2022年10月9日
第2123回
牧口先生の如く
堂々と正義を貫け!
<ありのままの自分で、
誠実に、正直に!>
牧口先生は、
「正邪善悪を明らかにして、
道理に服従する自信と度量があるならば、
百の干渉があったとしても何だというのか」
と言われている。
この言葉のとおり、
権威や権力など、
まったく恐れなかった。
強大な国家権力に対しても、
一歩も引かなかった。
ある時、青年に、こう話されたという。
「人間、相手が強く、
地位等を利用して迫ってきた場合など、
正当の理由がなければ頭を下げてはいけない。
堂々と主義主張を貫きなさい。
また反対に弱い立場である人の場合は
協力して助けてあげなさい」
困っている人には優しく接する。
しかし、傲慢な敵には、徹して強くあれ!
卑劣な相手には、断じて屈するな!
それが牧口先生の教えであった。
現実の中では、相手によって、
話すのに気後れすることもあるかもしれない。
牧口先生と親交のあった、
東北出身の新渡戸稲造博士は、こう記している。
「人から能く思われたいとか、
自分の値より以上に高く評価されたいとか
いう考えがあればこそ
怖気おじけづくのである。
自己の値を真価だけしか発表せぬとしたなら、
少しも怖気ることはない」
(『修養』、『新渡戸稲造集』7所収、教文館)
鋭い見方である。
自分がどう見られるかばかり気にしていては、
壁を破れない。
ありのままの自分で、
誠実に、正直に、
自分の主張を語っていけばよいのだ。
牧口先生の毅然とした姿勢は、
獄中にあっても、まったく変わらなかった。
検事の尋問に対して
″いかなる大敵にも負けないで、
生きぬいて、
人間の達しうる最高の理想を
示しきっていくのが仏である″と、
仏法の深義を語っておられる。
牧口先生の「勇気」。
その勇気の源は、
強盛な信心にあった。
御本尊への絶対の確信にあった。
牧口先生は言われている。
「宗教は人生の背骨である。
宗教をもたないで生きるのは、
背骨がなくて歩くようなものである。
正しい宗教をもつことが、
まっすぐの背骨をもつことになる」
妙法に生きる私たちは、
何ものも恐れる必要はない。
題目をあげぬいた人が、
最後に必ず勝つことは、
決まっている。
私どもは、
正しき宗教を持った誇りを胸に、
牧口先生のごとく、
毅然と進んでいこう!
2005.8.19各部合同研修会
2022年12月27日~31日
第2166回
私は勝てる!
私には力がある!
<自分の無限の力を信じるのだ>
古代ローマの詩人ウェルギリウスの詩句には、
「力があると思うゆえに力が出る」
(『アエネーイス』岡道男・高橋宏幸訳、京都大学出版会)との一節がある。
そのとおりだと思う。
ましてや、私たちは最高の妙法を持っている。
″私は題目をあげているんだ、
自分には力があるんだ!″と思い、
行動することである。
″私はダメだ。あまり話も上手くないし、折伏の力も弱い″
と思うことがあるかも知れないが、
そうではない。
「私は勝てる! 私には力がある!」
と確信して進むところにこそ、勝利が輝く。
とりわけ、青年が自信を持って、
自分の無限の力を信じ、
発揮していくことだ。
牧口先生も、
このことを生涯を通して訴えられた。
2005.12.8第五十五回本部幹部会、全国青年部幹部会
2022年8月6日
第2068回
すべては、
「自分で」決まる。
広宣流布――それは、
「人材をつくり」
「未来をつくり」
「平和をつくる」戦いである。
本当に戦った人は、
生々世々、無量無辺の功徳に包まれる。
中途半端であったり、
格好とか見せかけだけならば、
「歓喜の中の大歓喜」はつかめない。
すべては、
「自分で」決まる。
「自分が」決めるのである。
御聖訓にいわく、
「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」と。
偉大なる「法」を弘めゆく、
偉大なる「人生」を、ともどもに歩んでまいりたい。
広宣流布の行動は、
一切が、自分のため、一家一族のため、
同志のためとなっていく。
御書に照らし、
経文に照らし、
断じて間違いない。
2005.8.2全国最高協議会(3)
2022年4月10日
第1966回
君自身の花を咲かせよう
自分自身が、
かけがえのない、
尊貴な、美しい
生命の花を持っている。
自分にしか
咲かせることのできない、
最高に大切な使命の花を、
晴れがましく
咲かせ切っていくことが、
そのまま
「人間革命」の実証となる。
仏法では
「桜梅桃李」と説いている。
桜には桜の美しさがある。
梅には梅の香りがある。
桃には桃の彩りがある。
李には李の味わいがある。
人それぞれに
使命があり、個性があり、
生き方がある。
「自分なんか
もう駄目だ」と
思うような瀬戸際の時が
諸君にもあるに違いない。
実は、その時こそが、
自身の新しい可能性を開く
チャンスなのである。
人生の勝利と敗北、
幸福と不幸、
その分かれ目が、
ここにある。
挑戦すべきは、
人に対してではない。
自分自身に対してだ。
自分の弱さに対してだ。
そして、
自分に勝っていくんだ。
焦らずに、自分を磨き、
君自身の使命に
生き抜いていくんだ。
希望は、
与えられるものではない。
絶望の底からも、
自ら生み出せるものだ。
不屈の祈りで、
創り出すものだ。
何があっても、
カラッと明るく、
前へ、前へ!
