2021年12月8日
第1818回
皆に希望を届ける人間王者たれ
<壮年部の友へ>
先師 牧口先生も
恩師 戸田先生も
誉れある壮年部の年齢であられた
王冠もなく 名声もなく
非難中傷を
わが身に受けながら
蓮祖の御聖訓どおりの
法戦 また法戦に進んだ
よく わが師
戸田城聖先生は
臆病者は去れ!
去る者は去れ!
批判する者は 勝手にせよ! と
我らの燃えゆく生命体は
大聖人に 直結して
広布の魂に直結しゆく
我らには慈悲の涙がある
真昼の光の強さがある
暗き困難なときにも
美しき また尊き心がある
ともあれ
信心という 宇宙の宝石で
包まれている
◆◇◆◇◆
新中国の建設に身を捧げ
革命に生きた周恩来総理も
「勝利とは
座して待つものでなく
戦い取るものである」と
年を重ねても
心は壮んなり!
常に闘争の先頭に立ちて
自ら勝利の原動力となった
広宣流布という
人類最高の偉業に進む我らは
断じて 臆してはならない!
断じて 負けてはならない!
我らが歩みを止めれば
大聖人が悲しむ
人類が 野蛮に破壊される
つまり
人類が 永遠の闇に包まれ
不幸の流転と苦悩を
さまよい続ける
御聖訓にいわく
「今 日蓮等の類い
南無妙法蓮華経と唱え奉るは
大風の吹くが如くなり」
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」
なんと 悠然たる
御聖訓であろうか!
◆◇◆◇◆
君の心も 私の心も
燃え続けながら
高邁なる 来る年 来る年を
また一日 また一日と
生命の歴史を 綴っていくのだ
最も この世で美しいものを
見ながら 感じながら
歌いながら!
これだけ多くの宝友と
心と心で交わった私たちは
死後も 三世にわたって
賑やかにして 楽しかろう!
この生命の航路を僚友たちと
ともどもに生き抜き
両手を高々と挙げながら
麗しき月に照らされゆくは
なんと優美な
なんと不滅な
名誉なる足跡か!
◆◇◆◇◆
壮年の方々は
社会で勝たねばならない!
職場で勝たねばならない!
多くの人々と 信頼ある
親交を持たねばならない!
一家を 朗らかに大きく包む
城でなければならない!
頑健な身体で
頑健な現実闘争に
勝たねばならない!
自己の生命は
三世永遠に
自己自身なのである
ゆえに 自己自身を
いかに鍛えるか
向上させるか
幸福にさせるか
ここに
人間革命の課題がある
◆◇◆◇◆
心の広い人に!
心の深い人に!
心の温かい人に!
心の強い人に!
ここに 仏道修行の
勝利の旗がある
何処に行っても
皆を安心させゆく柱たれ!
皆に希望を持たせゆく 大人たれ!
今いる わが場所が
宝塔と輝きをもつ
人間王者たれ!
〈桂冠詩人40周年 勇気の舞 凱歌の行進〉第19回 壮年部の友へ
壮年部の友に詠んだ「誉れの人生航路」(1999年)
2015年5月8日
女性と男性
<男性は女性に学び、女性は男性に学ぶ>
池田 永遠の生命から見れば、男といい女といっても、ある人生では男性となり、ある時は女性と生まれ、固定的なものではありません。その意味でも、あらゆる人の中に「男性的なるもの」と「女性的なるもの」が両方あると考えられます。
須田 女性にも男性ホルモンがあり、男性にも女性ホルモンがあるようなものでしょうか。ちょっと次元が違うかもしれませんが。
池田 いや、分かりやすい譬えかもしれない。ともあれ、一人の人間の中に「男性的なるもの」と「女性的なるもの」が調和していなければならない。それが人格の成熟であるし、自己実現でしょう。
つまり、男性も、いわゆる「男らしい」だけでは粗暴になってしまう。女性の考え方、感性を理解できるこまやかさ、優しさが必要でしょう。女性の場合も、いわゆる「女らしい」だけでは十分とは言えないでしょう。
現代の文化では男性的な特質とされている冷静・沈着な思考力、判断力、展望力などを具えていかなければ、自分自身を大きく開花させたとは言えないのではないだろうか。それは男性の女性化でもなければ、女性の男性化でもない。女性の男性化ならば、それは「変成男子」になってしまう。
どんな社会においても、男性は男性らしさ、女性は女性らしさが、その社会なりに要求されます。その要求に適応すればするほど、それ以外の自分の特質が抑圧されてしまう面がある。それは、ある意味で、しかたのないことかもしれないが、だからこそ、男性は女性に学び、女性は男性に学んで、互いに自分の人格を大きく育てていくべきではないだろうか。
結婚の意義の一つも、こういう自己完成にあると思う。もちろん、結婚しなければならないという意味ではありません。
法華経の智慧 提婆達多品 第十二章
2015年3月5日
壮年部結成式
<″妙法の名将″の資格>
山本会長の指導となった。彼は、満面に笑みをたたえて語り始めた。
「壮年部の結成式、誠におめでとうございました。
私は、壮年部の結成を心から嬉しく思うとともに、広宣流布の将来に対して、安心感を深めております」
それは、彼の率直な思いであった。
