臨終

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2024年3月27日

第2297回

峻厳な臨終に正しい信心の証

 

<「永遠」の生命観に立て!>

 

 このように、重要なのは「永遠」の生命観である。その高き次元から見わたす時、はじめて人生と社会の真実も、鮮やかに見えてくる。

 「生死」の現実から目をそらし、「生」の表面にのみとらわれた見方では、結局、「生」それ自体もつかめない。一生のすべての行動も、到着点である「死」という、いわば最終の山頂から見下ろす時、その意義がはっきりと全貌(ぜんぼう)を現してくる。

 人生における「死」の瞬間の重要性──そのことを繰り返し説いた哲学者の一人に、フランスのモンテーニュがいる。彼の『随想録(エセー)』は、若き日の座右の一書であった。戦争中、十代の私は貧しいなか、懸命に書物をもとめ、むさぼるように読書した。そのなかの一書である。そのころの書物は、防空壕に避難させたりして、今も若干数、残っている。

 

 『随想録』について、忘れられないのは、以前もお話ししたことがあるが、ある映画のことである。出征した一学徒がいた。その少ない荷物の中には、このモンテーニュの書があった。よほど愛読していたのであろう。私にも、その気持ちはよく分かり、共感を覚えた。また、隠していたその本を上官に見つかり、殴られたり、どなられたりする場面もあり、傲慢な指導者への怒りがこみ上げたのを今でも鮮烈に記憶している。

 

 さて「随想録」のなかに、「我々の幸不幸は死んでから後でなければ断定すまじきこと」という一章がある。その中でモンテーニュは、こう書いている。

 「この最後の瞬間においてこそ、我々の一生のあらゆる他の行為は試みためされなければならないのである。それは大切な日である。他のすべての日々を裁く日である。それは、古人の言うように、過去のすべての年月を裁くべき日である。私は私の勉強の成果の試験を死に委ねる。その時になれば、わたしの言葉が口先だけのものか、心の奥底から出たものかがわかるであろう」(『エセー』原二郎訳)と。

 

 死の瞬間において、どうであるか──。

 その一点が生涯の総決算となる。

 また、その瞬間が″本物″と″ニセ物″を明確に、

 また厳粛に峻別してしまう。

 口先だけの信心であったのか。

 真実の地涌の勇者であったのか──。

 まさに「それは大切な日」である。

 

 さらに彼は「他人の一生を判断するに当たっては、いつもわたしはその終わりがどんな風であったかを見る」と述べている。

 私も立場上、これまで多くの人々の死の姿を見てきた。その体験の上から、一つ一つの死が、それぞれ、その人の一生を厳粛なまでに象徴していることを痛切に感じる。また彼は続けて「私の生涯の努力の主たる目的も、最後がよくあること、つまり、平和で静かであるということだ」としるしている。

 苦痛もなく、安らかに眠るように死んでいきたい。そのような安穏にして荘厳な「死」で、我が生涯の完成を飾りたい。その見事な総仕上げのために、自分は一生をかけて哲学の研究をしてきた。その現実の証(あかし)がなくして、何の哲学であろうか──というのである。

 彼は、この後「哲学するのはいかに死すべきかを学ぶためであること」と題する一章を執筆している。

 

1988.3.24 第1回和歌山県記念総会 池田大作全集第70巻


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2023年10月10日(未掲載)

「死」の姿にこそ

“人生の総決算”が凝縮

 

