主 題

 

一人の人間

における偉大なる人間革命は

 

やがて

一国の宿命転換をも成し遂げ、

 

さらに

全人類の宿命の転換をも可能にする。

 

 

戦争ほど、残酷なものはない。

戦争ほど、悲惨なものはない。

だが、その戦争はまだ、つづいていた。

愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。

 

(『小説 人間革命1巻』より

 

平和ほど、尊きものはない。

平和ほど、幸福なものはない。

平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

 

(『小説 新・人間革命1巻』より)

 

人間革命の歌

 

一、 君も立て 我も立つ

   広布の天地に 一人立て

   正義と勇気の

   旗高く 旗高く

   創価桜の 道ひらけ


二、 君も征け 我も征く

   吹雪に胸はり いざや征け

   地よりか涌きたる

   我なれば 我なれば

   この世で果たさん 使命あり


三、 君も見よ 我も見る

   遥かな虹の 晴れやかな

   陽出ずる世紀は

   凛々しくも 凛々しくも

   人間革命 光あれ

 

2023年11月2日

いわずば慈悲なきににたり

 

二辺の中にはいうべし>

 

 日本国にこれをしれる者、ただ日蓮一人なり。

 これを一言も申し出だすならば、

 父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、

 いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、

 法華経・涅槃経等にこの二辺を合わせ見るに、

 いわずば今生は事なくとも

 後生は必ず無間地獄に堕つべし、

 いうならば三障四魔必ず競い起こるべしとしんぬ。

 二辺の中にはいうべし。

開目抄 新70頁・全200頁

 

人類の大理想目指して

 

 日蓮大聖人は、『代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ』(如説修行抄、502頁)と仰せであられる。


 大聖人は、戦乱のない平和な世界、災難にも負けない民衆の連帯、そして人類が生死の苦悩を打開し、幸福長寿の人生を謳歌しゆく時代を志向されて、広宣流布の大理想を私たちに託してくださったのである。


 私たちが友に語る仏法哲理こそ、生死の闇を照らす太陽となる。私たちが広げる助け合いの絆こそ、共生の社会建設の土台となるのだ。
 本年(2014年)は第一次世界大戦の勃発から百年。今こそ、人類の宿命を転換し、「平和の百年」を創り開いていく時である。


 生命尊厳の思潮を全地球に広げる主役は我ら!
 誉れも高く、自他共の幸福を築きゆく、正しき人生の道を前進しよう!
 地域の同志と、仲良く朗らかに、励まし合いながら!

 世界の同志と、希望のスクラムも固く!

 

(「聖教新聞2014.8.14付 民衆凱歌の大行進 10 正しき人生とは」より)

 

2015年1月元旦

急がねばならぬ!

 

 人類は、

 黎明を待ちわびていた。

 眼を凝らし、固唾をのみ、

 漆黒の海を見つめる。

 暁闇を破って、黄金の光が走った!

 金波銀波が煌めく彼方に、

 雄々しく白光を放って、

 旭日が躍り出る。

 

 朝だ!

「世界広布新時代」の大空へ、

 太陽の仏法は昇った。

 光は、刻一刻、

 一切衆生の無明の闇を払い、

 万人の生命の「仏」を覚醒し、

 幸と歓喜の光彩を広げていく。

 

 日蓮大聖人は、「天変地夭・飢饉疫癘」の蔓延する世に、「立正安国」の旗を掲げて一人立たれた。そのバトンを受け継いだ創価の師弟が今、地涌の大行進を開始するのだ。

 人心はすさみ、世界には、不信と憎悪の分断の亀裂が幾重にも走る。戦火は果てず、自然もまた、凶暴な牙を剝き、人びとは、不安と恐怖の濃霧のなかをさすらう。

 

 急がねばならぬ! 

 友の胸中に、

 人間主義の慈悲と正義の旗を打ち立て、

 世界を結ぶのだ。

 一個の人間の生命を変革し、

 社会、人類の宿命の転換を成し遂げ、

 崩れざる平和と繁栄を築くのだ

 ――これが、「立正安国」だ。

 これが、われらの尊き使命だ。

 

 さあ、心に太陽をいだいて、

 躍進の第一歩を踏み出そう!