前進することが
重要である。
明るいことが
幸福である。
過去がどうであろうが、
人がどう言おうが、
未来へ向かって
朗らかに生き抜くことだ。
その人が
真実の勝利者なのである。
2022年4月10日池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」
2020年3月18日
第1653回
「仏」は自身の中に
〈ニューヨークの座談会を訪れた伸一は、信心の確信を持てない婦人たちを温かく包み込むように指導〉
「信心を貫くならば、一人も漏れなく、幸福になれます。現に、日本では、百万人を超える同志が幸せになっています。それが最大の証明ではないですか。仏典には、こんな話が説かれています。
昔、ある男が、親友の家で酒を振る舞われ、酔って眠ってしまった。親友は、この男が決して生活に困り、嘆くことのないように、寝ている間に、最高の高価な宝石を衣服の裏に縫いつけてあげた」
参加者は、吸い込まれるように、伸一の話に聞き入っていった。
「……やがて、男は別の土地に行き、おちぶれて食べるにも事欠くほど貧乏になってしまった。しかし、自分の衣服に、そんな高価な宝石が縫いつけられていることなど、全く気づかなかった。おちぶれた果てに、男は親友と再会する。親友は、男の衣服に、高価な宝石を縫いつけたことを教える。その宝石のことを知った男が、幸せになったのはいうまでもありません。
これは、法華経に説かれた『衣裏珠の譬』という説話です。最高の宝石とは、皆さんの心にある『仏』の生命のことです。御本尊に唱題し、広宣流布のために戦うことによって、その『仏』の生命を引き出し、最高の幸福境涯を築くことができる。
しかし、せっかく信心をしながら、それがわからずに、ただ悲しみに沈んでいるとしたなら、この説話の男と同じようなものです」
新・人間革命 第1巻 慈光
2020年2月9日
第1640回
「必ずできる!」
冬は、鍛えの季節である。
試練に負けないで
力をつける時だ。
草花や木々たちも、
動物や昆虫たちも、
凍てつく
寒さに耐えながら、
春を迎えるために、
一生懸命に
準備をしている。
未来に、どのような
才能の芽を伸ばし、
そして勝利の花を
咲かせていくか。
そのための芽生えは、
自分自身の心の中にある。
「自分には無理だ」などと
決めつけては
絶対にいけない。
生命には
宇宙大の力がある。
それを引き出すのが
妙法である。
「必ずできる!」と
固く心に決めるのだ。
一心不乱の祈りと行動が、
限界の壁をつき破る。
苦労しているから、
人に寄り添える。
悲哀に負けないから、
嘆きの友を励ませる。
悩める人を
幸福にするために、
自らが悩みを乗り越え、
勝利の実証を!――
これが広布に生きる
師弟の誓願である。
「自分のことを
思ってくれる人がいる」
――その手応えが、
苦悩の人の生命空間を、
すっと広げてくれる。
他人や世界と
“共にある”という
実感があれば、
必ず
立ち上がることができる。
それが
生命のもっている力だ。
強盛な祈りで立ち上がれ!
題目は師子吼だ。
滾々と勇気が湧き、
満々と生命力が漲る。
さあ、いよいよ、
これからだ!
人間の中へ、
民衆の中へ、
勇んで飛び込み、
大誠実の力で、
我らは勝利していくのだ。
2020.2.2〈池田大作先生 四季の励まし〉「生命の力」に限界なし
2020年1月6日
第1635回
生まれ変わった
みずみずしい心で前へ!
