幸福

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2024年7月14日

第2305回

幸福とは、

環境(外界)と自分の生命力との「関係」で決まる。

 

<妙法には何があっても行き詰まらない

宇宙大の生命力を秘めている>

 

 「強い」人は「幸福」です。ただし、「強さ」というのは相対的なものです。環境と、自分の生命力との「関係」です。

 生命力が弱く、しぼんでいると、つまらないことにもイライラし、左右されて、行き詰まり、不幸を感ずる。少し生命力が拡大して、家庭内のことなら解決できるだけの生命力になる。これなら家庭内のことでは行き詰まらない。

 しかし一歩、地域のこと、町内・市内の問題となると行き詰まる。また、かりに一国を悠々と繁栄の方向へ軌道に乗せていける生命力をもつ人がいても、いぎ自分自身の生老病死の問題になると行き詰まってしまう。

 法華経とは、何があっても行き詰まらない宇宙大の生命力を教えた経です。無限にわきくる大生命力を全人類に与えるのが、この仏法なのです。ゆえに、妙法への「信心が強い」人こそが、最高に「強い」人であり、最高に「幸福」な人であると結論できる。

 幸福とは、環境だけで決まるのではない。大邸宅の中で泣いて暮らしている人もいる。しかし、幸福とは、環境と無関係に決まるものでもない。子どもに食べさせるものもなくて「私は幸福だ」と言っても、それはうそです。

 幸福とは、環境(外界)と自分の生命力との「関係」で決まる。悪い環境に支配されたら不幸。悪い環境でも、こちらが支配し左右していけば幸福です。

 

法華経の智慧 法師功徳品(第十九章)


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2024年4月8日

第2298回

本当の幸福は

利他の行動の中に!

<自身の
人間革命の歓びを友に語ろう!>

 

 本当の幸福は、

 人のために行動するなかにある。

 社会のため、世の中のために

 行動するなかにある。

 私たちでいえば、広宣流布である。

 折伏である。

 最高の善行とは、幸福の大法である、

 この仏法を教えることだ。

 宿命を転換し、

 幸福の道を切り開いていけるよう、

 人々を励ましていくことである。

◇◇◇

 苦しんでいる人、

 悩める人のために行動する。

 激励し抜いていく――

 創価の同志には、大変な状況のなかで

 生きている人を目にした時、

 見過ごすことなどできないという、

 熱い思いが脈打っている。

 それは利他の心の発露であり、

 地涌の菩薩の使命に生き抜くなかで

 育まれてきた生き方といってよい。

 個人主義の風潮が強い

 現代社会にあっては、

 人は他者との関わりを避け、

 自分の殻に閉じこもりがちになる。

 その結果、人間の連帯が断たれて、

 孤独化が進んできた。

 そうしたなかで、他者の幸福を願い、

 積極的に関わろうとする

 学会員の生き方こそ、

 人間を結び、蘇生させ、

 社会を潤す力となろう。

◇◇◇

 我らには、最極の信念たる信仰がある。

 強盛な祈りで、立ち上がれ!

 題目は師子吼だ。

 滾々と勇気が湧き、

 満々と生命力が漲る。

 さあ、いよいよ、これからだ!

 人間の中へ、民衆の中へ、

 勇んで飛び込み、大誠実の力で、

 我らは勝利していくのだ。

 新しい一日、新しい挑戦、

 新しい出会いの舞台へ躍り出よう。

 負けじ魂、朗らかに!

 

 ※池田先生の言葉は順に、『普及版 池田大作全集 スピーチ』2005年[3]、小説『新・人間革命』第28巻「大道」の章、『随筆 民衆凱歌の大行進』〈負けじ魂 朗らかに〉から。

2024年4月7日〈四季の輝き――池田先生の心〉


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2023年2月11日

第2188回

どんな悩みにも負けないことが幸福

 

鬼に金棒

 

 「剣なども、前進しない臆病な者には、何の役にも立たない。法華経の剣は、信心の勇敢なる人が用いてこそ役に立つ。それでこそ、鬼に金棒なのである」(全1124・新1633、通解)

 これは、幼い病気の娘・経王御前を抱えた夫妻への励ましの御文である。

 人生は誰人たりとも、

 生老病死の苦悩との戦いである。

 悩みがないことが幸福ではない。

 どんな悩みにも負けないことが幸福なのである。

 

 

 『池田大作全集』第136巻、109ページ


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2022年9月19日

第2106回

本当の幸福は、

人のために行動するなかにある

 

