2022年2月26日
第1919回
牧口先生の宗教改革の
最大の障害
<大謗法の日蓮正宗宗門そのものだった!>
日蓮正宗の歴史をつぶさに見るならば、日寛上人らの清浄な一部の僧侶を除いて、大聖人の信心の血脈は分断に分断を重ね、その御精神は失われて久しいといってよい。
一方、学会は、牧口常三郎も、戸田城聖も、獄中にあって正法正義を貫き、牧口は殉教した。大聖人の御精神という、まことの仏法の法灯は、学会によって守られ、信心の血脈は、学会に受け継がれたのである。学会が仏法の断絶を救ったのだ。
牧口が広宣流布の旗を掲げて、折伏に立ち上がった時、広宣流布をする決意など微塵もない宗門の僧侶たちは、それを激しく非難したのである。当時は、学会員が、不幸に悩む人びとを折伏し、寺に連れて行っても、ほとんどの寺が、〝御授戒〟を断っていたのだ。宗門は、大聖人の民衆救済の大慈大悲を嘲笑うかのように、苦悩をかかえた民衆には、冷淡このうえなかったのである。当初、学会員に〝御授戒〟をする寺は、わずか二カ寺にすぎなかった。僧侶たちが大切に遇していたのは、身分が高い、富裕な檀徒であった。
大聖人は「貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり」(御書一三〇四㌻)と仰せであるにもかかわらず、彼らの多くは、民衆に慈悲の眼を注ぎ、布教の手を差し伸べることはなかった。病苦や経済苦をかかえた民衆は、実入りが少ないだけの、面倒くさい存在と感じていたのであろう。また、折伏によって競い起こる、法難を恐れていたのである。
そんな僧侶たちに、牧口常三郎はどれほど心を痛めてきたか。牧口の宗教改革の最大の障害は、実に宗門にほかならなかった。
彼は、次のように述べている。
「日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当すると思はれる」
大聖人御在世当時の天台宗は、腐敗、堕落の様相を呈していた。
日本天台宗の開祖である伝教大師は、法華経を根本とし、比叡山に大乗戒壇の建立に努めた。にもかかわらず、その法を正しく継承すべき弟子たちが、真言などの誤った教えを取り入れ、伝教の本来の教えも、精神も失われていたのである。
牧口の指摘は続く。
「さらば従来の日蓮正宗の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問はねばなるまい。そして魔が起らないで、人を指導してゐるのは『悪道に人をつかはす獄卒』ではないか」
ここでは「日蓮正宗の信者」との表現が使われているが、単に信徒を意味するのではなく、むしろ「人を指導してゐる」僧侶をさしている。
御聖訓に照らして、三障四魔が競い起こらぬということは、広宣流布の戦いを放棄しているからである。牧口は、そうした臆病な僧侶の、「保身」がもたらす罪悪性を、鋭く突いたのである。
<新・人間革命> 第8巻 宝剣 158頁~191頁
2019年4月6日
第1597回
悪を断じて放置するな!
<悪は、放っておけば、
いつしかはびこり、
多くの人を不幸にする。
それで苦しむのは、未来の世代である。>
日蓮大聖人は四条金吾に、こう仰せである。
「釈尊が言われるには、『わが滅後、末法に入って、尊げな姿をして五法という戒律を行ずる提婆達多のような者が国土に充満して、悪王を味方にして、正法を弘めるただ一人の智者を、あるいはののしり、あるいは打ち、あるいは流罪にし、あるいは死にいたらせようとする。この時、昔にも増してより以上の、天変、地夭、大風、飢饉、疫病が年々に起こり、他国からその国を攻めるであろう』と説かれている」「この経文の示すところは、今の世と少しも違わない。そして日蓮は『ただ一人の智者』の一分に当たっている」(御書1149ページ、通解)
有名な御文である。謀略者と権力者という悪の結託――大聖人に対する迫害の構図が、明快に説き明かされている。
そして、この大聖人に直結して、御聖訓どおりの難を一身に受けきりながら、同志を守り、学会を守りぬいて、広宣流布の道を開いてきたのが、学会の初代会長、第二代会長であり、第三代の私である。そのことを、後世のために、あえて明確に語り残しておきたい。
大聖人は続けて、こう仰せである。
「この日蓮を助けようと志す人々は少々いるけれども、あるいは志が薄い。あるいは志が厚くても、身がそれに伴わない。さまざまな人がおられるなかに、あなた(四条金吾)は、その一分に当たっている。日蓮を助けようという志が人よりすぐれておられるうえ、日蓮がわずかの身命をここまで支えることができたのも、あなたのおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地もご存じであろう」(御書1149ページ、通解)
この御文を拝し、私は、日夜、身命を惜しまず広布に邁進されている皆さまを、大聖人が讃えておられることは間違いないと信ずる。皆さまの活躍は、天も知り、地も知っている。この確信と誇りを忘れないでいただきたい。
大聖人が仰せの「志」とは、「勇気」とも言えよう。
いざというときに、どのような「勇気」で、どのような「心」で、どのように師弟の「共戦」の歴史を刻むか。これが、人生の究極の勝敗を決していく。ここに、大聖人の仏法の根幹がある。
そして、関西創価学会は、永遠に、その模範のなかの模範であっていただきたい!
