2022年7月29日30日
第2064回
女子部は全員が幸福に!
戸田先生は、女子部の代表の集い「華陽会」で、御書や世界の名著を通して、さまざまな指導をしてくださった。ある時は、小説『小公子』を通して、語ってくださった。
『小公子』は、ご存じの方も多いと思う。アメリカの女性作家バーネットの名作である。
アメリカ生まれの少年セドリックは、父親が亡くなったことから、イギリスの貴族である祖父のもとで暮らすことになった。偏屈だった祖父は、純粋で温かな心を持つ孫のセドリックに感化され、心を開いていく――そういう物語である。
戸田先生は言われた。
「小公子が祖父の侯爵を絶対に信頼したことが、
意地悪な侯爵の心を良くし、
あらゆる状態を変えていった。
一つのものを信ずるということは、
あらゆるものを支配する。
女子部は、この姿が必要だよ」
こうも指導された。
「女性は勉強して教養を身につけなければならない。
つねに心豊かに生きなさい。
″抜きたての大根″のような、
みずみずしい魅力をもって凛々しく進んでいきなさい」
ある時は華陽会で、「四信五品抄」の「(妙法信受の人は)皇帝が幼くて、おむつに包まれ、大竜が生まれたばかりのようなものである。軽んじてはならない。蔑視してはならない」(御書342㌻、通解)との一節を拝し、こう語られた。
「御本尊を持つ人は、
その身が妙法の仏身なのだから、
邪法の輩とは根本的に違う。
もったいないことながら、
大聖人と同じ生命を持つ自分自身に誇りを持ち、
気高い心で人生を勝ちぬくことが大事である。
自分を卑しめてはなりませんぞ」
世界一の大哲学を持った皆さまである。偉大な使命を持った皆さまである。決して自分をおとしめるようなことがあってはならない。みずからを軽んじるような、浅はかな生き方に流されてはならない。
女子部は全員が幸福になってもらいたい――それが戸田先生の願いである。私の願いである。
2005.8.1全国最高協議会(2)
2022年5月29日30日
第2012回
貴女こそ平和を育む「花の王」
<最も貴重な教育者こそ 女性なのである>
わが創価の女性たちは、
一日また一日、
生き生きと、
たゆみなく、
信念の対話を
積み重ねておられる。
ここにこそ、
「平和の世紀」を
建設しゆく、
人類の
最先端の行動がある。
創価の女性たちは、
いかなる試練にも負けず、
今いるその場所で、
皆に勇気と希望を贈る
「野の花」を、
凜として
咲かせ切っておられる。
この方々こそ、
永遠に常楽我浄の
「花の王」と
仰がれゆくことは
絶対に間違いない。
皆さまが進めておられる
広宣流布の対話には、
納得があり、共感がある。
慈悲があり、尊敬がある。
誠実があり、忍耐があり、
勇気がある。
正義があり、哲学があり、
信念がある。
そして、
共に幸福と勝利に
向かっていこうとする
希望があり、向上がある。
まさに、皆さま方こそ、
「対話の文明」を
生き生きと創出されゆく、
人類先駆の開拓者なのだ。
「平和」といっても、
遠くにあるのではない。
どんなに地道に見えても、
一人を大切に、
一人を励まし、
一人を強く
賢くしていくことである。
そこにのみ、
平和の世界が
確実につくられていく。
平和の花を
爛漫と咲かせる大地は、
自分の足元にある。
ゆえに日々の
現実世界のなかから、
「平和の文化」は芽生え、
育まれていくものだ。
その最も貴重な
教育者こそ
女性なのである。
2022年5月29日〈池田大作先生 四季の励まし〉
2022年3月17日
第1937回
尊敬・平等の心で
女性を大切に!
<女性が活躍したところが勝つ!>
男女同権である。
世界は大きく変わってきている。
社会の各分野を見ても、
女性が活躍しているところは、
やはり勝っている。伸びている。
男性のほうが偉いと思って、
女性を下に見る人間がいたならば、
時代錯誤であり、
とんでもない間違いである。
もちろん、男性と女性には違いがあるし、
先輩や後輩といった関係もあると思う。
しかし、根本はまったく平等である。
それが仏法の精神である。
御書に「男女はきらふべからず」(御書1360頁)
と仰せのとおりだ。
地域に根ざし、
現実に広宣流布を進めている大きな力は婦人部(女性部)である。
また、職場で生き生きと活躍し、
家庭にあっても希望の光と輝く
女子部(女性部華陽G)の存在が、どれほど大きいか。
男性の幹部は、
(女性部)婦人部・女子部の皆さんを、
いちだんと大事にし、尊敬し、讃えていくべきである。
女性の皆さんが、
あらゆる面で「やりやすいな」と思えるよう、
幹部は、もっと心をくだいていかねばならない。
そうすれば、学会は、もう一歩、
発展していくこことができる。
さらに大きな力を発揮していけるのである。
2005.3.25全国代表者会議
2022年3月7日
第1927回
妙法のジャンヌ・ダルク
<女子部(女性部)の合言葉>
新本部完成の喜びのなか、女子部(女性部)には、歓喜と決意の新しき波が広がっていた。
『大白蓮華』九月号の巻頭言に、山本会長が「女子部に与う」と題する指針を発表したのである。
女子部としての指針が、巻頭言としてまとめられ、明確に示されたのは、これが初めてのことであった。
「女子部に与う」は、こう書き起こされていた。
「『女子部は太陽のごとく朗らかで、そして美しくあれ』とは、恩師のつねに述べられていた言葉である」
山本伸一は、まず、女子部員の幸福を願い続けた戸田の心を語ったあと、自身の宿命に泣き、社会の〝くびき〟に泣いてきた女性の歴史に言及した。
次いで、仏法の「女人成仏」に触れ、それは「正しい人生観、生活観、社会観を強くもち続けて、家庭や職場や、ひいては社会に対して、幸福への価値を創造していくことにほかならない」と、その意義を明らかにしていった。
