2024年1月26日
原田会長が談話
1・26「SGIの日」に誓う
池田先生の平和行動を胸に刻み「民衆のスクラム」を力強く拡大
1975年1月26日、グアムの地で結成されたSGI(創価学会インタナショナル)――。
当時、その場に集ったのは51カ国・地域のメンバーだったが、仏法を基調にした創価の民衆運動の連帯は、今や世界192カ国・地域にまで大きく広がっている。
池田大作先生はSGI会長として、世界平和や国連強化のための行動を続ける中、83年から、1・26「SGIの日」に寄せる形で平和提言の発表を40回にわたって続けてきた。
またSGIも、国連NGOとして軍縮・人権・環境・人道などの分野で積極的に活動を続ける一方、メンバー一人一人が世界各地で信頼と友情の輪を築き上げてきた。
こうした意義深き原点の日を迎えるに当たって、原田会長は「1・26『SGIの日』に誓う」と題する談話を発表した。
その中で原田会長は、池田先生が第3次世界大戦を絶対に起こさせてはならないとの信念に基づき、東西の冷戦対立などが激化していた1970年代に、中国、ソ連、アメリカを相次いで訪問した歴史に言及。
池田先生のこうした平和行動の真っただ中で結成されたのがSGIにほかならないと力説するとともに、毎年の平和提言で先生が一貫して重点を置いてきたテーマが、核兵器を巡る問題であったことを強調。
先生が繰り返し訴えてきた核兵器禁止条約が、戸田先生の「原水爆禁止宣言」60周年に当たる2017年に採択された意義を述べつつ、最後の平和提言(2022年)の結びの言葉に込められた「核兵器のない世界」への思いを受け継ぎ、その実現を誓いとして共に果たすことを呼びかけている。
また、SGIの今後の取り組みとして、池田先生の精神を胸に刻みながら、地球的課題を解決するための具体的な提案を継続的に発信していくことを表明している。
原田会長の談話
1・26「SGIの日」に誓う
核兵器のない世界を築き 人類の未来を開く
40回に及ぶ提言を重ねてきた池田先生
三代の会長の精神を受け継ぎ
地球的課題に立ち向かう挑戦を
1995年1月26日、ハワイの東西センターで講演する池田先生。直前の17日に阪神・淡路大震災が発生する中、先生はハワイへの出発を延ばし、被災者への励ましに全力を。提言を24日に発表し、日本を出発したのは25日の夜だった。先生の毎年の提言は、こうした激闘の中で続けられてきたものにほかならなかった。
きょう1月26日で、SGI(創価学会インタナショナル)の結成から50年目の日を迎える。
あの日あの時、池田先生はスピーチを結ぶに当たって、「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼びかけられた。
以来、先生はその先頭に立って、二度にわたる世界大戦のような惨劇を再び起こさせないために、各国の指導者や識者と対話を重ね、世界の分断や対立の深まりに対して“防非止悪”の歯止めをかける挑戦を続ける一方で、民衆が連帯して「平和の文化」を築くための潮流を広げてこられたのである。
第3次世界大戦を起こさせない
その中で、池田先生が各国の指導者や識者と重ねられてきた対話は1600回以上に及び、対談集は80点にものぼる。この第1号となったのが、1972年に発刊された、“欧州統合の父”リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯との対談集だった。
ベトナム戦争が激化していた67年に出会って以来、先生と何度も会談したクーデンホーフ=カレルギー伯が、“世界の分断がこのまま進めば、第3次世界大戦によって全文明の決定的な崩壊につながりかねない”と警鐘を鳴らしつつ、こう述べたことがある。
「新しい宗教波動だけが、この趨勢を止め、人類を救うことができる。創価学会は、それ故に、偉大なる希望である」と。
この言葉は、“地球上から悲惨の二字をなくしたい”との戸田先生の熱願を果たすため、東奔西走を続ける池田先生の烈々たる気迫を、強く感じ取ったからこそ発せられたのではないかと思えてならない。
その先生の信念の骨格を物語るエピソードが、『法華経の智慧』で紹介されている。第3代会長就任の翌年(1961年)に起きたベルリン危機に続いて、キューバ危機が62年に勃発するなど、その衝撃がさめやらぬ中で、先生が「撰時抄」の講義(64年発刊)を執筆されていた折の話である。
――御文の一文一句から、現代の世界が顧みるべき日蓮大聖人の精神をくみ取るべく、全力で取り組まれる中、執筆の作業が「前代未聞の大闘諍、一閻浮提に起こるべし」(新165・全259)の箇所にさしかかった。
この一節に対し、教学部の間では“第三次世界大戦が起こるとの意味ではないか”との考えを抱くメンバーもいた。しかし先生は、断固として言われた。
「もし本当に第三次世界大戦が起これば、原水爆等によって、人類は滅亡してしまう。かつての大戦以上の悲惨と苦悩を、人類は、また味わわなければならないのか。それでは仏法者として、あまりに無慈悲ではないか。われわれは、第二次世界大戦をもって、『前代未聞の大闘諍』と決定しよう。どんなことがあっても、第三次世界大戦は起こさせない」
「広宣流布という世界の恒久平和、人類の幸福を、必ず達成しようではないか」と。
この信念のままに池田先生は、冷戦対立などが激化する中で、SGI結成の前年(1974年)に、中国とソ連を相次いで初訪問された。6月に初訪中を終えて、時を置かずして初訪ソの準備に当たられたが、共産主義国に続けて足を運ぶことに対し、懸念の声や心ない非難の声もあった。それでも、先生の信念は全く揺るがなかった。
「私は、なんのためにソ連に行くのか。それは、なんとしても第三次世界大戦をくい止めたいからです。だから中国に続いて、ソ連に行き、それから、アメリカにも行きます。日蓮大聖人のお使いとして、生命の尊厳と平和の哲学を携えて、世界平和の幕を開くために行くんです」と訴えられたのである。
核兵器禁止条約の実現にかけた信念
さまざまな批判の嵐を打ち払って、池田先生は初訪ソ(74年9月)を果たし、中国を再訪(同年12月)した後、年明け早々の1月6日からアメリカに向かい、青年部が集めた「核廃絶1000万署名簿」を国連本部に届けられた。
そして、1月26日に、太平洋戦争の激戦地でもあったグアムにおいて、SGI結成の会合に臨まれたのである。この1975年のSGIの結成を機に、先生は一段と力強く平和のメッセージを世界に発信されるようになった。
同年11月に広島での本部総会講演で、核全廃を実現するための優先課題の一つとして「核兵器の先制不使用」の必要性を訴えたのをはじめ、78年5月には、第1回国連軍縮特別総会への提言を行い、「あらゆる国の核兵器の製造、実験、貯蔵、使用を禁止し、最終的には地上から、すべての核兵器を絶滅する」との年来の主張を訴えられた。
この池田先生の呼びかけは、時を経て2021年1月に発効した核兵器禁止条約の主眼と、まさに重なり合うものだった。
さらに先生は、1982年6月の第2回国連軍縮特別総会にも提言を寄せられた。
そして、83年1月、「SGIの日」に寄せる形で最初の平和提言を発表され、以来、2022年まで毎年、のべ40回に及ぶ提言を重ねてこられたのである。
1回目の提言の柱となっていたのは、まさしく核兵器の問題であり、40回目の提言に至るまで、紛争防止や人権、環境や人道問題など多岐にわたる地球的課題が論じられる中、毎年のように繰り返し取り上げられてきたテーマもまた、核兵器の禁止と廃絶への道を開くための提案にほかならなかった。
池田先生が毎年の提言をはじめ、あらゆる機会を通じて、核兵器禁止条約の制定を強く呼びかける中、ついに2017年7月7日、条約は国連で採択をみた。
その採択の翌月、池田先生は戸田先生とお会いして70周年となる日(8月14日)に執筆された一文で、条約の採択が実現したことへの真情を、こう綴っておられる。
「私が、具体的な提案を呼び掛ける上で、特に重視してきたのが、次の四点である。
①市民社会が連帯して声を上げる
②核兵器の非人道性を議論の中軸に据える
③国連を舞台に条約づくりを進める
④被爆者の思いを条約の基本精神に刻む
二〇〇七年からは、SGIとして、『核兵器廃絶への民衆行動の十年』の取り組みを進め、核兵器廃絶国際キャンペーンなど多くの団体と協力して連帯を広げてきた。
こうした核廃絶への四つの潮流を国際社会で押し上げる努力を続けるなかで、『核兵器禁止条約』が一二二カ国の賛成を得て、ついに採択されたのである。
あの日、三ツ沢の競技場で誓った先生との約束を、大きく果たしゆく歴史が刻まれたことは、弟子として無上の誉れである。『核兵器禁止条約』への各国の署名は、奇しくも『原水爆禁止宣言』六十周年と時を同じくして、九月の国連総会の開幕を機に始まることになった」と。
戸田先生の「原水爆禁止宣言」以来、池田先生が師弟共戦の行動を重ねてこられた信条は、最後の平和提言となった2022年の提言の結びの言葉にも凝縮されている。
私たちは、以下の結びの言葉を、創価学会の社会的使命の根幹をなすものとして受け継ぎ、力を合わせて果たしゆくべき池田先生との誓いとして行動を広げてまいりたい。
「核兵器の非人道性は、その攻撃がもたらす壊滅的な被害だけにとどまりません。
どれだけ多くの人々が、“社会や世界を良くしたい”との思いで長い歳月と努力を費やそうと、ひとたび核攻撃の応酬が起これば、すべて一瞬で無に帰してしまう――。あまりにも理不尽というほかない最悪の脅威と、常に隣り合わせに生きることを強いられているというのが、核時代の実相なのです。
私どもが進めてきた核廃絶運動の原点は、戸田第2代会長が1957年9月に行った『原水爆禁止宣言』にあります。
核保有国による軍拡競争が激化する中、その前月にソ連が大陸間弾道弾(ICBM)の実験に初成功し、地球上のどの場所にも核攻撃が可能となる状況が、世界の“新しい現実”となってまもない時期でした。
この冷酷な現実を前にして戸田会長は、いかなる国であろうと核兵器の使用は絶対に許されないと強調し、核保有の正当化を図ろうとする論理に対し、『その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい』と、語気強く訴えたのです。
一人一人の生きている意味と尊厳の重みを社会の営みごと奪い去るという、非人道性の極みに対する戸田会長の憤りを、不二の弟子として五体に刻みつけたことを、昨日の出来事のように思い起こします。
私自身、1983年以来、『SGIの日』に寄せた提言を40回にわたって続ける中で、核問題を一貫して取り上げ、核兵器禁止条約の実現をあらゆる角度から後押ししてきたのも、核問題という“現代文明の一凶”を解決することなくして、人類の宿命転換は果たせないと確信してきたからでした。
時を経て今、戸田会長の『原水爆禁止宣言』の精神とも響き合う、核兵器禁止条約が発効し、第1回締約国会合がついに開催されるまでに至りました。
広島と長崎の被爆者や、核実験と核開発に伴う世界のヒバクシャをはじめ、多くの民衆が切実に求める核兵器の廃絶に向けて、いよいよこれからが正念場となります。
私どもは、その挑戦を完結させることが、未来への責任を果たす道であるとの信念に立って、青年を中心に市民社会の連帯を広げながら、誰もが平和的に生きる権利を享受できる『平和の文化』の建設を目指し、どこまでも前進を続けていく決意です」
具体的な提案をSGIとして発信
私たちは、SGIの結成に当たって池田先生が呼びかけられた言葉とともに、この最後の提言の一節を、「人道的競争」を提唱した牧口先生の思想や、「原水爆禁止宣言」に脈打つ戸田先生の精神と合わせて、創価学会の平和運動の礎に据えて、志を同じくする人々や団体と連帯し、「核兵器のない世界」と「戦争のない世界」の実現を目指していきたい。
そして、核廃絶や戦争の防止はもとより、環境や人権、気候危機や人道問題など、人類が直面するさまざまな課題を解決するための提言を、SGIとして継続的に発信していくことを、ここに誓うものである。
かつて池田先生は、平和提言の発表をたゆむことなく続けてきた信念の支えになってきたものとして、次のような戸田先生の言葉に言及されたことがあった。
「人類の平和のためには、“具体的”な提案をし、その実現に向けて自ら先頭に立って“行動”することが大切である」
「たとえ、すぐには実現できなくとも、やがてそれが“火種”となり、平和の炎が広がっていく。空理空論はどこまでも虚しいが、具体的な提案は、実現への“柱”となり、人類を守る“屋根”ともなっていく」
私たちも、池田先生の弟子として、三代の会長の“平和と人道の闘争”に一分なりとも連なるべく、それぞれの使命の舞台で「平和の文化」の担い手として行動し、人類の悲惨の流転史を変革するための「民衆のスクラム」をどこまでも力強く広げていきたい。
〈引用文献〉 クーデンホーフ=カレルギーの言葉は、齋藤康一著『写真 池田大作を追う』(講談社)所収。2017年8月の池田先生の言葉は、創価学会神奈川青年部編『受け継がれる平和の心』(潮出版社)所収の特別寄稿から。
2022年1月27日
第47回「SGIの日」記念提言㊦
「人類史の転換へ 平和と尊厳の大光」
日本と中国が行動の連帯を広げ
気候危機を打開する牽引力に
続いて、現在の世代だけでなく、これから生まれる世代のために、何としても早期に解決を図らねばならない三つの課題について、具体的な提案を行いたい。
第一の課題は、気候変動問題の解決です。
長年にわたって警鐘が鳴らされてきたにもかかわらず、地球温暖化の勢いに歯止めがかからない状況が続いています。
異常気象の被害も拡大の一途をたどっており、そうした中で、干ばつや森林火災が各地で頻発するとともに、海洋でも水温上昇や酸性化が進み、陸地と海洋の双方で温室効果ガスの吸収能力の低下が懸念されるという、悪循環も生じているのです。
こうした一刻の猶予もない状況下で、昨年10月から11月にかけてイギリスのグラスゴーで行われたのが、国連気候変動枠組条約の第26回締約国会議(COP26)でした。
各国の意見の違いで協議は難航し、会期が1日延長される中で、「世界の平均気温の上昇を1・5度に抑える努力を追求することを決意する」と明記した成果文書が合意されました。
2015年に採択されたパリ協定では、「2度未満」に抑えることが主力の目標だっただけに、今回、「1・5度」が新たな共通目標となった点は、大きな前進と言えます。
しかし、各国が表明した温室効果ガスの削減目標のみでは達成は困難とみられており、さらなる対策の強化が欠かせません。
この点に関し、COP26のアロック・シャルマ議長は、閉幕にあたっての声明で次のような注意喚起をしていました。
「1・5度という目標は堅持できました」
「しかしその鼓動は、依然として弱いと言わざるを得ません。だからこそ、歴史的な合意に達したとはいえ、その評価は各国が署名を行った事実だけではなく、署名国が約束を順守して実行できるかどうかにかかっているのです」と。
その意味で、予断を許さない状況は今後も続きますが、局面の打開につながるシナリオがまったく存在しないわけではない。
世界資源研究所などがまとめた報告書によると、温室効果ガスの排出量の75%を占めるG20諸国が、「1・5度」の目標に沿って削減を加速させ、2050年までに“排出量の実質ゼロ”を達成すれば、平均気温の上昇幅を目標の一歩手前である、1・7度以内にまで近づけることは可能だというのです。
国交正常化50周年を機に協力を深化
そこで私は、COP26でアメリカと中国が気候変動問題での協力を約束したのに続く形で、日本と中国が同様の合意を図り、問題解決に向けた希望のシナリオを共に生み出していくよう、強く呼びかけたい。
アメリカと中国の共同宣言では、温室効果が高いメタンの削減をはじめ、再生可能エネルギーの分野や、違法な森林破壊の阻止などの面で、2030年に向けた協力を進めることが盛り込まれています。
近年、米中両国の間で緊張が高まっていますが、世界の温室効果ガスの4割以上を排出する両国が、人類共通の課題のために歩み寄った意義は誠に大きいと言えましょう。
日本と中国の間でも、気候変動問題での協力を強化する合意を、早期にとりまとめるべきではないでしょうか。
本年は、日中国交正常化から50周年にあたります。
次なる50年の出発を期す意義を込めて、「気候危機の打開に向けた日中共同誓約」を策定し、持続可能な地球社会のための行動の連帯を広げていくことを提唱したいのです。
日本と中国には、環境問題で長年にわたり協力を重ねてきた実績があります。
出発点となったのは、両国を行き来する渡り鳥とその生息環境を守る協定(1981年)で、1994年には日中環境保護協力協定が結ばれ、1996年に日中友好環境保全センターが北京に設立されました。
その後も、さまざまな分野で協力が進み、大気汚染の防止をはじめ、植林や森林保全、エネルギーや廃棄物対策など、数多くの成果が積み上げられてきたのです。
思い返せば、日中友好環境保全センターの設立10年を迎えた年に、私は北京師範大学からの名誉教授称号の授与式(2006年10月)で、両国の環境協力の歴史に触れながら、こう呼びかけたことがありました。
「この流れを、さらに加速させていかねばならない。そのために、100年先の長期展望に立った、
包括的かつ実効的な
『日中環境パートナーシップ(協力関係)』の構築を、
私は、ここに強く提言しておきたいのであります」
「そして日中両国が、大切な隣国である韓国とも力を合わせて、『環境調査』や『技術協力』、『人的交流』や『人材育成』等を、より強固に推進していくならば、その波動はアジア全体はもとより、全地球的なスケールで広がっていくことは絶対に間違いないと、私は確信するものであります」と。
これまでも日中友好環境保全センターを拠点に、アメリカ、ロシア、EU(欧州連合)諸国とのプロジェクトを進めてきたほか、100カ国以上の途上国を対象に環境行政を担う人々の研修を実施するなど、日中の環境協力は大きな相乗効果を生んできました。
気候危機の打開に向けて、日本と中国がこれまでの実績を基盤に、韓国をはじめアジア諸国との協力をさらに深めながら、世界に“希望と変革の波動”を広げる挑戦を力強く進めることを願ってやみません。
プラスの連鎖を力強く生み出す
この「国家間の協力」に関する提案と併せて呼びかけたいのは、「国連と市民社会との連携」を強化するための制度づくりです。
具体的には、気候や生態系をはじめとする
「グローバル・コモンズ(世界規模で人類が共有するもの)」
を総合的に守るための討議の場を国連に設けて、青年たちを中心に市民社会が運営に関わる体制を整えることを呼びかけたい。
気候変動枠組条約と
生物多様性条約
への署名を開始した場となり、
砂漠化対処条約
を生み出す契機となった国連環境開発会議(地球サミット)が、ブラジルのリオデジャネイロで開催されてから本年で30年を迎えます。
三つの条約については2001年に共同連絡グループが設けられ、情報の共有や活動の調整がされてきましたが、市民社会による支援を得ながら、対策の連動をさらに力強く進めるべきではないでしょうか。
私は、そこに気候変動問題を解決するための活路があると考えます。いずれの問題も深く結びついているからこそ、解決策も相互に連動させることで、困難の壁を打ち破る新しい力が生まれていくからです。
「グローバル・コモンズ」には、各国の主権が及ばない公海をはじめ、北極や南極とともに、地球を覆う大気や生態系のような、人類の生存と繁栄に不可欠なものが含まれており、最大の焦点は、現在から将来の世代にわたっての保全を図ることにあります。
昨年から、生態系の回復に関する国連の10年=注4=がスタートしましたが、三つの条約以外の分野も含めて対策を連動させながら、問題解決の前進を相互に後押しする“プラスの連鎖”を起こすべきだと訴えたいのです。
3月には、国連環境計画(UNEP)の創設50周年を記念した、国連環境総会の特別会合がケニアのナイロビで行われます。
この特別会合で、「グローバル・コモンズ」の観点に基づいて環境問題への総合的な取り組みを強化する方針を盛り込んだ宣言を、採択することを呼びかけたい。その上で、「グローバル・コモンズ」に関する問題を集中的に討議するための場を国連に設けるべきだと考えるのです。
私は昨年の提言で、青年の視点による提案を国連の首脳に届ける「国連ユース理事会」を創設する重要性を訴えました。例えば、こうした青年主体の組織に、その討議を担う役割を託してはどうでしょうか。
2019年に国連で行われたユース気候サミットに続いて、昨年9月、国連ユース理事会のイメージを彷彿とさせるような、若者たちによる国際会議「ユース・フォー・クライメート」が、イタリアのミラノで開催されました。COP26に先立つ形で行われたもので、若い世代の声とアイデアを政府間交渉につなげる場となったのです。
パリ協定のほぼすべての署名国を含めた186カ国から、約400人の若者が集った国際会議には、創価学会青年部の代表も参加しました。その会議の宣言で打ち出されたのが、次の要望事項だったのです。
「気候変動枠組条約において、若者の参加を促進する機関を設置し、若者が締約国の代表たちと、また若者たち同士で、公式かつ定期的に対話ができる常設的な場を提供すること」
「若者の発言に関して、全体会合における最後というよりも、最初や途中でも発言できるようにすることをはじめ、会期中で若者の発言の機会を増やすこと」
このように、自分たちの生活や将来に深刻な影響をもたらす気候変動問題に対し、協議や意思決定のプロセスに一貫して関わることができる制度づくりを、世界の青年たちは切実に求めているのです。
危機の現場に集い共に解決策を探る
その意味で、国連ユース理事会の構成にあたって何よりも大切なのは、ミラノで行われた国際会議と同様に、世界のすべての国に参加の道を開くことだと思います。
国連ユース理事会の運営においては、通常の討議はオンラインで実施し、重要な決定を行う全体会合は半年に一度、会場をさまざまな場所に移しながら、対面で行う形態も考えられましょう。
その上で、毎回の全体会合における成果を、国連での意思決定につなげるべきだと考えるのです。
国連の歴史をひもとけば、当初、複数の都市から誘致の声が上がり、国連本部の設置場所が決まらない中で、「航海を行う船の上に国連を設置し、恒久的な世界周航状態に置く」という案が出されたこともあったといいます。
実際、ニューヨークの国連本部が完成するまで、最初の国連総会はロンドンで行われ、第3回の総会はパリで行われるなど、他の都市で国連総会が開催された経緯があったのです。
国連の議場を船舶に設けて世界の海を航行する案は、当時でも奇抜だったでしょうが、どの国の主権も及ばない公海は「グローバル・コモンズ」の象徴でもあり、そのアイデアには“人類の議会”としての国連に込められた思いを偲ばせるものがあります。
こうした国連の創設前後の歴史を踏まえて、ユース理事会の全体会合もニューヨークの国連本部に限定せず、さまざまな国で行うことも一案ではないでしょうか。
「緊急時の教育」の対応が各国共通の重要課題に
開催地の選定にあたっては、各国の青年たちに加えて、気候変動の影響に伴う損失と損害や、生態系の悪化が深刻な地域から、多くの市民社会の代表が参加しやすい場所を、優先的に選ぶ方法もありましょう。
この点、私が創立した戸田記念国際平和研究所では、さまざまな会議を行うにあたり、その会場として、テーマとなる課題が深刻な地域を選んできたことが多くありました。
「現実に苦しんでいる民衆の声を聞き、民衆の側に立つ」との理念に基づくもので、現在も、海面上昇の影響が深刻である、太平洋の島嶼地域に焦点を当てた気候変動問題の研究プログラムを進めています。
国連ユース理事会の全体会合を行う際にも、危機の現場に近い場所から打開策を探ることが大切になると思えてなりません。
そうした国連への青年参画の制度づくりを、「国連と市民社会との連携」を強化するための突破口にすべきだと考えるのです。
この提案に関連し、国連子どもの権利委員会が先月から開始した取り組みについても言及しておきたい。
同委員会では、子どもの権利と環境、特に子どもと気候変動を巡る課題に焦点を当てた重要文書となる「一般的意見26号」を起草するにあたって、NGOやすべての世代からの意見の募集を開始したのに続き、来月からは特に世界の子どもたちを対象に意見を募集することになりました。
今後は、この「一般的意見26号」の起草に子どもたちが参加する諮問チームの発足も予定されており、子どもたちの声が世界の取り組みに反映されることを期待するものです。
私どもSGIも、青年たちを中心に環境問題に関する活動を続けてきました。
昨年、COP26がグラスゴーで行われた際には、地球憲章インタナショナルと新たに共同制作した「希望と行動の種子」展を開催したほか、COP26に設けられた参加団体による意見表明の場で、次のような声明を発表しました。
「青年たちの声に耳を傾けることは、オプションではない。世界の未来を心から憂慮するのであれば、必然的に進むべき唯一の道である」と。
人間には、いかなる試練も乗り越える力が具わっています。なかんずく、“未来は自分たちの手で切り開く”との信念で立ち上がった青年たちの連帯こそ、その何よりの原動力となるものではないでしょうか。
長期の学校閉鎖が引き起こした影響
第二の課題は、子どもたちの教育機会の確保とその拡充の取り組みです。
パンデミックの発生で、国際社会の注意が公衆衛生と経済の危機に集中する中で、もう一つの深刻な危機が各国で広がりました。
学校の閉鎖や授業の中断によって、教育の機会が著しく失われた危機です。
その影響を受けた子どもたちは、約16億人に及んだと推計されています。
学校の閉鎖に伴う影響は、
学びの時間が大幅に奪われたことだけにとどまりません。
友だちとの日常的な交流が急に途絶えてしまい、
成長の手応えや未来の希望を感じる機会も失った結果、
孤独感を深めたり、
意欲をなくしたりするなど、
多くの子どもたちが精神的なダメージを受けました。
また、貧困地域や経済的な困難を抱える家庭の子どもにとって“毎日の栄養面を支える生命線”となっていた給食の提供が、突然の休校で中止される状態が続いたため、
低体重や貧血といった症状が広がることが懸念されています。
このような長期の休校や対面授業の中断が、世界的規模で一斉に起きたことは、学校教育の歴史で前例がないといわれます。
学校閉鎖の影響を最小限に抑えるために、多くの国がオンライン形式による遠隔学習を導入したものの、
デジタル環境の普及を巡る格差が壁となり、
その機会を得られない子どもたちが多数にのぼりました。
紛争や災害などの「緊急時の教育」の支援に取り組んできた、ECW(教育を後回しにはできない)基金=注5=では、コロナ危機に即応して、2920万人の子どもたちのために遠隔学習の実現などを後押ししましたが、こうした国際支援の強化が欠かせません。
また、インターネット以外の手段で遠隔学習を進めた国々の事例もあり、その経験を他の国でも共有しながら、大勢の子どもが教育の機会を早急に取り戻せるようにすることが必要と言えましょう。
例えば、シエラレオネでは、パンデミックの発生直後にラジオを活用した遠隔学習が始まり、260万人の生徒が学校の閉鎖中も授業を受け続けられました。
以前にエボラ出血熱が発生した時の対応を生かしたもので、遠隔学習の効果も実証済みだったため、新型コロナの場合にも即座に対応できたというのです。
南スーダンでも、太陽光で充電できるラジオを困窮家庭の子どもたちに配布したほか、スーダンでは学校の宿題を新聞に掲載するなどの方法がとられましたが、子どもの教育を第一に考え、各国が柔軟に対策を進める意義は大きいのではないでしょうか。
何よりも大切なのは、いついかなる時でも、子どもたちがどのような環境に置かれていたとしても、そこに「教育の光」を届け続けることにあると信じるからです。
創価教育の源流に脈打つ情熱と信念
国連のグテーレス事務総長は、国連で働き始める前に、貧困地域で子どもたちに数学を教える活動をしたことがあり、その経験を踏まえながら、次のように強調していました。
「リスボンのスラム街で、
教育は貧困をなくす原動力であり、
平和への力となることを目の当たりにした」と。
歴史を振り返れば、私が創立した創価教育の学校と大学にとって永遠に忘れてはならない源流も、今から100年ほど前に、牧口初代会長と戸田第2代会長が心血を注いだ教育実践にありました。
当時の東京で、
貧困家庭の子どもたちのために開設された特殊小学校に、
校長として赴任した牧口会長は、
校内の宿舎に住み込みながら、
栄養不足の児童に
給食を用意するために奔走したり、
病気になった児童の家に
自ら足を運んで面倒をみたりしていました。
壊れた窓ガラスに厚紙をあてて、
外気の侵入を防いでいるような状況の学校で、
校長として奮闘を続ける様子について、
学校を訪問した教育関係者はこう綴っています。
「ただ熱情をもって、
彼ら貧民子弟の教育に尽くそうということだけに、
全精神が打ち込まれているらしく見えた」
(「創価教育の源流」編纂委員会編『評伝 牧口常三郎』第三文明社を参照。現代表記に改めた)
戸田第2代会長も同じ小学校で働き、牧口会長を支えながら、当時の東京で最も厳しい環境下で生きる子どもたちに「教育の光」を届けるべく、若き情熱を燃やしたのです。
創価教育の学校で小学校から大学にいたるまで、
経済的に就学が困難な生徒や学生などを支援するために、
奨学金の拡充に努めてきた理由の一つも、
そうした二人の先師の精神を継承したものにほかなりません。
さらに創価大学では、
日本の学生や留学生への経済的な支援のほかに、
2016年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の
「難民高等教育プログラム」に加わり、
難民の学生を受け入れてきました。
大学院への受け入れについても、
2017年から国際協力機構(JICA)の
「シリア平和への架け橋・人材育成プログラム」に参画してきたほか、
昨年にはUNHCR駐日事務所や国連UNHCR協会と、
大学院への推薦入学に関する協定を締結しており、
学部と大学院の両課程で受け入れの協定を結んだ
日本初の大学になっています。
世界各地で難民になった子どもや若者たちにとって、大学などの高等教育に進学できるのは5%にすぎないといわれます。
しかし難民の若者にも、他の若者と同様に、学びを深めたい分野があり、かなえたい夢があることを忘れてはならないのです。
私ども創価学会も、UNHCRの活動への支援を続ける一方、昨年1月からは“パンデミックの最中にあっても届けたい光がある”との思いで、難民とその受け入れ国の子どもたちのための活動を始めました。
ヨルダンにおいて、
音楽を通して希望を贈り、
困難を乗り越える力を育むための教育の一環として、
NGOの「国境なき音楽家」と共同して
進めているプロジェクトです。
現地で音楽教育の活動を担うことができる人々を育成しながら、子どもたちのための夏季音楽講座を各地で開催してきました。
プロジェクトに携わる音楽家のタレク・ジュンディ氏は、「私たちの活動は種をまく作業のようなものです。すぐには目に見える結果が表れなくても、確実に変化は生まれています」と述べています。
子どもたちの胸中にある“心田”に可能性の花々が咲き誇ることを信じ、祈るような思いを込めて種をまく行為に、教育の眼目はあるのではないでしょうか。
障がいのある子どもの学ぶ権利
この「緊急時の教育」の拡充と並んで、
世界共通の重点課題に挙げたいのは、
障がいのある子どもや若者の学ぶ権利を保障するための「インクルーシブ教育」の促進です。
国連児童基金(ユニセフ)が昨年11月に発表した報告書によると、障がいのある子どもの数は、世界で約2億4000万人と推計され、若い世代の10人に1人は何らかの障がいがあるといわれます。
しかし、あらゆる人々を差別なく包摂するというインクルーシブの理念に基づいて、他の子どもと同じ権利の保障を求めても、社会的な壁や差別によって阻まれることが多く、教育を受ける環境についても改善があまり進んでいません。
パンデミックの発生は、状況をさらに悪化させるものとなりました。
オンライン授業などの遠隔学習が提供されても、それぞれの障がいに対する配慮が十分でない場合には、授業をそのまま受けるのが難しいことに加え、在宅での学習には家族などによる全面的なサポートが欠かせない場合も多いからです。
SDGsでは「すべての人々に包摂的かつ公正で質の高い教育を提供する」との目標を掲げる中で、障がい者への平等な教育機会の確保や、障がいに配慮した学習環境の整備を呼びかけていますが、パンデミックで露わになった課題も含めて、早急に改善を図る必要があると思えてなりません。
そもそも、2006年に障害者権利条約が国連で採択されるにあたって、最も議論になったテーマの一つが教育でした。
その結果、教育を受ける権利を差別なく実現するために、あらゆる段階の教育制度で「インクルーシブ教育」を確保することが、明確に定められたのです。
また条約では、障がいのある人に対して「合理的配慮」がない場合は差別に当たるとの原則を示した上で、特に教育の場で配慮が欠かせない点が重ねて強調されました。