関西は、創価学会の心臓部である。関西は、私が鍛え、築いた組織であるからだ。
大聖人は、こうも仰せである。
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の悟りを得た人であっても、法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである。
たとえば、朝廷に仕える人が、十年、二十年と奉公しても、主君の敵を知りながら、主君に報告もせず、個人としても敵として怒ることがなければ、長年の奉公の功績も、みな消えてしまい、かえって罪に問われるようなものである」(御書1494ページ、通解)
まことに峻厳な御言葉である。広布を阻む敵を見ながら、それと戦えない。戦わない――こういう人間は、いくら仏法を知っていても、成仏はできない。どんな高い立場があっても、砂上の楼閣である。
私は、この御聖訓を胸に刻み、ただ一人、迫害の矢面に立って、正義を叫びぬいてきた。悪と戦ってきた。
悪は、放っておけば、いつしかはびこり、多くの人を不幸にする。それで苦しむのは、未来の世代である。
どうか皆さんは、悪を放置せず、勇気をもって、徹して戦っていただきたい。
2002年5月31日第十七回本部幹部会、第七回常勝関西青年部総会
2018年12月10日
第1568回
信仰こそ「人生究極の力」
<悪と戦えば自分が善に>
フランスの文豪ロマン・ロランは、ちようど一八六六年のきょう、一月二十九日の生まれである。今年で生誕百三十五周年。牧口先生より五歳年上である。
文豪の言葉を記念に贈りたい。
「われわれにとっていちばん必要だったのは、安らぎではなくて、襲ってくる運命に立ち向かうための、精神的な力であった。そしてその力の第一のもの、力すべての源は、信念であった」(蛯原徳夫『ロマン・ロラン研究』第三文明社)
精神の力の根源は、信仰である。信仰こそ、人生の究極の力である。ロランはつづつている。
「ああ、強いことはなんといいことだろう! 強くて苦しむことは、なんといいことだろう!」(『ジャン・クリストフ』豊島与志雄訳、岩波文庫)
信仰とは「精神の強さ」である。人間としての「生きる力」の泉である。弱い信仰は、本当の信仰ではないのである。
強き人には、″苦悩の烈風″さえも″歓喜の春風″に感じられる。
弱き人は、すべてが地獄の苦しみとなる。それでは敗北者の姿である。
「友のために」「広宣流布のために」――悪と戦い、一切の苦悩をも楽しみながら、悠然と前進してまいりたい。
ロランは叫ぶ。
「闘いよ来れ、それによってぼくはよりよく生きるだろう」(「どこから見ても美しい顔」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』36所収、みすず書房)
これが学会精神である。
また「悪をつよく憎まないものは、善をつよく愛さないものである」(「民衆劇論」宮本正清訳、同全集9所収)と。
牧口先生の精神と同じである。仏法にも通じる。一流の思想家の言葉は仏法の真髄を含んでいるものだ。
断じて悪と戦うことである。悪と戦えば、自分が善になる。反対に、悪を許せば、自分が悪になってしまう。また、悪と戦わなければ大功徳は出ない。
大聖人は「功徳」について「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(御書762頁)と仰せである。
自分自身の濁った生命も滅し、清らかな心が生じる。これが「功徳」である。悪を責めることによって、この功徳が得られるのである。
戦いましょう! 善の勝利のために!(拍手)
2001年1月29日 第二回本部幹部会、第一回四国総会
2017年2月11日
昭和54年四月二十二日
法華講総講頭の辞任を申し出る
<日達と対面>
四月二十二日、山本伸一は総本山に足を運んだ。日達法主と面会するためである。
うららかな午後であった。澄んだ空に、富士が堂々とそびえていた。雪を被った頂の近くに雲が浮かんでいる。山頂は、風雪なのかもしれない。しかし、微動だにせぬ富士の雄姿に、伸一は心が鼓舞される思いがした。
