

 

 ◎10・18 民音創立61周年

 1963年(昭和38年)10月18日に行われた、民主音楽協会(民音)による初の記念演奏会に由来する。※参考資料=『新・人間革命』第8巻「清流」

 

 ◎10・21「母の曲」誕生46周年

 1978年(昭和53年)10月21日、本部幹部会で歌詞が発表。同月の婦人部代表幹部会の席上、曲の付いた「母の曲」が、白ゆり合唱団によって、披露・発表された。

 

 ◎10・24 社会部、幸福城部、農漁光部、専門部が結成51周

 1973年(昭和48年)10月24日、本部幹部会の席上、社会部、幸福城部(当時は団地部)、農漁光部(当時は農村部)、専門部の設置が発表された。この日は「社会部の日」となっている。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

 

2024年9月29日


〈9月〉

 

 ◎9・8「原水爆禁止宣言の日」原水爆禁止宣言67周年

 1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長の戸田城聖先生は、横浜・三ツ沢の競技場で「原水爆禁止宣言」を発表。“核兵器は絶対悪である”との思想を全世界に広めゆくことを、遺訓の第一として後継の青年に託した。※参考資料=小説『人間革命』第12巻「宣言」、『新・人間革命』第7巻「文化の華」「操舵」

 

 ◎9・8「日中国交正常化提言」発表56周年

 1968年(昭和43年)9月8日、第11回学生部総会の席上、池田大作先生は「日中国交正常化提言」を発表。本年で55周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「金の橋」、第20巻「友誼の道」

 

 ◎9・8 小説『新・人間革命』の新聞連載完結から6周年

 2018年(平成30年)9月8日、本紙で25年に及んだ『新・人間革命』の連載が完結。新聞の連載回数は、日本一の6469回(全30巻)を数えた。

 

 ◎映画「人間革命」上映51周年

 池田先生原作の映画「人間革命」が東京・有楽町の有楽座で1973年(昭和48年)9月8日、ロードショー公開された。その後、全国で上映。3年後には、映画「続・人間革命」も公開された。※参考資料=『新・人間革命』第18巻「師子吼」

 

 ◎9・9「女子学生部の日」

 1975年(昭和50年)9月9日、池田先生の女子部学生局(当時)の集いへの出席が淵源である。

 

 ◎9・9「北海道の日」

 50年前の1973年(昭和48年)9月9日、池田先生が出席して行われた第1回北海道青年部総会が原点。

 

 ◎9・12「教学部の日」

 1976年(昭和51年)制定1271年(文永8年)9月12日、日蓮大聖人が「竜の口の法難」に遭われ、発迹顕本を遂げられたことに由来する。

 

 ◎9・15「ドクター部の日」

 1975年(昭和50年)9月15日、池田先生がドクター部の総会に出席。後に、「ドクター部の日」となった。

 

 ◎9・21「熱原の法難」

 1279年(弘安2年)9月21日、熱原の農民信徒、神四郎・弥五郎・弥六郎等が無実の罪で幕府に捕縛される。民衆が大聖人と同じ心で迫害に耐え、信心の勝利を勝ち取っていけることを示した「弟子の闘争」の究極が、熱原の法難です。

 

 ◎9・23「少年少女部結成記念日」

 1965年(昭和40年)9月23日、池田先生の提案で結成された。

 

 ◎9・24 ハーバード大学での2度目の講演から31周年

 1993年(平成5年)9月24日、米ハーバード大学の要請で「21世紀文明と大乗仏教」と題し2度目の講演を行った(1度目は91年9月26日)。

 

 ◎9・25「牧口先生と戸田先生の最後の対面」81年

 1943年(昭和18年)9月25日は、軍部政府からの弾圧で囚われた牧口先生が、警視庁から巣鴨の東京拘置所に移送された日であり、牧口先生と戸田先生が、今生の最後の対面を刻まれた日である。

 

2023年8月17日

2024.9.1更新

 


〈8月〉

 

 ◎8・1 未来部歌「正義の走者」発表45周年

 1978年(昭和53年)8月1日付の聖教新聞に、池田大作先生作詞の新高等部歌「正義の走者」が発表。2010年(平成22年)に加筆され、未来部歌として歌い継がれている。55年前の1968年(昭和43年)8月8日には第1回高等部総会が開催され、池田先生は「使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」など5項目の指針を示す。

 

 ◎8・6 小説『新・人間革命』の起稿・脱稿の日

 8月6日は、池田先生が小説『新・人間革命』を起稿(1993年)し、脱稿(2018年)した日。執筆開始より30周年となる。起稿・脱稿とも長野研修道場で行われ、8月6日は「信越師弟誓願の日」に。

 

 ◎8・12「教育原点の日」

 1975年(昭和50年)8月12日、池田先生が教育部の夏季講習会に出席したことが淵源である。

 

 ◎8・14「関東の日」

 

 ◎8・14 戸田城聖先生・池田大作先生 師弟の出会い

 ◎8・24「池田先生入信記念日」

 1947年(昭和22年)8月14日、当時19歳の池田先生が、東京・蒲田での座談会に出席。生涯の師となる戸田城聖先生と出会い、10日後の8月24日に入信した。“師弟の出会いの日”である8月14日は、2000年(平成12年)8月、「関東の日」に。

 

 ◎8・24「聖教新聞創刊原点の日」

 戸田先生の事業が行き詰まる中、1950年(昭和25年)8月24日、「聖教新聞」創刊の構想を戸田先生と池田先生が語り合った。

 

 ◎8・24「壮年部の日」

 1976年(昭和51年)、池田先生の入信記念日である「8・24」が「壮年部の日」と定められた。

 

 ◎8・26「北陸の日」

 1984年(昭和59年)8月26日、池田先生は「第1回北陸平和文化祭」に出席。この日が「北陸の日」に。

 

 ◎8・29「国際部の日」

 1968年(昭和43年)8月29日、池田先生が通訳や翻訳に携わる友を激励したことが淵源となった。

 

 ◎8・31「学生部の日」

 1962年(昭和37年)8月31日、池田先生が学生部の代表に、「御義口伝」の講義を開始したことが淵源。

 

 ◎8・31「今日も元気で」発表

 1968年(昭和43年)8月31日、婦人部(当時)幹部会の席上、学会歌「今日も元気で」が発表された。

2024年7月31日


〈7月〉

 

 ◎7・3 戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日

 1945年(昭和20年)7月3日、軍部政府により投獄されていた戸田城聖先生が出獄した。また57年(同32年)の7月3日には、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田先生が、事実無根の選挙違反の容疑で大阪府警に不当逮捕された(62年1月25日に無罪判決)。※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第5巻「獅子」

 

 ◎7・3「東北の日」

 1987年(昭和62年)7月3日、池田先生が出席し、東北最高会議が行われたことが淵源である。

 

 ◎7・6 牧口先生、戸田先生の法難81年

 80年前の1943年(昭和18年)7月6日、牧口常三郎先生と戸田先生が、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反に問われ、逮捕される。牧口先生は翌年の11月18日、73歳で獄死された。※参考資料=『人間革命』第1巻「黎明」

 

 ◎7・8「白蓮グループの日」

 1966年(昭和41年)、池田先生が女子部の役員メンバーに「白蓮グループ」の名称を贈り、同年7月8日付の本紙で発表された。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「厳護」

 

 ◎7・11「男子部結成記念日」

 1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で戸田先生のもと百数十人が集い、男子部が結成された。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎7・12「東京大会」

 ◎7・17「大阪大会」

 1957年(昭和32年)7月3日の池田先生の不当逮捕を受け、同12日に「東京大会」、また先生が出獄した同17日に「大阪大会」が開催された。※参考資料=『人間革命』第11巻「大阪」

 

 ◎7・19「女子部結成記念日」

 女子部は1951年(昭和26年)7月19日、旧学会本部で戸田先生のもと結成された。2021年11月18日、女性部として新出発した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎7・22「鼓笛隊の日」

 1956年(昭和31年)7月22日、33人で鼓笛隊が結成された。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」

 

 ◎7・27「中部の日」

 1976年(昭和51年)7月27日、池田先生が中部記念幹部会に出席し、「中部旗」を授与したことが淵源。

2024年7月3日


〈6月〉

 

 ◎6・4「世界池田華陽会の日」

 2009年(平成21年)6月4日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町の現・創価池田華陽会館を初訪問し、「池田華陽会 永遠の五指針」を贈った。この日を慶祝して、「世界池田華陽会の日」が制定された。

 

 ◎6・6「初代会長・牧口常三郎先生誕生日」

 1871年(明治4年)6月6日、初代会長の牧口常三郎先生が、現在の新潟県柏崎市荒浜に生まれた。1928年(昭和3年)に日蓮大聖人の仏法に帰依。30年(同5年)11月18日、『創価教育学体系』第1巻を発刊。この日が創価学会(当時は創価教育学会)の創立記念日となった。戦時下、軍部政府による弾圧に抗して信仰を貫き、44年(同19年)11月18日、獄中で73歳の生涯を閉じた。※参考資料=小説『新・人間革命』第2巻「勇舞」、第15巻「開花」

 

 ◎6・7「高等部結成記念日」60周年

 1964年(昭和39年)6月7日、東京の各本部(当時)で高等部結成式が行われた。東京第2本部の男子高等部結成式には池田先生が出席し、参加者と共に勤行を。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

 ◎6・10「婦人部結成記念日」

 1951年(昭和26年)6月10日、第2代会長に就任したばかりの戸田城聖先生のもとに、婦人の代表52人が集い、結成された。戸田先生は席上、「白ゆりの/香りも高き/集いかな/心の清き/友どちなれば」との和歌を詠み贈った。昨年の5月3日、70年の歴史を昇華し、婦人部が女性部として新出発した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎6・25「団地部の日」

 1978年(昭和53年)6月25日、団地部の第1回全国大会が開催。これを記念して、「団地部の日」に定められた。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

 

 ◎6・27「未来会の日」

 1970年(昭和45年)6月27日、現・神奈川研修道場に高等部・中等部・少年少女部の代表が集い、東京未来会第1期が結成。以後、全国に未来会が誕生していった。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「大河」

 

 ◎6・28牧口先生 最期の直諫

 1943年(昭和18年)6月28日 牧口先生、宗門に国家諌暁を直諫する。

 牧口常三郎は、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」との、この遺誡置文の御精神のうえから、「神札は絶対に受けません」と答えたのである。当時、牧口は国民の塗炭の苦しみに胸を痛め、国家神道を精神の支柱として、戦争の泥沼に突き進む軍部政府に対して、国家諫暁する好機ととらえていた。しかし、それは、牧口個人ではなく、日蓮大聖人の法灯を受け継ぐ門流の代表者である法主がなすべきであり、そのことを僧侶が進言するのが筋であると考えていた。だが、宗門の僧侶に、その気はなかった。牧口はやむなく、六月二十八日、再度、登山すると、時の日恭法主に、国家諫暁に立ち上がるべきであることを直諫したのである。しかし、軍部政府の権力を、ひたすら恐れる法主には、国家諫暁など思いもよらなかったにちがいない。牧口の至誠の言が受け入れられることはなかった。そして、その直後の七月六日、牧口、戸田をはじめとする学会の幹部が、次々と逮捕されていったのである。大法難が学会を襲ったのだ。牧口の一門が逮捕されると、宗門は、慌てて学会を登山停止とした。関わりを恐れてのことである。※参考資料 新・人間革命 第2巻 「錬磨」

 

 ◎6・30「学生部」結成の日

 1957年(昭和32年)6月30日、戸田先生のもと、東京で学生部結成大会が行われた。北海道で人権闘争の指揮を執っていた池田先生が祝電を寄せた。本年は結成65周年の節目。※参考資料=『人間革命』第8巻「学徒」、第11巻「夕張」


〈5月〉

 

 ◎5・3「創価学会の日」

 1951年(昭和26年)5月3日、戸田城聖先生が第2代会長に就任。60年(同35年)5月3日には、32歳の池田大作先生が第3代会長に就き、広布誓願の師子吼を放った。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「烈日」、第12巻「新・黎明」

 

 ◎5・3「女性部結成記念日」

 2021年(令和3年)5月3日、婦人部・女子部の70年の歴史を昇華して、女性部が発足した。

 

 ◎5・3「創価学会母の日」

 1988年(昭和63年)4月27日の全国婦人部幹部会で池田先生が5月3日を「創価学会母の日」にと提案。 

  

 ◎5・3 SUA開学

 2001年(平成13年)5月3日、カリフォルニア州オレンジ郡にアメリカ創価大学(SUA)が開学。

 