障がいが個人の問題ではなく、社会の側が変わらねばならない課題であるとの視座が、条約で打ち出された背景には、制定の過程で画期的な出来事があったからでした。
“私たちのことは、私たち抜きで決めないでほしい”との強い声を受け、各国の政府代表だけでなく、障がいを巡る問題に取り組むNGOの代表が、条約の交渉への参加を認められたのです。
現在まで、障害者権利条約には184カ国・地域が批准をしています。
今一度、条約の制定に込められた多くの人々の思いに立ち返って、「インクルーシブ教育」の実現に向けた取り組みを拡充すべきではないでしょうか。
核軍縮義務の履行に向け安全保障の見直しを推進
脳性まひの障がいがあり、現在はUNHCRの“障がいのある子どもたちの擁護者”として活動するナジーン・ムスタファさんは、自らの体験を踏まえつつ、こう語っています。
「インクルーシブ教育とは、単に、障がいのある子どもを学校に入学させることではありません。孤立感や隔たり、そして、障がいがないかもしれない他の子どもたちと自分は違うのだといった思いを感じさせることなく、障がいのある子どもたちのニーズに対応していくことです」
「障がい者用のトイレを設置したり、建物のバリアフリー化をしたりすれば良いというだけの話ではなく、誰もが自分の能力を引き出せるようにすることが、インクルーシブ教育なのです」と。
彼女は、シリアでの紛争から逃れた難民でもあり、16歳の時に車椅子に乗って移動しながら、3500マイル(約5600キロ)の距離を経て、ドイツにたどり着きました。
そこで受けた「インクルーシブ教育」の意義などを振り返ったインタビューで、障がいのある子どもたちの思いを代弁するムスタファさんが強く求めていたのが、社会全体の意識を根本的に変えることだったのです。
「私が育ったところでは、障がいがあるということは、社会の片隅で生活し、学問的にも人間的にも成長することを期待されていないということを意味していました」
「障がい者に対して社会が抱いている最大の誤解は、私たち障がい者が志や夢を持っているはずがないと思い込んでいることです。私たちの持つ夢がかなうかもしれないという胸中のかすかな希望の光が、障がいがあるというだけで消し去られるはずだ、と考えていることなのです」
ムスタファさんが訴えるように、社会における無理解や偏見によって、障がいのある子どもたちの心の中から“生きる希望”が奪われることは、決してあってはなりません。
これから生まれる世代の夢を守る
9月には、国連で「教育変革サミット」が開催されます。国連教育科学文化機関(ユネスコ)が昨年11月に発表した、教育の未来に関する報告書を受ける形で行われるものです。
ユネスコでは、社会的な変革に対応する形で教育の役割を再考するために、1972年と1996年に報告書を出してきましたが、今回はそれらに続く、四半世紀ぶりの報告書となります。2019年から2年の歳月をかけ、世界の100万人の声をくみ取りながらまとめられた報告書では、教育格差を巡って次の問題提起がされていました。
「今後に起こるかもしれない異常事態のシナリオの中には、質の高い教育がエリートの特権となり、その他の膨大な数の人々は生活に必要な物品やサービスが手に入らず、悲惨な生活を余儀なくされる世界の姿も含まれています。現在の教育格差は、今後、悪化の一途をたどり、やがて教育課程そのものが無意味になってしまうのでしょうか。これらの起こりうる変化は、私たちの基本的な人間性にどのように影響を及ぼすのでしょうか」と。
その上で、難民など厳しい状況に置かれた人々への教育支援や、障がいの有無に関係なく権利を保障する重要性にも言及し、2050年以降を見据えて教育のあり方を考え、共につくりあげることを呼びかけています。
そこで私は、教育変革サミットでの討議を通して、「緊急時の教育」や「インクルーシブ教育」を巡る課題とともに、この提言の前半で論じたような、地球大に開かれた「連帯意識」を育む「世界市民教育」に焦点を当てながら、「子どもたちの幸福と教育のための行動計画」を採択することを提唱したい。
紛争や災害をはじめ、パンデミックのような脅威は、子どもの身では対処できないものであり、「緊急時の教育」はその子どもたちを置き去りにしない証しにほかなりません。
また、初等教育から高等教育まで「インクルーシブ教育」の整備を進めることは、さまざまな差別や境遇で苦しむ子どもたちの教育環境を改善することにもつながります。
そして「世界市民教育」は、人類共通の課題に立ち向かう礎として欠かせないものです。
私自身、師である戸田第2代会長の「地球民族主義」に基づいて推進を呼びかけ、SGIでも特に力を入れてきた活動でした。
21世紀末には、地球上の人口は109億人に及ぶと予測されています。
9月のサミットで「子どもたちの幸福と教育のための行動計画」を採択して、今、盤石な基盤を築くことができれば、現在の子どもたちだけでなく、これから生まれてくる子どもたちの夢や希望も守ることができるに違いないと、強く訴えたいのです。
パンデミックが知らしめた教訓
第三の課題は、核兵器の廃絶を何としても成し遂げることです。
そのために、二つの提案をしたい。
一つ目は、核兵器に依存した安全保障からの脱却を図るためのものです。
今月3日、核保有国のアメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの5カ国の首脳が、核戦争の防止と軍拡競争の回避に関する共同声明を発表しました。
さまざまな受け止め方もありますが、「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との精神を確認し、軍事的対立の回避を共に追求する意思を表明したもので、積極的な行動につなげることが望まれます。
このような“自制”の重要性を踏まえた共同声明を基礎としながら、核拡散防止条約(NPT)の第6条で定められた核軍縮義務の履行に向けて、核保有5カ国が具体的措置を促進するための決議を、国連安全保障理事会で採択することを呼びかけたい。
そして、年内に開催予定のNPT再検討会議での合意として、「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」の開催を最終文書に盛り込み、NPTの枠外で核兵器を保有する国の参加も呼びかけながら、大幅な核軍縮を進めることを訴えたい。
コロナ危機が続く中で、世界の軍事費は増大しており、核兵器についても1万3000発以上が残存する中、その近代化は一向に止まらず、核戦力の増強が進む恐れがあると懸念されています。
またコロナ危機は、核兵器を巡る新たなリスクを顕在化させました。核保有国の首脳が相次いで新型コロナに感染し、一時的に執務を離れざるを得なかったほか、原子力空母や誘導ミサイル駆逐艦で集団感染が起こるなど、指揮系統に影響を及ぼしかねない事態が生じたからです。
そして何より、コロナ危機の発生が世界に知らしめた重大な教訓があります。
国連の中満泉・軍縮担当上級代表は、昨年9月に行った核問題を巡るスピーチで、その教訓についてこう述べていました。
「新型コロナのパンデミックの教訓として、一見、起こりそうにない出来事が、実際に前触れもなく起こり、地球規模で壊滅的な影響を及ぼしうるということがあります」と。
私もこの教訓を踏まえて、“核兵器による惨劇は起きない”といった過信を抱き続けることは禁物であると強く警告を発したい。
中満上級代表がそこで強調していたように、広島と長崎への原爆投下以降、核兵器が使用されずに済んできたのは、それぞれの時代で最悪の事態を防いできた人々の存在と何らかの僥倖があったからでした。
しかし、「国際環境が流動化し、ガードレールは腐食しているか、もしくは全く存在していない」という現在の世界において、人的な歯止めや僥倖だけに頼ることは、もはや困難になってきているというのです。
実際、核軍縮に関する二国間の枠組みは、昨年2月に米ロ両国が延長に合意した新戦略兵器削減条約(新START)=注6=だけしか残されていません。
今月に開催予定だったNPT再検討会議は、新型コロナの影響で延期され、8月に開催することが検討されています。
前回(2015年)の会議では最終文書が採択されずに閉幕しましたが、その轍を踏むことがあってはなりません。NPTの前文に記された“核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払う”との誓いに合致する具体的な措置に合意するよう、強く望みたい。
1985年の米ソ首脳の声明の意義
核保有5カ国の首脳が共同声明で再確認した、「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との精神は、冷戦時代の1985年11月にジュネーブで行われた、アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長による首脳会談で打ち出されたものでした。
この精神の重要性は、昨年6月の米ロ首脳会談における声明でも言及されたものでしたが、核時代に終止符を打つために何が必要となるのかについて討議する機会を国連安全保障理事会で設けて、その成果を決議として採択し、時代転換の出発点にすべきだと、私は考えるのです。
1985年の米ソ首脳の声明は、両国のみならず、全人類にとって有益となる核軍縮交渉の始まりを画したものとして高く評価されていますが、ゴルバチョフ氏は当時を振り返ったインタビューの中で、核軍縮に踏み切った思いについて、こう語っていました。
「これくらいでは山は崩れないだろうと思って、頂上から石をひとつ、ころがしてみたとする。ところが、その一石が引き金になって山じゅうの石がころがり出すと、山が崩れてしまう。核戦争も一緒で、一発のミサイル発射で全部が動き出してしまう。現在、戦略核の制御・管理は、完全にコンピューターに頼っていると言っても過言ではない。核兵器数が多ければ多いほど、偶発核戦争の可能性も大きくなる」(吉田文彦『核のアメリカ』岩波書店)
今なお核開発はやまず、一つまた一つと生み出される他国への対抗手段は、「これくらいでは山は崩れないだろう」との見込みで、進められているのかもしれません。
しかし、脅威の対峙による核抑止を続ける限り、極めて危うい薄氷の上に立ち続けなければならない状態から、いつまでも抜け出せないという現実に、核保有国と核依存国は真正面から向き合うべきではないでしょうか。
この点に関し、ゴルバチョフ氏が、私との対談でも次のように強調していたことを思い起こします。
「核兵器が、もはや安全保障を達成する手段となり得ないことは、ますます明確になっています。実際、年を経るごとに、核兵器はわれわれの安全をより危ういものとしているのです」(「新世紀の曙」、「潮」2009年3月号所収)と。
核兵器の使用を巡るリスクが高まっている現状を打開するには、核依存の安全保障に対する“解毒”を図ることが、何よりも急務となると思えてなりません。
核兵器禁止条約の普遍化こそ
持続可能な地球社会の礎
核抑止政策の主眼は、他国に対して核兵器の使用をいかに思いとどまらせるかにあるといわれます。しかしそこには、核使用を防ぐとの理由を掲げながらも、核抑止の態勢をとる前提として、核兵器を自国が使用する可能性があることを常に示し続けねばならないという矛盾があります。
その矛盾を乗り越えて、自国の安全保障政策から核兵器を外すためには、国際社会への働きかけを含め、どのような新しい取り組みが自国に必要となるのかを、真摯に見つめ直すことが求められるのです。
自国の安全保障がいかに重要であったとしても、対立する他国や自国に壊滅的な被害をもたらすだけにとどまらず、すべての人類の生存基盤に対して、取り返しのつかない惨劇を引き起こす核兵器に依存し続ける意味は、一体、どこにあるというのか――。
この問題意識に立って、他国の動きに向けていた眼差しを、自国にも向け直すという“解毒”の作業に着手することが、NPTの前文に記された“核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払う”との共通の誓いを果たす道ではないかと訴えたいのです。
NPT第6条が定められた意味
NPTの目的は、核兵器の脅威が対峙し合う状況を“人類の逃れがたい運命”として固定することにはないはずです。その根本的な解消を図らねばならないとの共通認識があったからこそ、NPTの重要な柱として、第6条に核軍縮義務が明確に組み込まれたことを忘れてはなりません。
冷戦時代とは異なり、緊急事態が生じても、リアルタイムの映像で互いの表情を見ながら、首脳同士が対話を行うことができる時代が到来したにもかかわらず、核兵器を即時発射できる態勢を維持し、互いの出方を疑心暗鬼のままで探り合う状態が続いています。
核保有5カ国による共同声明では、「我々の核兵器は、いずれも互いの国を標的とせず、また、他のいかなる国も標的にしていないことを再確認する」と宣言されていました。
今こそ、核保有国はこの“自制”を基礎に安全保障政策の本格的な転換に踏み出し、冷戦時代から現在まで存在してきた核兵器の脅威を取り去るべき時です。
その環境づくりのために、安全保障政策における核兵器の役割低減をはじめ、紛争や偶発的な核使用のリスクを最小限に抑えることや、新規の核兵器の開発を中止することなどについて、検討を開始する必要がありましょう。
明年には、日本でG7サミットが開催されます。その時期に合わせる形で、広島で「核兵器の役割低減に関する首脳級会合」を行い、他の国々の首脳の参加も得ながら、これらの具体的な措置を進めるための方途について集中的に討議してはどうでしょうか。
今月21日、日本とアメリカが、NPTに関する共同声明を発表しました。
そこでは、「世界の記憶に永遠に刻み込まれている広島及び長崎への原爆投下は、76年間に及ぶ核兵器の不使用の記録が維持されなければならないということを明確に思い起こさせる」と述べた上で、政治指導者や若者に対し、核兵器による悲劇への理解を広げるため、広島と長崎への訪問が呼びかけられていました。
私も以前から、政治指導者の被爆地訪問の重要性を訴え続けてきましたが、広島での首脳級会合の開催は、その絶好の機会になると思えてなりません。
首脳級会合では、核兵器のない世界の実現に向けた「核兵器の全面的な不使用」の確立を促すための環境整備とともに、私が2020年の提言で言及した、「核関連システムに対するサイバー攻撃」や「核兵器の運用におけるAI導入」の禁止についても討議することを求めたい。その一連の取り組みを通し、NPT第6条の核軍縮義務を履行するための交渉を本格化させ、核廃絶への流れを不可逆的なものにすることを、強く望むものです。
核禁条約の会合で日本が積極貢献を
核問題に関する二つ目の提案は、核兵器禁止条約に関するものです。
3月にオーストリアのウィーンで行われる条約の第1回締約国会合に、日本をはじめとする核依存国と核保有国がオブザーバー参加するよう、改めて強く呼びかけたい。そして締約国会合で、条約に基づく義務の履行や国際協力を着実に推し進めるための「常設事務局」の設置を目指すことを提唱したい。
すでに、条約に参加していない国の間で、スイス、スウェーデン、フィンランドに加えて、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国であるノルウェーとドイツも、オブザーバー参加の意向を示しています。
NATOでは、核兵器への対応について加盟国が独自の道を歩むことを認めてきた歴史があり、一方の核兵器禁止条約においても、核保有国との同盟関係そのものを禁止する規定はありません。
世界の都市が条約への支持を表明し、自国の条約への参加を促す、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の「都市アピール」にNATO加盟国の多くの都市が加わる中、締約国会合にノルウェーとドイツが参加する意義は極めて大きいといえましょう。
このアピールには、核兵器を保有するアメリカ、イギリス、フランス、インドの都市のほか、日本の広島と長崎も加わっています。
締約国会合で予定されるテーマには、「核使用や核実験による被害者支援」と「汚染地域の環境改善」も含まれており、日本が議論に参加して、広島と長崎の被害の実相とともに、福島での原発事故の教訓を分かち合う貢献をしていくべきではないでしょうか。
ハンブルク大学平和研究・安全保障政策研究所のオリバー・マイヤー主任研究員は、ドイツの参加表明を「多国間主義と核軍縮の強化に貢献できる」と評価した上で、核保有国と非保有国の「橋渡し」役を目指す日本が参加する意義について、こう述べていました。
「『橋渡し』は、橋の両側に自ら出向いて議論してこそ、可能なはず。被爆国にしかない役割を担うことができる」(「中国新聞」2021年12月6日付朝刊)と。
日本は2017年から、核保有国と非保有国の識者を交えた「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」と、同会議をフォローアップする会合を行っており、その成果を報告して、建設的な議論に資する意義も大きいと思います。こうした努力を尽くしながら、日本は早期の批准を目指すべきだと訴えたいのです。
かつて、クラスター爆弾禁止条約の第1回締約国会合が行われた時、34カ国がオブザーバー参加し、その多くが最終的に締約国になった事例もありました。
核兵器禁止条約についても同様に、より多くの国がオブザーバー参加を果たし、核兵器の廃絶を何としても成し遂げようとする締約国と市民社会の真摯な取り組みに接する中で、条約が切り開く“新しい世界の地平”を共に見つめ直すことが重要だと考えます。
核兵器禁止条約は、軍縮条約の域にとどまるものではなく、壊滅的な惨害を食い止める「人道」と、世界の民衆の生存の権利を守る「人権」の規範が骨格に据えられた条約です。
また、先に気候変動問題を論じた際に触れた「グローバル・コモンズ」の観点に照らせば、「人類全体の平和」や「未来世代の生存基盤となる地球の生態系」を守り抜く礎として、欠かせない条約にほかなりません。
その条約の真価を鑑みた上で、核兵器に依存した安全保障が、現在のみならず未来の世界にどのような影響を及ぼしかねないのかについて、胸襟を開いた対話をすべきです。
ウィーンでの締約国会合を契機に、立場の違いを超えた対話を重ねる中で、締約国の拡大とともに、直ちに署名や批准に踏み切ることができなくても、条約の真価を前向きに認める国々の輪が広がっていけば、“核時代に終止符を打つための力”に結実していくと信じてやまないのです。
その意味からも私は、核兵器禁止条約のための「常設事務局」の設置を実現させて、条約の理念と義務を普遍化させるための“各国と市民社会との連合体の中軸”としていくことを呼びかけたいと思います。
これまでSGIでは、2007年に開始した「核兵器廃絶への民衆行動の10年」を通し、ICANなどの団体と協力して、核兵器禁止条約の採択を後押しするとともに、その実現を果たした翌年(2018年)からは、「民衆行動の10年」の第2期の活動を進めてきました。
第2期では、市民社会の手で条約の理念を普及させることに力を入れており、本年もその流れをさらに強めていきたい。グローバルな民衆の支持こそが、条約の実効性を高める基盤になると確信するからです。
すべてを一瞬で無にする非人道性
思い返せば、激動の20世紀を通して何度も危機の現場に身を置いてきた、経済学者のガルブレイス博士が、この課題だけは皆で一致して取り組まねばならないと力説していたのが、核兵器の脅威を取り除くことでした(『ガルブレイス著作集』第9巻、松田銑訳、TBSブリタニカを引用・参照)。
博士が自叙伝の結びで、「回想録の著者が、どこで公事に関する筆をおくかを判断するのは難しいものである」と述べつつ、あえて締めくくりに書き留めたのは、専門とする経済の話ではありませんでした。
広島と長崎に原爆が投下された年の秋に、日本を初訪問して以来、「一度もその教訓を忘れたことはない」と語る核兵器の問題だったのです。
そこには、1980年に博士が行った演説の一節が綴られています。
「もし我々が核兵器競争の抑制に失敗すれば、我々がこの数日間議論してきた、他の一切の問題は無意味となるでありましょう。
公民権の問題もなくなるでしょう。公民権の恩恵を被る人間がいなくなるから。
都市荒廃の問題もなくなるでしょう。わが国の都市は消え失せてしまうから」
「他の一切の問題については、意見が分れても、それは差支えありません。
しかし次の一点については、合意しようではありませんか――我々が、全人類の頭上を覆う、この核の恐怖を除くために力を尽すと、アメリカ全国民、全同盟国、全人類に誓うということについては」と。
ガルブレイス博士が剔抉していたように、核兵器の非人道性は、その攻撃がもたらす壊滅的な被害だけにとどまりません。
どれだけ多くの人々が、“社会や世界を良くしたい”との思いで長い歳月と努力を費やそうと、ひとたび核攻撃の応酬が起これば、すべて一瞬で無に帰してしまう――。あまりにも理不尽というほかない最悪の脅威と、常に隣り合わせに生きることを強いられているというのが、核時代の実相なのです。
現代文明の一凶を取り除く挑戦を!
私どもが進めてきた核廃絶運動の原点は、戸田第2代会長が1957年9月に行った「原水爆禁止宣言」にあります。
核保有国による軍拡競争が激化する中、その前月にソ連が大陸間弾道弾(ICBM)の実験に初成功し、地球上のどの場所にも核攻撃が可能となる状況が、世界の“新しい現実”となってまもない時期でした。
この冷酷な現実を前にして戸田会長は、いかなる国であろうと核兵器の使用は絶対に許されないと強調し、核保有の正当化を図ろうとする論理に対し、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と、語気強く訴えたのです。
一人一人の生きている意味と尊厳の重みを社会の営みごと奪い去るという、非人道性の極みに対する戸田会長の憤りを、不二の弟子として五体に刻みつけたことを、昨日の出来事のように思い起こします。
私自身、1983年以来、「SGIの日」に寄せた提言を40回にわたって続ける中で、核問題を一貫して取り上げ、核兵器禁止条約の実現をあらゆる角度から後押ししてきたのも、核問題という“現代文明の一凶”を解決することなくして、人類の宿命転換は果たせないと確信してきたからでした。
時を経て今、戸田会長の「原水爆禁止宣言」の精神とも響き合う、核兵器禁止条約が発効し、第1回締約国会合がついに開催されるまでに至りました。
広島と長崎の被爆者や、核実験と核開発に伴う世界のヒバクシャをはじめ、多くの民衆が切実に求める核兵器の廃絶に向けて、いよいよこれからが正念場となります。
私どもは、その挑戦を完結させることが、未来への責任を果たす道であるとの信念に立って、青年を中心に市民社会の連帯を広げながら、誰もが平和的に生きる権利を享受できる「平和の文化」の建設を目指し、どこまでも前進を続けていく決意です。
語句の解説
注4 生態系の回復に関する国連の10年
2021年から2030年の10年間を通し、気候危機との戦い、食料安全保障と水供給、生物多様性の保全強化に関し、効果ある対策として、生態系の回復を促進することを目指す。2019年3月に採択された国連総会の決議では、若者をはじめ、女性や高齢者、障がいのある人々、先住民など、すべての関係者が、その取り組みに関与する重要性が強調されている。
注5 ECW(教育を後回しにはできない)基金
紛争や災害などの緊急事態をはじめ、長期化する危機の影響を受ける子どもや若者に対し、教育の機会を提供するための国際的な基金。2016年5月の世界人道サミットで設立された。難民や国内避難民への教育支援に力を入れるとともに、コロナ危機においては、子どもだけでなく教員に対する支援も行ってきた。
注6 新戦略兵器削減条約(新START)
第1次戦略兵器削減条約(START1)の後継となる条約として、2011年2月に発効したアメリカとロシアの核軍縮条約。条約の期限が迫った昨年2月、2026年まで条約の期限を延長することが決まった。中距離核戦力全廃条約の失効に続いて、領空開放(オープンスカイ)条約からも米ロ両国が離脱する中、核兵器を巡る状況が不安定さを増すことが懸念されている。
2022年1月26日
第47回「SGIの日」記念提言㊤
「人類史の転換へ 平和と尊厳の大光」
創価学会インタナショナル会長
池田大作
時代の混迷を打ち破る
「正視眼」に基づく行動を
新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)が宣言されてから、まもなく2年を迎えようとしています。
しかし、ウイルスの変異株による感染の再拡大が起こるなど、多くの国で依然として厳しい状況が続いています。
愛する家族や友人を亡くした悲しみ、また、仕事や生きがいを失った傷を抱えて、寄る辺もなく立ちすくんでいる人々は今も各国で後を絶たず、胸が痛んでなりません。
先の見えない日々が続く中、その影響は一過性では終わらず、「コロナ以前」と「コロナ後」で歴史の一線が引かれることになるのではないかと予測する見方もあります。
確かに、今回のパンデミックは未曽有の脅威であることは間違いないかもしれない。
しかし将来、歴史を分かつものが何だったのかを顧みた時に、それを物語るものを“甚大な被害の記録”だけで終わらせてはならないと言えましょう。
歴史の行方を根底で決定づけるのはウイルスの存在ではなく、あくまで私たち人間にほかならないと信じるからです。
想像もしなかった事態の連続で戸惑い、ネガティブな出来事に目が向きがちになりますが、危機の打開を目指すポジティブな動きを希望の光明として捉え、その輪を皆で広げていくことが大切になります。
病の影響が世界に及ぶ中で
健康とは何を意味するのか
脅威の様相は異なりますが、今から80年前(1942年11月)、第2次世界大戦という「危機の時代」に、創価学会の牧口常三郎初代会長は、混迷の闇を払うための鍵について論じていました(『牧口常三郎全集』第10巻、第三文明社を参照)。
目先のことにとらわれて他の存在を顧みない「近視眼」的な生き方でも、スローガンが先行して現実変革の行動が伴わない「遠視眼」的な生き方でもない。“何のため”“誰のため”との目的観を明確にして足元から行動を起こす「正視眼」的な生き方を、社会の基軸に据えるよう訴えたのです。
この「正視眼」について、牧口会長は日常生活でも必要になると論じているように、それは本来、特別な識見や能力がなければ発揮できないものではありません。
現代でも、パンデミックという世界全体を巻き込んだ嵐にさらされる経験を通し、次のような実感が胸に迫った人は少なくないのではないでしょうか。
「自分たちの生活は多くの人々の支えと社会の営みがなければ成り立たず、人々とのつながりの中で人生の喜びは深まること」
「離れた場所を襲った脅威が、時を置かずして自分の地域にも及ぶように、世界の問題は相互に深くつながっていること」
「国は違っても、家族を突然亡くす悲しみや、生きがいを奪われる辛さは同じであり、悲劇の本質において変わりはないこと」
その意味で重要なのは、未曽有の脅威の中で深くかみしめた実感を、共に嵐を抜け出るための連帯の“紐帯”としていく点にあると言えましょう。
牧口会長が心肝に染めていた仏法の箴言に、「天晴れぬれば地明らかなり」(御書新版146ページ・御書全集254ページ)とあるように、世界を覆う暗雲を打ち破って、希望の未来への地平を照らす力が人間には具わっているはずです。
そこで今回は、コロナ危機をはじめ、世界を取り巻く多くの課題を乗り越え、人類の歴史の新章節を切り開くための要諦について、三つの角度から論じていきたい。
個人の努力では抱えきれない困難
第一の柱は、コロナ危機が露わにした課題に正面から向き合い、21世紀の基盤とすべき「社会のあり方」を紡ぎ直すことです。
パンデミックは社会の各方面に打撃を及ぼしましたが、人々が置かれた状況によって、その大きさは異なるものとなりました。
以前から弱い立場にあった人々が、より深刻な状態に陥ったことに加えて、平穏な生活を送ることができていた人々であっても、個人では抱えきれない困難を背負うようになった人は決して少なくありません。
病気になった時に支えてくれる人が周囲にいるかどうか、
感染防止のための厳しい制限があっても仕事を続ける道を確保できるかどうか、
生活環境の急激な変化に自力で対応できる余裕があるかどうかなどの違いで、
打撃の大きさに隔たりがあるからです。
社会の立て直しが急がれるものの、感染者数や経済指標といった統計的なデータだけに関心が向いてしまうと、大勢の人々が抱える困難が置き去りにされるという倫理的な死角が生じかねません。
懸念されるのは、その死角を放置したままでは、すでに存在している「打撃の格差」の上に、
「回復の格差」が追い打ちをかける事態を招いてしまうことです。
ある地域に被害が集中する災害とは違って、コロナ危機では社会全体が被災しているだけに、“支援が必要な人たちが身を寄せ合う避難所”のような場所が、誰の目にもわかる形で現れるわけではないからです。
また、感染防止策の徹底を通して身体感覚に刻まれた“他者との接し方”に加えて、自分の身を自分で守らねばならない状況が続く中で、身近な出来事以外に関心が向きにくくなる“意識のロックダウン”ともいうべき傾向が広がりかねないことが懸念されます。
「打撃の格差」と「回復の格差」を解消する方途を探るために、ここで言及したいのは、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が、世界保健機関(WHO)によるパンデミック宣言の4カ月後(2020年7月)に行った講演です。
人権と社会正義のために生涯を捧げた、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領の生誕日にあたって、その功績を偲ぶ記念講演の中で、グテーレス事務総長は世界を取り巻く状況について、
“脅威”ではなく“打撃を受けた人々”に焦点を当てながら警鐘を鳴らしていました(国連広報センターのウェブサイト)。
「新型コロナウイルスは、貧困層や高齢者、障害者、持病がある人々をはじめ、社会的に最も弱い人々に最も大きなリスクを突き付けています」
その上で、
新型コロナの危機は、「私たちが構築した社会の脆い骨格に生じた亀裂を映し出すX線のような存在」になったと指摘しつつ、グテーレス事務総長が提唱したのが「新時代のための新しい社会契約」の構築だったのです。
事務総長は講演の結びで、そのビジョンの手がかりとなるものとして、かつてマンデラ氏が南アフリカ共和国の人々に呼びかけた次の言葉を紹介していました。
「我が国の人々の意識に、自分たちがお互いのために、また、他者の存在があるゆえに、その他者を通じて、この世界で生かされているのだという、人間としての連帯感を改めて植え付けることが、私たちの時代の課題の一つだ」と。
私もマンデラ氏と二度お会いしたことがありますが、在りし日の“春風のような温顔”が浮かんでくる言葉だと思えてなりません。
社会契約説の構造的な問題
近代以降の政治思想の底流をなしてきた社会契約説が抱える限界について、私も2015年の提言で、アメリカの政治哲学者のマーサ・ヌスバウム博士による問題提起を踏まえながら論じたことがあります。
『正義のフロンティア』(神島裕子訳、法政大学出版局)と題する著書で博士が指摘したのは、ロックやホッブズに端を発する社会契約説が、「能力においてほぼ平等で、生産的な経済活動に従事しうる男性」だけを、その主体として想定する形で構想されていた点でした。
その結果、互いの存在が利益を生むという「相互有利性」に重心が置かれ、女性や子どもや高齢者が当初から対象にされなかっただけでなく、障がいのある人に対する社会的包摂も遅々として進んでこなかった、と。
残念ながら今回のコロナ危機においても、こうした伝統的な考え方の影響が色濃く残っていると言わざるを得ません。
パンデミックの対応で設けられた各国の意思決定の場に、参加できた女性の割合は低く、対策についても大半がジェンダーへの配慮がなかったことが指摘されています。
子どもたちも置き去りにされがちで、教育の機会を著しく失ったほか、親を亡くしたり、家族が失業したりして、十分な養育を受けられなくなったケースも少なくありません。
また高齢者に関し、緊急事態下で対応が優先されずに必要な支援が得られなかったり、長期にわたる孤独に耐えねばならなかったりしてきた現実があります。
障がいのある人々についても、平時から容易ではなかった医療や情報へのアクセスをはじめ、さまざまな面で困難が増しており、一人一人の思いに寄り添いながら、改善を図ることが急務となっているのです。
こうした実態と正面から向き合い、「相互有利性」を第一に考える思想から脱却する時を迎えているのではないでしょうか。
維摩経で説かれた「同苦」の生命感覚
そのパラダイム転換を考えるにあたって、私が重ねて着目したのが、グテーレス事務総長が昨年6月の「世界難民の日」に寄せて述べていた言葉でした。
「私たち全員が必要なケアを受けられるとき、私たちはともに癒しを得るのです」との言葉です(国連広報センターのウェブサイト)。