 

 「躍進」とは、歓喜踊躍の前進だ。

 御聖訓には、

 「我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書七八八ページ)と。

 

 私たちは、本来、仏である。

 その仏が、末法の衆生救済を誓願し、

 あえて悪業を担い、苦悩を背負って、

 この世に出現したのだ。

 

 それは、大仏法に巡り合い、

 宿命転換することをもって、

 仏法の厳たる功力を証明するためだ。

 ゆえに、打開できない宿命も、

 苦悩も絶対にない。

 この最極の真実に目覚め、

 わが使命を自覚し、

 自ら勇んで戦いを起こす時、

 生命は大歓喜に包まれ、

 悠々と苦悩に打ち勝つ大境涯へ、

 自身を高めていけるのだ。

 

 求道あるところに、歓喜はある。

 祈りあるところに、歓喜はある。

 実践あるところに、歓喜はある。

 信仰とは、あふれる歓喜の源泉なのだ。

 

新・人間革命 28巻 広宣譜36

 

2016年8月7日

原水爆禁止宣言

 

 戸田は、青く晴れ渡った三ツ沢の空を見上げた。
 彼は、太陽の光に目を細めながら、あの、原爆が世界で初めて広島に投下された一九四五年(昭和二十年)八月六日も、真夏の太陽が照り輝いていたことを思った。
 戸田の脳裏に、昨裂する原爆が浮かんだ。閃光が走り、キノコ雲が広がり、阿鼻叫喚の巷と化した街々が、彼の眼底に映し出された。
 戸田は、ひとり唇をかみしめた。そして、ハンカチで目をぬぐうと、心でつぶやいた。″この人間の生存の権利を奪う魔性の爪を、断じてもぎ取らねばならぬ!″