 ◎5・5「創価学会後継者の日」

 1976年(昭和51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会の席上、「こどもの日」である同日を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。

 

 ◎「正義」「共戦」の揮毫45年

 1979年(昭和54年)、池田先生は神奈川で「共戦」(5月3日)、「正義」(同月5日)と揮毫した。

 

 ◎5・5 トインビー博士との初対談

 1972年(昭和47年)5月5日、池田先生は歴史学者トインビー博士と初対談。翌年5月にも語り合い、対談集『21世紀への対話』に結実した。

 

 ◎5・6 音楽隊結成70周年

 70年前の1954年(昭和29年)5月6日、音楽隊が結成。初出動の同月9日は、後に「音楽隊の日」に。

 

 ◎5・19「創価学会常住御本尊記念日」

 戸田先生が1951年(昭和26年)5月3日の会長就任式の席上、創価学会常住御本尊を発願。同月19日に、したためられた。※参考資料=『人間革命』第5巻「烈日」「随喜」

 

 ◎5・21「山光提言」40周年

 1984年(昭和59年)5月21日、池田先生は鳥取・島根の代表の集いで「山陰」を、光り輝く地の意義から「山光」と呼ぶことを提案。

 

 ◎5・30 池田先生の初訪中50周年

 1974年(昭和49年)5月30日、池田先生は中日友好協会の招へいを受けて中国を初訪問。※参考資料=『新・人間革命』第20巻「友誼の道」

2024年4月17日


〈4月〉

 

 ◎4・2「第2代会長・戸田城聖先生命日」

 1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」

 

 ◎4・2「創価大学開学の日」53周年

 池田大作先生は、師の構想の実現に全生命を注ぎ、1971年(昭和46年)4月2日、創価大学が開学した。78年4月9日には東京創価小学校で第1回入学式が挙行。幼稚園から大学までの創価一貫教育が完成して、本年で46周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」、第27巻「若芽」

 

 ◎4・2「第2総東京の日」

 幾重にも深い意義を刻む4月2日は、「第2総東京の日」に定められている。

 

 ◎4・8「関西の日」

 1956年(昭和31年)4月8日に行われた、大阪・堺2支部連合総会が淵源。池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教と「まさかが実現」の勝利史を刻む「大阪の戦い」は、ここからさらに勢いを増した。※参考資料=『人間革命』第10巻「跳躍」

 

 ◎4・14 「池田先生第三代会長就任決意の日」 

 1960(昭和35)年4月14日の朝が明けた。

 小西は、懇々と、会長就任を願う、皆の一途な思いを訴えた。その言葉には、有無を言わせぬ気迫があった。 「戸田先生は、会長就任を避けていた間に、誤った宗教がはびこってしまったと、深く反省しておられましたが、山本先生が辞退されている限り、広宣流布は遅れてしまいます。それでよろしいのでしょうか!」 伸一は、答えに窮した。万事休すであった。 「戸田先生も、あなたを第三代会長にと思い、心に誓って、訓練されてきたことは、あなたも、よくご存じのはずです。私たちも、戸田先生の遺言として知っております。会長推戴は、広宣流布を願っての全幹部の要請です。お引き受けください」 もはや、承諾せざるを得なかった。「それほどの皆さんのお話なら……」 こう言いかけた瞬間、小西の目が輝いた。 「よろしいのですね! ありがとうございます。これで学会も、大飛躍を遂げることができます。同志も喜びます」<人間革命> 第12巻 新・黎明 476~477

 

 ◎4・20「聖教新聞創刊記念日」

 1951年(昭和26年)4月20日、聖教新聞が発行部数5000部、旬刊2ページ建てで創刊。65年7月に日刊化し、71年1月から現在の日刊12ページ建てに。聖教電子版へのアクセスは現在、215カ国・地域からとなるなど大発展した。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」、第14巻「大河」、第18巻「師子吼」

 

 ◎4・24 「池田先生第三代会長勇退の日」 45周年

 1979年(昭和54年)4月24日、この日、私は、十九年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。

 全国の、いや、全世界の同志は、その発表に、愕然として声をのんだ。

 その背後には、悪辣なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。

 なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。

 ※参考資料  1999.4.27 随筆 新・人間革命 嵐の「4・24」 断じて忘るな! 学会精神を

 

 ◎4・25 仙台・青葉城址の語らいから70周年

 70年前の1954年(昭和29年)4月25日、戸田先生と池田先生は宮城・仙台市の青葉城址を訪れた。戸田先生はその際、「学会は、人材をもって城となすのだ」と語った。

 

 ◎4・26「世界平和の碑」の除幕式40周年

 1984年(昭和59年)4月26日、恩納村の沖縄研修道場に完成した「世界平和の碑」の除幕式が行われた。本年で40周年。米軍の核ミサイルの発射台跡が、池田先生の提案で「平和の象徴」となった。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」

 

 ◎4・28「立宗の日」771周年

 1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。本年で770周年を迎える。※参考資料=『人間革命』第6巻「七百年祭」

 

 ◎4・28『日蓮大聖人御書全集』発刊

 1952年(昭和27年)4月28日、戸田先生の発願により『日蓮大聖人御書全集』が発刊。2021年11月18日には池田先生の監修のもと『日蓮大聖人御書全集 新版』が刊行された。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」、第6巻「七百年祭」

2024年3月23日


〈3月〉

 

 ◎3・5「壮年部結成記念日」

 1966年(昭和41年)3月5日、池田大作先生のもと、学会本部に750人の代表が集い、壮年部が結成。先生は“壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です”と期待を寄せた。※参考資料=小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」

 

 ◎3・8「芸術部の日」

 1962年(昭和37年)3月8日、「文化の世紀」の到来を見据え、池田先生のもと、20人で発足したのが芸術部の淵源である。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「光城」

 

 ◎3・11「小樽問答記念日」69周年

 1955年(昭和30年)3月11日、北海道小樽市の公会堂で、創価学会と日蓮宗(身延派)との法論が行われた。若き池田先生が司会を務め、第一声で相手を圧倒。学会側が完全勝利した。※参考資料=『人間革命』第9巻「発端」「小樽問答」

 

 ◎3・16「広宣流布記念の日」

 1957年(昭和32年)12月、第2代会長・戸田城聖先生の生涯の願業である75万世帯の弘教が達成。翌58年3月上旬、戸田先生は池田先生に「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をやろう」と提案した。同年3月16日、6000人の青年部が集い、“広宣流布の記念式典”が開かれた。戸田先生は「創価学会は、宗教界の王者である」と師子吼し、広布のバトンを青年に託した。本年で66周年。※参考資料=『人間革命』第12巻「後継」

 

 ◎3・21「九州の日」

 1973年(昭和48年)3月21日、池田先生は第1回九州青年部総会に出席し、“生涯、誠実を貫き、立派に大成して輝かしい人生勝利を”とスピーチした。※参考資料=『新・人間革命』第25巻「薫風」

 

 ◎3・22「関西青年平和文化祭」

 1982年(昭和57年)3月22日、大阪・長居陸上競技場で第1回関西青年平和文化祭が開催。関西魂を象徴する六段円塔が立った。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」

 

 ◎3・30 池田先生の青年部の室長就任70周年

 1954年(昭和29年)3月30日、池田先生が青年部の室長に就任。学会全体の企画・運営を担い立ち、全国各地で拡大の金字塔を打ち立てた。本年で70周年。

 

 ◎3・31「教育本部の日」

 2002年(平成14年)3月31日に、教育本部が発足したことが淵源である。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「人間教育」

2024年2月21日


〈2月〉

 

 ◎「二月闘争」

 1952年(昭和27年)2月、24歳の池田大作先生が蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成。第2代会長・戸田城聖先生の誕生月を拡大の金字塔で荘厳した。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「驀進」、『新・人間革命』第3巻「平和の光」

 

 ◎2・1「牙城会結成記念日」

 1971年(昭和46年)、各地で会館を自主的に警備していた青年部のグループが統一され、全国的な人材育成機関として「牙城会」が結成された。新体制で任務がスタートした2月1日が結成日となった。

 

 ◎2・3 図書贈呈運動50周年

 1974年(昭和49年)2月3日、沖縄・西表島の竹富町立大原中学校への創価学会の図書贈呈式が、池田先生が出席し、石垣島で行われた。これまで1300を超える教育施設に、計56万冊以上の書籍を届けてきた。

 

 ◎2・8「沖縄の日」50周年

 50年前の1974年(昭和49年)2月8日、池田先生は沖縄広布20周年記念総会に参加。席上、「沖縄を幸福と平和建設の模範の島に」と力強く語った。※参考資料=『新・人間革命』第19巻「虹の舞」

 

 ◎2・9 「民音(民主音楽協会)の日」

 創立者・池田大作先生が、民音の設立構想を示した日である。

 先生は、63年前の1961年(昭和36年)1月末から2月にかけ、戦禍に苦しんだアジアを歴訪。インドを経てビルマ(現・ミャンマー)の土を踏んだ。ビルマは、先生の長兄が戦争で命を落とした地。先生は恒久平和を誓い、戦没者の慰霊碑の前で深い祈りをささげた。

 そしてビルマからタイへと移動した2月9日、同行の幹部に語った。「真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか」。この構想をもとに、2年後の63年10月18日に誕生したのが、民音である。

 

 ◎2・11 戸田先生の生誕の日

 戸田先生は1900年(明治33年)2月11日、現在の石川県加賀市塩屋町で生まれた。苦学して北海道の小学校教員となった後、上京。初代会長・牧口常三郎先生に出会い、牧口先生と共に創価教育学会(現在の創価学会)を創立した。戦後、学会を再建し、51年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任。75万世帯の弘教達成など、広布の永遠の基盤を築いた。

 

 ◎2・11「戸田記念国際平和研究所」設立

 1996年(平成8年)2月11日、戸田先生の生誕96周年を記念し、戸田記念国際平和研究所が発足した。

 

 ◎2・11「国際部結成の日」

 国際部は1971年(昭和46年)2月11日、国際舞台で活躍していた代表50人で発足。2002年(平成14年)に国際本部へと発展した。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」

 

 ◎2・16 日蓮大聖人聖誕の日

 1222年(貞応元年)2月16日に、安房小湊の貫名重忠邸に生まれる。幼名善日麿。「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん 明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」(清澄寺大衆中、全893㌻)

 

 ◎2・17「農漁光部の日」

 1977年(昭和52年)2月17日、学会本部で開催された農村部(当時)の第1回勤行会を記念して「部の日」が制定。2011年(平成23年)に農漁光部となった。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

2024年1月15日


〈1月〉

 

 ◎1・1『人間革命』連載開始

 1965年(昭和40年)元日、池田大作先生が法悟空のペンネームでつづった小説『人間革命』の連載が聖教新聞紙上で開始。93年2月11日に連載回数1509回(全12巻)で完結。続編の『新・人間革命』は2018年9月8日、6469回(全30巻)で完結した。

 

 ◎1・2 「池田先生の生誕の日」 96歳

 1928(昭和3)年1月2日生まれ。東京府荏原郡入新井町(現在の東京都大田区大森北)で生まれる。海苔屋の伜として生まれ、幼時を糀谷で過ごした。父は子之吉、母は一。8人きょうだいの五男。

 

 ◎1・3 池田先生の日本正学館初出勤から75周年

 75年前の1949年(昭和24年)1月3日、池田先生が、戸田城聖先生の経営する出版社・日本正学館に初出勤する。5月には、少年雑誌「冒険少年」の編集長に就任した。※参考資料=『人間革命』第3巻「結実」

 

 ◎1・10~15 雪の秋田指導

 1982年(昭和57年)1月10日からの6日間、池田先生は、障魔の嵐に耐えた秋田の友に渾身の励ましを送った。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」

 

 ◎1・14「さんふらわあ7」号で四国の同志が師のもとへ

 1980年(昭和55年)1月14日、第1次宗門事件の渦中、四国4県の代表約800人が客船「さんふらわあ7」号に乗り、池田先生の待つ神奈川へ。同年5月にも2度、訪れている。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈上〉「雌伏」

 

 ◎1・15「中等部結成記念日」

 1965年(昭和40年)1月15日、中等部結成を記念する集いが全国で行われた。

 

 ◎1・24「水俣の日」50周年

 50年前の1974年(昭和49年)1月24日、池田先生が第1回「水俣友の集い」に出席したことが淵源。

 

 ◎1・25「大阪事件」無罪判決

 1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は参院大阪地方区の補欠選挙における事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕され、同年7月17日に出獄。62年1月25日、大阪地裁の無罪判決が出た。同年2月8日、検察は控訴を断念し、無罪が確定した。