紛争や迫害、また気候変動に伴う被害などから逃れるために、住み慣れた場所から離れることを余儀なくされた人々は、世界で約8240万人を超えており、各国による社会的な保護から最も疎外された環境に置かれています。
国連難民高等弁務官を長年務めた経歴も持つグテーレス事務総長が、コロナ危機によってさらに悪化した難民と避難民の人々の窮状に思いを寄せて訴えた言葉だけに、ひときわ胸に響いてならなかったからです。
またその言葉には、私どもSGIが掲げる「自他共の尊厳と幸福」を目指す生き方とも通じるものを感じてなりません。
大乗仏教の維摩経では、その生命感覚と世界観が説話を通じて示されています。
――ある時、さまざまな境遇の人々に分け隔てなく接することで慕われていた、維摩詰という釈尊の弟子が病気を患った。
それを知った釈尊の意を受けて、文殊が維摩詰のもとを訪れることになり、他の弟子たちを含めた大勢の人々も同行した。
釈尊からの見舞いの言葉を伝えた後で、文殊が、どうして病気になったのか、患ってから久しいのか、どうすれば治るのかについて尋ねたところ、維摩詰はこう答えた。
「一切衆生が病んでいるので、そのゆえにわたしも病むのです」と。
維摩詰は、その言葉の真意を伝えるべく、身近な譬えを用いて話を続けた。
「ある長者にただ一人の子があったとして、その子が病にかかれば父母もまた病み、もしも子の病がなおったならば、父母の病もまたなおるようなものです」
菩薩としての生き方を自分が貫く中で、他の人々に対して抱いてきた心情も、それと同じようなものであり、「衆生が病むときは、すなわち菩薩も病み、衆生の病がなおれば、菩薩の病もまたなおるのです」――と(中村元『現代語訳 大乗仏典3』東京書籍を引用・参照)。
実際のところ、維摩詰は特定の病気を患っていたわけではありませんでした。
多くの人が苦しみを抱えている時、状況の改善がみられないままでは、自分の胸の痛みも完全に消えることはないとの「同苦」の思いを、“病”という姿をもって現じさせたものにほかならなかったのです。
維摩詰にとって、人々の窮状に「同苦」することは、重荷や負担のようなものでは決してなく、“自分が本当の自分であり続けるための証し”であったと言えましょう。
そこには、他の人々が直面する窮状からまったく離れて、自分だけの安穏などは存在しないとの生命感覚が脈打っています。
この仏法の視座を、現在のコロナ危機の状況に照らしてみるならば、世界中で多くの人々が病気とその影響に伴う甚大な被害で立ちすくんでいる時に“健康で幸福に生きるとは何を意味するのか”という問いにも、つながってくるのではないでしょうか。
脅威の克服へ国際協力を強化
ガルブレイス博士の忘れ得ぬ言葉
この問いに思いをはせる時、経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイス博士が、かつて私との対談で述べていた言葉が脳裏に蘇ってきます(『人間主義の大世紀を』潮出版社)。
博士は、大恐慌や第2次世界大戦をはじめ、東西冷戦など多くの危機の現場に身を置き、人々が被った傷痕を目の当たりにしてきた体験を胸に刻み、経済のみならず、社会のあり方を問い続けてきた碩学でした。
その博士に、21世紀をどのような時代にしていくべきかについて尋ねたところ、次のように答えておられたのです。
「それは、ごく短い言葉で言い表せます。すなわち、“人々が『この世界で生きていくのが楽しい』と言える時代”です」と。
対談では、この時代展望を巡る対話に加えて、仏法の思想においても、“人間は生きる喜びをかみしめるために、この世に生まれてくる”との「衆生所遊楽」の世界観が説かれていることを語り合いました。
当時(2003年)から歳月を経て、ガルブレイス博士の言葉を振り返る時、改めて共感の思いを深くしてなりません。
いかなる試練も共に乗り越え、“生きる喜び”を分かち合える社会を築くことが、まさに求められている――と。
2030年に向けて国連が推進している持続可能な開発目標(SDGs)が採択されてから、本年で7年を迎えます。
コロナ危機で停滞したSDGsの取り組みを立て直し、力強く加速させるためには、SDGsを貫く“誰も置き去りにしない”との理念を肉付けする形で、「皆で“生きる喜び”を分かち合える社会」の建設というビジョンを重ね合わせていくことが、望ましいのではないでしょうか。
“誰も置き去りにしない”との理念は、災害直後のような状況の下では、自ずと人々の間で共有されていくものですが、復興が進むにつれて、いつのまにか立ち消えてしまいがちなことが懸念されます。
また、パンデミックや気候変動のように問題の規模が大きすぎる場合には、脅威ばかりに目を向けてしまうと、“誰も置き去りにしない”ことの大切さは認識できても、思いが続かない面があると言えましょう。
その意味で焦点とすべきは、脅威に直面して誰かが倒れそうになった時に、“支える手”が周囲にあることではないでしょうか。
そこで着目したいのは、冒頭で触れた「正視眼」について論じた講演で牧口初代会長が述べていた言葉です。
牧口会長は、社会で人間が真に為すべき「大善」とは何かを巡って、こう強調していました(前掲『牧口常三郎全集』第10巻を引用・参照。現代表記に改めた)。
「今までの考え方からすると、国家社会に大きな事をしないと大善でないと思っているが、物の大小ではない」。そうではなく、たとえ一杯の水を差し伸べただけであったとしても、それで命が助かったならば、大金にも代え難いのではないか、と。
そこには、「価値は物ではなくて関係である」との牧口会長の信念が脈打っています。
さまざまな脅威を克服する“万能な共通解”は存在しないだけに、大切になるのは、困難を抱える人のために自らが“支える手”となって、共に助かったと喜び合える関係を深めることであると思うのです。
仏法の精髄が説かれた法華経にも、「寒き者の火を得たるが如く」「渡りに船を得たるが如く」「暗に灯を得たるが如く」(妙法蓮華経並開結597ページ)との譬えがあります。
試練の荒波に巻き込まれて、もうだめだと一時はあきらめかけながらも、助けを得て船に乗り、安心できる場所までたどり着いた時に湧き上がってくる思い――。
その心の底からの安堵と喜びにも似た、“生きていて本当に良かった”との実感を、皆で分かち合える社会の建設こそ、私たちが目指すべき道であると訴えたいのです。
アインシュタインが鳴らした警鐘
次に第二の柱として提起したいのは、地球大に開かれた「連帯意識」の重要性です。
今回のパンデミックのように、各国が一致して深刻な脅威として受け止めた危機は、あまり前例がないといわれます。
しかし国際協力は十分には進まず、ワクチンの追加接種を進める国がある一方で、昨年末までに国民の4割が接種を終えた国はWHOの加盟国(194カ国)の半数にとどまっており、ワクチンの世界的な供給における著しい格差が浮き彫りになっています。
なかでもアフリカ諸国でワクチンが入手できない状況が続いており、接種を終えた人は全人口の約8%にすぎないのです。
ワクチンの到着を待つ人々が多くの国に残されている中で、“国際協力の空白地帯”を早急に解消することが求められます。
この現状を前にして、心ある人々の胸に去来するであろう思いと重なるような言葉を、かつて、科学者のアルバート・アインシュタイン博士が投げかけていたことがありました。
第2次世界大戦後、アメリカとソ連による冷戦が表面化して緊張が走った時(1947年)、世界が分断ではなく連帯の道を進むように訴えていた言葉です(『晩年に想う』中村誠太郎・南部陽一郎・市井三郎訳、講談社)。
博士は、中世のヨーロッパで多数の人命を奪い、「黒死病」の名で恐れられたペストに言及し、「例えば黒死病の流行が全世界を脅やかしているような場合なら、話は別になる」のではないかとして、こう力説しました。
「このような場合には、良心的な人々と専門家とが一致して黒死病と闘うための賢明な計画を作成するでしょう。とるべき手段について彼らの意見が一致すれば、彼らは各政府にたいしてその計画を委ねるでしょう」
「各国政府はこれについて重大な異議をさしはさむことなく、採るべき手段について迅速に意見の一致をみるでしょう。各国政府はよもや、この問題を解決する場合に、自国だけが黒死病の害を免れて他国は黒死病によって多数の民が斃されるというような手段をとろうと考えることはないでしょう」と。
翻って現在、博士が想定したような感染症と闘うための「賢明な計画」と「採るべき手段」については、WHOのパンデミック宣言の翌月(2020年4月)に、「ACTアクセラレーター」と呼ばれる新型コロナ対策の国際的な協力体制が発足しました。その中にあるCOVAXファシリティー=注1=の枠組みを通し、途上国へのワクチンの公平な分配を目指す活動が進められています。
以来、これまで144カ国・地域に、合計で10億回分を超えるワクチンが供給されてきました。
ただし、資金協力の遅れやワクチンの確保競争などの影響で、COVAXが当初に計画していた「20億回分の供給」には、まだ遠く及ばない状況にあり、COVAXへのさらなる支援強化が求められます。
昨年10月、イタリアのローマで開催されたG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)では、途上国へのワクチンや医療製品の供給を促進することが合意されました。
G20のハイレベル独立パネルが報告書で強調したように、世界全体からみれば、パンデミックのリスクを軽減するための必要な能力や資源が不足しているわけでも、新型コロナに効果的に対応するための科学的なノウハウや資金がないわけでもありません。
アインシュタイン博士が感染症のケースを想定して挙げていたような、「賢明な計画」と「採るべき手段」が、COVAXの活動や、G20の方針などによって明確化された今、パンデミックを克服するための最後の鍵を握るのは、自国だけでなく他国の人々を脅威から守るという、地球大に開かれた「連帯意識」の確立ではないでしょうか。
世界保健機関の創設を巡る歴史
歴史を振り返れば、WHOが創設されるきっかけとなったのは、国連憲章の制定のために1945年4月から6月まで開催された、サンフランシスコ会議での議論でした。
当初、保健衛生問題は議題にのぼる予定はなかったものの、その重要性を指摘する声があがりました。
その結果、国連憲章の第55条で、国際協力を促進すべき分野の一つとして「保健」が明記されたほか、第57条が規定する専門機関の中に「保健分野」の機関が含まれることになったのです。
設立に向けて1946年に行われた会議では、第2次世界大戦での敵味方の違いを超えて、各国が参集することが望ましいとの提案を受け、日本やドイツやイタリアなどからも代表がオブザーバーとして参加しました。
また、当時の情勢下で画期的な意義をもったのは、新しい専門機関のあり方を検討する際に、通常の加盟国とは別に「準加盟国」の資格を設けることで、植民地支配の状態が解消されないままで独立が果たせずにいた多くの地域にも参加の道を開いた点です。
新しい専門機関の名称についても、国連加盟国だけを想定したような「国連」という文字ではなく、「世界」という文字が冠されることが決まり、1948年4月に正式に発足をみたのがWHOだったのです。
戸田城聖第2代会長が提唱した
「地球民族主義」の先見性
新たな感染症に共同で備える
パンデミック条約を制定
私は以前(1993年3月)、サンフランシスコ会議が開催された会場を訪れたことがあります。
その際に行ったスピーチで、SGIとして国連支援に取り組んできた思いについて、創価学会の戸田城聖第2代会長の信念に触れながら、こう述べました。
「実は、私の恩師・戸田第2代会長は、この国連憲章の誕生と相前後して出獄し、創価学会の再建に着手いたしました。
恩師は、日本の軍国主義による2年間の投獄に屈することなく、新たな人間主義の民衆運動を開始したのであります。
それは国連憲章の理念と深く強く一致しております。
まさしく戦争の流転の歴史を、根源的に転換せんとする熱願の発露でありました。私どもは、この恩師の精神を原点として、生命と平和の哲理に目覚めた民衆の連帯を全世界に広げてきたのであります。
国連の支援も恩師の遺訓でありました。国連は20世紀の英知の結晶である。この希望の砦を、次の世紀へ断じて守り、育てていかねばならない――と」
このように、戦時中の教訓を踏まえて戸田会長が熱願としていたのは、一国の進むべき道の転換にとどまらず、世界全体の進むべき道の転換にほかなりませんでした。
そして、その信念を凝縮する形で戸田会長が70年前(1952年2月)に提唱したのが、「地球民族主義」の思想だったのです。
当時、朝鮮戦争などで国際社会の緊張が急激に高まる中にあって、人類が悲劇の流転史から抜け出すための要諦として「地球民族主義」を掲げ、その言葉に“どの国の民衆も、絶対に犠牲になってはならない。世界の民衆が、ともに喜び、繁栄していかねばならない”との思いを託したのです。
パンデミックが続く今、改めてWHOの創設の経緯を顧みた時に、その名称に冠された「世界」の文字に込められた意義が、戸田会長の「地球民族主義」の思想とも重なり合う形で胸に迫ってきます。
昨年、国連総会で181カ国の支持を得て採択された政治宣言でも、グローバルな連帯の重要性が次のように示されていました。
「我々は、国籍や場所を問わず、いかなる差別もすることなく、すべての人々、特に脆弱な状況にある人々を新型コロナウイルス感染症から守る必要性について平等に配慮し、連帯と国際協力を強化することを約束する」
本来、パンデミックの対応で焦点とすべきは、国家単位での危機の脱出ではなく、脅威を共に乗り越えることであるはずです。
昨年の提言でも強調しましたが、自国の感染者数の増加といった“マイナス”の面ばかりに着目すると、他国との連携よりも、自国の状況だけに関心が傾きがちになってしまう。
そうではなく、世界に同時に襲いかかった脅威に対して、「どれだけの命を共に救っていくのか」という“プラス”の面に目を向けて、いずれの国もその一点に照準を合わせることが、難局を打開する突破口になるはずです。
仏法にも、「人のために、夜、火をともせば(照らされて)人が明るいだけではなく、自分自身も明るくなる。それゆえ、人の色つやを増せば自分の色つやも増し、人の力を増せば自分の力も勝り、人の寿命を延ばせば自分の寿命も延びるのである」(御書新版2150ページ、趣意。※新規収録の御文)との教えが説かれています。
このような自他共に広がる「プラスの連関性」を足場として、協力と支援の明かりを灯す国が増えれば、脅威の闇を消し去る方向につながっていくのではないでしょうか。私はそこに、地球大に開かれた「連帯意識」を確立する道があると考えるのです。
その意味で肝要なのは、政治宣言で認識が共有されていたように、“国籍や場所を問わず、いかなる差別もなく平等に命を守る”との精神であると言えましょう。
医療に関わる人々の存在は「世の宝」
時代状況は異なりますが、仏典においても、人々の命を救う上でその一点を外してはならないとのメッセージが、ある医師の信念の行動を通して描かれています。
――釈尊在世のインドにおいて、マガダ国にジーバカ(耆婆)という名の青年がいた。
タクシャシラーという別の国に名医がいることを知ったジーバカは、その国まで足を運び、医術のすべてを修得した。
「多くの人々のために身につけた医術を生かそう」と帰国したものの、ある時、国王の病気を治したことを機に重宝されるようになり、「これから後は国中の者たちの治療に当たる必要はない」と、限られた人の健康だけを守るように命じられてしまった。
それでも、マガダ国の首都で病気を患った人がいた時には、国王の許可のもと、その人の家に向かって治療にあたった。
カウシャーンビーという国で暮らす子どもが病気になった時にも、急いでかけつけて手術を行ったほか、頭痛に悩まされていた別の国の王を助けた時には、高額の報酬でその国に留まるよう誘われたが断った。
その後もジーバカは多くの病人を救い、人々から尊敬された――と(中村元・増谷文雄監修『仏教説話大系』第11巻、すずき出版を引用・参照)。
このように他国で医術を学んだ彼は、自国の限られた人だけでなく、市井の人々をはじめ、別の国の人々にも医術を施しました。
ジーバカという名前には、サンスクリット語で“生命”という意味もありますが、まさに彼はその名のままに、国や場所の違いを問わず、いかなる差別もせずに、多くの命を分け隔てなく救っていったのです。
釈尊在世の時代に尊い行動を貫いたジーバカについて、13世紀の日本で仏法を説き広めた日蓮大聖人は、「その世のたから(宝)」(御書新版1962ページ・御書全集1479ページ)と、たたえていました。
現代においても、コロナ危機が続く中で多くの医療関係者の方々が、連日、献身的な行動を重ねておられることに、感謝の思いが尽きません。
まさに、世の宝というほかなく、その医療従事者を全面的に支えながら、“国籍や場所を問わず、いかなる差別もなく平等に命を守る”との精神を礎にした、グローバルな保健協力を強化する必要があります。
主要国が担うべき特別の役割と責任
この点に関し、私は昨年の提言で、新型コロナ対策での協調行動の柱となり、今後の感染症の脅威にも十分に対応していけるような、「パンデミックに関する国際指針」を採択することを提唱しました。
WHOの総会特別会合で先月、今後のパンデミックに備えた国際ルールを策定するために、全加盟国に開かれた政府間交渉の機関を設ける決議が、全会一致で採択されました。
新型コロナへの対応を巡る教訓を踏まえ、ワクチンの公平な分配や情報の共有といった対応について、あらかじめ条約や協定のような形で明文化することを目指し、3月までに最初の会合を開催することが決まったのです。
次のパンデミックは“起きるかどうか”ではなく“いつ起こるか”という問題にほかならないと、多くの専門家が指摘していることを踏まえて、「パンデミック条約」のような国際ルールを早期に制定し、その実施のための取り組みを軌道に乗せることを改めて強く呼びかけたい。
今回のコロナ危機が示したように、どこかの場所で深刻化した脅威が、時を置かずして、地球上のあらゆる場所の脅威となるのが、現代の世界の実相にほかなりません。
昨年6月、イギリスで行われたG7サミット(主要7カ国首脳会議)でも、相互に結び付いた世界において保健分野の脅威に国境はないことが、首脳宣言で強調されていました。
そして、G7が担うべき特別の役割と責任の一つとして、「将来のパンデミックにおける共同の行動の引き金となるような世界的な手順を作成することにより、対応の速度を改善すること」が掲げられていたのです。
G7の国々はこの首脳宣言に基づいて、「パンデミック条約」の制定をリードし、その基盤となる協力体制についても率先して整備を進めるべきではないでしょうか。
私は以前、G7の枠組みにロシアとともに中国とインドを加える形で、「責任国首脳会議」としての意義を込めながら、発展的に改編することを提案したことがありました。
ここで言う「責任」とは、いわゆる大国としての義務のようなものではなく、人類共通の危機の打開を望む世界の人々の思いに対し、“連帯して応答していく意思”の異名とも言うべきものです。
人類共通の危機に対して、リスク管理的な発想に立つと、自国に対する脅威の影響だけに関心が向きがちになってしまう。
そうではなく、困難を乗り越えるための「レジリエンス」の力を一緒に育み、鍛え上げることが、今まさに求められています。
そして、その原動力となる「連帯」の精神は、気候変動をはじめとする多くの課題を打開する礎ともなっていくものです。
この「連帯」の精神に基づいて、いかなる脅威にも屈しない地球社会の建設を進めることこそが、未来の世代に対する何よりの遺産になると確信してやみません。
将来に不安を持つ学生たちが増加
第三の柱として提起したいのは、若い世代が希望を育み、女性が尊厳を輝かせることのできる経済の創出です。
今回のコロナ危機で世界経済が著しいダメージを受ける中、国際労働機関(ILO)の推計によると、2億5500万人の規模に相当する雇用が失われたといいます。
特に若い世代を取り巻く状況の悪化が懸念されており、若者の就業率は、25歳以上の人々の就業率と比べて大きく低下し、G20の国々では11%も低下しています。
また、就職をした若者の間でも、コロナ危機に伴う職場環境の急激な変化で、不安が強まる傾向がみられます。
初めての仕事を、リモートワークなどの形で職場以外の場所でスタートし、周囲に頼れる人がいないままで、仕事をする時期が続いた若者が増えています。
加えて、コロナ危機の影響で家庭の経済状況が厳しくなったために、学生ローンや奨学金の返済がさらに重くのしかかったり、自分が志望する仕事に就く上で必要となるスキルを磨く機会を得られなかったりする若者も少なくありません。
こうした状況が続く中、学生の間でも将来のキャリアに対する暗い見通しが広がっており、40%が不安を、14%が危惧を感じているという調査結果も出ているのです。
「働きがいのある仕事」を
若い世代に
人々に希望を灯す経済の創出を
ジェンダー平等の推進が急務
経済の再建は急務ではありますが、若い世代が抱く不安や危惧が取り除かれ、一人一人の心に「希望」が灯ることがなければ、経済はおろか、社会の健全な発展を期すことはかなわないのではないでしょうか。
その問題を考える上で参照したいのは、マサチューセッツ工科大学のアビジット・バナジー博士とエステル・デュフロ博士による考察です。
ハーバード大学のマイケル・クレマー教授と共に、2019年にノーベル経済学賞を受賞した両博士は、『絶望を希望に変える経済学』(村井章子訳、日本経済新聞出版本部)と題する著作で、国内総生産(GDP)という指標が持つ意味に触れて、次のような問題提起をしていました。
「何より重要なのは、GDPはあくまで手段であって目的ではないという事実を忘れないことである」と。
また、所得だけを問題にするような「歪んだレンズ」で世界をみてしまうと、誤った政策判断をすることになりかねないと注意を喚起しながら、こう訴えていました。
「人としての尊厳を取り戻すことを大切に考える立場からすれば、経済における最優先課題を根本的に考え直す必要があることはあきらかだ。また、尊厳を重んじるならば、助けを必要とする人々を社会はどう助けるべきか、ということも深く考える必要がある」
この著作はパンデミック発生の前年(2019年)に発刊されたものですが、人間の尊厳を支える経済の創出は、待ったなしの課題になっていると思えてなりません。
悲劇に沈む人々に笑顔を取り戻す
バナジー博士とデュフロ博士が、人間の尊厳にとって何が大切かという“正視眼”に基づいて、経済のあり方を問うた時に言及していたテーマの一つが、働く場を持つことの意味の重みでした。
同書の中で、かつてバナジー博士が国連のハイレベルパネルの一員として、SDGsの制定に向けた議論に参加していた頃のエピソードが紹介されています。
その折、ある国際NGOのメンバーと面会して活動に共感した博士は、デュフロ博士を伴って、貧困状態を経験した人々に雇用機会を提供するためのミーティングに参加しました。
そこに集まっていたのは、かつて事故で大けがをして働けなくなった元看護師をはじめ、深刻なうつ病を経験した人や、注意欠如・多動症(ADHD)に伴う行動で息子の親権を奪われた男性だったといいます。
こうした人々が働く場を得られるように支援するNGOの取り組みから、両博士は「社会政策のあり方について多くを教えられた」として、こう強調しました。
「働くのは、すべての問題が解決し働ける状態になってからだと考えがちだが、必ずしもそうではない」「むしろ働くこと自体が回復プロセスの一部だと考えるべきだ」と。
そして、ADHDの男性のその後の様子について、「仕事を見つけると同時に息子の親権を取り戻し、働く父に息子が向ける尊敬のまなざしに元気づけられている」と、状況の変化が家族全体に幸福の輪を広げていったことを紹介していたのです。
SDGsの目標の一つに、障がい者を含むすべての人々にとっての「働きがいのある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)」を達成するとありますが、仕事を得て幸福を取り戻した家族の姿に“SDGsが灯すべき希望の光明”を見る思いがします。
バナジー博士が国連のハイレベルパネルの一員になった時と同じ年(2012年)に、私は提言でSDGsの目指すべき方向性に触れて、こう述べたことがありました。
「目標の達成はもとより、悲劇に苦しむ一人一人が笑顔を取り戻すことを最優先の課題とすることを忘れてはなりません」と。
コロナ危機からの経済の立て直しにおいても、この観点を決して忘れてはならないと、改めて強調したいのです。
バナジー博士とデュフロ博士は、社会の谷間に置かれた人々に対する眼差しを変える必要があるとして、こう訴えていました。
「彼らは問題を抱えてはいるが、けっして彼ら自身が問題なのではない」「彼らを『貧窮者』だとか『失業者』といった括りで見るのをやめ、一人の人間として見るべきである。発展途上国を旅して何度となく気づかされるのは、希望は人間を前へ進ませる燃料だということだ」と。
私もまったく同感であり、一人一人が自分の力を発揮できる仕事や居場所を得ることで、尊厳の輝きを地域と社会に大きく灯す道が開かれるはずであると、信じてやみません。
ILOの主催で「人間中心の復興」に関する多国間フォーラムが、年内に開催されることになっています。
この機会を通じて、各国がコロナ危機の教訓を分かち合いながら、特に若い世代を巡る状況の改善に焦点を当てる形で、「働きがいのある人間らしい雇用」の確保に全力を注ぐことを呼びかけたいのです。
女性を取り巻く厳しい状況の改善
また、若い世代のための取り組みと併せて、今後の経済の欠くことのできない基盤として強調したいのが、「ジェンダー平等」と「女性のエンパワーメント」の推進です。
新型コロナに対応するために、医療機関ではそれまで経験したことのなかった負担や苦労が重なっていますが、医療の最前線で働く人々の7割は女性が占めています。
一方で、家族や身近な人の世話や看病をするため、積み重ねてきたキャリアの中断や、休職をせざるを得なかった女性も少なくありません。加えて、景気後退で失われた雇用は女性の場合が多く、最も打撃を受けたのは、幼い子どもを育てながら仕事をしてきた女性たちだったと指摘されています。
以前からジェンダーの格差は深刻でしたが、コロナ危機で状況が悪化する中、抜本的な対策を求める動きが広がりました。
その代表的な動きが、昨年、UNウィメン(国連女性機関)などが主催し、2回にわたって行われた「平等を目指す全ての世代フォーラム」です。
3月のメキシコでの会合には、85カ国からオンラインも含めて1万人が参加し、ジェンダー平等に向けた行動と運動を活性化するための議論が行われました。
そして、6月から7月にかけてフランスで行われた会合で発表されたのが、ジェンダー平等の達成に向けた勢いを加速させるための5年間にわたるグローバル計画です。
この計画の中で、「ジェンダーに基づく暴力」や「ジェンダー平等のための技術と革新」などの五つの分野とともに重視されていたのが、「経済的正義と権利」でした。
男女の賃金格差をはじめとする課題を提示しつつ、ジェンダーに配慮した経済対策で、貧困に苦しむ女性を減らすことなどが打ち出されましたが、特に注目したのは「ケアワーク(ケアの仕事)」を巡る課題を改善するための提案です。
家族の世話や介護などのケアの仕事を、主に女性が無償で担ってきた実態が多くの国でみられる中、新型コロナがその負担をさらに重くしたことが懸念されています。
そこで、負担を社会で分担できるようにするために、国民所得の3%から10%を投資して、ケアの仕事を有給で支えてきた人々の待遇改善を後押しする一方で、ケアに関連する雇用機会を新たに生み出すための環境を整えることが、推奨されたのです。
ケア分野の拡充がもたらす波及効果
この点は、UNウィメンが昨年9月に始めたフェミニスト計画=注2=でも重視されており、ケアの仕事を“持続可能で公正な経済”の中心に据えることが提唱されていました。
世界では、15歳未満の子どもたちが19億人、60歳以上の人々が10億人、障がいのある人々が12億人いると推計される中で、日常生活を送る上で何らかのケアを必要としている人が大勢います。
こうしたケアに関わる分野への公共投資は、女性が抱えてきた負担の軽減だけでなく、子どもや高齢者、障がいのある人々の生活環境の改善につながるなど、大きな波及効果をもたらすことが期待されているのです。
そして何より、ケアの仕事が、サポートを受ける人の幸福と尊厳にとってかけがえのないものであることを忘れてはなりません。
経済成長という“満ち潮”をつくり出すことができても、傷ついたボートがそのまま持ち上がるわけではないといわれます。
一方で、「ジェンダー平等」と「女性のエンパワーメント」に直結するケア分野の拡充に力を入れていけば、多くの人々の生活と幸福と尊厳を支える社会を着実に形作ることができると、私は信じてやまないのです。
私どもSGIも、“万人の幸福と尊厳”を思想の中核に置く仏法の精神に基づいて、「ジェンダー平等」と「女性のエンパワーメント」を推進する活動を続けてきました。
2020年にUNウィメンが「平等を目指す全ての世代」のキャンペーンを立ち上げた時は、SGIを含むFBO(信仰を基盤とした団体)の諸団体が、国連機関と協力してニューヨークで行っている年次シンポジウムで、ジェンダー平等を前進させるためにFBOが果たすべき役割について議論しました。
昨年1月にも同じシンポジウムを開催しましたが、そこで共通認識となったのも、パンデミックからの再建を図る上で、経済対策を含めてジェンダー不平等の解消が欠かせないとの点だったのです。
また現在、アフリカのトーゴ共和国で、森林再生支援のプロジェクトを進める中で、担い手となっている貧困地域の女性たちをエンパワーメントする活動も進めています。
国際熱帯木材機関(ITTO)との共同で昨年1月に開始した取り組みで、森林の急速な減少が進む地域で植林や保護を行うとともに、女性たちが手に職をつけて経済的に自立することを後押ししてきました。
今後は、プロジェクトを経験した女性たちが別の地域を訪れ、互いの地域で抱える課題について体験を共有しながら、学び合う取り組みも行う予定となっています。
新たに制定された学会の「社会憲章」
私たち人間には、いかなる逆境の最中にあっても、プラスの価値を共に生み出し、時代変革の波を起こす力が具わっています。
コロナ危機を乗り越え、人間の尊厳を支える経済と社会を築く源泉となるものこそ、「ジェンダー平等」と「女性のエンパワーメント」ではないでしょうか。
振り返れば、この二つの時代潮流の淵源となった第4回「世界女性会議」=注3=と同じ年に、私どもは「SGI憲章」を制定し(1995年11月)、「いかなる人間も差別することなく基本的人権を守る」などの理念に則り、地球的問題群の解決に取り組む活動を続けてきました。
そして昨年11月に、新たに制定したのが「創価学会社会憲章」です。
そこでは、「仏法の寛容の精神に基づき、他の宗教的伝統や哲学を尊重して、人類が直面する根本的な課題の解決について対話し、協力していく」との基本姿勢を示すとともに、「ジェンダー平等の実現と女性のエンパワーメントの推進に貢献する」など、10項目にわたる目的と行動規範を掲げました。
今後も、192カ国・地域に広がった仏法の民衆団体として、一人一人が「良き市民」として友情と信頼の輪を広げながら、“万人の幸福と尊厳”に根ざした世界を築くための挑戦を重ねていきたいと思います。
(㊦に続く)
語句の解説
注1 COVAXファシリティー
新型コロナウイルスのワクチンを共同購入して、途上国などに分配するための国際的な枠組み。世界保健機関(WHO)などが主導して、190以上の国と地域が参加している。高・中所得国が資金を自ら拠出して自国用にワクチンを購入する枠組みと、各国や団体などから提供された資金を通じて途上国へのワクチン供給を行う枠組みが、組み合わされている。
注2 フェミニスト計画
コロナ危機からの復興が、よりジェンダー平等で持続可能な世界を形作るものになることを保証するよう、昨年9月にUNウィメン(国連女性機関)が各国政府に行動を呼びかけた計画。①女性の暮らしを支える経済、②ケアワークを持続可能で公正な経済の中心に据える、③環境に優しい未来へ向けたジェンダーに公平な移行、の三つの主要分野が掲げられている。
注3 第4回「世界女性会議」
世界女性会議は、第1回(1975年、メキシコシティ)、第2回(1980年、コペンハーゲン)、第3回(1985年、ナイロビ)と、5年ごとに開催され、第4回は1995年9月に中国の北京で行われた。その会議で、189カ国が署名した北京宣言と北京行動綱領は、現在にいたるまで、ジェンダー平等と女性のエンパワーメントに関する包括的な指針となっている。
2022年1月26日第47回「SGIの日」記念提言㊤
「人類史の転換へ 平和と尊厳の大光」
2021年10月8日
第1737回
世界広布にあたって、一番恐れていること
<随方毘尼>
伸一は笑いながら、清原に言った。