彼にとって法華講総講頭の辞任も、学会の会長の辞任も、もはや未来のための積極的な選択となっていた。
もちろん辞任は、宗門の若手僧らの理不尽な学会攻撃に終止符を打ち、大切な学会員を守るためであった。しかし、「七つの鐘」が鳴り終わる今こそ、学会として新しい飛翔を開始する朝の到来であると、彼は感じていた。また、これまで十分な時間が取れず、やり残してきたこともたくさんあった。世界の平和のための宗教間対話もその一つであったし、功労者宅の家庭訪問など、同志の激励にも奔走したかった。
伸一は日達と対面すると、既に意向を伝えていた法華講総講頭の辞任を、正式に申し出た。そして、二十六日には辞表を提出する所存であることを告げた。日達からは、「総講頭の辞表を提出される折には、名誉総講頭の辞令を差し上げたい」との話があった。
さらに伸一は、十九年の長きにわたって創価学会の会長を務めてきたが、学会がめざしてきた「七つの鐘」の終了にあたり、会長も辞任するつもりであることを述べた。
彼は、新しい体制になっても、平和、文化、教育の運動に力を入れながら、皆を見守っていくこともできると考えていた。
学会は、民衆の幸福のため、世界の平和のために出現した広宣流布の団体である。ゆえに、その広布の歩みに停滞を招くことは、断じて許されない。彼は、自分は自分の立場で新しい戦いを起こす決意を固めるとともに、創価の新しき前進を祈りに祈り抜いていた。
“必死の一人がいてこそ道は開かれる。わが門下よ、師子と立て! いよいよ、まことの時が来たのだ”と、心で叫びながら――。
小説「新・人間革命」 大山 三十四
2014年5月16日
狂信者
(2/2)
(つづき)
狂信者は、自分の立場を保持するために、ひたすら虚勢を張り続けなければならない。どんな正論も彼を退く気にはさせられない。たとえ、一千六百万人の声であっても。(爆笑、拍手)
虚勢ゆえに、決して心が落ち着くことはない。つねに焦っており、つねに気持ちが、目まぐるしく動いている。そして、自分の“気まま”に従わない者に対しては、脅威を感じ、力をもって抑圧し、自由を奪う。
そのためには、手段を選ばない。なんだかんだと因縁をつけ無実の罪を着せる。人を「切る」。いじめる。弾圧する。私も、そうした、いわれなき迫害の犠牲になってきた。しかし、人を抑えつけたつもりで、奪われているのはほかでもない、自分自身の自由であり、尊厳なのである。
二十一世紀を見すえつつ、ヴィーゼル博士は、こう宣言する。
「狂信的行為という、はびこりゆくガンと戦うことが、われわれの責任である」
「なぜならば、狂信的行為は、人間を否定し、下劣で、感染しやすい憎悪へと引き落としていくからである。憎悪は良いもの、価値あるもの、創造的なものを、何も生むことはない。憎悪は憎悪を生む」と。
まったく、そのとおりである。病根は根絶せねばならない。
では、どうしたら狂信的行為に打ち勝てるのか。いかに戦いゆくか――。
博士は言う。それは、「すべての人間の自由を讃え、大切に育み、守りゆくことだ」と。
「讃え」「育み」「守りゆく」――人間性が脈打つ行為である。
反対に悪は、「蔑視」「嫉妬」「破壊」を促進する。ゆえに、悪に勝利するには、この「人間性の連帯」を築く以外にない。「善のスクラム」を広げる以外にない。
「狂信」という悪を見逃してはならない。見逃してしまえば、ガン細胞のように、いよいよ増殖し、正義を蝕んでいく。戦わなければ、「人間の世界」が失われてしまう。
1992.5.5創価同窓の集い
2014年5月15日
狂信者
(1/2)
(エリー・ヴィーゼル)博士は述べられている。
「狂信的とは、宗教においてはドグマティズム(教条主義、独断的主張)であり、政治においては全体主義である。狂信者は、真実を歪め、侵す。彼は物事や人々を、あるがままに見ることができず、憎悪によって、偶像やイメージをたいへん醜く作りだし、それらに憤慨する」と。
狂信者とは、自分につごうのいいように事実をねじ曲げ、正しいものを正しいと見ることができない。意にそわないものは悪と決めつけ、憎しみによって相手の悪いイメージをふくらませ、勝手に怒りだすというのである。
じつに、“本質”をついている。
