日めくり御書一覧

<日めくり御書キーワード別一覧>

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 ・を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり』(御義口伝下762頁)

 ・なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(呵責謗法滅罪抄1132頁)

 ・閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし』(諸法実相抄1361頁)

 ・『されば王位の身なれども思う事をば・たやすく申さぬぞ、孔子と申せし賢人は九思一言とてここのたびおもひて一度申す、周公旦と申せし人は沐する時は三度握り食する時は三度はき給いき、たしかに・きこしめせ我ばし恨みさせ給うな仏法と申すは是にて候ぞ。
 代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ』(崇峻天皇御書、1174頁)

 ・一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬いしは、いかなることぞ。主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ。あなかしこ、あなかしこ。賢きを人と云い、はかなきを畜という。(崇峻天皇御書(三種財宝御書)新1597頁

 ・度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり(法華初心成仏抄、556頁)

 ・念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』(御義口伝790頁)

 ・『世間のことわざにもは万が母といへり』(聖愚問答抄下、498頁)

 ・切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき』(四恩抄、937頁)

 ・已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳を説き給へり』(持妙法華問答抄466頁) 2016年1月19日

 ・日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて念念勿生疑の信心に住す可きなり』(御義口伝、776㌻)

 ・『も昔も聖人も凡夫も人の中をたがへること女人よりして起りたる第一のあだにてはんべるなり、釈迦如来は悉達太子としてをはしし時提婆達多も同じ太子なり、耶輸大臣に女あり耶輸多羅女となづく五天竺第一の美女・四海名誉の天女なり、悉達と提婆と共に后にせん事をあらそひ給いし故に中あしくならせ給いぬ』(法蓮抄、1040頁)

 ・『信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり』(阿仏房尼御前御返事、1308頁)

『火にたきぎを加える時はさかんなり、風吹けば求羅は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大難の如し』(四条金吾殿御返事、1136ページ)

 ・各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(聖人御難事1190頁)

 ・『譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ、いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん、南無妙法蓮華経』(千日尼御前御返事、1316頁)

  ・『うじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ』(兄弟抄、1084頁)

 ・かる乱れたる世に此のとのを・つかはされたる心ざし大地よりも・あつし地神定めてしりぬらん・虚空よりも・たかし梵天帝釈もしらせ給いぬらん』(同生同名御書、1115頁)

 ・去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(開目抄下231頁) 

 ・『畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし』(佐渡御書、957頁)

 ・『私に計り申すに及ばず候ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず、水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし、木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとしと・をぼしめせ』(日厳尼御前御返事、1262頁)

 ・『始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は喜の中の大歓喜なり』(御義口伝788頁)

 ・『此の本法を受持するは信の一字なり、品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し』(御義口伝巻上、751頁)

 ・『をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ』(四条金吾殿御返事1143頁)

 ・の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり』(崇峻天皇御書1173頁)2016年2月9日

 ・『釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも敵が人をば・よくなしけるなり』(種種御振舞御書917頁)

 ・『者は必ず不実なりとも・智慧はをろかなりとも・身は不浄なりとも・戒徳は備へずとも・南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし』(祈祷抄、1352頁) 

 ・『賢聖は罵詈して試みるなるべし。(佐渡御書、新1288㌻全958㌻)

 ・ざし人にすぐれておわする上、わずかの身命をささうるもまた御故なり。天もさだめてしろしめし、地もしらせ給いぬらん。』〈四条金吾殿御返事(智人弘法の事)、新1562頁,全1149頁〉

 ・『いまにはじめぬ御ざし申しつくしがたく候日蓮が悦び候のみならず釈迦仏定めて御悦び候らん、我則歓喜諸仏亦然は是なり』(六郎次郎殿御返事、1464頁)

 ・『この法華経ばかりに、の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみえて候』(四条金吾殿女房御返事、新1542・全1134

 ・『の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり』(日女御前御返事1244頁) 