広宣流布こそ、善行の中の善行>

 

 フランスの哲学者ベルクソン。青春時代、私は彼の著作を愛読した。今と違って、テレビなどは、ない時代であった。青年の有志で読書サークルをつくり、さまざまな著作を取り上げては語りあったことを、懐かしく思い出す。

 ベルクソンの本は、繰り返し、読み込んだものである。ベルクソンは述べている。

 「本当の幸福とは善行がもたらす喜びである(「ジャン・フィノ著『進歩と幸福』に関する論評」掛下栄一郎訳、『ベルクソン全集』9所収、白水社)

 

 いい言葉である。

 本当の幸福は、

 人のために行動するなかにある。

 社会のため、

 世の中のために行動する、

 なかにある。

 

 私たちでいえば、

 広宣流布である。

 折伏である。

 最高の善行とは、

 幸福の大法である、

 この仏法を教えることだ。

 

 宿命を転換し、

 幸福の道を切り開いていけるよう、

 人々を励ましていくことである。

 また、

 社会の平和と繁栄のために

 尽くしていくことである。

 

 大きな視点に立って、

 世界のため、人類のために

 貢献していくことだ。

 人々を根底から救い、

 平和と文化と教育の発展に尽力する。

 生命尊厳の哲理を人類社会に打ち立てていく――

 広宣流布こそ、

 善行の中の善行なのである。

 

2005.8.15代表幹部研修会


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2022年7月28日

第2063回

幸福は

生命力で決まる!

 

<今こそ、宇宙大の生命力を!>

 

 戸田先生は、

 分かりやすく教えてくださいました。

 

 「幸福を感じ、幸福な人生をいとなむ源泉は、

 われわれの生命力である

 

 「もし、生命力が家庭の事件を解決するだけの生命力なら、

 家庭内のことはいきづまらないが、

 町内、市内の事件にはすぐいきづまる。

 市内、町内の事象に対応できても、

 生老病死という事象、天変地夭のような大事象には、

 いきづまって堂々たる生命の闊歩はありえないから、

 不幸になるのである

 

 先生は、宇宙大の生命力を涌現していけば、

 宇宙の万象と関係して行き詰ることなく、

 人生を闊歩できると結論されたのです。

 

 幸福とは、

 悩みや苦難、宿命を、

 強い生命力で捉え返し、

 勝ち越えていくということです。

 

 成長の糧、

 人間革命の飛躍台、

 宿命転換の好機としていくことです。

 そこには、

 生命の躍動があり、

 人生の充実があります。 

 

2022年大白蓮華8月号№874 19頁 

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2022年7月18日

第2056回

広宣流布ひとすじの心に、

永遠の福徳が輝く

 

金剛の自分自身をつくれ

 

 いつも私は、全国、また全世界から、さまざまな報告をいただいている。なかでも、一生懸命に広布に戦ってこられた方が幸福になることほど、うれしいことはない。

 何が人生の幸福か?

 結論から言えば、

 まっすぐに「創価の人生」を生きぬくことが、

 最高の幸福である。

 たとえば、裕福な家庭に生まれ、周囲がうらやむような結婚をしても、それが幸福かどうかは、だれにもわからない。一時の状況で、幸不幸は決められない。結局は、自分自身がどうかである。

 立場がどうあれ、また環境がどうなろうとも、揺るがぬ自分自身を築いた人が幸福である。他人ではない。自分である。一人の人間としてどうあるかで決まる。

 何ものにも紛動されない「金剛の自分自身」をつくりあげるのが、信仰の目的である。(中略)

 

 大聖人は仰せである。

 「雪は、極めて白いものであるから、染めようにも染めることができません。漆は、極めて黒いものであるから、白くなることはありません。雪や漆と違って移り変わりやすいものは、人間の心です。善にも悪にも染められるのです。真言宗・禅宗・念仏宗等の邪悪の者に染められてしまうならば、必ず地獄に堕ちます。法華経(御本尊)に染められるならば、必ず仏になることができます」(御書1474㌻、通解)

 人間の心ほど、変わりやすいものはない。わが心を、不幸におとしいれる悪知識に染められてはいけない。

 だからこそ、大聖人は「御信心を、純白な雪のように、また、まじり気のない黒漆のように、純一堅固に持つべきです」(同㌻、通解)と教えられているのである。

 断じて心に油断やスキをつくってはならない。

 広宣流布ひとすじの心に、永遠の福徳が輝くのである。

 