そして、「かつての女性にみられたように、ただ周囲のものに従い、紛動され、不幸になってはけっしてならぬ」と強調。自己自身の使命に生き抜くことが大切であると述べ、女子部が社会のあらゆる分野に堂々と進出していくよう望んだ。
その心構えとして、「封建的な、姑息な女性であっては断じてならない。あくまでも、新時代、新世紀を築くべく、その先駆を担う知性と教養と情熱をもった、最高の近代女性であるとの誇りをもつべきである」と訴えている。
また、〝自己の幸福〟を築きながら、社会の繁栄と世界の平和に活躍しゆく女子部の使命を述べ、四点にわたって、具体的な日々の在り方を示した。
第一に、信行に徹し、教学に全力を注ぐこと。
第二に、女子部がいるところ、いつも明るく、慈悲に包まれた温かい会合にすべきであること。
第三に、家庭・職場等の日常生活では、リズムある楽しい日々を送ること。
第四に、結婚については、両親はもちろん、先輩・同志によく相談し、女子部出身の先輩の幸福生活を範としてほしい──。
続いて、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」(御書一三六〇㌻)等の御文を拝し、「妙法護持の女子部こそ、大法王の子であり、遣い」であると訴え、次のように結ばれていた。
「ときあたかも、第三文明建設のその秋にあたり、わが女子部こそ、かつての祖国フランスの危機を救った、かのジャンヌ・ダルクにも勝る存在であれ、と心より、念願するものである」
当時の日本で、若い女性たちに、人間としての使命を教え、国や社会の建設を訴える指導者は、皆無といってよかった。そのなかで、広宣流布という平和社会の創造を、伸一は呼びかけたのである。
高度経済成長の時代に入った日本は、経済的には、年ごとに豊かになっていった。人びとの消費は伸び、レジャーブームも加速されていった。それとともに、若い女性たちの多くが自分本位になり、表面的な華やかさのみを追い求め、精神の〝芯〟が失われつつあることを、彼は憂えていた。
自分の幸福のみを願う、利己的な生き方には、人生の本当の喜びはないし、また、華やかさは、空しさと表裏であることを知らねばならない。わが人生を荘厳しゆくために不可欠なことは、青年時代に、精神の強固な芯をつくりあげることである。そのための哲学を確立することである。
伸一は、女子部員には、社会のために、人びとのために、自己を生かし、人生の真実の価値を創造し、本当の幸福をつかんでほしいと願い、「女子部に与う」の筆を執ったのである。
女子部員は、これによって、進むべき明確な指針を得た。
その喜びは大きかった。
〝私たちが女性の歴史を変えよう!〟
彼女たちは、さっそうと立ち上がった。以来、「妙法のジャンヌ・ダルク」が、女子部の合言葉となった。そして、座談の園に、職場に、はつらつとした、清流のごとき女子部員の笑顔が光った。
<新・人間革命> 第8巻 清流 235頁~238頁
2022年2月17日
第1909回
どこまでも
一人に尽くすのがリーダー
<女性は、"魔物"の幹部とは、断じて戦え!>
リーダーは、
どこまでも会員一人一人を
大事にしていくことだ。
深い慈悲をもって接していくことだ。
皆のために尽くすのが、
リーダーである。
組織のうえに乗っかって、
偉ぶったり、
号令だけかけるような人間を許してはならない。
広宣流布のために尽くして
迫害され、弾圧された。
牢獄へ行った
――これが学会の三代の会長である。
それを、自分は一切、
難を受けることもなく、
偉ぶって、同志を苦しめる
――そうした幹部が出たとすれば、
それは″魔物″である。
恐ろしいことである。
そうした人間に対しては、
女性が声をあげ、
断固として戦ってもらいたい。
2006年2月14日女子部・婦人部合同協議会
2022年2月16日
第1908回
創価の乙女は
「真実の幸福の大道」を歩んでいる
具体的には、女子部(女性部)の皆さんは、よき先輩、よき友人を持つことである。そして、何でも、心おきなく相談していくことだ。よき人と離れてしまってはいけない。
一人で問題を抱えたり、自分勝手になって、道を間違えてはいけない。
悪友に染まれば、自分も悪へと堕ちていく。善友に縁すれば、自分も善の方向へ伸びていくことができる。これが人間の世界であり、数多くの人生を見てきた私の結論である。
結婚についても、決してあせる必要はない。
結婚するかしないか、幾つで結婚するか――それらは、永遠の生命の次元から見れば、じつは小さいことだ。それで、人生のすべてが決まってしまうのではない。一生懸命に、この信心を貫けば、幸福にならないわけがない。
女子部(女性部)の皆さんは、安心して、この創価の道を、希望と勇気にあふれで進んでいただきたい。そして、婦人部・壮年部の先輩方は、誠実に、親身になって、女子部(女性部)の皆さんの人生の相談にも乗り、全力で応援していただきたいのである。
かけがえのない青春である。一生の幸福の土台をつくる、大切な時である。
よき師を求め、よき先輩から学び、よき同志と励まし合い、よき後輩を育てていくことだ。そして、父母を大切にしていただきたい。
私は、女子部(女性部)の皆さんに、「ウクライナのソクラテス」と呼ばれた大哲学者スコヴォロダの言葉を贈りたい。
「私は、裕福な人たちを哀れむ。彼らが、自らの欲するものを手に入れるなら、それもよかろう。しかし、真の幸福者は、友を持つ者であり、私に友人がいるならば、私は自身を最大の果報者であると思うのだ」
「真実の哲学」を持ち、
「真実の同志」とともに、
「真実の友情」を広げゆかれる
創価の乙女たちこそ、
いかなる富豪よりも、
いかなる権力者よりも、
「真実の幸福の大道」を歩んでいるのである。