<自分には、これほどの力が あったのか!>
壮大な世界広布は、
いよいよ
これからが本番である。
戸田先生は、
よく語られた。
「大作、
学会の本当の
偉大さが分かるのは
二百年後だ。
二百年先まで考えて、
広布の盤石な路線を
つくっておくのだ」
後継の師子が、
いよいよ躍り出ている。
宗教革命を受け継ぎ、
民衆仏法の新時代を築く
「本門の青年」の活躍こそ、
新時代の希望である。
前を見よ!
我らの
開拓すべき天地は広い。
君よ、
今日の責務を
決然と果たしながら、
今日より明日へ、
日々新たに、
また、日に日に新たに
前進し抜いていくのだ!
その執念の行動に、
栄光の勝利があり、
幸福がある。
一日の勝利は、
まず朝の出発で決まる。
断じて
「朝に勝つ」ことだ。
すがすがしい心で、
生き生きと
仕事を開始することだ。
ここに、
連続勝利の
秘訣があることを
忘れてはならない。
「新しい年がめぐってきて
新しいわれらを
発見するのです」――と、
大文豪ゲーテは歌った。
万年にわたる
広宣流布の未来を開く
重要な一年だ。
その「新しい年」に
ふさわしい
「新しい自分自身」の
人間革命の劇が、
いよいよ始まったのだ。
「自分には、
これほどの力が
あったのか!」と、
自らも目を瞠るような、
生まれ変わった
みずみずしい息吹で
戦おうではないか!
〈池田大作先生 四季の励まし〉 2020年1月5日
2019年12月1日
第1632回
自分のいる場所で、自分の使命に徹せよ
ヘンダーソン博士は、自身の行動哲学を次のように語っておられる。
「人間が成長を続けるために大切なものは何か。それは″希望″であると私は思います。
それでは、希望を持ち続ける秘訣は何か。それは″自分が決めた道を、どこまでも進みぬく″ことです。″自分のいる場所で、自分の使命に徹しきる″ということです。
ただ漫然と危機の去ることを祈ったり、いたずらに心配するのではなく、今、自分ができることをやりきることです」
「行動だけしても、方向性を持たなければ、逆に混乱をもたらしてしまいます。真の行動は、精神的な目覚めを通して行うものでなければならないのです」
自分のいる場所で自分の使命に徹しきる――その人生こそ崇高である。そこに普遍性と永遠性が輝く。仏法で説く「本有常住・常寂光土」の法理にも通じよう。
日蓮大聖人は、門下に「其の国の仏法は貴辺にまか任せたてまつり候ぞ」と仰せである。創価のリーダーの皆さまは、わが地域、わが方面の広宣流布を大聖人から託された、誉れの使命の方々なのである。
2002.12.25全国最高協議会
2019年11月3日
第1626回
一騎当千の獅子たれ
<信念と誠実を貫け>
日蓮大聖人は、門下の四条金吾を励まされて、こう仰せである。
「強盛の大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と、鎌倉中の上下万民、さらには日本国の一切衆生にほめ讃えられなさい」(御書1118ページ、通解)
「『四条金吾は、主君の御ためにも、仏法の御ためにも、世間に対する心がけも立派であった、立派であった』と鎌倉の人々からほめ讃えられなさい」(御書1173ページ、通解)
正義だからこそ嫉妬もある。迫害もある。しかし、信念と誠実を貫けば、最後に必ず勝利する。
いかなる苦難にも断じて負けてはならない。苦難は人間革命のチャンスなのである。
圧迫されればされるほど、「挑戦」に「応戦」して、それに倍する力を発揮していくことだ。自分自身を、断固として、強くまた強く、賢くまた賢く、鍛え上げていくことだ。何ものにも負けない実力をつけていくことだ。
「殉教の父」である牧口先生は、「羊千匹より獅子一匹たれ!」と言われた。
きょう、お集まりの皆さんは、一人も残らず、一騎当千」の獅子に育っていただきたい。自分自身が「一騎当千」の力をつけることは、千倍の広宣流布の拡大に通じていくのである。
2002.9.8 世界平和祈念勤行会
2019年9月22日
第1621回
今こそ自身を鍛えに鍛えよ
<人を頼る心は捨てよ!>
今や創価の舞台は世界である。道は開かれた。あとは青年に一切を託す以外ない。
今こそ青年は自身を鍛えに鍛えることである。