「狂信者は、本当の議論から身を隠そうとする。なぜなら、対話の概念が、彼には相いれない異質のものだからである。狂信者は、多元論や多様性を恐れる。また学問をひどく嫌う。彼はモノローグ(独白)によってのみ、いかに話すかを知っている。狂信者にとって、対話は無用なものなのである」
対話拒否――これが狂信者の証であると。
人間らしい話しあいを拒み、自分勝手な理屈や権威で相手を従わせようとする。独りよがりで、一方通行の話しかできない。人の意見は耳に入らない。また、学問を愛する「学びの心」「開かれた心」がない。豊かな多様性をもつ「世界」や「文化」に対して、自分を閉ざしてしまっている。
他を理解しようという気持ちが少しもない。「民主」でも「人間性」でもない。要するに、「無知」と「臆病」。これが狂信者の正体といってよい。
また博士は、「狂信者は、決して安心することはなく、退くこともない。多く征服すればするほど、ますます新たな征服するものを、さがす。彼が自由を感じるためには、他のだれかを、肉体的に、少なくとも精神的に投獄しなければならないのである。しかしながら、狂信者は、(他人を獄につなぐことによって)、囚人としてではなく、(囚人を見張る)番人として自分自身が牢につながれていることがわからないのである」と。(つづく)
1992.5.5創価同窓の集い
2014年4月13日
独裁者
自分ができないことを人に強制する。
それが独裁者です。
御書の世界(上)第七章 師子王の心
2014年1月25日
「善いことをしない」のは
「悪いことをする」のと同じ
『瞋恚は善悪に通ずるものなり』(御書584頁)と大聖人は言われている。悪への正義の怒りは「善」、エゴの怒りは「悪」。怒りそのものが善いとか悪いとかは言えません。善悪は「関係性」です。だからこそ、積極的に「善の関係」を創っていくことです。
牧口先生は、獄中にあっても対話を続けられた。「悪いことをするのと、善いことをしないのは同じか違うか」。こういう質問を、他の獄房の人にも聞こえるように言って考えさせたというのです。普通なら、「悪いことをする」よりは「善いことをしない」ほうが、まだましと考えるでしょう。悪いこともしないが、かといって善いこともしない――それが、多くの現代人の生き方にもなっている。しかし、牧口先生は「善いことをしない」のは「悪いことをする」のと同じだと言うのです。
たとえば、だれかが電車のレールの上に石を置いたとする。これは悪です。一方、それを見ながら注意せず、石を放置した人がいるとする。この人は、自分ではたしかに悪いことはしていないかもしれない。しかし、善いこともしなかった。そのため、結果として、もしも電車が転覆したならば、悪いことをしたのと同じだというのです。悪を放置し、悪と戦わなければ、それ自体が悪なのです。
ここから牧口先生は「積極的に善をなす」人生を教え、自らも実行された。しかも、小善を積み重ねてもだめだ、と。「『塵も積もれば山となる』というが、実際に塵が積もってできた山はない。できるのは、せいぜい塚ぐらいのものである」――牧口先生の表現はおもしろいねえ。また的確です。
〝山は地殻変動によってできるのだ。人間と社会の根底から変革していかなければ、間に合わない。それが大善であり、法華経を弘めることである〟と結論されたのです。
法華経の智慧(中)提婆達多品(第十二章)
2014年1月5日
「善を行う者」には
一切が味方に
戦う大文豪であったヴィクトル・ユゴー。彼は叫んだ。
「善を行う者には一切のものが助けになる」「季候も我れ等に与(く)みし、北風も我れ等に与みし、降雨も我れ等に与みするであろう」と
善を行う者には、一切のものが味方になる。私どもも、自分の周りの、ありとあらゆる存在が諸天善神となるのである。
不正、邪悪に対しては、断固として反撃せよ! これがユゴーの叫びである。戸田先生の叫びである。牧口先生の遺言である。正義に生きぬく人間の信念であり、仏法者の信念なのである。
正義の人間を弾圧し、滅ぼそうとする邪悪な勢力とは、断じて戦い抜く。これが学会精神である。
悪を見ながら何もしないのは、いくじのない、ずるい人間である。
2013年10月10日
自分が強くなるために、
敵がいるのだ!
