人間革命

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2024年6月24日

第2304回

「わかる」ことより「かわる」こと!

 

<「人間革命」すること!>

 

 大事なことは、

 「学ぼう」という」信心です。

 その求道心さえあれば人間革命が進む。

 戸田先生は、よく言われていた。

 「わかる」ことより「かわる」ことだと。

 

 たとえ八万法蔵が「わかった」としても、

 自分が人間革命しなければ、

 何にもならない。

 人間革命するための教学です。

 信心を強くするための教学です。

 少しずつでも、学び続ける「信心」があればいいのです。

 

法華経の智慧 如来神力品 (第二十一章)


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2024年5月10日

第2301回

本当の仏法者は、

飾らず、ありのままの姿でいく!

 

 

 ″青い鳥″の話ではないが、

 「幸福」を遠いところに求めて、

 さがしあぐねたはてに、

 自分の家という一番身近なところにあったのです。

 幸せは、どこか遠いところにあるのではない。

 自分が、自分らしく、

 本然の仏界の生命力を

 燃やしていくのが「幸福」です

 何があろうとも、前へ前へ、

 「自分の今世の使命を果たすのだ!」と進んでいく。

 その「信心」が「仏界」であり、

 永遠の「幸福」なのです。

 

 三十二相とかは、今でいえば、

 「学歴」とか「名声」とか「地位」とかに当たるかもしれない。それらは、ある場合は、妙法の偉大さを人に教えるために、役に立つことがあるかもしれない。そういう姿を見て、尊敬の心を起こす人もいるからです。

 

 しかし、絶対にそれらが「目的」ではない。

 自分をそういうもので″飾っている″限り、

 本当の″人間としての力″は鍛えられない。

 本当の信心はわからない。

 仏法はわからない。

 そういう「見えっぱり」は「提婆達多の心」です。

 御書に、提婆が自分も三十二相で飾ろうとする話があったでしよう(全1044頁)

(中略)

 本当の仏法者は、飾りません。

 ありのままの姿でいくのです。

 

 信心の世界に、

 学歴とかそんなことは何の関係もない。

 そんなものにこだわる慢心があれば、

 かえって信心の邪魔になる。

 

 本当の信心は捨て身です。

 自分をかばうのではなく、

 不惜身命で

 「難」に向かって進んでいくのが、

 本当の日蓮仏法だ。

 

 ″凡夫こそ本仏なり″と説く

 本因妙の仏法をそのまま行じたならば、

 創価学会の一大民衆運動になる。

 ″自分を飾り立てた権威・権力″と戦う

 「民衆仏法」こそが、

 法華経の真意なのです。

 

「法華経の智慧」如来神力品 池田大作全集 第31巻


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2024年4月26日

第2299回

究極は人格

 

<学会は「人間主義の世界」>

 

 要するに仏法と言っても、

 究極は「人格」です。

 立派な「人格」をつくるための仏法です。

 立派な人格の人は、謙虚です。

 そして焼きもちを焼かない。

 自分のことではなくて、

 皆の幸福を考えている。

 私どもで言えば、

 広宣流布のことを考えている。

 だから「公平」です。

 だから「慈愛」がある。

 慈愛があるから「智慧」もわく。

 

 どこの組織でも、

 大きくなると官僚化が始まる。

 創価学会は、永遠に、そうなってはならない。

 学会は「人間主義の世界」です。

 

 組織と言っても、幹部で決まる。

 大きくなればなるほど、

 幹部は自分を謙虚に磨いていくことです。

 

 会員同志を「徹底的に」大切にすることだ。

 この「徹底的に」を本当にやったところが伸びる。

 また、それが自分自身の仏道修行です。

 それが法華経です。

 

「法華経の智慧」 池田大作全集第31巻


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2022年1月17日

第1867回

最も大切な資産は人間

 

<一人ひとりが「新たな挑戦的目標」を!

 

 イタリアのトリノでは来月(当時)

 冬季オリンピックが開幕する。

 ペッチェイ博士が

 トリノのご出身であられたことが、

 懐かしく思い出される。

 (=SGI会長はトリノ市の名誉市民)

 

 ペッチェイ博士は、

 第一級の経営コンサルタントでもあられた。

 ある会社の再建にあたって博士は、

 再生への鍵を、

 「新たな挑戦的目標」

 をもたせることに定めた。

 そこから、

 社の全員の士気と意欲を高めていった。

 

 博士の信条は

 ″会社の最も大切な資産は人間″ということであった。

 「人」を大事にし、

 組織で苦労してこられたからこそ、

 博士は、創価学会の尊さを深く理解し、

 驚嘆しておられたのである。

 ご自身の経験を踏まえ、博士は、確信をもって記しておられる。

 「人間が未知の課題に挑戦するとき、

  創造と挫折、

  進歩と衰退、

  進展と紛糾の間を画するのは、

  人間のもつ能力を

  どれだけ開発し展開し、

  十分に発揮させるかである

  (大来佐武郎監訳『人間に使命』管野剛。田中努・遠山仁人訳、ダイヤモンド社)

 

 人間を「集団」として扱い、動かそうとする。

 そういう考え方は、もはや時代遅れである。

 変化の激しい乱世であればあるほど、

 いよいよ焦点は一人一人の「人間革命」である。

 

 ぺッチェイ博士は、

 私との対談でも、

 「莫大(=ばくだい)な富が

  われわれ自身の内部にある」

 「人間は何よりもまず

  物質革命への心酔から

  醒めなければなりません」

 と言われていた。

 そして、それを引き出していくための

 「人間革命」に、

 未来の希望を託しておられた。

 (『二十一世紀への警鐘』本全集第4巻収録)

 

2006年1月7日欧州代表協議会

2019年11月3日

第1627回
大事なのは、

一人一人の内なる心の進歩である

 

<一人の偉大なる人間革命を!>

 

 新しい前進のために、

 世界の指導者、

 哲学者の言葉を贈りたい。

 アメリカのケネディ大統領は述べている。

 「いまや、新しい世代の指導力が、

 新しい問題、

 新しい機会に対処する新しい人間が、

 出現すべき時なのである」

 (「ケネディの言葉」細野軍治訳、

 『永遠の言葉とその背景』所収、自由国民社)

 

 人材で決まる。

 「人間をつくる」ことが「未来をつくる」ことである。

 

 ラテンアメリカ解放の英雄、

 シモン・ボリバルは叫んだ。

 「団結、団結、団結こそ、

 私たちの合言葉でなければなりません」

 (神代修『シモン・ボリーバル』行路社)

 団結に勝る力はない。

 

 スイスの思想家ヒルティの洞察は鋭い。

 「本当の人類の進歩というものは

 決して大がかりに成就するものではなく、

 個々人においてのみ行なわれるのである」

 (『希望と幸福』秋山英夫訳、社会思想社)

 

 大事なのは、

 一人一人の内なる心の進歩である。

 そして、

 一人の偉大なる人間革命が、

 一家を変え、社会を変え、

 全人類の宿命転換を

 必ず成し遂げていくのである。

 

 広宣流布は即、世界平和である。

 広宣流布に戦う功徳は、

 三世にわたって永遠に崩れることはない。

 

 釈尊は、法華経の「法師功徳品」において、

 妙法を持つ人は、

 その功徳として、

 生命が清浄になることを説いている。

 

 また日蓮大聖人は、

 功徳について、

 「悪を滅するを功と云い

 善を生ずるを徳と云うなり」と仰せである。

 

 功徳の「功」は、

 悪を滅するとの意義がある。

 生命の濁りを滅し、

 清らかな生命を得るーー

 これほど本源的な功徳はない。

 生命の悪、濁りを滅しなければ、

 本当の幸福はつかめない。

 だからこそ、

 悪とは戦わなければならない。

 

 大聖人は破邪顕正、

 魔性との対決に、

 先駆を切って大言論戦を展開された。

 

 今、皆さまは、

 世界の中で、平和と正義の

 大運動をリードしてくださっている。

 その尊き青春の労苦のなかから、

 無限の功徳がわき出ずることは、

 経文に照らし、

 御書に照らして絶対に間違いない。

 

2002.9.8 世界平和祈念勤行会

2019年元旦

第1575回
真面目に、誠実に、勇敢に、

信心をやり切って、
最後は必ず勝つのだ!