 

 ◎1・26「SGIの日」

 1975年(昭和50年)1月26日、グアムに世界51カ国・地域の代表が集まって開かれた第1回「世界平和会議」で、「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足した。

 

 ◎1・27 通信員制度発足70周年

 1954年(昭和29年)1月27日、聖教新聞社に通信員制度が発足。この日、信濃町の旧学会本部で初の通信員会議が行われた。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「大河」

2023年12月21日


2023年


〈12月〉

 

 ◎12・2 小説『人間革命』の執筆開始

 1964年(昭和39年)12月2日、池田大作先生は小説『人間革命』の執筆を、太平洋戦争で凄惨な地上戦の舞台となった沖縄の地で開始した(翌65年の元日付から聖教新聞紙上で連載)。『人間革命』全12巻は完結まで28年余り。聖教新聞での連載は、1509回を数えた。続く小説『新・人間革命』は全30巻。連載回数は6469回を重ね、日本の新聞小説史上、最多に。両小説は、各言語に翻訳され、学会の“精神の正史”として、日本はもちろん、世界の友に勇気と希望を送っている。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「衆望」

 

 ◎12・2「文芸部の日」

 1964年(昭和39年)12月2日、小説『人間革命』の執筆開始が淵源。池田先生は文芸部の結成の際、“人々に最大に貢献するのだという信念をもち、文筆の分野で大いに活躍を”と期待を寄せた。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」

 

 ◎12・5 池田先生が中国の周恩来総理と会見

 1974年(昭和49年)12月5日、池田先生は第2次訪中の最後の夜、中国の周恩来総理と北京の305病院で歴史的な会見を行った。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「金の橋」、第20巻「信義の絆」

 

 ◎12・11「創価学会永遠の五指針」発表から20周年

 2003年(平成15年)12月11日、代表協議会の席上、池田先生が21世紀の広宣流布を展望して、「創価学会永遠の五指針」を発表。戸田城聖先生が示された三指針に2項目が加えられ、「一家和楽の信心」「幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」となった。

 

 ◎12・22「統監部の日」

 1952年(昭和27年)12月22日、戸田先生のもと、地方統監部が設置された。※参考資料=『人間革命』第6巻「離陸」

 

 ◎「75万世帯の弘教」成就

 1957年(昭和32年)12月13日、戸田先生の願業である「75万世帯の弘教」の成就が聖教新聞で発表。同25日に行われた本部幹部会では、76万5000世帯となったことが報告された。第2代会長に就任した戸田先生が「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」と叫ばれた時、学会員は実質3000余にすぎなかった。池田先生が拡大の歴史を切り開いていく中、6年7カ月で成就した。※参考資料=『人間革命』第12巻「憂愁」

2023年11月30日

 


〈11月〉

 

 11・2「東京富士美術館」開館40周年

 1983年(昭和58年)11月2日、創立者・池田大作先生を迎え、東京富士美術館の開館式が行われた。翌3日にオープン。本年で40周年となる。

 

 ◎11・3「創価文化の日」

 人間文化の創造を目指し、学会では「文化の日」の11月3日を「創価文化の日」と定めている。

 

 ◎11・5「男子部の日」

 1961年(昭和36年)11月5日、東京・国立競技場で第10回男子部総会を開催。54年(同29年)に第2代会長・戸田城聖先生が「国士訓」で呼び掛けた“精鋭10万人”の結集を実現した。「国士訓」発表時、約1万人だった男子部は、池田大作先生を中心に怒濤の拡大を開始し、同総会までに35万人の陣容に。※参考資料=小説『新・人間革命』第5巻「勝利」

 

 ◎11・6「四国の日」

 1987年(昭和62年)11月6日、池田先生が長編詩「青き天地 四国讃歌」を四国の友に贈ったことを記念して定められた。本年で36周年。

 

 ◎11・12「女子部の日」

 1961年(昭和36年)11月12日、横浜・三ツ沢の競技場に、各地から8万5000人が集い、第9回女子部総会を開催。51年(同26年)に74人の参加者で結成された女子部は、10年で飛躍的な発展を遂げた。※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」

 

 ◎11・13 学会本部の信濃町移転70周年

 70年前の1953年(昭和28年)11月13日、東京・西神田から現在の信濃町へ学会本部が移転した。

 

 ◎11・15「池田大作先生ご命日」安祥として霊山に

 2023年11月15日 SGI(創価学会インタナショナル)会長の池田大作先生が15日夜半、老衰のため、東京・新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた。95歳のご生涯であった。

 

 ◎11・15「地域部の日」

 1987年(昭和62年)11月15日に行われた第1回総会が淵源。

 

 ◎11・18「創価学会創立記念日」

 1930年(昭和5年)11月18日、初代会長の牧口常三郎先生は、戸田先生と共に『創価教育学体系』第1巻を発刊。発刊日の11月18日が、後に創価学会の創立記念日となった。また、2013年(平成25年)の同日、池田先生の発願・命名による「広宣流布大誓堂」が東京・信濃町に建設された。※参考資料=『新・人間革命』第23巻「敢闘」、第27巻「正義」

 

 ◎11・18「広宣流布大誓堂」完成10周年

 2013年(平成25年)、池田先生の発願・命名による「広宣流布大誓堂」が信濃町に建設され、本年で10周年の「11・18」となる。

 

 ◎11・18「創価学園創立記念日」

 1967年(昭和42年)11月18日が創価学園の創立記念日。本年で56周年。翌68年(同43年)、東京に創価中学校・高校が開校した。※参考資料=『新・人間革命』第12巻「栄光」

 

 ◎11・28「魂の独立記念日」

 創価の師弟を分断し、学会を破壊しようと陰謀を巡らせた宗門は、1991年(平成3年)11月28日付で、学会に「破門通告書」を送付。その日は、広布の前進を妨げる宗門からの栄えある解放の日となり、学会が世界宗教へ飛翔する「魂の独立記念日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」、第30巻〈下〉「誓願」

2023年10月25日


〈10月〉

 

 ◎10・1「学術部の日」

 1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上での、池田大作先生のてい談「生命論」の連載開始が淵源。

 

 ◎10・2「世界平和の日」

 1960年(昭和35年)10月2日、恩師・戸田城聖先生の構想実現のため、池田先生が初の海外訪問へ出発。北・南米へ世界広布の第一歩が踏み出された。その日が後に「世界平和の日」に。

 

 ◎10・5 池田先生の欧州初訪問

 1961年(昭和36年)10月5日、池田先生が欧州を初訪問。9カ国を回る平和旅で、欧州広布の礎が築かれた。※参考資料=『新・人間革命』第4巻「大光」

 

 ◎10・7「勝利島部の日」45周年

 1978年(昭和53年)10月7日、約120の島の友が集った離島本部(当時)の第1回総会を記念して、「離島部の日」が制定。後に「勝利島部の日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第28巻「勝利島」

 

 ◎10・8「中国・師弟原点の日」

 1956年(昭和31年)10月8日、青年部の室長だった池田先生は岡山を初訪問し、中国方面に広宣流布の第一歩をしるした。

 

 ◎10・9「山口開拓指導」開始の日

 1956年(昭和31年)10月9日、池田先生は山口へ。戸田先生の命を受け、山口開拓指導が始まる。翌年1月までの計22日間で、当時の山口の会員世帯数を約10倍に拡大する弘教を達成した。※参考資料=『人間革命』第11巻「転機」

 

 ◎10・13 日蓮大聖人 御入滅

 1282年(弘安5)10月13日、日蓮大聖人は、武州池上(東京都大田区)の地で御入滅される。大聖人の正法正義を継承された日興上人が、身延の大聖人の墓所を厳護されることになる。※参考資料=『人間革命』第1巻「歯車」

 

 ◎10・13 牧口先生最後のハガキ

 牧口常三郎は、死の一カ月前、1944年(昭和19年)10月13日付で獄中から妻に宛てた、現存する最後のハガキに、次のように書きつづった。

 「……カントノ哲学ヲ精読シテ居ル。百年前、及ビ其後ノ学者共ガ、望ンデ、手ヲ着ケナイ『価値論』ヲ私ガ著ハシ、而カモ上ハ法華経ノ信仰ニ結ビツケ、下、数千人ニ実証シタノヲ見テ、自分ナガラ驚イテ居ル。コレ故、三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」※参考資料=『人間革命』第1巻「歯車」

 

 ◎10・15 熱原の三烈士 斬首

 1279年(弘安2年)年10月15日、熱原の農民信徒の中心的な存在であった神四郎弥五郎弥六郎が、平左衛門尉頼綱によって斬首される。

しかし、それでも農民たちは、一人として信仰を捨てようとはしなかった。毅然として唱題し続けたのだ。彼らの不屈の信仰に、頼綱は狼狽したにちがいない。結局、処刑は、三人で終わり、残った十七人は、追放処分となっている。※参考資料=『新・人間革命』第29巻「常楽」

 

 ◎10・18 民音創立60周年

 1963年(昭和38年)10月18日に行われた、民主音楽協会(民音)による初の記念演奏会に由来する。※参考資料=『新・人間革命』第8巻「清流」

 

 ◎10・21「母の曲」誕生45周年

 1978年(昭和53年)10月21日、本部幹部会で歌詞が発表。同月の婦人部代表幹部会の席上、曲の付いた「母の曲」が、白ゆり合唱団によって、披露・発表された。

 

 ◎10・24 社会部、幸福城部、農漁光部、専門部が結成50周

 1973年(昭和48年)10月24日、本部幹部会の席上、社会部、幸福城部(当時は団地部)、農漁光部(当時は農村部)、専門部の設置が発表された。この日は「社会部の日」となっている。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

 

2023年9月26日

 


〈9月〉

 

 ◎9・8「原水爆禁止宣言の日」原水爆禁止宣言66周年

 1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長の戸田城聖先生は、横浜・三ツ沢の競技場で「原水爆禁止宣言」を発表。“核兵器は絶対悪である”との思想を全世界に広めゆくことを、遺訓の第一として後継の青年に託した。※参考資料=小説『人間革命』第12巻「宣言」、『新・人間革命』第7巻「文化の華」「操舵」

 

 ◎9・8「日中国交正常化提言」発表55周年

 1968年(昭和43年)9月8日、第11回学生部総会の席上、池田大作先生は「日中国交正常化提言」を発表。本年で55周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「金の橋」、第20巻「友誼の道」

 

 ◎9・8 小説『新・人間革命』の新聞連載完結から5周年

 2018年(平成30年)9月8日、本紙で25年に及んだ『新・人間革命』の連載が完結。新聞の連載回数は、日本一の6469回(全30巻)を数えた。

 

 ◎映画「人間革命」上映50周年

 池田先生原作の映画「人間革命」が東京・有楽町の有楽座で1973年(昭和48年)9月8日、ロードショー公開された。その後、全国で上映。3年後には、映画「続・人間革命」も公開された。※参考資料=『新・人間革命』第18巻「師子吼」

 

 ◎9・9「女子学生部の日」

 1975年(昭和50年)9月9日、池田先生の女子部学生局(当時)の集いへの出席が淵源である。

 

 ◎9・9「北海道の日」

 50年前の1973年(昭和48年)9月9日、池田先生が出席して行われた第1回北海道青年部総会が原点。

 

 ◎9・12「教学部の日」

 1976年(昭和51年)制定1271年(文永8年)9月12日、日蓮大聖人が「竜の口の法難」に遭われ、発迹顕本を遂げられたことに由来する。

 

 ◎9・15「ドクター部の日」

 1975年(昭和50年)9月15日、池田先生がドクター部の総会に出席。後に、「ドクター部の日」となった。

 

 ◎9・21「熱原の法難」

 1279年(弘安2年)9月21日、熱原の農民信徒、神四郎・弥五郎・弥六郎等が無実の罪で幕府に捕縛される。民衆が大聖人と同じ心で迫害に耐え、信心の勝利を勝ち取っていけることを示した「弟子の闘争」の究極が、熱原の法難です。

 

 ◎9・23「少年少女部結成記念日」

 1965年(昭和40年)9月23日、池田先生の提案で結成された。

 

 ◎9・24 ハーバード大学での2度目の講演から30周年

 1993年(平成5年)9月24日、米ハーバード大学の要請で「21世紀文明と大乗仏教」と題し2度目の講演を行った(1度目は91年9月26日)。

 

 ◎9・25「牧口先生と戸田先生の最後の対面」80年

 1943年(昭和18年)9月25日は、軍部政府からの弾圧で囚われた牧口先生が、警視庁から巣鴨の東京拘置所に移送された日であり、牧口先生と戸田先生が、今生の最後の対面を刻まれた日である。

