2021年12月6日
第1814回
アジアの国々の犠牲のうえに、
日本の繁栄を考えてはならない
<戦う獅子>
一行は、この日の夜、大客殿の資材の購入を依頼している商社の、カルカッタの支店長から食事に招かれていた。
約束の午後七時に、伸一たちは、支店長の社宅を訪れた。支店長は一行を慇懃に迎えたが、どこか、人を見くびっているような態度が感じられた。
自己紹介が終わると、支店長は伸一に言った。
「会長さん、今や世界ですな。有能な企業は、いずれも世界に人材を出していますよ。ところで、創価学会の皆さんのなかにも、外国に出ている方がいらっしゃるのですか」
「たくさんおります。アメリカにも、ブラジルにも支部があります」
「ほう。そうですか。信者さんは、やはり、ご年配の方が多いのでしょうな」
「いいえ。青年が多く、各地の活動の推進力になっています」
「ほう。会長さんがお若いからですかね。私は、会長さんは、もっと年配の方かと思っていましたよ。信者さんは経済的にも大変な方が多いと聞いていますし、会長さんもお若いだけに、何かと大変でしょうな。しかし、若いということは未来がありますから」
支店長は、さらに、尊大な口調で語っていった。
「まあ、日本が国際舞台で活躍する道は、経済力をつけるしかありません。その基本は貿易ですよ。なかでも、これからはアジアとの貿易が大事になります。
アジア各国が、日本の経済協力を求める時代も来るでしょう。しかも、資源は豊富だし、人件費もまだ安い。はっきり言って、アジアには〝うま味〟がある。
ところが、このカルカッタというのは、非常に商売が難しいところで、なかなか抜け目がない。かなり商売上手でも、ここでは成功しないといいます……」
話を聞いていると、大手商社などの大企業だけが日本の国を担い、ことに自分が、その最前線でいっさいの命運を握っているといわんばかりである。
支店長は一方的に話し続けた。
「こうして現地で仕事をしていますとね、日本の外交官は頼りにならんのですよ。むしろ、私たちが交渉のルートを開き、あとから国が乗ってくることも少なくありません。最近の外交官には、自分が国家を背負って立つという気迫がないですな。
山本会長さんは、まだお若いのだから、宗教という面だけでなく、広く日本の国家や世界のこともお考えになることが大事ですよ」
伸一は、しばらく黙って話を聞いていたが、ニッコリ頷くと語り始めた。
「私は青年です。したがって、青年として、理想と信念を語らせていただきたいと思います」
支店長は、驚いたように伸一を見た。
伸一は、強い口調で語っていった。
「日本の経済の発展のうえでは、確かに商社などの役割は重要でしょう。ただし、アジアの国々を食い物にするようなやり方では失敗します。経済協力でアジアに金を出す。それは結構なことです。問題は、その国の民衆に、本当に貢献できるかどうかを考えることです。
経済力によって優位に立ち、その国をいいように利用し、巧妙に搾取するようなことは、絶対にすべきではない。つまり、アジアの国々の犠牲のうえに、日本の繁栄を考えてはならないというのが私の意見です」
支店長は、眉をひそめたが、伸一は語り続けた。
「日本はかつて、軍事力をもって、アジアを支配しました。戦後は、その反省から出発したはずです。それを今度は、経済力をもってアジアを支配するようなことをすれば、再び大きな過ちを犯すことになります。
あなたはインドにいらっしゃるわけですから、日本のことだけでなく、インドの民衆が豊かになるためには、何が必要なのかを、常に考えていくべきです。いわば、インドの人びとの幸福をめざし、共存共栄の道を真剣に探し求めていかなくてはならない」
支店長は、たじろいだ表情をしていたが、それでも虚勢を張って言った。
「共存共栄は、私どもの仕事の大原則でしてね」
「ところが、その大原則を忘れているケースがあまりにも多いのです。私は、それが残念なんです。
仏法は共存共栄の大原理を説いた哲学です。他者を犠牲にして自らの繁栄を考えるような、人間の傲慢さを革命する、生命の変革の哲理が仏法です。したがって、私は日本のため、世界のために、その仏法を弘めようとしているんです。本当に日本の国家を、世界の未来を憂えているのは私たちです。
今、私が申し上げたことは、十年後、二十年後に、より明確になっていくでしょう」