振り返ってみれば、草創の青年部は仕事を終えて会合に行くにも、駅から「駆け足」だった。そういう勢いがあった。
青年は自分を甘やかしてはならない。それは滅びの道だからである。
人を頼る心は捨てよ。
自分たちの力で、
信心で立ち上がるしかない。
祈って祈って祈りきって、
敵も味方も、
すべての人を揺り動かして、
大いなる民衆の連帯を、
新しい広宣流布の旋風を
巻き起こしていくことだ。
「女子部は、一人も残らず、幸福に」――それが恩師の深き心であった。
女子部が大事である。女子部を育てたい。
一人の毅然たる女性がいれば、どれだけ周囲に希望の光を送れるか。
女子部が伸びれば、創価学会が輝く。広布の未来は大きく開いていく。
女子部の大発展を、皆で祈り、皆で支え、全力で応援していきたい。
広布の組織には、つねに、フレッシュな「新しい力」「新しい息吹」を吹きこむことだ。
使命深き、すべての人を、どう生かすか。
どうしたら、皆が守られ、皆が喜び、いちばん、広宣流布が進んでいくか。
この一点に全魂を注ぎ、人知れず苦労して、陰の陰で支えていくのが、指導者の責務である。
力ある人材を大胆に登用し、がっちりと核をつくり、皆が心を一致させて、「異体同心」で進んでいくことだ。
また、新しい責任を担う人は、これまで以上に動き、語り、力を出し、わが地域を民衆の理想郷の国土に変えていくことだ。
大聖人は、「心の一法より国土世間も出来する事なり」と仰せである。
「一念三千」の法理が示すとおり、社会をも変えゆく力が、人間の「一念」にはあるのである。
ともあれ、人ではない。自分である。みずからの一念と行動こそが″百万言の書″に勝る波動となる。行動した自分自身が、生きがいと喜びと福運を味わっていけるのである。
2002.8.2全国最高協議会
2017年4月14日
試練を越えて
凱歌の花は咲く
<君よ 対話の春を舞いに舞いゆけ>
父母と
試練の坂を
勝ち越えて
咲き誇りゆく
若桜かな
(中略)
桜は世界に友情の花を広げてきた。
中でもアメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜は有名だ。淵源は百年以上前、“憲政の神様”尾崎行雄が東京市長の時に苗木約三千本が寄贈されたことにある。
わがアメリカSGIの友も、ロッキー山脈を仰ぐデンバーなどで桜の植樹を重ね、多くの市民に喜ばれている。
世界には、“紫の桜”ジャカランダなど、桜を彷彿させる花樹がある。
たとえば、この時節、インドでは、桜によく似たアーモンドの白い花が満開になる。
インドの創価の友は、今や十五万人を超える“人華の園”となった。
その原動力こそ、あくまでも「一人」を大切にする振る舞いだ。
そして、「一人立つ」リーダーの行動である。
それは、あのマハトマ・ガンジーが身をもって残した拡大の方程式でもあるといってよい。
ガンジーは、どのようにして、広大なインドの民衆を糾合したのか。
共に戦い抜いた盟友ネルーの結論は、誠に明快である。
「ただやさしいまなざしと、おだやかな言葉と、それに何よりも身をもって自ら模範を示すことによって成しとげたのである」と。
特別な何かで、人心をまとめたのではない。誠実一路の人間性と、率先垂範の勇気によって、民衆を結合したのである。
「一は万が母」と
ともあれ、誰かではない、自分である。まず自分が戦いを起こす。自分が壁を破るのだ。
「一は万が母」(御書四九八ページ)である。自身の祈りと智慧、闘魂、行動からこそ、広布の万波が生まれる。
「一人立つ」勇気と挑戦の先に、必ず突破口は開かれていくのだ。
日蓮仏法は「下種仏法」である。
一言一句でも仏縁を結ぶなら、友の胸には、何があろうと消えない成仏の種子が植えられる。
だからこそ、臆してはならない。信念をもって語り切ることだ。
そのために悩むことは、菩薩の悩みである。全ての苦労が、仏の境涯を開いていくのである。
歴史創る新風を
法華経化城喩品には美しい一節がある。
「香風は萎める華を吹いて 更に新しき好き者を雨らす」(創価学会版法華経三一三ページ)――香り高い風がしぼんだ花を吹いて、さらに新しく好ましい花を降らせる――。
新しき歴史は、新しき風とともに創られる。私たちの広布への活動においても、新しき価値創造には、常に、新鮮な風を送りゆかねばならない。
