2022年8月17日
第2076回
世界の光友と共に歴史拓け
<世界が要請する「心の革命」の先駆者に>
今日も、私は一緒に参加している思いで、エールを送ります。
猛暑や大雨なども打ち続く中、毅然と向学の努力を貫く皆さんに最大の敬意を表したいのであります。
わが学光家族一人一人の「学びの大情熱」が、どれほど尊いか。それは、命から命へ燃え広がり、時代の闇を照らす希望の光源であり、まさしく「新たな歴史を拓く」熱源であります。
今年の誇り高き卒業生に、創大通教に学ばれていた愛娘を東日本大震災で亡くされ、その大情熱を受け継いで学び抜かれたお母さまがおられたことも思い起こされます。
今世紀の初め、
私は、「インド近代農業の父」と謳われるスワミナサン博士と対談集を発刊しました。
人類が「健康で幸福な人生」を生きるために、
食糧危機を打開する永続的な「緑の革命」とともに、
「心の革命」が絶対に必要であると対話を進めたのです。
どうか、わが信頼する皆さんは、
世界が要請する「心の革命」の先駆者として、
学びと創意工夫の挑戦を重ね、
それぞれの使命の舞台で、
いかなる困難も次の飛躍へと転ずる
価値創造を断固と成し遂げていただきたいのであります。
スワミナサン博士は、
一日の終わりに
「今日の自分は昨日の自分より善くなれた」と言える変革を、
と呼び掛けていました。
月々日々に粘り強く朗らかに、
いよいよ学の光を増し、
世界に広がる「光友」と共に、
新たな歴史を拓こうではありませんか!
いつも、皆さんを応援し、
支えておられるご家族・友人の方々にも、
創立者の私から呉々もよろしくと、お伝えください。
お元気で!
2022年8月16日創大通教「学光祭」への池田先生のメッセージ
2022年6月14日15日
第2026回
教育の真価
<社会貢献の人材をどれだけ出したか>
教育の使命――。
それは人間をつくることである。
人に尽くす人間を育てることである。
古代ギリシャの哲学者プラトン亡き後のことである。一人の知識人、エピクロス派のコロテスが、ソクラテス、プラトンの師弟をはじめ、名だたる大哲学者たちを批判する文章を著した。
(この批判書の題名は『他の哲学者たちの教説に従っては、生きることは不可能であること』。ここでいう「他の哲学者たち」とは、古代ギリシャのデモクリトス、パルメニデス、そしてソクラテス、プラトンなどである。こうした哲学者たちを貶おとしめるものであったと思われる)
後に、この批判書の存在を知った一人に、『英雄伝』で有名な作家プルタークがいる。プルタークは、プラトンに代わって、コロテスの主張に対する痛烈な反論(『コロテス論駁ろんぱく』)を公表し、青年たちにも教えていった。
プルタークの反論の急所は、いったい何であったか。それは、プラトンの学園(アカデメイア)で学んだ弟子たちが、世界に貢献していった具体的な事実をあげたのである。
プルタークは語る。
「プラトンは、法律や国制についての優れた論を文字に残す一方、それ以上に優れた論を弟子たちの心の中に植え付け」たのであると。(「コロテス論駁」戸塚七郎訳、『モラリア』14所収、京都大学出版会。以下、同書を参照)
プラトンの残した著作の数々――それは、「人類の至宝」ともいうべき知性の輝きを放っている。
だが、プラトンは、その著作に注ぎ込んだ以上のものを、わが弟子の心の中に植え付けたというのである。
その弟子たちが、いかなる活躍をしたのか。
ある出身者は、祖国アテネを代表するような平和の指導者となったではないか。
ある出身者たちは、圧政に苦しむ人々を救ったではないか。
ある出身者たちは、他国に派遣されて、秩序ある国作りに貢献したではないか。
ある出身者たちは、依頼を受けて、法律を作り上げたではないか。
いずれも皆、プラトンの弟子ではないか!――というのである。
つまり、プラトンの弟子たちが、ギリシャ世界で、衰亡していた都市国家を蘇らせ、新しい都市国家の建設に大きく貢献していったことは、明々白々ではないかと強調していったのである。
そして逆に、中傷した知識人に対しては、君が信奉する思想を学ぶ者から、いったい、だれが、民衆のために働いたのか。だれが、社会に貢献していったのか――と反論していった。
社会に貢献しゆく人材を、どれだけ出したか。
ここに、教育の真価に対する歴史の審判の一つがあることを、この話からも知ることができる。
さまざまな面で行き詰まりが指摘される現代である。
それを打破する力はどこにあるのか。
遠回りのように見えるかもしれないが、
私は、教育こそ、未来を開く根本の方途であると確信してやまない。
要は、人間が変わることだ。
人材をつくることだ。
そこから、
社会は変わる。
世界は変わる。
社会に世界に寄与しうる実力と人格を備えた
指導者を育成していく以外に、未来は開けないのである。
そこに創価教育の大使命があることを忘れないでいただきたい。
2005.6.6 牧口先生生誕記念協議会
2022年4月1日
第1953回
国家主義の教育の狂いを正せ!