次いで伸一は、永続的な発展のためには、分別のある″保守″の力と、若々しい、勢いのある″革新″の力が噛み合っていくことが肝要であると強調。学会の発展も、壮年と青年の模範的な組み合わせによるものであると述べた。
そして、広宣流布の新展開の時代に入った今、広布推進の強力なエンジンとしての青年の力とともに、豊かな経験や判断力など、総合的な円熟した壮年の力が求められていることを訴えたのである。
ここで彼は、組織における壮年部の役割に言及していった。
「学会は、各部が協調し合いながら進んでいくのは当然ですが、一家においても父親が柱であるように、最高責任者は壮年です。各支部にあっては支部長であり、各地区にあっては地区部長です。
したがって壮年部は、壮年の育成に責任をもつのは当然ですが、各部のなかの一つの部であると考えるのではなく、各部の調和をとり、責任をもって、学会を、会員を守っていただきたいのであります」
元気な返事とともに大拍手が鳴り響いた。
拍手がやむのを待って、言葉をついだ。
「壮年部が立派であるならば、婦人部も男女青年部も、立派に成長します。壮年のよき励ましは、各部から大人材を輩出させていく力となります。
したがって、これから伸びゆく男子部を擁護し、活躍の場を与え、責任をもって育てていただきたい。そして、婦人部、並びに女子部に対しては、大きく包み込み、かばってあげていただきたい。
また、壮年部は、各部の友にとって、信心の手本であります。さまざまな人生経験を経てきた壮年部がどうするかを、みんなが見ています。
ゆえに、何があろうが、壮年部が強盛に信心を貫いていけば、その尊い姿を見て、男子部も、女子部も、そして婦人部も、喜んでついてくるものです。
それが反対に、壮年が不誠実で要領よく立ち回ったり、いい加減であったり、あるいは退転してしまったりすれば、後輩の人たちは目標を見失い、時には信心への疑問をいだかせてしまうことになる。ゆえに、壮年部の皆さんの責任は重いといえます」
伸一は、このあと、一生涯、信心を貫くことの大切さを訴えようと思った。
青年時代は、懸命に活動に励み、広宣流布に生き抜くことを誓い合っても、壮年になると、情熱をなくしてしまう人が少なくないからだ。
その理由は、さまざまであろう。
職場で重責を担うなど、仕事が多忙になったことが契機になる場合もある。体の不調や体力の衰えが原因の場合もある。あるいは、″これまで一生懸命に頑張ってきたんだから、少し休んでもよいだろう″と考え、信心を後退させてしまう人もある。
もちろん、人生には仕事を最優先させなければならない時もある。体調を崩している場合には、休養も必要であろう。しかし、生涯が仏道修行である。いかなる状況に置かれようが、信心に後退があってはならない。いささかでも、退く心があるならば、身は落ちねども心は落ちている姿といえる。
大聖人は「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」と仰せである。
ほんの毛筋ほどでも、後退の一念、怠惰な心、臆する気持ちがあるならば、そこに魔がつけ入り、信心を狂わせ、幸福の土台が破壊されていくのである。
山本伸一は、全壮年部員に、一生成仏の道を、人間革命の道を、三世にわたる栄光と勝利の道を、歩み通してほしかった。
退転は、自分自身を裏切ることである。
彼は、かつて、学会員でありながら、戸田城聖や学会を誹謗、中傷した反逆の徒が、最後は惨めこの上ない姿になった事実をあげて、生涯、信心を貫き通していくことの大切さを語っていった。
その声の響きには、一人たりとも落とすまいとの、強い思いがあふれていた。
「仏法の厳然たる因果の理法からは、誰人も逃げることはできない。
だから、たとえ、どんなに批判され、罵倒されようが、御本尊、学会を疑わず、大冥益を確信し、生涯、信心を全うし抜いていくことです。
大聖人は、法華経を引かれて、強盛に信心を貫いていくならば、『現世安穏、後生善処』(現世安穏にして、後に善処に生ず)と明言されています。御本仏の御言葉に嘘はありません」
ここで、彼の声に、一段と力がこもった。
「壮年部の皆さんは、これからが、人生の総仕上げの時代です。
壮年には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。
大聖人は『かり(仮)にも法華経のゆへに命をすてよ、つゆ(露)を大海にあつらへ・ちり(塵)を大地にうづ(埋)むとをもへ』(御書1561頁)と仰せです。
死は一定です。それならば、その命を、生命の永遠の大法である、法華経のために捨てなさい。つまり、広宣流布のために使っていきなさい――と、大聖人は言われている。
それこそが、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合し、永遠の生命を生きることになるからです。
一生は早い。しかも、元気に動き回れる時代は、限られています。壮年になれば、人生は、あっという間に過ぎていきます。
その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか! 今、戦わずして、いつ戦うんですか!