 ・の文には日蓮が大事の法門どもかきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給え、意得させ給うべし(諸法実相抄、新1792・全1361)

 ・『の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや』(経王殿御返事1124頁)

 ・『或時は人に生れて諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり、を仏は夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり』(主師親御書、386頁)

 ・『南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ生人界の思出なるべき』(持妙法華問答抄467頁)

『雪至って白ければそむるにそめられず・漆至ってくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候』(西山殿御返事、1474㌻)

 

 ・『次に法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕り御弟子となると仰せ候事、師檀となる事は三世の契り種熟脱の三益別に人を求めんや、「在諸の仏土常に師と倶に生れん若し法師に親近せば速かに菩提の道を得ん」との金言違ふべきや』(秋元殿御返事1070頁)

 ・前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い』(四条金吾殿御返事、1192頁)

 ・『御志は挙げて法華経に申し候い了わんぬ。めて十羅刹の御身を守護せんこと、疑いなく候か』(富城入道殿御返事 新1343頁)

 ・ても・さても去る十二日の難のとき貴辺たつのくちまで・つれさせ給い、しかのみならず腹を切らんと仰せられし事こそ不思議とも申すばかりなけれ』(四条金吾殿御消息、1113頁)

 ・『「令法久住・故来至此」等云云、仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそ・みへたる』(開目抄、236頁)

 ・『日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期(とき)まで深く敬重し奉る可し』(富士一跡門徒存知の事1606頁)

 ・『滞り無く上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて内よりは勧発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞り有る可からず(三世諸仏総勘文教相廃立574頁) 

 ・子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く「師子奮迅之力」とは是なり』(経王殿御返事1124頁)

 ・他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり』(御義口伝巻下、761頁)

 ・総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か』(生死一大事血脈抄、1337頁)
 ・『ばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ』(上野殿御返事、1565頁)

 ・構えて構えて、所領を惜しみ、妻子を顧み、また人を憑んであやぶむことなかれ。ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。人身は受け難く、法華経は信じ難しとは、これなり。「釈迦・多宝・十方の仏、来集して我が身に入りかわり、我を助け給え」と観念せさせ給うべし。(弥三郎殿御返事、新2085、全1452)

 ・尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う』(観心本尊抄、246頁)  

 ・『皆涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』 (諸法実相抄1360頁) 

 ・の文王は老たる者をやしなひていくさ軍に勝ち』(日女御前御返事、1250頁)

 ・涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり』(富木殿後返事962頁)

死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんば、かなうべからず』(椎地四郎殿御書、新1721頁、全1448頁)

 ・所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳有るなり、功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり、法華経の説文の如く修行するを六根清浄と得意可きなり云云』(御義口伝巻下、762頁)

 ・『ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(開目抄下232頁) 

 ・『心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし』(秋元御書、1072頁)

  ・蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ』(立正安国論、26頁)

 ・難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし』(椎地四郎殿御書、1448頁)

 ・『地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る、譬えばの節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し』(法蓮抄、1046頁)

 ・『例(ためし)には他を引くべからず』(乙御前御消息、1220頁)

 ・『法華経はしからず・こそ心よ・花こそ心よと申す法門なり。 此れをもつてしろしめせ、白米は白米にはあらず・すなはち命なり』(白米一俵御書、1597頁)

 ・設い大鬼神のつける人なりとも日蓮をば梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへにばつしがたかるべしと存じ給うべし、月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』(聖人御難事1190頁)

 ・『此法門を日蓮申す故に言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候』(曾谷殿御返事、1056頁)

 ・るぎなんども、すすまざる人のためには用いることなし。法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし。日蓮がたましいをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。』(新版1633㌻)

 ・『・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり』(内房女房御返事、1422頁)

 ・『悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行わず」等云云、夫れ地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を』(法蓮抄、1053頁)

 ・輪聖王出現の時の輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり』(御義口伝巻上733頁)

 ・『起遠迎当如敬仏(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)』(御義口伝下781頁)  