 ともあれ私は、

 すべての同志の皆さま方の、

 ご長寿とご健勝を心からお祈りしたい。

 それとともに、どうか、

 何歳になっても“心若々しい”人であっていただきたい。

 どんなに長生きしても、

 まるで“三百歳”の枯れきったような、

 生気も希望もない生き方であっては、

 かえって不幸であろう。


 そして“楽しい総仕上げ”の人生であってほしい。

 悩みや不安ばかりの最終章であっては、

 あまりにもさびしい。

 「本当に楽しかった」

 「充実の人生であり悔いは何もない」――

 そうした所願満足の人生を創造しゆくための信仰である。


 私事で恐縮であるが、

 私の母の死去も、

 まことに安らかな姿であった。

 まさに笑(え)みを浮かべるがごとき

 最期であったといってよい。

 義父もそうであった。

 兄も弟もそうであった。

 そして、次男もまた、

 眠るがごとき姿で逝(ゆ)いた。


 肉親の死去にあうたびに、

 私は、この大白法が、

 いかに素晴らしき

 「生死不二」の大法であるか確信してきた。

 それ以外にも、

 見てきた多くの臨終の姿の一つ一つが御聖訓の通りであった。

 信順の人は「福十号に過ぎ」、

 謗逆(ぼうぎゃく)の徒は「頭破作(ずはさ)七分」となる。

 「死」の姿にこそ、

 厳粛にして厳然たる“人生の総決算”が

 凝縮されるといえよう。

 

1988.11.3練馬・町田・葛飾合同総会

2023.10.10整理


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2023年9月25日(未掲載)

戸田城聖先生の臨終

 

 戸田城聖は、四月二日午後六時三十分、医師の診察を終えた直後、妻に見守られて、眠るように息を引き取ったのである。急性心衰弱によるものであった。不世出の広宣流布の大指導者・戸田城聖は、ここに五十八年の生涯を閉じたのだ。

 伸一が、電話を切って戻ると、一同は緊張した顔で、彼に視線を注いだ。伸一の悲痛な表情から、誰もが、最悪の事態にいたったことを直感したようであった。

 彼は、静かに告げた。

 「先生は、先ほど、六時三十分に亡くなられました」

 皆、一瞬にして顔色を失った。言葉を発する人はいなかった。ただ沈黙のなかに、誰もが深い悲哀をかみしめていた。その場は、直ちに重大会議となった。

 それから伸一は、首脳幹部と共に病院に向かった。

 車中、四ツ谷から飯田橋にかけて、土手の上の五分咲きの桜が、ほのかな光を放つように咲いているのが、夜目にも見えた。

 戸田は、自ら予言していたように、桜の花の咲くころ、世を去ったのだ。念願の七十五万世帯を超える妙法の苗木を植え、幸の花を咲かせて、あたかも桜が、ぱっと散りゆくように。

 病院を訪れた首脳幹部たちは、戸田の臨終の相貌を目にして、あふれる涙を、どうすることもできなかった。そして、師との別離の時がやって来たことを、いやでも悟らなければならなかった。

 戸田の相貌は、どこまでも穏やかであった。多くの人を慈しんだ目は、薄く開かれ、崇高な涅槃の光を放っている。百数十万人もの人びとに、法を説き、励ましの言葉をかけ続けてきた口は、かすかに開かれ、今にも語りかけんばかりに微笑をたたえていた。そして頰には、ほんのりと赤みがさし、肌の色は、白く艶やかであった。まさに、輝かしいばかりの成仏の相を示していた。

 ──広宣流布に一身を捧げた戸田城聖は、永久の眠りについた。しかし、戸田という一個の人間の偉大なる人間革命の歩みによって、全人類の宿命の転換をも可能にする原理が示されたのだ。それこそが、彼が、人類に残した最大にして最高の遺産であった。

 やがて、いつか、戸田城聖こそ、日蓮大聖人の仏法を現代に蘇らせ、人類の宿命の転換の方途を開いた救世者として、永遠に讃嘆される日が、必ず訪れよう。

その夜、戸田城聖の亡骸は、彼の自宅に移された。いつの間にか、外には小雨がパラついていた。それは、戸田の死を悼む、諸天の涙であったにちがいない。

 戸田は、艶やかな、眠るがごとき相をしていたが、もの言わぬ人となっての帰宅であった。自宅に着くと、妻の幾枝は、戸田の亡骸に語りかけた。

 「あなた、ご苦労さまでした……。家ですよ。ゆっくり、お休みになってくださいね」

 それは、すべてを広宣流布になげうってきた夫を、陰で支えてきた妻の、精いっぱいのいたわりの言葉であったろう。

 

(中略)