2005.7.20各部代表者会議

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2022年5月15日

第1999回

生命尊厳の「永遠の都」を

 

<一番苦しんだ人が、一番幸せになる権利がある

 

 

 一番苦しんだ人が、

 一番幸せになる

 権利がある。

 最も侮蔑され、

 虐げられてきた

 民衆こそが、

 最も誇り高く凱歌を

 轟かせる権利がある。

 その大転換へ、

 宿命に涙してきた

 一人一人が、

 永遠の幸福を

 勝ち開くためにこそ、

 日蓮大聖人の仏法はある。

  

 「イチャリバチョーデー 

 (出会えば、皆、兄弟)」

 ――沖縄には、

 人と人との出会いを

 大事にし、

 いかなる出会いも

 深き友情に高めゆく

 豊かな精神性がある。

 その平等に

 語り合う場には、

 海風が薫り、

 明るい青空や

 星空が広がる。

 我らの「沖縄精神」は、

 まさに「対話の精神」だ。

  

 一人の声に耳を傾け、

 一人の友を励まし、

 一対一の対話を広げる。

 この最も地道な

 菩薩道こそ、

 新たな平和の潮流を

 起こす第一歩だ。

  

 広宣流布とは、

 平和と文化と教育の

 「永遠の都」をつくる

 大事業である。

 正義と幸福の「永遠の都」。

 民衆勝利の「永遠の都」。

 人間讃歌の「永遠の都」。

 生命尊厳の「永遠の都」。

 常楽我浄の「永遠の都」。

 これらの大建設は、

 人類が何千年来、

 求めてきた夢である。

 目標である。

  

 妙法を持つ人は皆、

 尊極の生命の宝塔であり、

 人間主義の柱である。

 それぞれの地域にあって、

 広布の使命に

 一人立つ同志は、

 まさしく希望の柱だ。

 苦難に負けない強さ、

 人のために尽くす生き方、

 その姿そのものが

 平和の柱なのである。

 

2022年5月15日沖縄本土復帰50年

池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

 

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2022年1月4日5日

第1852回

「自他共に」

 

<生命には絶妙なる相互作用がある>

 

 19世紀のフランスの

 歴史家ミシュレ(1798年~1874年)は、

 こう語っています。

 

 「生命は生命と出会うと

 輝き出て磁気を帯びるが、

 孤立すれば消え入ってしまう。

 生命は自らとは異なった生命と

 まじりあえばまじりあうほど、

 他の存在との連帯を増し、

 力と幸福と豊かさを加えて

 生きるようになる

 

 生命と生命には、

 絶妙なる相互作用がある。

 私たちが日々、

 あの人のために、

 この友のためにと

 励ましを送ることは、

 地味で目立たぬ、

 日常の歩みかもしれません。

 しかし、それは、

 間違いなく、

 孤立や分断を防ぎ、

 多様な生命と生命が出会い、

 結び合う「宝処」を、

 楽しく、

 にぎやかに広げているのです。

 

 「御義口伝」には、

 「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」

 「自他共に智慧と慈悲と有るを、

 『喜』とは云うなり」

 (新1061㌻、全761㌻)

 

 仏法の真髄の法理は、

 一人一人の生命に

 尊極なる仏性を見、

 「自他共に」という

 生命のつながりの中から、

 最高の幸福平和の智慧

 滾々と湧き出ることを

 教えています。

 そして、

 常にこの「自他共に」を行動規範として、

 人間の中へ、民衆の中へ

 飛び込んで励ましを広げ、

 慈悲の実践を貫いていくのが「菩薩」です。

 

 ゆえに私たちは、

 自分がいるその場所から、

 家族のため、

 友人のため、

 隣人のため、

 あらゆる人々のために、

 「太陽の仏法」の希望の大光を

 誇り高く送っていきたい。

 それは、

 生きゆく勇気と

 満々たる元気を与え、

 生命力を増し、

 危難を乗り越える

 智慧と力の源となっていくに

 違いありません。

 

2022年大白蓮華1月号№867 36頁

2021年11月15日

第1785回

「幸福」とは「絶対的幸福」境涯の確立

 

<人間の胸中に秘めた「生命力」>

 

 この総会で山本伸一は、戸田城聖の「女子部は幸福になりなさい」との指導を引き、幸福について語っていった。

 「アランやエマソンなど、さまざまな哲学者や思想家が、幸福について論じていますが、では、それを読めば、絶対に自分も幸福になり、人をも幸福にすることができるかというと、残念ながら、決してそうとはいえません。