「清原さん、ここは日本じゃないんだよ。ハワイにはハワイの風俗や習慣があるんだから、それを尊重することだよ。日本とは気候も文化も違うのに、学会では、日本と同じ服装やヘアスタイルでなければいけないなんて言われたら、みんな信心するのがいやになってしまうよ。まるで、戦時中の国防婦人会みたいでさ。そんなことは御書にも書かれていないし、仏法の本義とは違うんだから、それぞれの良識に任せ、自然なかたちでいいんだよ。
ましてや、今日のような座談会では、みんなの悩みや疑問をよく聞いて、納得できるように、的確に指導し、励ましていくことが主眼になる。そのためには、自由で和やかな、どんなことでも話せる雰囲気をつくることが大事なんだ。だから、みんなにも気楽な服装で来てもらって、こちらも、それに合わせていくべきだね」
清原は、自分の考えの浅さを恥じた。
「そうですね。私、みんなに変なこと言わないでよかったわ。でも先生、私はムームーなんて持ってきていないんです」
「わかっているよ。いいよ、その格好で」
笑いが広がった。
すると、十条潔が口を開いた。
「風俗や習慣の違いというのは、確かに大きな問題ですね。先生、私は、勤行の時の正座も、外国人にはかなり苦しいのではないかと思うんです。しかも、アメリカの家はたいてい木の床ですから……。でも、これは変えるわけにはいかんのでしょうね」
伸一は即座に答えた。
「いや、当然、椅子に座って勤行をすることも検討しなければならないだろう。正座の習慣がない人たちにとっては、拷問に等しい苦痛だもの。それでは、勤行しても歓喜なんかわかないよ。だから、仏法には随方毘尼という考え方がある。御本尊への信仰という、大聖人の仏法の本義に違わない限り、化儀などは各地の風俗や習慣、時代の風習に従ってもいいんだよ」
「なるほど……。これからのことを思うと、もっと柔軟に物事を考えていかないといけませんね」
「私が一番恐れているのは、日本でやってきたことを絶対視して、世界でもすべて同じようにしなければならないという考え方に、幹部が陥ることだ。それでは、世界の人たちに、
日本の民族衣装を無理やり着せるようなものだ。そして、そうすることが正しい信心の在り方のように思ったりしたら、仏法を極めて偏狭なものにしてしまうことになる。そうなれば、仏法というより、〝日本教〟になってしまう。大聖人の仏法は、日本人のためだけの教えではなく、全世界の人類のための宗教なんだからね」
伸一は、戸田城聖に、世界の広宣流布を使命として託された日から、やがて、海外で直面するであろう諸問題について思いをめぐらし、その一つ一つについて、熟慮に熟慮を重ねてきたのである。風俗や習慣の違いに対して、どう対応していくかということも、彼のなかで、検討し尽くされてきた問題であった。彼の胸中には、既に世界広布の壮大にして精緻な未来図が、鮮やかに描かれていたのである。しかし、それを知るものは誰もいなかった。
<新・人間革命> 第1巻 旭日 43頁~45頁
2021年1月27日
第46回「SGIの日」記念提言
「危機の時代に価値創造の光を」㊦
パンデミックの脅威に立ち向かう
国連中心の協力体制を強化
感染症対策に関する国際指針の採択を
地球規模での安全網を担う
続いて、「平和と人道の地球社会」を建設するための具体的な方策について、3項目にわたって提案を行いたい。
第一の提案は、国連を基盤にした「民衆のためのグローバル・ガバナンス(地球社会の運営)」の強化と、感染症対策を巡る国際指針の制定に関するものです。
昨年、国連世界食糧計画(WFP)がノーベル平和賞を受賞しました。
長年にわたってWFPは、飢餓に苦しむ人々に食料を供給する活動を続け、紛争の影響下にある地域に和平をもたらすための状況の改善にも取り組んできました。
特に昨年は、新型コロナウイルス感染症に伴う危機の影響で飢餓のさらなる拡大が懸念される中において、「医療用ワクチンができるまでの間、混迷に対処するための最良のワクチンは食料である」との信念で、食料支援の増強に努めました。
ノーベル平和賞は、こうした活動に対する貢献を称えたものだったのです。
その上、WFPはコロナ危機に対して、もう一つの重要な役割を担いました。
新型コロナのパンデミック(世界的な大流行)によって航空便の運航停止が相次ぐ中で、医療品を含めた重要物資の輸送支援を行い、チャーター船や貨物用の航空機の手配をはじめ、保健医療や人道支援のスタッフが移動するためのフライトの確保に取り組んできたのです。
このWFPに加えて、国連児童基金(ユニセフ)も、コロナ対策関連の物流支援で大きな貢献を果たしてきました。
世界の子どもたちをさまざまな感染症から守る予防接種を支援する中で、各国の物流業界と築いてきた関係を土台にしながら、マスクや防護服、酸素濃縮器や診断検査キットなどを多くの国に届けました。
また、“史上最大の規模で行われる事業”となることが見込まれる新型コロナのワクチン接種に備えて、各国に注射器を事前に届けておくための体制づくりを昨年10月から進めるとともに、入手可能になった段階でワクチンをすぐに各国へ輸送できるようにする計画の準備にとりかかりました。
ユニセフには、ワクチンを適切な温度で輸送する方法や、電源の確保が難しい地域でソーラー式冷蔵庫などの整備を図ってきた経験があり、新型コロナの対応で、その実績が生かされようとしているのです。
こうしたWFPやユニセフの取り組みの意義を考えるにつけ、コロナ危機が起こる前から、国連の多くの機関による活動を通して、折り重なるように組み上げられてきた“地球規模でのセーフティーネット(安全網)”の大切さを、改めて強く感じてなりません。
国連にはこのほかにも、国連女性機関(UNウィメン)や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などのように、特定の人々のために活動することを任務とする機関が数多く存在しています。これらの機関の活動を通し、ともすれば対応が後回しにされがちな人々に常に焦点を当てて、国際的な支援の道が開かれてきた意義は極めて大きいといえましょう。
私は2019年の提言で、深刻な脅威や課題に直面する人々を守ることに主眼を置いた「人間中心の多国間主義」の重要性を訴えましたが、そのアプローチを21世紀の世界の基軸に据えることが、ますます急務になっていると思えてならないのです。
国連では昨年、創設75周年を記念して、「UN75」と題する取り組みが進められ、世界の人々の声を幅広く聞くための対話と意識調査が実施されました。
オンラインも活用して1000回を超える対話が行われたほか、意識調査には国連の全加盟国から100万人以上の人々が参加しましたが、特に注目されるのは、グローバルな協力を求める声が圧倒的だったことです。
住んでいる国や年齢などの違いを超えて、大多数の人々が、現代の課題に取り組むにはグローバルな協力が非常に重要と考え、新型コロナの問題が国際的な連帯の緊急性をさらに高めたとの認識を示したのです。
意識調査の結果をまとめた報告書には、各地から寄せられた声も紹介されていました。
「新型コロナウイルスは、仕事や人とのつながり、教育や平和を奪いました」
「教育を受けるために努力を重ねてきた学生は就職できないかもしれません。テクノロジーに大きく依存する今の社会にあって、情報・通信技術を利用できない人々は前に進むことができません。家族を養ってきた勤労者が仕事を失い、元の生活に戻れる兆しが全く見えない中、人々は未来を悲観して、ストレスや不安や絶望に押しつぶされそうになっています」と。
こうした厳しい現状を訴える声に表れている通り、グローバルな協力を求める声は、単に国際社会の理想像を思い描くようなところから集まってきたものではありません。多くの人々がさまざまな脅威や課題に直面する中で、切実に感じてきた思いから発せられたものにほかならないと思われるのです。
デクエヤル氏が抱き続けた信念
世界の人々が意識調査に寄せた国連への期待を前にして、胸に浮かんでくるのは、昨年3月に100歳で逝去されたハビエル・ペレス・デクエヤル元国連事務総長の言葉です。
南米のペルー出身のデクエヤル氏は、1946年に初開催された国連総会に参加したのをはじめ、その後も長らく外交官として国連の活動に関わる中で、1982年から事務総長を2期10年にわたって務めました。
デクエヤル氏とは、就任まもない1982年8月に東京で会談してから、何度もお会いしてきました。
私が年来の信念である「市民社会による国連支援の重要性」を訴えるたびに、謹厳実直で知られるデクエヤル氏が口元を緩ませながら、国連の使命に対する深い思いを笑顔で語られていた姿を忘れることができません。
事務総長として多くの紛争解決に尽力してきた氏が、退任直前の時期にも、エルサルバドルの内戦を終わらせるための交渉に臨み、ついに任期の最終日である“大晦日の夜”に歴史的な和平合意を成し遂げたことは、国連の歴史に今も輝く功績となっています。
そのデクエヤル氏が、国連が最大限の力を発揮するための要諦について、次のように述べていたことがありました。
「国連の憲章とその仕組みは、問題が皆無の世界を約束してはいない。約束しているのは、問題の合理的かつ平和的な解決法である」
「核兵器と通常兵器の拡散や政治紛争、人権侵害、貧困の増大、環境への脅威などの大きな危険に、いまではさらに新たな紛争源も加わっている。こうした危険に対応するためには、世界の政治的英知と想像力、それに連帯感のすべてを結集する必要がある。これは、国連という枠組みの中での不断かつ組織的な努力によってのみ達成できる」(国連広報センターのウェブサイト)
また、ある時の演説では、事務総長として人類益のために行動を続けてきた思いを込めるかのように、こう訴えていました。
国連が直面する「困難な状況」こそが、国連に対して「再生と改革のための創造的機会」を提供するものとなる――と。
気候変動の問題に加え、新型コロナの問題に世界が直面している今、デクエヤル氏が訴えていたように危機をチャンスに変えて、「人間中心の多国間主義」を国連を通じて強化するための機会にしていくべきではないでしょうか。
現在のグテーレス事務総長も、未曽有の危機を前にして、より良いグローバル・ガバナンスの必要性を訴えており、その構築を力強く進めることが、まさに迫られているのです。
コロナ問題を巡るハイレベル会合
そこで私は、次のような提案をしたい。
国連で「コロナ危機を巡るハイレベル会合」を開催し、各国のさらなる連携強化を図るとともに、今後も新たな感染症が生じる可能性を見据えて、「パンデミックに関する国際指針」を採択することです。
先月、ニューヨークの国連本部で、新型コロナ問題に関する特別総会が行われました。
国連総会のヴォルカン・ボズクル議長は、世界の人々の思いを代弁するかのように、「恐怖におびえることなく、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込むことのできる日」や「同僚と握手を交わし、家族と抱き合い、友人たちと声をあげて笑い合える日」を迎えるために、国連を中心にした連帯の強化を訴えました。
その後、新型コロナで亡くなった人々への黙禱が捧げられ、各国の首脳らによるビデオ演説や、WHOのテドロス・アダノム事務局長を中心にしたオンライン会議などが行われました。
この特別総会のフォローアップとなる国連会合を開催することで、新型コロナ対策における協調行動の柱となり、今後の感染症の脅威にも十分に対応していけるような国際指針の取りまとめを図るべきではないかと考えるのです。
2001年に国連で、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)とエイズに関する特別総会が行われた時、達成期限を定めた優先課題のリストと国際協力の指針を示した、HIV/エイズに関するコミットメント宣言=注4=が採択されたことで、各国でのエイズ対策が大きく前進しました。
また、分野は異なりますが、東日本大震災から4年後(2015年)に被災地の仙台で開かれた第3回国連防災世界会議で、災害リスクの削減に関する指導原則や優先行動を定めた「仙台防災枠組」が策定されました。
そこでは、防災の目的として人命を守ることはもとより、「暮らしの保護」が明確に掲げられたほか、防災・減災における「レジリエンス」の重要性が謳われるなど、東日本大震災をはじめ各地の災害での教訓と経験を踏まえた内容が盛り込まれたのです。
日本は締約国会合に参加し
被爆国として議論に貢献を
「原水爆禁止宣言」発表60周年を記念し、2017年9月に横浜で行われた「青年不戦サミット」。南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、アフリカから青年部の代表が集い、核兵器のない世界に向けての行動を誓い合った(神奈川文化会館で)
その上、「仙台防災枠組」では、世界全体で被災者や犠牲者を大幅に減少させることや、医療と教育施設を含めた重要インフラへの損害を抑えることなど、2030年に向けた目標が掲げられた結果、各国で防災における重点項目が共有されるようになりました。
私は、パンデミックの問題に関しても、この「仙台防災枠組」と同様の役割を担うような国際指針を、コロナ危機の教訓と経験を踏まえる形で早急に取りまとめるべきではないかと訴えたいのです。
持続可能な開発目標(SDGs)では、エイズや結核やマラリアといった三大感染症などを巡る目標は対象に含まれていましたが、パンデミックへの明示的な言及はありませんでした。
そこで、新たな感染症の脅威が今後も生じる可能性も見据えながら国際指針をまとめ、2030年に向けたパンデミック対策の重点項目を定めることで、SDGsを補強し、その各目標と連動させるための指標としていってはどうかと考えるのです。
青年たちが主役のユース理事会を
このような国際指針を採択するための国連会合の開催と併せて、私が呼び掛けたいのは、“コロナ危機を乗り越えた先に築かれるべき世界”の姿について話し合う、「ビヨンド・コロナに向けた青年サミット」を行うことです。
2019年に、気候変動の問題を解決する方途を討議するため、国連本部に世界の青年が集まり、国連の首脳がその声に耳を傾けて政策への反映につなげる機会とする「ユース気候サミット」が開かれました。
今度は、オンラインも活用することで参加形態を広げながら、紛争や貧困に苦しむ青年や、難民生活を余儀なくされている青年をはじめ、さまざまな環境で生きる若い世代が言葉を交わし合い、その声を国連や各国の首脳に届ける場にすることを強く望みたい。
先に触れた「UN75」の報告書では、多くの人が国連の変革を求める中で、市民社会との連携をさらに強化していくことや、国連の意思決定において青年や女性の参画を広げることなどを望んでいる結果が示されました。
また報告書では、世界の人々の意見を集約する形で具体的な提案が列挙されていましたが、私が特に注目したのは、青年の視点による提案などを国連の首脳に届ける役割を担う「国連ユース理事会」を創設するプランです。
私は2006年に発表した国連提言で、国連にとってアルキメデスの支点=注5=となる青年の積極的な参画を得ることが、活力を増すためのカギになると訴えたことがあります。
また2009年の提言では、国連の進むべき方向性を打ち出し、求心力を高める組織として、「グローバル・ビジョン局」を設置する構想を提起しました。
目下の課題に対応するだけでなく、未来志向に立ったビジョンを構築するために、青年たちの声や女性の視点を反映させることを求めたものです。
「国連ユース理事会」は、そうした青年たちの参画を常設的に確保する制度にほかなりません。
気候変動問題に続く形で、コロナ危機をテーマにした青年サミットを開催して、「国連ユース理事会」の創設への機運を高めていくべきではないでしょうか。
その実現こそが、国連を基盤にした「民衆のためのグローバル・ガバナンス」の強化を図る上で、新しい息吹と活力を注ぎ込むものになると私は信じてやまないのです。
核時代に終止符を打つための方途
続いて第二の提案は、核兵器の禁止と廃絶に関するものです。
長年にわたり市民社会が実現を望み続けてきた核兵器禁止条約が、今月22日、ついに発効しました。
核兵器の開発と実験はもとより、製造と保有から使用と威嚇にいたるまで、一切の例外を許さず禁止するもので、現在の署名国は86カ国、批准国は52カ国に達しています。
すでに大量破壊兵器の分野で禁止条約が成立している生物兵器や化学兵器に続く形で、核兵器は“地球上に存在し続けてはならない兵器”であることを、条約によって明確に規定する時代が、今まさに切り開かれたのです。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)と共に条約の発効を後押しする活動をしてきた被爆者のサーロー節子さんが、昨年10月に発効が確定した段階で述べていた次の言葉は、「核兵器のない世界」を目指して行動を続けてきた私自身の胸にも強く迫るものがありました。
「これはまさに、核兵器の終わりの始まりを刻むものです! この条約の批准国が50カ国目に達したという知らせを受けたとき、立ち上がることができず、両手に顔を埋めて嬉し泣きしました」
「私はこのことに達成感と満足感、そして感謝の思いでいっぱいです。この気持ちは、広島・長崎で原爆を生き延びた人々や南太平洋の島々やカザフスタン、オーストラリア、アルジェリアで行われた核実験で被爆した人々、さらにカナダ、米国、コンゴのウラン鉱山で被爆した人々も共有していることでしょう」(IDN-InDepthNews 2020年11月3日配信)
このサーロー節子さんの言葉にもあるように、核時代が75年以上にわたって続く中、核開発や核実験によって被害を受けてきた人々は、世界各地に及んできました。条約でも強調している通り、核兵器がこの世に存在し続けるだけでも、その危険性は非常に大きいものがあるのです。
まして、ひとたび核兵器が使用され、核攻撃の応酬が起こる事態となれば、世界全体に及ぼす惨害は計り知れません。
それは、大量破壊といった次元を超えて、かけがえのない一人一人の人生も、地域や社会の営みも、人類が築いてきた文明や歴史も、すべて一瞬で“無”に帰してしまい、あらゆるものから存在の意味を容赦なく奪い去る――まさに「絶対悪」と表現するほかない事態を引き起こすものだからです。
私の師である戸田第2代会長は、核開発競争によって攻撃の射程が世界全体に及ぼうとしていた時代にあって、「原水爆禁止宣言」を発表し、核保有を正当化する論理に対して、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と訴えました。
“いかなる理由があろうと核兵器の使用は絶対に許してはならない”との主張だけで終わらせず、戸田会長があえてこうした強い言葉を述べざるを得なかったのは、核時代にひそむ「絶対悪」を剔抉(てっけつ・・・特に、欠点や悪事を、あばきだすこと)することなくして、世界の民衆の生存の権利を守ることはできないとの切迫した思いからだったのです。
核兵器禁止条約の依って立つ基盤も、条約の前文で明記されているように「全ての人類の安全」を守ることにあります。
核兵器の全面禁止を国際規範として確立することで、非保有国のみならず、核依存国や核保有国も含めて、“同じ地球に生きるすべての民衆の生存の権利”を守り、“これから生まれてくる将来世代の生存基盤”を守り続けることに条約の主眼があるのです。
発効要件となっていた50カ国の批准を達成した後も、昨年の国連総会第一委員会で、さらに16カ国が批准の意向を次々と表明するなど、条約の支持は着実に広がっています。
次のステップは、条約の発効から1年以内に開催される最初の締約国会合に向けて、「全ての人類の安全」を求める声を幅広く結集しながら、署名国と批准国の大幅な増加を図ることにあります。
そしてまた、締約国ではない国を含め、すべての国に参加のドアが開かれている締約国会合において、少しでも多くの核依存国や核保有国が議論の輪に加わり、核時代を終わらせるための連帯の足場を形作っていけるかどうかが、大きな焦点となります。
先に触れた「UN75」の報告書でも、そうした連帯の構築を求めるグローバルな民意が高まっていることが示されていました。
その中で紹介されていた10項目にわたる行動提案において、ロボット兵器などの自律型致死兵器システム(LAWS)の禁止とともに挙げられていたのが、核兵器禁止条約を発効に導くための世界的な規模での支持拡大だったのです。
また、赤十字国際委員会が、世界16カ国・地域の若い世代(20~35歳)を対象に行った別の調査でも、84%の青年たちが「戦争や紛争における核兵器の使用は決して受け入れられない」と回答しました。
その声は、核保有国で暮らす青年の間でも、圧倒的な割合を占めています。
唯一の戦争被爆国である日本は、他の核依存国に先駆けて締約国会合への参加を表明し、議論に積極的に関与する意思を明確に示した上で、早期の批准を目指していくべきではないでしょうか。
“同じ地球に生きるすべての民衆の生存の権利”を守り、“これから生まれてくる将来世代の生存基盤”を守り続けるという条約の精神に照らして、被爆国だからこそ発信できるメッセージがあるはずであり、その発信をもって締約国会合での議論を建設的な方向に導く貢献を果たすべきだと思うのです。
巨額な軍事費を投じ続ける是非
核兵器禁止条約では、締約国会合において、条約の実施状況の確認や核兵器を廃棄するための措置の検討に加えて、「条約の規定に基づくその他の事項」について討議できることになっています。
そこで私は、最初の締約国会合で、議題の一つとして「核兵器とSDGs」に関する討議の場を設けることを提唱したい。
核兵器の問題は世界平和の根幹に関わるだけでなく、条約の前文で言及されているように、人権や人道、環境や開発、経済や食糧、健康やジェンダーなど、多くの分野に深刻な影響を及ぼすものです。
いずれもSDGsの要石として位置付けられている分野にほかならず、この「核兵器とSDGs」というテーマを、すべての国に関わる共通の土台に据えることで、核依存国と核保有国の議論への参加を幅広く働きかけていくべきであると訴えたいのです。
第2次世界大戦後、厳しい冷戦対立が続いた結果、核兵器の脅威が世界を覆い尽くす状況が固定化され、冷戦終結から30年以上を経た今でも、その状況を“将来にわたって動かし難い世界の所与の条件”であるかのようにみなす空気が根強くあります。
しかし、国家の安全保障がどれほど重要なものであったとしても、核兵器に依存し続けなければならない理由はどこにあるのか。その是非について、SDGsの各目標の重みと照らし合わせて見つめ直すことが、核依存国や核保有国にとっても、非常に大切な機会になると思われるのです。
まして新型コロナのパンデミックによる深刻な医療危機と経済的な打撃が各国を襲い、その立て直しに数年かかることが見込まれる中、「核兵器による安全保障」のために巨額な軍事費を投じ続けることの意味を再考すべき時を迎えているのではないでしょうか。
NPT再検討会議を機に交渉進め
多国間の核軍縮を実施
2019年11月、福岡市で行われた「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の選択」展。SGIがICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)と共同制作した同展は、2012年の広島での初開催以来、21カ国90都市以上を巡回し、草の根の意識啓発の輪を広げてきた
古代ギリシャの神話に、その手で触れるものをすべて“黄金”に変えてしまう力を手に入れたミダス王の話が出てきます。
たくさんの“黄金”を得ることを願いながらも、生きる上で欠かせない水や食物まで“黄金”に変わってしまった時、ミダス王がその力を手放すことを決断した話です。
この話が示唆するように、気候変動の問題に加えてコロナ危機に直面する今、核兵器が世界の人々にとってどんな意味を持つのかについて、「核兵器とSDGs」に関する討議を通して浮き彫りにすることが、どの国にとっても望ましい世界を築く上で欠かせないと思われるのです。
また、核兵器禁止条約のグローバルな支持を拡大するには、市民社会の声を結集していくことが何よりの原動力となります。
私は昨年の提言で、締約国会合に対する市民社会のオブザーバー参加に加える形で、世界のヒバクシャをはじめ、条約を支持する各国の自治体やNGOの代表らが参加しての「核なき世界を選択する民衆フォーラム」を開催することを呼び掛けました。
締約国会合での討議と併せて、この民衆フォーラムの開催をもって、市民社会の声を力強く発信していくことで、核兵器禁止条約を“21世紀の軍縮の柱”に据えるとともに、“人類史を転換するための結集軸”として位置付けていくべきではないでしょうか。
ロートブラット博士の人生の軌跡
核兵器禁止条約の発効を機に、すべての国が核兵器の脅威を地球上から取り除くために連帯することができるのか――。
その歴史の大きな分岐点に立つ今、時代転換を図るための手掛かりとして言及したいのは、パグウォッシュ会議で長らく会長を務めたジョセフ・ロートブラット博士の人生の軌跡です。
博士は第2次世界大戦中、アメリカが原爆開発のために進めた「マンハッタン計画」に数多くの科学者が従事する中で、途中で離脱に踏み切った唯一の科学者でした。
その数年前、研究のためにイギリスへ単身で渡っていた博士は、夫人のいる母国のポーランドにナチスドイツが侵攻したために、夫人と生き別れになる悲劇に見舞われました。
イギリス側からの代表団の一員として、「マンハッタン計画」に加わることを要請された博士は、“ナチスによって核兵器が使用されないようにするために”との思いと、自らの良心との葛藤を抱きながらも、アメリカへと向かった。
ロスアラモスの研究所では、後に“水爆の父”と呼ばれたエドワード・テラー博士の隣の部屋で研究をしていました。
しかしある時、軍の責任者から、「マンハッタン計画」の本当の目的が、原爆をいち早く完成させてナチスの戦意をくじくことではなく、ソ連を抑え込むためのものであるとの話を耳にしたロートブラット博士は、強い衝撃を受けた。
その時の心境を、博士は私との対談集の中でこう述懐していました。
「自分は間違った理由でここにいるのではないかと思い始めました。自分の足元の地面が崩れていくような、そんな感覚でした」(以下、『地球平和への探究』、『池田大作全集』第116巻所収を引用・参照)と。
極秘扱いだった「マンハッタン計画」からの離脱を申し出た博士は、圧迫や妨害を受けながらも意志を曲げずに、たった一人でイギリスに戻りました。残念ながら、博士の夫人はナチスによるホロコーストの犠牲となっていました。
そして、1945年8月6日の広島への原爆投下をニュースで知った博士は、「人生の残りを核爆弾が二度と使われないようにすることに捧げよう」と固く決意されたのです。
翌年には、科学者が連帯して核兵器の使用に反対する運動をするために「イギリス原子力科学者協会」を設立するとともに、核兵器の脅威を市民に幅広く知らせる目的で、列車の車両を展示のために利用して、ヨーロッパと中東の各地を移動する展示を行いました。
また自身の研究も、人々の命を救うために役立てたいとの信念から、専門分野を放射線医療に変更しました。ロートブラット博士が発見した放射性元素の「コバルト60」は、現在も悪性腫瘍の治療などのために使われています。
その後、1954年にビキニ環礁で行われた水爆実験で、周辺地域の住民や近くを航行していた日本の第五福竜丸の乗組員が被曝した事件をきっかけにして、博士は、哲学者のバートランド・ラッセル卿と出会いました。以来、「ラッセル=アインシュタイン宣言」=注6=の発表や、パグウォッシュ会議の創設に立ち会い、2005年に逝去されるまで同会議の中心的な存在として、核兵器の禁止と廃絶のために半生を送ってこられたのです。
互いに脅威を取り除く努力
その博士が、ノーベル平和賞を1995年にパグウォッシュ会議と共に受賞した時、核抑止論の内実について述べていた言葉は、現在においても的を射ていると思えてなりません。
「核兵器は特定されない何らかの危険に対する防護手段として保持されているのです。この政策は単に冷戦時代からの惰性による継続です」
「核兵器は戦争を防止するとの主張に関して、一体さらにいくつの戦争が行われれば、この議論は論破されるのでしょうか」(日本パグウォッシュ会議のウェブサイト)と。
私との対談でも、“ナチスに対抗するため”との名目で開発された核兵器が、その後、理由や戦略論が次々と変わっていく中で、保有が常に正当化され、核開発競争が続けられてきた問題が焦点となりました。
その対話を通じて私たちは、「要するに、何らかの必要があって核兵器が存在しているのではない。核兵器の存在そのものが、その存在理由を必要としてきたといえるのではないでしょうか」(前掲『地球平和への探究』)との結論にいたったのです。
ロートブラット博士が指摘したように、「特定されない何らかの危険」を理由にする限り、核兵器は保有され続け、脅威は地球上にいつまでも残り続けてしまうことになる。
それに対して、核兵器禁止条約が目指すのは、「核兵器の存在がもたらす危険」を互いの努力で取り除く方向へ、各国が共に進むための軌道を確立することにあるのです。
ロートブラット博士が創設に関わったパグウォッシュ会議が、核兵器廃絶に向けた最初の突破口として力を注いだのが、核実験の禁止でした。
その取り組みは、キューバ危機の翌年(1963年)に、地下以外の大気圏などでの実験を認めない部分的核実験禁止条約の発効につながり、その後、時を経て、核爆発を伴う一切の実験を禁じる包括的核実験禁止条約の採択(1996年)に結実しました。
包括的核実験禁止条約はまだ発効していませんが、これまで184カ国が署名しており、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会を通し、核実験の兆候を地球的規模で監視する体制が整えられています。
それはまさしく、ロートブラット博士が警鐘を鳴らしたような「特定されない何らかの危険」が、新たに生じることを防ぐ役割を果たしています。
またCTBTO準備委員会は、その監視網を活用して、災害の早期警報や原発事故の観測などにも貢献しており、いかなる国や地域で起こる事態もカバーする形で、世界中の人々を守るための活動を担っているのです。
同様に、核分野に深く関わる国際原子力機関(IAEA)では、昨年3月以降、核研究から派生した技術を活用する形で、120カ国以上で新型コロナの感染検査を支援する取り組みを進めてきました。
これまでもIAEAは、がん治療の普及のほかに、エボラ出血熱やジカ熱などの感染症の検査を支援してきた実績があり、ラファエル・グロッシー事務局長は、「危機に直面して支援を求める人々を、IAEAはこれまでも、そしてこれからも、決して置き去りにすることはありません」と、今回の取り組みに懸ける思いを述べています。
それらの活動は、人々の命を救うための研究と行動を続けたロートブラット博士の姿と重なり合うものともいえましょう。
今の世界にとって切実に求められる抑止力があるとするならば、それは「核兵器による抑止力」のようなものではない。気候変動の問題をはじめ、新型コロナのパンデミックとそれに伴う深刻な経済危機による被害の拡大を封じ込めるための「国と国との垣根を越えた行動の連帯の力」ではないでしょうか。
2025年まで核の不使用を誓約
生物兵器や化学兵器も、それぞれの禁止条約の発効を機に国際社会の認識が大きく変わるようになり、廃棄に踏み切る保有国も次々と現れ、すでに世界全体で9割以上の化学兵器が廃棄されるにいたりました。
核兵器の分野において同じような行動の変化が、核保有国や核依存国の間で直ちに起こることは難しいかもしれませんが、その足掛かりが全くないわけではありません。
2013年から2014年に3回にわたって行われた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」では、回を重ねるごとに核依存国も含めた多くの国が参加するようになり、158カ国の代表が出席した第3回会議ではアメリカとイギリスも議論に加わりました。
その一連の会議を通じて導かれた結論の中で、私が特に重要だと感じたのは、以下の3点でした。
①核爆発の影響を国境内に押しとどめることは不可能で、深刻で長期的な被害が地球的な規模でもたらされる。
②いかなる国や国際機関も、核爆発による直接的な被害に適切に対処するのは困難である。
③核爆発による間接的な影響で、貧しく弱い立場に置かれた人々が最も深刻な被害を受ける。
この「国境内に押しとどめられない」「いかなる国も適切に対処できない」「弱い立場の人々が最も深刻な被害を受ける」という構図は、脅威の分野は違っても、気候変動の問題やコロナ危機にも通底するものです。
今、コロナ危機で各国が受けている打撃の大きさに引き当てて考えてみれば、極めて甚大な惨害を人類全体に及ぼす核兵器の脅威に対し、その根を絶つことの重要性は、核依存国や核保有国を含め、どの国にも身に迫ってくるのではないかと思うのです。
実のところ、この冷戦時代から続く重大な危険を取り除くことこそが、“全人類に惨害をもたらす核戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払う”との精神に基づいて、1970年に発効した核拡散防止条約(NPT)と、今月に発効をみた核兵器禁止条約の精神をつなぐものと言えないでしょうか。