 

 広宣流布、立正安国とは、いかなる戦いか。
 大聖人は、この現実社会を主戦場として、法華経の行者と魔軍が「とられじ・うばはん」(同1224頁)とする大法戦であると明かされている。
 御本仏が「一度もしりぞく心なし」(同ページ)と戦い抜かれた、この広宣の大道に誇り高く連なっているのが、創価の勇気ある信心である。
 この信心から、我らは常に出発する。信心で団結し、信心で戦うのだ。
 それゆえに、学会には地涌の無限の力が満々と漲り、広大無辺の功徳が現れ出ずる。皆が仏になる一生成仏の厳然たる実証が輝き光るのである。
文明創造の挑戦
 「広宣流布大誓堂」の建立から五周年――。
 不思議なる時を得て、「人間革命」の大歓喜の広がりは、この五年間で確固たるものとなった。
 十四世紀のイスラム世界で活躍し、あのトインビー博士が「偉大な歴史家」と称えたイブン・ハルドゥーンは、進展していく文明の姿を描いた。
 「それはまるで、新しい創造、新しい生成が起こり、新世界が生まれたかのごとくになる」
 今、まさに世界の激動の荒波の水底で、新しき創造の大いなる潮流が広がっている。
 すなわち、万人に具わる生命の尊厳性を開き輝かせる、新たな人間主義の潮流である。どこまでも一人の人間における人間革命を起点として、漸進的に地域革命、社会革命へと進む、民衆革命であり平和革命である。
 この広宣流布という、人類の宿命を転換する壮大な文明的挑戦を、いよいよ勢いを増して断行するのだ。
恐れなく堂々と
 「世界人権宣言」作成に尽力されたブラジルの“人権の獅子”アタイデ氏は私に語られた。
 二十一世紀は「『精神の力』がはかりしれないほどの働きを示す世紀になる」「信仰にもとづく息吹は、平和と秩序と正義を拡大していきます」と。
 「精神の力」――私たちでいえば「信心」である。生命に具わる無限の可能性への確信である。
 何が起ころうが、私には信心がある! わが家には信心がある! 我らには偉大な信心がある!
 だから何ものも恐れない。だから絶対に乗り越えられない苦難はない。真面目に、誠実に、勇敢に、信心をやり切って、最後は必ず勝つのだ!
 この合言葉で、いよいよこれからと、「強盛の信心」で、威風も堂々、進みゆこう!
 どうか、無事故で、健康第一で、よいお正月をお迎えください。そして来年も共々に戦い、共々に勝とうではないか!

 

〈随筆 永遠なれ創価の大城 池田大作〉36 地涌の力は無限 2018年12月27日

2018年12月26日

第1574回
強くなれ!

 

 あの学生部結成の日、戸田先生は集まった五百人の秀才たちに指導された。
 「この中から半分は重役に、半分は博士になってもらいたい」と。有名な話である。
 力ある人間をつくるしかない。とくに、権力の魔性から民衆を守るには、力ある指導者をつくるしかない――これが戸田先生の結論であり、悲願であった。
 権力の世界には、傲慢と策略が渦巻いている。いつ覇されるか、いつ倒されるか、わからない。恐ろしい世界である。そのなかで、正義の信念を貫くには、何が必要か。人数でも、形式でも勝てない。強くなければいけない。力のない人間が、いくらいても、いざという時には雲散霧消してしまうからである。
 ゆえに、私に対する先生の薫陶は厳しかった。夜中でも呼ばれることがあった。午前三時に、電話で「今すぐこい」と呼ばれ、ただちに駆けつけた。それほど激しい広布の戦いの日々であった。
 小説『人間革命』や随筆にもしるしたが、戸田先生のことを語るとき、思い出は尽きない。

 

2001年5月21日第六回本部幹部会、第二回全国婦人部幹部会、第二回九州総会、第一回中国総会、第一回沖縄総会

2018年12月4日

第1565回
人間革命の舞台は、
 「今ここ」に!

 

<全ての起点は、我が人間革命にあり!>


 1964年(昭和39年)の
 きょう12月2日、
 私は最も戦火に苦しんだ沖縄の地で
 小説『人間革命』の筆を起こした。
 「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない……」
 世界不戦は、わが魂の叫びである。
 その思想を、
 人々の胸中深く打ち込み、
 友情の橋を懸けるために、
 私は、書き続けてきた。

 

 すべては、
 自己自身の変革から始まる。
 生活も、事業も、
 教育も、政治も、
 また経済も、科学も、
 いっさいの原点は人間であり、
 自己自身の生命の変革こそが
 すべての起点となる。

 

 人の幸福を祈れば、
 その分、自分が幸福になっていく。
 人の健康を祈れば、
 その分、自分の健康も守られる――
 これが妙法の不思議な力用である。
 「利己」と「利他」の
 どちらに力点があるかで、
 人間の偉大さは決まる。
 信心が本物かどうかも決まる。
 皆さまは、
 法のため、友のため、
 真剣に祈り動いて、
 「利己」から「利他」へと、
 ダイナミックな生命の転換を、
 偉大なる人間革命を
 実現していただきたい。

 

 人間革命の舞台は、
 どこか遠くにあるのではない。
 「今ここ」にある。
 そのドラマは、
 いつか始まるのではない。
 眼前の課題に、勇んで祈り、
 立ち向かう。
 この一瞬から幕を開けるのだ。
 真剣勝負の戦いの中にこそ、
 人間革命がある。

 

<池田大作先生 四季の励まし>2018年12月2日

2018年10月16日

第1538回
人間革命は
「師子王の心」で戦い抜く事


 一、小説『新・人間革命』の完結に当たり、応援してくださった全国、全世界の宝友に、心より感謝申し上げます。
 執筆の開始は、25年前の8月6日、広島の「原爆の日」であり、連載の終了は、恩師・戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」から61年の9月8日となりました。『新・人間革命』は、広島そして大中国の同志と一緒に道を開き、つづり残す「平和への共戦譜」なりと、私は思い定めてきました。
 今日も、私の心は縁深き中国家族のもとへ飛び、共々に大好きな「地涌の讃歌」を歌いながら、「人間革命」即「世界平和」へ新たな船出をしゆく思いで、全てを見守っております。
 3カ月前の西日本豪雨の甚大な被災から復興に挑み、さらにまた、台風にも負けず、不撓不屈の祈りと行動で、そして世界一の異体同心の団結で、見事に大拡大を勝ち飾った、虹かかる中国総会、ならびに本部幹部会、誠におめでとう!
 広島、岡山、山口、鳥取、島根の皆さん、本当にご苦労さまです!
 尊き研修で来日されたブラジル、香港、タイ、マレーシア、韓国の皆さん、本当にようこそお越しくださいました。
 御書には「雨ふり・かぜ(風)ふき・人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候へ」(1548ページ)と仰せです。御本仏・日蓮大聖人は、皆さん方の「まこと」の信心の心ざしを、いかばかりご賞讃でありましょうか。
 「嵐も吹雪も いざや征け」とは、岡山で誕生した「正義の走者」の一節です。誇りも高き我ら創価家族の行進を、大拍手で讃え合おうではありませんか!(大拍手)
 一、先般、アメリカ青年部は「正義の師子」を合言葉に、5万人の大連帯で新しい歴史を創り開いてくれました。
 思えば、私が中国の同志に一貫して訴えてきたことがあります。それは「師子の中国たれ」ということです。広島の平和記念会館を初訪問した1989年(平成元年)10月、私は「中国は強くあれ!」と訴え、百獣の王・師子が何ものをも恐れないように、大中国は「悪と戦う勇気」「仏子を守りゆく勇気」そして「人生の苦難に負けない勇気」を持て! と望みました。
 以来、30星霜――。信義にあつき大中国の同志は、私との約束通り、まさしく「勇気の師子」の人材城を築き上げてくれました。これほどうれしく、これほど頼もしいことはありません。
 打ち続く圧迫や災害にも、「師子」の勇気と団結で、一切を勝ち切っていくのが、わが誉れの大中国です。みんな、本当にありがとう!