 幸福と平和は、全民衆の念願でありますが、その絶対の原理を示した人は誰もおりませんでした。そのなかで、ただ日蓮大聖人のみが、万人に幸福の道を、具体的に開かれたのであります

 幸福はどこにあるのか。それは、決して、彼方にあるのではない。人間の胸中に、自身の生命のなかにこそあるのだ。

 金やモノを手に入れることによって得られる幸福もある。しかし、それは束の間の幸福にすぎない。戸田は、それを「相対的幸福」と呼んだ。そして、たとえ、人生の試練や苦難はあっても、それさえも楽しみとし、生きていること自体が幸福であるという境涯を、「絶対的幸福」としたのである。

 この悠々たる大境涯を確立するには、いかなる環境にも負けることのない、強い生命力が必要となる。その生命力は、自身の胸中に内在しているものであり、それを、いかにして引き出すかを説いたのが仏法である。

 伸一は、大確信をたぎらせて訴えた。

 「信心の目的は成仏であり、幸福になることであります。それには、仏法の真髄であり、大聖人の出世の本懐である御本尊への信心以外にありません。それを人びとに教え、事実の上に、民衆の幸福を打ち立ててきたのが創価学会です。

 私どものめざす広宣流布とは、一人ひとりが幸福を実現することであり、そのための宗教革命であります。ヨーロッパのある哲学者は、〝人を幸福にすることが一番確かな幸福である〟旨の言葉を残しておりますが、弘教には歓喜があり、生命の最高の充実があります。どうか皆さんは、この広宣流布という〝聖業〟から、生涯、離れることなく、幸福を実現していっていただきたいのであります。

 人の心は移ろいやすく、はかないものです。これからも、学会は大きな難を受け、誹謗されることもあるでしょう。そうなれば、つい弱気になり、信心を離れていく人もいるかもしれません。しかし、真実の幸福の道は、信心しかないことを断言しておきます

 山本伸一は、ここで、難解な幸福論を語るつもりはなかった。皆、幸福への確かな道を知った同志である。あとは、それを歩み抜くことだ。

 

<新・人間革命> 第2巻 民衆の旗 268頁~270頁

2021年10月31日

第1765回

 大目的に生き抜く幸福

 

 

 自分は

 何のために生きるか。

 使命とは、

 その自覚の異名である。

 自分の「命」を、

 いったい何に「使う」のか。

 大目的に生き抜く使命を

 深く自覚した瞬間から、

 境涯は大きく広がる。

  

 幸福は、

 いくら追いかけても、

 つかめるものではない。

 幸福は、

 ついてくるものである。

 妙法を持つ人に、

 福運を積んでいった人に、

 ついてくるものだ。

 必ず、ついてくるものだ。

  

 人間は、皆、

 幸福になるために

 生まれてきたのだ。

 仏法では

 「心こそ大切」と説く。

 魂が満たされなければ、

 真の幸福はない。

 だからこそ、

 皆を幸福にするために、

 わが生命を使うのだ。

  

 広宣流布のために

 戦いきった

 満足と歓喜ほど、

 誇り高いものはない。

 その功徳は無量である。

 学会のために戦う。

 広布のために戦う。

 その功徳によって、

 福徳と幸福の人生を歩む

 生命に変わっていく。

  

 悩みが悟りに変わり、

 幸福に変わる。

 悩み、悲しみが

 大きければ大きいほど、

 より大きな

 幸福に変えていける。

 これが題目の力である。

 ゆえに妙法を唱える人は、

 何ものも恐れない。

 恐れる必要がない。

  

 悔いなき人生――。

 それは、世間の評判や、

 他人が

 決めるものではない。

 全部、自分自身が

 決めるものである。

 勝負は途中の姿では

 決まらない。

 何があっても、

 最後に「勝った!」と

 確信できるのが

 「一生成仏」の信心だ。

 

2021年10月31日〈池田大作先生 四季の励まし〉

2021年10月24日

第1754回

幸せはどこに?