2006.2.14女子部・婦人部合同協議会
2022年2月16日
第1907回
学会の将来は
女子部(女性部)で決まる
<幸福を決めるのは″心″>
これからは、女子部(女性部)の時代である。いちだんと力を入れてまいりたい。もう一度、本格的に訓練し、新しい女子部(女性部)をつくっていきたい。
どんな団体も、女性を大事にし、育てたととろには、永続的な発展の道が開けていく。学会の将来も、女子部(女性部)で決まる。女子部(女性部)の成長が、学会の発展に直結している。どうすれば女子部(女性部)が拡大し、心広々と、伸び伸びと活動できるか。真剣に探究し、実行する時代に入った。
かりにも女子部(女性部)を見下し、軽く扱うことがあってはならない。男性や婦人部に挟まれて、肩身の狭い思いをさせてはいけない。最大に励まし、ほめ讃え、自信をもって進めるよう、各部が一体となって、応援していくべきである。
長い人生の経験のうえから、女子部(女性部)の皆さんの将来のために、大事な話をしておきたい。
結婚したら幸せで、結婚しないと不幸なのか。
結婚が早い人は幸せで、結婚が遅いと不幸なのか。
そうではない。
人生は、そう簡単ではない。
複雑であり、非常に微妙なものだ。
きょうまで幸せだった人が、
明日は不幸の底に落ちるかもしれない。
きょうまで不幸だった人が、
明日は一挙に運命が開ける場合もある。
また、外からは幸せな境遇に見えて、
じつは不幸に泣いている人がいる。
外からは不幸な境遇に見えても、
生き生きと充実の人生を生きる人がいる。
結局、幸福を決めるのは「心」である。
これは唯心論を言うのではない。
わが心こそ、
仏界の生命がそなわる宝の器である。
信行に励み、
この仏界の生命をわき出してこそ、
生涯にわたって確実な幸福の軌道を歩み、
所願満足の人生を飾ることができる。
日蓮大聖人は「さいわいは心よりいでて我をかざる」と仰せである。
皆さまは、この正しき人生を歩んでいただきたい。そのためには、学会という清浄な信心の世界を、まっすぐに進んでいくことだ。
「御義口伝」には、こう仰せである。
「南無妙法蓮華経と唱える日蓮の一門は、一同に『皆、共に宝処に至る』のである。この『共』の一字は、日蓮と『共』に進む時は必ず宝処に至る。『共』に進まないならば阿鼻大城(無間地獄)に堕ちるということである」(御書734㌻、通解)
わが創価学会は、日蓮大聖人の仰せのとおりに「信・行・学」に励み、御聖訓のとおりに「三障四魔」「三類の強敵」と戦っている。そして御聖訓のとおりに「異体同心」の和合僧で、広宣流布へ「勇猛精進」している。
ゆえに、この仏意仏勅の創価学会とともに生きぬくことこそが、すなわち、日蓮大聖人とともに宝処へ至る、唯一無二の道なのである。
2006年2月14日女子部・婦人部合同協議会
2022年2月14日
第1904回
女性の声を尊重すれば勝ち栄える
<一番真剣に広布に戦っているのが女性部>
アメリカのエレノア・ルーズベルト大統領夫人は、「世界人権宣言」の起草に大きな役割を果たした。彼女は語っている。
「女性が、あらゆる問題を本当に理解すれば、どの男性よりも、その問題について、より効果的に隣人に語ることができるでしょう」(Eleanor Roosevelt's My Day : First Lady of the World : Her Acclaimed Columns 1953-1962, edited by David Emblidge, Pharos Books)
「おそらく、多くの女性にとって、人のために行動することは、決して重荷ではないのです。なぜならば、それこそが、人生を生き甲斐のあるものにするからです。それは、おそらく、女性が持つ最も深い満足感だと思います」
「男性よりも、女性のほうが、変わりゆく世界の状況や考え方に対し、柔軟に適応できるようです」(You Learn by Living, Westminster John Knox Press)
私も、まったく同感である。いかなる団体であれ、社会であれ、その永続性をもたらしていく根源の力は、女性であり、母たちである。女性の意見、母の声を最大に尊重していくところが、勝ち栄えていくことができる。
学会にあっても、女性が少しも遠慮することなく、男性と同格で意見が言えるように、さまざまな次元で、さらに改革を進めていきたい。一番真剣に広布に戦ってくださっているのは婦人部、女子部(女性部)の皆さんである。それを当たり前と思ったり、見下したりする男性幹部がいれば、黙っていてはいけない。聡明な女性の皆さまは、こうした人間がいたならば、厳しく指摘していってもらいたい。
2006年2月10日婦人部代表幹部協議会
2022年2月12日
第1901回
まず女性の共感を得ること
さらに、戸田先生は力説しておられた。
「まず婦人(女性)の共感を得ることだ。そうでなければ、いかなる哲理も、いかなる信仰も、現実に根ざした力とは、なりえない。民主主義の理想も、目ざめた婦人(女性)の高い意識によってこそ、はじめて盤石に成り得るのだ」
先生は、婦人(女性)部を最大に大切にしておられた。
広宣流布といっても、現実の生活を離れてはありえない。自身の宿命を転換し、わが家庭に、わが地域に幸福の花園を築いていく。さらには社会を、よりよい方向へと変えていく。これが私たちの広宣流布の運動なのである。
今、婦人(女性)部の皆さま方は、創価のスクラムを、いちだんと勢いを増して広げておられる。多くの友へ、共感と信頼の光を広げておられる。戸田先生は、どれほどお喜びであろうか。
2006年2月10日婦人部代表幹部協議会
2022年2月5日
第1892回
聡明な女性リーダーの育成
これが広宣流布を決する!