宿命を使命に


 一、あの忘れ得ぬ山口開拓指導で、私たちが拝した御聖訓があります。山光(鳥取・島根)ゆかりの富木常忍に与えられた「四信五品抄」の一節です。
 「南無妙法蓮華経と唱える、わが弟子の位は、諸宗の元祖よりも勝れること、百千万億倍なり。国中の諸人よ、わが末弟たちを軽んずることなかれ」「蔑如することなかれ。蔑如することなかれ」(御書342ページ、趣意)との仰せです。
 当時は皆、貧しかった。交通費の工面もどれほど大変だったことか。しかし、「師子王の心」で妙法を弘めゆく我らこそ、最も尊貴な生命の位にあることを、皆が希望と自信と誇りをもって自覚したのです。地涌の歓喜がはじけました。
 「誓願」の題目の師子吼を唱えるならば、どんな困難も、自ら願った試練として受けて立ち、必ず乗り越えられる。いな断固と勝ち越え、「宿命」を「使命」に転ずるのだ。そして、あの友にも、この友にも幸の花を咲かせ、愛する故郷から平和の楽土を広げゆくのだと、陽出ずる中国を走りに走ったのです。
 私の胸には、あまりにも健気な、中国広布の父母たちの顔が浮かんできます。
 その一人で、半世紀前、土砂災害の救出作業の最中に、泥の濁流にのみ込まれ、九死に一生を得た丈夫がいます。重い障がいが残りましたが、殉難した同志の分も広布のためにと、立ち上がりました。苦境の連続だった会社の経営も打開し、今、仏法即社会の世雄(勝利の英雄)として、堂々たる実証を示しています。
 人間革命とは、「師子王の心」を取り出して戦い抜くことに他なりません。
 心通う誠実な中国の友どちと語り合ってきた戸田先生のご指導があります。
 「広宣流布は長い。一生の戦いである。いな永遠の戦いである。たとえ苦闘の嵐があっても、断じて負けるな! 最終章の大勝利を確信して進むのだ」と。
 何があっても明るく朗らかに励まし合い、途中はどうあれ、最後は絶対に勝つ。この不退の勇気で一つ一つ変毒為薬し、勝ち進んでいこうではありませんか!

婦女の麗しき連帯


 一、華陽の女子部の皆さん、笑顔もうれしい新出発、本当におめでとう!(大拍手)
 今月、広島で開幕する「わたしと宇宙展」の展示に、「子持ち銀河」と呼ばれる天体写真があります。大小二つの美しい銀河の渦が、仲の良い母と娘が手と手を結ぶように寄り添い、そこから無数の星々を生み出しているのです。まるで、婦人部と女子部の麗しいスクラムにも相通ずるようです。
 わが学会は、たゆみない広布の大回転の渦から、地涌の人材群を、きら星の如く輝かせゆく大銀河であります。明るくにぎやかに「歓喜の中の大歓喜」の題目を轟かせながら、青年部、未来部の凜々しき「正義の走者」たちを、さらに陸続と誕生させよう!
 そして、大いなる「人間革命」の平和と勝利の光で、地球を赫々と包みゆこうではないか! と申し上げ、私のメッセージといたします。
 愛する大中国、万歳!
 愛する全同志、万歳!
 風邪など、ひかれませんように!(大拍手)

 

本部幹部会・中国総会への池田先生のメッセージ   2018年10月8日

2016年9月23日

『人間革命』の真の意義

 

<心から心へ、勇気の炎を広げていく希望の波動>

 

 かつて、ハーバード大学で教鞭を執り、「二十世紀のデカルト」と仰がれたホワイトヘッドは論じた。「利己主義と臆病が目立つ社会は亡びるのです。変革に対処する最良の武器は勇気と希望――そして、何よりも相互の思いやりです」(「教育と自己教育」村形明子訳、『ホワイトヘッド著作集』14所収、松籟社)
 確かに、その通りである。時代は、ますます乱世だ。天変地夭も絶えない。人心の不安も募る一方である。だからこそ、地涌の菩薩の「勇気」が光る。だからこそ、創価の世界の「希望」と「思いやり」が、いよいよ光る。
 先日(二〇〇四年十月十五日)、高名な国際政治学者のウィンストン・ラングリー博士(マサチューセッツ大学ボストン校の副学長)が、アメリカ創価大学で素晴らしい講演を行ってくださった。このラングリー博士は、かねてより、私たちの「人間革命」の思想と行動に、深い共感を寄せてくださっている。
 「まず自分自身が一人立ち上がり、人間の持つ可能性を人びとに示すことによって、各人それぞれが持っている可能性のありかを教えていく。そして、可能性に目覚めながらも行動に移せなかった人びとには、自ら模範の行動を示すことによって、行動への勇気を与えていく。そこに『人間革命』の真の意義があると思います
「人間革命」とは、心から心へ、勇気の炎を広げていく希望の波動なのである。

 

 2004年10月29日随筆 人間世紀の光2 大聖人門下の第一条件(抜粋)

2016年8月2日3日

「人間革命」こそが、

世界平和と個人の幸福を実現する

 

<唱題こそ、人間革命の原動力

 

 生命の内奥から込み上げてくる人間の感情や欲望は、道徳や規律、また制裁の強化など、制度の改革をもってしても、根本的に抑制することはできない。一切の根源をなす生命そのものの変革、心の変革こそが、個人の幸福を実現していくうえでも、世界の平和を築いていくうえでも、最重要のテーマとなる。
 「心の錬磨に基礎をおかない限り、知性の開拓が人間を尊貴にすることはできない」(注)とは、スイスの大教育者ペスタロッチの箴言である。
 山本伸一は、力強く訴えた。
 「わが心を磨き、生命の変革を可能にするのが御本尊の力です。仏法を自分の狭い見識の範囲内で推し量ってはならない。
 そして、御本尊の無限の力を引き出していく具体的な実践が唱題なんです。ゆえに、唱題こそ、人間革命の原動力であることを銘記していただきたい。
 私たちは、不幸に苦しむ人びとのなかに飛び込み、この無量無辺の力ある御本尊のもとへと導き、自他共の幸せを築くため、日夜、法戦を展開してまいりました。それは、仏法の眼から見れば、仏の使いとしての実践であり、末法に出現した地涌の菩薩の振る舞いです。また、社会的に見れば、最も根源的な改革者の行動です。
 その戦う皆さん方を、御本尊が見捨てるわけがありません。すべての宿業を勝ち越えていけることを強く確信していただきたい。
 さらに、やがて人類の歴史は、民衆の手による、この地道な生命変革の運動を、高く評価することは間違いありません」
 青森は旧習も深く、さまざまな土着の信仰がある。しかし、加持祈禱頼みの信仰や“おすがり信仰”であれば、人間の内発的な力を開花させることはできない。
 伸一は、日蓮大聖人の仏法は生命の変革を説く「人間革命の宗教」であり、全人類の宿命を転換し、世界の平和を実現する、人間のための宗教であることを、あらためて確認しておきたかったのである。

 

※小説『新・人間革命』の引用文献
注 ペスタロッチ箴言集『人間の教育』フィロソフィカル・ライブラリー社(英語)

 

 小説新・人間革命 29巻 第3章 清新42

2106年7月30日31日

「妙法」こそが、

人間生命の変革を可能にする

 

<『無量義とは、一法従り生ず』>

 

 青森県新春記念指導会は、会長・山本伸一の指導となった。彼は、無量義経を通して、御本尊に具わった生命変革の功徳力について語っておこうと思った。
 「無量義経は法華経の開経、序分となる教えであり、『無量義とは、一法従り生ず』(法華経二五ページ)の文は皆さんも、よくご存じであると思います。
 この『一法』こそが妙法蓮華経であり、さらには、日蓮大聖人様が御図顕になった南無妙法蓮華経の御本尊であります。そして、この『一法』が法華経二十八品へ、八万法蔵へ、一切法へと開かれていく。それは裏返せば、教育、科学、政治、経済等々の諸学問、諸思想も、『一法』である妙法に、すべて包含されていることを意味します」
 こう前置きしたあと、伸一は、無量義経の「善男子よ。第一に是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして、菩提心を発さしむ」(同四三ページ)から、「善男子よ。是を是の経の第一の功徳不思議の力と名づく」(同四四ページ)までを講義していった。
 「文底の立場からこの文を見れば、人間の生命の変革を可能にする、御本尊の偉大なる力について述べられた箇所といえます。
 まだ発心しない菩薩には仏になる心を起こさせる。哀れむことをしない者には慈しみの心を起こさせ、殺戮を好む者に慈悲心を起こさせ、嫉妬心をいだく者には随喜の心を起こさせ、財宝や名誉などに執着する者には、そのとらわれの心を捨てさせる。
 また、強欲な者には施しの心を、慢心の者には自らを律する心を、人を恨み怒る者には忍耐の心を、怠惰な者には精進の心を、心が乱れている者には平静なる心を、愚痴が多い者には智慧の心を起こさせるというんです。
 現代は、エゴの渦巻く社会です。他を思いやる余裕もなければ、冷酷なほど利己主義が深まっています。家庭には不和、社会には複雑な葛藤、争いが絶え間ない。
 その根本的な解決の道は、信心による生命の変革、つまり、人間革命しかありません」