 ・『法華経を持ち奉る処を詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり』(御義口伝巻下、781頁)

 ・『達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず(上野殿御消息、1527頁)

 

 ・『無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(四条金吾殿御返事1143頁)

 ・としても此の経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶ』(新池御書、1440頁)

 ・『この宝塔品はいずれのところにか只今ましますらんとかんがえ候えば、女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内におわしますと日蓮は見まいらせて候。』〈日女御前御返事(嘱累品等大意の事)、新2096・全1249〉

 ・蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし』(撰時抄288頁)

 ・ 『尼ごぜんの御すがたをば・みまいらせ候はねども心をば・これに・とどめをぼへ候へ、日蓮こいしく・をはせば常に出ずる日ゆうべに・いづる月ををがませ給え、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり、又後生には霊山浄土に・まいりあひ・まひらせん』(国府尼御前御書、1325頁)

 ・『蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか』(諸法実相抄1360頁) 

 ・蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し』(四菩薩造立抄、988頁)

 ・蓮は日本国の東夷東条、安房国の海辺の旃陀羅が子なり。いたずらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせんこと、あに石に金をかうるにあらずや。各々なげかせ給うべからず。』(佐渡御勘気抄、新1196・全891)

  ・蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし』(佐渡御書、960頁)

 ・来」とは、三界の衆生なり。この衆生寿量品の眼開けてみれば、十界本有と実のごとく知見せり。』(御義口伝、新1050・全753)

 ・くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん(顕仏未来記、新612・全509)

 

 ・『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』(椎地四郎殿御書1448頁)

 ・不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』(御義口伝769頁)

 ・法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり』(四条金吾殿御返事、1169頁)

 ・母の家を出て出家の身となるは、必ず父母をすくはんがためなり。二乗は、自身は解脱とをもえども、利他の行かけぬ。たとい分々の利他ありといえども、父母等を永不成仏の道に入るれば、かへりて不知恩の者となる。(開目抄上、新58㌻、全192㌻)

 ・薩と申すは、必ず四弘誓願をおこす。第一の衆生無辺誓願度の願成就せずば、第四の無上菩提誓願証の願は成ずべからず』(小乗大乗分別抄、新632・全522)

 ・妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し』(南条殿御返事、1578頁)

 ・忘れても華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり。加様に心得て唱うる題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし』(松野殿御返事、1382頁)

 ・『日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり、過去現在の末法の華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』(聖人御難事、1190頁)

 ・『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり、されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり』(日女御前御返事、1243頁)

 ・『法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや』(四条金吾殿御返事、1117頁)

 ・『薩とは仏果を得る下地なり』(御義口伝上738頁)

 ・華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし』(松野殿御返事、1383ページ)

 ・『華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母六親、一切衆生をもたすけ給うべき御身なり。』(土籠御書、新1639・全1213)

 ・華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか』(撰時抄、265頁)

 ・華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり』(曾谷殿御返事、1056㌻)

 ・『本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ、になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる、既に経文のごとく悪口・罵詈・刀杖・瓦礫・数数見擯出と説かれてかかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり後生もたのもしく候、死して候はば必ず各各をも・たすけたてまつるべし』(佐渡御勘気抄、891頁)

 ・『一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・になる道は随わぬが孝養の本にて候か』(兄弟抄1085頁)

 ・夫は志ざしと申す文字を心へ(得)て仏になり候なり』(白米一俵御書、1596頁)

 ・『我等凡夫はつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ』(十字御書1491頁)

 ・『請う国中の諸人我が弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓(むつき)に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ』(四信五品抄342頁)

 ・代なれどもかしこき上、欲なき身と生まれて、三人ともに仏になり給い、ちちかた、ははかたのるいをもすくい給う人となり候いぬ。また、とのの御子息等も、すえの代はさかうべしとおぼしめせ。』〈日女御前御返事(嘱累品等大意の事)、新2096・全1249〉

 ・『とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり』(法華経題目抄947頁) 