環境の保護を重視した挑戦で
新たな雇用機会を創出
創価大学が主催し、2019年9月に横浜市で開催されたシンポジウム「アフリカとSDGs――価値創造で共にひらくアフリカの未来」。第7回アフリカ開発会議の連携事業として実施され、ザンビアとジンバブエの駐日大使による基調講演が行われた
この二つの条約を両輪にして、全地球的なレベルで「核兵器に依存する安全保障」からの脱却を本格的に前に進めるべきです。
そこで私は、8月に開催が予定されているNPT再検討会議に対して提案を行いたい。
再検討会議において、気候変動やパンデミックの危機が広がる中での安全保障の意味について議論をした上で、最終文書の中に「コロナ危機で全世界が甚大な被害を受けている状況を踏まえ、次回の2025年の再検討会議まで、核兵器の不使用と核開発の凍結を誓約する」との文言を盛り込むことです。
そもそも再検討会議の時期も、本来、昨年に開催される予定だったのが、パンデミックの影響で延期されたものでした。
その1年余の間に、世界中の人々が切実に必要としていた「安全」と「安心」とはどのようなものだったのかについて顧みつつ、今後も「特定されない何らかの危険」を理由にして、核兵器の保有と開発を続けることが、NPTの精神にかなうものなのかについて、真剣に討議を行うべきだと呼び掛けたいのです。
歴史を紐解けば、冷戦時代に核開発競争がエスカレートする中で、アメリカが1958年に、月の表面で水素爆弾を爆発させるプロジェクトに一時的に着手したことがありました。
地球からはっきりと見える形で、月面上に強烈な閃光を発生させることで、ソ連に対して力を見せつけることを目指したものだったといいます。
幸い、計画は短期間で打ち切られ、月は守られることになりましたが、当時、地球上では、米ソの間で「ポリオの感染拡大を防ぐワクチンの実用化のための歩み寄り」がみられた一方で、「月まで利用した核兵器による威嚇」が行われようとしていたのです。
翻って現在、コロナ危機の打撃から本格的に世界が立ち直るには数年かかると予測される中で、核兵器の近代化を続けることの是非について、この歴史の教訓に照らして真摯に再考すべきではないでしょうか。
8月に開催予定のNPT再検討会議で「核兵器の不使用と核開発の凍結」を誓約した上で、NPT第6条の核軍縮義務を誠実に履行するための多国間交渉を早期に開始し、次回の2025年の再検討会議までに核軍縮を前進させることを、私は強く呼び掛けたい。
核兵器禁止条約では、核兵器を保有している状態でも核廃棄計画の提出を条件に、核保有国が条約に加わることのできる道が開かれています。
NPTの枠組みを通し、「核兵器の不使用と核開発の凍結」の誓約を基礎に「多国間の核軍縮交渉」の合意を期すことで、より多くの核依存国と核保有国が核兵器禁止条約に参加できる環境を整えていく――。
この二つの条約の枠組みを連動させることによって、核時代に終止符を打つための軌道を敷くべきだと訴えたいのです。
第2次大戦以降で最悪の景気後退
第三の提案は、コロナ危機からの経済と生活の立て直しに関するものです。
これまで世界経済は、通貨危機をはじめ、オイルショックや金融危機などが引き金となり、何度も景気後退に見舞われてきましたが、今回のコロナ危機はそれらをはるかに凌駕する規模の打撃をもたらしています。
世界銀行によると、第2次世界大戦以降で最悪の景気後退が生じているといいます。
そうした中で、ほとんどの業種で収益が急激に悪化し、かつてないほど多くの人々が一斉に仕事を失ったり、所得の大幅な減少を強いられたりする状況が起きています。
パンデミックの影響によって世界の労働者の約半数にあたる16億人もの人々が生計手段を著しく破壊された恐れがあると、国際労働機関(ILO)が警鐘を鳴らすほど、経済危機は深刻さを増しているのです。
いくつかの国では、人々の生活を支えるための臨時給付などの緊急対策が打ち出され、昨年9月のG20(主要20カ国)の労働雇用大臣会合でも、「全ての労働者とその家族を支える強固な社会的保護制度の必要性が高まっている」との共通認識が示されました。
社会的保護とは、一人一人の生涯にわたって、貧困や病気や失業などで厳しい状況に陥った時に、その影響を軽減させるための政策や取り組みを指すもので、「世界人権宣言」でも謳われている人権の一つです。
かつて2008年に世界金融危機が起こり、多くの人々が雇用や保健や教育などの面で打撃を受けた時に、国連が2009年に立ち上げたのが、生活基盤の保障の確保を目指す「社会的保護の床」の取り組みでした。
私は2013年の提言で、この取り組みを強く支持した上で、特に若者たちの仕事を巡る状況が厳しさを増していることを踏まえ、次のように呼び掛けたことがあります。
「若者たちが希望を持てない社会に、持続可能な未来など描けるはずもなく、人権文化を育む気風が根づくこともありません。ゆえに、『社会的保護の床』の確保こそ、持続可能性と人権文化の大前提であるとの意識で取り組むべきだと訴えたい」と。
そして、当時、国連で検討が進められていたSDGsの目標の中に、「極度の貧困に苦しむ人々が尊厳ある生を取り戻すための『社会的保護の床』を全ての国で整備すること」を盛り込むよう、提唱しました。
これと相通じる趣旨の内容はSDGsでも掲げられるようになりましたが、世界金融危機の時よりも格段に深刻な状況が広がり、これまで安定した生活を送っていた人たちも含め、大勢の人々が突然の困窮にさらされる中、「社会的保護の床」を整備することが急務となっていると思えてなりません。
マルチハザードの観点に立った政策
その重要性は、37カ国で構成される経済協力開発機構(OECD)においても共通認識となってきています。
昨年5月に発表された「コロナウイルス危機下の生活支援」と題する報告では、多数の労働者とその家族が貯蓄を取り崩すなどの対応を迫られており、現在と将来の健康や生活が危険にさらされているとして、次のような認識が示されていました。
「前例のない規模の危機であることから、短期的な課題に留まるものではなく、その対応には、今後何カ月、場合によっては何年にも及ぶ、持続的な政策努力が求められるであろう。支援プログラムを可能な限り効果的かつ持続可能なものとするためにはどうすればよいか、熟慮が求められる」(OECDのウェブサイト)と。
歴史を遡れば、OECDは、戦後の混迷が続くヨーロッパ諸国の復興を支援するために、アメリカが1948年に始めた「マーシャル・プラン」の受け入れ体制を整備する目的で設立された組織が母体となったものでした。
現在では、各国の数多くの専門家を擁する世界最大の「シンク・タンク」にまで発展し、その特色の一つは、各国の取り組みを相互審査する活動などを通じて政策の“世界標準”を醸成していく点にあります。
特に近年は、活動を通してまとめた政策提言を具体的な実行に移すことが重視されており、実行を意味する英語の“ドゥー(do)”を加える形で、OECDは自らを「シンク・ドゥー・タンク」と位置付けるようになっています。
そこで私は、OECDの加盟国が、社会的保護に関するSDGsの目標を牽引する役割を担うとともに、コロナ危機で打撃を受けた経済と生活を再建するための政策について“世界標準”を共に導き出しながら、率先して実行していくことを期待したい。
例えば、「グリーン経済への積極的な移行による雇用機会の創出と産業の育成」をはじめ、「社会的保護制度の拡充のために軍事費を削減して転用すること」などが、一つの方向性として考えられます。
また、社会のレジリエンスを強める方策として、「防災や生態系保護の推進による持続可能な地域づくり」や「医療体制への継続的な支援と、介護などのケア分野での雇用環境の整備」など、意欲的な政策を進めることで世界をリードしていく意義は大きいと思うのです。
ここで政策の例示として、社会的保護の拡充に関するものだけでなく、気候変動や環境保全、防災や保健福祉といった分野に言及したのは、故なきことではありません。
現代における危機は、国連防災機関が強調するように、さまざまな脅威や課題に包括的かつ同時に対処していく「マルチハザード」の視座に立つことが、欠かせなくなっているからです。
昨年9月に行われた国連の生物多様性サミットでも、気候変動問題の悪化や、自然環境の破壊が進んでいけば、新型コロナに続く形で今後も新たな感染症が発生する恐れがあるとの認識が示されました。
このマイナスの連鎖に対し、「マルチハザード」の視座に立った取り組みを進めて、プラスの連鎖を生み出す必要があります。
つまり、気候変動への取り組みは、新たな感染症を防止するための対策ともなり、感染症対策を強化した社会は、防災の面でも強靱さを備えた社会となる。また、生態系の保全を基盤にした防災・減災に努めることは、気候変動問題に対処する力になるといったように、多くの課題を“プラスの連関”に転じることが求められているのです。
アフリカで進む長大な緑地の構築
コロナ危機からの経済と生活の再建を目指す上で大切になるのは、社会的保護の拡充を柱としながら、さまざまな脅威に対するレジリエンスの強化を図り、「誰もが安心して暮らすことのできる社会」を各国が共に築き上げることではないでしょうか。
一つ一つの危機も、個別に対処するのではなく、包括的に対処する中で、新しい世界の可能性を共に切り開くチャンスに変えていくことができると、私は強調したいのです。
国連のグテーレス事務総長も、生物多様性サミットでこう述べていました。
「コロナ後の復興計画と、より幅広い開発計画において、自然環境に根差した解決策を組み入れる必要があります。世界の生物多様性を保全することで、今、早急に必要とされている雇用と経済成長を生み出すことができるのです。世界経済フォーラムは、自然関連のビジネスの拡大によって、2030年までに1億9100万人の雇用創出が見込まれるとの見解を示しました。アフリカでの『グレート・グリーン・ウォール』の計画だけでも、33万5000人の雇用が創出されています」と。
事務総長が言及した「グレート・グリーン・ウォール」とは、サハラ砂漠の南縁部(サヘル地域)を横断する形で、長さ8000キロ、幅15キロにわたって在来植物を植樹し、周辺に農地をつくることで長大な緑の帯を生み出す計画です。
アフリカ連合の主導によって2007年から進められてきたもので、これまで2000万ヘクタールの荒廃した土地が回復し、植林や作物の栽培に関わる雇用が増えたほか、砂漠化が引き起こしてきた慢性的な食糧不足が改善されて、人々の健康と生活はより安定した状態になってきました。
この取り組みは、SDGsを構成する17の分野の目標のうち、15の分野に及ぶ目標に貢献しており、サヘル地域のレジリエンスを強めるとともに、地域のすべての人々が恩恵を受けられる経済成長につながることが期待されています。
計画に参加するアフリカの国々は、2030年までに1億ヘクタールに及ぶ「グレート・グリーン・ウォール」を構築するというビジョンを共有し、コロナ危機からの経済回復をはじめ、SDGsの達成や温室効果ガスの排出量を削減するパリ協定の推進を図ろうとしているのです。そこには、“サヘル地域のような困難な場所でも、自然への働きかけによって逆境を乗り越え、次世代のためにより良い世界を築くことができる”との思いが込められています。
これはアフリカでの事例ですが、OECDの加盟国をはじめとする国々でも、コロナ危機の克服を目指す中で意欲的な政策を進めることが大切ではないでしょうか。
世界経済フォーラムの予測では、自然環境重視型の社会経済システムへの転換を進めていけば、食料や土地活用の分野で生み出すことが可能とされる1億9100万人の雇用に加えて、資源効率が高いインフラの整備や、再生可能エネルギーの導入拡大などの対応を進めることで、2030年までに全体で約4億人の雇用を創出できるとの青写真を示しています。
OECDの加盟国が、主要パートナーであるブラジル、インド、インドネシア、中国、南アフリカ共和国などの国々と連携して、世界経済の立て直しの牽引力となると同時に、「誰もが安心して暮らすことのできる社会」を地球全体に広げる役割を担うことを、私は強く期待するのです。
市民社会の力で行動の10年を推進
国連がSDGsの達成に向けて昨年から開始した「行動の10年」は、コロナ危機の発生によって前途多難なものとなりました。
しかしアフリカの人々が連帯して荒れ地を農地に変える努力を続け、地球上に“新しい緑の大地の帯”を生み出そうとしているように、人間には直面する危機を「価値創造」の糧へと転じる力が具わっています。
私ども創価学会が、その名に掲げる「創価」の文字にも、こうした価値創造の力を発揮する中で「自他共の幸福」を基軸にした社会を築いていく精神が込められています。
牧口常三郎初代会長は、その価値創造のダイナミズムを、仏法の精髄である法華経の譬喩を踏まえて、「泥中の蓮」と表現していました。
蓮華が周囲の泥土に染まることなく、泥土を成長の糧にしながら、美しく咲いていくように、どれだけ時代の混迷が深まろうとも、その混迷によって、自分自身の生き方や信念を埋もれさせない。
自らを取り巻く環境を“使命の舞台”に変えて、人間の生命に具わる限りない「価値創造」の力を開花させながら、社会に希望と安心を広げる存在となっていく――。
この「創価」という言葉を師弟の対話の中で生み出した、牧口初代会長と戸田第2代会長が源流となり、1930年から始まった「自他共の幸福」を目指す民衆運動は、今や192カ国・地域にまで広がりました。
国連がSDGsの達成期限として掲げ、「行動の10年」のゴールとなっている2030年は、私ども創価学会にとっても創立100周年にあたります。
地球的な課題の解決を目指して、志を同じくする人々や諸団体と深めてきた連携を礎としながら、2030年に向けてSDGsの達成を市民社会の側から後押しし、「平和と人道の地球社会」を築くための挑戦を、さらに力強く展開していきたいと思います。
語句の解説
注4 HIV/エイズに関するコミットメント宣言
2001年6月、189カ国の首脳らが出席した国連の特別総会で採択された宣言。エイズの流行が世界的な非常事態であり、“人間の生命および尊厳に対する最も恐るべき脅威の一つ”であるとの認識に基づき、予防や治療や資金調達などに関する10項目の優先課題が掲げられた。
注5 アルキメデスの支点
「浮力の原理」の発見で有名な古代ギリシャの科学者で数学者のアルキメデスは、「てこの原理」についても数学的な証明を行った。その原理を彼が象徴的に言い表したものとして、“われに支点を与えよ。しからば地球を動かしてみせよう”と述べたとの逸話が伝えられている。そこから転じて、物事を大きく動かすための急所を指す言葉となった。
注6 「ラッセル=アインシュタイン宣言」
1955年7月、哲学者のラッセルと物理学者のアインシュタインら11人が、核兵器の開発によって人類は絶滅の危機に直面しており、脅威を止めるには戦争の廃絶が不可欠と警鐘を鳴らした宣言。その後、世界の科学者たちが平和問題を討議するパグウォッシュ会議が創設され、1957年7月に第1回の会議がカナダで開催された。
2021年1月26日
第46回「SGIの日」記念提言㊤
「危機の時代に価値創造の光を」
創価学会インタナショナル会長 池田大作
きょう26日の第46回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、SGI会長である池田大作先生は「危機の時代に価値創造の光を」と題する記念提言を発表した。
提言ではまず、世界が今、深刻化する気候変動の問題に加えて、新型コロナウイルスの感染拡大とそれに伴う社会的・経済的な混乱に直面している状況について言及。危機が日常化する中で、社会の表面から埋没しがちになっている「さまざまな困難を抱えた人たち」の存在に目を向け、苦しみを取り除くことの大切さを仏法の視座から強調している。
その上で、冷戦時代にアメリカとソ連が、ポリオや天然痘の克服のために協力した史実などに触れて、各国が「連帯して危機を乗り越える意識」に立つことの重要性を訴えるとともに、感染者への差別や新型コロナを巡るデマの拡散を防ぐ努力を重ねながら、誰も蔑ろにしない「人権文化」を建設することを呼び掛けている。
続いて、国連で「コロナ危機を巡るハイレベル会合」を行い、新型コロナ対策の連携強化の基盤となり、新たな感染症の脅威にも対応できるような「パンデミックに関する国際指針」を採択することを提案。
また、今月22日に発効した核兵器禁止条約の最初の締約国会合に日本が参加し、唯一の戦争被爆国としてのメッセージを発信することで議論を建設的な方向に導く貢献を果たすよう呼び掛けている。
加えて、核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、新型コロナの影響で世界が甚大な被害を受けた状況を踏まえ、「次回の2025年の再検討会議まで、核兵器の不使用と核開発の凍結を誓約する」との文言を最終文書に盛り込むことを提唱。
最後に、コロナ危機からの経済と生活の再建に向け、社会的保護の拡充を柱としながら、「誰もが安心して暮らすことのできる社会」を各国が協力して築くための方途について論じている。(1面から5面に掲載。㊦は次号に掲載予定)
新型コロナの問題を乗り越え
希望の社会を共に建設
私たちは今、これまで人類が経験したことがない切迫した危機に直面しています。
異常気象の増加にみられるような、年々悪化の一途をたどる気候変動の問題に加えて、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)が襲いかかり、それに伴う社会的・経済的な混乱も続いています。
未曽有であるというのは、危機が折り重なっていることだけに由来するのではありません。長い歴史の中で人類はさまざまな危機に遭ってきましたが、世界中がこれだけ一斉に打撃を受け、あらゆる国の人々が生命と尊厳と生活を急激に脅かされ、切実に助けを必要とする状態に陥ることはなかったからです。
わずか1年余の間に、新型コロナの感染者数は世界で9900万人を超えました。亡くなった人々も212万人に達し(1月25日現在)、その数は過去20年間に起きた大規模な自然災害の犠牲者の総数をはるかに上回っています。
大切な存在を予期せぬ形で失った人たちの悲しみがどれだけ深いものか、計り知れません。とりわけ胸が痛むのは、感染防止のために最後の時間を共に過ごすこともかなわなかった家族が少なくないことです。
この行き場のない喪失感がいたる所で広がっている上に、経済活動の寸断で倒産や失業が急増し、数えきれないほどの人が突然の困窮にさらされる事態が生じています。
一方、未曽有の危機による暗雲が世界を覆い尽くそうとする最中にあっても、「平和と人道の地球社会」を築く挑戦の歩みが、すべて止まったわけではありませんでした。
核兵器禁止条約が今月22日に発効したのをはじめ、児童労働を禁止する条約=注1=に対して国際労働機関(ILO)の全加盟国の187カ国が批准したことや、野生株のポリオウイルスの根絶がアフリカで実現するなど、画期的な前進がみられたからです。
いずれも、国連が2030年に向けて達成を目指している「持続可能な開発目標(SDGs)」にとって、かけがえのない重みを持つ成果であり、“困難の壁を打ち破る人間の限りない歴史創造力”を示したものにほかならないといえましょう。
困難を抱える人たちの苦しみをまず取り除く
ブラジルSGIの「創価研究所――アマゾン環境研究センター」による「ライフ・メモリアル・プロジェクト」の発足式。式典では、ローズウッドなどの苗木が植樹された(昨年9月、マナウス市で)
なかでも、昨年の国連デー(10月24日)に発効要件を満たした核兵器禁止条約は、国連創設の翌年(1946年)に総会の第1号決議で掲げられて以来、未完の課題となってきた核兵器の廃絶に対し、ついに条約として明確な道筋をつけた意義があります。
冷戦下で核開発競争が激化していた1957年9月に、創価学会の戸田城聖第2代会長が発表した「原水爆禁止宣言」を原点に、核兵器を全面的に禁じる国際規範の確立を目指して、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などの団体と行動を共にしてきた私どもSGI(創価学会インタナショナル)にとっても、条約の発効は何よりの喜びとするものであります。
そこで今回は、世界中が深刻なショック状態に陥る中で、未曽有の危機を乗り越えるためには何が必要となるのかを探るとともに、「平和と人道の地球社会」を建設する挑戦を21世紀の確かな時代潮流に押し上げるための方策について提起していきたい。
パンデミックの宣言以降の日常
第一の柱として挙げたいのは、“危機の日常化”が進む中で、孤立したまま困難を深めている人々を置き去りにしないことです。
昨年の3月11日に世界保健機関(WHO)が新型コロナのパンデミックを宣言して以来、毎日のニュースで感染者や亡くなった人たちの数が報じられるようになりました。
いまだ感染拡大の勢いは止まらず、収束の見通しは立っていませんが、連日、更新されている数字の意味を見つめ直すために、今一度、思い起こしたい言葉があります。
パンデミック宣言の1週間後に、ドイツのアンゲラ・メルケル首相がコロナ危機を巡る演説で語った次の一節です。
「これは、単なる抽象的な統計数値で済む話ではありません。ある人の父親であったり、祖父、母親、祖母、あるいはパートナーであったりする、実際の人間が関わってくる話なのです。そして私たちの社会は、一つひとつの命、一人ひとりの人間が重みを持つ共同体なのです」(駐日ドイツ連邦共和国大使館・総領事館のウェブサイト)
もとより、こうした眼差しを失わないことの大切さは、巨大災害が起こるたびに、警鐘が鳴らされてきた点でもありました。
しかし、今回のパンデミックのように、世界中の国々が脅威にさらされる状態が長引き、“危機の日常化”ともいうべき現象が広がる中で、その緊要性がいっそう増していると思えてなりません。
私どもSGIでも、感染防止の取り組みを徹底するとともに、日々の祈りの中でコロナ危機の早期の収束を強く念じ、亡くなった人々への追善の祈りを重ねてきました。
また、私が創立したブラジルSGIの「創価研究所――アマゾン環境研究センター」では、新型コロナで亡くなった人々への追悼の意を込めて植樹を行う「ライフ・メモリアル・プロジェクト」を昨年9月から進めています。
一本一本の植樹を通して、これまでブラジルの大地で共に生きてきた人々の思いと命の重みをかみしめ、その記憶をとどめながら、アマゾンの森林再生と環境保護にも寄与することを目指す取り組みです。
亡くなった人々を共に悼み、その思いを受け継いで生きていくことは、人間社会を支える根本的な基盤となってきたものでした。
感染拡大が続く中で、故人を共に追悼する場を得ることが難しくなっている今、統計的な数字の奥にある「一つひとつの命」の重みを見失わないことが、ますます大切になっていると痛切に感じられてならないのです。
社会の表面から埋没する窮状
この点に加えて、“危機の日常化”に伴って懸念されるのは、各自の努力で身を守ることが求められ、社会の重心がその一点に傾いていく中で、弱い立場にある人々の窮状が見過ごされがちになる恐れについてです。
パンデミックに立ち向かうために、各国では医療体制の支援を最重要課題に掲げるとともに、「ニューノーマル(新しい日常)」が呼び掛けられる中、社会を挙げて取り組むべき対策が模索されてきました。
直接的な接触を避けるために一定の距離を確保する「ソーシャル・ディスタンス」をはじめ、在宅での仕事の推奨とオンライン授業の導入などによる「リモート化」や、不要不急の外出を控える「ステイホーム」の推進などに代表されるものです。
この呼び掛けを通し、急激な感染拡大を抑え、医療現場の逼迫を防ぐための取り組みが広がってきた意義は大きいと思います。
なかでも、感染防止策の呼び掛けに対して、積極的に工夫や改善を試みる人が増えてきたことは、単なるリスク対策の域を超える可能性を秘めたものでもあったのではないかと、私は感じています。
その行為は、まずもって大切な家族や身近な人々を守ることに直結していますが、同時にそれは、同じ社会に生きる“見知らぬ大勢の人たちを守るための気遣い”を積み重ねる行為にもなってきたと思えるからです。
しかし一方で、コロナ危機が始まる以前から弱い立場に置かれてきた人や、格差や差別に苦しみながらも、“社会的なつながり”によって支えられてきた人たちの生活や尊厳に、深刻な影響が生じている側面にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。
例えば、「ソーシャル・ディスタンス」が重要といっても、日常的な介助を必要とする人たちにとって、周囲のサポートが普段よりも制限されることになれば、毎日の生活に重大な支障が出ることになります。
それは、自分を支えてくれる人たちとの大切な時間を失い、“尊厳ある生”を築く土台が損なわれることも意味します。
また、仕事や教育から買い物にいたるまで、オンラインによる「リモート化」が急速に進んできたものの、経済的な理由などでインターネットに接続する環境を持つことが困難な人や、オンラインの活用に不慣れな人たちが取り残されていく状況も課題となっています。
加えて、外出制限による「ステイホーム」が長引く中で、家庭内暴力(DV)に苦しむ女性たちが急増したことが報告されています。
なかには、暴力をふるう相手が家にいる時間が長くなったために、行政や支援団体に連絡をとって相談する道まで塞がれている女性も少なくないとみられているのです。
ゆえに大切になるのは、感染防止策に取り組む中で社会に広がってきた“見知らぬ大勢の人たちを守るための気遣い”を基盤としながら、コロナ危機が日常化する中で、社会の表面から埋没しがちになっている「さまざまな困難を抱えた人たち」の存在に目を向け、その苦しみと生きづらさを取り除くことを、社会を立て直すための急所として位置付けていくことではないでしょうか。
コロナの発生前に生じていた歪み
WHOでも、社会的な距離を意味する「ソーシャル・ディスタンス」ではなく、物理的・身体的な距離を意味する「フィジカル・ディスタンス」を用いることを勧めています。
「ソーシャル・ディスタンス」という表現では、人と人とのつながりを制限しなければならないとの誤解を広げてしまい、社会的な孤立や分離を固定しかねないからです。
社会全体が先の見えない長いトンネルに入る中で、他の人々の置かれている状況が見えにくくなっているとしても、同じ社会を生きているという“方向感覚”だけは決して失ってはならないと、私は訴えたいのです。
そこで着目したいのは、国連のアントニオ・グテーレス事務総長が述べていた問題提起です。
昨年7月、「コロナに立ち向かおう」と題する国連のオンライン・セミナーが行われました。席上、「ニューノーマル」の意味について問われた事務総長は、世界の人々が直面する現状に対し、その一言でもって規定してしまうことに異を唱えた上で、「アブノーマル(異常な事態)」という言葉をもって表現したいと強調したのです。
私はその問題提起に、コロナ危機によって世界の大勢の人々が強いられてきた状態が、緊急避難的で、やむを得ないものであったとしても、それは人間にとって本来、“異常な事態”であるとの認識を持ち続けなければならないとの警鐘を感じてなりません。
また事務総長は、別の機会で次のような主張をしていました。
「コロナ危機を受けて、『ニューノーマル』の必要性を訴える声が多くありますが、新型コロナが発生する前の世界が『ノーマル』とは程遠い状態であったことを忘れてはなりません。拡大する不平等、蔓延する性差別、若者がさまざまな機会を得られない状況、上昇しない賃金、悪化していく一方の気候変動、これらは一つとして『ノーマル』ではないのです」
いずれの指摘にも、深く共感します。
こうした世界の歪みを放置したままでは、置き去りにされてしまう人々が次々と出ることは避けられず、ましてアフターコロナ(コロナ後)の社会を展望することなどできないと、思えてならないからです。
新型コロナの脅威はあらゆる国に及んでいる危機ですが、影響の深刻さは、人々が置かれている状況によって格段の開きがあると言わざるを得ません。
実際、感染防止策として推奨される「石鹸と水による手洗い」ができない環境で生活する人の数は、世界の4割に及ぶといいます。
こうした自分と家族を守り、周囲の人たちを守るための基本的な手段を得ることが難しい人々は、30億人もいるのです。
また、紛争や迫害によって故郷を追われた難民の人たちの数が世界で8000万人に達する中、その多くが難民キャンプなどでの密集した生活を余儀なくされています。
もとより、物理的・身体的な距離を確保することは困難で、感染者が出れば、感染拡大が避けられない危険と隣り合わせで生活している状況にあるのです。
今、世界が直面している未曽有の危機には、複合的な要素が折り重なっているために、それぞれの脅威の関係性や問題の所在を見定めることは容易ではないといえましょう。
そうであったとしても、危機への総合的な対処とは別に、脅威にさらされている一人一人に対しては、苦しみを取り除くことが、先決になるのではないかと訴えたいのです。
各国の連帯が事態打開の礎に
2019年1月、福島・いわき市で行われた「希望の絆」コンサート。東日本大震災で被災した人々の“心の復興”を願い、音楽隊が2014年3月から東北の友と手を携えて開催してきたコンサートは、2016年以降、地震や豪雨などの自然災害に見舞われた全国の被災地でも行われてきた
「毒矢の譬え」が提起する視座
この問題を考える上で、想起される仏法の視座があります。釈尊が説いた「毒矢の譬え」です。
――ある男が、毒矢に射られた。その時、「この矢を射た者はなんという姓でなんという名の者か」との疑問や、「弓矢を作った者はだれか」といったことに気をとられ、「それが分からぬうちは矢を抜いてはならぬ」とこだわり続けたために、状況が放置されそうになったとする。しかしそれでは、毒矢が刺さったままで、やがて命を落とすことになってしまうのではないか――と(中村元・増谷文雄監修『仏教説話大系』第11巻、すずき出版を引用・参照)。
この譬えは、人間の身に実際に起きる問題よりも、観念的な議論に関心が向きがちな弟子を諭すために、釈尊が用いたものでした。
この譬えに着目し、釈尊の目的は体系的な教えを説き明かすことにはなかったと洞察していたのは、20世紀を代表する宗教学者のミルチア・エリアーデ博士でした。博士が釈尊の教えを、人々の苦しみに対する治療と位置付けていたように、釈尊が何よりも心を砕いていたのは“毒矢を抜き去ること”、つまり、一人一人の苦しみの根源を取り除くことにありました。
仏法の出発点に息づいていたのは、そうした切なる思いから釈尊が折々に語った言葉にほかならなかったのです。
釈尊の教えの精髄である法華経を礎にして、13世紀の日本で仏法を説き広めた日蓮大聖人は、釈尊の言葉が及ぼした力について、「燈に油をそへ老人に杖をあたへたるがごとく」(御書576ページ)と表現していました。
つまり、何か超人的な力をもって人々を救済したのではなく、釈尊は、相手の内面に本来具わる力を引き出す支えとなるような言葉を語ることに専心していたのです。
災害や飢饉に加えて疫病の蔓延が相次いでいた当時の日本で、「立正安国論」を著し、“民衆の苦悩と嘆きを取り除く”という一点に立って行動する重要性を訴えた大聖人の仏法にも、その精神は力強く脈打っていました。
度重なる災禍によって、人々がどれだけ塗炭の苦しみにさいなまれていたのか――。大聖人は、その様子をこう記しています。
「三災・七難・数十年起りて民半分に減じ残りは或は父母・或は兄弟・或は妻子にわかれて歎く声・秋の虫にことならず、家家のち(散)りうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり」(同1409ページ)
こうした時代にあって、大聖人は混迷を深める社会に希望を灯すべく、災禍や苦難に見舞われた人々を励まし続けたのです。
信念の行動を貫く中で流罪などの迫害に何度も遭ってきた大聖人は、物理的な距離で遠く隔てられた弟子たちを何とか勇気づけたいとの思いで、手紙を認めることもしばしばでした。
ある時は、夫を亡くした一人の女性門下に、次のような手紙を送っています。
――亡くなられたご主人には、病気の子もおり、愛娘もいた。「私が子どもを残し、この世を去ったら、老いた妻が一人残って、子どもたちのことをどれほど不憫に思うだろうか」と嘆かれたに違いない、と(同1253ページ、趣意)。
その上で、「冬は必ず春となる」(同ページ)との言葉を綴られた。そこには、女性門下を全魂で励まそうとする、次のような万感の思いが込められていたのではないかと拝されるのです。
今は、厳しい“冬”の寒さに覆われているような、辛い思いをされているに違いありません。しかし、“冬”はいつまでも続くことはない。必ず“春”となるのです。どうか心を強く持って、生き抜いてください――と。
そしてまた、「幼いお子さんたちのことは、私も見守っていきますから」との言葉を添えて、夫の逝去によって人生の時間が“冬”のままで止まりかけていた女性門下の胸中に、温かな“春”の光を届けたのです。