 

小説新・人間革命 29巻 第3章 清新39

2015年9月8日9日

合言葉は「前進!」

 

<自他共の「人間革命」の波動を広げていくのだ!>

 

 ひとつの目標の達成は、新たな挑戦の始まりだ。
 まだまだ戦う!
 まだまだ前進する!
 この心意気で、次の出発をする。
 これが本因妙の精神であるからだ。(中略)
 私は“一年一年、よくぞ生き抜いてきた”との入信以来の感慨を語り、
 「妙法は、一個の人間生命を根底から蘇生させゆく絶対の法則である」と、
 一切の大難を勝ち越える確信を申し上げた。(中略)
 一人の生命を、まさしく、かけがえのない最極の生命と輝かせていく哲理こそが、妙法である。
 この妙法を、一人でも多くの世界の若人に語り伝えていきたい。
 戸田先生は、“全人類の境涯を最高の価値にまで高めたいと願われ、慈折広布という壮大なるロマンに生き抜く喜びを教えてくださった。
 私たちは自身の人生の勝利と、世界の平和のために、尊い金の汗を流していこう! 
 友情と同志の連帯の輪を広げ、自他共の「人間革命」の波動を広げていくのだ!
 合言葉は「前進!」。

 

 限りなく
  心の財を
    創りゆけ
  今日も勇戦
    今日も前進

 

2015.8.28付聖教新聞 民衆凱歌の大行進26(抜粋)

2015年8月7日

「八風」に負けるな!

絶えざる人間革命の挑戦を!

 
<″透徹した信心″は、広布の組織のなかで培う以外にない>


 牧口先生の時代に比べれば、現在は驚くほど広布の環境がととのっている。妙法は全世界に広がり、会館も各地に整備されている。また、軍部権力による弾圧があるわけではない。あらゆる次元で、広布の前進にとって今ほどめぐまれた時代はない。
 むろん、正法の興隆に障魔は必然である。しかし、牧口先生の苦闘を思えばいかなる困難をも″小苦″とし、力強く乗り越えていかねばならない
 近年もまた、学会には″大悪″があった。そうしたなかで、策略と迫害に信心を破られ、学会を去り、退転していった者もいた。また、学会を嘲笑し、憎み、退転へと人をそそのかした者もいた。しかし私どもは、信心ですべてを乗り越え、今日の未曽有の広布の興隆を築くことができた。まさに「大悪をこれば大善きたる」の実証を見事に示してきたのである。これこそ、まさに学会の信心、私どもの信心が、あくまで正しかった証左であると確信してやまない。
 さて、日蓮大聖人は、四条金吾に対し、次のようにも仰せになっている。
 『殿は一定・腹あしき相かを(面)に顕れたり、いかに大事と思へども腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ』(御書1171頁)――あなたはたしかに怒りっぽい相が顔にあらわれている。どんなに大事と思っても、短気な者を諸天は守らないということを知りなさい――と。
 また同じく四条金吾に与えられた「八風抄」にも、『八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるを・ひり(非理)に主をうらみなんどし候へば・いかに申せども天まほり給う事なし』(御書1151頁)――八風におかされない人を、必ず諸天善神は守る。しかし、道理に背いて恩ある主君を恨んだりすれば、どんなに祈っても諸天は守護しない――と。
 「八風」とは、「利(うるおい)」「誉(ほまれ)」「称(たたえ)」「楽(たのしみ)」の「四順(しじゅん)」と、「衰(おとろえ)」「毀(やぶれ)」「譏(そしり)」「苦(くるしみ)」の「四違(しい)」のことである。
 大まかに現代的にいえば、「四順」とは、財産を手に入れた、勲章を受賞した、マスコミで有名になった、おいしい物を食べた等々、人の心を高揚させる″喜び″のことである。反対に「四違」とは、事業の失敗や年齢的な老い、人の悪口、離婚、病気、死など、人間の逃れられぬ″苦しみ″をさす。
 こうした「八風」に紛動されない信心強盛な人には、厳然たる諸天の加護がある。しかし、道理に反し、人の道をはずれてしまい、八風に負けては、諸天の加護はないと、大聖人は仰せなのである。
 四条金吾は、難に直面しながらも、信心強盛に、諸天の加護を念じつつ戦っていた。そうした四条金吾に対して、大聖人は繰り返し、“自分自身を成長させていきなさい。人格を磨いていきなさい。境涯を高め、深めていくことを忘れてはならない”と御指導されている。
 つまり、諸天の加護といっても、自身の人間としての生き方と無縁のところで″タナからボタモチ″のように働くものではない。仏法の「一念三千」「依正不二」の法理からいっても、自身の人間革命と連動して、初めて環境は変わっていくのである。透徹した信心で、自分自身の生命を磨き、境涯を大きく開いていくときに、その一念が諸天をも動かし、環境を変革していけるというのが仏法の法理なのである。
 つねに自身を向上させゆくその″透徹した信心″は、現実的には、広布の組織のなかで培う以外にない。信心の組織から孤立した人は必ず慢心と停滞に落ちこんでいる。よき先輩、またよき同志、よき善知識と互いに磨きあってこそ、信仰の絶えざる成長がある
 本日のスピーチでも、すでに何編かの御書を拝読し、話を進めさせていただいている。そのなかには、皆さま方が何度も学んだ、御文も少なくないと思う。しかし、御書の一節一節の意味は、まことに深い。さまざまな次元から拝さなければならない。また、信心が深まれば深まるほど、その御文の意義も、深く感ずるものである。
 所詮は、信心こそ肝要であり、『行学は信心よりをこるべく候』(御書1361頁)との御指南を、よくよく心していきたい。
 ところで、本日は、懐かしき″我が大田″の集いである。大田は、私にとって恩のある国土である。どうか大田が、日本、いな世界の″信心の模範の国土″となっていただきたいと切に念願する。


1987.8.23 8・24記念大田区幹部総会

2015年8月2日

平和の方程式

 

<一人の人間の一念に、世界を変革する力がある>

 
 人類の歴史を振り返れば、動かしがたいと思われた現実を突き動かし、時代変革の波を起こしてきたのは、不屈の信念と勇気と情熱を燃やした人々の存在でした。
 しかし現代の社会では、「自分一人がどうしたところで・・・」といったぬぐいがたい無力感や、「何をやっても状況は変わりはしない」といったあきらめが、人々の心を大きく蝕みつつあります。
 そうした状況の中で、心ある人でさえも現実を前に希望を失い、自分の世界に小さく閉じこもってしまう――私は、ここに現代の“一凶”がある気がしてなりません。
 核時代平和財団のディビッド・クリーガー所長との対談集『希望の選択』でも、このことが焦点になりました。
 所長は、アインシュタイン博士が発見したエネルギーと質量に関する方程式(E=MC2・・・サイトマスタ)を敷衍させて、「一人の人間の一念に、世界を変革する力がある」との平和の方程式を確立させていくことが重要ではないかと訴えていました。
 私どもSGIが取り組んでいる「人間革命」運動の眼目は、まさにその一点にあります。
 現実が厳しいからといって、手をこまねいていてはならない。目覚めた民衆が連帯し、行動していけば、どれほどの力が生まれ、変化の波が起こるか――その証明にこそ、二十一世紀の人類が果たすべき使命があるのではないでしょうか。