ギリシャの哲学者プラトンは、つづっている。
「権力者たちの多くは悪い人間となるのだ」
「不正が人目を逃れた者は、さらにいっそう悪い人間となる」
悪は放置すれば、ますます増長する。悪を糾し、正義を打ち立てるのは、相手のためでもある。大事なのは、悪の〝根を絶つ〟ことだ。破邪顕正の言論で、一凶を禁じなければならない。
根本は祈りである。あらゆる邪悪を、唱題の利剣で打ち破っていくのである。
戸田先生の邪悪に対する怒りは、すさまじかった。巌窟王の如き不屈の信念は、右に出る人はいなかった。ここに創価の魂がある。
青年ならば、民衆を苦しめる邪悪と断固、戦うことだ。戦って強くなることだ。自分が強くなるために、敵がいるのだ。悪に負けるような青年は、青年ではない。断じて勝たねばならない。
2003.9.5海外代表協議会
2013年10月1日
〝善人〟も金によって〝悪人〟に変わる
金によって道を迷う――それが、つねに変わらぬ人間の弱さ、醜さである。
人間の世界である以上、信心の世界も例外ではない。お金がないときは、祈りにも力がこもる。仏道修行も真剣である。ところが、福運を積み、経済力ができると、何となく力が抜け、惰性になっていく場合がある。ここにも、うなずいている方がおられる。
金銭感覚もだらしなくなり、生活も乱れて、結局、信心から遠ざかる人もいる。「私は、お金がなくて本当によかった」と、安心した方もおられるかもしれない。
ともあれ、お金は〝使う〟ものであって、〝使われる〟ようになってはおしまいである。しっかりした目的観をもっているかどうかで、善にも悪にもなる。
イギリスの思想家ベーコンは語る。
「金は、よい召し使いだ。しかし場合によっては、悪い主人になる」と
金に支配され、金に使われ、金を基準に判断する。それは、もはや金の奴隷である。悪である。
そして、〝金の奴隷〟になった人を見抜けず、その人の言うとおりに動く人――そうした愚かな人は、〝金の奴隷〟の、そのまた奴隷である。
だました人間が、悪道にいくのは当然だが、だまされた人間も、道を踏みはずしたという点では、結局、同じとなり、同様に悪道にいくことになってしまう。これ以上、みじめな人生があるだろうか――。
むしろ、〝金の奴隷〟となった人間の悪と策謀を鋭く見ぬき、戦わねばならない。その「英知」と「勇気」の源泉が信仰なのである。
1991.2.5第6回壮年部幹部会他
2013年9月17日
君よ、邪悪と戦う言論を!