 弟子たちにとって、永遠に忘れ得ぬ日となった四月二日は、間もなく終わろうとしていた。首脳幹部の誰もが、今日のこの日が、あまりにも長く、何日にも、何カ月にも感じられた。

 伸一が、大田区の自宅に着いた時には、はや午前零時を回っていた。彼は、師との永久の別れとなった、この四月二日という日の無量の思いを、どうしても日記に書き残しておきたかった。

 しかし、ノートを開き、朝からの経過を数行つづると、ペンを持つ手は止まった。戸田との来し方が思い返され、あふれ出る涙が点々とノートを濡らした。自身の憶念は、筆舌に尽くしがたいことを知らねばならなかった。

 「先生……」

伸一は、心で叫んだ。彼の脳裏に、大講堂落慶法要の日、エレベーターの中で、戸田が語った言葉が、まざまざと蘇った。

 「さあ、これで、私の仕事は終わった。……伸一、あとはお前だ。頼むぞ!」

 彼の悲哀は、限りなく深かった。しかし、弟子ならば、今こそ立たねばならないと思った。

 ”立て、立ち上がれ。強くなるのだ、伸一!”

 彼は、自らを叱咤すると、拳で涙をぬぐい、決然と顔を上げた。胸に誓いの火が、赤々と燃え上がろうとしていた。伸一は、唇をかみしめると、ペンを走らせた。

 「嗚呼、四月二日。四月二日は、学会にとって、私の生涯にとって、弟子一同にとって、永遠の歴史の日になった。……妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。しかし、先生の残せる、分身の生命は、第二部の、広宣流布の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。われは立つ」

 こう記した時、伸一の胸中に、戸田の微笑が浮かんだ。

 

 

<人間革命> 第12巻 寂光 399~

2023年9月25日整理


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2023年9月25日(未掲載)

臨終の相

 

 <日寛上人の御振る舞い>

 

 本日は、老後の問題から話を進めた以上、

 死後の問題にも、言及しないと話は終われない。

 そこで少々、「成仏」について申し上げておきたい。

 

 大聖人が阿仏房に与えられた御書に

 「既に生を受けて齢六旬に及ぶ老又疑い無し只残る所は病死の二句なるのみ……」(阿仏房御返事、新1734・全1317)――日蓮も生を受けてすでに六十歳になる。老いていることもまた疑いない。ただ残るところは「病」と「死」の二句のみである――と仰せになっている。

 

 私は、この文を拝するたびに、

 生死の実相を達観された御本仏としての御境界に

 強く胸を打たれる思いがする。

 

 ところで日寛上人は「臨終用心抄」の中で

他宗謗法の行者は縦たとひ善相有りとも地獄に堕つ可き事」として次のようにも仰せである。

 

中正論八に云く、縦たとひ正念称名しょうみょうにして死すとも

 法華謗法の大罪在る故ゆえに阿鼻獄に入る事疑ひ無しと云々

 私に云く禅宗の三階(中国・三階教の開祖・信行のこと)は

 現に声を失ひて死す、

 真言の善無畏は皮黒く、

 浄土の善導は倒狂乱す、

 他宗の祖師已すでに其れ此くの如し

 末弟の輩やから其の義知る可し、

 師は是れ針の如し弟子檀那は糸の如し、

 其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也」(富要三巻)

 

 つまり、正法誹謗ひぼうの者は、

 その祖師が阿鼻獄に入っているのであるから、

 たとえ臨終の相がよいように見えても

 地獄に堕ちてしまうことは間違いないとの仰せなのである。

 

 さらに日寛上人は

 「法華本門の行者は不善相なれども成仏疑い無き事」と、

 お述べになっている。

 つまり御本仏である大聖人の門下として、

 仏法を弘める人々は、

 かりに臨終の相がよくないことがあっても、

 成仏することは疑いないとの仰せなのである。

 

 長い広布の途上には、

 確かに交通事故等の不慮の事故や

 病気等で亡くなられる方もおられる。

 

 しかし日寛上人は、

 信心ある人は成仏疑いないと断言されている。

 ゆえに、一生涯にわたる強盛なる信心が大切である。

 ″信心の心こそ大切なれ″なのである。

 いかに財産や社会的な名声や地位があっても、

 その一点を忘れては成仏できない。

 