2003.1.26 第28回「SGIの日」記念提言

2015年7月30日

足下に“全て”あり

 
 青年をこよなく愛した、恩師戸田城聖創価学会二代会長の若人への熱い呼びかけが想起されます。
 「衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである」と。
 衆生を愛するという仏教の極地であり、人類愛を精髄たる慈悲といっても、親を愛するという身近な“一歩”を欠いては絵空事になってしまう。「足下を掘れ、そこに泉あり」といわれるように、一日一日の地道な営みの中の“一歩”は、些細なようで、実はそこにすべてが含まれている
 単なる肉親の情愛を超え、親が子を、子が親を、一個の人格、すなわち「他者」と位置づけ、触れ合い、打ち合い、互いに陶冶し合う鍛えの持続こそ、地についた“一歩”であり、それは「家(うち)のなか」から踵(きびす)をめぐらし、地域社会での公聴心の発露に始まり、健全な愛国心、そして普遍的な人類愛へと、まっすぐに歩みを向けていくはずであります。


 2004.1.26第29回「SGIの日」記念提言

2014年12月15日

人間としての勝利

 

 生き生きと
 心を勇み走らせていく。
 そうしたなかで、
 一年の総仕上げをしていきたい。
 人の何倍も忙しくとも
 人の何倍も充実した人生。

 

 それこそが
 勝利の人生である。
 その人こそ
 偉大な人である。
 我らの「人間革命」の前進こそ、
 一年また一年、
 まさに「最上の幸福」の年輪を
 刻んでいるのである。

 

 労苦の汗が光る一日!
 なんと偉大にして尊きことか!
 艱難に鍛えられた一日!
 なんと人間として勝利し、
 生きゆく価値を
 創造していることか!
 自身の限界に挑みゆく青春の挑戦は、
 一日を一年に、
 また一年を何十年にも
 黄金不滅に輝かせている。

 

 赤々と燃やしたい。
 「勇気」というエンジンを。
 そして逆風のときも、順風のときも、
 堂々と、悠々と、
 目的地に向かって飛び続けたい。
 「何ものにも負けない」勇気――
 それ自体が
 「人間としての勝利」の炎なのだ。


聖教新聞2014.12.14付 光の言葉 幸福の曲(前半抜粋)

2014年11月8日

強盛な祈りで人間革命の大道を!

 

<一切のカギを握るのは、自身の人間革命>

 

 信心の世界は、すべてが御本尊への祈りから始まるからである。祈りなき信仰はない。祈りなき幸福もない。祈りなき広宣流布の勇者もない。
 「私どもが幸福になるために、肝要なものは、日蓮大聖人が『湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(御書1132頁)と仰せのように、強盛な信心です。強い祈りです。叶わぬ願いは断じてないとの確信です」
 信仰とは、不信、すなわち揺らぐ心との精神の闘争である。“自分など、幸せになれないのではないか。何もできやしないのだ”といった心の迷い、弱さを打ち破り、胸中の妙法を涌現させ、絶対的確信を打ち立てる戦いであるといってよい。
 山本伸一は訴えた。
 「不況の時代です。それだからこそ、強盛な信心を奮い起こし、いかなる苦境のなかにあっても、生活のうえで、職場や地域で、確たる信心の実証を示してください。
 御書に『一切の法は皆是仏法なり』(562頁)とあります。ゆえに私たち仏法者は、正法を信じ、行ずる功徳を、社会にあって、開き示していく使命があるんです。
 そのために、信心を根本に、それぞれの分野において、人一倍、研究、努力、工夫を重ねていっていただきたい。
 また、人間として自らを鍛錬し、人格を磨き、皆から信用、信頼される人間関係をつくり上げていくことが大事です。
 人間は、人間についていくんです。誰が見ても、感じのいい人、誠実な人、人格高潔な人、温かい人には、人はついていきます。そういう人であれば、商売もうまくいくでしょうし、仏法の話にも、皆が耳を傾けるでしょう。
 しかし、感じの悪い人、不親切な人、利己主義な人、冷酷な人には、人はついてきません。そんな人柄では、法を弘めるどころか、かえって法を下げてしまうことにもなります。
 したがって、仕事の面でも、広宣流布においても、一切のカギを握るのは、自身の人間革命であり、人格革命であることを、訴えておきたいのであります」
 仏道修行を通して積まれた「心の財」は、境涯、人柄となって輝きを放つ。それこそが、広宣流布を総仕上げしていくうえで、最大の力となるのである。
 ホイットマンはうたっている。
 「改革が必要であればあるだけ、それを成就するための『人格』が必要になる」

 

新・人間革命 第26巻 法旗

 

2014年10月4日

すべて自分次第!

  
「軍には 大将軍を魂とす」

 中心者が燃え上がれ!

 はち切れんばかりの

 元気と笑顔と勢いで!

 [2010年 1月6日]


 負けない人が

 勝利者!

 負けないことが

 幸福だ!

 君よ強くあれ!

 [2010年 2月27日]


 我らは「地涌の菩薩」!

 この世で果たさん

 使命あり!

 偉大な師弟の劇を

 生き生きと勝ち飾れ!

 [2010年 6月4日]


 最も強い人とは

 自分に勝つ人だ。

 自ら決めた道を

 生涯貫き通す人だ。

 信念の勇者たれ!

 [2011年 5月12日]

 

わが友に贈る

 

2014年9月23日

いまの苦闘こそ人間革命成就の瑞相

 

<父母の家を出て出家の身となるは必ず父母を・すくはんがためなり>


 この頃、山本伸一は、戸田の指示のままに、毎日、四方八方に飛んでいた。用件のことごとくは、厄介な外交戦といってよかった。どちらかといえば、気の弱い、真面目な彼には、外交戦は苦手であった。だが、彼は、自分の目前のいやな道を、けっして避けなかった。彼の正義感が、それを許さなかったからである。
 彼の仕事は、相手の諒解を求めたり、支援を依頼したり、厳重に抗議や督促をしたり、苦情を受け止めたり、一件として気の許せる仕事ではなかった。現実の厳しさと、責任の重さに、毎日くたくたになって、疲労はかさなった。若い伸一は、あまりにも早く、社会の大きな波をかぶってしまったともいえるのである。
 しかも、大勢は不利であった。彼は深夜、下宿に戻って、唱題に励んだが、疲労困憊の体を、どうしようもなかった。そして、胸部疾患は、日に日に、病弱な彼を憔悴させていったのである。
彼は、一年まえ、実家を出て、ひとり大森のアパートの一室に寝起きしていたのだが、索漠とした深夜の狭い一室は、時に父母の家を懐かしく思い出させた。――二十二歳の青年は、心身ともに疲れきった体を、父母の家になら投げ出すこともできたろう。たとえ、それが敗残兵の姿であったとしても、父母は抱き取ってくれたにちがいない。しかし同時に、彼の体をこれほどまでに痛めつけた会社を呪うであろうことも、今の父母の心情から予想されることであった。
 だが彼は、戸田城聖という、この世の恩師を傷つけることだけは、なんとしてもできなかった。彼は、悲鳴をあげる代わりに、真剣に唱題に励んだ。せめて体が頑健であったら、あるいはまた日々の活動が順風に帆を上げるように進んでくれたのであったら――そのどちらかの一つでもあったら、彼は、これほどまでに悩み苦しみはしなかったろう。
 体も仕事も、二つとも最悪の危機に見舞われてしまっていた。活路を求めて、最大の努力はしていた。だが、時には、あがけばあがくほど、脚は深い泥濘に吸い込まれていくような思いがした。
 彼は、このような時、毎夜、御書の一節を拝読していった。そして、それを日記に書きとめる習慣が、いつか身についてしまったのである。それは、孤独な彼にとって、唯一の深夜の会話といってもよかった。それはまた、彼の心に尽きぬ光明を、夜な夜なともしたのである。
 そのようなある夜更け、彼は「開目抄」をひもといているうちに、ふと次の一節が目に入った。
「父母の家を出て出家の身となるは必ず父母を・すくはんがためなり」
彼は現在の生活を、大聖人に肯定していただいた思いがした。出家といっても、剃髪するわけではなかったが、彼もまた、偉大な宗教革命家としての生涯を、みずからの使命としているからには、家を出て、戸田の膝下で全力投球で働いているこの自分こそ、必ず父母を救うことになるのだと、思いを新たにしたのであった。
――いまの苦闘こそが、やがては自身の人間革命を成就する瑞相であり、同時に父母を幸福にすることになるのだ。いまに見ろ! いまの苦難に莞爾として進めばよいのだ。若いのだ。雄々しく歓喜を湧きたぎらせて、前進また前進しよう。すべては、大御本尊様の照覧の下にあるのではないか。誹る者には誹らせておこう。笑う者には笑わせておけ。そんなものがなんだ!

