今日の日めくり

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2025年1月22日

第2324回

一国の繁栄も、世界の平和も、宇宙の平静も、

われらの”祈り”により決定される!

 

<(諸天)善神と悪鬼は表裏の関係>

 

 

 「世皆正に背き、人ことごとく悪に帰す。故に、善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還りたまわず。ここをもって、魔来り、鬼来り、災起こり、難起こる。」(立正安国論、新25、全17)

 

 「治病大小権実違目」にいわく

 「法華宗の心は一念三千なり。

  性悪・性善、妙覚の位になお備われり。

  元品の法性は梵天・帝釈等と顕れ、

  元品の無明は第六天の魔王と顕れたり」

  (治病大小権実違目、新1331、全997)と。

 

 すなわち、

 諸天善神は、

 悪鬼神と表裏の関係にあって、

 十界互具の生命自体に根ざすものである。

 

 生命に

 元品の法性が湧現すれば、

 それが依報たる環境に反映して、

 正報を守る働きとなって

 あらわれるのである。

 

 逆に

 元品の無明におおわれれば、

 自身の取り巻く環境が

 悪鬼神の作用を発揮する。

 

 一国の繁栄も、

 世界の平和も、

 宇宙の平静も、

 強盛な信心に立った

 われわれ妙法護持者※1

 祈りによって、

 すべてが決定されていくことを

 知らねばならない。

 

 善神とは結局、

 自然にせよ社会にせよ

 環境世界の中に秘められた力が、

 人々の生命を守り

 生活を助ける

 働きをする場合をいい、

 

 それが逆に

 生命を害し苦しめる

 働きをする場合が「鬼」、

 とくに悪鬼である。

 

 善神と悪鬼とは、

 同じものの表裏の関係にあるといえよう。

 したがって、善神が去るということは、

 悪鬼がそれに代わって入ってくる

 ということになるのである。

 

 また聖人はその社会の中にあって、

 人々に正しい物の考え方を教え

 精神面で導いていく人をいう。

 その聖人がいなくなると、

 それに代わって入ってくるもの(魔)が、

 人々に邪悪な考え方を吹き込み、

 間違った行動、生き方をさせる存在である。

 この”聖人”の去ったあとに

 入り込んでくるのが

 ”魔”であるといえよう。

 

 善神と悪鬼が

 外在的環境の働きであるのに対し、

 聖人、魔とは、

 人間の精神的働きであると

 立てわけることができよう。

 

 いずれにせよ、

 善神と聖人が去り、

 鬼と魔が入り込んでしまったゆえに、

 環境世界においては種々の災禍が起こり、

 また正しい考え方、生き方ができないために

 人間同士の関係も互いに傷つけ合い、

 殺し合うことになるのである。

 

※1 本講義が発表された当時は、魂の独立(1991年11月28日)以前であり、邪宗門や法華講の存在があったため”妙法護持者”という表現になったと思われる。現在では創価学会員と言えよう。しかし厳密には、池田先生利用の”幹部信仰”の似非学会員は、残念ながらその対象外といえる。何故なら、彼らには「祈りの確信」「御本尊の確信」が微塵も無いからである。(サイト・マスタ)

 

立正安国論講義(上) 第二章 災難の根本原因を明かす


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2025年1月14日

第2323回

私は永遠に諸君の味方である!

私は永遠に諸君と共にいる!

 

 無限の歳月を乗り越え

 今も残されし

 美しき自然の詩歌の宝庫あり

 その名 滝山城址

 

 荒れ果てた

 幻の もののふの

 笑い さざめいた

 彷徨の この大地

   

 眼に浮かぶ――

 春には

 幾千本の桜吹雪

 夏には

 すべてを 託して揺るがぬ

 緑の大樹が 立ち並ぶ

 秋には

 賑やかに虫の音の

 素晴らしき交響楽が

 冬には

 生と真実を 語りゆかんと

 銀世界の強き樹林――

 その四季の折々に

 わが創価の英才が 訪れる

 

 数百年も

 ただ 一日のごとく

 歴史は ここに歩みを止め

 静謐なる

 緑と花の楽園として

 人生と未来と平和を

 呼吸している

   

 その滝山城址と

 わが創価大学――

 それは あたかも

 兄弟のごとく 友のごとく

 隣り合う 絶ちがたき縁は

 二つの緑の丘であり

 永遠に 歴史と残らむ

   

 朝の目覚めに

 同じ陽光が ほほ笑みかけ

 夕べの眠りを

 星座は等しく 見守ってきた

 同じ風雪を 浴びながら

 晴れた日には

 はるか富士の眺望を

 仲睦まじく 分かち合った

 過去の戦争のフォートレスは

 新生の平和のフォートレスを

 じっと 見つめていた

 

 わが敬愛する

 創価の学友よ

 青春は 強くあれ!

