2022年4月19日
第1977回
理想は高く挑戦は足元から
<新出発の友へ>
荒波の社会へ
勇敢に船出した
新出発の友、おめでとう!
尊き使命の職場です。
勇気に燃えて、
失敗を恐れず、
自分らしく
挑戦を貫いてください。
朝に勝つ。
元気な挨拶。
体調管理。
約束を守る。
基本を大切にすることが
一流への道です。
青年時代に積み上げた信用こそ、
一生の財産と輝きます。
戸田先生は望まれました。
――理想は高く、社会・世界への貢献を!
そして、
身近な足元を固めていけ!と。
張りのある勤行で生命力を漲らせ、
日々、新たな価値創造を!
多忙な中でも、
工夫して創価家族との連携を大事に!
励ましの絆こそ、
活力の源泉です。
2022年4月20日創価新報
2021年10月26日
第1757回
壮年部よ仕事第一で
8・24「壮年部の日」を前に、全国、全世界の壮年部のご活躍を、私は、心から讃え、ねぎらいたい。
不況は依然、深刻である。世界的にも、株価が低迷している。こうした時代状況のなかだからこそ、壮年部の皆さま方は、信心を根本に、あくまでも「仕事優先」「仕事第一」で前進していただきたい。
活動になかなか出られない場合も、当然ある。自営の方々のご苦労も、並大抵ではない。
周囲の同志は、そうした壮年部の状況を、よく理解してさしあげることが大事である。
その人が大変なときこそ、皆で祈り、皆で励まし、皆で包容し、守り合い、支え合っていく――これが、創価学会の人間共和の世界だからである。
戸田先生は、よく「信心は一人前でよい。仕事は三人前、働きなさい」と言われた。
大聖人は、社会で戦う壮年の弟子を、こう激励しておられる。
「あなた方のことは、日蓮から(諸天に、守護をお願いし)申しつけておきましょう。そのままでおられること(今のまま主君に仕えること)こそが、法華経を昼夜にわたり実践されていることになるのです。ともかく主君に仕えることが法華経の修行であるとお思いなさい。『一切の社会の営みや日常の生活は、すべて実相(=妙法)と相反することはない』と経文に説かれているのは、このことです」(御書1295㌻、通解)
当時、大聖人は、御自身に3度目の流罪の可能性もあった。しかし、そのなかで、御本仏は、悠然と、また厳然と、苦境と闘う門下を守り抜いておられたのである。
2002.7.26全国総県長会議 池田大作全集第67巻371頁
2021年10月25日
第1756回
仕事は真剣勝負
祈りは誓願
逆境は仏法証明のチャンス
<仏法は最高の道理>
伸一は、ここでは、多くの時間を質問会に当てた。農業移住者としてブラジルに渡り、柱と頼む幹部も、相談相手もなく、必死で活路を見いだそうとしている友に、適切な指導と励ましの手を差し伸べたかったのである。
「どうぞ、自由に、なんでも聞いてください。私はそのために来たんです」
彼が言うと、即座に四、五人の手があがった。皆、こうした機会を待ち望んでいたのである。質問の多くは、生き抜くための切実な問題だった。
四十過ぎの一人の壮年が、兵士のような口調で、緊張して語り始めた。 「自分の仕事は農業であります!」
「どうぞ気楽に。ここは、軍隊ではありませんから。みんな同志であり、家族なんですから、自宅でくつろいでいるような気持ちでいいんです」
笑いが弾けた。日焼けした壮年の顔にも、屈託のない笑みが浮かんだ。
この壮年の質問は、新たに始めた野菜づくりに失敗し、借金が膨らんでしまったが、どうすれば打開できるかというものだった。
伸一は聞いた。
「不作になってしまった原因はなんですか」
「気候のせいであったように思いますが……」
「同じ野菜を栽培して、成功した方はいますか」
「ええ、います。でも、たいていの人が不作です」
「肥料に問題はありませんか」
「……詳しくはわかりません」
「手入れの仕方には、問題はありませんか」
「…………」
「土壌と品種との関係はどうですか」
「さあ……」
壮年は、伸一の問いに、ほとんど満足に答えることができなかった。
〝この人は自分なりに、一生懸命に働いてきたにちがいない。しかし、誰もが一生懸命なのだ。それだけで良しとしているところに、「甘さ」があることに気づいていない〟
伸一は、力強く語り始めた。
「まず、同じ失敗を繰り返さないためには、なぜ、不作に終わってしまったのか、原因を徹底して究明していくことです。成功した人の話を聞き、参考にするのもよいでしょう。そして、失敗しないための十分な対策を立てることです。真剣勝負の人には、常に研究と工夫がある。それを怠れば成功はない。信心をしていれば、自分の畑だけが、自然に豊作になるなどと思ったら大間違いです。仏法というのは、最高の道理なんです。ゆえに、信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません。そして、その挑戦のエネルギーを湧き出させる源泉が真剣な唱題です。それも〝誓願〟の唱題でなければならない」