この女性門下への言葉のように、大聖人は手紙に認めた一つ一つの文字に、自らの“心”を託された。そして手紙が読まれた時に、その言葉は物理的な距離を超えて大聖人の“心”を浮かび上がらせ、相手の胸に刻まれたのでした。
宗教が担うべき社会的な使命
大聖人の時代とは状況が異なりますが、今回のパンデミックによる混乱が広がる中で、多くの人たちが痛切に感じたのは、「自分の人生が急停止してしまった」「生活の基盤が突然、絶たれてしまった」「まったく未来が見えなくなってしまった」といった、やりきれない思いだったのではないでしょうか。
こうした時に、社会的な支援や周囲からの手助けを得られず、苦しみを独りで耐えるほかない状態が続く限り、その人の世界は暗転したままとなりかねない。
しかし誰かがその状態に気づいて寄り添った時、困難を抱えた人も、自らの苦境を照らす温かな光が周囲や社会から届けられることを通じて、かけがえのない人生と尊厳を取り戻す力を得ることができるのではないかと思うのです。
私どもSGIが大聖人の精神を受け継ぎ、世界192カ国・地域で広げてきた信仰実践と社会的活動の立脚点も、“孤立したままで困難を深めている人々を置き去りにしない”との信念にありました。
その信念は、私の師である戸田第2代会長の「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(『戸田城聖全集』第3巻)との言葉に凝縮された形で表れています。
ここで強調したいのは、世界と国家と個人という、すべての面において、戸田会長の眼差しが「悲惨」を取り除くという一点に貫かれていることです。
世界に生じているどんな歪みであろうと、どの国が直面する困難であろうと、どのような人々の身に起きている苦境であろうと、人間と人間とを隔てるあらゆる垣根を越えて、「悲惨」を取り除くために共に力を合わせて行動する――。
これまでSGIが、グローバルな諸課題の解決を求めて、志を同じくする多くのNGO(非政府組織)をはじめ、さまざまな宗教を背景とするFBO(信仰を基盤とした団体)と連携を深めてきたのも、この精神に根差してのものにほかならないのです。
ある意味で、人類の歴史は脅威の連続であり、これからも何らかの脅威が次々と現れることは避けられないかもしれません。
だからこそ肝要となるのは、どんな脅威や深刻な課題が生じようとも、その影響によって困難を抱えている人々を置き去りにせず、「悲惨」の二字をなくすための基盤を社会で築き上げていくことだと思います。
なかでも現在のコロナ危機で物理的・身体的な距離の確保が求められ、他の人々の置かれている状況が見えにくくなる中で、同じ社会で生きる人間としての“方向感覚”を失わない努力を後押しする役割を、宗教やFBOが積極的に担うことが求められていると、感じられてなりません。
パンデミックが世界に及ぼした打撃は極めて深刻で、脱出の方法が容易に見いだせない迷宮のような様相を呈しています。しかし、一人一人を窮状から救い出すアリアドネの糸=注2=は、それぞれの命の重みをかみしめ、その命を守るために何が切実に必要とされているのかを見いだすことから浮かび上がってくるのではないでしょうか。
大多数の国が同時に“被災”
次に第二の柱として強調したいのは、各国が立場の違いを超えて「連帯して危機を乗り越える意識」に立つことの重要性です。
新型コロナのパンデミックが招いた被害が、一体どれほどのものになるのか。
国連防災機関(UNDRR)は、「数多くの命と健康の痛ましい喪失」と「経済的・社会的な困窮」を防ぐための対応の重要性を指摘しながら、次のように述べています。
「雇用の喪失と収入の途絶による影響も加えると、これまで人類が経験してきたどの災害よりも、新型コロナウイルス感染症という単一の災禍によって被害を受けた人が多いといえるでしょう」と。
規模の大きさもさることながら、危機の様相が未曽有となっているのは、大多数の国がコロナ危機によって“被災”した状況にあることです。
21世紀に入ってからも、世界ではスマトラ島沖地震(2004年)をはじめ、パキスタン地震(2005年)、ミャンマーでのサイクロン被害(2008年)、中国の四川大地震(2008年)、ハイチ地震(2010年)など、巨大災害が発生してきました。
いずれも現地に深刻な被害を及ぼしましたが、被災直後の救援から復興にいたるまでの過程で、他の国々がさまざまな形で支援する流れが広がってきました。10年前の東日本大震災に対しても、たくさんの国が次々と支援の手を差し伸べてくれたことが、どれだけ被災地の人々を勇気づけたか、計り知れません。
災害時には、こうした国際的な連帯の輪の存在こそが、先の見えない不安を抱える被災地の人々にとって大きな心の支えとなるものだからです。
しかし現在のコロナ危機は、大多数の国が同時に“被災”しているために、状況はより混迷を深めています。
世界の国々を「航海を続ける一隻一隻の船」に例えてみるならば、すべての船が一斉に嵐に巻き込まれ、経験したことのない荒波にさらされる中で、コロナ危機という“同じ問題の海”にいながらも、別々の方向に押し流されてしまう危険性があるからです。
では、コロナ危機の克服という“海図なき航海”において、羅針盤となるものを、どのようにして探っていけばよいのか――。
かつて私が対談した歴史家のアーノルド・J・トインビー博士は、こう述べていました。
「私たちが手にできる未来を照らすための唯一の光は、これまでに経験してきたことの中にある」と。
そこで私が振り返りたいのは、かつて冷戦対立が激化する最中にあって、ポリオの感染拡大を防ぐためのワクチン開発で、アメリカとソ連が歩み寄って協力した史実です。
それまでポリオを予防する方法として「不活化ワクチン」が主に利用されていましたが、接種方法が注射に限られていた点に加えて、高価であるという問題点がありました。この課題を解消するべく、経口摂取が可能な「生ワクチン」の開発がアメリカで始められたものの、すでに「不活化ワクチン」の接種が進んでいたために、新しいワクチンの被験者になれる人が、それほどいませんでした。
一方のソ連では、当初、自国の子どもたちにも関わる問題とはいえ、敵対関係にあるアメリカとの協力には消極的でした。しかしソ連が、感染者の増加を憂慮して歩み寄りを模索するようになり、アメリカもソ連との協力の必要性を認識した結果、1959年以降、ソ連とその周辺国で大規模な治験が行われる中で、ついに「生ワクチン」が実用化にいたったのです。
互いの存在を思いやる心が「レジリエンス」を育む土壌に
創価学会平和委員会が主催した難民映画の自主上映会(2019年1月、東京・中野区内で)。国連難民高等弁務官事務所が毎年実施する「難民映画祭」でも紹介されたドキュメンタリー映画を通し、中東のシリアで故郷を去ることを余儀なくされた子どもたちの状況を学ぶ機会となった
当時、この「生ワクチン」によって、日本の多くの子どもたちが救われた出来事は、私自身、鮮烈な記憶として残っています。
ポリオ(脊髄性小児麻痺・・・記、当サイト)が日本で大流行したのは、1960年のことでした。
その翌年も再び感染が広がり、連日のニュースで患者数が報じられる中で、ワクチンの投与を求める声が母親たちを中心に強まりました。その時、カナダから輸入された300万人分に加えて、ソ連から1000万人分もの「生ワクチン」の提供が受けられたことで、流行は急速に沈静化していったのです。
米ソ両国の協力の結晶ともいうべき「生ワクチン」の投与が、日本でも実現し、幼い子どもを持つ母親たちの間で安堵の表情が広がっていった光景は、60年の歳月が経った今でも忘れることはできません。
COVAXの意義
翻って現在、新型コロナの世界的な感染拡大が止まらない中、有効なワクチンの開発と実用化を軌道に乗せることと併せて、各国へのワクチンの安定的な供給をどう確保するかが、大きな焦点になっています。
この難題に対応するために、WHOなどによって昨年4月に立ち上げられたのが、「COVAXファシリティー」という国際的な枠組みです。すべての国々が迅速かつ公平にワクチンを入手できる体制づくりを目指し、まずは今年の年末までに、20億回分のワクチンを参加国に提供することが計画されています。
COVAXの創設は、WHOによるパンデミック宣言のわずか1カ月後でした。それだけ対応が早かったのは、国際的な枠組みがないままでワクチンの開発競争が進めば、資金力のある国とない国との間でワクチンの確保に深刻な格差が生じたり、ワクチン価格が高騰したりすることが懸念されたからです。
WHOは昨年5月の総会決議で、ワクチンの広範な接種は、すべての国で分かち合うべき「グローバル公共財」であると強調しました。現在、COVAXの参加国は190カ国・地域に広がり、2月からの供給開始が目指されていますが、ワクチンの安定的な供給は、すべての主要国の協力を得て活動を支える体制が確立できるかどうかにかかっています。
私は、早期の参加を果たした日本が、アメリカやロシアなどの未加入国に、COVAXの枠組みに参加して積極的に関与していくことを、呼び掛けるべきではないかと訴えたい。
WHOと連携して、国際的なワクチン供給の運営を担う「GAVIワクチンアライアンス」のセス・バークレー代表は、日本が昨年10月に資金拠出を誓約し、いち早く途上国支援の姿勢を示したことの意義を、こう述べていました。
「この貴重な支援は、安全かつ有効な新型コロナワクチンの接種が可能となった時に、それを待つ長い列の後方に低所得国が取り残されないためだけでなく、感染の世界的な急拡大を止めるためにも、極めて重要な役割を果たします」と。
かつて、2000年に行われた九州・沖縄サミットで、議長国の日本が感染症対策をサミットの主要議題に初めて取り上げたことが契機となり、2年後の「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」の創設に結びついたことがありました。以来、日本をはじめ、多くの国が基金に対する支援を続ける中で、この三大感染症の脅威から、累計で世界の3800万人もの人々の命が救われてきたのです。
皆が享受できるグローバル公共財
思うに、新型コロナのパンデミックに立ち向かうグローバルな連帯を形作る上でも重要になってくるのは、「どれだけの命を共に救っていくのか」という“プラス”の面に着目し、そこに足場を築くことではないでしょうか。
感染者数の増加といった“マイナス”の面だけに目が向くと、他の国々との連携よりも、自国防衛的な発想に傾きがちになってしまうかもしれません。そうではなく、「どの国の人であろうと感染の脅威から救うことが、自国の人々の命を守ることにもつながる」との意識に立つことが欠かせないと思うのです。
先に私は、WHOがワクチンの広範な接種を「グローバル公共財」と位置付けていたことに触れましたが、COVAXの計画が軌道に乗った先には、それにもまして重要な意義を持つ「グローバル公共財」を分かち合える未来が開かれるに違いないと確信します。
「グローバル公共財」を巡る研究では、ワクチンのような製品や、インターネットなどの社会基盤だけがその対象ではなく、平和や環境といった、各国が協力して進める政策の結果としての“世界全体が享受できる状態そのもの”が含まれると考えられています。
気候変動の問題を例に挙げて言えば、各国で温室効果ガスの排出量削減に積極的に取り組むことで異常気象や海面上昇の悪化を抑えていくという、すべての国にとって望ましい状態が築かれるようなものです。
同様に、今回のパンデミックを各国の連帯で収束させた先には、「今後起こり得る感染症の脅威にも十分なレジリエンス(困難を乗り越える力)を備えた世界」への地平が大きく開かれ、“将来にわたってあらゆる国の人々の命と健康を守る基盤”が形作られていくと私は考えるのです。
このレジリエンスを支える要となるものについて考える時、どの国の船にとっても航海の安全を確保する上で欠かせない存在となってきた「灯台」のイメージが思い浮かびます。
新型コロナによって命の危険にさらされた人々に対し、その最前線で「灯台」のような崇高な使命を担い、献身的な行動を続けてきたのが、医師や看護師をはじめとする医療従事者の皆さんにほかなりませんでした。来る日も来る日も、人々のために懸命に尽くしてこられた方々に、改めて深い感謝の思いを捧げるものです。
世界の看護師の8人に1人は、出身国や訓練を受けた国以外の場所で尊い仕事を担っているといわれます。
ともすれば多くの国で、移民とその家族に冷たい視線を向け、社会的な負担とみなして疎外するような空気がみられます。
国連でもその是正を呼び掛けてきましたが、まさに各国がコロナ危機に陥った時に、多くの人命を救うための「なくてはならない存在」となったのが、看護師をはじめ医療の現場や病院の運営などを支えてきた移民の人たちにほかならなかったのです。
同様に、パンデミック宣言後に深刻なマスク不足が生じ、各国の間で確保競争が起きた時期に、難民の人たちが、受け入れ地域の人々のために自発的な取り組みをしていたことについて、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が事例をいくつか紹介しています(以下、UNHCR駐日事務所のウェブサイトを引用・参照)。
ケニアで昨年3月に最初の感染者が報告され、公共の場所でのマスク着用が要請された時、ニュースを聞いて行動を起こしたのが、難民の男性でした。
近隣国のコンゴ民主共和国から逃れ、難民キャンプで洋服の仕立ての仕事をしていた彼は、「私たち難民も、支援に頼るだけでなく、この危機の中で貢献できることがある」との思いでマスクづくりを開始し、他の難民や地元の人たちにマスクを配るとともに、UNHCRの事務所のスタッフにも届けたのです。
またドイツでも、自分たちを受け入れてくれた町にある病院の看護師を応援したいと願って、中東のシリアから逃れてきた難民の家族がマスクづくりに取り組みました。
途中でマスク用のゴムが足りなくなった時には、事情を知った町の人々が、即座にたくさんのゴムを自宅まで届けてくれたといいます。
難民の家族は、マスクづくりに込めた思いを、こう語っています。
「私たちは、この町の人たちに本当に温かく迎えてもらったんです。住む場所を見つけ、仕事も得て、子どもたちは学校にも行くことができています。ドイツに恩返しができれば、私たちはそれでうれしいんです」と。
自分のできることは限られるかもしれないが、“たとえ一人でも誰かの助けになりたい”との、やむにやまれぬ思い。同じ地域で暮らしているからこそ、互いの存在を気遣い、人々のために力を尽くそうとする行動――。
私は、国籍や置かれた状況の違いを超えて、そのような思いと行動が社会で積み重ねられる中でこそ、「レジリエンス」の土壌は力強く育まれるに違いないと考えるのです。
ポリオや天然痘の根絶に向けた共闘
ワクチンの開発は、危機を打開する上で極めて重要な要素となるものですが、WHOが留意を促すように、それだけで問題がすぐに解決に向かうわけではありません。安全性の十分な確保が何よりも欠かせないほか、ワクチンの輸送体制を整えることから、接種を各地で実際に進めるまでのあらゆる過程において課題が残っており、今後の感染防止対策と併せて、大勢の人々の協力を得ることが必要となるからです。
この挑戦を進める上で基盤となるのが、「連帯して危機を乗り越える意識」の共有であり、「レジリエンス」の構築を担う人々の輪を広げることではないでしょうか。
パンデミックは、ギリシャ語の「すべての人々」を意味する言葉が語源となっているように、地球上のあらゆる場所で感染拡大が収束していかない限り、その脅威は国籍や置かれた状況の違いに関係なく及び続けるものです。
その意味で、パンデミックへの対応において求められるのは、従来の「国家の安全保障」のような自国の安全の追求だけを基盤にした発想ではない。
冷戦期のポリオのワクチン開発を巡る米ソの協力に、その萌芽がみられたような、国の垣根を越えて人々が直面する脅威を共に取り除こうとする「人間の安全保障」のアプローチであるといえましょう。
今後、パンデミックの状況がさらに悪化していった場合に、ワクチンの供給を含めた感染防止策の重心が、“世界中の人々を救うため”ではなく、“自国の安全だけを優先する目的”に傾く風潮が各国の間で強まるような事態を生じさせてはならないと思います。
ある意味で、この問題の構造は、冷戦期の核政策となった相互確証破壊(MAD)=注3=の陥穽にも通じる面があるのではないでしょうか。
自国の安全を第一に追求した核抑止力の強固な構築といっても、ひとたび核戦争が起きて攻撃の応酬が始まれば、自国民の安全の確保どころか、人類全体の生存基盤を破壊する結末を招いてしまうからです。
ポリオについては、昨年のアフリカでの根絶宣言を経て、アジアの2カ国での流行を止めることができれば、世界全体の根絶が達成できるところまで迫っています。
それに先駆けて人類が初めて感染症の克服に成功したのが、1980年の天然痘の根絶でした。
その画期的な偉業に寄せて、私の大切な友人であった核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の共同創設者のバーナード・ラウン博士が述べていた言葉を思い起こします。
意識変革を促す人権教育の力
「冷戦の闇が最も深い時期にあっても、イデオロギーの対立下にあった両陣営の医師たちの協力が途切れることはありませんでした。核兵器による先制攻撃を想定してミサイルを大量製造していた、まさにその時に、アメリカとソ連の医師たちは協力して、天然痘の根絶のために奮闘していたのです。この団結の姿は、核兵器の反対運動においても大きな説得力を持つモデルを提示しています」
核兵器禁止条約は、このIPPNWを母体に誕生したICANを含め、広島と長崎の被爆者や世界のヒバクシャをはじめとする市民社会の力強い後押しを得て実現したものにほかなりませんでした。
なるどこかに脅威の火種が残る限り、同じ地球で生きるすべての人々にとって、本当の安心と安全はいつまでも訪れない。どの国も犠牲にしてはならず、世界の民衆の生存の権利が守られるものであってこそ、真の平和の実りをもたらす安全保障と――。
こうした新しい時代の基軸となるべきメルクマール(指標)を条約として打ち立てたものこそ、今月22日に発効した核兵器禁止条約であると思えてなりません。
かつて歴史家のトインビー博士が述べていた、「時間の遠近法」という印象深い言葉があります。
博士は、この言葉を通して、次のような視点を提示していました。
「時間の遠近法に照してみると時々ものの姿が正しい釣り合いで眺められるものだが、今後数世紀ののちにおいて未来の歴史家が二十世紀の前半を顧みてこの時代の諸々の活動や経験をそういう眼で眺めようとした場合、はたして何が現代の目ぼしい出来事として選び出されるでありましょうか」(『試練に立つ文明』深瀬基寛訳、社会思想社)と。
同様に私も、未来の歴史家が21世紀前半の時代を「時間の遠近法」に照らしてみた時、何が最重要の出来事として浮かび上がるのかについて強い関心を持つものです。
思うにその一つは、コロナ危機が深まる最中にあって、安全保障のパラダイム(思考的な枠組み)の転換を促す、核兵器禁止条約の発効が果たされたことになるのではないでしょうか。
そしてまた、もう一つの最重要の出来事として、COVAXによるワクチン接種の地球的な規模での推進が、今後の国際社会のさらなる努力を通じて歴史に刻まれていくことを、私は強く期待したいのです。
新型コロナのパンデミックは深刻な危機ですが、“困難の壁を打ち破る人間の限りない歴史創造力”を結集することで、必ず克服できるはずです。その上で、パンデミックへの対応を土台にしつつ、「連帯して危機を乗り越える意識」を時代潮流に押し上げ、「国家の安全保障」の対立による悲劇を断ち切る人類史転換への道を開くべきだと強く訴えたいのです。
感染症を巡る歴史
続いて第三の柱として提起したいのは、感染者への差別や新型コロナを巡るデマの拡散を防ぐとともに、誰も蔑ろにしない「人権文化」の建設を進めることです。
今回のパンデミックを機に、改めて読まれるようになった文学作品の一つに、ダニエル・デフォーの『ペスト』があります。
17世紀のロンドンを舞台にしたこの作品では、ペストの恐怖にかられた市民がデマに惑わされ、不安を煽る言葉に影響されて我を失っていく姿が描かれていますが、古くはペストから近年のエイズにいたるまで、感染症に苦しむ人を差別したり、パニックによる分断や混乱で社会に深い傷痕を残したりするような歴史が繰り返されてきました。
がんや心臓病などの疾患に対する、「自分もいつか発症するのではないか」といった心配とは違って、感染症の場合は、「誰かにうつされるかもしれない」との不安が募るために、病原体への恐怖心がそのまま“他者への警戒心”に転じやすいといわれます。
問題なのは、その警戒心がエスカレートして、感染症に苦しむ人や家族をさらなる窮地に追い込むような事態を招いたり、以前から根強い差別や偏見にさらされてきた人々に対して、感染拡大の責任を転嫁したりするような空気が社会で強まることです。
特に現代においては、感染症に関する誤った情報やデマが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などを通じて一気に拡散する状況があることが懸念されます。
その背景には、感染防止の対策が次々と変わることや、感染拡大が生活に及ぼす影響が深刻であるために、多くの人が情報を求めて、新聞などのメディアだけに向かうのではなく、ネット空間にあふれる真偽不明の情報や出所不明の発信に触れて、“情報の空白”を埋めようとする動きがあるといわれます。
その中には、人々の不安につけこむ形で社会を扇動しようとしたり、特定の人々を槍玉に挙げて憎悪の感情を向けさせようとしたりする、悪意に満ちた言説も少なくありません。
正確な情報の共有が不可欠
こうした誤った情報やデマが野放図に拡散され、差別や偏見が増幅することで、人間社会を支える基盤が蝕まれていく“もう一つのパンデミック”ともいうべき事態は、新しい造語で「インフォデミック」と呼ばれています。
国連でも強い注意喚起をしており、昨年5月には、新型コロナに関する誤った情報やデマの蔓延を防ぐための「ベリファイド」という取り組みが立ち上げられました。多くのメディアとも連携して、正確で信頼できる情報について、国連や科学者などの専門家によって内容が“検証済み”であることを示す「ベリファイド」の認証マークをつけて発信していく活動です。
また、世界中の市民に「情報ボランティア」としての参加を呼び掛け、信頼できるコンテンツを市民の手で積極的に拡散し共有することを通し、家族やコミュニティーの安全とつながりを守ることが目指されているのです。
虚偽の情報やデマの拡散が放置されたままで、その誤りが周知徹底されなかった場合、重大な問題となるのは、正しい情報の定着が妨げられることだけではありません。
何より懸念されるのは、デマの根にある強い差別や偏見が、感染症への恐怖に乗じる形で人々を疑心暗鬼に陥らせて、社会の亀裂を深め、誰もが守られるべき尊厳と人権に“断層”を生じさせることです。
感染症と人権を巡る問題について、WHOがパンデミック宣言を発する5日前に、「人間の尊厳と人権は、後付けではなく、その取り組みの前面と中心に掲げる必要がある」と、いち早く留意を促していたのが、国連のミチェル・バチェレ人権高等弁務官でした。
バチェレ氏は昨年9月にも、コロナ危機の克服において外してはならない急所として、次のように訴えていました。
「根深い不平等と人権の格差が、ウイルスの感染拡大とその脅威を加速度的に膨張させていく様子を、私たちは目の当たりにしてきました。社会とその狭間に存在するこれらの格差を修復し、深く刻まれた傷を癒すための行動が、今こそ必要とされています」
ここでバチェレ氏は「根深い不平等と人権の格差」に言及していますが、こうした「深く刻まれた傷」は社会で構造化されて、問題の深刻さが見過ごされがちになってきたものの、コロナ危機をきっかけに差別意識がより鮮明な形で表れるようになった面があるのではないでしょうか。
コロナ危機が深刻化し、多くの人々が「生きづらさ」を感じるようになる中で、差別や憎悪を煽る言説に影響を受け、そこに憤懣のはけ口を求めていく危険性が高まっている点が懸念されるのです。
建設的な行動を生み出すカギ
暮らしている地域や職業の違い、人種や宗教の違いなど、あらゆる差異に関係なく誰もが感染する恐れがある病気であり、共に乗り越えるべき課題であるはずなのに、かえって社会の分断が広がり、脅威を加速させてしまう背景には何があるのか――。
この問題を考える上で、差別を巡る示唆的な分析として私が触れたいのは、アメリカの哲学者のマーサ・ヌスバウム博士が、社会と嫌悪感の関係を論じた著書『感情と法』(河野哲也監訳、慶應義塾大学出版会)で述べていた言葉です。
博士は、人々が社会で境界線をつくり出そうとするのは他者への「嫌悪感」に根差しており、境界線を設けることで、自分たちが「安堵」を得たいと考えるからであるとして、こう問題提起しています。
「私たちは救済を求めて嫌悪感を呼び出している」と。
ここでヌスバウム博士が論じているのは、“邪悪な行為をするのは特定の集団だけで、自分たちにはまったく関係ない”とみなす思考に対してのものですが、感染症が引き起こす混乱と差別を巡る問題にも、その構図は当てはまるのではないかと私は考えます。
同書の中で博士が指摘するように、「病原菌」といった医学的言説が嫌悪感を示す表現として転用されて、特定の人々を貶めたり、抑圧したりする傾向があるからです。
差別の根源にある“自分たちこそ最も正しく尊い存在にほかならない”との意識。それが何らかの社会的危機が起きた時に、“自分たちだけは難を逃れたい”と望む気持ちと相まって、他の集団への嫌悪感を強め、関わり合いを断つことで安堵しようとする構図がみられると思うのです。
ヌスバウム博士は、嫌悪感はその感情を向ける相手や集団に対し、「共同体の成員あるいは世界の成員ではないというレッテル」を貼るものであり、特にそれが「弱い集団や人物の周縁化を行う時には、危険な社会的感情となる」と警鐘を鳴らしています。
また、博士が民主主義社会を支える感情として重視するのは「憤り」であるとし、その機能について次のように述べています。
「憤りは建設的な機能を持っている。憤りが語るのは、『これらの人々に対して不正がなされてきたが、そのような不正はあるべきではなかった』ということである。憤りはそれ自体で不正を正す動機を提供する」と。
その意味から言えば、人々が感じる「生きづらさ」は差別意識を募らせる原因となり、社会を分断させる危険性を持つ半面で、共生の社会を築くための建設的な行動を生む可能性も秘めているといえましょう。
コロナ危機による打撃が社会のあらゆる分野に及ぶ中で、人々の生命と尊厳が蔑ろにされることに対する痛みについて、これまで以上に切実に胸に迫った人は決して少なくなかったのではないでしょうか。
そこで肝要となるのは、自分が感じる「生きづらさ」を、他者を貶める「嫌悪感」に向けて解消しようとするのではなく、他の人々が感じている「生きづらさ」にも思いをはせながら、厳しい社会の状況を変えるための“建設的な行動”の輪を広げることだと思えてならないのです。
法華経に説かれる生命触発のドラマ
もちろん、自分の存在を何よりも大切に思う心情は、人間にとって自然な感情であり、私どもが信奉する仏法の人権思想においても、その点が踏まえられています。例えば、釈尊を巡る逸話を通して、こんな教えが伝えられています。
――ある時、コーサラ国の国王夫妻が会話を交わす中で、夫妻のそれぞれが「自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない」との思いを抱いていることが話題となった。その後、釈尊のいる場所に赴いた国王が、自分たちの正直な思いを伝えたところ、釈尊は次の詩句をもって応えた。
「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を害してはならない」――と(『ブッダ 神々との対話』中村元訳、岩波書店を引用・参照)。
つまり、自分を“かけがえのない存在”であると感じるならば、誰もが同じ思いを抱いている可能性があることを深くかみしめるべきであり、その実感を自分の生き方の基軸にして、他者を害するような行為を排していかねばならないと、釈尊は諭したのです。
この逸話が示すように、仏法の人権思想が促しているのは、自分を大切に思う心情を打ち消すことではなく、その実感を“他者に対しても開かれたもの”へと昇華させる中で、自分と他者、自分と社会との関係を紡ぎ直すことにあると言ってよいでしょう。
釈尊の教えの精髄が説かれた法華経で展開されているのも、まさにそうした人間生命の触発のドラマにほかなりません。
万人に「尊極の生命」が宿っていることを説いた釈尊の教えに触れて、自身の尊厳のかけがえのなさを心の底から実感した人が、一人また一人と続く中で、他の人々の尊厳の重みにも気づき、「自他共の尊厳が輝く世界」を築いていく決意を互いに深め合っていく姿が描かれています。
その中で釈尊は、人間と人間とを隔てるあらゆる境界線を取り払い、根強い差別にさらされてきた女性たちをはじめ、過ちを犯してしまった人々に対しても、「尊極の生命」が宿っていることを強調しました。
このように法華経では、さまざまな形で差別を受け、虐げられてきた人々の尊厳を明らかにした宣言と、互いの存在の尊さを喜び合う声が満ち満ちており、そうした生命と生命との触発のドラマを通して、「万人の尊厳」という法理が確かな輪郭を帯びて現れているのです。
いかなる人も蔑ろにしない
私どもSGIは、この法華経が説く「万人の尊厳」の精神に基づき、いかなる差別も許さず、誰も蔑ろにされることのない社会の建設を目指し、国連が呼び掛ける人権教育の推進に一貫して力を注いできました。
1995年に始まった「人権教育のための国連10年」を支援する一環として、「現代世界の人権」展を8カ国40都市で開催し、2005年からは国連の新たな枠組みとして発足した「人権教育のための世界プログラム」を推進する活動を行ってきました。
また2011年に、人権教育の国際基準を初めて定めた「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択を諸団体と協力して後押ししたほか、その後も国連人権高等弁務官事務所の協賛を得て、「変革の一歩――人権教育の力」展の開催や「人権教育ウェブサイト」の開設をしてきたのです。
昨年9月には国連人権理事会で「人権教育学習NGO作業部会」を代表して共同声明を読み上げ、青年に焦点を当てた「人権教育のための世界プログラム」の第4段階が昨年1月からスタートしたことに寄せて、こう訴えました。
「この行動計画は、人権教育と青年の可能性を大きく広げるものです。新型コロナウイルス感染症によって、実施に伴う困難の度は増しましたが、人権を実現するための主要な条件となる人権教育を『中断』することがあってはなりません」と。
折しも、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択から、本年で10周年の佳節を迎えます。その中で、人権教育の力で築くべきものとして掲げられていたのが、「誰も排除されない社会」でした。
円を描く時に、“弧”のどこかが少しでも欠けている限り、円の形が出来上がらないように、普遍的な人権の尊重も、差異や社会的な区別によって軽んじられたり、排除されていたりする人々がいる限り、スローガンのままで終わってしまい、完結することはない。
これまで社会的に構造化される中で“蔑ろにされ、失われてきた人権や尊厳の弧”を、誰の目にも見える形で浮かび上がらせ、共に尊厳の大切さを分かち合いながら、生き方を見直し、社会の在り方を変えていく連帯を後押しする力となるのが人権教育です。
SGIが取り組んできた人権教育も、「誰も排除されない社会」という“円”の形を、同じ世界に生きる人間として共に描き出していくことに眼目があります。
感染症にまつわる差別やデマの蔓延を防ぐ努力を重ねながら、コロナ危機に伴う不安や恐怖の暗雲を打ち払うとともに、“誰も蔑ろにされてはならない”との思いを人権文化として結実させる挑戦を、今こそ力強く巻き起こすべきではないでしょうか。(㊦に続く)
語句の解説
注1 児童労働を禁止する条約
1999年6月に採択された条約で、正式名称は「最悪の形態の児童労働の禁止及び撤廃のための即時の行動に関する条約」。奴隷労働や強制労働などの禁止と撤廃を求めるとともに、子どもたちを武力紛争や薬物取引といった不正活動や危険有害労働に利用することも禁止している。国連が定めた本年の「児童労働撤廃国際年」の開始を前に、昨年8月、国際労働機関(ILO)の全加盟国の批准が実現した。
注2 アリアドネの糸
非常に困難な状況から抜け出す上で、その「道しるべ」となるものの譬えで、ギリシャ神話を淵源とする言葉。クレタ島の王女であるアリアドネが、怪物を退治するために迷宮に入ろうとするテセウスに糸を持たせることで、迷宮の入り口と結んだ糸を手がかりに無事に脱出できるようにした話に由来している。