 しかし、この時、彼の胸中に秘められた決意を知る人は、誰もいなかった。
 戸田は、再び空を見上げた。空には、数羽の鳥が、弧を描いて飛んでいた。(中略)
 やがて、閉会式に移り、山際洋青年部長や、小西武雄理事長のあいさつなどがあったあと、いよいよ戸田城聖の話となった。
 彼は、悠然としてマイクの前に立っと、力強い声で語り始めた。
 「天竜も諸君らの熱誠に応えてか、昨日までの嵐は、あとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、また、それに応えるとの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。
 さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後とも、難があるかも知らん。あるいは、身にいかなる攻撃を受けようかと思うが、諸君らに、今後、遺訓すベき第一のものを、本日は発表いたします
 五万余の観衆は、思ってもいなかった戸田の言葉に、耳をそばだてた。弟子たちは、「遺訓」という言葉に、何かただならぬものを感じた。しかも、それは、「難」と「攻撃」を受けることを予告したあとに、「遺訓すべき第一のもの」を発表すると、続いているのである。
 歓喜につつまれた「若人の祭典」の終了にあたって、戸田が語ろうとする遺言とは何かを思い、人びとは固唾をのんで、次の言葉を待った。会場の空気は一変していた。
 「前々から申しているように、次の時代は、青年によって担われるのである。広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもないことであり、これは、ぜひともやらなければならぬことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験に対する私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも私の弟子であるならば、私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります
 人びとは、ここで″原水爆のことか″と思った。
 相次ぎ繰り返される近年の原水爆実験について、誰もが不安と怯えとをいだいていたことは確かであったが、多くの同志は、広宣流布という使命に立って、寂光土の建設を第一としていけば、それでよいのだという思いでいたことも事実であった。寂光土の建設がなされれば、原水爆などといった核兵器が存立するはずはないというのが、大多数の同志の確信であったのである。
 しかし、広宣流布の道はいまだ遠く、その道程にあって、核の脅威が、日ごとに高まりつつあることは、誰もが実感していた。
 そして、もし、原水爆が使用される事態になれば、広宣流布の道もまた、一瞬にして破壊されかねないという無残な予感に、心を痛めている人もいた。あの広島、長崎の悲惨な記憶が、いやがうえにも、不吉な予感を駆り立てるのであった。
 原水爆の問題は、学会員にとって、避けがたい問題であったが、事が事だけに、自らの思考ではもてあまし、漠然とした不安に怯えながら、いかにすべきかを模索していたといってよい。
 それを、今、戸田城聖は、核実験、原水爆に対して、彼の態度を明らかにし、声明を宣言しようというのである。しかも、その宣言を、彼の遺訓の第一のものとし、それを受け継いで、全世界に浸透させてほしいというのだ。
 戸田は、毅然としていた。強い気迫のこもった言葉が、マイクを通して陸上競技場の隅々にまで轟いた。
 「それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。
それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。
 なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利を脅かすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。
 それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります
 戸田城聖は、まず、核兵器を、今世紀最大のの産物としてとらえた。「
魔」とは、サンスクリットの「マーラ」の音訳であり、「殺者」「能奪命者」「破壊」等と訳されている。つまり、人間の心を惑わし、衆生の心を悩乱させ、生命を奪い、智慧を破壊する働きといってよい。
 そして、この「魔」の頂点に立つものこそ、第六天の魔王であり、それは、他化自在天王といわれるように、他を支配し、隷属化させようとする欲望をその本質とする。
 この観点に立つ時、人間の恐怖心を前提にして、大量殺裁をもたらす核兵器の保有を正当化する核抑止論という考え方自体、第六天の魔王の働きを具現化したものといってよい
 彼の原水爆禁止宣言の特質は、深く人間の生命に潜んでいる「魔」を、打ち砕かんとするところにあった。
 当時、原水爆禁止運動は、日本国内にあっても、大きな広がりをみせていたが、戸田城聖は、核兵器を「魔」の産物ととらえ、「絶対悪」として、その存在自体を否定する思想の確立こそが急務であると考えたのである。それなくしては、原水爆の奥に潜む魔性の爪をもぎ取ることはできないというのが、彼の結論であった。
 それは、いかなるイデオロギーにも、国家、民族にも偏ることなく、普遍的在人間という次元から、核兵器、及びその使用を断罪するものであった。そこに、この原水爆禁止宣言の卓抜さがあり、それが、年とともに不滅の輝きを増すゆえんでもある。
 戸田が、原水爆禁止宣言のなかで、原水爆を使用した者は「とごとく死刑に」と叫んだのは、決して、彼が死刑制度を肯定していたからではない。
 彼は、九年前の四八年(同二十三年)に、極東国際軍事裁判(東京裁判)で、A級戦犯のうち東条英機ら七人が、絞首刑の判決を受けた時、次のように述べている。
 「あの裁判には、二つの間違いがある。第一に、死刑は絶対によくない。無期が妥当だろう。もう一つは、原子爆弾を落とした者も、同罪であるべきだ。なぜならば、人が人を殺す死刑は、仏法から見て、断じて許されぬことだからだ
 また、彼は、しばしば、「本来、生命の因果律を根本とする仏法には、人が人を裁くという考え方はない」とも語っていた。
 では、その戸田が、なぜ、あえて「死刑」という言葉を用いたのだろうか。戸田は、原水爆の使用者に対する死刑の執行を、法制化することを訴えようとしたのではない。彼の眼目は、一言すれば、原水爆を使用し、人類の生存の権利を奪うことは、「絶対悪」であると断ずる思想の確立にあった。
 そして、その「思想」を、各国の指導者をはじめ、民衆一人ひとりの心の奥深く浸透させ、内的な規範を打ち立てることによって、原水爆の使用を防ごうとしたのである。
 原水爆の使用という「絶対悪」を犯した罪に相当する罰があるとするなら、それは、極刑である「死刑」以外にはあるまい。もし、戸田が、原水爆を使用した者は「魔もの」「サタン」「怪物」であると断じただけにとどまったならば、この宣言は極めて抽象的なものとなり、原水爆の使用を「絶対悪」とする彼の思想は、十分に表現されなかったにちがいない。
 彼は、「死刑」をあえて明言することによって、原水爆の使用を正当化しようとする人間の心を、打ち砕とうとしたのである。いわば、生命の魔性への「死刑宣告」ともいえよう。
 当時は、東西冷戦の時代であり、原水爆についても、東西いずれかのイデオロギーに立つての主張が大半を占めていた。戸田のこの宣言は、それを根底から覆し、人間という最も根本的な次元から、原水爆をとらえ、悪として裁断するものであった。
 宣言を述べる戸田の声は、一段と迫力を増していった。
 「たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に弘めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。
 願わくは、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓示に代える次第であります
 宣言は終わった。大拍手が湧き起こった。感動の渦が場内に広がっていった。
 戸田城聖が、この原水爆禁止宣言をもって、第一の遺訓とした意味は深い。日蓮大聖人の仏法が、人間のための宗教である限り、「立正」という宗教的使命の遂行は、「安国」という平和社会の建設、すなわち人間としての社会的使命の成就によって完結するからである。
 戸田は、原水爆の背後に隠された爪こそ、人間に宿る魔性の生命であることを熟知していた。そして、その魔性の力に打ち勝つものは、仏性の力でしかないことを痛感していたのである。
 原水爆をつくりだしたのも人間なら、その廃絶を可能にするのも、また人間である。人間に仏性がある限り、核廃絶の道も必ず開かれることを、戸田は確信していた。
 その人間の仏性を信じ、仏性に語りかけ、原水爆が「絶対悪」であることを知らしめる生命の触発作業を、彼は遺訓として託したのである。
 以来、この宣言は、創価学会の平和運動の原点となっていった。
 三ツ沢の陸上競技場に集った五万余の参加者のうち、子どもたちを除けば、戦争にかかわりのなかった人は、一人としていなかった。それだけに、原水爆実験の果てに、いつまた、あの戦争が勃発するかもしれないという強い不安に苛まれていたといってよい。
 しかも、これから起こる戦争では、広島、長崎に投下された原爆を、はるかにしのぐ、大きな破壊力をもっ核兵器が使用されようとしているのである。もし、世界戦争が起これば、日本はもとより、世界中が廃墟となるであろうことは間違いない。
 ″もう、戦争はごめんだ″との悲願こそ、人びとの共通の感情であったが、そのために、学会員として、また、一人の人間として、何をなすべきかは、わからなかった。しかし、戸田のとの声明は、暗夜の海に輝く灯台のように、進むべき進路を照らし出したのである。
 青年たちの胸には、この時、人類が直面した未曾有の危機を克服する、新たな使命の火がともされたといってよい。だが、それはまだ、小さな灯であった。その火が、人びとの心から心へと、燃え広がり、平和のまばゆい光彩となって、世界をつつむことを実感できた人は、皆無に等しかったにちがいない。
 山本伸一は、戸田城聖の原水爆禁止宣言を、打ち震える思いで聞いていた。彼は、この師の遺訓を、必ず果たさなければならないと、自らに言い聞かせた。そして、戸田の思想を、いかにして全世界に浸透させていくかを、彼は、この時から、真剣に模索し始めたのである。
 伸一の胸には、数々の構想が広がっていった。しかし、彼は、はやる心を抑えた。それが、創価学会の広範な平和運動として結実していくには、まだ、長い歳月を待たねばならなかった。