 日寛上人は、

 享保十一年(一七二六年)三月、

 江戸での布教を終えて大石寺に帰られる。

 以来、何となく御健康がすぐれず日々衰えられていく。

 同年五月二十六日、法灯を日詳上人に付嘱され、

 後事を一切委ねられる。

 六月に入ってからは衰弱は日々重くなるが、

 病の苦しみは全くなかった。

 日寛上人は御自身の病気について、

 日詳上人に次のように語っておられる。

 ″当山(大石寺)は今、年を追って繁栄し、

 観解かんげ(御本尊に題目を唱えることと大聖人の教えを学ぶこと)が倍増している。

 まさに三類の強敵が競い起こるであろう。

 私はこの春以来、災をはらうことを三たび三宝に祈願した。

 ゆえに、仏天はあわれみを垂たれたまい、

 私自身の病魔をもって法敵に代えられたのである。

 これこそ「転重軽受」なのであるから、

 決して憂えてはならない″(趣旨。「日寛上人伝」、『富士宗学要集 第五巻』所収)と。

 つまり、正法が繁盛しているので、

 もっと大きな、三類の強敵が起こるところを、

 御自身お一人が病気の災をえて、大難を防ぎ、

 本山もすべて守っているのだ、

 との御言葉と拝察される。

 ちなみに、この年の四月に、

 いわゆる金沢法難の発端が起きている。

 

 御遷化の一両日前に、

 日寛上人は法衣を着けられ、

 寝所より駕篭かごに乗って、

 お別れの暇いとま乞いに出られる。

 

 初めに本堂に詣で、読経・唱題され、

 次に御廟所ごびょうしょに参詣される。

 そして御隠居所の日宥にちゆう上人(第二十五世)、

 学頭寮の日詳上人の所へ寄られ、

 いずれも輿こしの中から懇ねんごろに暇乞いをなされたという。

 

 日寛上人はそのあと、

 三門前で師・日永上人(第二十四世)の妹御にも別れを告げ、

 門前町を通って大坊まで帰られる。

 沿道には人々が伏して別れを惜しんだといわれる。

 そして戻られると、

 番匠ばんしょう(大工)、桶工おけこうに命じ、

 急いで葬式の具を造らせ、

 その棺桶かんおけの蓋ふたに自ら筆をとって一偈一首を認められている。

 

 八月十八日の深夜にいたり、

 命じて床の前に大曼荼羅を掛け奉り、

 香華、灯明を捧げて侍者に

 「吾れ間もなく死すべし」と告げられる。

 

 そして、

 周囲に知らせるのは必ず死後にすること、

 臨終の時の付け人は一、二人であること、

 読経・唱題の注意等、臨終に際しての指示を細かくされる。

 

 その後、末期の一偈一句をお書きになって、

 書き終わるや直ちに、好物のソバを作るよう命じられる。

 侍者が即刻につくると、

 七箸はしこれを召し上がって、

 にっこり笑みを含み、

 「嗚呼ああ、面目おもしろや寂光の都は」と

 述べられたと伝えられる。

 まさに、三世の生命を通観された御境界であられた。

 

 その後、

 うがいをなして大曼荼羅に向かわれ、

 一心に合掌して唱えつつ、

 半眼半口にして眠るように御遷化されたのである。

 時に享保十一年八月十九日の辰の刻(午前八時)、

 朝のことである。御年六十二歳であられた。

 

 こうした日寛上人の御振る舞いをみると、

 はたして「死」は、「悲」なのか「喜」なのか、と思えてくる。

 世間では、「死」は悲しく、つらいものである。

 しかし、三世の生命観からみれば、

 妙法に照らされた「死」は「喜」ともなっていくことを

 日寛上人は教えてくださっているように拝せるのである。

 

 1986.12.21 大宮広布三十五周年記念代表者会

池田大作全集第68巻

2023年9月25日整理


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2015年1月22日 

妙法を持った人の臨終

(4)

 