<共に人材に育ち、育てる!>
翌七日は、華陽会の研修会であった。伸一は、ここでも質問会を通して、メンバーの激励に全力を注いだ。
やがて、社会は〝女性の時代〟となる。その時のために、どれだけ多くの、聡明な女性リーダーを育むことができるかが、広宣流布の勝負を決すると、彼は考えていたのである。
水滸会、華陽会の研修会は、また一つ、後継の青年の魂に、信心の原点を刻む集いとなった。
伸一は、いつ、どこにいても、青年の育成ということが頭から離れなかった。
世の指導者の多くは、自らが功なり名を遂げてから後継のリーダーを育成するが、広宣流布という大業を果たすには、それでは遅すぎる。広布は無数の人材を必要とする作業であり、皆の活躍の舞台は、多様多岐にわたり、世界に広がっているからだ。また、いつ倒れようが、自分の志を受け継ぎ、堂々たる広宣流布の指揮を執れる人材群を育成しておく必要性を、伸一は感じていたのである。
<新・人間革命> 第8巻 宝剣 117頁
2021年12月31日
第1849回
女性部こそ広布の主役
<女性への暴言は絶対あってはならない!>
女性部(婦人部、女子部)の皆さんは、
楽しく、伸び伸びと活動していただきたい。
学会の、どの地域にあっても、
実質的に広宣流布を担ってくださっているのは、
女性の皆さんである。
遠慮はいらない。
自分たちがやりやすいように、
どんどん意見を言っていただきたい。
男性幹部は、
それに、きちんと耳をかたむけることだ。
女性の意見を大事にして、
皆さんが活動しやすいように
真心を尽くしていくのである。
そこに、もう一歩、
学会が大きく発展していくカギがある。
また信仰活動のうえで、
言うべきことがある場合も、
男性幹部は、
絶対に女性をしかったり、
怒鳴ったりすることがあってはならない。
どこまでも紳士的に、
尊敬を込めて接していただきたい。
幹部だからといって、
しかる権利など、
だれにもないのである。
自分のかわいい娘さんが
しかられたならば、
親御さんは、どう思うか。
また、大切な、お母さんが、
だれかに怒鳴られたならば、
家族はどれほど悲しいか。
たとえ、どんな理由があっても、
ご主人やお子さんが納得するわけがない。
日蓮大聖人は、
弟子の四条金吾に対し、
どんなことがあっても、
身内の女性をしかったり、
争ったりしてはならない
と御指導されている。
「女性には、
どのような失敗(罪)があったとしても、
決して教訓などしてはならない。
まして絶対に争つてはならない」
(御書1176㌻、通解)
このころ、四条金吾は、
主君の信頼を回復し、
苦難の時期を耐えぬいて、
春を迎えていた。
しかし、
それゆえに敵に狙われてもいた。
ただでさえ、危険な状況のなか、
味方をも敵に回すことのないよう
注意された御文と拝される。
女性の繊細な心理を理解された
御本仏の深い御配慮が伝わってくる。
第一線で労苦を分かち合え
ともあれ、
広布のため、学会のために奮闘してくださる
女性部(婦人部、女子部)の皆さんへの
感謝を忘れてはならない。
やってもらって当たり前
――こうなったら、
もう仏法ではない。
創価学会ではない。
そうならないためにも、
つねにみずからが第一線で戦い、
広布の労苦を分かち合っていくことだ。
そして、
大変ななかで戦ってくださっている
同志が健康で、
幸福になり、
勝っていけるよう祈っていくのである。
女性部(婦人部、女子部)の皆さんも、
男性幹部から一方的に
無理なことを言われでも、
決して聞く必要はない。
時代は急速に変わっている。
上意下達では、
組織は硬直する。
下から上を変えていくのである。
上が慢心や不正を起こさないよう、
下が意見を言い、
しっかり見ていくのである。
女性の皆さんが、
心晴れやかに、
生き生きと躍動した分だけ、
学会は躍動し、
広宣流布は躍動する。
その歓喜と福徳こそが、
わが家庭、わが地域、
わが国土を栄えさせていくのである。
2006年3月29日 「5・3」記念協議会
2021年12月26日
第1842回
女性を大切にする社会は発展する
<女性のエンパワーメントこそが
21世紀発展のカギ>
このたび、インドの世界的な農学者スワミナサン博士と私との対談集が、発刊の運びとなった。(=『「緑の革命」と「心の革命」』と題し、二〇〇六年四月に潮出版社から発刊)
(中略)
スワミナサン博士も、今回の対談集の発刊を、ことのほか喜んでくださっている。
(=博士は、名誉会長との対談について「私の人生における最も輝かしい出来事」と述べている)
博士は、核兵器と戦争の廃絶をめざす科学者の団体「パグウォッシュ会議」の会長としても活躍されている。
長年、会長を務めてきたロートブラット博士の心を継いで、世界を結んでおられる。
スワミナサン博士との対談でも、「女性の力」が一つの焦点となった。
かつてインドの食糧危機を救った「緑の革命」において、ひときわ重要な役割を果たしたのは、名もなき庶民の女性たちであった――博士は、こう強調されている。
すなわち、科学者が、米や小麦の新しい品種を開発しても、その品種が本当に人々に受け入れられるかどうか、実際に見極め、判断するのは、庶民の女性であった。そして、ひとたび、品種の採用を決めると、その「種」を植え、育て、増やして、多くの人々に普及させていったのも、女性たちであったというのである。
博士は、述べておられる。
「種子を保存するときも、農作物を管理するときも、さらには食用としての品質を判定するときも、あらゆる段階で女性が中心でした。女性の役割は、多くの場合、過小評価され、無報酬であり、報われることも、称賛されることもありません。しかし、それは非常に重要な役割なのです」
博士は、六十年間、農業にかかわってこられた。その経験のうえから、農業のあらゆる場で「女性」の意見がさらに尊重され、男女の平等が確立されるならば、みずから理想とする「永続的な緑の革命」は必ずや成し遂げられると、展望しておられた。
博士はまた、「女性を大切にすることが、社会にとって、どれだけ有益か」について、ご自身の信念を、次のように語っておられる。
「生物学的にも心理学的にも、母親は子どもたちや共同体全体に対して、より大きな愛情と慈悲の心をもっています」
「もしある家庭で女性のために何かをすれば、それはあらゆる人に恩恵を与える」と。
つまり、女性を励まし、大事にすれば、その恩恵は、家族のみならず、まわりの人々にも及び、広がっていく。結果として、より多くの人が幸せになるというのである。
博士は率直に″男性に同じことをしても、そうはならないでしょう″とも言われていた。
女性に光を当て、女性の意見を重んじ、女性に十分な活躍の機会を開き、女性が最大に力を発揮できるようにする。そうした「女性のエンパワーメント(女性に力を贈ること)こそが社会の発展のカギであると、私たちは語り合った。
2006年3月29日「5・3」記念協議会
「異体同心」ですべての山を越えよ
2021年12月12日
第1823回
女性を尊敬せよ、
そこに発展のカギが
<永遠の発展への重大なカギ>
学会においては、
男性と女性は、一切、平等である。
これを、あらためて申し上げておきたい。
女性に、ますます広布の重責を
担っていただく時代に入っている。
実際、折伏をはじめ、
あらゆる活動を支え、
学会を守ってくださっているのは、
女性である。
お世辞ではなく、これが事実である。
何度も拝してきた御文であるが、
日蓮大聖人は
「此の経を持つ女人は一切の女人に・