小説 人間革命 4巻 疾風 198~200頁

2014年8月29日

制度の改革だけでは幸福の実現はない

   
 「(中略)制度の改革だけでは、人間の幸福を実現することはできないということだ。たとえば、現代は、主権在民だし、身分制度はなくなった。しかし、本当に皆が平等かというと、かたちを変えて、さまざまな差別があるじゃないか。また、公害の蔓延が人間を脅かしているが、その本質的な要因は、人間の欲望にある。それに、人間不信や疎外感、孤独感といった苦悩は、むしろ激しさを増してきているじゃないか。
 政治も、経済も、産業も、教育も、すべて人間がもたらした産物だ。したがって、何を改革していくにせよ、根本は、一切の創造の主体者である人間自身の変革がなくてはならない。その人間革命の道を教えているのが日蓮大聖人の仏法であり、それを民衆運動として展開してきたのが創価学会なんだよ」

 

新・人間革命 25巻 薫風 225頁

2014年5月31日

無限の可能性を開く要諦 

  
 大教育者であったタゴールは、「人間の最大の力は自分の内にある」と断言されました。心から賛同します。
 なかんずく、青年の生命に秘められた可能性は無限であります。
 皆、自分が思っている以上の十倍も、百倍も、いな、仏典に記されている表現でいうならば百千万億倍もの生命の力を備えているのであります。
 その力を開いていく要諦は、どこにあるか。
 タゴールの慧眼は鋭く洞察していました。
 「完全な善に生きることは、自分の生命を限りなく実現していくことにほかならない」と。
 生命尊厳の哲理に立脚して、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のため、善の行動に徹していく。それは、立ちはだかる試練や苦難との戦いの連続であります。
 しかし、その激闘の中にこそ、真の「人間革命」があり、一切を勝ち開いていく価値創造の力、すなわち「創価」という生命の希望の力が自他共に尽きることなく解き放たれていく。この信条を、私は後継の皆さんに託しておきたいのであります。

 
聖教新聞2014.5.26付アメリカ創価大学第10回卒業式 

2014年5月26日

全て自分の責任だ! 

  
 何事も人の責任にしてはならない。
 どのような結果になっても、

 責任を回避するような信心は、卑怯である。
 幸福も、人から与えられるものではない。
 自らの信心によって、自分で獲得するものである。
 その一念が、環境を変えていくのです。

 
大白蓮華No.774号2014.5月号15頁

2014年4月28日

内なる第六天の魔王に勝て! 


 『第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』(ベン殿尼御前御書1224頁、編571頁)
 まず、この御文を通解した。
 「広宣流布を進めようとするならば、必ず第六天の魔王が十軍を使って、戦を起こしてくる。そして、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海のなかで、凡夫と聖人が共に住むこの娑婆世界を、『取られまい』『奪おう』と争う。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身となり、大きな戦を起こして二十余年になる。その間、一度も退く心をいだいたことはない――それが、御文の意味です。
 なぜ、第六天の魔王が戦を仕掛けてくるのか。もともと、この娑婆世界は、第六天の魔王の領地であり、魔王が自在に衆生を操っていたんです。そこに法華経の行者が出現し、正法をもって、穢土である現実世界を浄土に変えようとする。それが広宣流布です。
 そこで魔王は、驚き慌てて、法華経の行者に対して戦いを起こす。したがって、広宣流布の道は魔との壮絶な闘争になるんです。
 この第六天の魔王とは何か。人びとの成仏を妨げる魔の働きの根源をなすものです。魔王という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具わった生命の働きです。
 ゆえに、成仏というのは、本質的には外敵との戦いではなく、わが生命に潜む魔性との熾烈な戦いなんです。つまり、内なる魔性を克服していってこそ、人間革命、境涯革命があり、幸せを築く大道が開かれるんです」

 

小説 新・人間革命 27巻 激闘31

2014年4月27日

『わが道』で、

乱世を乗り越えよ!

 

 今は乱世である。善悪の確かな基準もない。実力よりも要領、社会貢献よりも“ただもうければいい”――そういう風潮が強い。こういう時代には純粋な青年は悩まざるを得ない。
 しかし、社会を変えていく努力は当然として、この、今の現実のなかで諸君は「勝利者」にならなければならない。人生は勝負である。勝たなければならない。(中略)
 必死の人に、雑音など届かない。くだらないことに紛動されたり、あっちを見、こっちに振り回され、人にどう思われるか、どう言われるか、そんなことばかり気にしていて、何ができようか。厳然と「わが道」を行けばよいのである。
 仏法でも「悪知識」に惑わされるのは「悪象」に殺されるよりも怖いと説く。悪知識に心を動かされれば、結果は地獄だからである。(中略)
 いかなる分野であれ、「世界一をめざそう!」との心意気が大切である。
 青年の理想は、大きすぎるぐらいがちょうどいい、実際に実現するのは、そのうちの何分の一かにすぎない場合が多いのだから。
 私はすべて「世界一」をめざしてきた。戸田先生のもとで、それは真剣に勉強した。生命をかけて努力した。その努力があって、今の私がある。(中略)
 過去の失敗に、とらわれるのも愚か。過去の小さな業績に傲るのも愚かである。
 仏法は「現当二世」と説く。過去ではない。今から未来へと勝ちゆく挑戦を教えている。
 この心を忘れた人生は、狂った軌道に入っていく。(中略)
 まず、自分が強くなればよい。否、自分が強くならなければ、この乱世で勝つことはできない。
 人がどうであろうと、だれが何と言おうと、自分が力をつけ、力を発揮していくことである。また、最高の強さを引き出すのが、正しき信仰である。
 諸君には、深き深き「使命」がある。その事実を自覚していただきたい。自負していただきたい。進むべき「わが大道」を自分で見つけ、自分で築き、堂々と歩んでほしい。
 そしてわが生命に「人生の金メダル」を、燦然と飾っていただきたい。

 

1996.1.26創価大学二十二期卒業生大会、創価女子短期大学十期卒業生大会

2014年3月3日

自分が強くなれ!

 

 なんとか敵が弱くなってもらいたい、敵が衰えてもらいたい、それを待とうなどというのは、最大の恥である。
 世の中がどうだ、相手がどうだ、そんなことは関係ない。そんなことを言うのは愚痴である。自分が強くなればよい。自分が勢いを増せばよい。自分が力をつければよい。――これこそ人生万般に通ずる心意気である。
 戸田先生もそう言われていた。「ああ、あの人、あんなきれいな格好して!」と妬んだってしようがない。自分が、もっと魅力的になればいい。
「あいつは全然、学会活動しないで、勉強ばかりしているんだから、成績がいいのも当たり前だ」
そんな批判をしても、自分が成長するわけではない。
  何か人にケチをつけて、自分を擁護する――これほど卑しい生き方はない。人ではない。自分がどうかである。
 人がどうあれ、環境がどうあれ、状況がどうあれ、自分が強くなればいい。
「縁」に紛動されるのは、人間としてもっとも情けない、哀れな姿である。
 反対に、自分が「縁」を紛動させていくのである。これが「創価」すなわち「価値創造」の生き方である。そういう自分にならなければ損である。

 

1996.11.3創価同窓の集い

2014年3月14日

 自分が変われば、世界が変わる

 

 大聖人は、「一生成仏抄」で、「衆生本有の妙理」とは「一心法界の理」であると言い換え、「心」を強調されています。
 一心とは、私たち一人一人の今この瞬間の心、一念のことです。法界とは、森羅万象であり、それをすべて含む大宇宙のことです。
 宇宙のあらゆるものが一粒の塵も残さず、すべて、わが一念に納まっている。また、このわが一念が、宇宙の果てまで行きわたっている。この真実を明かしたのが、「一心法界の理」です。
 「自分が変われば、世界が変わる」という根本原理です。「人間革命」、「立正安国」へと連なる原理です。
 すべて自分自身です。だれのせいでもない。すべて自分自身のためです。だれのためでもない。このことが分からなければ、妙法ではないのです。

 

御書の世界(上) 第五章 一生成仏

2014年1月31日

臆病者になるな!