 ・量義とは、一法従り生ず』(法華経25頁)

 ・『の悪人は又善知識なり』(富木殿御返事962頁) 

 ・し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり』(新120㌻、全236㌻)

 ・『ただ一えんにおもい切れ・からん は不思議わるからんは一定とをもへ』(聖人御難事1190頁)  

 ・『ばしきかなや・楽かなや不肖の身として今度心田に仏種をうえたる』(撰時抄286頁)

 

 ・『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり』(生死一大事血脈抄、1338頁)
 ・臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を「是人命終為千仏授手・令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候』(生死一大事血脈抄、1337頁)

 

 ・『経に云く「説己身或説他身」等云云即ち仏界所具の十界なり』(観心本尊抄、240頁)

 ・わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』(経王殿御返事、1124頁)

 ・『づかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下の人人なり』(種種御振舞御書911頁)  

 ・『願くはを損ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん』(顕仏未来記、新612、全509)

 ・『並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん事を・なげくらん、多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわかれなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし』(開目抄下234頁)

 ・ れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なにのなげきか有るべき、きさきになりても・なにかせん天に生れても・ようしなし、竜女があとをつぎ摩訶波舎波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)のれち(列)につらなるべし、あらうれし・あらうれし』(富木尼御前御返事、976頁)

 ・『くびやう(臆病)物をぼへず・よく(欲)ふか(深)く・うたがい多き者どもは・ぬ(塗)れるうるし(漆)に水をかけそら(空)をき(切)りたるやうに候ぞ』(聖人御難事1191頁) 

(283)南部六郎殿御書 (新1806㌻、全1374㌻)

文永8年(ʼ71)5月16日 50歳 波木井実長

 眠れる師子に手を付けざれば瞋らず、流れにさおを立てざれば浪立たず、謗法を呵責せざれば留難なし。

もし善比丘あって、法を壊る者を見て、置いて、呵責せずんば」の「置」の字をおそれずんば、今は吉し、

 後を御らんぜよ、無間地獄疑いなし。

 

 故に、南岳大師、四安楽行に云わく「もし菩薩有って、悪人を将護して治罰すること能わず、それをして悪を長ぜしめ、善人を悩乱し、正法を敗壊せば、この人は実には菩薩にあらず。外には詐侮を現じ、常にこの言を作さん。『我は忍辱を行ず』と。その人は命終して、諸の悪人とともに地獄に堕ちん」云々。

 十輪経に云わく「もし誹謗せば、応に共住すべからず、また親近せざれ。もし親近し共住せば、即ち阿鼻地獄に趣かん」云々。

 栴檀の林に入りぬれば、たおらざるにその身に薫ず。

 誹謗の者に親近すれば、修するところの善根ことごとく滅して、ともに地獄に堕落せん

 故に、弘決の四に云わく「もし人、本悪無きも、悪人に親近せば、後必ず悪人と成り、悪名天下に遍からん」。

 

 およそ謗法に内外あり。

 国家の二つこれなり。

 外とは、日本六十六箇国の謗法これなり。

 内とは、王城九重の謗りこれなり。

 この内外を禁制せざれば、宗廟・社禝の神に捨てられて、必ず国家亡ぶべし。いかにと云うに、宗廟とは国王の神を崇む。社とは地の神なり。禝とは五穀の総名、五穀の神なり。この両神、法味に飢えて国を捨て給うが故に、国土既に日々衰減せり。

 

 故に、弘決に云わく「地広くして敬を尽くすべからず。封じて社となす。禝とは、謂わく五穀の総名にして、即ち五穀の神なり。故に、天子の居する所には宗廟を左にし、社禝を右にし、四時・五行を布き列ぬ。故に、国の亡ぶるをもって社禝を失うとなす」。

 故に、山家大師は「国に謗法の声有るによって万民数を減じ、家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」と。故に、分々の内外有るべし。

  五月十六日    日蓮 花押

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