すぎたるのみならず一切の男子に・
こえたりとみえて候」
(四条金吾殿女房御返事1134頁、新版1542頁)
と、厳然と仰せである。
男性が威張り、
広布の女性を下に見る
――それは、御聖訓に照らして、
間違っている。
また、民主主義に反するし、
封建時代のような時代錯誤である。
女性は、まじめで、純粋である。
まっすぐな正義感がある。
そうした女性を疎ましく思い、
男性だけで物事を決めていくようになれば、
学会の将来は危ない。
混乱し、壊れかねない。
男性が、心から女性を尊敬していけるか。
ここに、永遠の発展への重大なカギがある。
私は、根強い男性中心の風土を革命し、
新しい「女性の世紀」を開くために戦っている。
また、リーダーの団結が大事である。
リーダーの心と心に距離があれば、
そこに魔がつけ入り、組織は崩れていく。
どこまでも「異体同心」で進んでいただきたい。
2006年3月9日
第五十八回本部幹部会
全国壮年部幹部会
第三回九州総会
2021年4月19日
第1712回
女性部誕生
2021年5月3日婦人部→女性部
2021年11月18日女子部→女性部
一、わが婦人部・女子部の結成70年の偉大なる歴史を昇華して、颯爽と「女性部」の誕生、誠におめでとう!(大拍手)
日蓮大聖人は、「一代聖教の中には法華経第一・法華経の中には女人成仏第一なり」(御書1311ページ)と仰せであります。
ゆえに、我ら学会家族には、母たち・女性たちの「幸福勝利」こそ第一なり、であります。
戸田先生は、しみじみと語られました。
「いったい世界のどこに、民衆のために憂え、21世紀から末法万年尽未来際の世界を論じている女性がいるだろうか。あなたたちは、久遠の約束のもとに、選ばれて、ここにいるのだ」と。
御本仏が一切を御照覧であり、牧口・戸田両先生も見守っておられます。
どうか、安心して、いよいよ明るく誇り高く、いよいよ仲良く朗らかに、世界第一の「桜梅桃李」のスクラムを組んで、「女性の希望の世紀」すなわち「生命尊厳と平等そして平和の世紀」を創り光らせていってください。
文字の力は壮大
一、1951年4月20日、戸田先生は第2代会長就任に先駆けて、聖教新聞を創刊され、「民衆そして青年による言論革命」の鐘を打ち鳴らされました。
創刊満70年に当たり、尊き「無冠の友」をはじめ、聖教を支え、担い、広げてくださっている全ての方々に、心より御礼を申し上げます。
日本中、世界中の人に読ませたいとの師弟の祈りが結集して、今や聖教電子版は、じつに世界206カ国・地域というロマンあふれる広がりとなっています。
御聖訓には、妙法を弘めゆく文字の力、言論の力について――
「法華経の一字は、大地のようなものです。万物を生み出します。法華経の一字は、大海のようなものです。あらゆる川の流れを納めます。法華経の一字は、日月のようなものです。全世界を照らします。この法華経の一字が変じて仏となるのです」(同1263ページ、趣意)と記されております。
この壮大なる価値創造の力用を、わが地涌の青年部は、聖教新聞ならびに世界の姉妹紙誌と共に、一段と発揮していただきたい。
新生「女性部」と共に
一、今月の座談会では、日蓮大聖人の立宗宣言を偲び、諫暁八幡抄の一節を拝読し合いました。これは、創立の父・牧口先生が御書に線を引き、大切にされていた御金言であります。
すなわち――建長5年(1253年)4月28日の「立宗の日」から今月に至るまで「日蓮は、他事は一切ない。ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。これはちょうど、母親が赤子の口に乳をふくませようとする慈悲と同じである」(同585ページ、趣意)と。
この大聖人の大慈大悲にして忍難弘通の大闘争を、そのまま現代世界に受け継いでいるのが、我ら創価学会の慈折広宣流布なのであります。
なかんずく、広布の母たち・女性たちが、自らの宿命と祈り戦いながら、悪口罵詈にも負けず、慈悲と勇気と忍耐で一人一人に太陽の仏法を語り切り、伝え抜いてきたからこそ、今日の平和・文化・教育の大連帯があることを、ゆめゆめ忘れてはなりません。
巡り来る5月3日「創価学会の日」「創価学会母の日」を期して、新生「女性部」と共々に、この学会精神の真髄を、今再び燃え上がらせ、妙法の大良薬の功力を、わが友にも、わが地域にも、わが国土にも満々と漲らせていこうではありませんか!
感激の同志と、異体同心、師弟不二の凱歌を断固と誓い合って、私のメッセージといたします(大拍手)。
2021年4月19日
〈第3回本部幹部会・婦人部希望総会から〉 池田先生のメッセージ
2020年6月1日
第1682回
女性が社会を輝かせる
<モノや効率の時代から心の通う時代へ>
時代は、
女性のもつ
しなやかな創造力、
優しさ、温かさ、
人間味などが
社会に反映されることを
求めている。
物や効率ばかりを
追うような社会から、
心の通う人間らしい
社会に戻していくには、
女性の力が
不可欠なのである。
女性の聡明な笑顔、
生き生きとした
声の響きこそ、
皆に勝ち進む活力を
みなぎらせていく
源泉である。
女性こそ
平和の担い手であり、
生命尊厳の世界を築きゆく
偉大な使命をもっている。
女性を大切にし、
女性の意見を尊重する――
そうすれば、
世界は、
より良い方向へと
変わっていく。
女性は、
いくつになっても、
自分らしく花を
開かせることができる。
心にしっかりとした芯を
もっている人は、
時とともに輝いていく。
そのためにも、
何か、自分を進歩させる
目標をもつこと、
さらに人のため、
社会のために
尽くしていくことが
大切である。
女性には命を育む
「慈悲」がある。
生活に根差した
「智慧」が光り、
堅実に生きる
「忍耐」があり、
一歩も退かぬ
「信念」が燃えている。
世界一、宇宙一の妙法を
持ち弘めゆく女性は、
この社会で
最高に尊貴なる
宝の方々だ。
「法華経の師子王」を
持った女性こそ、
時代・社会の最先端をいく
一人一人なのである。
2020年5月31日〈池田大作先生 四季の励まし〉
2017年8月16日
「婦人部に与う」
(4/4)
<私たちには、学会員である人も、ない人も、
その地域中の人びとを幸福にしていく責任がある(2)>
清原かつは、声を大にして訴えた。
「ブロック組織という、地域に根を張った学会の力は、台風や火災などの際に証明されております。
その連携のすばらしさ、助け合い、励まし合いのすばらしさは、内外の称賛を得ています。『あの台風の時、学会員が助けてくれた』、あるいは『学会員が団結して火災を消し止めてくれた』といった話は、枚挙に暇がありません。
私たちは、そうした非常事態の時だけでなく、常日頃から、不幸に泣く地域の人びとを、一人も残らず、励ましていくのだとの決意で、広宣流布の活動に取り組んでまいろうではありませんか」
参加者は、新たな決意で二月度の後半の活動に向かって、出発していった。
また、「婦人部に与う」が『大白蓮華』の三月号に巻頭言として掲載されることを知った全国の婦人部員は、その発刊の日を指折り数え、期待に胸を弾ませながら、寒風のなかを弘教に走った。
小説『新・人間革命』 第7巻 「操舵」
2017年8月15日
「婦人部に与う」
(3)
<私たちには、学会員である人も、ない人も、
その地域中の人びとを幸福にしていく責任がある(1)>
婦人部幹部会は、会長山本伸一が示した指針「婦人部に与う」の発表にわき返った。