注3 相互確証破壊(MAD)
冷戦時代の核戦略構想の一つ。核兵器による先制攻撃を受けた場合でも、相手国に耐えがたい損害を確実に与えられる核報復能力を持つことで、恐怖の均衡をもたらし、核攻撃を抑止することを目指した構想。1965年にアメリカのマクナマラ国防長官が提唱した。略称の「MAD」は、英語で「狂気」の意味を持つことから、当時、“狂気の戦略”とも呼ばれた。
2018年6月26日
第1513回
世界宗教の条件
「宗教」があって「人間」があるのではない。「人間」があって「宗教」があるのである。「人間」が幸福になるための「宗教」である。この道理をあべこべにとらえ、錯覚してしまうならば、すべてが狂っていく――山本伸一は、ここに宗門の根本的な誤りがあったことを指摘し、未来を展望しつつ訴えた。
「日蓮大聖人の仏法は『太陽の仏法』であり、全人類を照らす世界宗教です。その大仏法を奉ずる私どもの前進も、あらゆる観点から見て、“世界的”“普遍的”であるべきです。決して、小さな閉鎖的・封建的な枠に閉じ込めるようなことがあってはならない」
御書に「日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり」(八八三ページ)と。「南浮」とは、南閻浮提であり、世界を意味する。太陽の日蓮仏法は、あらゆる不幸の暗雲を打ち破り、全世界に遍く幸の光を送る。
さらに伸一は、宗門事件に寄せられた識者の声から、
世界宗教の条件について語った。
――それは、
「民主的な“開かれた教団運営”」
「『信仰の基本』には厳格、『言論の自由』を保障」
「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」
「『儀式』中心ではなく、『信仰』中心」
「血統主義ではなく、オープンな人材主義」
「教義の『普遍性』と、布教面の『時代即応性』」
である。
また、彼は、戸田城聖の
「われわれ学会は、御書を通して、日蓮大聖人と直結していくのである」との指導を紹介。学会は、どこまでも御書根本に、大聖人の仏意仏勅のままに、「大法弘通慈折広宣流布」の大願を掲げて、行動し続けていることを力説した。
そして、誰人も大聖人と私どもの間に介在させる必要はないことを述べ、あえて指導者の使命をいえば、大聖人と一人ひとりを直結させるための手助けであると訴えた。
牧口初代会長、戸田第二代会長は、御本仏の御遺命通りに死身弘法を貫き、大聖人門下の信心を教え示した。創価の師弟も、同志も、組織も、御書を根本に大聖人の御精神、正しい信心を、教え、学び合うためにある。
小説「新・人間革命」 誓願 七十六 2018年6月25日
2015年6月9日
◆第40回「SGIの日」記念提言(17)
<国連の創造的進化と“行動の共有”(2)>
①難民と国際移住者の人権保護(1)
難民や避難民が5120万人に
第一の柱は、難民と国際移住者の人権を保護するための“行動の共有”です。
最初に提案したいのは、今秋に国連で採択が予定される新しい国際目標の項目に、「すべての難民と国際移住者の尊厳と基本的人権を守ること」を盛り込むことです。
冒頭で触れた通り、私の師である戸田第2代会長が“地球上から悲惨の二字をなくしたい”と訴えた時、念頭にあったのは、1956年のハンガリー動乱で、多くの人々が難民となり、塗炭の苦しみにさいなまれている姿でした。
20世紀を“難民の世紀”と呼んだ哲学者のハンナ・アレントは、「自分が生れ落ちた共同体への帰属がもはや自明ではなく絶縁がもはや選択の問題ではなくなったとき」、その人々は「市民権において保証される自由とか法の前での平等とかよりも遙かに根本的なものが危くされているのである」(『全体主義の起原2』大島通義・大島かおり訳、みすず書房)と警鐘を鳴らしました。
まさに人間の尊厳の土台となる“自分を自分たらしめてきた世界”を丸ごと失い、人権が根こそぎ奪われる悲惨にこそ、難民の人々の苦しみの根源があるといえましょう。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は当初、1950年に暫定的な機関として設置されたものでした。主要な目的は、第2次世界大戦によって生じたヨーロッパの難民を保護することにあったからです。
それが、大規模な難民流出を引き起こしたハンガリー動乱を経て、アジアやアフリカなどでも難民問題が相次ぎ、何度も活動期限が更新される中、2003年の国連総会で「難民問題が解決するまで恒久的に存続する機関」とすることが決まった経緯があります。
これまで多くの難民を救援してきたUNHCRの貢献は大きく、SGI(創価学会インタナショナル)もさまざまな形で活動の支援に取り組んできました。
しかし近年、世界が混迷を深める中で難民問題は一段と深刻化し、国外に逃れた難民の数に、国内避難民や庇護申請者を合わせた数は、5120万人にのぼります。しかも、難民の半数を18歳未満の子どもたちが占めているのです。
国際移住者への差別や人権侵害の解消が急務
牧口会長が提起した三つの自覚
なかでも懸念されるのは、5年以上、自国から離れて生活することを余儀なくされている「長期化難民」の状況です。
その数は、UNHCRが支援対象とする難民の半数以上にも達します。また、滞在年数の平均が約20年に及ぶため、避難してきた人々の子どもや孫の世代までもが、政治的にも経済的にも社会的にも著しく不安定な立場に置かれる恐れが広がっているのです。
また、世界で1000万人以上と推定される「無国籍者」の問題も深刻です。UNHCRでは、今後10年間で「無国籍者」をなくすキャンペーンを、昨年から開始しました。
国籍がないために、医療や教育を受けられないばかりか、家族の安全を守るために身分を隠して生活せざるを得ない人も少なくありません。人権抑圧や暴力から逃れようと避難する中で出産した場合、出生証明書が得られずに、子どもたちまで無国籍者になるケースも増えています。
私はこの点に関し、牧口初代会長が『人生地理学』で提起した、人間の三つの自覚を思い起こします。
つまり人間は、①地域に根差した「郷民(郷土民)」、②国家の中で社会生活を営む「国民」、③世界との結びつきを意識して生きる「世界民(世界市民)」、の三つの自覚を併せ持つことができ、その重層的なアイデンティティーを自分らしく輝かせる中で、人生の可能性を豊かに開花できる、と牧口会長は強調していたのです(『牧口常三郎全集第1巻』を参照。第三文明社)。
その意味で、長期化難民や無国籍者となった人々に閉ざされてしまうのは、国民として社会生活を営む道だけではありません。
地域で自分らしさを保ちながら近隣の人たちと心を通わせて暮らすことも、他国の人々と連帯して自分たちが望む世界に向かって行動を起こす道も、断たれてしまうのです。
こうした人々の苦しみを取り除くことを、国連の「創造的進化」に基づく対応が求められる課題として位置付け直すことが、新目標の骨格として志向される“あらゆる場所”や“すべての人々”との包摂性を、追求する上で欠かせないのではないでしょうか。
そして、その挑戦こそが、世界人権宣言が希求する「普遍的な人権」の本旨に適うものではないかと強調したいのです。
生きづらさと疎外感の高まり
難民をめぐる課題と並んで、世界で2億3200万人に達する国際移住者を取り巻く問題に目を向け、人権状況の改善を図ることも急務となっています。
経済不況が長引き、社会不安が広がる国の間で、移住労働者の存在が悪いイメージで語られ、家族にまで差別や敵視が向けられる空気が強まっています。
その結果、正規雇用の機会をはじめ、教育や医療を受ける権利が著しく制限されたり、日常生活で不当な扱いを受けても問題視されないために、移住労働者と家族が生きづらさと疎外感にさいなまれる状況が広がっているのです。
そうした中、国連でも、移住労働者への誤解や偏見を改めることが呼び掛けられるようになりました。2年前の「国際移住と開発に関するハイレベル対話」でも、移住とその開発に対する重要性が、新しい国際目標に反映されるべきとの合意をみています。
しかし私は、このテーマを開発の次元だけにとどめず、移住者と家族が直面する苦しみを取り除くことに重点を置く形で、その基本的人権の保護を新目標に明確に盛り込むことを訴えたいのです。
90年に採択されながらも加盟国がまだ少ない、移住労働者権利条約=注4=の批准促進や、国際労働機関が提唱する「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保など、既存の枠組みも活用しながら、国際移住者に焦点を当てた対策を強化すべきと思うのです。
語句の解説
注4 移住労働者権利条約
正式名称は「すべての移住労働者とその家族の権利の保護に関する国際条約」で、2003年に発効。移住労働者に対して、その国の労働者と同一の報酬、社会福祉、医療サービスを受ける権利などを保障するほか、その子どもについても、出生と国籍の登録を行い、教育を受ける権利を有することなどが明記されている。
(つづく)
2015年5月28日
◆第40回「SGIの日」記念提言(16)
<国連の創造的進化と“行動の共有”(1)>
続いて、地球上から悲惨の二字をなくすために、従来の発想を超えた創造的なアプローチが早急に必要となると思われる課題について、具体的な提案をしたいと思います。
ハマーショルド事務総長の信念
創設70年を迎える国連の歴史を振り返る時、胸に浮かぶ言葉があります。
それは、私がニューヨークの国連本部を初めて訪れた年(1960年)の年次報告書で、ダグ・ハマーショルド第2代事務総長がつづっていた一節です。
「国連は我々の世代を取り巻く政治状況がつくり出した有機的な産物である。しかし同時に、国際社会はその中で政治的な自意識というべきものを実現化したため、国際社会は国連という組織を有意義に用いることで、国連をつくり出すことになった政治状況に影響を与えることができる」
国連は主権国家の集合体としての制約や限界に常に直面しながらも、一方で、国連を舞台に育まれてきた“国際社会としての意識”こそが、国連の本来の使命を果たす突破口となりうるということです。
例えば、世界人権宣言に象徴されるように、国連憲章の精神を実現するために“どの国であろうと揺るがしてはならない原則”を明確に打ち出すことで、各国の政策にも影響を及ぼしてきました。
世界人権宣言の起草に深く関わった哲学者のジャック・マリタンは、「理論的な考え方において対立している人々も人権のリストに関して純粋に実践的な合意に到達することができる」(『人間と国家』久保正幡・稲垣良典訳、創文社)と強調しましたが、異なる思想的、文化的背景を持ったメンバーが最終的に意見を集約させることができたのも、国連という場の力があったからだと思えてなりません。
その後も国連は、「持続可能な開発」や「人間の安全保障」などの重要な指標の提起や、国際年と国際の10年を通し、喫緊の課題に焦点を当ててきました。
また、女性への暴力や児童労働をはじめ、国内レベルでは見過ごされがちだった深刻な問題を次々と取り上げ、国際的な対応を呼び掛けてきました。
私は、こうした各分野での重なり合うコンセンサス(意見の一致)の形成と、虐げられた人々が直面する問題への注意喚起を通し、国際法の対象を「国家」だけでなく、「一人一人の人間」に向け、生命と尊厳の保障を図る領域を広げてきたことに、国連でしか成し得なかった重要な役割があったと考えます。
「ミレニアム開発目標」よりも踏み込んだ内容が期待される新目標の採択に向けて歩み出そうとする今、必要なのは、ハマーショルド事務総長が「慣習的な思い込みや型にはめられた手法といった鎧を脱ぎ捨てて」挑むことを呼び掛けていた国連の「創造的進化」(マヌエル・フレーリッヒ「世界機構の政治哲学を求めて」、『世界平和への冒険旅行』所収、光橋翠訳、新評論)を、国際社会が力を合わせて成し遂げることではないでしょうか。
昨年6月、その先駆けともいえる国連機関の強化が一つ実りました。
国連環境計画の強化策として、国連のすべての加盟国が参加できる討議の場が設置され、ケニアのナイロビで初めての「国連環境総会」が開催されたのです。そこには、環境問題に取り組む市民社会の代表や企業の代表も参加しました。
私はかねてから、地球的問題群の解決に臨む前提として何よりも欠かせないのは、「すべての国の討議への参加」を確保し、「国連と市民社会との協働」を積極的に進めることであると訴えてきました。
環境の問題だけでなく、人間の生命と尊厳を脅かす多くの課題に立ち向かうために、その二つの要素に支えられた“行動の共有”を築くことに、創設70年を迎える国連が果たすべき「創造的進化」の主眼はあると思われるのです。
そこで今回は、国連の使命を踏まえつつ、地球から悲惨の二字をなくすために“行動の共有”が急務になると思われる、①難民と国際移住者の人権保護、②核兵器の禁止と廃絶、③持続可能な地球社会の建設――に関して、それぞれ提案を行いたい。
(つづく)
2015年5月21日
◆第40回「SGIの日」記念提言(15)
<共生の世界を築くための「差異を超えた友情の拡大」(4)>
「最良の自己」を共に顕現し、
2030年までに連帯の傘をつくろう!
さらにSGIでは、文明間対話や宗教間対話に積極的に取り組む中で、憎悪と暴力の連鎖を断ち切るための方途を探り、教訓を分かち合ってきました。
そこで根幹としてきたのは、“人々の苦しみを取り除くこと”を出発点とし、課題を共有する中で、互いの文明や宗教が育んできた英知を結集し、事態の打開に必要となる倫理や行動規範を浮き彫りにしていく、「問題解決志向型」のアプローチです。
この挑戦を続けるにあたり、私が共感を深めてきたのは、交友を結んだチェコのハベル元大統領が以前、21世紀を展望して述べた次の言葉でした。
「来たるべき世紀のヨーロッパに課せられている唯一無二の重要課題は、〈最良の自己〉であること、すなわち、その最良の精神的伝統を蘇らせ、それを通じて、新たな形の地球規模の共生の実現に創造的に関わっていくことである」(ウルズラ・ケラー/イルマ・ラクーザ編『ヨーロッパは書く』新本史斉訳、鳥影社・ロゴス企画)
ここで論じられているヨーロッパを、それぞれの文明や宗教に置き換えれば、私どもSGIが目指してきた対話のモデルと合致するからです。文明間対話と宗教間対話の最大の意義も、互いの「最良の精神的伝統」の息吹を通い合わせ、互いの人間性を十全たらしめるためのまなざしを磨き合う中で、「最良の自己」に基づく行動を共に力強く起こすことにあるのではないでしょうか。
SGIでは、この一連の取り組みを進めることで、互いが暴力や抑圧に加担せず、共生の精神の磁場となることを誓い合う「不戦の防波堤」を築くとともに、自分が望まない悲惨を誰にも味わわせないための「人道の連帯」を広げる挑戦を重ねてきました。
先ほど触れた「維摩経」には、釈尊のもとに集った500人の青年の前に、全世界を包み込む宝蓋が現れるシーンがあります。
その巨大な美しい傘は、どのようにして現れたのか。「はじめから一本の傘があったわけではなく、五百人の人々のそれぞれの傘(すなわち、共生できる社会をつくろうとする願い)が合わさった結果が一本の傘となった」(菅沼晃『維摩経をよむ』日本放送出版協会)ものに、ほかなりませんでした。
それぞれが手に持つ傘で、雨風や強い日差しから自分の身だけを守るのではない。別々の人生を歩んできた青年たちが、あらゆる差異を超えて心を一つにすることで現出した、全世界を包む巨大な宝蓋のイメージに、私は、人間の連帯が生み出す限りない可能性をみる思いがします。
国連が2030年に向けて推進する新しい国際目標の眼目も、地球上のすべての人々の生命と尊厳を、あらゆる脅威と悲惨から守るための“連帯の傘”をつくり上げることにあるのではないでしょうか。
(㊦に続く)
2015年5月21日
◆第40回「SGIの日」記念提言(14)
<共生の世界を築くための「差異を超えた友情の拡大」(3)>
対話と交流で育む友情が
「不戦の防波堤」の基盤に
互いの物語に耳を傾け合う
その連帯を築くため、誰もがいつでもどこでも実践できるのが、対話の拡大であり、友情の拡大です。
かつて、私がイスラムと仏教をめぐる対話を重ねたインドネシアのワヒド元大統領は、「民族性や文化的な違い、あるいは歴史的な背景にかかわらず、対話は人々に“人間の顔”を与えることができる」(『平和の哲学 寬容の智慧』潮出版社)と強調していました。
出会いを結び、対話を重ねる中で、互いの人生の物語に耳を傾ける。そのプロセスの中で、民族や宗教などの属性が双方にとって大切な重みを持つことを深く理解しつつも、その一点だけで向き合うのではなく、出会いを通して育まれた共感や信頼を機軸に、相手としか奏でることのできない生命と生命のシンフォニーを豊かに響かせていく――そこに友情の真価があるのではないでしょうか。
「真の世界の風景は計り知れない価値で輝いている」(『東から西へ』黒沢英二訳、毎日新聞社)とは、歴史学者アーノルド・J・トインビー博士の忘れ得ぬ言葉ですが、まさに友情とは、互いの属性に心を縛られることなく、相手の人間としての生命の輝きを見つめ、心を通わせる中で、自在に紡ぎ出すことのできる関係性にほかならないのです。
トインビー博士との43年前の対話を起点に、さまざまな民族的、宗教的背景を持つ各国の指導者や識者と、人類の未来をめぐる課題の共有を紐帯(ちゅうたい)にした対話を重ねる中で、一つまた一つと大切に育んできたのも、そうしたかけがえのない友情の輝きでした。
私どもSGIは、この一対一の友情を基盤に、排他主義に支配された「戦争の文化」から、差異を多様性の源として喜び合い、互いの尊厳を守り抜くことを誓い合う「平和の文化」への転換を目指してきました。
まず、教育交流と文化交流を通し、一人一人が顔を向き合わせ、信頼関係を築く中で、友情の絆を幾重にも広げてきました。
国家間で緊張が高まり、排他主義に傾きかけた時に、この友情の絆が、傾斜を少しでも元に戻そうとするスタビライザー(安定化装置)の役割を担い、集団心理に流されない社会の頑強性につながっていくことを願ってきたのです。
また、政治や経済の関係が冷え込んだ時にも、交流を絶やさずに「対話と意思疎通の回路」を維持することを心掛け、この努力を世代から世代へと受け継いできました。
私が創立した民主音楽協会に、昨年、新たに民音音楽博物館付属研究所が発足しました。半世紀にわたり105カ国・地域と交流を深めてきた経験をもとに、音楽をはじめとする「文化の力」が平和構築に果たす可能性を追求していきたいと考えています。
(つづく)
2015年5月20日
世界宗教への要件
<創価の体験談の輪の中にこそ、
万人を包むことのできる同苦の温もりがある>
世界宗教へ飛翔しゆく大切な力は、
まず「一人立つ」精神である。(中略)
次に、「一人を大切にする」ことを、世界宗教の条件に挙げたい。(中略)
さらに世界宗教の条件は、生命の大地たる母たち、女性たちを中心に、幸福を創り出していくことではないだろうか。(中略)
今年の「SGIの日」記念提言で、私は、国境や世代を超えたエンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖を築く取り組みとして、SGIの体験談運動を紹介した。
千差万別の苦悩を打開してきた、創価の体験談の輪の中にこそ、万人を包むことのできる同苦の温もりがある。誰人をも蘇らせていく勇気と希望の熱がある。
いよいよ、六月には、婦人部総会。七月には、青年部を主体に創価体験談大会も行われる。
私たちは、縁する友と「どんな宿命も絶対に転換できる」と励まし合い、一緒に感激のドラマを創りながら、人間革命の大歓喜の連帯を広げていきたい。(中略)
さあ、打って出よ!
広布と人生の試練の山々を、一つ、また一つ、不屈の負けじ魂と麗しき異体同心の団結で乗り越えて、晴れやかな勝利の握手を交わすのだ!
創価の師弟が二十一世紀の前進の目標と掲げてきた2030年――学会創立百周年は、今、育ちゆく青年部・未来部が担い立つ晴れ舞台である。
黄金の明日を開こう。わが愛弟子たちよ、民衆の希望と輝く、仏法の人間主義の太陽を生命に燃やし、日本中、世界中で乱舞してくれ給え!
胸を張り
誓いの大地に
立ち上がれ
世界広布の
足音 響かせ
2015.5.15聖教新聞 民衆凱歌の大行進 22 世界宗教への飛翔
2015年4月17日
◆第40回「SGIの日」記念提言(13)
<共生の世界を築くための「差異を超えた友情の拡大」(2)>
舎利弗と天女をめぐる仏教説話
この問題を考える時、示唆的と思われるのが、大乗仏典の「維摩経」に描かれている、舎利弗と天女のエピソードです。
――釈尊の意を受けた文殊が、病気になった在家の信徒・維摩詰の家を見舞いに訪れることになり、舎利弗たちも同行した。
見舞いの場は、文殊と維摩詰との「仏教をめぐる対話」の場となり、それがクライマックスに達した時、その場にいた天女が喜びを表すかのように、花を皆に振りまいた。
その花が自分の身にも付いた舎利弗は、修行者である自分にはふさわしくないと、急いで振り払おうとするが一向に取れない。
その様子を見ていた天女は、“花は人を分別していないのに、あなたは花で人を分別しようとしている”と述べ、その執着が舎利弗の心を縛り、動きのとれない状態にしていることを、鋭く指摘した。
納得はしたものの、その後も、天女に質問を続ける舎利弗に対し、天女は神通力を用いて、舎利弗を天女の姿に、自らを舎利弗の姿へと変化させた。
驚き戸惑う舎利弗に、天女は、彼がまだ分別に深くとらわれていることを重ねて諭し、元の姿に戻した。その思いもよらない体験を通し、舎利弗は、目に見える姿の違いで心を縛られてはならず、どんな存在にも本来、固定した特性はないことを深く悟るにいたった――という話です。
私がまず重要だと思うのは、舎利弗が天女の姿に入れ替わったことで、“相手に向けていたまなざし”がどんなものであったのかを身につまされて感じた結果、過ちを胸に刻むことができたという点です。
グローバル化に伴い、多くの人が、住む場所を離れて移動することが日常的になった現代にあって、知らず知らずのうちに他の集団に向けていたまなざしを、他国を訪れたり、移住するようになった時、今度は自分が同じような形で向けられている経験をすることは少なくないと思います。
だからこそ、相手の立場を互いに理解する努力が、ますます重要になってきています。
その努力を欠いてしまえば、緊張が高まった場合などに、自分たちにとっての「平和」や「正義」が、他の人々の生命と尊厳を脅かす“刃”となる事態が生じかねません。
その際、舎利弗が味わったまなざしの反転――つまり、自分と相手を取り巻く構図が反転して、他者を傷つける“刃”が、自分や家族に向けられるようになった状況に想像力を働かせてもなお、自分の主張や立ち位置は揺らがないままでいられるでしょうか。
そもそも舎利弗が、釈尊から最初に見舞いに行くよう促された時、固辞したのも、維摩詰と顔を合わせることを躊躇する気持ちが先立ったからでした。文殊らと共に維摩詰の家に行った時に気になったのも、自分たちの座るべき席が見当たらないことだった。
一方の維摩詰は、病気の理由を文殊から尋ねられた時、「一切衆生病むを以って、是の故に我れ病む」と答えました。自分の身を案じてくれるのであれば、病気で苦しむ他の人々を同じように気に掛け、励ましてほしいとの思いが、そこには満ちていました。
いわば、舎利弗の心を大きく占めていたのは“自己へのこだわり”であったのに対し、維摩詰の心は自他彼此の区別なく“苦しみを抱えたすべての人々”に向けられていたのです。
この対比を描いた「維摩経」の話を、現代の状況に照応させた時、次のような教訓が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
本来、共有すべき善であるはずの平和や正義も、“自己へのこだわり”によって分割され、角突き合わせるようになれば、自分とは異なる集団への暴力や人権抑圧を正当化する免罪符となりかねない。
そうではなく、地球温暖化に伴う異常気象の増加や核兵器の使用による壊滅的な被害といった、誰もが望まない悲惨を引き起こさないために、「課題を共有する連帯」を広げることが、人々の苦しみを取り除く鍵となる――と。
(つづく)
2015年4月17日
◆第40回「SGIの日」記念提言(12)
<共生の世界を築くための「差異を超えた友情の拡大」(1)>
「平和の文化」築く挑戦を
排除の思想からの脱却が課題
個々の人権侵害を決して見逃さない
第三は、共生の世界を築くための「差異を超えた友情の拡大」です。
近年、紛争や内戦の様相に大きな変容がみられるようになる中で、新たな懸念が高まっています。
例えば、当事者以外に他の国や集団が関わる「国際化した国内紛争」の割合が増える中、シリアでの内戦などのように停戦や和平が難しく なってきています。
加えて、軍事行動の目的が、クラウゼヴィッツの『戦争論』で説かれていたような“力によって相手に自分たちの意志を認めさせる”という伝統的なものから、“敵とみなした集団の排除を進めること”へと重心が移る傾向がみられることも指摘されます。
また、遠隔攻撃などによって、子どもを含む一般市民を巻き込んでしまう事態が、紛争地域で多発するようになっています。
敵とみなす集団に属している人々も、自分と同じ「人間」であり、「生存の権利」があるのではないか――そんなためらいさえ、介在する余地が失われつつある状況の行き着く先は、一体何か。強い懸念を感じてなりません。
いずれにしても、兵器の飛躍的な発達と、排除の思想が相まって引き起こされる惨劇は、国際人道法のみならず、「人間としての道」に照らして許されるものではないと思います。
その意味で、昨年、国連で殺人ロボット兵器に関する議論が始まりましたが、紛争の現実は“戦闘の自動化”の一歩手前にまで進もうとしている実態に、目を向ける必要があるのではないでしょうか。
それと同時に、留意しなければならないのは、排除の思想が紛争地域だけでなく、世界の多くの場所で広がっている ことです。
国連も2年前から「人権を最優先に」と題するイニシアチブを開始し、個々の人権侵害を警鐘として受け止め、大規模な残虐行為や戦争犯罪に発展する前に、できるだけ早く対処することを呼び掛けています。
昨今、多くの国々で社会問題になっているヘイトスピーチ(差別扇動)は、ヘイトクライム(憎悪犯罪)のような直接的な暴力を伴わないものの、明確な憎悪に基づいて他者を意図的に傷つけるという点で、根は同じであり、どの集団に対するものであろうと、決して放置してはならない人権侵害です。
そもそも、差別に基づく暴力や人権抑圧が、自分や家族に向けられることは、誰もが到底受け入れられないもののはずです。
しかしそれが、異なる民族や集団に向けられた時、バイアス(偏向)がかかり、“彼らが悪いのだからやむを得ない”といった判断に傾く場合が少なくない。事態のエスカレートを問題の端緒で食い止めるには、何よりもまず、集団心理に押し流されずに、他者と向き合う回路を開くことが欠かせません。
(つづく)
2015年3月20日
◆第40回「SGIの日」記念提言(11)
<苦しみを共に乗り越えるための「エンパワーメントの連鎖」(4)>
勇気の連鎖を広げるSGIの体験談運動
人生の出来事の意味を練り直す
二つめの鍵は、人生の意味を紡ぎ直す営みが、悲惨の拡大を防ぎ、連鎖を断つ力となると、エリクソンが考えていたことです。
人生はやり直せない。しかし、その歩みを他の人に「語り直す」ことで、過去の出来事に新たな意味づけを行い、「練り直す」ことができる。その可能性に、エリクソンは人生の希望を見いだそうとしました(鈴木忠・西平直『生涯発達とライフサイクル』東京大学出版会、参照)。
この可能性は、私どもSGIが、信仰活動における大切な基盤としてきた体験談運動を通し、メンバーの一人一人が日々実感し、確信として深め合ってきたものにほかなりません。
それは、牧口初代会長の時代以来、「座談会」という少人数の集いを中心に行ってきた伝統です。
人生の喜びや生きがいはもとより、家族の喪失、病気や経済苦、仕事や家庭の悩みをはじめ、差別や偏見などに直面してきた体験を赤裸々に語り合うことで、「一人一人が生きてきた人生の重みとかけがえのなさ」を皆で一緒に受け止める場となってきました。
人生の喜びや悲しみに共に涙し、悩みを懸命に乗り越えようとする姿を全力で励ます。その体験の分かち合いを通し、体験の語り手は、どんな出来事も“今の自分を形づくる上で欠くことのできない一里塚”であったことに思いをはせ、今後の人生を切り開く糧へと転じることができる。
聞き手もまた、自分が抱える課題に立ち向かう勇気を、体験からくみ取り、わき立たせることができる。こうした同苦に基づく「エンパワーメントの連鎖」を、私たちは信仰を通して広げてきたのです。
その上で強調したいのは、エリクソンが自らの哲学の生きたモデルとしてガンジーに着目し、評伝まで手がけて描き出したように、苦悩を抱えながらも、それを使命に変えた一人の人生の物語(生きざま)は、国境を超え、世代を超えて、多くの人々に「希望と勇気の波動」を広げていくという点です。
評伝では、ガンジーのもとに集った若者たちの姿が、「打ち棄てられた者、迫害された者に対する、若い頃からの心痛む関心――それは初め彼らの家庭内にとどまっていたが、次第に広範囲にわたる強烈な関心になっていった――によって一つに結ばれていたように思われる」(『ガンディーの真理2』星野美賀子訳、みすず書房)とつづられています。
それは、ガンジーを突き動かしていた精神と同根だったに違いありません。
青年時代に受けた人種差別をきっかけに、南アフリカで人権闘争を開始し、インドでも非暴力闘争に挺身したガンジーの最大の願いは、人々が一人残らず抑圧から解放されることにありました。その尽きせぬ情熱が、若者たちにも深い感化を与えたのです。
その生きざまは、ガンジーが逝去した後も、キング博士や南アフリカのマンデラ元大統領をはじめ、人間の尊厳のために闘う人々にとっての“導きの星”となってきました。
マンデラ氏と再会した時(1995年7月)、私がガンジーの生誕125年を記念し寄稿した学術誌に、氏もガンジーの獄中闘争に関する論文を寄せていたことが話題になりました。
その氏の論文には、「今世紀の初頭、囚人ガンジーも、その苦しみに耐えた。時代は離れているが、ガンジーと私との間には、ひとつの絆がある。それは共通の獄中体験であり、不当な法律への抗議であり、平和と和解への私たちの志が、暴力によって脅かされたという事実である」と、記されていました。
マンデラ氏が27年半に及ぶ獄中闘争を勝ち越えることができたのも、自分と同じ茨の道を歩んでいた先人ガンジーの存在が、大きな心の支えとなっていたからではないでしょうか。
今から半世紀前、私がライフワークとしてきた小説『人間革命』の執筆を開始するにあたり、主題をこうつづりました。
「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
この主題とも響き合う、国境を超える空間的広がりと、世代を超える時間的広がりにこそ、「エンパワーメントの連鎖」が持つ可能性の真骨頂があるのではないでしょうか。
(つづく)
2015年3月19日
◆第40回「SGIの日」記念提言(10)
<苦しみを共に乗り越えるための「エンパワーメントの連鎖」(3)>
ボールディング博士の晩年の姿
まず、一つめの鍵は、「成熟した人間は必要とされることを必要とする」(『幼児期と社会1』仁科弥生訳、みすず書房)との思想です。
この言葉を、私なりに読み解くと、次のような光景が想起されます。
人間はどんな状況にあっても、誰かに必要とされていることを実感した時、相手の気持ちに応えたいとの思いがわき上がってくる。その思いの高まりが、生命に具わる内発的な力を呼び覚まし、尊厳の光を灯すエネルギーになっていく。
この点を考えるにつけ、思い浮かぶのは、先ほど言葉を紹介した平和学者エリース・ボールディング博士の晩年の姿です。
――博士が亡くなられる数年前、SGIのメンバーが訪問した時、80歳を過ぎていた博士は、「最近は、自分の本を書くような力はもう出せないけれど、仲間や後輩が出す本に序文を寄せるぐらいはできます。だから、どれだけ依頼が来ても、一生懸命、書くように努力しています」と近況を語ったそうです。
病気を患い、介護施設に入所してからも、「たとえ行動できなくても、自分に何ができるのか」との思いをめぐらしながら、毎日を送りました。
見舞いに訪れた弟子のクレメンツ博士にも、「微笑みを忘れず、皆を称え、医療関係者の思いやりに感謝を述べることなどを通して、周りの人を幸せにすることは可能だと思う」と声を掛けたといいます。
そして、亡くなられる直前も、かつて自宅を訪問した人たちを真心で出迎えていた時と同じように、見舞いに訪れた人たちに「美しいもてなしの心」を発揮しておられた、と。
このように、どんな状況に置かれても、その人自身の存在を通して「つながり」が保たれている限り、周囲の人々が少しでも幸福な時間を過ごすことができ、人間性の輝きを増すようにできる。そして、その時間を通して、自分の心を相手の心に灯し、「生きてきた証し」を周囲に伝え残すことができる――。
この生命の尊い輝きに、私は、いついかなる時でも人間が発揮できるエンパワーメントの偉大な力をみる思いがするのです。
(つづく)
2015年3月18日