 

 マハトマ・ガンジー。
 「そこにある真実を認めていながらそれをやらないのは、臆病者と呼ばれるにふさわしい人々です」
 正しいと認めていながら実践しない。座談会にせよ、勤行や広布の闘争にせよ、正しいとわかっていてやらないのは臆病者である。ガンジーは「臆病ほど重い罪はない」とも言っている。

 

2000.7.18第48回本部幹部会

2014年1月6日

吹奏楽を奏でながら、

人間革命の人生を!


 わが人生にあって
 決して一生涯
 希望を失うな!

 

 いかなる過酷な戦いにも
 吹奏楽を奏でながら
 断じて
 歩み抜くのだ!
 勝ち抜くのだ!
 永遠なる太陽と輝き
 永久に
 わが人生を燃やしゆくのだ!

 

 忍耐そして宿命
 不安そして苦悩
 それらは皆
 仮装した運命と思え!

 

 汝は汝自身らしく
 その運命に負けずに
 決然と前へ進むのだ。

 

 そこに
 生命の勝利の証明がある。
 一切を幸福への運命として
 勝ったことを知るだろう。

 

 生命!
 大宇宙に溶け込みながら
 永劫に流転しゆく
 不思議なる生命

 

 永遠に
 不可能を可能としながら

 

 人類の夢に見た
 民衆の生命尊厳と
 平和の文化の
 王朝の世紀を創るのが
 賢者たちの
 願いであり誓いだ。

 

 我々は
 今日も
 新しい人生を
 生きるのだ!

 

 一生涯
 汝自身を成長させながら
 自分自身を革命させながら
 新しい人生を
 生き抜いていくことは
 なんと素晴らしいことか!
 (後略)

 

聖教新聞2014.1.元旦 桂冠詩人の世界

2013年12月21日

すべての悩みを打開していける

 

 「人生は、思うようにいかない場合が多い。どうして、こんな人と結婚しちゃったのかな。どうして、こんな両親のもとに生まれてきたのかな。(中略)どうして、こんな会社に入ってしまったのかな。
 そうしたすべての悩みを、『煩悩即菩提』の法理で、全部、幸福に変えていく、喜びに変えていく。それが『信心』の力である。
 『信心』とは『以心代慧(信を以って慧に代う)』と説かれるように、最高の『知恵』の働きをする。信心が強ければ強いほど、豊かな知恵の振る舞いになっていく。それが本当の信仰者である」
 さらに、こう訴えた。
 「何があっても、楽しめる境涯。価値的な、ものの見方と知恵。すべての悩みを打開していける力。それは『自分自身を磨く』ことで開かれる。
 それが『人間革命』である。それが『一念三千』の実践である。わが一念、わが境涯を変えることで、一切を幸福へ、幸福へと変えていけるのである。」 

 

聖教新聞2013.12.16地平線を越えてカナダ(上)

2013年11月25日

信心さえあれば、全てが生きる!

 

 「根本となるのは信心です。開目抄に〝威儀を修せず〟とありますが、本有無作でよいのです。信心で人間革命しきるのです。どんな性格であっても幸福になるのです。これが妙法の原理です。信心の功力なのです。
 ですから、注意されるものは注意を受けていきなさい。それで罪を消していくのです。りっぱな指導者になるために言ってくれるのですから、それが全部、生きてくるし、また、悪い性格は冥伏するのです。心配はいりません。大聖人は、〝我々の身は糞のようなものである。その糞を黄金に変えなさい〟と――。これは信心で生きる以外にないとの仰せです。法に殉じていく決心で一生涯、生き切ることですね。そうすれば、自然に福運がついて、みんなから尊敬されるようになります」

 
大白蓮華No.768号2013.11月号27頁

2013年10月3日

最強の楽観主義者


 「不可能を可能にする」妙法を持つ私たちは、最強の楽観主義者である。どんな困難にあっても、「断じて乗り越えてみせる」との強き一念と行動で、〝すべての人が幸福に生きる世界〟を築いてまいりたい。

 

2003.9.30全国最高協議会

2013年9月10日

まず動け!知恵は後からついて来る

 

  あれこれ考え、迷っている間に、思いきってやってみることだ。まず行動だよ。そうすれば知恵は、いくらでもわいてくるものさ、と
 決して無謀を勧めているわけではない。何事も、緻密な作戦、計画が必要なことはいうまでものない。そのうえで、やるべきことが決まったら、あとは、躊躇せず、ともかく動いてみることだ。知恵はあとからついてくる。――これも一つの重要な真理である。戸田先生も、同様のことを、よく教えられていた。

 

1991.3.9第一回中国総会

2013年9月5日

人間革命の大連帯を青年の熱と力で

 

 戦争が、いかに残酷に青年を犠牲にし、青春を蹂躙するか。この悲劇だけは、絶対に次の世代に味わわせてはならないと決めて、私は戸田先生の弟子として戦ってきた。
 戦争の魔性を打ち破るためには、一人一人が「人間革命」をして、心に揺るぎない〝平和の砦〟を築く以外にない。そして、青年の熱と力を結集して、平和と文化と教育の大連帯を広げていくことだ。
 人間の生命には、核兵器にも屈しない、偉大な正義の力が秘められている。若き生命を自他共に輝かせ合い、足元から友情と信頼のネットワークを拡大してもらいたい。

 

聖教新聞2013.9.1付今日も広布へ34

2013年8月30日

師を求める一念に人間革命あり

 

 動物にも親子はある。兄弟もある。夫婦や友人もあるかもしれない。しかし、師弟という永遠の絆は人間だけのものである。ゆえに師匠なき人生は、人間としてあまりにもさびしい。
 師を慕い、師に近づこうと努力しつづける一念こそが、自分自身に限りない成長をもたらす。また、わが心をどこまでも豊かに開き、深く掘り下げてくれる。そして、豊かな心には豊かな人生、深き心には深き人生の味わいがある。

 

大白蓮華No.764号2013.8月号92頁

2013年5月12日

 強き個人、強き人間
 
 いかなる策謀、いかなる弾圧にも、絶対に屈しない。必ず反撃する。自分の自由、信条を侵すものは決して許さない。一切をはじき返す。そうした“強き個人”“強き人間”であっていただきたい。つまり、不当な圧迫や、言われなき中傷をされて、弱々しくなってしまうような人間では、偉大な幸福者にはなれない。いかなる嵐の圧迫にも悠然と立ち向かい、切り返し、はね返し、笑顔で前に進む人には、幸福という勝利の旗がひるがえる。
 
1989.10.15広島県記念勤行会

2013年4月14日

人間革命を開く大道

 

 宗教の生命もまた自身の人間革命、生活革命にあります。一人一人が現実に直面している生活の悩みと格闘し、生命の境涯を変革していく、その軌道の中にしか、真の社会変革の道もないし、立正安国もないのです。この出発点にある人間革命を開いていく大道こそ、一人への「励まし」です。

 

大白蓮華No.760号2013.4月号

2013年4月4日

一歩の努力

 

 信心の境涯を開くのも、“一歩”また“一歩”の努力である。止まってはならない。行き詰まったら題目をあげ、行動して開いていく。その、たゆまぬ繰り返しによって、初めて宇宙大の境涯へと一歩一歩近づいていくことができる。

 

1988.12.10第10回青年部幹部会

2013年3月26日~28日

人間革命は声革命

 

 島崎藤村は、

 『若菜集』などをまとめた

 合本の詩集の序文に

 「生命は力なり。

 力は声なり。

 声は言葉なり。

 新しき言葉は

 すなはち新しき生涯なり」

 と書いている。

 

 自分が本当に変われば、

 声の響きが変わる。

 「新しい生命」は「新しき声」をともなう。

 「人間革命」は「声革命」をともなう。

 (中略)