婦人部の幹部の朗読が始まると、参加者は瞳を輝かせて、聞き入っていた。
最後の「創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である」との一節では、誰もが電撃に打たれたような思いにかられた。
彼女たちの多くは、経済苦や病苦にあえぎながら、自身の、わが家の宿命転換を願い、ただ幸福になりたいとの一心で、懸命に信心に励んできた。
しかし、それだけではなく、「女性解放」という、もっと大きく崇高な使命を果たすための信仰であることを自覚したのである。
「女性解放」とは、単に制度などの社会的な差別からの解放にとどまるものではない。いっさいの不幸からの解放でなければならない。彼女たちは、自らの体験を通して、その唯一の道が日蓮仏法にあることを確信することができた。
生活という大地に根を張った婦人たちが、時代の建設に立ち上がってこそ、初めて、社会を蘇生させることができる。
自分たちの生きゆく社会を、楽しい、平和なものにしていくことが、広宣流布である。
この「婦人部に与う」を受けて、婦人部長の清原かつは、この日、次のようにあいさつした。
「今日は、わが婦人部にとって、歴史的な日になりました。
山本先生は、この原稿を書かれた後も、何度も何度も推敲されたとうかがっております。
しかも、戸田先生のお誕生日に執筆してくださったということは、私たち婦人部が、戸田先生の遺志を継いで、断じて広宣流布を成し遂げていきなさいとの、ご指導であると思えてなりません。
山本先生は、この『婦人部に与う』のなかで、私たちこそ『真の女性解放の先駆者』であると述べられております。
つまり、自分や一家の幸福を築いていくことはもとより、広く社会に目を開き、すべての女性を、宿業の鉄鎖から解放していくことが、創価学会婦人部の使命なのであります。
要するに、私たちには、学会員である人も、ない人も、その地域中の人びとを幸福にしていく責任があるということです。
そう考えるならば、地域にあって、自分の受け持っている組織は、小さな単位であるブロックという組織でも、私たちの使命は、限りなく大きいと思います」
(つづく)
2017年8月13日
「婦人部に与う」
(2)
次いで、山本伸一は、婦人部の信心について記していった。
彼は、熱原法難で神四郎兄弟が斬首された時、女人なるがゆえに処刑を後回しにせず、直ちに自分も処刑するように迫った女性の話が、一説にあることを述べ、この死身弘法の生き方こそ、信心の鑑とすべきであると訴えた。
更に、婦人の信心が、家族に及ぼす影響がいかに大きいかを語った。
「かつて、牧口初代会長法難のさい、あまたの幹部、同志が退転したのは、当時の婦人たちに信心がなく、その婦人たちが、夫や子息に先立って退転してしまったことが原因であると聞く。じつに恐ろしきことである。
未来に向かって向上していかねばならぬ学会は、同じ轍を断じて踏んではならぬ。(中略)夫を、子らを支えていく、磐石なる信心であっていただきたい」
また、婦人部の幹部の心遣いに触れ、夫が信心をしていないなかで活動に励んでいる人や、夫を亡くした人に対しては、包容力をもって、温かく、親切に激励してほしいと望んだ。
そして、婦人部員の生き方を示していった。
「学会婦人は、学会内からは当然のこと、一般社会の人々からも、信頼され、好かれる婦人であるべきである。
なお、学会婦人は、教学を身につけ、地味であっても、庶民の生活法の哲学者であり、婦人のリーダーであっていただきたい。
ひるがえって、いかなる男性幹部の言葉なりとも、学会指導に反した、感情、利害、利用等の話であった場合は、断じて聞く必要もなければ、むしろ厳しく戒めあっていく、強き強き婦人であっていただきたいものである。
最後に、創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である。自由と平和の旗を掲げた名誉を自覚し、仲良く、楽しく、美しく前進していこうではないか」
伸一は、婦人部のメンバーへの、期待と感謝と尊敬の念を込めて、一気に書き上げた後、何度も、何度も推敲を重ねた。
彼は、翌十二日の朝、その原稿を、伸一のところへあいさつにやって来た婦人部長の清原かつに渡した。この日は、台東体育館で婦人部の幹部会が開かれることになっていた。
「清原さん、私は、今日の婦人部幹部会には出席できないが、その代わりに婦人部への指針を書いたよ。
これは『大白蓮華』の三月号の巻頭言として発表するが、今日の参加者に読んであげてください」
清原の顔が光った。
(つづく)
2017年8月8日
「婦人部に与う」
(1)
婦人部は学会の太陽である――というのが、山本伸一の確信であった。
(1963年昭和38年)彼は、その婦人部に、感謝と敬意を込めて、未来への希望となる指針を贈りたいと思った。
戸田城聖の誕生日にあたる二月十一日、伸一は、恩師をしのびながら、婦人部への指針を書き始めた。
「婦人部に与う」というのが、その題名である。
彼は冒頭、「白ゆりの香りも高き集いかな 心の清き友どちなれば」との、戸田が婦人部に贈った和歌を記した。
そこには、学会婦人部の姿が、象徴的に示されているからである。
「この歌は、かつて戸田前会長が、婦人部にくださった歌である。この歌のごとく、清らかな、そして、水のごとき信心を根本に、一生成仏をめざし、また、広宣流布達成まで、団結強き、世界一の婦人部であっていただきたい。
御書にいわく『や(箭)のはしる事は弓のちから・くものゆくことはりう(竜)のちから、をとこ(夫)のしわざはめ(婦)のちからなり』と。
この御文は、いかに婦人が、家庭にあり、社会にあって、重要であるかとのお言葉である。
一家にあっては、つねに太陽のごとくあっていただきたい。いかなる苦難の嵐にあうとも、厳然と題目をあげきり、夫が、職場においても、かつは、学会活動の面でも、十分働けるよう、賢明なる婦人であらねばならぬ。
ともに、子女のよき母とし、よき友として、愛情と理解とをもって、次代のよき指導者に成長せしむる責任あることを自覚していくべきであろう」
彼はまず、主婦であり、妻であり、母である女性の在り方について、こう綴った後、広範な婦人の使命について言及していった。
「御書にいわく『末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり』と。
これは、民主主義、男女同権の御文である。
(中略)いま広宣流布に向かうわが婦人部も、それぞれの境遇、才能、性格に応じて、教養をおおいに高め、言論界をはじめとし、科学界に、芸術界に、教育界に、医学界にと、自在に振る舞っていかれんことを切望するものである。
また一面、地道に、家庭を守り、男性のできえぬ細かいところに気をつかい、学会員等のめんどうをみていくことも、広布への戦いの立派な活動であることは当然のことである」
(つづく)
2016年9月16日
母は平和を育む大地
<母の祈りは絶対勝利の祈り>
母の祈りには、限界がない。
行き詰まりもない。
臆病も弱々しい迷いもない。
ひたぶるな祈りの底には、
絶望やあきらめを追い払う
勇気が燃えている。
妙法の祈りは、
断じて勝つという誓願だ。
祈ったその時に、
すでに未来の勝利を
深く決するのである。
母は、一切を育む
創造と教育の大地である。
その大地が、ひとたび動けば、
すべては変わる。
母が家庭を変える。
母が地域を変える。
母が社会を変える。
母が時代を変える。
そして、母が
世界を平和へと変えていくのだ!