 

2023年8月17日

2023.9.21追加

 


〈8月〉

 

 ◎8・1 未来部歌「正義の走者」発表45周年

 1978年(昭和53年)8月1日付の聖教新聞に、池田大作先生作詞の新高等部歌「正義の走者」が発表。2010年(平成22年)に加筆され、未来部歌として歌い継がれている。55年前の1968年(昭和43年)8月8日には第1回高等部総会が開催され、池田先生は「使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」など5項目の指針を示す。

 

 ◎8・6 小説『新・人間革命』の起稿・脱稿の日

 8月6日は、池田先生が小説『新・人間革命』を起稿(1993年)し、脱稿(2018年)した日。執筆開始より30周年となる。起稿・脱稿とも長野研修道場で行われ、8月6日は「信越師弟誓願の日」に。

 

 ◎8・12「教育原点の日」

 1975年(昭和50年)8月12日、池田先生が教育部の夏季講習会に出席したことが淵源である。

 

 ◎8・14「関東の日」

 ◎8・24「池田先生入信記念日」

 1947年(昭和22年)8月14日、当時19歳の池田先生が、東京・蒲田での座談会に出席。生涯の師となる戸田城聖先生と出会い、10日後の8月24日に入信した。“師弟の出会いの日”である8月14日は、2000年(平成12年)8月、「関東の日」に。

 

 ◎8・24「聖教新聞創刊原点の日」

 戸田先生の事業が行き詰まる中、1950年(昭和25年)8月24日、「聖教新聞」創刊の構想を戸田先生と池田先生が語り合った。

 

 ◎8・24「壮年部の日」

 1976年(昭和51年)、池田先生の入信記念日である「8・24」が「壮年部の日」と定められた。

 

 ◎8・26「北陸の日」

 1984年(昭和59年)8月26日、池田先生は「第1回北陸平和文化祭」に出席。この日が「北陸の日」に。

 

 ◎8・29「国際部の日」

 1968年(昭和43年)8月29日、池田先生が通訳や翻訳に携わる友を激励したことが淵源となった。

 

 ◎8・31「学生部の日」

 1962年(昭和37年)8月31日、池田先生が学生部の代表に、「御義口伝」の講義を開始したことが淵源。

 

 ◎8・31「今日も元気で」55周年

 1968年(昭和43年)8月31日、婦人部(当時)幹部会の席上、学会歌「今日も元気で」が発表された。

2023年7月26日


〈7月〉

 

 ◎7・3 戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日

 1945年(昭和20年)7月3日、軍部政府により投獄されていた戸田城聖先生が出獄した。また57年(同32年)の7月3日には、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田先生が、事実無根の選挙違反の容疑で大阪府警に不当逮捕された(62年1月25日に無罪判決)。※参考資料=小説『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第5巻「獅子」

 

 ◎7・3「東北の日」

 1987年(昭和62年)7月3日、池田先生が出席し、東北最高会議が行われたことが淵源である。

 

 ◎7・6 牧口先生、戸田先生の法難80年

 80年前の1943年(昭和18年)7月6日、牧口常三郎先生と戸田先生が、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反に問われ、逮捕される。牧口先生は翌年の11月18日、73歳で獄死された。※参考資料=『人間革命』第1巻「黎明」

 

 ◎7・8「白蓮グループの日」

 1966年(昭和41年)、池田先生が女子部の役員メンバーに「白蓮グループ」の名称を贈り、同年7月8日付の本紙で発表された。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「厳護」

 

 ◎7・11「男子部結成記念日」

 1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で戸田先生のもと百数十人が集い、男子部が結成された。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎7・12「東京大会」

 ◎7・17「大阪大会」

 1957年(昭和32年)7月3日の池田先生の不当逮捕を受け、同12日に「東京大会」、また先生が出獄した同17日に「大阪大会」が開催された。※参考資料=『人間革命』第11巻「大阪」

 

 ◎7・19「女子部結成記念日」

 女子部は1951年(昭和26年)7月19日、旧学会本部で戸田先生のもと結成された。2021年11月18日、女性部として新出発した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎7・22「鼓笛隊の日」

 1956年(昭和31年)7月22日、33人で鼓笛隊が結成された。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」

 

 ◎7・27「中部の日」

 1976年(昭和51年)7月27日、池田先生が中部記念幹部会に出席し、「中部旗」を授与したことが淵源。

2023年6月21日


〈6月〉

 

 ◎6・4「世界池田華陽会の日」

 2009年(平成21年)6月4日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町の現・創価池田華陽会館を初訪問し、「池田華陽会 永遠の五指針」を贈った。この日を慶祝して、「世界池田華陽会の日」が制定された。

 

 ◎6・6「初代会長・牧口常三郎先生誕生日」

 1871年(明治4年)6月6日、初代会長の牧口常三郎先生が、現在の新潟県柏崎市荒浜に生まれた。1928年(昭和3年)に日蓮大聖人の仏法に帰依。30年(同5年)11月18日、『創価教育学体系』第1巻を発刊。この日が創価学会(当時は創価教育学会)の創立記念日となった。戦時下、軍部政府による弾圧に抗して信仰を貫き、44年(同19年)11月18日、獄中で73歳の生涯を閉じた。※参考資料=小説『新・人間革命』第2巻「勇舞」、第15巻「開花」

 

 ◎6・7「高等部結成記念日」

 1964年(昭和39年)6月7日、東京の各本部(当時)で高等部結成式が行われた。東京第2本部の男子高等部結成式には池田先生が出席し、参加者と共に勤行を。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

 ◎6・10「婦人部結成記念日」

 1951年(昭和26年)6月10日、第2代会長に就任したばかりの戸田城聖先生のもとに、婦人の代表52人が集い、結成された。戸田先生は席上、「白ゆりの/香りも高き/集いかな/心の清き/友どちなれば」との和歌を詠み贈った。昨年の5月3日、70年の歴史を昇華し、婦人部が女性部として新出発した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎6・25「団地部の日」

 1978年(昭和53年)6月25日、団地部の第1回全国大会が開催。これを記念して、「団地部の日」に定められた。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

 

 ◎6・27「未来会の日」

 1970年(昭和45年)6月27日、現・神奈川研修道場に高等部・中等部・少年少女部の代表が集い、東京未来会第1期が結成。以後、全国に未来会が誕生していった。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「大河」

 

 ◎6・30「学生部」結成の日

 1957年(昭和32年)6月30日、戸田先生のもと、東京で学生部結成大会が行われた。北海道で人権闘争の指揮を執っていた池田先生が祝電を寄せた。本年は結成65周年の節目。※参考資料=『人間革命』第8巻「学徒」、第11巻「夕張」


〈5月〉

 

 ◎5・3「創価学会の日」

 1951年(昭和26年)5月3日、生涯の願業として75万世帯の弘教を掲げ、戸田城聖先生が第2代会長に就任。60年(同35年)5月3日には、32歳の池田大作先生が第3代会長に就き、広布誓願の師子吼を放った。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「烈日」、第12巻「新・黎明」

 

 ◎5・3「女性部結成記念日」

 2021年(令和3年)5月3日、婦人部・女子部の70年の歴史を昇華して、女性部が発足。池田先生は同部の誕生を祝し、「生命の/世紀の太陽/女性部よ/平和の門を/開き照らせや」との和歌を贈った。

 

 ◎5・3「創価学会母の日」35周年

 1988年(昭和63年)4月27日の全国婦人部幹部会で池田先生が5月3日を「創価学会母の日」にと提案。同年から実施され、35周年。

 

 ◎5・3 SUA開学

 2001年(平成13年)5月3日、米カリフォルニア州オレンジ郡にアメリカ創価大学(SUA)が開学。※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」

 

 ◎5・5「創価学会後継者の日

 1976年(昭和51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会の席上、「こどもの日」である同日を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。

 

 ◎5・5 トインビー博士との初対談

 1972年(昭和47年)5月5日、池田先生は歴史学者A・J・トインビー博士と、ロンドンの博士の自宅で初めて対談。翌年5月にも語り合い、対談集『21世紀への対話』(邦題)に結実した。これまでに世界31言語で出版。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」

 

 ◎5・9「音楽隊の日」

 1954年(昭和29年)5月6日に結成された音楽隊が同月9日に初出動したことが淵源。

 

 ◎5・19「創価学会常住御本尊記念日」

 戸田先生が1951年(昭和26年)5月3日の会長就任式の席上、創価学会常住御本尊を発願。同月19日に、したためられた。※参考資料=『人間革命』第5巻「烈日」「随喜」

 

 ◎5・30 池田先生の初訪中

 1974年(昭和49年)5月30日、池田先生は中日友好協会の招聘を受けて中国を初訪問。※参考資料=『新・人間革命』第20巻「友誼の道」

 

2023年4月22日


〈4月〉

 

 ◎4・2「第2代会長・戸田城聖先生命日」

 1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」

 

 ◎4・2「創価大学開学の日」

 池田大作先生は、師の構想の実現に全生命を注ぎ、1971年(昭和46年)4月2日、創価大学が開学した。78年4月9日には東京創価小学校で第1回入学式が挙行。幼稚園から大学までの創価一貫教育が完成して、本年で45周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」、第27巻「若芽」

 

 ◎4・2「第2総東京の日」

 幾重にも深い意義を刻む4月2日は、「第2総東京の日」に定められている。

 

 ◎4・8「関西の日」

 1956年(昭和31年)4月8日に行われた、大阪・堺2支部連合総会が淵源。池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教と「まさかが実現」の勝利史を刻む「大阪の戦い」は、ここからさらに勢いを増した。※参考資料=『人間革命』第10巻「跳躍」

 

 ◎4・20「聖教新聞創刊記念日」

 1951年(昭和26年)4月20日、聖教新聞が発行部数5000部、旬刊2ページ建てで創刊。65年7月に日刊化し、71年1月から現在の日刊12ページ建てに。聖教電子版へのアクセスは現在、215カ国・地域からとなるなど大発展した。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」、第14巻「大河」、第18巻「師子吼」

 

 ◎4・28「立宗の日」770周年

 1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。本年で770周年を迎える。※参考資料=『人間革命』第6巻「七百年祭」

 

 ◎4・28『日蓮大聖人御書全集』発刊

 1952年(昭和27年)4月28日、戸田先生の発願により『日蓮大聖人御書全集』が発刊。2021年11月18日には池田先生の監修のもと『日蓮大聖人御書全集 新版』が刊行された。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」、第6巻「七百年祭」

 

2023年3月25日


〈3月〉

 

 ◎3・5「壮年部結成記念日」

 1966年(昭和41年)3月5日、池田大作先生のもと、学会本部に750人の代表が集い、壮年部が結成。先生は“壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です”と期待を寄せた。※参考資料=小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」

 

 ◎3・8「芸術部の日」

 1962年(昭和37年)3月8日、「文化の世紀」の到来を見据え、池田先生のもと、20人で発足したのが芸術部の淵源である。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「光城」

 

 ◎3・10「特別文化講座」20周年

 20年前の2003年(平成15年)3月10日、創価大学で創立者による第1回特別文化講座「人間ゲーテを語る」が開催された。

 

 ◎3・11「小樽問答記念日」

 1955年(昭和30年)3月11日、北海道小樽市の公会堂で、創価学会と日蓮宗(身延派)との法論が行われた。若き池田先生が司会を務め、第一声で相手を圧倒。学会側が完全勝利した。※参考資料=『人間革命』第9巻「発端」「小樽問答」

 

 ◎3・16「広宣流布記念の日」65周年

 1957年(昭和32年)12月、第2代会長・戸田城聖先生の生涯の願業である75万世帯の弘教が達成。翌58年3月上旬、戸田先生は池田先生に「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をやろう」と提案した。同年3月16日、6000人の青年部が集い、“広宣流布の記念式典”が開かれた。戸田先生は「創価学会は、宗教界の王者である」と師子吼し、広布のバトンを青年に託した。本年で65周年。※参考資料=『人間革命』第12巻「後継」

 

 ◎3・21「九州の日」

 1973年(昭和48年)3月21日、池田先生は第1回九州青年部総会に出席し、“生涯、誠実を貫き、立派に大成して輝かしい人生勝利を”とスピーチした。※参考資料=『新・人間革命』第25巻「薫風」

 

 ◎3・22「関西青年平和文化祭」

 1982年(昭和57年)3月22日、大阪・長居陸上競技場で第1回関西青年平和文化祭が開催。関西魂を象徴する六段円塔が立った。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」