「セイガンですか……」 壮年が尋ねた。皆、初めて耳にする言葉であった。
伸一が答えた。
「〝誓願〟というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです。祈りといっても、自らの努力を怠り、ただ、棚からボタモチが落ちてくることを願うような祈りもあります。それで良しとする宗教なら、人間をだめにしてしまう宗教です。日蓮仏法の祈りは、本来、〝誓願〟の唱題なんです。その〝誓願〟の根本は広宣流布です。
つまり、〝私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください〟という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
そのうえで、日々、自分のなすべき具体的な目標を明確に定めて、一つ一つの成就を祈り、挑戦していくことです。その真剣な一念から、智慧が湧き、創意工夫が生まれ、そこに成功があるんです。つまり、『決意』と『祈り』、そして『努力』と『工夫』が揃ってこそ、人生の勝利があります。一攫千金を夢見て、一山当てようとしたり、うまい儲け話を期待するのは間違いです。それは、信心ではありません。それでは観念です。 仕事は生活を支える基盤です。その仕事で勝利の実証を示さなければ、信心即生活の原理を立証することはできない。どうか、安易な姿勢はいっさい排して、もう一度、新しい決意で、全力を傾けて仕事に取り組んでください」
「はい。頑張ります」
壮年の目には、決意がみなぎっていた。
伸一は、農業移住者の置かれた厳しい立場をよく知っていた。そのなかで成功を収めるためには、何よりも自己の安易さと戦わなくてはならない。敵はわが内にある。逆境であればあるほど、人生の勝負の時と決めて、挑戦し抜いていくことである。そこに御本尊の功力が現れるのだ。ゆえに逆境はまた、仏法の力の証明のチャンスといえる。
<新・人間革命> 第1巻 開拓者 292頁~296頁
2021年10月4日
第1733回
社会的な信頼を得るためには
伸一は、生活の問題から組織運営の在り方にいたるまで、あらゆる面からアドバイスしていった。
「リキさん、社会的な信頼を得るために、まず大切なのは、仕事で成功することです。それがいっさいの基盤になる。そのために、人一倍、努力するのは当然です。そして、題目を唱え抜いて、智慧を働かせていくんです。
広宣流布をわが人生の目的とし、そのために実証を示そうと、仕事の成功を祈る時に、おのずから勝利の道、福運の道が開かれていきます」
<新・人間革命> 第1巻 旭日 75頁~76頁
2017年2月8日
完璧な仕事というものは、
普通の二百倍、三百倍の
労苦を費やさなければできない
<環境ではない。自分に勝つことだ。>
戸田先生は青年に語られた。
「自分の境遇を嘆いたり、
怠けているうちに、
黄金の青年時代は過ぎ去ってしまう」と。
時間がない、環境が悪い
――こう愚癡を言っている間は成長はない。
私は、戸田先生のもとで働きに働いて、
御本尊の前に座れないときもあったが、
歩きながらでも題目をあげた。
環境ではない。
自分に勝つことだ。
また先生は「くどい話は必要ない!」と厳しかった。
真剣な話、大事な話ならばいい。
内容のない話、ホシをはずした話には、
「簡潔明瞭に話せ!」と、一喝された。
そういう先生であられた。
「完璧な仕事というものは、
普通の二百倍、三百倍の
労苦を費やさなければできない」
――これも戸田先生のお話である。
私は、戸田先生のご指導通りにやってきた。
先生のために、二百倍、三百倍、
否、千倍、万倍の労苦を捧げてきたつもりである。
学会の支援活動の初陣となった
昭和30年(1955年)の4月の統一地方選――。
私は、東京の大田区と横浜の鶴見区の両方で、支援の責任者となった。
どちらも、最高点で当選した。
そして昭和31年7月の参院選――。
戸田先生は、とても勝ち目のない大阪の指揮を、
あえて私にまかされた。
私に大きな試練を与えて、
“どこまで、できるか”を試されたのである。
その結果は――大阪は大勝利。
勝てるはずの東京は大敗北。
口で言うのは簡単だが、
私は厳然と、
「仏法は勝負」の証拠を示して、
戸田先生をお厳りしてきた。
戸田門下生としての一番の証しを打ち立ててきた。
牧口先生と戸田先生。
そして戸田先生と私。
この三代に本当の師弟がある。
後世のために明快に申し上げておきたい。
2007年9月28日 全国代表協議会
2015年12月29日
目的完遂に
完璧な方針を立てよう!