<妙法受持の人の絶大の功徳>


 このことに関連して御書の一節を拝しておきたい。
 「転重軽受法門」では、涅槃経で説く「護法の功徳力」の教えに基づき、死身弘法の人の死をこう述べておられる。「地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」――(過去世の重い宿業によって、実際には未来に受けるべき)地獄の苦しみが、ぱっと消えて死に、人界・天界、二乗界、菩薩界、仏界の利益を得る――と。
 地獄とは、最低のものに縛られた苦しみの境界といってよい。しかし、妙法に生ききった人は、臨終の際、その生命の力を最大に発揮して、地獄の縛をも、ぱっと断ち切り、生命の「上昇」を始める、との仰せである。
 また「一乗の羽をたのみて寂光の空にもかけりぬべし」と。
 妙法という「一乗の羽」の力をたのんで「寂光の空」すなわち、仏界という大いなる常楽の世界へと飛び立っていくであろうとの御指導と拝する。
 この御文に描かれたイメージをお借りし、

 たとえて述べるならば、

 死の瞬間、それまで蓄えられきった生命の力によって、あたかもロケットが地上から最大の噴射力で飛び立ち、成層圏を突きぬけて、大宇宙へと飛翔していくように、「寂光の空」なる仏界へと「上昇」しきっていける。
 これが妙法受持の人の絶大の功徳である。

 その宇宙の「仏国」「仏界」は、広々と清浄にして大歓喜に満ち、何の束縛もない自由自在の次元である。そこからさらに、次なる使命の人生を、生まれたい場所と時を選んで、生まれたい姿で、再び出発していける。あたかも名飛行士の、自在な着陸の姿とでもいおうか。
 ともあれ、このような素晴らしき三世にわたる常楽我浄の生命こそ、不壊の「金剛身」である。この崩れざる絶対的幸福の“我”を築きあげるための「金剛宝器戒」であり、日々の仏道修行なのである。
 最後に、愛する尼崎、兵庫の皆さまが、宇宙をも動かしゆく妙法の偉大な功徳を満喫されつつ、「我が人生に悔いなし」「我が信念の道に悔いなし」という、誇らかな一日一日の前進を貫かれますよう、心から念願し、記念のスピーチを結びたい。

1988. 3.26 兵庫広布35周年記念幹部会


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2015年1月21日 

妙法を持った人の臨終

(3)

 

<信心によって蓄えた我が生命力の“証”>


 この点をふまえて、先ほどの「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し(中略)寂光の宝刹へ送り給うべきなり」の御文を拝するならば、次のようにも言えようか。


 すなわち広布に生ききった人は、

 臨終の際、

 我が生命の諸天善神等の力用が、

 一挙に全面的に発動する。

 そして断末魔の苦しみをはじめ、

 襲いかかる「死苦」から、

 完璧に守りきってくれる。

 そして内なる一念の力用はその瞬間、

 外なる大宇宙の諸天善神の発動をも呼び起こす。

 そして内外相応して自在の力を発揮し、

 直ちに「寂光の宝刹」

 すなわち宇宙の仏界という次元へと、

 必ず融合していける

 ――との仰せとも拝せよう。


 この意味から、

 臨終の際の諸天善神の働きとは、

 信心によって蓄えた

 我が生命力の“証(あかし)”ともいえる。


 つまり「死」は一面からみれば、

 人間が今世における一切の虚飾をはぎとられて、

 裸のままの「生命」それ自体がもつ

 真実の″力″で立ち向かわざるを得ない難関である。


 この時ばかりは、

 権力という″力″も、財力の″力″も、名声や地位という″力″も、また単なる知識や理性の″力″も、すべて死苦を乗り越える真の力にはならない。

 生命自体の″実力″とでもいおうか、

 いわば、生命奥底の″底力″こそが試される瞬間なのである。ニセものは通用しない。
 「生」の期間には必ずしも表面化しない、生命内奥の真実の姿が、その時、立ち現れる――。