<正しき生命尊厳の哲学を根幹にした教育を>
これまでの人類史の悲劇の流転は、
教育の狂いによってもたらされたと言っても、
決して過言ではない。
これは、多くの学者も洞察するところである。
狂った教育とは、
一言で言えば、
権力の魔性によって
青年が利用され、
犠牲にされる、
軍国主義や国家主義の教育である。
そうではなく、
青年を心から愛し、
平和のため、
文化のため、
そして、青年自身の勝利のために、
若き力を最大に引き出していく
確固たる哲学が必要ではないだろうか。
深く正しき哲学を持たない人は、
また、国は、やがて行き詰まり、
最後はわびしく恐怖におののき、
敗北し去っていくものだ。
これが、歴史の厳しき現実である。
個人も、国家も、
最高の哲学を持っことが、
どれほど大事であるか。
私たちは、
正しき生命尊厳の哲学を根幹にし、
断じて、
この二十一世紀を「教育の世紀」
そして「青年の世紀」にしていかねばならないと思うが、
諸君、どうだろう!
(会場から「ハイ!」と力強い返事と拍手が)
2005.1.22ペルー国立教育大学「名誉博士号」授与式
2016年9月17日
教育の根幹
<使命の自覚を促す魂の触発>
大河内敬一が渡印したころ、インドは、干ばつによる食料不足や物価高騰、失業、汚職などから反政府運動が高まり、政情不安の渦中にあった。
物情騒然とし、多くの外国企業が、インドから引き揚げていった。そのなかで、彼の留学生活は始まったのである。
当然のことながら、英語で授業を受け、英語で試験に臨む。努力はしてきたが、語学の壁は高く厚かった。十一月の試験では、成績は、ほとんどの教科が最下位であった。
“これを乗り越えなければ、インドで使命を果たすことはできない。負けてたまるか!”
大学の寮で、深夜まで猛勉強に励んだ。そして、最優秀の成績で修士課程を修了し、さらに、国立ジャワハルラル・ネルー大学の博士課程に進むことができたのである。
彼は、山本伸一の「未来に羽ばたく使命を自覚するとき、才能の芽は、急速に伸びることができる」との指導を嚙み締めた。
伸一は、ニューデリーのホテルにあって、人間的にも大きく成長した大河内を見て、たくましさを感じた。手塩にかけた創価の若師子が、いよいよインドの大地を疾駆し始めたことが嬉しくて仕方なかった。
高等部を、また、鳳雛会を、さらに未来部各部を、未来会等をつくり、広宣流布の人材の大河を開いてきたことが、いかに大きな意味をもつか――それは後世の歴史が証明するにちがいないと、伸一は強く確信していた。
人は皆、各人各様の個性があり、才能をもっている。誰もが人材である。しかし、その個性、能力も開発されることがなければ、埋もれたままで終わってしまう。
一人ひとりが自分の力を、いかんなく発揮していくには、さまざまな教育の場が必要である。その教育の根幹をなすものは、使命の自覚を促すための、魂の触発である。
伸一は、インド広布に生きるという大河内に、記念の句を詠み、贈った。
「永遠に 君の名薫れ 霊鷲山」
小説新・人間革命 源流 13 (2016.9.16 Seikyo)
2015年10月26日27日
自らの生命の輝きをもって、
他者の無限の可能性を薫発せよ!
彼女(ロシアの文豪トルストイの愛娘であるアレクサンドラ)が、偉大な精神を後世に伝えようと、日本滞在中に書いた回想記『トルストイの思い出』を出版したのは、85年前の1930(昭和5)年11月20日でした。
奇しくも、わが創価学会の初代会長・牧口常三郎先生が、直弟子の第2代会長・戸田城聖先生と共に『創価教育学体系』を発刊した日から2日後のことでした。
『トルストイの思い出』には、大教育者でもあったトルストイが、子どもたちに誠心誠意、関わり続けていた姿が生き生きと描かれています。
トルストイは、教育に携わる真情を、こう記しました。「何の為に生きているのか? 幸福である為に」と。
人間は幸福になるために生まれてきた――これがトルストイが導き出した結論です。
牧口先生も、「教育は子どもたちの幸福のためにある」と訴えました。日本が一国をあげて軍国主義教育を推し進める中で、敢然と信念の教育改革を叫び抜いたのです。
創価教育の主眼は、全ての子どもたちが歩めるように、価値創造の無限の力を自ら発揮していけるように促し、励ますことにあります。
では、幸福を勝ち取るための創造力の源泉は、いったい、どこにあるのか。それは、ほかならない人間自身の内なる生命に、満々と湛えております。(中略)
まさしく教育とは、子どもたちの生命の中に「幸福の源泉」を見いだして、そこから
「智慧の水」
「勇気の水」
「慈悲の水」
を尽きることなく汲み上げることによって、自他共の心と人生を潤していく営みといえましょう。(中略)
近代日本美術の父・岡倉天心の忘れ得ぬ言葉には「我々の心に訴えるものは、技量というよりも精神であり、技術というよりも人間である」とありました。