「自分が正とみなすことと、邪とみなすこととの中間で、中立の立場をとろうとするのは、結局、邪とみなすことの側に与(くみ)することにほかなりません。なぜなら、すでにそれは、自分が正とみなすことを支持するという、道義上の義務に違背してしまっているからです」(トインビー博士)
まことに、そのとおりである。博士のご一家も、人権蹂躙のマスコミに苦しめれたことがあった。ともあれ、邪悪とは断固、戦いぬくことだ。邪悪を倒しゆく炎の言論が渇仰されている。(中略)
「私についてずうずうしい嘘とまったくの作り話がすでにどっさり出版されています」(アインシュタイン博士)
偉大な正義の人間は、偉大ゆえ、正義であるゆえに、嫉妬され、憎悪され、事実無根の嘘によって中傷非難される。
博士は平和のために師子吼した。――大宇宙の中で、われらの声は小さい。しかし、その声が集まれば、地球上の平和を築いていける。そう呼びかけたのである。
2003.8.11東北会・北陸合同研修会
2013年9月13日
民衆が賢明になる以外にない!
暴君を追い出しても、追い出した者のなかから、新たな、より巧妙な暴君が出現する。(中略)
特権意識を振り回す「権威的人間」を超えて、どう「民主的な人間」を生みだすのか。ここに問題がある。ここに「人間自身」を革命しゆく仏法、信心の重大な意義がある。
そのうえで、もっとも民主的な日蓮大聖人の仏法の世界にあっても、「権威的人間」に支配される可能性はつねにある。そうなれば「広宣流布」の理想は実現できない。
民衆が賢明になる以外にない。そして悪と戦わねばならない。
民衆の率直な疑問や希望を権威で抑えつけ、納得も信頼も与えようとしない人々。そうした存在と戦いぬかれたのが、大聖人の御生涯であられた。門下の私どもが同様に、正義を訴えるのは当然である。横暴な権威・権力と一生涯、戦ってこそ、真の「民主的人間」となる。
1991.2.14海外派遣メンバー協議会
2013年9月12日
「善」は「悪と戦う」事実にしかない
自分は自分である。自分の道を、自分らしく歩みぬいていけばよい。大事なのは、わが信念の道をはばむ「悪」と戦う勇気である。「悪」はそのままにしておけば「悪」を増長する。それではこちらまで結局、「悪」に通じてしまう。「善」は「悪と戦う」事実の姿のなかにしかない。
そして正義を主張するのに、だれ人にも遠慮する必要はない。黙っている義務もない。私どもは、広布のため、幸福のために、戦う権利がある。
1991.3.9第一回中国総会
2013年9月2日
勝利の要諦は戦い続ける心にある
仏法は常に仏と魔との闘争です。ゆえに断じて悪を責め抜く心を忘れてはなりません。極悪を責め抜いてこそ極善に至ります。むしろ、いかなる障魔や苦難に直面しようとも、断じて戦い続ける人こそ、最後には必ず仏となるのです。(中略)
どんな時も、前へ、前へ! これが仏法の魂です。広宣流布は万年に続く、長い旅路です。その勝利を開く要諦は「戦い続ける心」にあります。
大白蓮華No.766号2013.9月号43頁
2013年3月29日
裸の自分自身に生きよ
多くの人々は、まずその人の「立場」を見る。その役職や制服、バッジ等に向かって頭を下げる。また、何の立場もない人に対しては、外見のみで軽く見がちである。
そうした世間の評価は、「人間」そのものへの正しい評価とは違う。「立場」と、裸の「人間自身」の偉さとは、必ずしも一致しない。別問題である。
にもかかわらず、何か立場を得ると、それだけで自分が偉くなったような錯覚をもつ。人々が大事にしてくれるのを、自分の力のように思い慢心する。それでは、あまりに情けない。しかも、そうした人間が多すぎるのが現実である。
反対に、自分は地位等ないからといって、卑屈になったり、世間の変転する"目〟に一喜一憂するのも愚かである。
いずれにせよ、自己の「立場」と「自分自身」を混同する人間。その人には、もはや真の成長はない。のみならず、「人間」に焦点を定めきれない弱さは、他人の評価をも誤る。
やがて〝無冠にして偉大な人物〟をも、軽蔑するにいたる。無名の庶民を下に見る。そうなれば、その人自身が〝無軌道の人生〟に堕している。
大聖人は一国の権力者に対しても「わづかの小島のぬしら」(御書911頁)、「但嶋の長」(御書1268頁)と仰せられた。
私どもも、いかなる〝権威の服〟にも、頭を下げる必要はない。「人間」が基準である。「信心」が基準である。立場に驕る人々を、いたずらに増長させては、たがいに不幸となる。どこまでも私どもは、大聖人の門下らしく、堂々と「心の王者」、信心の「無冠の王者」の誇りで進んでまいりたい。
1989.7.27創立60周年開幕記念支部長会 全集(72)612頁
2013年2月21日~24日
撰時抄の結論
時にかなった修行を教えられた『撰時抄』。その結論は何であったか。
それは、「僭聖増上慢」との戦いであった。高僧のふりをした仏敵との大闘争である。大聖人は仰せである。「正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし」(御書292頁)と末法唯一の戒である「御本尊授持」という戒を形のうえで持った僧…すなわち、形式的にせよ御本尊を持った僧のことであり、その僧に「大謗法の人」がいると。まったく現在の日顕宗の姿に合致している。この「大謗法の僧」と戦う…それが「撰時抄」の結論であられた。
1992.11.2 第4回第二東京総会 全集(81) 331頁
2013年1月24日
永久に許すな、
徹底して破折せよ!
