2022年3月6日
第1926回
功徳を受ける為の学会活動であり、
功徳を受けさせるための組織と幹部である。
<幸福は清流(無疑曰信)の信心に>
自分が功徳を受けるための信仰である。また、そのための仏道修行であり、学会活動である。そして、皆に功徳を受けさせるための組織であり、幹部である。この目的を見失う時、組織はみずみずしい活力を失い、停滞し、活動は空転を始める。
次いで、伸一は、中部第二本部の会館建設を発表した。参加者の喜びは、万雷の大拍手となって轟いた。
さらに彼は、幸福の要諦は自分の心に打ち勝つことであり、何があっても御本尊を信じ抜く、「無疑曰信」(疑いなきを信という)の清流のごとき信心が肝要であることを訴えていった。
「大聖人の仏法の正しさは、文証、理証、現証のうえから証明されております。
しかし、ちょっと商売が行き詰まると、すぐに御本尊には力がないと疑いの心をいだく。子どもが怪我をしたといっては、御本尊は守ってくれなかったと思う。
また、一部のマスコミが学会を批判したからといって、学会の指導を疑い、御本尊への確信をなくし、勤行もしなくなってしまう。こういう方もおりますが、そうした人に限って、自分自身の生き方や信心を振り返ろうとはしない。それでいて、何かにつけて御本尊を疑い、学会を疑う。それは大功徳を消していくことになります。
赤ん坊は、何も疑うことなく、お母さんのお乳を飲んで成長していきます。しかし、お乳を飲まなくなれば、成長も遅くなり、病気にもかかりやすい。それと同じように、御本尊を信じ、生涯、題目を唱え抜いていくならば、仏の生命を涌現し、生活のうえにも、絶対的幸福境涯の姿を示していけることは間違いないのであります。
どうか、御本尊を疑うことなく、題目を唱えに唱え、唱えきって、広宣流布の団体である学会とともに走り抜き、この人生を、最高に有意義に、最高に幸福に、荘厳してまいろうではありませんか」
愛する会員が、一人も残らず、充実した人生のなかに、功徳と福運に包まれゆくことを念じての、渾身の指導であった。
<新・人間革命> 第8巻 清流 208頁~210頁
2021年12月4日
第1811回
信心といっても、
決して特別なことをするのではない
<活動の進め方>
翌二月九日、一行は、昼前にビルマを発って、タイのバンコクに向かった。二時間ほどの空の旅である。
バンコクの空港には、二人の日本人のメンバーの壮年が迎えてくれた。
二人とも信心を始めて間もなかったが、自分たちも、いよいよ広宣流布のために立ち上がろうかと、話し合っていたとのことであった。
夕方、一行はバンコクの日本食のレストランに食事に出かけた。
そのレストランで、女性従業員が山本伸一に声をかけた。学会員であった。
あまり信心に励んではこなかったようだが、伸一や婦人部長の清原かつの顔は、日本にいた時、聖教新聞などの写真で見て知っていたという。
伸一は、今回の訪問地には、全く学会員のいない国もあると思っていたが、これまでのところ、どの国にもメンバーがいたことになる。
夕食を終えてホテルに戻ると、空港で迎えてくれた二人の壮年がやって来た。
皆でホテルの庭で懇談した。二人とも、活動の進め方については、よくわからない様子であった。
伸一は、噛んで含めるように指導していった。
「信心といっても、決して特別なことではありません。まず、朝晩の勤行をしっかり励行し、自分の周りで悩みを抱えて苦しんでいる人がいたら、仏法を教えてあげればよいのです。つまり、周囲の人を思いやる友情を広げていくなかで、自然に布教はできていくものです。焦る必要はありません。
そして、信心する人が出てきたら、互いに励まし合い、守り合っていくことです。そのために、組織が必要になるんです。
もし、皆さんが希望するなら、近い将来、タイにも地区をつくります。また、皆さんを応援する意味から、今後は、幹部を定期的に派遣することも考えていきます。
ともかく、広宣流布の時が来ている。これからは、タイにもメンバーが、たくさん増えていくはずです」
メンバーが増えていくと言われても、彼らには、そんな実感をもつことはできなかった。しかし、地区の結成という話は、二人の壮年にとって、大きな目標となった。
<新・人間革命> 第3巻 平和の光 311頁~312頁