 臨終という、この文字通りの″正念場″にあって、ただ妙法の実践の中で我が「生命」自体に積み、蓄(たくわ)えてきた生命力というエネルギーのみが、その絶大の力を発揮する。
 ゆえに、「生」あるうちに、また健康で活躍できるうちに、真剣に、妙法による福徳の貯金を、また生命力の蓄えをつくっておくことが重要なのである。
 日々″わが信念の道に悔いなし″と

(つづく)

2015年1月20日 

妙法を持った人の臨終

(2)

 

<諸天善神の働きは信心の一念に具わる>


 臨終の際の、この諸天善神の働きについて、大聖人はさらに、諸天の力用はことごとく、ほかならぬ私どもの信心の「一念」に具(そなわ)っていると御教示されている。
 「二聖」「二天」「十羅刹女」という五番善神の力用についても、すべて妙法蓮華経の五字から出たものであり、妙法を受持した、私どもの生命それ自体に納まると。
 「御義口伝」にはとは十羅刹女なりとは持国天王なりとは増長天王なりとは広目天王なりとは毘沙門天王なり、此の妙法の五字は五番神呪(ごばんじんしゅ)なり、五番神呪は我等が一身なり」と仰せである。
 とは十羅刹女であり、とは四天王のうちの持国天王とは同じく増長天王とは広目天王とは毘沙門天王であると――。


 大聖人はここで観心の御立場から、

 二聖のうち薬王菩薩広目天に、

 また勇施菩薩増長天に置きかえて、

 それぞれ配されている。

 すなわち、ここでの五番善神は、

 十羅刹女四天王のこととなる。

 これらの善神の尊名はみな

 御本尊に厳然とおしたためである。


 そして――この妙法華経の五字こそ、

 五番善神が法華経の行者の守護を誓って唱えた呪文(じゅもん)の当体である。五番神呪といっても、所詮は題目の力用に含まれると。さらに、妙法五字であるこの五番神呪とは、我等妙法を受持した人の生命それ自体であると明示されている。
 五番善神に代表される全宇宙の諸天善神とその働きは、すべて御本尊に具足されている。同時に、「信心」している仏子の生命にも具るのである。

(つづく)


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2015年1月19日 

妙法を持った人の臨終

(1)

 

<臨終のときも諸天善神が守護する>


 さて、この「金剛宝器戒」を持った人は、いかなる「臨終」を迎えることができるか。
 大聖人は「如説修行抄」で次のように仰せである。
 「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し諸天・善神は天蓋を指し旛はたを上げて我等を守護して慥(たしか)に寂光の宝刹へ送り給うべきなり」――薬王菩薩と勇施菩薩の二聖、持国天王と毘沙門天王の二天、十羅刹女が、御本尊受持の者をかばい護まもり、諸天善神は天蓋(天にかかるカサ)をさし、旗をかかげてわれわれを守護して、たしかに常寂光の仏国土に送りとどけてくださるのである――と。
 この「如説修行抄」の仰せは、日寛上人の同抄文段でお示しのごとく、法華経「陀羅尼品」第二十六をふまえられてのものである。
 つまり「陀羅尼品」では、

 ここに仰せの

 「二聖(薬王菩薩と勇施菩薩)」、

 「二天(持国天王と毘沙門天王)」、

 「十羅刹女」の

 「五番善神」といわれる五者が、

 それぞれ順番に法華経の行者を守護することを誓っている。


 ちなみに「二聖」のうち、

 「薬王菩薩」はその名のごとく衆生の重病を消除する働きである。また法華経の会座にあっては、常に「迹化の菩薩の上首」として連なっている。また

 「勇施(ゆぜ)菩薩」は、その名の通り、一切衆生に布施する力を惜しまない働きである。
 これらの菩薩、諸天は、法華経の会座で、法華経の行者を守護することを誓っており、御本尊を受持し「法」のため、「広布」のために活躍していく人をば、厳然と守護するのである。
 そして、それは、

 私達が生きている間だけのことには限らない。

 「臨終」という、今世の生を終え来世への出発を決める、いわば人生の大きな変化を迎える時、まさに、人生の最も重要な時にこそ、諸天善神はこぞって私たちを守護する。大聖人はそのことを、「慥(たしか)に」と固く約束くださっておられる。

(つづく)

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第2318回

 

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