<目標あってこそ力は発揮>
「1日、1週間、1ヶ月の正しい方針を決めることが大切です。しっかりした目的や企画のない仕事は、暗闇の中を動いているようなものであり、それでは“暗中の遠征”です。
仏法は道理です。智慧をはたらかせ、知識を応用し、1日、1週間、1ヶ月の目的完遂に、完璧な方針を打ち立てねばなりません。
それがなく、ただ動いているだけでは、帆や舵(かじ)のない船に等しい。具体的な目標に向かってこそ、力は発揮されるのです」
大白蓮華2016.1月号795号 21頁
2015年12月27日
仕事に真っ向からぶつかり勝利せよ!
<信心即生活>
それが組織の勝利になり、
折伏の勝利になり、
広宣流布の勝利に通じる
職場において、自分に与えられた仕事、役職を完璧にやり抜くことです。そうすれば、自分の組織における活動も、全部すっきりと運びます。
御書に『御みやづかいを法華経とをぼしませ』(檀越某御返事1295頁)とあるように、仕事は仏道修行の場です。それを、活動等にとらわれて、給料をもらっている職場で、いいかげんな仕事をしていれば、全部、複雑になります。自分の思う通りに運ばなくなります。
自分の職業、すなわち生活のための仕事を完璧にやり切りなさい。すっきりとやり切ってごらんなさい。それが『信心即生活』です。仕事に真っ向からぶつかり、勝利を得なさい。それが組織の勝利になり、折伏の勝利になり、広宣流布の勝利に通じるのです。
大白蓮華2016.1月号№795 16頁
2015年11月24日~26日
職業に歓喜なき者は
信心に歓喜なき者と同じ
<職業を御本尊と思え>
『各各の御身の事は
此れより申しはからうべし、
さで・をはするこそ法華経を
十二時に行ぜさせ給うにては候らめ、
あなかしこあなかしこ、
御みやづかいを法華経とをぼしめせ、
「一切世間の治生産業は
皆実相と相違背せず」とは此れなり』
(檀越某御返事、1295頁)(中略)
戸田先生は、
「檀越某御返事を、
目や頭で読まずに、
体で読んで欲しい」と、
常々、語られていました。
私も若き日、
戸田先生のもとでお仕えしましたが、
本当に厳しい薫陶の連続でした。
学会活動を理由に、
仕事を疎かにすることなど、
断じて許されませんでした。
「信心は一人前、仕事は三人前」と、
信仰者としての姿勢を厳格に教えられました。
少々、長くなりますが、
『御みやづかいを法華経とをぼしめせ』を拝した、
戸田先生のご指導を紹介しておきます。
「自己の職業に、
人一倍打ち込もうともせず、
ただ漠然として、
信心していけば功徳があらわれて、
なんとか成功するであろう、
などと考えるのは、
これは大いなる誤りである」
「わが職業に歓喜を覚えぬような者は、
信心に歓喜なき者と同様であって、
いかに題目を唱えようとも、
社会人として成功はあり得ようがない」
「職業をよくよく大事にして、
あらゆる思索を重ねて、
成功するよう努力すべきである。
また、会社やその他への勤め人は、
自分の勤めに、楽しみと研究とを持ち、
自分の持ち場をがっちり守る
覚悟の生活が大事である」
「学会人は、
わが職業を御本尊と思い、
それに恋慕し、
心に渇仰を生じなくてはならない。
かかる人こそ、
御本仏の御意にかなう人である。
かくのごとき人こそ、
信心に透徹した人
といわなくてはならない」
もちろん、
仕事を取り巻く環境は、
当時とは変わっています。
しかし、
信仰者としての生き方の根本の精神は、
いささかも変わりません。
否、変わってはなりません。
どんな仕事でも、
どこの職場でも、
真剣勝負で働いて、
信頼を勝ち得てきたことが、
私の青春の誉れです。
『御みやづかい』の御文の後には、
法華経の文の趣旨を天台大師が説明した
『一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず』
との言葉が記されています。
これは法華経を持った人の
功徳を述べた一節で、
「あらゆる一般世間の生活を支える
営み、なりわいは、
全て実相(妙法)と相反することはない」
と教えられています。
他の御書にも
『一切の法は皆是れ仏法なり』(564頁)、
『智者とは世間の法より外に仏法は行わず、
世間の治世の法を能く能く心へて候を
