2022年1月14日
第1864回
傍観者になるな!
<足元を固めよ!>
それから、皆の質問を受けた。
伸一のアジア訪問の直後だけに、
世界広布に関する質問が多かった。
一人の青年が尋ねた。
「世界の広宣流布ができた場合、戸田先生の言われた地球民族主義という考え方からすれば、世界連邦のような形態がつくられていくのでしょうか」
質問した青年は、まだ学生のようであった。観念的といえば、あまりにも観念的な質問であったが、伸一は微笑みながら答えた。
「どうすればよいかは、君に任せます。よく考えておいてください。そして、その時には、世界連邦長になれるぐらい、しっかり勉強し、力をつけておくことです」
さらに、こう付け加えることを忘れなかった。
「壮大な未来をめざすためには、現実の日々の戦いが大切です。固めるべきは足元です。人生には、さまざまな環境の変化もある。また、学会が難を受けることもあるでしょう。しかし、何があっても、退かないことだ。決して逃げないことだ。
生涯、学会員の誇りを忘れず、傍観者となるのではなく、広宣流布の責任をもって、主体者として生き抜いていくことが大事です」
<新・人間革命> 第4巻 春嵐 10頁
2013年9月8日
「現実」を離れて仏法はない
仏法は現実主義である。多くの外道が観念論におちいるなか、釈尊は厳然と、現実に即して離れない中道の生き方を説いた。
「現実」という大地を離れて、仏法はない。「民衆」という大地を離れた宗教者は、根なし草となる。現実に背を向ける者は、現実から背を向けられる。民衆を見くだす者は、民衆から軽蔑されよう。
私どもは、日蓮大聖人の仰せのままに、いかなる苦労もいとわず、「現実」に生き、「民衆」のなかに生きぬいてきた。ゆえに御本仏のお心に感応し、広布の大展開があったと信ずる。
私どもは変わらない。この道を行く。法のため、人類のために、だれが変心し、堕落しようと、また私どもにまで、その民衆利用の計画に従わせるため策動しようと、学会は変わらない。従えば、仏法は死滅する。人類の希望の太陽は消える。断じてできることではない。
悪に従わねば、悪に迫害される。当然のことである。変心と堕落の人々からの攻撃は、信仰者の勲章である。
1991.2.14海外派遣メンバー協議会
2013年8月9日
激しく揺れ動く乱世である。だからこそ、「『祈りとして叶わざるなし』という大確信を、断じて忘れるな!」と申し上げたい。これが信心である。
有名な「祈禱抄」の一節には、「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書1351頁)と断言されている。この法華経に勝る兵法は、絶対にない。
「信心」とは、御聖訓を勇敢に実践する力である。
「信心」とは、祈りを原動力として、社会で勝ち、成功して、「所願満足」していく方程式である。健康で、和楽で、「衆生所遊楽」の人生を勝ち開いていくことだ。
「信心」とは、「心の勝利」のためにある。それは、途中の勝敗ではない。「心の勝利」とは「永遠の勝利」の意義である。
「一切の法は皆是れ仏法」(御書566頁)である。現実の生活を勝つための仏法であり、信心なのである。地域にあっても、職場にあっても、模範の存在となることだ。
現実の仕事においては、「智恵」と「努力」と「忍耐」を発揮して、つねに「和を考えていくこと」が大事である。とくに、関係する人々に「誠実さ」と「明るさ」をもって接し、「信頼度」を増していくことだ。
「あいさつの仕方」や「礼儀のあり方」、また「言葉づかい」など、些細なことが勝利の源泉となる。御聖訓にも「小事つもりて大事となる」(御書1595頁)と記されている。
2003.12.28全国最高協議会
2013年2月15日~18日
現実の生活に仏の力
「一切の法は皆是れ仏法なり」(御書566頁)
ありとあらゆる煩雑な悩みや葛藤が渦巻く、この現実の生活を離れて、「一生成仏」もないのである。(中略)
煩わしい試練と、祈り戦うからこそ、仏の力が出せる。泥が深ければ深いほど、やがて美事な幸福勝利の大輪を咲かせていけるのが、「如蓮華在水」の妙法である。(中略)
「本当の勇気とは/日々、人のために働くこと。
本当の勇気とは/見返りも賞賛も求めずに/未来を信じ続けること」
未来を創るのは今だ。
だからこそ、「信心の炎」をいよいよ燃え上がらせ、勇気凛々、思い切って、この一日を、この一ヶ月、この一年を、走り抜こう!
2013.2.13付我らの勝利の大道95