いったい、何十年後に立ち上がるというんですか。そのころには、どうなっているか、わからないではありませんか。
今が黄金の時なんです。限りある命の時間ではないですか。悔いを残すようなことをさせたくないから、私は言うんです!」
彼の声は、獅子吼のように、壮年の胸深く轟きわたった。
参加者は皆、すべてを受け止めていこうとする真剣な顔で、伸一の指導に耳をそばだてていた。
「牧口先生が信心を始められたのは五十七歳です。戸田先生が出獄され、広宣流布にただ一人立たれたのは四十五歳です。
いずれも、壮年時代に一大発心をされ、広宣流布の戦を起こされた。それが、わが学会の伝統です。
私もまた、壮年部です。どうか、皆さんは、私とともに、学会精神を根本として雄々しく立ち上がり、創価の城を支えゆく、黄金柱になっていただきたいのであります」
どの顔も紅潮していた。どの顔にも、広宣流布の闘将の輝きがあった。
最後に伸一は、「頼みとなるのは皆さんです。壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です」と語って、話を結んだ。
誇りと歓喜にあふれた誓いの大拍手が、雷鳴のように轟き、いつまでも鳴りやまなかった。
このあと、総務の森川一正が、伸一が壮年部の結成を記念して書き上げたばかりの、『大白蓮華』四月号の巻頭言「妙法の名将」を朗読した。
そのなかで伸一は、″妙法の名将″の資格を論じていた。
第一に御本尊への絶対の確信。
第二に難事をも成し遂げゆく力。
第三に社会のすべてに通暁した世雄。
第四に後輩を育成していく熱意。
第五に人間性豊かな包容力ある指導者。
第六に旺盛な責任感と計画性――である。
この巻頭言によって、壮年部のめざすべき指標も、すべて明らかになった。
伸一の会長就任から六年。ここに、新しい時代への本格的な布陣は、すべて整ったのだ。
伸一は、参加者に一礼すると、出口に向かって歩き始めたが、足を止めた。そして、拳(こぶし)を掲げて言った。
「皆さん! 一緒に戦いましょう! 新しい歴史をつくりましょう! 同じ一生ならば、花の法戦に生きようではないですか!」
「ウォー」という歓声をあげながら、皆も拳を突き出した。
その目は感涙で潤んでいた。闘魂は火柱となって燃え上がったのだ。
誇り高き桂冠の王者が、妙法の名将が、今、出陣を開始したのだ。
小説「新・人間革命」 第10巻 桂冠
2014年7月23日
壮年は健康第一
伸一は、場内を見渡した。青年時代に共に戦った多くの人たちの顔があった。皆、幾筋もの皺が刻まれ、白髪も目立っていた。
彼は、健康の問題についても、触れておこうと思った。
「特に壮年部の皆さんに申し上げたいことがあります。それは、くれぐれも体を大切にしていただきたいということなんです。
壮年になり、しかも、五十代、六十代となった場合には、心はいくら青年でも、体はそうはいきません。したがって、『健康第一』を心がけてください。そして、”広宣流布のために、体を頑健にしてください。また、必ずそうしていきます”と、御本尊に強盛な祈りを捧げていくことです。
地涌の菩薩である大勢の会員を守り、仏法の偉大さを証明するためにも、皆さんには、健康であり続けていただきたい。
自分の体は、よく自分で調整し、人生を楽しみながら、生き抜いてほしいんです。
”少し疲れたな”と感じることがあるでしょう。ちょっと早く休めば回復をするのに、”私は信心強盛だから大丈夫だ!”と言わんばかりに無理をしてしまう。それは、心のどこかに見栄があるんです。無理をした結果、ますます疲れがたまり、結局、半年、一年と寝込んでしまうということもあります。
たとえば、血圧が高いとします。その場合には、『信心で治す。医者には行かん』なんて言っていないで、速やかに医師の診察を受け、指示に従い、健康管理に努めるべきです。
もちろん、祈りは大事です。祈りを根本にすれば、医師は偉大なる諸天善神の働きをするからです。でも、疲れ切った時には、題目三唱で終わらせることがあってもいいんです。
早期に休養を取れば、早く体力は回復します。そうなれば家族も苦しまなくてすむし、同志も安心します。最も価値的に、知恵を働かせていくのが、仏法者なんです」
小説 新・人間革命 27巻 求道22
2012年12月22日
いつ立ち上がるのか!
「一生は早い。しかも、元気に動き回れる時代は、限られています。壮年になれば、人生は、あっという間に過ぎていきます。その壮年が、今、立たずして、いつ立ち上がるんですか!今、戦わずしていつ戦うんですか!いったい、何十年後に立ち上がるんですか。そのころには、どうなっているか、わからないではありませんか。今が黄金の時なんです。限りある命の時間ではないですか。悔いを残すようなことをさせたくないから、私は言うんです!」
2012年6月28日
本門の時代
"本門の時代〟に形式は不要です。これからは"勝ったか負けたか〟です。どんな証拠をつくったかということだけを私は問題にする。男が弁解などするものではない。
大白蓮華 №751 2012.7月号 13頁