 

 一行は、午後には郊外を回った。辺りには、のどかな田園風景が広がっていた。

 「この辺の農家の人たちの暮らしについて、いろいろ聞いてみたいね」

 伸一は、ポツリと言った。 一軒の農家の前を通りかかると、そこに一人の若い婦人が立っていた。その家の主婦のようだ。正木永安が車を止めた。伸一は車を降りると、笑顔で婦人にあいさつした。

 「ハロー」

 その後を受けるように、正木が英語で話しかけた。

 「こんにちは。シカゴの農家の暮らしについて、ちょっとお聞きしたいのですが……。こちらは、日本から来た創価学会の会長の山本伸一先生です。創価学会は世界の平和と人びとの幸福を実現しようとしている仏法の団体です」

 正木は、こう言って伸一を紹介した。彼女は、快く正木の質問に答えて、シカゴの農家の生活や作物、また、家の歴史まで語ってくれた。一家は、ドイツから移住してきたという。

 その話し声を聞いて、家のなかから、老婦人が外に出て来た。年齢は七十歳ぐらいであろうか。

 「ウチのおばあちゃんです。きょうは、おばあちゃんの誕生日なんですよ」

 若い婦人が伝えた。それを聞くと、伸一は、老婦人の手を取って言った。

 「そうですか。おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。どうか、いつまでも、いついつまでも長生きしてください。おばあちゃんが、元気でいることほど、ご家族の皆さ

んにとって嬉しいことはありません。それは一家の幸せにつながります。また、ご家族は、おばあちゃんを誰よりも大切にしてください。その心が家族の愛情を強くし、一家が末永く繁栄していく源泉になります。幸せは、決して遠くにあるのではなく、家庭のなかにあります」

 正木が伸一の話を伝えた。老婦人は見知らぬ日本人の祝福に、嬉しそうに笑みを浮かべた。伸一は、微笑む老婦人を見て言った。

 「それじゃあ、みんなでおばあちゃんの誕生日を祝って、バースデーソングを歌おう」

 

 〽ハッピー・バースデー・トゥー・ユー……

 

<新・人間革命> 第1巻 錦秋 191頁~193頁

2019年4月4日

第1596回
我らの前進は
全民衆を幸福に!

 

<どこまでも信仰を根幹に>

 

 出会いは人生の花だ。
 信じ合える絆は宝だ。
 私も、正義に生きる
 恩師・戸田先生との出会いが
 人生を決めた。
 苦悩渦巻く社会で、
 この流転から人々を解放し、
 困難を打開しゆく仏法ならば、
 一生をかけてみよう――
 こう決意して、
 師弟の道を歩み始めた。
 わが一念を定めれば、
 全てが開けていく。
 信心根本の軌道ほど、
 強く、充実した人生はない。

 

 正義の戦いを起こすならば、
 断じて勝つことだ。
 異体同心で進むことである。
 我らの目的は
 広宣流布 即 世界平和である。
 我らの前進は、
 どこまでも信仰を根幹に、
 全民衆を幸福にしていくのである。
 民衆を利用し、
 民衆を苦しめる動きは、
 断じて許さない。
 まじめな庶民が馬鹿を見ない社会。
 一番、苦しんできた人が、
 一番、幸福になる世界。
 それを築くための戦いだ。

 

 まず張り切って、
 一歩を踏み出すことだ。
 たとえ、つまずいても、
 朗らかに、たくましく、
 次の一歩を踏み出せばよい。
 今日一日を勝つことだ。

 桜の生命と同じように、
 我々も力の限り、
 生きて生きて生き抜いて、
 己の使命の花を
 咲き薫らせていくことだ。
 これが本然の法則だ。
 我らに春が来た!
 勝利の春が来た!
 創価の同志の春が来た!

 

2019年3月31日 <池田大作先生 四季の励まし> 我ら創価の春が来た!

2018年10月30日

第1548回
今いる場所で輝く人に 

 

 今、社会では
 人間力が求められている。
 仕事上の能力だけでなく、
 直面した難局に、いかに挑み、
 いかに価値を創造するかが、
 問われる。
 だからこそ、
 辛抱強いことが大切なのだ。
 歯を食いしばって、
 一歩また一歩、
 前へ踏み出すしかない。
 不屈の負けじ魂で勝ち進むのだ。
  
 働くとは「はた楽」
 つまり「はた(そば)の人を
 楽にすること」だと、
 聞いたことがある。
 いかなる職業であれ、
 自分の立場を通して人々に喜ばれ、
 社会に役立っていこうという
 真心と誇りがあってこそ美しい。
 その真心と誇りから生まれる
 熱心さこそ、
 重い仕事をも軽くし、
 楽しい心をもって働く力なのだ。
  
 仏法は「即社会」である。
 「即職場」「即地域」であり、
 「即家庭」となるのである。
 「即」とは、信心の一念だ。
 人生は、
 さまざまな困難の連続である。
 しかし、
 信心の上では決して負けない。
 一歩も退かない。
 この一念が、「即」人生の勝利、
 社会での勝利を開くのである。
  
 人間だれしも、
 自分自身から逃れられない。
 どんなに環境を変えてみても、
 自分自身が変わらなければ、
 何も変わらない。
 自分自身が幸福をつくるのだ。
 福運をつけていくのだ。
 人間革命しかない。
 わが胸中に
 希望の火を赤々と燃やしながら、
 人間革命の大道を朗らかに進もう!