智者とは申すなり』(1466頁)とあります。
仏法の理念と、
政治や経済が本来目指すべき目的観は、
根本において一致していると仰せなのです。
もとより、政治といい、経済といっても、
それは全て人間のため
のものでなければならない。
人間の幸福こそ、
あらゆる社会の営みの、
最高・究極の目的だからです。
妙法は、この幸福を築き上げるために、
人間一人一人の生き抜く力を開き顕します。
誰もが自身の内に仏という
無限の力を秘めている。
その力を顕現させるのが、妙法です。
妙法の信心は、
困難に立ち向かう勇気や、
智慧や忍耐力をもたらす本源の力です。
ゆえに、信心を根本とした私たちの行動は、
全て妙法の光明に照らされ、
希望と幸福の方向へと
価値創造していけるのです。
どんな職場、どんな立場であっても、
自分らしく、
人のため、社会のために行動していく。
そして
「あの人はさわやかだ」
「あの人は信頼できる」
「あの人は頼りになる」と賞賛されていく。
これでこそ、
「信心即生活」
「仏法即社会」の姿です。
大白蓮華2015.12月号 №794 36頁
2015年3月28日
仕事がどんどん増える
「何度失敗しても、
“次は必ず完璧にしていこう”
というのが人生なのです。
仕事のことでも、
『私の仕事を見なさい』と言えるように、
『あの人にはかなわない』と言われるように、
仏法を現実のうえで証明するのです。
『あの人を、この仕事から外しては大変だ』
と言われるようになりなさい」(中略)
「自分の仕事に重荷がかかるのは、
幸いではないか。反対に、
仕事がどんどん取り上げられるのは困る。
男子部の先輩を見たまえ。
仕事がどんどん増えるし、
それを喜んでいるではないか。
生きた生命の歴史を刻むことなのだ。
きちんと願いきっていけば、
うまくいきますよ」
大白蓮華No.785号2015.4月号14頁
2014年8月30日
魂のこめた仕事
魂のこめた仕事は永遠に朽ちない。
それは、魂が魂を揺さぶるからである。
反対に、小才や手先の器用さだけで
作り上げたものは、
どれほど見栄えがよく整っていても、
深い感動を与えるものではない。
見る人が見れば、すぐにわかるものだ。
人生という“作品”も、また同じである。
1990.11.7大田区記念勤行会
2014年7月1日
男の一生
男の一生は、
どういう仕事をしたか、
そしてまた、
自分の選んだ仕事のうえで、
どれだけの功績を残したか
によって決まると思う。
要は、自分のありったけの力を
仕事にぶつけたか、
そして、生命を完全に燃焼させて、
その時代、その社会に
自己の燃焼のエネルギーによって
いかなる利益をもたらしたか、
ということではないだろうか。
人生抄 97頁
2014年6月22日
コロンブスの卵
「コロンブスの卵」という言葉がある。
一つの偉大な事業や発見というものは、
それがなされてしまえば、
けっして遥か彼方にあるものではなく、
むしろ日常の平々たる地点に
あるもののように思われるものだ。
しかし、その身近な、ある意味では
素朴であるといってもよい死角に、
勇気をもって英知の光をあて、
そこから普遍的な真理を
浮き彫りさせることは、
なかなかできないことなのである。
哲人や偉人といわれる人物の
行動や探求の裏には、
かならずこうした一見なんでもないような、
それでいて画期的な発見、発想がある。
それゆえにこそ、
歴史上にその名を長くとどめているのであろう。
人生抄 95頁
2014年6月20日
働くこと
働くとは
「はた楽」つまり
「はた(そば)の人を楽にすること」だと、
子供のころ聞いたことがある。
周囲の人に、また広く社会に
“楽”を与えていくのが
働くことの本義だとしたのである。
その他人のために関わる精神は、
仏法で説く菩薩の生き方にも通じる。
いかなる職業であれ、
自分の立場を通して人々に喜ばれ、
社会に役立っていこうという
真心があってこそ美しい。
その誇りがなければ、
どんな世間体のよい、
立派そうな職業に就いても、
その心根は貧しく、卑しい。
また、その真心と誇りから
生まれる熱心さこそ、
重い仕事をも軽くし、
楽しい心をもって働く力なのである。
希望の明日へ 396頁