第40回「SGIの日」記念提言(9)
<苦しみを共に乗り越えるための「エンパワーメントの連鎖」(2)>
同苦と励ましの心の通い合いが
自他共の尊厳を照らす光に
「生老病死」への仏法のまなざし
このヌスバウム博士の問題提起は、釈尊が出家を決意する機縁になったとされる四門遊観=注3=の逸話に象徴されるように、生老病死に伴う苦しみにどう向き合うかを根本課題としてきた、仏法のまなざしにも相通じるものです。
ここで私が強調したいのは、釈尊がこの時、胸を痛めたのは、老いや病気そのものがもたらす苦しみにとどまらず、道端で孤独に死を迎えなければならない人や、誰からの世話も受けられずに病に伏す人の姿――つまり、周囲との関わりが断たれてしまい、独りで苦しみを抱えている状況に、深く胸を痛めたのではないかという点です。
実際、釈尊が教法に努める傍ら、自ら足を運んで介護や看病にあたったのは、そのような人々に対してでした。弟子たちにも、黙って見過ごすことを厳しく戒めていたのです。
「事がおこったときに、友だちのあるのは楽しい」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)との教えもありますが、病気になろうと高齢になろうと生命の尊さに変わりはない。にもかかわらず、周囲から疎外され、自分をありのままに受け止めてくれるつながりを得られず、苦しさばかりが募る状況を、釈尊は看過できなかったのです。
大乗仏教では、生命と生命が織り成す連関性によって世界の森羅万象が形づくられるという縁起の法理が説かれます。その連関性を通じて、自分の生命も相手の生命も尊厳の輝きで照らし合うことができ、病気や老いさえも、人生を荘厳する糧に昇華できる、と。
しかし、その連関性はおのずとプラスの方向に転じるのではなく、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769頁)とある通り、他者の尊厳を自己の尊厳と同様にかけがえのないものと感じ、大切にしたいと願う思いがあってこそ、初めてギアが入る。そして、そこで交わされる涙や笑顔が、そのまま、「生きる勇気」を灯し合うのです。
「アイデンティティー」の概念を提唱したことで知られる心理学者のエリク・エリクソンは、縁起のダイナミズムにも通じる視座を、次のように描いていたことがあります。
「『共に生きる』というのは、単なる偶然のつながりという意味ではない」
「一方が動くと、他方も動く歯車のように噛み合いながらすすみいくものである」(『洞察と責任』鑪幹八郎訳、誠信書房)
そこで私は、エリクソンの思想を交えながら、縁起が生み出す無限の可能性をさらに浮き彫りにしてみたいと思います。
すなわち、苦しみを抱えた人自身が、自らの尊厳を輝かせることを通じて、地域や社会を照らす「エンパワーメント」の担い手として、いかに力を発揮できるかというテーマです。
語句の解説
注3 四門遊観
釈尊がシャカ族の王子だった頃、遊園に向かうために外出した時、さまざまな人々の姿を見て人間に生老病死の四苦があることを知った出来事。「四門出遊」ともいう。「修行本起経巻下」には、釈尊が王宮の東門、南門、西門から出た時に、老いや病気に苦しむ人々や死者の姿を見て、最後に北門から出た時に出家者の姿を見る中で、自らも出家を願うようになった、との話が記されている。
(つづく)
2015年2月25日
第40回「SGIの日」記念提言(8)
<苦しみを共に乗り越えるための「エンパワーメントの連鎖」(1)>
経済的な困窮と社会的な孤立
第二は、苦しみを共に乗り越えるための「エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖」です。
東日本大震災をはじめ、中米ハイチでの地震やフィリピンを襲った台風など、近年、災害や異常気象が、世界各地に深刻な被害をもたらしています。
20年前には阪神・淡路大震災が、10年前にはスマトラ沖地震とインド洋大津波があったように、災害は常に世界にとって重大な人道問題となってきました。
国連の統計によれば、2013年だけでも、世界で2200万人が避難生活を余儀なくされ、その数は、紛争で家を追われた人の3倍にも及ぶといいます。
家を失う深い悲しみ――振り返れば私の家族も、戦時中、父の病気や兄たちの相次ぐ出征で経済状況が悪化し、生家を手放さざるを得なくなったことがあります。転居先の家も、空襲の類焼防止を理由に取り壊され、次の移転先も、引っ越した直後に焼夷弾が命中して全焼しました。
そうした体験からも、愛する人を失い、住み慣れた場所を離れざるを得なくなった方々の無念さや悲しみは、いかばかりかとの思いが募ります。それは、「自分が生きてきた世界を失う苦しみ」にほかならず、復興の真の課題は、被災した人たちが一人残らず「生きる希望」を取り戻せるよう、社会で支え続けることにあると思えてなりません。
その上で私が提起したいのは、災害のような緊急時に顕著となる“居場所や安心の拠り所を失う悲しみ”は、目立たないながらも社会で日常的に生じており、多くの人々を苦しめる悲惨でもあることです。
実際、日本をみても、65歳以上の高齢者の2割が貧困状態に置かれ、食事さえ十分にとれないなど、貧困に苦しむ子どもも6人に1人の割合に達しています。
その多くが「経済的な困窮」に加えて、「社会的な孤立」という二重苦にさいなまれています。
問題を打開する糸口を探るにあたり、私が着目するのは、アメリカの政治哲学者マーサ・ヌスバウム博士の考察です(『正義のフロンティア』神島裕子訳、法政大学出版局)。
社会契約説(注2)などの伝統的な理論が、高齢者や子ども、女性、障がいのある人などを、対象に入れずに構想されてきたことを指摘する博士は、こうした人々の苦しみが見過ごされがちな要因の一つとして、功利主義を挙げ、その危険性をこう述べています。
「ある個人の大いなる苦痛と窮乏は、複数の人びとの幸運がそれに超過することで相殺されうる。ここでは各人の人生は一度きりであるという、もっとも重要な道徳的事実が、ぬぐいとられている」
そこで博士は、「相互有利性」(互いの存在が利益を生むこと)を社会の唯一の基本原理であるかのように考える発想から脱却し、誰も排除しない「人間の尊厳」に基づく社会の再構築を呼び掛けました。
そしてまた、どのような人であっても、病気、老齢、事故などで、他の人々の支えを絶対的に必要とする状況が生じかねないという現実を見つめ、社会の軌道修正がすべての人々に深く関わる課題であることに思いをいたすべきであると、強調しています。
※注2 社会契約説
人間は生まれながらにして自由と平等の権利を持ち、その権利を保障するには相互に契約を結んで社会を形成する必要があることを説いた近代政治思想。近代国家の正統性と存在理由を説明した理論で、17世紀から18世紀の市民革命期に登場した。代表的な思想家としてホッブズ、ロック、ルソーらがいる。
(つづく)
2015年2月14日
第40回「SGIの日」記念提言(7)
<政治と経済の再人間化(5)>
一人一人の意識変革が社会を変える原動力に
未来の鍵を握る5%の人々の力
こうした事態を防ぐには、政治と経済の主眼を絶えず“人々の苦しみを取り除くこと”へ向け直す――すなわち、「政治と経済の再人間化」の回路を社会にビルトインする(組み込む)挑戦が必要です。
その動きは、すでにいくつか生まれており、例えば政治の分野では、国連人権理事会などが呼び掛けてきた「国内人権機関」が110カ国に広がっています。
人権に関する法制度や人権教育などの推進を確保するための国内機関で、私も1998年の提言で、NGO(非政府組織)との建設的なパートナーシップを目指す中で、より望ましい機関のあり方を模索することを提唱してきました。
また経済の分野では、昨年5月、EU(欧州連合)加盟国の中で11カ国が「金融取引税」を共同導入することに合意しました。
マネーゲームの過熱が金融危機を引き起こし、世界経済に深刻な打撃を与えた2008年のリーマン・ショックの教訓を踏まえ、金融取引に一定の課税を行い、過剰な投機の抑制と租税を通じた再分配を目指すもので、明年からの制度開始が予定されています。
私は6年前の提言で、この取引税をはじめ、各国がアイデアを競いながら、「ミレニアム開発目標」を促進する国際連帯税の輪を広げることを呼び掛けましたが、今後、国連の新目標を推進するにあたり、その必要性はさらに増しているのではないでしょうか。
こうした「政治と経済の再人間化」の最大の原動力となるのが、人間として譲れない一線に基づき、声を上げる民衆の連帯です。
牧口会長も、「社会の精神とはいえども各個人を離れて存在するにあらず」として、一人一人の意識変革が「相伝播し、連絡し、遂に社会の全員に及ぼし、以って大なる社会精神なるもの生ずるなり」と強調しました(『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社、現代表記に改めた)。
以前、この社会変革の方程式をめぐり、平和学者のエリース・ボールディング博士と語り合った際、「共同体を構成する一人一人の成長に全力を傾注していく以外に、平和で健全な地球の未来は見えてこない」(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、『池田大作全集第114巻』所収)と、博士が強調していたことが忘れられません。
それだけに、博士がある時に述べていた、「本当に未来の社会の動向を決定するのは、わずか5%の、活動的で献身的な人々の力なのです。その5%の人々が、やがて文化の総体を変革していくのです」との言葉が、希望のメッセージとして胸に迫ってきます。
「政治と経済の再人間化」を前進させる鍵は、人数の多寡ではなく、連帯の底深さにあります。誰の身にも悲惨が及ぶことを望まない民衆の連帯を、国内でも国際社会でも築くことが、時代変革の波を大きく形づくるのです。
(つづく)
2015年2月13日
第40回「SGIの日」記念提言(6)
<政治と経済の再人間化(4)>
牧口初代会長が尋問で訴えた信念
自らの決断が時として、社会の空気や時流に逆らうものと非難される場合があるかもしれない。それでもなお、信念を貫き通さなければ「不善」となり、結果的に多くの人々を苦しめる「大悪」を招くことになると訴えたのが、創価学会の牧口初代会長でした。
第2次世界大戦中の日本で思想統制を強行する軍部ファシズムに対し、牧口会長はその誤りを正すべく行動を続けました。
会合を監視され、機関紙も廃刊に追い込まれ、ついに投獄された牧口会長は、当局の尋問に対し、次のように主張していたことが記録に残されています。
「世間的な毀誉褒貶等に気兼して悪くはないが、善もしない所謂世間並に暮せばそれで足れりとして、小善に止まり甚しきに至っては法律に触れさえしなければ何をしても良いと謂う生活を総べて謗法(ほうぼう)と申します」(『牧口常三郎全集第10巻』第三文明社、現代表記に改めた)
「謗法」とは一般的に、仏教の教えに反し、それを破ることを意味しますが、牧口会長の言葉には、より広い意味での「人間としての道」に反することへの問い直しが込められていたといえましょう。
翻って現代、政治と経済の影響によって悲惨な事態が生じる背景には、「法律に触れさえしなければ何をしても良い」といった、他者の痛みを顧みない自己正当化の風潮が強まっていることが、往々にしてあるのではないでしょうか。
その風潮が続く限り、一時的に繁栄を謳歌できているようにみえても、後に残るのは“わが亡き後に洪水よ来たれ”という身勝手さが招く悲惨ばかりで、「持続可能性の追求」など望み得べくもありません。
(つづく)
2015年2月9日
第40回「SGIの日」記念提言(5)
<政治と経済の再人間化(3)>
苦しみ抱える人々の目線に立った政治と経済の再人間化を
ガンジーの信条と仏法の「中道」思想
そうした事態に歯止めをかけて、政治や経済の軌道修正を図るには、どのような原則に立ち返ることが必要なのか――。
私は、マハトマ・ガンジーが友人に贈った次の言葉を、一つの手掛かりとして挙げたいと思います。
「これまでに会った中で最も貧しく、最も無力な人の顔を思い出して下さい。そしてあなた自身に次のように問いかけて下さい。自分がしようと思っていることは彼の役に立つだろうか?」(『私にとっての宗教』竹内啓二ほか訳、新評論)
つまりガンジーが、重大な判断を下す時に忘れてはならない点として促したのは、政治の力学でもなければ、経済の理論でもない。自分と同じ世界に生き、苦境に陥っている人々の姿にあったのです。私はここに、仏法が説く「中道」の思想と通底するものを感じてなりません。
「中道」とは、単に極端な考えや行動を排することではなく、“道に中る”と読むように、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうか、常に問い直しながら、自分の生きる証しを社会に刻み続ける生き方に本義があるといえます。
その意味では、釈尊が最晩年の説法で“ダルマ(法)を洲とせよ”と強調した際、“一人一人が自分自身を拠り所とせよ”と同時に促していた点は、「中道」の本義を示唆したものとも解されましょう。
自らを拠り所にするといっても、自分本位の欲望のままに振る舞うといった意味では決してない。仏教学者の中村元博士は、釈尊の真意を、「だれの前に出しても恥かしくない立派な、本当の自己というものをたよること」(前掲『原始仏典を読む』)と提起しましたが、私も深く同意します。
一人一人が、自分の行動によって影響を受ける人々の存在を思い浮かべ、その重みを絶えず反芻しながら、「本当の自己」を顕現する手掛かりとし、人間性を磨いていく。その営みが積み重ねられる中で、政治や経済のあるべき姿への問い直しも深まり、再人間化に向けた社会の土壌が耕されていく――。「中道」の真価は、この変革のダイナミズムにこそあると、私は強調したいのです。
(つづく)
2015年2月2日
第40回「SGIの日」記念提言(4)
<政治と経済の再人間化(2)>
安心の拠り所をつくり出す働き
そもそも、政治を意味する英語のポリティクスが、ギリシャ語の「ポリテイア(市民国家のあり方)」などから派生し、経済という言葉も、「経世済民」に由来するように、民衆が幸福に生きる社会を築くことに元意があったはずです。
ところが現代では、その元意がいつしか抜け落ち、政治や経済を突き動かす行動原理が、厳しい境遇にある人々をかえって苦しめてしまうような状態が生じてはいないでしょうか。
この問題を考える時、私が想起するのは、原始仏教で、釈尊が人間の生きる道の根本として強調していた「ダルマ」です。
ダルマとは、サンスクリット語で“たもつもの”を意味する「ドフリ」からつくられた言葉で、漢訳仏典では「法」、もしくは「道」と訳されてきました。
つまり、一人一人の人間には、自分自身を“たもつもの”がなければならず、「人間として守らねばならない道筋」がある。それを、ダルマと呼んだのです(中村元『原始仏典を読む』を引用・参照、岩波書店)。
政治や経済が、時代の変遷につれて様相を変化させるのは、ある意味で当然だったとしても、そこには、曲げてはならない原則や、無視してはならない基準があるはずです。その根本を貫くダルマに則って生き抜くことを促した釈尊は、最晩年の説法で、ダルマを「洲」に譬えました。
つまり、洪水が発生し、あたり一面が水没しそうな時に、人々の命を守り、安心の拠り所となる「洲」に譬えることで、ダルマの働きが実際の社会でどのように現れるかを、分かりやすく示したのです。
その譬えを敷衍すれば、政治と経済が本来担うべき役割も、社会が試練に直面した時に一人一人の民衆、なかんずく最も弱い立場にある人々のために「安心の拠り所」をつくり、「生きる希望」を取り戻すための足場を築くことにあるといえないでしょうか。
政治の成り立ちを民衆の目線から見つめ返してみれば、その源流には、投票などを通じて「少しでも社会をよくしたい」との祈りにも似た思いがあるはずであり、経済の源流にも、仕事などを通して「少しでも社会の役に立ちたい」との種蒔く人の思いが息づいているはずです。
にもかかわらず、それがマクロの規模になると、政治の世界で民主主義の赤字(多くの民意があっても政策に反映されない状況)が発生したり、経済の世界でマネー資本主義の暴走(実体経済の規模をはるかに超える金融市場での過剰な投機が、実体経済に破壊的なダメージを及ぼす事態)が起きてしまっている。
(つづく)
2015年2月1日
SGI発足
最初のスピーチ
「地平線の彼方に、
大聖人の仏法の太陽が、
昇り始めました。
皆さん方は、
どうか、自分自身が花を咲かせよう
という気持ちでなくして、
全世界に妙法という平和の種を蒔いて、
その尊い一生を終わってください。
私もそうします」
1975.1.26第1回「世界平和会議」グアム島
2015年1月30日
第40回「SGIの日」記念提言(3)
<政治と経済の再人間化(1)>
創設70年迎える国連の新たな取り組み
世界人権宣言が明確にした役割
第一は、悲惨を生む要因を取り除くための「政治と経済の再人間化」です。
昨年8月、私の創立した戸田記念国際平和研究所が、トルコのイスタンブールで上級研究員会議を開催しました。
会議では、シリアでの内戦、イスラエルとパレスチナの紛争、イラクやウクライナをめぐる情勢、東アジアで高まる緊張などについて、事態の悪化を招いてきた要因を探る一方、世界で芽生え始めている希望的な要素に着目し、その動きを強めるための課題について意見交換を行いました。
そこで、「国連などの国際機関の強化」や「他者の痛みへの想像力と時代を開く創造性を持った青年の育成」などと併せて、重要な課題として浮かび上がったのが、政治の主眼を一人一人の人間の苦しみを取り除くものに向け直す「政治の再人間化」です。
国連憲章や世界人権宣言などで、基本的人権を守る役割が明確にされたはずの国家が、人々の生命や尊厳を脅かす事態を引き起こしてしまうケースが、しばしばみられます。
この問題をめぐっては、私も、会議を主宰した平和学者のケビン・クレメンツ博士(同研究所総合所長)と語り合いました。
その最たるものが紛争で、第2次世界大戦以降、紛争と完全に無関係だったのは、一握りの国にすぎないといわれます。
また、安全保障を理由に人権を制限したり、国力の増強を優先するあまり、弱い立場にある人々への対応が後回しになって、窮状がさらに深まるような場合も少なくありません。
加えて近年、災害や異常気象など、大勢の人々が突然、困窮の危機にさらされる事態が相次いでおり、そうした状況に政治が真剣に向き合うことが、強く求められています。
同様の懸念は、経済にも当てはまります。
以前、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が、「路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュースにはならず、株式市場で二ポイントの下落があれば大きく報道されることなど、あってはならない」(『使徒的勧告 福音の喜び』カトリック中央協議会)と訴え、経済のあり方に警鐘を鳴らしたことが話題となりました。
実際、経済成長率をはじめとするマクロ指標の動向ばかりが注視される中で、ともすれば、現実の社会で生きている一人一人の生命と尊厳と生活が隅に追いやられ、経済の活力を高める施策が人々の生きづらさの改善につながっていない面もみられます。
(つづく)
2015年1月28日
第40回「SGIの日」記念提言(2)
<戸田第2代会長の地球民族主義>
思い返せば、私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長は、ハンガリー動乱=注1=で塗炭の苦しみを味わった人々に思いをはせ、「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(『戸田城聖全集第3巻』)と呼び掛けたことがありました。
人権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士の言葉に、「正義とは分割できないもの」(『良心のトランペット』中島和子訳、みすず書房)とありますが、戦時中の日本で思想統制に抗して、牧口常三郎初代会長と共に投獄された戸田会長にとっても思いは同じでした。
自分たちだけの平和と安寧も、自分たちだけの繁栄と幸福もないと考えていたからです。
朝鮮戦争が激化した時も、「夫を失い、妻をなくし、子を求め、親をさがす民衆が多くおりはしないか」(『戸田城聖全集第3巻』)と、わが事のように案じていました。
すべての立脚点は、民衆の苦しみに同苦する精神にあったのです。
ゆえに戸田会長は、どの国で暮らし、どの民族に属しようと、人間には誰しも平和で幸福に生きる権利があると、「地球民族主義」のビジョンを提唱しました。その骨格をなす“地球上から悲惨の二字をなくしたい”との戸田会長の熱願こそ、私どもSGIが、国連支援を柱とする平和・文化・教育の運動の源流としてきたものなのです。
“あらゆる場所”や“すべての人々”との包摂性を「ミレニアム開発目標」の後継枠組みの基盤に据え、さらなる協力の強化を図ることは、困難に満ちた道のりかもしれません。
しかし、国連憲章の精神――「戦争の惨害から将来の世代を救い」「基本的人権と人間の尊厳及び価値」に関する信念を再確認し、「すべての人民の経済的及び社会的発達を促進する」との誓約が刻まれた前文に立ち返り、そこに記された「将来の世代」や「人間」や「すべての人民」には、例外などなかったことを、今一度、想起すべきではないでしょうか。
そこで今回は、国連の新しい国際目標を軌道に乗せ、地球上から悲惨の二字をなくす取り組みを加速させるために、鍵を握ると思われるアプローチについて、三つの観点から提起したいと思います。
注1 ハンガリー動乱
1956年10月、東欧のハンガリーで、非スターリン化を求めた民衆のデモを機に起きた政治的な動乱。デモは首都ブダペストを中心に各地に波及したが、ソ連軍の介入によって鎮圧された。その結果、1万数千人に及ぶ死傷者が出たほか、約20万の人々が弾圧から逃れるために国外に脱出し、難民となった。
(つづく)
2015年1月27日
第40回「SGIの日」記念提言(1)
<新しい国際目標が目指す方向性>
地球上から悲惨の二字なくす 平和の波動を民衆の手で!!
SGIの発足40周年を記念して、平和と人道の波動を民衆の連帯で広げ、地球上から悲惨の二字をなくすための方途を展望したいと思います。
未来は、今この瞬間に生きる人々の誓いの深さで決まります。たとえ自らが試練に見舞われたとしても、「同じ苦しみを他の誰にも将来の世代にも味わわせない」道を開く力が、人間には具わっています。
創設以来70年、グローバルな諸課題に立ち向かうために活動の地平を広げてきた国連で、今、注目すべき動きがみられます。
貧困や飢餓などに直面する人々の状況の改善を目指してきた国連の「ミレニアム開発目標」に続く、新たな枠組みの検討が進む中、「持続可能な開発目標」に関するオープン作業部会が昨年7月、国連総会に目標案を提出しました。
特筆すべきは、「あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ」「すべての年齢の人々の健康な生活を確保し、福祉を推進する」などの項目が掲げられているように、すべての尊厳が一切の例外なく守られるべきとの方向性が打ち出されている点です。
極度の貧困状態にある人が7億人減少し、初等教育の男女格差が大幅に解消されるなど、国連の「ミレニアム開発目標」は、一定の成果を上げてきました。しかし、改善の波が思うように広がらない地域や、取り残された人々への対応は積み残されています。
作業部会の目標案は、その課題を念頭に置き、外してはならない一点を明確にした意義があります。
私もこれまでの提言などで、誰も置き去りにしないことを、「ポスト2015開発アジェンダ」と呼ばれる新しい国際目標の基調にするよう、繰り返し訴えてきただけに、心から賛同するものです。
(つづく)
2014年5月25日
日本国は彼の二国の弟子なり
日蓮大聖人は、「日本国は彼の二国の弟子なり」(法門申さるべき様の事、1272頁、編333頁)と明確に仰せである。
彼の二国とは、貴国と中国である。
韓国は、日本にとって「文化大恩」の「兄の国」である。「師匠の国」なのである。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。
ゆえに、私は、永遠に貴国に罪滅ぼしをしていく決心である。最大の礼をもって、永遠に貴国と友情を結び、貴国の発展に尽くしていく決心である。そこにこそ、正しき日本の繁栄の道もあると確信している。
SGIは、世界と友好を結んできた。世界と仲良くしてきた。世界に貢献してきた。
ゆえに、今日のSGIの大興隆があることを知っていただきたい。
2000.5.19韓日友好代表者会議
2014年2月7日
持続可能な地球社会へ、
3つの価値創造の挑戦
「SGIの日」を記念して、21世紀の潮流を希望と連帯と平和の方向に力強く向けながら、すべての人々が尊厳を輝かせて生きられる「持続可能な地球社会」を築くための方途を作りたい。(以下、抜粋まとめ)
脅威を乗り越えるためのレジリエンス※を高め、さらには「持続可能な地球社会」を築く上で原動力となりゆく「価値創造」の挑戦について
1 常に希望から出発する価値創造
①脅威への抵抗力と回復力を高める
②トインビー博士が寄せた力強い期待
③パキスタンの少女マララさんの信念
④牧口初代会長が重視した人格価値
⑤希望を武器に闘い抜いたマンデラ氏
⑥現実変革の法理を説いた日蓮大聖人
⑦「誓願」とは自身の生きる証しの異名
⑧国連の活動支援は仏法者として必然
2 連帯して問題解決にあたる価値創造
⑨苦しんでいる人を絶対に見捨てない
⑩ハマーショルドが親友に遺した言葉
⑪「他者への行動」が生むプラスの連鎖
⑫第1次世界大戦を機に生じた戦争の変異
3 自他共の善性を呼び覚ます価値創造
⑬善悪二元論による峻別が社会を蝕む
⑭仏法の十界互具論が提示する視座
⑮沈黙や傍観を打破るための道
※レジリエンスは元来、物理学の分野で、外からの力を加えられた物質が元の状態に戻ろうとする〝弾性〟を表す用語ですが、その働きを敷衍する形で、環境破壊や経済危機のような深刻な外的ショックに対して〝社会を回復する力〟の意味合いで用いられる。
第39回「SGIの日」記念提言「地球革命へ価値創造の万波を」上
2014年2月6日
『人間革命』から『地球革命』を
以前(2002年8月)、環境開発サミットに寄せた提言、「迂遠のようではあっても、人間に帰着し、人間革命の開拓と変革から出発する『人間革命』こそ『地球革命』を実現させゆく王道」と呼び掛けたことがあります。
一人一人の無限の可能性を引き出すエンパワーメント(内発的な力の開花)を基礎に置く「人間革命」も、個人の内面の変化にとどまってしまえば真価を発揮することはできません。
その〝内なる変革〟がもたらす勇気や希望が、厳しい現実を突き破るための価値の創造に結実してこそ、〝社会的な変化〟を起こすことができ、その変化が積み重なる中で、人類が直面する問題を乗り越える「地球革命」の道が、一歩一歩踏み固められていく。
また、「地球革命」が前に進むことで、苦しみに沈んでいた人たちが笑顔を取り戻し、その人たちがまたエンパワーメントを通じて無限の可能性を開花させ、地球的問題群に立ち向かう連帯に勇んで連なっていく――このミクロとマクロの変革を同軸でつなぎ、双方の前進を連動させながら時代変革の潮流を高めるものこそ、「価値創造」の挑戦だと思うのです。
第39回「SGIの日」記念提言「地球革命へ価値創造の万波を」上
2014年1月30日
世界の「青年」を主役の舞台に!
教育と並んで、新しい共通目標の対象に含めることを提唱したい分野は「青年」です。
世界人口の4分の1を占める青年は、共通目標の影響を最も受ける世代であると同時に、その達成を図る上で最も影響力のある存在に他なりません。ゆえに、世界の青年が、より良き社会を建設するための価値創造に積極的に挑戦できるような道筋を、共通目標に組み込む意義は大きいのではないでしょうか。
具体的には、①「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保に各国が全力を挙げること、②社会が直面する問題を解決するプロセスに「青年の積極的な参加」を図ること、③国境を超えた友情と行動の連帯を育む青年交流を拡大すること、の3項目を目標に設定することを提案したい。
第39回「SGIの日」記念提言「地球革命へ価値創造の万波を」下
2014年1月29日
「世界市民教育プログラム」に新たな骨格を!
2年前のリオ+20(国連持続可能な開発会議)では、公式関連行事として「私たちが創る未来」と題する円卓会議を開催しました。来月にはニューヨークで、「世界市民と国連の未来」をテーマにした円卓会議を行う予定となっています。
リオの円卓会議で浮かび上がったのは、教育を問題への理解を深めることだけに終わらせず、一人一人が内面に備わる無限の力に目覚めていく「エンパワーメント」の触媒となり、時代変革への行動に勇んで立ち上がる「リーダーシップの発揮」の揺籃となるよう、教育を一連のプロセスとして追求する重要性です。
その意味で、これまでの国連による活動の成果を踏まえつつ、次なるステップとして、「一人一人のエンパワーメント」から「すべての人々による価値創造の挑戦」までのプロセスを重視する新たな教育枠組みについて、検討を開始すべきではないでしょうか。
そこで、「世界市民教育プログラム」の骨格に据えることが望ましいと考える三つの観点を提起したい。
一、人類が直面するさまざまな問題への理解を深め、その原因に思いを馳せる過程を通じて、「どんな困難な問題でも人間が引き起こしたものである限り、必ず解決することはできる」との希望を互いに共有していくための教育。
一、グローバルな危機が悪化する前に、それらの兆候が表れやすい足元の地域において、その意味を敏感に察知し、行動を起こしていくための力をエンパワーメントで引き出しながら、連帯して問題解決にあたることを促す教育。
一、他の人々の苦しみを思いやる想像力と同苦の精神を育みながら、自国にとって利益になる行動でも、他国にとっては悪影響や脅威を及ぼす恐れがあることを常に忘れず、「他国の人の犠牲の上に、自国の幸福や繁栄を追い求めない」ことを、共通の誓いに高め合うための教育。
以上、三つの観点を提起しましたが、こうした点を加味した「世界市民教育」を、各国の中等教育や高等教育のカリキュラムに盛り込むことと併せて、生涯学習の一環としてあらゆる機会を通じて進めていくべきではないでしょうか。
第39回「SGIの日」記念提言「地球革命へ価値創造の万波を」下
2013年10月8日
SGI憲章
1.SGIは生命尊厳の仏法を基調に、全人類の平和・文化・教育に貢献する。
2.SGIは「世界市民」の理念に基づき、いかなる人間も差別することなく基本的人権を守る。
3.SGIは「信教の自由」を尊重し、これを守り抜く。
4.SGIは人間の交流を基調として、日蓮大聖人の仏法の理解を広げ、各人の幸福の達成に寄与していく。
5.SGIは各加盟団体のメンバーが、それぞれの国・社会のよき市民として、社会の繁栄に貢献することをめざす。
6.SGIはそれぞれの国の実情をふまえて、各加盟団体の自立性と主体性を尊重する。
7.SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。
8.SGIはそれぞれの文化の多様性を尊重し、文化交流を推進し、相互理解と協調の国際社会の構築をめざす。
9.SGIは仏法の「共生」の思想に立ち、自然保護・環境保護を推進する。
10.SGIは真理の探求と学問の発展のため、またあらゆる人々が人格を陶冶し、豊かで幸福な人生を享受するための教育の興隆に貢献する。
2003.9.5海外代表協議会(概要スピーチ)
2013年10月7日
SGI憲章「前文」
我ら創価学会インタナショナルのすべての構成団体および構成員は、仏法を基調とする、平和・文化・教育への貢献をめざしてゆく。
20世紀を生きた人類は、「戦争と平和」「差別と平等」そして「貧困と豊かさ」という対極にある状態を、過去のどの世紀の人類よりも激しい振幅の中で経験した。
核兵器をはじめとする軍事技術の革新は人類絶滅の危機的状況をもたらしており、民族や宗教による激しい差別の現実は今なお紛争を絶やさない。そして、人類のエゴと放漫は、南北問題や地球環境の深刻な悪化などの「地球的問題群」を引き起こし、人類の存亡の危機をもたらしている。
日蓮大聖人の仏法は、人間生命の限りなき尊厳性を説き、すべての人を包含する慈悲といかなる困難をも克服する智慧をもたらす法である。そして、この智慧は人間精神の創造性を拓き、人類社会の直面するいかなる危機をも克服し、平和で豊かな共生の人類社会を実現できることを説く「人間主義」の法である。
我らSGIは、この「人間主義」に基づく「世界市民の理念」「寛容の精神」「人権の尊重」を高く掲げ、非暴力と対話により、こうした人類的課題に挑み、人類社会に貢献することを深く決意して、ここに以下の目的および原則を確認し、このSGI憲章を制定する。
SOKAネット 創価学会インタナショナル