 

小説『人間革命』12巻 宣言の章(抜粋)

2016年8月7日

談話

日本原水爆被害者団体協議会

岩佐幹三代表委員(金沢大学名誉教授)

 

 「私たちはここ、この街の真ん中に立ち、原爆投下の瞬間を想像せずにはいられない。目の当たりにしたことに混乱した子どもたちの恐怖を感じずにはいられない」――。
 本年5月、アメリカ現職大統領として初めて広島を訪問した、オバマ大統領の演説の一節です。
 私はその日、その場に招かれ、約17分間に及ぶ演説に耳を傾けました。71年前の8月6日に、まさしく「原爆の混乱と恐怖のただ中にいた子どもたち」の一人として――。
 当時、16歳だった私は広島の爆心から1・2キロの自宅の庭で被爆しました。爆風で地面にたたきつけられたものの、奇跡的に助かったのです。しかし、母の姿が見えない。崩れ落ちた家の屋根の下から「ここよ……」という声が聞こえました。
 安堵も束の間、助けに行こうにも、大きな梁が母の上に覆い被さって私の力ではどうすることもできません。
 その間にも、爆風の吹き返しの火事嵐が、ものすごい勢いで迫り、火の粉がふりかかってきます。母は声を振り絞るように「早よう逃げんさい!」と言いました。気が動転していた私は、母を助け出すことなく、その場から走り去ってしまったのです。
 「母さん、ごめん。僕も、アメリカの軍艦に体当たりして、後から行くからね」と泣き叫びながら――。
 数日後、自宅の焼け跡の灰の中から掘り出した、母とおぼしき遺体。それは、マネキン人形にコールタールを塗って焼いたような、油でぬるぬるした物体でした。母は人間ではなく、「もの」として殺されたのです。
 至近距離の土橋で被爆した女学校1年の妹は、行方不明に。父は原爆投下の年の5月に病気で亡くなっていたので、私は原爆孤児になりました。
 私は母を見殺しにしてしまった深い心の傷を抱え、原爆の後遺症に苦しみながらも、核兵器なき世界を願い、今日まで講演活動などを続けてきました。
 その立場からすると、オバマ大統領の広島訪問は、確かに、歴史的な一歩であったことは間違いないと思います。
 一方で、なかなか進まない核兵器廃絶の実情を見るにつけ、「反核の流れを支える動きが、もっともっと必要だ」との思いを強くしたのも事実です。
 創価学会青年部の皆さんが、長年にわたり被爆・戦争体験を聞く機会などを設け、また署名や展示活動などを通じて、核兵器なき世界の構築に力を注いでおられることは、頼もしい限りです。
 池田SGI会長は、常々、ご自身の戦争体験を通し、戦争の残酷さ、そして核兵器の非人道性を訴えておられます。しかも当時の様子が、若い人たちにもリアルに想像できるように――。
 私は、この「想像力」を育むことが戦争体験の「継承」の上で最も大切なことだと思うのです。ここでいう「想像力」とは、たとえ戦争体験がなくとも、「そんな悲惨な目に、私は遭いたくない! 大切な人を、遭わせたくない!」と強く思い、“人ごと”ではなく“自分の事”として捉える力です。
 また、自分がどれだけ多くの人に支えられているのかということに思いをはせ、感謝し、互いの存在と生命を大切に思える力と言ってもよいでしょう。
 その意味で、青年部の皆さんが「自分の言葉」で、友人や知人、また、わが子といった次の世代に、核兵器の悲惨さを語り広げておられること自体、戦争体験の「継承」がなされている証左だと思います。
 「人間の心に伝わるような訴え」を広げていけるかどうか。私は若い皆さんたちにこそ期待しています。


2016年8月6日付聖教新聞一面

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.11.21

第2318回

 

日天月天ワンショット

日めくり人間革命URL