1992.10.10第10回壮年部幹部会 全集(81)251頁
2013年1月23日
学会は御書どおり!
現証にはすぎず!
牧口先生はじめ学会は、権力に対しても堂々と、御書に仰せの「仏法の因果の理法」を説いた。迫害を恐れる宗門は、その学会を批判し、切り捨てた。やがて、学会は弾圧を受けるが、いわば宗門は、保身のために、学会を権力に売ったようなものである。
牧口先生は大聖人の御聖訓に照らして、「御書どおりにやっている学会を批判する僧侶は大謗法である。」と、堂々と弾劾されているのである。正法を守るための、堕落した宗門との戦いは、この当時から始まっていた。
さらに牧口先生は、僧侶は口ばかりで「現証によって証明して下さらないのを遺憾とする」と。大聖人が「現証にはすぎず」(御書1468頁)と仰せられた現証を軽視し、観念論にふけっていた僧侶たちを厳しく追及されている。
1992.10.10第10回壮年部幹部会
2013年1月21日
学会は行者
かつて初代会長の牧口先生は言われた。同じ大聖人の仏法を持っていても、“学会は行者であり、法華講は信者である”と…牧口先生は、同じ正宗の門下にも「信者」と「行者」と「学者」の区別があるとされた。(中略)
「魔が起こらないで、人を指導しているのは『悪道に人をつかはす獄卒』ではないか。然らば魔が起るか起こらないかで信者と行者の区別がわかるではないか」
僧侶も含めて、自分が本当の「行者」でもないのに、人を指導しているのは、大聖人当時の天台宗のごとく、人を悪道に追いやる「獄卒」…地獄の番人である、と。
1992.10.10第10回壮年部幹部会 全集(81)248頁
2013年1月19日
師敵対の宗門
「日蓮は一閻浮提第一の聖人」(御書974頁)などの御金言を、戦時中、宗門は、軍部の弾圧を恐れて削除した。恐るべき師敵対であり、大謗法である。(さらに、昭和16年8月の宗務院院達では、『御書全集』そのものを発刊禁止としている)
この時、師敵対の宗門と正反対に、牧口先生、戸田先生は、真実の「大聖人の弟子」として、殉難の正義の道を進みぬかれた。この歴史の事実こそ、大聖人の「信心の血脈」が学会に流れ通っていることの確かな証左であると確信する。
(中略) 反対に、宗門は、仏法史上かつてない御供養の誠を尽くした学会を、取るだけ取ったら、冷酷に切り捨てた。しかも、初めからその計画であった。
(中略)この偉大な仏法を、ゆがんだ「儀式仏教」「権威仏教」の枠に押しこめ、その命脈を断とうとしているのが日顕宗である。
1992.10.10第10回壮年部幹部会 全集(81)243頁
2012年10月26日~28日
極悪に勝つ信心
戸田先生は御本尊のない、〝地獄〟のごとき牢獄で二年間を過ごされた。そして、あの偉大なる境涯を開かれた。そのころ、本山はどうであったか。一番、大御本尊の側にいながら、大謗法によって厳しい罰を受けたのである。いっさいは、信心の厚薄による。信心のある人が必ず勝つのである。(平成3年11月30日)
希望の明日へ 168頁