聖教新聞2016年PR版秋季号 婦人部結成65周年を讃う
幸福博士の花の冠をあなたに 四季の励まし(抜粋)
2016年9月4日5日
婦人部へ
「衆生所遊楽」の生命を創り上げておけば、
何も恐れるものはない。
<「心こそ大切」>
汝自身の心の決意の仕方で、
いかようにも、
人生は勝利できるはずだ。
幸福になっていくはずだ。
(前略)戦争中、そして動乱の戦後のなかにあって、最も苦しみ、最も生活の犠牲を強いられたのは、女性たちであった。
夫の戦死や息子の出征。さらに来る日も来る日も、火炎に包まれた、悲惨極まる空襲。そして戦後の打ち続く、飢餓のような耐乏の暗い生活。終戦になっても、人間として生き抜くことは、さらにもう一つの激しい″戦争″であった。
最愛の夫の遺骨が、子どもの遺骨が、あまりにも侘しく戻ってきた家々も多かった。
その人生と生活の中には、慟哭があった。限りない地獄があった。
その女性たちの安穏と満足と幸福の大道を開きゆくことが、私の師匠である戸田城聖の命懸けの戦闘であった。
「地上から″悲惨″の二字をなくしたい!」
この熱願が、戸田先生の根本的思想であったのである。
人生の厳しさを「宿命」というべきなのか。
その宿命を転換しながら、不幸の命をば破滅させ、永遠に朗らかな、幸福の、そして福徳豊かな「人間革命」を成し遂げていくのが、人間としての目的であるはずだ。
そのために、苦しくとも楽しい戦いを、貴女は好んで願ったのではないだろうか。
生命は、今世だけのものでは絶対にない。三世永遠である。いつ、どこにあっても、「衆生所遊楽」の生命を創り上げておけば、何も恐れるものはない。
アメリカ・ルネサンスの哲人ソローは語った。
「この世の短い期間を永遠の生活の掟に従って生きなければならぬ」
(『一日一章 人生読本〈1〜3月〉』原久一郎訳、社会思想社)
その通りの人生を実践し、歩んでいるのが、わが母たちである。
どうして自分だけが……
どうして私だけが……
こんな不幸な宿命に生きてきたのか……
弱音を吐くな! あきらめるな!
ありとあらゆる境遇の違いがあっても、人間は人間である。「心こそ大切なれ」と、御聖訓にはある。
その通りだ。汝自身の心の決意の仕方で、いかようにも、人生は勝利できるはずだ。幸福になっていくはずだ。それは、歴史が証明している。
「あの人は貧乏」と指さされる人が、たくさん、いるかもしれない。
しかし、貧乏がなんだ。
偉大なる歴史を残した、無数の名高い勝利者の大半は貧乏であった。皆が、人から笑われるような貧乏人であった。しかし、自分が生き抜く、その舞台で立ち上がったのである。そして勝ったのだ。
卑屈になるな!
汝自身が生きゆく道で、ささいな事で気をつかいすぎるな!
それは愚かだ。
勝負は、一生で決まる。そして最後の数年が、決定打である。
貧しき家に生まれたことを最高の誇りとすべきだ。
その人が、根本的に人間としての勝利者のバトンを受け取ったのだ。
虚栄の金持ちが、何が幸せか。見栄の有名人が、何が偉いのか。
人を軽蔑して権力の座に就いた政治家が、何が尊いのか。
足下を掘れ。そこに泉があることを忘れるな!
経済上で負けたとしても、心の世界で勝て!
社会の各界の位に負けたとしても、汝自身の深き哲学で勝て!
幸不幸は、財産では決まらない。美貌でも決まらない。血筋でも決まらない。
外見の偉さと内面の偉さでは、天地雲泥の差があるのだ。その深き生命の奥義を、悠然と勝ち飾った自負の心にこそ、勝利の王者の王冠は輝いているのだ。
あの卑しい嫉妬に狂った悪口雑言など、君よ、振り向くな! 朗らかに、愉快に生きるのだ!
人を切り捨てて、自分に、その何倍もの傷をつくっていることをわかりながら、繰り返す、その人間の愚かさよ!
悪人は、地獄から地獄に帰る。
勝利者は、勝利者の道を歩いていくのだ。
母は、今日も健気に走る。疲れても疲れても走る。
なんと、なんと素晴らしき尊き姿よ!
わが友の不幸と苦痛を残らず拭い去れ! と祈りながら、母は走る。
いかなる烈風の嵐があっても、折れた枝葉が数多く散らばっている道をば、今日も、そして明日も、いな、来る年も、また来る年も、さっそうと、そして不屈に粘り強く、わが歌を歌いながら生き抜いていく、いじらしき母よ!