 

2018年10月28日  〈池田大作先生 四季の励まし〉

2018年10月28日

第1547回

自分のいる場所を幸せにできない者が、

どこを、幸せにできるのか

 

 かつて戸田先生は、女子部を励まして、言われました。
 「自分のいる場所を幸せにできない者が、どこを、幸せにできるのか」と。
 今、自分がいる、その場所で幸せになることです。環境がどうあれ、自分自身が太陽になって、輝いていくことです。そこから一切が開けていくのです。
 全員が幸福を勝ち取れ!
 そのために使命の戦いを!
 幸福は、戦う汝自身の胸の中にある!
 ――これが、戸田先生の厳愛の薫陶でありました。
  ともあれ、大海に浮かぶ、この現実の社会を、幸福と平和の世界に向かって、リードできるか。それとも、不幸と戦乱の渦巻く社会へと流されてしまうのか。
 現実は厳しい。一寸先はわからない。個人も、国も、人類も――。
 仏法において、それは、「人間尊敬」の勢力と、邪悪なる「人間蔑視」の勢力との、しのぎを削る勝負によって決せられていくと明かしております。
 だからこそ、正義の民衆は、また正義の女性は、そして、正義の青年は、断じて負けてはならない。断じて勝たなければならない。それが日蓮 大聖人の御遺命であります。戸田先生も、いつも、そう言っておられました。
 勝ちましょう! 勝って、勝って、勝ちまくりましょう!

 

  2001年7月10日「7・3」記念首都圏婦人部代表幹部会

2016年9月11日

『流人なれども喜悦はかりなし』

 

<絶対的幸福境涯>

  
 「諸法実相抄」講義で、山本伸一は、『流人なれども喜悦はかりなし』の御文を通し、絶対的幸福境涯について言及していった。
 「日蓮大聖人は、流人という、まことに厳しく、辛い立場にあります。しかも、命を狙われ、いつ殺されるかもしれない状況です。普通に考えれば、悲嘆、絶望の世界です。多くの人は不幸と見るでしょう。
 でも、そうとらえるのは、相対的次元での幸福観によるものです。
 大聖人の内心に確立された御境涯では、この世で誰よりも豊かで、湧きいずる大歓喜の、広大かつ不動の幸福を満喫されているのであります。これが、絶対的幸福境涯です。
 一般的に、幸福の条件というと、経済的に豊かであり、健康で、周りの人からも大事にされることなどが、挙げられると思います。
 こうした条件を、満たしているように見える人は、世間にも数多くいるでしょう。しかし、本当に、それで幸せを満喫しているかというと、必ずしも、そうとは言えません。心に不安をかかえている人も少なくない。
 これらは、相対的幸福であり、決して永続的なものではないからです」
 どんなに資産家であれ、社会の激変によって、一夜で貧乏のどん底に陥る場合もある。健康を誇っていた人も、不慮の事故や病に苦しむこともある。さらに、加齢とともに、誰しも、さまざまな病気が出てくるものだ。
 相対的幸福は、自己と環境的条件との関係によって成り立つ。したがって、環境の変化によって、その幸福も、はかなく崩れる。
 また、欲するものを手に入れたとしても、自己の際限なき欲望を制御することができない限り、幸福の実感は、一瞬にすぎない。財などへの過度の執着は、むしろ、心を貧しくさえする。
 「もし財産が人を傲慢や怠惰や無為や欲望や吝嗇(りんしょく=けち)にひき入れる場合には、不幸そのものとさえなる」とは、スイスの哲学者ヒルティの警句である。
 人は、財や地位、健康、名誉など、相対的幸福を願い、求めて、努力するなかで、向上、成長していくことも事実である。また、所願満足の仏法を持つ私たちは、強盛な信心によって、その願いを成就することができるし、それは、信仰の力の実証ともなろう。
 しかし、崩れざる真実の幸福は、相対的幸福にではなく、絶対的幸福にこそあるのだ。
 山本伸一は、大確信をもって訴えた。
 「絶対的幸福とは、相対的幸福の延長線上にあるものではありません。相対的幸福の次元では、いくら不幸のように見えても、絶対的幸福を確立することができる。その例が、日蓮大聖人の『喜悦はかりなし』と仰せの御境涯です。
 絶対的幸福とは、有為転変する周りの条件に支配されるのではなく、自分が心に決めた使命、目的に向かって実践していくなかで生ずる、生命自体の充実感、満足感です。
 ここで最も重要なことは、自分が定めた使命、目的が、宇宙を貫く常住不変の法に合致していることです。結論すれば、広宣流布の使命を自覚し、大願に生き抜く心にこそ、真実の絶対的幸福が築かれるのであります
 広宣流布に生き抜く時、わが生命に、地涌の菩薩の、そして、仏の大生命が脈動する。流罪の身であろうが、獄中であろうが、あるいは、闘病の身であっても、そんなことには、決して煩わされることのない、大歓喜、大充実、大満足の生命が開かれていくのである。それが絶対的幸福である。
 懸命に信心に励むなかで、その一端を体験している同志は、少なくないはずである。いかに貧しく、病苦をかかえながらも、地涌の使命に燃え、毅然と折伏に歩いた時の、あの生命の躍動と歓喜と充実である。
 どんな豪邸に住んでいようと、仏法を知ろうともせず、学会を蔑み、水や塩を撒く人を見ると、心の底から哀れに感じ、″必ず、この人に、真実の幸せの道を教えてあげたい″と痛切に思ったにちがいない。その境地こそが、絶対的幸福境涯へと至る大道なのだ。