 

 ◎3・31「教育本部の日」

 2002年(平成14年)3月31日に、教育本部が発足したことが淵源である。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「人間教育」

 

2023年2月20日


〈2月〉

 

 ◎「二月闘争」

 1952年(昭和27年)2月、24歳の池田大作先生が蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成。最前線の組織単位である「組」(現在のブロック)に焦点を当て、第2代会長・戸田城聖先生の誕生月を拡大の金字塔で荘厳した。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「驀進」、『新・人間革命』第3巻「平和の光」

 

 ◎2・8「沖縄の日」

 1974年(昭和49年)2月8日、池田先生は沖縄広布20周年記念総会に参加。席上、「沖縄を幸福と平和建設の模範の島に」と力強く語った。※参考資料=『新・人間革命』第19巻「虹の舞」

 

 ◎2・11 戸田先生の生誕の日

 戸田先生は、1900年(明治33年)2月11日、現在の石川県加賀市塩屋町で生まれた。苦学して北海道の小学校教員となった後、上京。初代会長・牧口常三郎先生に出会い、牧口先生と共に創価教育学会(現在の創価学会)を創立した。戦後、学会を再建し、51年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任し、75万世帯の弘教達成など、広布の永遠の基盤を築いた。

 

 ◎2・11 小説『人間革命』の連載完結から30周年

 1993年(平成5年)2月11日、小説『人間革命』の連載が1509回で完結。本年で30周年となる。

 

 

 ◎2・11「国際部結成の日」

 国際部は1971年(昭和46年)2月11日、国際舞台で活躍していた代表50人で発足。同部は、2002年(平成14年)に国際本部へと発展した。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」

 

 ◎2・16 日蓮大聖人聖誕の日

 1222年(貞応元年)2月16日に、安房小湊の貫名重忠邸に生まれる。幼名善日麿。「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん 明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」(清澄寺大衆中、全893㌻)

 

 ◎2・17「農漁光部の日」

 1977年(昭和52年)2月17日、学会本部で開催された農村部(当時)の第1回勤行会を記念して「部の日」が制定された。同部はその後、農漁村部に発展。2011年(平成23年)に農漁光部となった。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

 

 ◎2・23 池田先生の50カ国・地域目の海外訪問から30周年

 30年前の1993年(平成5年)2月、池田先生が南米のコロンビア、アルゼンチン、パラグアイを初訪問。23日にはチリを訪れ、海外への歴訪は、50カ国・地域となった。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」

 

2023年1月19日


〈1月〉

 

 ◎1・1 小説『人間革命』連載開始

 1965年(昭和40年)元日、池田大作先生が法悟空のペンネームでつづった小説『人間革命』の連載が聖教新聞紙上で開始。93年2月11日に連載回数1509回(全12巻)で完結。続編の『新・人間革命』は2018年9月8日、6469回(全30巻)で完結した。※参考資料=小説『新・人間革命』第9巻「衆望」

 

 ◎1・2 池田先生の男子部第1部隊長就任70周年

 1953年(昭和28年)1月2日、25歳の池田先生が男子部の第1部隊長に就任。翌54年3月までに、部員数を当初の4倍近くにまで拡大した。2023年で就任70周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第17巻「民衆城」

 

 ◎1・10~15 雪の秋田指導

 1982年(昭和57年)1月10日からの6日間、池田先生は障魔の嵐に耐えた秋田の友のもとへ。渾身の励ましを送り、正義の勝ち鬨を上げた。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」

 

 ◎1・14「さんふらわあ7」号で四国の同志が師のもとへ

 1980年(昭和55年)1月14日、第1次宗門事件の渦中、四国4県の代表約800人が客船「さんふらわあ7」号に乗り、池田先生の待つ神奈川へ。同年5月にも2度、訪れている。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈上〉「雌伏」

 

 ◎1・15「中等部結成記念日」

 1965年(昭和40年)1月15日、中等部結成を記念する集いが全国で行われた。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

 ◎1・25「大阪事件」無罪判決

 1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は参院大阪地方区の補欠選挙における事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕され、7月17日に出獄。4年半の法廷闘争の末、62年1月25日、大阪地裁の無罪判決が出た。同年2月8日、検察は控訴を断念し、無罪が確定した。※参考資料=『新・人間革命』第5巻「獅子」

 

 ◎1・26「SGIの日」

 1975年(昭和50年)1月26日、グアムに世界51カ国・地域の代表が集まって開かれた第1回「世界平和会議」で、「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足し、池田先生がSGI会長に就任した。この日に寄せ、先生は83年から毎年、記念提言を発表している。※参考資料=『新・人間革命』第21巻「SGI」

 

 ◎1・29 中東初訪問

 1962年(昭和37年)1月29日、池田先生が初の中東訪問へ出発。同30日、イランのテヘランに第一歩を。※参考資料=『新・人間革命』第6巻「宝土」「遠路」

 

2022年12月24日

 


2022年


〈12月〉

 

 ◎12・2 小説『人間革命』の執筆開始

 1964年(昭和39年)12月2日、池田大作先生は小説『人間革命』の執筆を、太平洋戦争で凄惨な地上戦の舞台となった沖縄の地で開始した(翌65年の元日付から聖教新聞紙上で連載)。『人間革命』全12巻は完結まで28年余り。聖教新聞での連載は、1509回を数えた。その後、小説『新・人間革命』を25年にわたり執筆し、全30巻で完結した。連載回数は『人間革命』『新・人間革命』を合わせ、通算7978回。これは、日本の新聞小説史上、最多の連載回数である。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「衆望」

 

 ◎12・2「文芸部の日」

 小説『人間革命』の執筆開始が淵源。池田先生は文芸部の結成の際、“人々に最大に貢献するのだという信念をもち、文筆の分野で大いに活躍を”と期待を寄せた。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」

 

 ◎12・5 池田先生が中国の周恩来総理と会見

 1974年(昭和49年)12月5日、池田先生は第2次訪中の最後の夜、中国の周恩来総理と北京の305病院で歴史的な会見を行った。がんの闘病中だった周総理が「池田会長には、どんなことがあっても会わねばならない」と、医師団の反対を押し切り、一期一会の出会いが実現した。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「金の橋」、第20巻「信義の絆」

 

 ◎12・22「統監部の日」70周年

 1952年(昭和27年)12月22日、戸田城聖先生のもと、地方統監部が設置された。前年に戸田先生が第2代会長に就任して以降、学会は飛躍的に会員が増加。勢いよく伸展する各地の状況を正確に把握し、対応することで、広布拡大の基盤となってきた。本年で70周年。※参考資料=『人間革命』第6巻「離陸」

 

 ◎「75万世帯の弘教」成就から65周年

 1957年(昭和32年)12月13日、戸田先生の願業である「75万世帯の弘教」の成就が聖教新聞で発表。同25日に行われた本部幹部会では、76万5000世帯となったことが報告された。第2代会長に就任した戸田先生が「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」と叫ばれた時、学会員は実質3000余にすぎなかった。池田先生が東京の大田、文京をはじめ、札幌、大阪、山口と、一番大変なところに飛び込み、拡大の歴史を切り開いていく中、6年7カ月で成就した。※参考資料=『人間革命』第12巻「憂愁」

2022年11月24日

〈11月〉

 

 ◎11・3「創価文化の日」

 人間文化の創造を目指し、学会では「文化の日」の11月3日を「創価文化の日」と定めている。

 

 ◎11・5「男子部の日」

 1961年(昭和36年)11月5日、東京・国立競技場で第10回男子部総会を開催。54年(同29年)に第2代会長・戸田城聖先生が「国士訓」で呼び掛けた“精鋭10万人”の結集を実現した。「国士訓」発表時、約1万人だった男子部は、池田大作先生を中心に怒濤の拡大を開始し、同総会までに35万人の陣容に。※参考資料=小説『新・人間革命』第5巻「勝利」

 

 ◎11・6「四国の日」35周年

 1987年(昭和62年)11月6日、池田先生が長編詩「青き天地 四国讃歌」を四国の友に贈ったことを記念して定められた。本年で35周年。

 

 ◎11・12「女子部の日」

 1961年(昭和36年)11月12日、横浜・三ツ沢の競技場に、各地から8万5000人が集い、第9回女子部総会を開催。51年(同26年)に74人の参加者で結成された女子部は、10年で飛躍的な発展を遂げた。※参考資料=『新・人間革命』第5巻「勝利」

 

 ◎11・15「地域部の日」

 1987年(昭和62年)11月15日に行われた第1回総会が淵源。

 

 ◎11・18「創価学会創立記念日」

 1930年(昭和5年)11月18日、初代会長の牧口常三郎先生は、戸田先生と共に『創価教育学体系』第1巻を発刊。発刊日の11月18日が、後に創価学会の創立記念日となった。また、2013年(平成25年)の同日、池田先生の発願・命名による「広宣流布大誓堂」が東京・信濃町に建設された。※参考資料=『新・人間革命』第23巻「敢闘」、第27巻「正義」

 

 ◎11・18「創価学園創立記念日」55周年

 1967年(昭和42年)11月18日が創価学園の創立記念日。本年で55周年。翌68年(同43年)、東京に創価中学校・高校が開校した。※参考資料=『新・人間革命』第12巻「栄光」

 

 ◎11・28「魂の独立記念日」

 創価の師弟を分断し、学会を破壊しようと陰謀を巡らせた宗門は、1991年(平成3年)11月28日付で、学会に「破門通告書」を送付。その日は、広布の前進を妨げる宗門からの栄えある解放の日となり、学会が世界宗教へ飛翔する「魂の独立記念日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」、第30巻〈下〉「誓願」

2022年10月19日

〈10月〉

 

 ◎10・1「学術部の日」50周年

 1972年(昭和47年)10月1日発行の「大白蓮華」誌上での、池田大作先生のてい談「生命論」(後に『生命を語る』として出版)の連載開始が淵源。本年で50周年を迎える。

  

 ◎10・2「世界平和の日」

 1960年(昭和35年)10月2日、恩師・戸田城聖先生の構想実現のため、池田先生が初の海外訪問へ出発。北・南米へ世界広布の第一歩が踏み出された。その日が、後に「世界平和の日」に。

 ※参考資料=小説『新・人間革命』第1巻「旭日」、第24巻「母の詩」

  

 ◎10・5 池田先生の欧州初訪問

 1961年(昭和36年)10月5日、池田先生が欧州を初訪問。9カ国を回る平和旅で、欧州広布の礎が築かれた。

 ※参考資料=『新・人間革命』第4巻「大光」

  

 ◎10・7「勝利島部の日」

 1978年(昭和53年)10月7日、約120の島の友が集った離島本部(当時)の第1回総会を記念して、「離島部の日」が制定。後に「勝利島部の日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第28巻「勝利島」

 

 ◎10・8「中国・師弟原点の日」

 1956年(昭和31年)10月8日、青年部の室長だった池田先生は岡山を初訪問し、中国方面に広宣流布の第一歩をしるした。

  

 ◎10・9「山口開拓指導」開始の日

 1956年(昭和31年)10月9日、池田先生は山口へ。戸田先生の命を受け、山口開拓指導が始まる。翌年1月までの計22日間で、当時の山口の会員世帯数を約10倍に拡大する弘教を達成した。

 ※参考資料=『人間革命』第11巻「転機」

 

 ◎10・18「民音創立記念日」

 1963年(昭和38年)10月18日に行われた、民主音楽協会(民音)による初の記念演奏会に由来する。

 ※参考資料=『新・人間革命』第8巻「清流」

  

 ◎10・24「社会部の日」

 1973年(昭和48年)10月24日、職場・職域を同じくする同志が、自身を磨き、互いの成長を図ることを目的に結成された。

 ※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

  

 ◎10・30「クーデンホーフ=カレルギー伯爵との初会談」55周年

 1967年(昭和42年)10月30日、池田先生は“欧州統合の父”クーデンホーフ=カレルギー伯爵と東京・信濃町で初の会談を。本年が55周年。

 

2022年9月24日

〈9月〉

 

 ◎9・8「原水爆禁止宣言の日」

 1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長の戸田城聖先生は、横浜・三ツ沢の競技場で「原水爆禁止宣言」を発表。本年で65周年となる。“核兵器は絶対悪である”との思想を全世界に広めゆくことを、遺訓の第一として後継の青年に託した。創価学会はこの宣言を平和運動の原点とし、核兵器廃絶への展示・講演会、署名運動や被爆・戦争体験集の出版等、人々の意識を啓発する活動を世界各地で続けてきた。※参考資料=小説『人間革命』第12巻「宣言」、『新・人間革命』第7巻「文化の華」「操舵」

