2020年5月29日
第1680回
冥益(みょうやく)
<崩れざる幸福境涯を築くこと>
伸一は、日蓮大聖人の仏法こそ、経文のうえからも、法理のうえからも、最高の教えであることを訴えるとともに、その功徳は、「冥益」となって現れることを述べていった。
「功徳には、祈りの結果が、直ちに目に見える利益、つまり顕益と、目には見えない利益である、冥益とがあります。
大聖人の仏法は、このうち、冥益が主となって、私たちに幸福をもたらしてくれます。
ある場合には、信心してすぐに病気が治るということもありますが、本当の功徳とは、信心をしたら大金が手に入ったとかいうものではありません。
『棚からボタモチ』のような、自分は何もせずに、どこかから幸運が舞い込んで来るのが功徳だとしたら、かえって、人間を堕落させてしまいます。
では、冥益とは何か。
たとえば、木というものは、毎日、見ていても、何も変化していないように見えますが、五年、十年、二十年とたつうちに、大きく生長していきます。
それと同様に、五年、十年、二十年と信心に励むうちに、次第に、罪障を消滅し、宿命を転換し、福運を積み、大利益を得ることができるのが冥益であり、それが大聖人の仏法の真実の功徳なのであります」
多くのメンバーは、功徳といえば、「顕益」と思い込んできた。それだけに、山本伸一の話を聞いて、驚いた人もいた。
伸一は、皆に、正しい信仰観を確立してほしかったのである。
彼は話を続けた。
「冥益とは、言い換えれば、信仰によって、生命力と智慧を涌現し、人格を磨き、自らを人間革命して、崩れざる幸福境涯を築くということでもあります。
したがって、焦らず、弛まず、木が大地に深く根を張って、大樹に育っていくように、学会とともに、広布とともに生き抜き、自らの生命を、磨き、鍛えていっていただきたいのであります。
そうして、十年、二十年、三十年とたった時には、考えもしなかった幸福境涯になることは間違いないと、断言しておきます」
新・人間革命 8巻 布陣