 声は、正直である。

 文章はウソをつくが、声はごまかせない。

 人々の「心」を動かす真心の「声」は、

 強く、清らかな「心」の反映である。

 また反対に、

 虚ろな響きしか出ない「声」の人には、

 自分に弱さ、

 複雑性のある場合が少なくない。

 

1989.4.25第14回青年部幹部会 全集(72)496頁

1月26日27日

人間主義

 

 人間主義とは、
 何か特別な生き方をすることではない。
 奮闘している人や苦労している人がいたら、
 声をかけ、励ます。
 喜んでいる人がいたら、
 共に手を取って喜び合う
 …その、人間の心の共有のなかにこそあるのだ。

 

小説 新・人間革命 26巻 法旗 37

2012年12月17日

小説人間革命

 

 今まで、

 恩師から賜った指導を全部、含め、

 また、恩師をいじめ、批判してきた、

 一切の評論家や学者や、

 そしてまた政治家などの誹謗に対して、

 批判を打ち破る

 『人間革命』を書ききっておきたい・・・」

 

大白蓮華No.756 2012.12月号 20頁

2012年11月6日~13日

何があっても明るく前へ

 

 何があっても、カラッと明るく、

 前へ、前へ!前進することが重要である。

 明るいことが幸福である。

 過去がどうであろうが、

 人がどう言おうが、

 未来へ向かって朗らかに生き抜くことだ。

 

大白蓮華No.755号2012.11 98頁

2012年11月5日

永遠の勝利者

 

 「あそこのほうがいい」とか

 「あの人がうらやましい」というのではない。

 自分のいる所が、最高の宝処なんだ!

 そう決めた人は、何も恐れない。

 これが永遠の勝利者です。

 

大白蓮華No.755号2012.11 99頁

2012年11月1日~3日

常に前進の気概を

 

 勝負というものは、芸術でも、スポーツでも、仕事でも、「さあ!これからだ」という気概をなくしてしまえば、負けてしまう。過去にとらわれるのではなく、「これから」「今から」「今日から」という、常に前に進んでいく強き一念を忘れないことである。

 

大百蓮華No.755 2012.11月号98頁

10月29日~31日

もうだめだ、と思った、

そこからが本当の勝負だ

 

 人生も、社会も、戦いだ。周りを見れば、さまざまな団体が行き詰まり、疲弊している。先が見えない時代だ。そこを突き抜け、突進したところが

勝つことができる。だから歩みを止めてはならない。ここが正念場だ。御聖訓には「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224頁)と厳として仰せである。闇が深ければ深いほど、仏法の人間主義が光る。今は一歩も引いてはいけない。戸田先生は叫ばれた。「大革命をやるのだ。武力や権力でやる革命ではない。人間革命という無血革命をやるのだ。これが本当の革命なのだ」と。前へ進めば、逆風もある。壁にぶつかることもある。もうだめだ、と思った、そこからが、本当の勝負だ。一段と題目をあげ、勇気をもって行動するのだ。必ず状況が変わる。境涯が大きく開ける。今世の戦いに悔いを残してはいけない。

 

 聖教新聞 2012年10月21日付 今日も広布へ

2012年10月19日20日

人材の要件

 

 常に、唱題第一で、

 わが生命を磨き抜くことです。

 御本尊に照らし、

 御書に照らし、

 広宣流布の師匠の指導に照らし、

 間違いのない、

 正しく、

 清浄無比なる信心を貫いていく人です。

 

 新・人間革命25巻人材城4

2012年10月3日4日

先入観を持つな!

みな同じ人間だ!

 

「(中略)先入観をもって、人と合うのは失礼だ。それは偏見につながり、真実を見る目を曇らせてしまう。たとえ、どこの国の人であれ、いかなるイデオロギーの人であれ、また、どんな肩書や立場の人であれ、みんな同じ人間なんだ。人間に変わりはない。

 友情を育み、友好を結ぼうと思うなら、同じ人間であるという意識で、語り合うことだ。相手の国や民族、あるいは、地位や肩書などによって、態度を変えるというのは、人間として卑屈ではないか。また、それは、裏返せば、傲慢でもあるということだ。

 相手によって威張ったり、下手(したて)に出たり、また、〝立場〟を鼻にかけてものを言うような生き方では、本当の友情は芽生えないし、本当の外交もできない。しかし、一個の同じ人間であるとの視点に立てば、共通項が見え、互いに身近に感じられるものだ。それが、相互理解の手がかりにもなるし、共感も生まれる。

 私は、学会員の一婦人と会う時も、世界的な学識者と会う時も、いつも同じ人間として接して、理解し合うように努めている。だから私は、相手が誰であろうと恐れないし、見下すこともない。率直な語らいができ、心も通い合う。共感し、尊敬し合えるんです」

 

小説 新・人間革命 13巻 金の橋 34,35頁

 

※昨今の境界線問題は、この心が必要です。「座右の銘」ならぬ「座右のスピーチ」として。一方、わざと煽る輩を見ると本当に腹立たしい!情けない!悲しい!進歩なし!(サイト・マスタ)

2012年9月29日30日

水の如く

 

 一日、一人でもよい。誰かと会う。三年続けたら、千人を越える。一日一日、持続する。一つ一つ、努力を積み重ねる。まことに「継続は力なり」だ。 努力は必ず、成長の糧になる。ましてや、広宣流布のため、陰で尽くした労苦は、全部、自分のためになる。無駄がない。「陰徳」は必ず「陽報」と光り輝いていくのだ。日蓮大聖人は「水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544頁)と仰せである。自ら決めた使命の道を、着実に、粘り強く進む。その人が、最後は必ず勝利する。

 

創価新報 2012.9.19付 勝利の人間学

2012年9月9日10日

人生の賢者は“今”

 

 “今”が一番大事である。過去を振り向いてはいけない。振り向く必要もない。未来への希望を大いに燃やして、今、この時に全力を注いで生きる。その人が、人生の賢者である。

 

池田大作 名言100選 36頁

2012年8月28日

負けないことこそ偉大な勝利

 

 勝つことだけが人生ではない。勝とうと背伸びして道理にはずれてしまっては、何にもならない。負けないという人生は、永久に勝ちである。勝つことよりも負けないことのほうが、偉大な勝利なのだ。

 

池田大作 名言100選 64頁

2012年8月15日

自分を見つめる勇気

 

 何かあると、すぐに人を責める。人のせいにする。それは「自分を見つめる勇気」がないからです。そこから、暴力も起きる。いじめも起きる。 世の中の全体が、そうなってしまった。なさけない。薄っぺらな社会になってしまった。だからこそ、創価学会は「まず自分が変わっていこう!」という「人間革命」運動をしているのです。いちばん勇気のある、いちばん人間らしい、いちばん正しい路線だと、私は確信しています。

 

 希望対話 319頁 

2012年7月25日  

人間革命は「流れ」

 

 病気の人が健康になるのは、すごい人間革命です。意地の悪い人が、人に親切にするのも人間革命。親不幸の人が、親孝行になるのも人間革命です。 人間革命は「こうだ」という、決まった姿ではなく、よりよくなっていく行動です。広宣流布と一緒で、流れのようなものです。自分がどんどん、よくなっていく軌道に乗っているかどうかです。

 

青春対話 1 青春と信仰 387頁 

2012年7月21日  

人間革命の時

 

一番、大変な時に人間革命できるのです。

 人間革命のチャンスを失ってはいけない。

 

大白蓮華 №748 2012.4月号 17頁

2012年7月13日  

自転と公転

 

 私が入信したのも、戸田先生が戦争中、二年間も牢に入り、軍国主義と戦いぬいた。「それなら、この人を信じられる」と思ったからです。仏法の内容なんか、わからなかった。戸田先生という「人間」を信じたのです。そして、戸田先生との「師弟不二の道」こそが、私の「人間革命の道」だったのです。(中略)「広宣流布していこう!」という心が、人間革命していく心になる。人間革命が「自転」ならば、広宣流布は「公転」にあたる。自転と公転があって、宇宙の運動は成り立つ。公転がなければ宇宙の法則に反する。

 

青春対話 1 青春と信仰 386頁

世界広布新時代

創立100周年へ

2030年 

 

世界青年学会

開幕の年

(2024年)

2013.11.18

広宣流布大誓堂落慶

更新日

2024.11.24

第2318回

 

日天月天ワンショット

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