 

 ◎9・8「日中国交正常化提言」発表の日

 1968年(昭和43年)9月8日、第11回学生部総会の席上、池田大作先生は「日中国交正常化提言」を発表。“アジアの繁栄と世界平和のため、その最も重要な要”として、日本と中国の関係改善を訴えた。また本年は1972年(同47年)9月29日の日中国交正常化から50周年の節目。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「金の橋」、第20巻「友誼の道」

 

 ◎9・8 小説『新・人間革命』の新聞連載完結の日

 2018年(平成30年)9月8日、本紙で25年に及んだ『新・人間革命』の連載が完結。新聞の連載回数は、日本一の6469回(全30巻)を数えた。

 

 ◎9・9「女子学生部の日」

 1975年(昭和50年)9月9日、池田先生の女子部学生局(当時)の集いへの出席が淵源。※参考資料=『新・人間革命』第22巻「波濤」

 

 ◎9・9「北海道の日」

 1973年(昭和48年)9月9日、池田先生が出席して行われた第1回北海道青年部総会が淵源。席上、池田先生は“学会健児の手で、この地を世界一の理想郷に”と訴えた。

 

 ◎9・12「教学部の日」

 1976年(昭和51年)制定。1271年(文永8年)9月12日、日蓮大聖人が「竜の口の法難」に遭われ、発迹顕本を遂げられたことに由来する。

 

 ◎9・15「ドクター部の日」

 1975年(昭和50年)9月15日、池田先生がドクター部の総会に出席。後に、この日が「ドクター部の日」となった。※参考資料=『新・人間革命』第22巻「命宝」

 

 ◎9・23「少年少女部結成記念日」

 1965年(昭和40年)9月23日、池田先生の提案で結成された。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

 ◎9・25「牧口先生と戸田先生の最後の対面」

 1943年(昭和18年)の9月25日は、軍部政府からの弾圧で囚われた牧口先生が、警視庁から巣鴨の東京拘置所に移送された日であり、牧口先生と戸田先生が、今生の最後の対面を刻まれた日である。

 

〈8月〉

 

 ◎8・6 小説『新・人間革命』の起稿・脱稿の日

 8月6日は、池田大作先生が小説『新・人間革命』を起稿(1993年)し、脱稿(2018年)した日。同小説は海外13言語に翻訳され、24カ国・地域で出版されている。起稿・脱稿とも長野研修道場で行われ、8月6日は「信越師弟誓願の日」に定められている。

 

 ◎8・8 荒川「夏季ブロック指導」

 ブロックの充実を図るため、1957年(昭和32年)8月8日から14日の1週間、「夏季ブロック指導」が行われることになったのである。先生は、荒川区の最高責任者に就いた。

 

 ◎8・12「教育原点の日」

 1975年(昭和50年)8月12日、池田先生が教育部の夏季講習会に出席したことが淵源。教育部が「教育本部」へ拡充された2002年(平成14年)に「教育原点の日」となった。※参考資料=小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」

 

 ◎8・14 戸田先生・池田先生の師弟の出会い75周年

 ◎8・14「関東の日」

 ◎8・24 池田先生入信75周年

 1947年(昭和22年)8月14日、当時19歳の池田先生が、東京・蒲田での座談会に出席。生涯の師となる戸田城聖先生と出会い、10日後の8月24日に入信した。本年で75周年となる。“師弟の出会いの日”である8月14日は、2000年(平成12年)8月、「関東の日」に。※参考資料=『人間革命』第2巻「地涌」

 

 ◎8・24「聖教新聞創刊原点の日」

 戸田先生の事業が行き詰まる中、1950年(昭和25年)8月24日、「聖教新聞」創刊の構想を戸田先生と池田先生が語り合った。

 

 ◎8・24「壮年部の日」

 1976年(昭和51年)、池田先生が出席した副会長室会議で、先生の入信記念日である「8・24」が「壮年部の日」と定められた。

 

 ◎8・26「北陸の日」

 1984年(昭和59年)8月26日、池田先生は「第1回北陸平和文化祭」に出席。この日が「北陸の日」に制定された。

 

 ◎8・28 葛飾「広布師弟原点の日」

 葛飾に全国に先駆けて模範のブロックをと、池田先生が初代総ブロック長に就任1957年(昭和32年)8月28日の本部幹部会で、都内各区に総ブロック制を敷く。

 

 ◎8・29「国際部の日」

 1968年(昭和43年)8月29日、池田先生が通訳や翻訳に携わる友を激励したことが淵源。その後、「国際部」が発足し、2002年(平成14年)に「国際本部」へと拡充された。

 

 ◎8・31「学生部の日」

 1962年(昭和37年)8月31日、池田先生が学生部の代表に対し、「御義口伝」の講義を開始。本年で60周年となる。講義は約5年間続き、多くの人材が輩出された。※参考資料=『新・人間革命』第6巻「若鷲」

〈7月〉

 

 ◎7・1「札幌大会」

 ◎7・2「夕張大会」

 65年前の1957年(昭和32年)7月、池田大作先生は学会員の信教の自由を圧迫した北海道・夕張炭労に対し、「札幌大会」(1日)、「夕張大会」(2日)を開催。民衆勝利の大道が開かれた。※参考資料=小説『人間革命』第11巻「波瀾」「夕張」

 

 ◎7・3 戸田先生出獄の日、池田先生入獄の日

 1945年(昭和20年)7月3日、軍部政府により不敬罪、治安維持法違反に問われ、投獄されていた戸田城聖先生が出獄した。また57年(同32年)の7月3日には、参議院大阪地方区の補欠選挙で支援の責任者であった池田先生が、事実無根の選挙違反の容疑で大阪府警に不当逮捕された(62年1月25日に無罪判決)。※参考資料=『人間革命』第1巻「黎明」、第11巻「大阪」、『新・人間革命』第5巻「獅子」

 

 ◎7・3「東北の日」35周年

 35年前の1987年(昭和62年)7月3日、池田先生が出席し、東北最高会議が行われたことが淵源である。

 

 ◎7・6「牧口先生不当逮捕」

 1943年(昭18年)7月6日、牧口常三郎先生、伊豆・下田で、官憲に不当逮捕される。1944年(昭和19年)11月18日73歳で獄死される。

 

 ◎7・8「白蓮グループの日」

 1966年(昭和41年)、池田先生が女子部の役員メンバーに「白蓮グループ」の名称を贈り、同年7月8日付の本紙で発表された。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「厳護」

 

 ◎7・11「男子部結成記念日」

 1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で戸田先生のもと百数十人が集い、男子部が結成された。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎7・12「東京大会」

 ◎7・17「大阪大会」

 1957年(昭和32年)7月3日の池田先生の不当逮捕を受け、同12日に「東京大会」、また先生が出獄した同17日に「大阪大会」が開催された。

 

 ◎7・19「女子部結成記念日」

 女子部は1951年(昭和26年)7月19日、旧学会本部で戸田先生のもと結成された。2021年(令和3年)11月18日、女性部として新出発した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎7・22「鼓笛隊の日」

 1956年(昭和31年)7月22日、33人で鼓笛隊が結成された。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「使命」

 

 ◎7・27「中部の日」

 1976年(昭和51年)7月27日、池田先生が中部記念幹部会に出席し、「中部旗」を授与したことが淵源。

〈6月〉

 

 ◎6・4「世界池田華陽会の日」

 2009年(平成21年)6月4日、池田大作先生ご夫妻が東京・信濃町の現・創価池田華陽会館を初訪問し、「池田華陽会 永遠の五指針」を贈った。この日を慶祝して、「世界池田華陽会の日」が制定された。

 

 ◎6・6「初代会長・牧口常三郎先生誕生日」

 1871年(明治4年)6月6日、初代会長の牧口常三郎先生が、現在の新潟県柏崎市荒浜に生まれた。1928年(昭和3年)に日蓮大聖人の仏法に帰依。30年(同5年)11月18日、『創価教育学体系』第1巻を発刊。この日が創価学会(当時は創価教育学会)の創立記念日となった。戦時下、軍部政府による弾圧に抗して信仰を貫き、44年(同19年)11月18日、獄中で73歳の生涯を閉じた。※参考資料=小説『新・人間革命』第2巻「勇舞」、第15巻「開花」

 

 ◎6・7「高等部結成記念日」

 1964年(昭和39年)6月7日、東京の各本部(当時)で高等部結成式が行われた。東京第2本部の男子高等部結成式には池田先生が出席し、参加者と共に勤行を。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

 ◎6・10「婦人部結成記念日」

 1951年(昭和26年)6月10日、第2代会長に就任したばかりの戸田城聖先生のもとに、婦人の代表52人が集い、結成された。戸田先生は席上、「白ゆりの/香りも高き/集いかな/心の清き/友どちなれば」との和歌を詠み贈った。昨年の5月3日、70年の歴史を昇華し、婦人部が女性部として新出発した。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」

 

 ◎6・25「団地部の日」

 1978年(昭和53年)6月25日、団地部の第1回全国大会が開催。これを記念して、「団地部の日」に定められた。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

 

 ◎6・27「未来会の日」

 1970年(昭和45年)6月27日、現・神奈川研修道場に高等部・中等部・少年少女部の代表が集い、東京未来会第1期が結成。以後、全国に未来会が誕生していった。※参考資料=『新・人間革命』第14巻「大河」

 

 ◎6・30「学生部」結成65周年

 1957年(昭和32年)6月30日、戸田先生のもと、東京で学生部結成大会が行われた。北海道で人権闘争の指揮を執っていた池田先生が祝電を寄せた。本年は結成65周年の節目。※参考資料=『人間革命』第8巻「学徒」、第11巻「夕張」

〈5月〉

 

 ◎5・3「創価学会の日」

 1951年(昭和26年)5月3日、生涯の願業として75万世帯の弘教を掲げ、戸田城聖先生が第2代会長に就任。60年(同35年)5月3日には、32歳の池田大作先生が第3代会長に就き、広布誓願の師子吼を放った。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「烈日」、第12巻「新・黎明」

 

 ◎5・3「女性部結成記念日」

 2021年(令和3年)5月3日、婦人部・女子部の70年の歴史を昇華して、女性部が発足。池田先生は同部の誕生を祝し、「生命の/世紀の太陽/女性部よ/平和の門を/開き照らせや」との和歌を贈った。

 

 ◎5・3「創価学会母の日」

 1988年(昭和63年)4月27日の全国婦人部幹部会で池田先生が5月3日を「創価学会母の日」にと提案。同年から実施された。

 

 ◎5・3 SUA開学

 2001年(平成13年)5月3日、米カリフォルニア州オレンジ郡にアメリカ創価大学(SUA)が開学。※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」

 

 ◎5・5「創価学会後継者の日」

 1976年(昭和51年)5月5日、関西戸田記念講堂で行われた鳳雛会・未来部の記念勤行会の席上、「こどもの日」を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。

 

 ◎5・5 トインビー博士との初対談から50周年

 50年前の1972年(昭和47年)5月5日、池田先生は歴史学者A・J・トインビー博士と、ロンドンの博士の自宅で初めて対談。翌年にも語り合い、対談集『21世紀への対話』(邦題)に結実した。これまでに世界31言語で出版。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」

 

 ◎5・9「音楽隊の日」

 1954年(昭和29年)5月6日に結成された音楽隊が初出動した同月9日が淵源。

 

 ◎5・19「創価学会常住御本尊記念日」

 戸田先生が1951年(昭和26年)5月3日の会長就任式の席上、創価学会常住御本尊を発願。同月19日に、したためられた。※参考資料=『人間革命』第5巻「烈日」「随喜」

 

 ◎5・30 池田先生の初訪中

 1974年(昭和49年)5月30日、池田先生は中日友好協会の招聘を受けて中国を初訪問。※参考資料=『新・人間革命』第20巻「友誼の道」

 

〈4月〉

 

 ◎4・2「第2代会長・戸田城聖先生命日」

 1958年(昭和33年)4月2日、第2代会長の戸田城聖先生が広布の一切の願業を成就し、58年の尊い生涯を閉じた。戦後の焦土に一人立ち、初代会長の牧口常三郎先生の遺志を継いで、学会の再建と75万世帯の折伏を達成した戸田先生。その偉大な足跡は、広布史に不滅の光彩を放っている。※参考資料=小説『人間革命』第12巻「寂光」「新・黎明」、『新・人間革命』第4巻「春嵐」

 