有名な場所であれ、無名な場所であれ、高貴な場所であれ、貧しき庶民の場所であれ、いずこに歩み進んでも、母のいるところには、「幸福と勝利の人間の旗」が、なびいている。
「平和と正義の生命の名優」が、光っている。
随筆人間世紀の光1 偉大なり 創価の婦人部(1)2004年6月10日
2015年5月8日
女性と男性
<男性は女性に学び、女性は男性に学ぶ>
池田 永遠の生命から見れば、男といい女といっても、ある人生では男性となり、ある時は女性と生まれ、固定的なものではありません。その意味でも、あらゆる人の中に「男性的なるもの」と「女性的なるもの」が両方あると考えられます。
須田 女性にも男性ホルモンがあり、男性にも女性ホルモンがあるようなものでしょうか。ちょっと次元が違うかもしれませんが。
池田 いや、分かりやすい譬えかもしれない。ともあれ、一人の人間の中に「男性的なるもの」と「女性的なるもの」が調和していなければならない。それが人格の成熟であるし、自己実現でしょう。
つまり、男性も、いわゆる「男らしい」だけでは粗暴になってしまう。女性の考え方、感性を理解できるこまやかさ、優しさが必要でしょう。女性の場合も、いわゆる「女らしい」だけでは十分とは言えないでしょう。
現代の文化では男性的な特質とされている冷静・沈着な思考力、判断力、展望力などを具えていかなければ、自分自身を大きく開花させたとは言えないのではないだろうか。それは男性の女性化でもなければ、女性の男性化でもない。女性の男性化ならば、それは「変成男子」になってしまう。
どんな社会においても、男性は男性らしさ、女性は女性らしさが、その社会なりに要求されます。その要求に適応すればするほど、それ以外の自分の特質が抑圧されてしまう面がある。それは、ある意味で、しかたのないことかもしれないが、だからこそ、男性は女性に学び、女性は男性に学んで、互いに自分の人格を大きく育てていくべきではないだろうか。
結婚の意義の一つも、こういう自己完成にあると思う。もちろん、結婚しなければならないという意味ではありません。
法華経の智慧 提婆達多品 第十二章
2014年5月19日
最も大切な人道
母は子に、
無尽蔵の愛を注いで育ててくれる。
子どもは、大威張りで、母に甘える。
母が老いたならば、
今度は、子どもが親孝行し、恩返しをする番である。
子どもに、その「報恩」の自覚がなくなってしまえば、
最も大切な人道は失せてしまうことになる。
小説 新・人間革命 24巻 母の詩
2014年5月13日
「母」にこそ、
幸福あり、平和あり
「母」とは
「永遠に負けない人」
そして
「最後に必ず勝つ人」の
異名である。
母は、青年を育てる。
青年の活躍は、
母の功績である。
母は壮年を支える。
壮年の活躍は、
母の力の証明である。
自分が決めゆく使命の道をば、
人生の最終章まで、
悔いなく断固と貫きながら、
生き抜き、
戦い抜いていくことだ。
そして自分自身が、
勝利の満足をすることだ。
「あの人のように」ではなく、
「私らしく」生きていくのだ。
幸福というものは、
決して他から
与えられるものではない。
自己の生命の内に
築いていくものである。
人生には、
嵐の日もあり、
雪の日もあろう。
だが、自己の胸中の大空には
常に希望の太陽が輝き、
青空が美しく
広がっていればよい。
平和とは、
遠くにあるのではない。
政治の中にのみあるのでもない。
それは、
「母を大切にする」という
人間学の真髄の中にこそ
あるのである。
聖教新聞2014.5.11付 光の言葉 幸福の曲
2014年2月26日
赤ん坊を抱いたお母さん
勝った人が正義なのです。負ければ、何を言っても空しい。ゆえに、断じて勝たねばならないのです。
貴国(ウクライナ)の大詩人は、こうも歌いました。
「わたしは 何も知らない
小さな赤ん坊をだいた
幸せな母親よりも もっと価値のある
もっと美しいものなど・・・」
人間、だれが偉いのか。権力者が偉いのか。有名人が偉いのか。そうではない。赤ん坊を抱いたお母さん以上に、価値ある、美しいものは、この地球上にない!――というのであります。そのとおりではありませんか!
ここに、本当の「人間主義」がある。また、こうした世界をつくるために、私たちの「広宣流布」がある。過去の多くの哲人も、そのために戦ってきました。
二十一世紀は、この地球上の「すべての女性と子どもたち」の幸福と希望と歓喜の生命が、燦然と輝きわたる世紀にしていかねばなりません。
ゆえに、深き使命の皆さまは、断じて負けてはならないのであります。
2000.11.7ウクライナ「内閣栄誉賞」授与式、第一回東京婦人部総会
2013年12月24日
勝利の秘伝
婦人部の祈りほど強く深いものはない。祈りぬく。祈りきる――この心が婦人部にはある。この信心に「勝利の栄冠」は輝く。
「祈りぬく」「祈りきる」――この心が「勝利の秘伝」である。
2000.3.24第44回本部幹部会
2012年12月20日21日
一家の宝
一家のなかで、最も大切な宝は、婦人の微笑です。夫も、子どもも、そこから勇気を得ます。希望を知ります。人生には、どんな苦難が待ち受けているか、わかりません。その時に、朗らかに微笑むことのできる人こそが、本当に強い人なんです。
新・人間革命25巻 福光 53
2012年11月17日18日
優しさは強さの花
私は雨に打たれても
毅然と 咲く花だ!
仲間たちに
微笑みを分けてあげよう!
臆病であったり
弱ければ 人を守れない
結局は無慈悲な
哀れな自分を見るだろう
自身の悲哀に勝ってこそ
わが友の悲惨な闇を知る
自身の弱さに負けぬから
悩みを取ってあげられる
強くあれ 強くあれ!
それが幸福の宮殿を開く
第一の合言葉だ
悲しき歌に別れを告げ
弱虫な自分に打ち勝ちて
欺かない!
正義に欺かない
自分自身を知ることだ
聖教新聞2012.11.11付桂冠詩人の世界
2012年8月25日
母
母こそ、子どもにとって人生における最初の教師にして、最良の教師である。
完璧な母親などいません。欠点も長所もあるから、人間なのだ。そこに人間らしさがある。だからこそ、子どもも安心できる。自分らしくてよいのである。
子どもにとって、母親から激励され、ほめてもらった記憶は、嬉しく、いつまでも忘れないものである。
池田大作 名言100選 88,89頁
2012年8月24日
本来の美しさ
人の美しさを妬めば、自分の本来の美しさも消える。
人の美しさを讃えれば、自分の本来の美しさは倍加する。
池田大作 名言100選 91頁