 

小説新・人間革命 24巻 厳護49、50

2015年12月25日26日

妙法は

何があっても行き詰まらない

宇宙大の生命力

 

<「幸福」とは“環境”と“自分の生命力”との関係で決まる>

  

(前略)「強い」人は「幸福」です。ただし、「強さ」というのは相対的なものです。環境と、自分の生命力との「関係」です。
 生命力が弱く、しぼんでいると、つまらないことにもイライラし、左右されて、行き詰まり、不幸を感ずる。少し生命力が拡大して、家庭内のことなら解決できるだけの生命力になる。これなら家庭内のことでは行き詰まらない。
 しかし一歩、地域のこと、町内・市内の問題となると行き詰まる。また、かりに一国を悠々と繁栄の方向へ軌道に乗せていける生命力をもつ人がいても、いぎ自分自身の生老病死の問題になると行き詰まってしまう。
 法華経とは、何があっても行き詰まらない宇宙大の生命力を教えた経です。無限にわきくる大生命力を全人類に与えるのが、この仏法なのです。ゆえに、妙法への「信心が強い」人こそが、最高に「強い」人であり、最高に「幸福」な人であると結論できる
 幸福とは、環境だけで決まるのではない。大邸宅の中で泣いて暮らしている人もいる。しかし、幸福とは、環境と無関係に決まるものでもない。子どもに食べさせるものもなくて「私は幸福だ」と言っても、それはうそです。
 幸福とは、環境(外界)と自分の生命力との「関係」で決まる。悪い環境に支配されたら不幸。悪い環境でも、こちらが支配し左右していけば幸福です。

法華経の智慧 法師功徳品 第十九章

2015年10月21日

「大地」のような生き方に、

最高の「幸福」の方軌あり

 