ダイヤはダイヤでしか磨かれないように、人間もまた、人間によってしか磨かれません。
人間教育の真髄とは、日々練磨した確かな技量・技術を基礎としつつ、自らの生命の輝きをもって、子どもたちの無限の可能性を薫発していくことにあると、あらためて確認し合いたいと思うのであります。
「子どもたちにとって最大の教育環境は、教師自身なり」とは、わが教育本部の皆様方が一貫して掲げてこられた指針であります。(中略)
いやまして21世紀を担い立つ若き人材群が躍り出ることを祈り申し上げ・・・。(後略)
2015.10.24付聖教新聞3面「第37回全国人間教育実践報告大会」でのメッセージ
2014年8月22日
教育とは「最高の芸術」である
――本物の独創性というのは、芸術家でなくても大切だと思います。これからの時代はとくに、もう「ものまね日本」ではやっていけないと思います。――
そうなるでしょう。「創造性の競争」です。しかし、創造性というのは言うはやすく、実際には、なまやさしいものではない。血の涙を流しながらの戦いです。
必ず保守的な人々の反対にあうし、理解されない孤独にも耐えなければいけない。勇気もいる。粘り強さもいる。目先の損得に迷わされない信念もいる。(中略)
諸君は、日本と世界を、創造性あふれる文化的社会にしてもらいたい。
二十世紀は、あまりにも人を殺しすぎた。二度の世界大戦をはじめとして――。
人類史でいちばん「文明が進んだ世紀」と言われながら、歴史上、いちばん「野蛮な大量虐殺」をしてきたのが二十世紀なのです。アウシュビッツ、ヒロシマ・ナガサキ、南京(大虐殺)、スターリニズムなどは、その悲劇の象徴です。
それは、「文明社会」の格好はしていても、人間を愛する「文化の心」がなければ、平和はないという教訓です。その心がなければ、「文明の利器」は、たちまち「悪魔の道具」に変わるのです。
牧口先生は“教育とは「人格の価値」を創造する、最高の芸術である”と教えてくださっている。不滅の言葉です。
芸術は、特別な人だけのものではない。人を育てるのも芸術です。自分を育てるのも芸術です。美しい人生、美しい行動、美しい祈り。全生命を燃焼させながら、人間らしく、美しい心と心を結んでいくことは、すばらしい平和の芸術です。
耕された生命と文化が一体となって、二十一世紀の「人間文化」は生まれる。開花しゆく生命と芸術が一体となって「人間芸術」は生まれる。そのすばらしき「創造の世紀」を創っていくのが、諸君の使命なのです。
青春対話(1) 274頁
2013年12月20日
盆栽ではなく、大樹を!
伸一は、演技を見ながら、子どもたちの成長に目を細め、教師に言った。
「立派です。しかし、少し出来すぎのようにも思います。子どもたちが一生懸命に頑張るのはすばらしいことですが、型にはめて高い完成度を求める必要はありません。
のびのびと、自由な雰囲気のなかで育てることです。もっと肩の力を抜き、力みすぎないようにすることも大事なんです。
育むべき根本は、自主的、主体的な意欲です。美しい盆栽を育てるのではなく、大自然のなかで大地に深く根を張り、天に伸びる、堂々たる大樹を育てようではありませんか」
2013年11月23日
大転換期を乗り越えるために
「人類の未来のために、最も大切なものは何か。それは、経済でも政治でもなく、教育であるというのが、私の持論です。
人類の前途は、希望に満ちているとは言いがたい現実があります。長い目で見た時、今日の繁栄の延長線上に、そのまま二十一世紀という未来があると考えるのは間違いです。社会の在り方、さらには、文明の在り方そのものが問われる大転換期を迎えざるを得ないのではないかと、私は見ています。
したがって、深い哲学と広い視野をもち、人類のため、世界の平和のために貢献できる人間を、腰をすえて育て上げていく以外に未来はありません。そのための一貫教育です」
2012年7月19日
創価教育の父の思いを
創価教育の父・牧口常三郎先生は、『創価教育学体系』の発刊にあたり、自身の思いを、「児童や生徒が修羅の巷に喘いで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思うと、心は狂せんばかり」と記している。伸一は、先師の、その慈愛の一念から生まれた創価教育を、人間主義教育を、人類の未来のために、伝え、生かしていくことを、自らの使命とし、最後の事業としていたのだ。そのための、創価幼稚園であり、創価学園であり、創価大学である。「教育の種を植えれば、未来は、平和の沃野へとつながる。私は、種を蒔く。今日も、明日も・・・・・。私は、この道を開く。全精魂を注ぎ尽くして。生命ある限り、生命ある限り・・・・・。私の一切は、若き人びとのためにある」と。
小説 新・人間革命 23巻 未来 103頁