ゆえに、青年部が大事なのだ。各地域の壮婦の励ましで、一人の男子部が、女子部、学生部が立ち上がることは、必ず、新しい花を咲かすことに通じる。目の前の一人を大事に育めば、新時代の扉は必ず開かれる。
一人ひとりの若人が“桜梅桃李の人華”を命いっぱいに咲かせ、人間革命の輝きで社会を照らし、立正安国の花園を、わが地域・わが国土に広げていくのである。
〈随筆 永遠なれ創価の大城〉18 師弟の大桜は爛漫と 2017年4月13日 (抜粋)
2017年3月17日
常に楽しく我浄し
<「生老病死」転じて「常楽我浄」に>
日蓮大聖人は、夫の病と闘う婦人に仰せである。
「この仏は不死の薬を説かれたのである。今の妙法蓮華経の五字がこれである。しかも、この五字こそ閻浮提の人の病の良薬と説かれている」(御書1470頁、通解)
妙法は、一閻浮提の人々の生老病死の苦悩を打開する第一の良薬である。
生身の体である。体調を崩す時もあろう。
不況の乱世である。経済苦に直面する時もあろう。
しかし、この妙法の大良薬を抱いた人生に、恐れるものはない。いかなることがあっても、より強盛な信心を奮い起こせば、永遠不滅の仏の境涯へと上昇していけるのだ。
牧口先生は、戦時中、私の妻の実家での座談会にも、足を運ばれ、特攻刑事の監視のもとで、毅然と常楽我浄の大哲学を語り抜かれた。妻の実家も、明年(2011年)で入信70周年を迎える。
牧口先生は、仏の境涯である「常楽我浄」の四徳について、わかりやすく「常に楽しく我浄し」という心であると教えてくださっていた。
「生老病死」という人類の本源的な苦悩を、「常楽我浄」へと転じゆく開拓者が創価学会の我らである。妙法とともに、同志とともに、三代の師弟とともに、「常に楽しく我浄し」との心で、この人生を生き抜き、戦い切っていくのだ。
明年(2011年)も、「常楽我浄」という生命の希望と歓喜の曲を、朗らかに世界中に奏でてまいりたい。
終わりに、戸田先生のご指導を申し上げたい。
「どのような状況にあっても、深く『偉大な信心』に立てば、すべてを開いていける。
自分が『変わり』、
自分が『成長』し、
自分が『責任』を持てば、
一切に『勝利』できるのだ。
要は自分だ」
「一緒に連戦連勝の人生を生き抜こう!」
2010年12月23日 全国最高協議会へのメッセージ
2017年2月8日
完璧な仕事というものは、
普通の二百倍、三百倍の労苦を費やさなければできない
<環境ではない。自分に勝つことだ。>
戸田先生は青年に語られた。
「自分の境遇を嘆いたり、
怠けているうちに、
黄金の青年時代は過ぎ去ってしまう」と。
時間がない、環境が悪い
――こう愚癡を言っている間は成長はない。
私は、戸田先生のもとで働きに働いて、
御本尊の前に座れないときもあったが、
歩きながらでも題目をあげた。
環境ではない。
自分に勝つことだ。
また先生は「くどい話は必要ない!」と厳しかった。
真剣な話、大事な話ならばいい。内容のない話、ホシをはずした話には、「簡潔明瞭に話せ!」と、一喝された。
そういう先生であられた。
「完璧な仕事というものは、
普通の二百倍、三百倍の
労苦を費やさなければできない」
――これも戸田先生のお話である。
私は、戸田先生のご指導通りにやってきた。
先生のために、二百倍、三百倍、否、千倍、万倍の労苦を捧げてきたつもりである。
学会の支援活動の初陣となった昭和30年(1955年)の4月の統一地方選――。
私は、東京の大田区と横浜の鶴見区の両方で、支援の責任者となった。どちらも、最高点で当選した。
そして昭和31年7月の参院選――。
戸田先生は、とても勝ち目のない大阪の指揮を、あえて私にまかされた。私に大きな試練を与えて、“どこまで、できるか”を試されたのである。
その結果は――大阪は大勝利。勝てるはずの東京は大敗北。
口で言うのは簡単だが、私は厳然と、「仏法は勝負」の証拠を示して、戸田先生をお厳りしてきた。戸田門下生としての一番の証しを打ち立ててきた。
牧口先生と戸田先生。
そして戸田先生と私。
この三代に本当の師弟がある。
後世のために明快に申し上げておきたい。
2007年9月28日 全国代表協議会
2024.3.7整理