 ◎4・2「創価大学開学の日」

 1950年(昭和25年)11月、戸田先生は自らの会社が経営不振に陥るなどの窮地にあったが、池田大作先生に、創価大学の設立の希望を語り、その実現を託した。池田先生は師の構想の実現に全生命を注ぎ、71年4月2日、創価大学は開学した。※参考資料=『新・人間革命』第15巻「創価大学」

 

 ◎4・2「第2総東京の日」

 幾重にも意義を刻む4月2日は、「第2総東京の日」に定められている。

 

 ◎4・8「関西の日」

 1956年(昭和31年)4月8日に行われた、大阪・堺2支部連合総会が淵源。池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教と「まさかが実現」の勝利史を刻む「大阪の戦い」は、ここからさらに勢いを増した。※参考資料=『人間革命』第10巻「跳躍」

 

 ◎4・14第三代会長就任決意の日

 1960年(昭和35年)4月14日、池田先生が創価学会第三代会長就任を決意される。※参考資料=『人間革命』 第12巻 新・黎明 476頁~478頁

 

 ◎4・14第三代会長勇退決意の日 

 1979年(昭和54年)4月14日、池田先生が創価学会第三代会長勇退を決意される。 

 

 ◎4・20「聖教新聞創刊記念日」

 1951年(昭和26年)4月20日、聖教新聞が発行部数5000部、旬刊2ページ建てで創刊。65年7月に日刊化し、71年1月から現在の日刊12ページ建てに。聖教電子版には現在、210カ国・地域からアクセスがあるなど大きく発展した。※参考資料=『新・人間革命』第10巻「言論城」、第14巻「大河」、第18巻「師子吼」

 

 4・24第三代会長勇退の日 

 1979年(昭和54年)4月24日、池田先生が創価学会第三代会長を勇退される。※参考資料=『新・人間革命』 第30巻〔上〕大山 同巻〔下〕勝ち鬨

 

 ◎4・28「立宗の日」

 1253年(建長5年)4月28日、日蓮大聖人が32歳の時、末法の全民衆を救う根本の法である「南無妙法蓮華経」を唱え、立宗宣言した。※参考資料=『人間革命』第6巻「七百年祭」

 

 ◎4・28『日蓮大聖人御書全集』発刊70周年

 1952年(昭和27年)4月28日、戸田先生の発願により『日蓮大聖人御書全集』が発刊され、本年で70周年となる。2021年11月18日には『日蓮大聖人御書全集 新版』が刊行された。※参考資料=『人間革命』第5巻「随喜」、第6巻「七百年祭」

〈3月〉

 

◎3・5「壮年部結成記念日」

 1966年(昭和41年)3月5日、池田大作先生のもと、学会本部に750人の代表が集い、壮年部が結成。席上、先生は“学会精神を根本として、創価の城を支えゆく柱に”“壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です”と期待を寄せた。※参考資料=小説『新・人間革命』第10巻「桂冠」

 

◎3・8「芸術部の日」60周年

 1962年(昭和37年)3月8日、「文化の世紀」の到来を見据え、池田先生のもと、20人で発足したのが、芸術部の淵源である。本年で60周年。※参考資料=『新・人間革命』第13巻「光城」

 

◎3・11「小樽問答記念日」

 1955年(昭和30年)3月11日、北海道小樽市の公会堂で、創価学会と日蓮宗(身延派)の正邪を決する法論が行われた。青年部の室長だった池田先生が司会を務め、第一声で相手を圧倒。学会側の完全勝利に終わった。※参考資料=『人間革命』第9巻「発端」「小樽問答」

 

◎3・16「広宣流布記念の日」

 1957年(昭和32年)12月、第2代会長・戸田城聖先生の生涯の願業である75万世帯の弘教が達成。翌58年(同33年)3月上旬、戸田先生は池田先生に「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をやろう」と提案した。

 同年3月16日、青年部の精鋭6000人が集い、“広宣流布の記念式典”が開かれた。戸田先生は席上、「創価学会は、宗教界の王者である」と師子吼。広布のバトンを青年に託した。※参考資料=『人間革命』第12巻「後継」

 

◎3・21「九州の日」

 1973年(昭和48年)3月21日、池田先生は第1回九州青年部総会に出席し、“生涯、誠実を貫き、立派に大成して輝かしい人生勝利を”とスピーチした。※参考資料=『新・人間革命』第25巻「薫風」

 

◎3・22「関西青年平和文化祭」40周年

 1982年(昭和57年)3月22日、大阪・長居陸上競技場で第1回関西青年平和文化祭が開催。関西魂を象徴する不屈の六段円塔が打ち立てられた。本年で40周年。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」

 

◎3・31「教育本部の日」20周年

 20年前の2002年(平成14年)3月31日に、教育本部が発足したことが淵源。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「人間教育」

 

〈2月〉

 

◎「二月闘争」70周年

 1952年(昭和27年)2月、24歳の池田大作先生が蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、当時の支部の限界を打ち破る「201世帯」の弘教を達成。本年は70周年の節目。最前線の組織単位である「組」(現在のブロック)に焦点を当て、第2代会長・戸田城聖先生の誕生月を拡大の金字塔で荘厳した。※参考資料=小説『人間革命』第5巻「驀進」、『新・人間革命』第3巻「平和の光」

 

◎2・8「沖縄の日」

 1974年(昭和49年)2月8日、池田先生は沖縄広布20周年記念総会に参加。席上、「沖縄を幸福と平和建設の模範の島に」と力強く語った。※参考資料=『新・人間革命』第19巻「虹の舞」

 

◎2・11 戸田先生の生誕の日

 戸田先生は、

 1900年(明治33年)2月11日、現在の石川県加賀市塩屋町で生まれた。苦学して北海道の小学校教員となった後、上京。初代会長・牧口常三郎先生に出会い、牧口先生と共に創価教育学会(現在の創価学会)を創立した。戦後、学会を再建し、51年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任し、75万世帯の弘教達成など、広布の永遠の基盤を築いた。※参考資料=『仏法入門 任用試験のために』『新会員の友のために――創価学会入門』

 

◎2・11「戸田記念国際平和研究所」設立

 1996年(平成8年)2月11日、戸田先生の生誕96周年を記念し、戸田記念国際平和研究所が発足した。

 

◎2・11「国際部結成の日」

 国際部は

 1971年(昭和46年)2月11日、国際舞台で活躍していた代表50人で発足。2002年(平成14年)に国際本部へと発展し、本年で20周年となる。※参考資料=『新・人間革命』第16巻「対話」

 

◎2・16 日蓮大聖人聖誕の日

 1222年(貞応元年)2月16日に、安房小湊の貫名重忠邸に生まれる。幼名善日麿。「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん 明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」(清澄寺大衆中、全893㌻)

 

◎2・17 戸田先生の「地球民族主義」宣言から70周年

 1952年(昭和27年)2月17日に行われた青年部の研究発表会の席上、戸田先生が「地球民族主義」を自身の思想として宣言された。※参考資料=『人間革命』第5巻「驀進」

 

◎2・17「農漁光部の日」

 45年前(2022年1月現在)の

 1977年(昭和52年)2月17日、学会本部で開催された農村部(当時)の第1回勤行会を記念して「部の日」が制定された。同部はその後、農漁村部に発展。2011年(平成23年)に農漁光部となった。※参考資料=『新・人間革命』第24巻「灯台」

〈1月〉

 

1・2 池田先生が男子部の第1部隊長に就任

 1953年(昭和28年)1月2日、25歳の池田先生が男子部の第1部隊長に就任。翌54年3月までに、部員数を当初の4倍近くにまで拡大した。※参考資料=小説『新・人間革命』第17巻「民衆城」

  

1・10~15 雪の秋田指導

 1982年(昭和57年)1月10日からの6日間、池田先生は障魔の嵐に耐えた秋田の友のもとへ。渾身の励ましを送り、正義の勝ち鬨を上げた。2022年で40周年。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈下〉「勝ち鬨」

  

1・14「さんふらわあ7」号で四国の同志が師のもとへ

 1980年(昭和55年)1月14日、第1次宗門事件の渦中、四国4県の代表約800人が客船「さんふらわあ7」号に乗り、池田先生の待つ神奈川へ。同年5月にも2度、訪れている。※参考資料=『新・人間革命』第30巻〈上〉「雌伏」  

  

1・15「中等部結成記念日」

 1965年(昭和40年)1月15日、中等部結成を記念する集いが全国で行われた。※参考資料=『新・人間革命』第9巻「鳳雛」

 

1・25「大阪事件」無罪判決

 1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は参院大阪地方区の補欠選挙における事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕され、7月17日に出獄。4年半の法廷闘争の末、

 1962年(昭和37年)1月25日、大阪地裁の無罪判決が出た。同年2月8日、検察は控訴を断念し、無罪が確定。2022年で60周年。※参考資料=『新・人間革命』第5巻「獅子」

  

1・26「SGIの日」

 1975年(昭和50年)1月26日、グアムに世界51カ国・地域の代表が集まって開かれた第1回「世界平和会議」で、「SGI(創価学会インタナショナル)」が発足。池田先生はこの日に寄せ、83年から毎年、記念提言を発表している。※参考資料=『新・人間革命』第21巻「SGI」

  

1・27「東洋哲学研究所」発足

 1962年(昭和37年)1月27日、アジア文化等の研究機関として東洋学術研究所(現・東洋哲学研究所)が発足し、2022年で60周年。※参考資料=『新・人間革命』第6巻「宝土」

  

1・29 中東初訪問

 1962年(昭和37年)1月29日、池田先生が初の中東訪問へ出発。同30日、イランのテヘランに第一歩を。2022年で60周年。※参考資料=『新・人間革命』第6巻「宝土」「遠路」

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◎8・28 葛飾「初代総ブロック長」就任

 

勤行・唱題の実践

模範的なブロック

 

 「夜、葛飾ブロックの会合に出席」

 「体当たりで指導」(『若き日の日記』)

 ――1957年(昭和32年)9月25日

 29歳の池田先生は日記にとどめた。

 

 この日、東京・葛飾区の亀有で、総ブロックの結成大会が開催された。葛飾の初代総ブロック長に就任した先生は、自らの誓いをこう語った。

 「私が葛飾に来たのは、ただ任命を受けたからではありません。私はこの葛飾に、全国に先駆けて、模範的なブロックをつくるために来ました

 学会に、地域を基盤としたブロック制が敷かれたのは、55年(同30年)5月のことだった。新入会者が紹介者の組織に所属する「タテ線」に比べ、ブロックの連携は希薄で、毎週水曜日の「ブロックの日」は熱が入らない状況があった。ブロック組織の強化は課題となっていた。

 57年8月、ブロック強化を目的とした「夏季ブロック指導」が行われた。池田先生は、荒川区の最高責任者として指揮を執り、8日から14日の間で、二百数十世帯の弘教を成し遂げた。

 同月28日、本部幹部会が豊島公会堂(当時)で開催された。席上、従来のブロック制を改革し、東京23区に総ブロック制を設置することが発表される。新たな出発を開始する幹部会で、先生は「葛飾総ブロック長」の任命を受けた。

 総ブロック長の先生が、葛飾で呼び掛けたのは、信仰の基本である“勤行の実践”だった。結成大会で訴えた。

 「模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです

 「宿業の転換といっても、人間革命といっても、その一切の源泉は、勤行・唱題にほかなりません

 葛飾区の中には、先生が住んでいた大田区から2時間近くを要する地域もあった。青年部の室長として全国を東奔西走しながら、勇んで駆け付けた。

 

日本一の幸せあふれるわが地域に

 

戦おう。師の偉大さを、

世界に証明するために。

一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。

障魔の怒濤を乗り越えて。

「若き日の日記」1958年(昭和33年)4月29日から

 

 

 

模範の地域建設への実践

 

一、「誓願の祈り」

二、「御書根本」

三、「異体同心の団結」

「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「行学の闘士」の誉れ〉から

 

 

 

水曜日の男

 

 「自転車をかり、葛飾のブロックを回る」(『若き日の日記』、1957年10月30日)

 亀有、立石、金町、細田――池田先生は、時には自転車で、また時には同志のトラックに同乗し、訪問・激励や一対一の対話を重ねていった。

 先生は、「私は、皆さんにとっては、『水曜日の男』だね」と、ユーモアを込めて、葛飾の同志に語ったことがある。水曜日の「ブロックの日」を中心に、訪れることが多かったからである。

 葛飾の友にとって、水曜日は恩師の心を体現した池田先生から、広布の要諦を学ぶことができる絶好の機会だった。ある時、先生は葛飾のリーダーと共に個人指導に歩き、訪問・激励の心構えについて次のように語った。