支店長は額に汗を浮かべながら、彼を見ていた。
伸一は、同行のメンバーに促した。
「さあ、いろいろとご意見もお伺いすることができたし、それでは、これで失礼しましょうか」
慌てて支店長が言った。
「いや、これから食事ですから、そうおっしゃらずに、ぜひ召し上がっていってください。お願いいたします」
それは、もはや哀願といってよかった。
伸一は相手の立場を思い、食事をご馳走になることにした。
師子には誇りがある。
山本伸一が商社の支店長に、あえて厳しく臨んだのは、学会を見下したような態度に対して、戸田城聖の弟子としてのプライドが許さなかったからである。また、アジア諸国への日本人としての傲慢さを、戒めておかねばならないと、感じたからでもあった。
伸一は支店長の社宅からホテルに帰ると、同行の幹部に語った。
「私たちは、食事を恵んでもらう必要などない。相手が学会をどう思おうと勝手だが、こちらも、言うべきことは言い切っていかなければならない。食事をご馳走になるために、学会への誤った認識を正さないというのは、あまりにも卑しい生き方です」
彼は戦う獅子であった。
<新・人間革命> 第3巻 平和の光 268頁~273頁
2019年5月25日
第1608回
正真正銘の仏法者であり
勇者とは
<民衆のため、青年のため、
正義のために、
一身に難を受け、悪口を言われ、迫害されながら、
勇敢に戦いぬいている人>
ここで、日蓮大聖人の御書を拝したい。
「釈尊の在世でさえ、なお法華経には怨嫉が多かった。まして像法・末法において、また(日本のような)遠く離れた国においては、なおさらのことである。山に山を重ね、波に波をたたむように、難に難を加え、非に非を増すであろう」(二〇二ページ、通解)
有名な「開目抄」の一節である。
釈尊も、仏法のゆえに妬まれ、数々の難にあわれた。
中国の南京で法華経を講説した天台大師も、南三北七の諸宗――つまり、中国の仏教界から批判され、迫害された。
そして、大聖人の御一生も、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をます」という、大難の連続であられたのである。広宣流布の道程においては、難があって当たり前である。難がなければ、日蓮大聖人の仰せのとおりの仏法ではなくなってしまう。
広宣流布のために戦っているからこそ、難を受ける。これが日蓮仏法の法則といっていい。
牧口初代会長も、戸田第二代会長も、そのことを徹して弟子たちに教えられた。ここに、日蓮仏法の″急所″があることを知っておられたのである。
″創価の父″である牧口先生も、平和と正義の行動ゆえに、幾多の難を受けられた。
(戦時中、牧口先生は戸田先生とともに、軍部権力に反対して神札を受けることを拒否し、治安維持法違反および不敬罪で逮捕。投獄された。牧口先生は、一年四カ月に及ぶ獄中闘争の末に獄死。戸田先生は、逮捕から約二年後、敗戦間近の一九四五年〈昭和二十年〉七月二日に出獄した)
牧口先生は、あの過酷な牢獄にあっても、悠然と「災難と云ふても、大聖人様の九牛の一毛(=比較できないほどわずかであること)です」(「獄中書簡」、『牧口常三郎全集』10所収、第三文明社)と言われた。 本当に偉大な先生であられた。
古今東西の英雄も皆、難を受けてきた。権力から難を受けていない英雄など一人もいない。
大聖人は「賢人、聖人は、罵詈して試みるものである」(御書九五八ページ、通解)と仰せである。
難を受けたときこそ、その人物の真実の偉大さがわかる。
世間から、悪口を言われ、非難されて、それでも耐えぬいて、勝ってこそ英雄である。
要領よく難を避け、戦っている格好をしているだけでは、英雄とはいえない。指導者とはいえない。ただ上手に泳いでいるにすぎない。
ひとたび、大聖人の仏法を持ったならば、要領の小才子にだけは、絶対になってはいけない。
また、虚栄の権力者などに、崇高な使命に生きゆく人生の真髄が、わかるはずがないのである。
「嘘つき」は「敗北者」の異名である。
「真実」は「勝利」の実体である。
民衆のため、青年のため、正義のために、一身に難を受け、悪口を言われ、迫害されながら、勇敢に戦いぬいている人こそが、正真正銘の仏法者であり、賢者であり、勇者である――私は、声を大にして、こう宣言したい。
2002年7月3日第十八回本部幹部会、第二回東北総会、第二回千葉県総会