2024年11月4日
正義の師を求めよ、悪師を見ぬけ
<法華経のとおりに「難」を受けているかどうか>
ここで御聖訓を拝したい。「師弟契約御書」と言われる「最蓮房御返事」の一節である。
「今の時代は、師に正師と邪師、善師と悪師がいる。その違いがあることを知って、邪悪の師を遠ざけ、正善の師に近づき親しむべきである」(御書1340㌻、通解)
師匠といっても、
正義の師匠もいれば、
邪悪の師匠もいる。
正義の師を求めよ!
邪悪の師を避けよ!
その違いを、鋭く見ぬけ!
決して、だまされるな!――これが、蓮祖の峻厳なる戒めである。
邪悪な師には、従つてはならない。
従えば、皆が悪に染まってしまうからだ。
日顕がそうである。
宗門が、あれほど腐敗し、堕落したのも、
誤った指導者に従ったゆえである。
邪悪な人間は、たとえ師であっても、
それを遠ざけ、叩き出していかねばならない。
どこの世界でも、同じことである。
わが学会も、断じて油断してはいけない。
役職や立場を利用してインチキをしたり、
同志を苦しめる人間が出たならば、
絶対に許してはならない。
「あなたは、間違っている!」
「おかしいではないか!」と厳しく責めぬいて、
その悪を暴いていくのだ。
そうでなければ、学会を破壊し、
同志を不幸にしてしまうからだ。
その点を厳しく見極めていかねばならない。
これが大聖人の厳命であり、
私の遺言であると申し上げておきたい。
「日蓮こそが、正義の師匠」
それでは求めるべき
「正義の師」とは、だれか?
それは三類の強敵と戦い、
身命を惜しまず、
妙法を唱え広めていく人である。
つまり、法華経のとおりに「難」を受けているかどうか。
それを大聖人は、最大の眼目とされた。
そして、「自分こそ法華経を知り、法華経を修行している者である」と思いあがっている輩に対しては、「日蓮が受けたような難にあっていないではないか」と厳しく切り返し、責め返しておられる。(=「最蓮房御返事」のなかで、大聖人は「先に挙げた諸宗の人々は、自分こそ法華経の意を心得て、法華経を修行する者であると名乗っているけれども、日蓮が受けたような難にあっていない」〈御書一三四一ページ、趣意〉と仰せになっている)
大聖人の御生涯は、まさしく迫害の連続であられた。卑劣な讒言などによって二度、流罪された。頸の座にもつかれた。種々の難は数知れない。すべて経文どおりであられる。
ゆえに大聖人は、「難を受けていない格好だけの者は、ことごとく邪な師である。難を受けきってきた日蓮こそが、正義の師である」と厳然と宣言されたのである。(=「日蓮は弘長元年には、伊豆の固に流され、文永八年には、佐渡の島に流され、あるいは竜の口で頸の座にすえられる等の難を受け、このほか種々の難は数え切れないほどである。経文のとおりであるならば、自分こそ正師であり、善師である。諸宗の学者は、ことごとく邪師であり、悪師であるとお考えなさい」〈御書1341㌻、通解)
創価三代の師弟こそ広宣流布の礎
それでは、御本仏であられる大聖人に直結して、「猶多怨嫉」「悪口罵詈」の難を受けながら、末法の五濁悪世の現代に、世界広宣流布の道を聞いてきたのは、いったいだれか?
初代、二代、三代の創価の師弟しかいない。
初代の牧口先生は、大聖人の正法正義の命脈を守られて牢獄につながれた。そして、獄中で殉教である。
第二代の戸田先生も同じく牢に入った。そして圧迫に耐え、寿命を削りながら、二年間におよぶ獄中闘争を生きぬかれたのである。
第三代の私も、広宣流布のゆえに、無実の罪で牢獄に入った。反逆者に乗せられた、売らんがための卑劣なマスコミのウソ八百によって、数限りない悪口罵詈を浴びせられた。
すべては、法華経のとおり、御書のとおりである。
この初代、二代、三代の会長だけが、御聖訓にいささかも違わず、一切の矢面に立って三障四魔、三類の強敵と戦いぬいてきた。それはだれよりも、皆さんがご存じのとおりである。
青年よ「闘う魂」を受け継げ
戸田先生がどれだけ、私を訓練したか。どれだけ、私を大事にしてくださったか。
戸田先生が事業に失敗され、生きるか、死ぬか――その時も、私が一人で奔走して、先生をお守りした。莫大な借金もすべて清算した。
先生を誹謗中傷する人間がいれば、ただ一人で飛んでいった。相手がだれであろうと、青年らしく、勇敢に、誠実に、まっすぐに語りぬいて、師の真実を認めさせていったのである。
難と戦う師匠を断じて守る。その祈り、その行動に、「仏法の師弟」の真髄がある。
牧口先生と戸田先生は「不二」であった。戸田先生と私もまた「不二」であった。「生死不二」の師弟であった
戸田先生の本当のご精神を受け継いで、私は、三類の強敵と戦い、創価学会を、ここまでつくりあげてきた。
創価の師弟は、牧口先生、戸田先生、そして私で決まったのである。
根本は、三代の師弟である。三代の「師弟の精神」を守りぬいていくかぎり、創価学会は永遠に発展する。世界広宣流布は、必ず実現できる。
この三代の広宣流布へ「戦う魂」を、後継の青年部は、断じて受け継いでいっていただきたい。勝っていただきたい。よろしく頼みます!
私自身のことにもなって恐縮だが、万年の未来のために、本当のことを残させていただきたい。
2006.3.9第五十八回本部幹部会、全国壮年部幹部会、第三回九州総会
2024.4.11整理