 人生もまた 強くあれ!

 徹して 断じて

 強くあれ!

 そこに

 一切の勝利が あるからだ!

   

 学び抜け!

 徹して 断じて

 学び抜け!

 そこに

 厳しき現実の勝利が

 勝ち取れるからだ!

   

 一時のはかない感傷に

 決して 負けるな!

 汝自身の胸中を

 制覇していくのだ!

   

 自分自身との戦いが

 これが

 現実の人生である

 一生である

 

 創価同窓の友の活躍を知るとき

 どれほど 胸が弾むことか

 悲しい知らせを聞くとき

 どれほど 胸を痛めることか

   

 この思いは

 創立者でなければ

 絶対に わからない

   

 私は

 永遠に 諸君と共にいる!

 私は

 永遠に 諸君の味方である!

 

2000年1月

長編詩「滝山城址に立ちて」

 

 

池田先生と創大生・短大生の絆

 創価大学の程近くにある滝山城跡は、戦国時代に築かれた要塞。丘陵の地形を利用し、敵軍の侵攻を防いだ難攻不落の名城であった。

 池田先生は折に触れ、この地に足を運び、創大生・短大生の未来に思いを馳せた。40年前の1985年(昭和60年)1月30日には、滝山城跡の中の丸から、夕焼けに染まる街並みを見つめ、カメラに収めた。

 先生は「滝山城址に立ちて」で詠った。

 「私と君たちは 一心同体だ/何人も 私たちの間は切れない」「できることは/何でも してあげたい/創価大学は 私の生命であり/三世に生き抜く/同志であるからだ!」

 開学以来、先生は創大生の輪に入り、自らの姿を通して「人間教育」の範を示してきた。

 卓球やテニスで一緒に汗を流すこともあれば、代表を会食会に招き、テーブルマナーの基本を教えたこともある。

 長編詩が発表されて3年後の2003年(平成15年)3月10日、学生の熱意に応え、先生は創大で第1回特別文化講座「人間ゲーテを語る」を行う。翌04年(同16年)1月8日、授業参観に訪れ、教授の同意のもと、学生と並んで受講した。同月22日には、中央図書館で試験勉強に取り組む学生を激励した。

 長編詩に先生はつづった。

 「建学の精神に 君らしい/それぞれの形を 与え/光あらしめること――/それこそ/私が 期待する/君たちの使命だ」

 先生が心血を注いで励ましを送ってきた学生たちは、それぞれの使命の舞台で飛翔する。今、世界各地で創価教育同窓の友が活躍する時代を迎えている。

 先生は、創大生・短大生の卒業文集や署名簿を「私のかけがえのない宝」として大切にしてきた。

 学生を心から愛した創立者の姿は、同窓生の胸に、決して色あせない青春の原点として、まばゆく光り輝いている。

 

〈長編詩発表25年に寄せて〉

 創価大学理事長 田代康則

原点と誇りを胸に

 私は創大の1期生です。男子寮の全寮代表だった1972年(昭和47年)、皆で寮の名称を考えることになりました。

 「滝山城跡」にちなみ、「滝山寮」にしたいと創立者に報告しました。創立者は「滝山寮か。ロマンがあっていいね」と語られ、歴史を学ぶことの大切さを教えてくださいました。

 小説『新・人間革命』第15巻「創価大学」の章に、この時のことがつづられ、「創大生は、民衆を守り抜く、闘将に育ってもらいたい」と、万感の期待を寄せてくださっています。

 創立者は折々に、「少子化の時代だからこそ、創価大学に行って、皆を励ましたいんだ」と語られました。長編詩「滝山城址に立ちて」を贈られた2000年(平成12年)1月にも、元日から来学され、前年に完成したばかりの本部棟を視察されました。

 長編詩に「真新しい/創大の本部棟の窓からも/みずみずしい緑の城址を/眼下に 一望できる」と詠われています。この詩を読み返すたび、どこまでも創大生を思う創立者の心を感じ、勇気が湧きます。

 創立者は第1回滝山祭で「日本だけでも何百という大学がある」と述べ、学生に呼びかけられました。

 「皆さんは、あえて、この創価大学に集われた。その原点、その誇りを、永遠に忘れないでいただきたい」

 「創大生は私の命」との創立者の心を胸に、大学の発展に尽くしてまいります。

世界青年学会

創立100周年

2030年 

 

2025(令和7)年

創価ルネサンスーⅡ

開幕の年

 

世界青年学会

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広宣流布大誓堂落慶

更新日

2025.1.22

第2324回

 

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