 さて、「幸福観」について、一言、述べておきたい。
 「人生の幸福」といっても、もちろん人によって、さまざまなイメージがある。それぞれの価値観により、幸福像は大きく異なるものである。
 ただ、平穏無事に過ぎる一生を「幸福」とする人も少なくない。ひたすら安定と快適を求め、そこに人生の価値を見いだす。描かれる幸福像は、たとえば「何も困ったことが起きない生活」(笑い)であり、「夫婦で手をつなぎ″カフェ″に入る」(笑い)光景であろうか。
 一見、いかにも「幸福」に思えるかもしれない。しかしそこには、本当の深みも、人生の味わいもない。
 それに対し、私どもの広布の旅路には、さながら劇のごとく、次から次へ、試練の嵐が来る。苦悩の高波もある。悪意の突風が吹く。しかし、それらに耐え、戦い、乗り越えてこそ、自身の深まりと充実があり、向上がある。人と人の信頼が生まれ、絆が強まる。つまり、人生の確かな価値が創造され、花開いていく。
 仏法では、仏を「能忍」と説く。一切衆生のために難を忍び、耐えて法を弘めゆくところに、仏の徳がある。また、法華経を行ずる者に「悪口罵詈」があるのは必然であるとも説いている。
 言い換えれば、平坦なだけの道は、成仏への道ではない。さまざまな障害が競い起きてこそ御聖訓どおりの信心であり、生命は磨かれ、成仏の道が開けていく。仏という永遠不壊の幸福境涯は、絶えざる難との戦いのなかにのみ構築されていくのである
 ゆえに、三世に崩れざる「幸福」とは、仏道修行という波瀾万丈の人生を勝ちぬいたところにあるといってよい。深く、広く、強靱な「幸福」の実像。それは、激しき人生の波浪のなかにあることを、強く訴えておきたい。
 たとえば、「大地」ほど忍耐強く、慈悲深いものはない。巨大なビルにも、壮大なダムにも、悠々と耐え、ささえる。風雨に揺るがず、人間が踏み歩いてもじっと見守り、黙っている。
それだけではない。あらゆる草木に滋養を与え、芽吹きや生長の上台となる。限りなく「生」を育みながら、どっしりと広がり、そして太陽の恵みを享受する――。
 この「大地」のような生き方に、最高の「幸福」の方軌を、私は見たい

 

 1989年11月29日第九回全国婦人部幹部会

2013年5月26日

「自他共の幸福」の連帯を足元から

 

 『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』(立正安国論31頁)と大聖人は強く促された。
 それは、「一身の安堵」に執着するエゴイズムを打ち破り、いうなれば「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことをしない」との誓いを共有することだ。
 本気で「自他共の幸福」を祈る自身へと変革することだ。そして、自分の身の回りから、「自他共の幸福」のために行動する人びとの連帯を、粘り強く広げることである。
 この草の根のスクラムを強固にしていくことが、「生命尊厳の社会」「人間のための社会」の土台となり、崩れざる民衆の幸福と平和を築いていくのだ。

 

聖教新聞2013.4.27付 我らの勝利の大道102

2012年7月6日

人生の総仕上げの生き方-2

 

 第二に、人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです。"私は最高に幸せだ。こんなに楽しい、すばらしい人生はない〟と、胸を張って言える日々を送っていただきたいんです。(中略) 本当の幸福は、時代の激変にも、時の流れにも左右されることのない、「心の財」を積んでいくなかにこそあるのだ。

 

小説 新・人間革命 25巻 共戦 30

2012年6月26日  

絶対的幸福の確立
  
 真実の幸福である絶対的幸福境涯を確立できるかどうかは、何によって決まるか。 経済力や社会的な地位によるもではない。学会における組織の役職のいかんでもない。ひとえに、地道な、信心の積み重ねによって、生命を耕し、人間革命を成し遂げてきたかどうかにかかっている。フランスの思想家ルソーは断言している。「ほんとうの幸福の源はわたしたち自身のうちにある」
 
小説 新・人間革命 25巻 共戦 33

2012年6月24日  

絶対的幸福とは
  
 「絶対的幸福というのは、どこにいても、生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きていること自体が楽しい、そういう境涯があるんです。腹が立つことがあっても、愉快に腹が立つ」(中略)幸福は、最終的には、環境条件によって決定づけられるのではない。幸福は、どこにあるのか。自身の胸中にあるのだ。こころの宮殿のなかにあるのだ。その宮殿の扉を開けるカギこそが、信心なのである。「人生の総仕上げにあたって、生老病死など、無常の現象をありのままに見つめ、その奥底を貫く常住不変の妙法に則り、一途に絶対的幸福境涯の確立をめざしてください。その言動には、感謝と歓喜と確信にあふれるものです。そして、思いやりに富み、自分の我を貫くのではなく、皆のために尽そうという慈愛と気遣いがあります。さらに、人びとの心を包み込むような、柔和で、朗らかな笑顔があるものです。また、幾つになっても、向上、前進の息吹があり、生命の躍動感があります。ゆえに、大聖人が『年はわか(若)うなり』(御書一一三五頁)と仰せのように、若々しさを感じさせます。
小説 新・人間革命 25巻 共戦 31、32

世界広布新時代

創立100周年

2030年 

 

2025(令和7)年

創価ルネサンスーⅡ

開幕の年

 

世界青年学会

飛翔の年

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.12.26

第2320回

 

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