 「もうこの人には二度と会えないかもしれません。ありったけの思いやりで、精いっぱい真心の指導・激励をしましょう。それが仏の使いです

 「指導とは思い切り聞いてあげることです

 

 先生は、“高みから教える”のではなく、“同じ目線”で同苦した。激励に当たって心肝に染めるべき御文として、「十法界明因果抄」の一節を拝した。

 「もし、自分が彼より立派であるという思いに耐え、乗り越えることができなければ、人を下に軽く見て、トンビのように高い所から人を見下げる行動をとってしまう」(新464・全430、趣意)

 自分が偉いと錯覚し、横柄な態度で会員に接することは、すでに仏法者ではないことを訴えたのである。

 

 また、励ましの“スピード”を重視した。ある時、悩みを抱えているメンバーの報告を聞くと、「よし、すぐ行こう」と、自転車に飛び乗った。後日、葛飾の同志が、そのメンバーの家を訪ねると、先生からの手紙が届いていた。皆、先生のこまやかな心配りに胸を熱くした。

 

 「思い切り聞く

 「スピード

 「心配り

 

 ――先生の慈愛の激励を通し、

 葛飾の同志は、“創価の励ましの魂”を身をもって学んだ。

 

 さらに、葛飾の友が、先生の姿から心に刻んだのは、誠実な振る舞いの大切さである。

 個人会場の近隣にある寿司屋から苦情が出たことがあった。会場に多くの同志が集い、騒がしく感じたのである。その報告を聞いた先生は、即座に店主のもとを訪ね、丁寧に事情を説明した。

 1958年(昭和33年)9月26日から27日にかけて、狩野川台風が日本を襲った。この台風によって、都内では30万戸以上が浸水の被害に遭った。葛飾でも多数の浸水家屋が出た。

 台風が近づいていた25日、先生は大阪事件の第8回公判に出廷。26日の帰路、台風で足止めに遭い、列車内で1泊する。27日、帰京すると、疲労の体を押して、葛飾へと向かったのである。

 

 

師弟直結

信心とは無疑曰信

 

 葛飾に到着した池田先生は、長靴に履き替えると、同志と共に中川の土手に足を運んだ。豪雨で足元が緩くなった土手沿いを見回り、土のうを積む人を見掛けると、ねぎらいの言葉を掛けた。

 先生には、学会員も会員でない人も、分け隔てはなかった。地域のために行動する人をたたえた。この行動こそ地域友好を開く要諦――葛飾の友は、先生の実践を模範とした。

 先生が葛飾で総ブロック長として指揮を執ったのは、1957年から59年(同34年)7月の約2年である。

 

 この間、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成に向けて死力を尽くした。「3・16」の“広宣流布の記念式典”など、恩師の戦いの総仕上げの時にあって、

 先生が葛飾で強調したのは「師弟直結」である。

 「皆さんと戸田先生との間には、なんの隔たりもありません。皆さん方一人ひとりが、その精神においては、本来、先生と直結しているんです

 池田先生の激励によって、葛飾の同志は、師匠・戸田先生に心を合わせ、自発能動の挑戦に奮い立っていった。

 58年(同33年)4月2日に恩師が逝去し、先生は同年6月から、総務として学会の舵取りを担った。

 激闘に次ぐ激闘の中、先生は葛飾に模範のブロック組織を築いていった。

 「葛飾のブロックに出席」

 「『佐渡御書』を講義」(同、58年5月28日)

 「夜、葛飾のブロックに出席」

 「『星落秋風五丈原』を歌いながら帰宅」(同、同年7月23日)

 

 59年7月に葛飾総ブロック長の役職を離れた後も、先生は葛飾の友を見守り続けた。その深い慈愛に包まれた葛飾は、地域広布の水かさを増し、60年(同35年)12月、3総ブロックへと発展した。

 先生は葛飾の青年たちに、大切な指針を残している。

 一つは、「無疑曰信」(疑い無きを信と曰う)。

 ある時、先生は男子部員に、「信心とは何ですか?」と質問した。「勝つことです」と答えるメンバーに、「間違いではないが」と前置きし、「信心とは無疑曰信です」と語った。

 もう一つは、扇子に揮毫した「断は確信に通ず」との言葉である。

 どんな困難が競い起こっても、広布の戦いをやり抜くとの決断。それこそが、自らの境涯を開き、人間革命を成し遂げる原動力である。

 今月、先生の葛飾総ブロック長就任から65周年の佳節を刻む。葛飾総ブロック結成大会で、先生は「この葛飾を、皆で力を合わせ、東京一、いな、日本一の、幸せあふれる地域に」と望んだ。その呼び掛けをわが誓願として、葛飾の同志は使命の天地を駆ける。

 葛飾は、先生が手作りで育んだ広布の天地――との誇りに燃えて。

 

2022年8月25日

〈君も立て 若き日の挑戦に学ぶ〉

第20回 葛飾総ブロック長 

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◎8・24 池田先生入信75周年

 1947年(昭和22年)8月14日

 

2022年8月24日

〈世界広布の源流 青年に語る創価の魂〉

第1回 池田先生の入信75周年㊤

 

学会が「地涌の義」を現実に

〈出席者〉

原田会長 

田島学生部長

先﨑女子学生部長

山下未来部長

山口女子未来部長

 

 ◆田島 本連載は、私たち青年・未来部が池田先生の行動と広布史を通して、創価の魂を心に刻む座談会です。開始に当たって、池田先生の足跡を学ぶ上で大切な点を教えてください。

 

 ◇原田 「眼光紙背に徹する」(書いてあることの言外の意味まで読み取る)という慣用句があります。

 池田先生は後世のために、学会の崇高な歴史と戸田先生の偉大なご生涯、さらにはご自身の足跡について、小説『人間革命』『新・人間革命』に記されています。大切なことは、書かれた背景や、小説に込められた思いに肉薄していくことです。

 池田先生は、世界の数多くの大学・学術機関から名誉学術称号を授与されています。また、世界の各都市からも名誉市民称号が贈られています。

 私たちの師匠は、「世界一」です。だからこそ、“先生と自分は違う”と自身の心に“壁”をつくるのではなく、“師の闘争の万分の一でも実践できる自分に成長しよう”と挑戦を重ねていくことです。

 

 ◆先﨑 24日は、池田先生が入信されて、75周年の佳節です。

 

 ◇原田 1947年(昭和22年)8月14日、19歳の池田先生は、東京・大田区の蒲田で行われた座談会で戸田先生と出会われます。

 池田先生が戸田先生に師事することを決定づけたのは、戦時中、恩師が先師・牧口先生と共に、軍部政府の弾圧によって投獄された事実を知ったことでした。「“この方なら信じられる!”と直感し、私は、師弟の道を歩み始めることができた」と深い尊敬と信頼を寄せます。

 座談会で、池田先生は「旅びとよ/いずこより来り」で始まる即興詩を詠まれました。このエピソードを、私が初めて知ったのは、『人間革命』第2巻「地涌」の章を目にした時です。

 連載当時、聖教新聞社の記者として、『人間革命』の編集を担当しており、先生の原稿をお預かりしていました。即興詩の場面の原稿を読んだ時、戸田先生と池田先生の宿縁深厚なる師弟の出会いに、深い感動を覚えました。

 192カ国・地域に広がる世界広布の源流は、この戸田先生と池田先生の師弟の出会いにあります。

 

最高に栄光ある 青春の生きゆく道

 ◆山下 池田先生は、「人間だけが師弟をもつことができる。師弟の道によって自分を高めていける。ここに人間の究極がある」と述べられています。先生は繰り返し、「師弟」の重要性を強調されてきました。

 

 ◇原田 1948年(昭和23年)9月、戸田先生の法華経講義の第7期受講生となった池田先生は、日記につづっています。入信から約1年後のことです。

 「若人よ、大慈悲を抱きて進め。若人よ、大哲理を抱きて戦え。吾れ、弱冠二十にして、最高に栄光ある青春の生きゆく道を知る」

 その年の大晦日には、「師と共に大白法を持し、勇敢にいどむのみ。永劫の平和のため、大聖人の至上命令により、宗教革命に、この生命を捧げるのみ」と書かれています。

 先生は、入信間もない頃から、戸田先生を師匠と定め、広布への“不惜身命の誓い”を心に定めていたのです。

 創価の師弟の関係は、「師匠が弟子を決める」のではありません。「弟子が師匠を決める」のです。ゆえに、弟子の戦いとは、心に師を抱き、自らが師に誓い、実証を示すことです。

 「諸法実相抄」には、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に唱えつたうるなり。未来もまたしかるべし。これ、あに地涌の義にあらずや」(新1791・全1360)とあります。日蓮大聖人の「地涌の義」を現実に開いてきた学会の民衆史の根幹は、“師弟の絆”にあることを忘れてはなりません。

 

 ◆山口 原田会長の「師弟の原点」について教えてください。

 

 ◇原田 池田先生との初めての出会いは、大学2年生の時でした。61年(同36年)9月14日のことです。当時の学会本部でお会いする機会があり、私たち学生にこう語られました。

 「古今東西の偉大な文学者にしても、哲学者にしても、その根底には、偉大な宗教があった」「君たちには、日蓮大聖人の大仏法哲学がある。しっかりと研さんし、立派に成長していきなさい」と。

 さらに、私自身の生涯の原点となっているのが、翌62年(同37年)8月31日からスタートした先生の「御義口伝」講義です。

 1回目の講義だったと記憶しています。「『経』とは一切衆生の言語音声を経と云うなり」(新984・全708)との一節を通して、「経というのは仏典だけではなく、宇宙の全ての言語、音声が経であり、さらに広げていえば、動作、行動も経となる」と述べられ、恩師との思い出を語られました。

 ――池田先生が戸田先生と都内を歩いていた時、有名な歌手の公演があり、人だかりができていた。その様子を見ながら、戸田先生は「歌い手が歌うのも、その人にとっての『経』だ。その『経』で、これだけの人を集めることができるのは、すごいことではないか」と。

 池田先生は、難解な「御義口伝」の内容を、私たちの生活に当てはめ、分かりやすく教えてくださいました。「御義口伝」講義を通しての青春時代の薫陶が、私の最大の誇りです。

 

「身口意の三業で読む」

 ◆田島 今月31日は、池田先生の「御義口伝」講義開始から60周年の佳節であり、同講義を淵源とした「学生部の日」でもあります。本年、学生部は「御義口伝」を年間拝読御書として行学錬磨を重ねてきました。8月28日には、伝統の教学実力試験を各地で開催します。

 

 ◇原田 11月には教学部任用試験が行われます。“先駆の学生部”から、日蓮仏法の研さんの息吹を、さらに広げていっていただきたい。

 「御義口伝」講義の折、池田先生は御書を学ぶ姿勢を、3点にわたって示されました。

 一点目は、「御書は朗々と、力強く、暗記するぐらい拝読していく」こと。

 二点目は、「御書は経文であるから、一語一語、『その通りである』と自覚しながら読んでいく」こと。

 三点目が、「身口意の三業で読む」こと。御書をわが身で具体的に実践し、「身読」していくことが、何より重要です。

 

 ◆先﨑 24日は、「聖教新聞創刊原点の日」です。

 

 ◇原田 戸田先生の事業が最大の苦境に立たされていた50年(同25年)8月24日、戸田先生と池田先生は機関紙創刊の構想を語り合いました。

 この夏、池田先生の体重は13貫(約49キロ)を切ったそうです。恩師の最も苦しい時期にあって、池田先生は戸田先生を支え抜かれたのです。

 翌51年(同26年)2月、戸田先生は池田先生に、「いよいよ新聞を出そう」と語ります。

 同年3月17日、新聞の企画会が行われ、戸田先生は「この新聞をもって、広宣流布の火蓋を切っていくのだ」「あらゆる意味で、言論戦の雄とならねばならぬ」と訴えました。

 この日の日記に、池田先生は「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す」と記されています。

 この誓いのまま、51年4月20日に産声を上げた聖教新聞は、大発展を遂げました。現在、日本において、宗教団体が全国で発刊している日刊紙は、聖教新聞だけです。戸田先生の「聖教新聞を日本中、世界中の人に読ませたい」との悲願は、今、現実のものとなっています。

 池田先生は、恩師の構想をことごとく実現されました。「8・24」は、私たちが新たな戦いを開始する日です。一人一人が清新な決意で、出発してまいりましょう。

 

参照

 ◆小説『人間革命』=第2巻「地涌」、第3巻「漣」「宣告」

 ◆小説『新・人間革命』=第6巻「若鷲」、第14巻「大河」

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.11.21

第2318回

 

日天月天ワンショット

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